青天を衝け(36)「栄一と千代」★4
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本日青天を衝け第36回
娘が結婚してしまう
悲しいような嬉しいようななんて言ってたらもうお千代
勘弁して下さい
よろしくお願いします
吉沢
https://pbs.twimg.com/media/FEtfuBOagAAp0JV.jpg >>336
スカーレットで共演してた林遣都と結婚したしな 三井、三菱と並ぶ商社鈴木商店、
その鈴木商店が高畑、永井などが日商に行き日本一の商社鈴木商店の後継となり日商岩井、双日、神戸製鋼所、帝人、播磨造船、ダイセル、サッポロビール、日本発条ニッパツ、ニップン、昭和石油などになったあと、
三井三菱に並ぶ財閥になったのが日産、
住友を超えて三井三菱日産となった、
日産は大きな銀行を持たなかったので、6大企業集団では三和銀行や日本勧業銀行や富士銀行などになる
一般に三大財閥といえば三井三菱住友で四大となると安田が加わり、その次が日産、古河、神戸川崎、大倉と言われる
古河銀行は第一銀行、神戸川崎銀行も十五銀行と一緒になり三井側だったが第一銀行グループとなり一勧グループ、十五銀行はお公家さんや徳川家、池田家、吉川家、黒田官兵衛の黒田家、藤堂高虎の藤堂家、山内家、などの華族銀行で行章がさくらなので、太陽神戸銀行と一緒になった時太陽神戸三井銀行、さくら銀行となった
帝国ホテル、大成建設の大倉喜八郎の子供、大倉喜七郎はホテルオークラ、日本棋院をつくった、大倉喜七郎賞というのがある
日立製作所、新日本鉱業、日産化学工業、日産自動車、日産海上、損保ジャパン日本興亜などが日産財閥で
五大新興財閥でもある、日産、日窒、日曹、理研、森 >>368
どんだけヤリチンだよ(´・ω・`)子孫も1000人ぐらいすごいいそうだな >>379
>渋沢栄一など明治の重鎮が役員に名を連ね、医務主管には北里柴三郎が任ぜられました。
北里柴三郎もお札の肖像だっけ? 次回、三菱と全面戦争!
内閣制度創設!
帝国憲法制定!
の三本立てでお送りします >>368
財産争うどうなったんや
骨肉どころの騒ぎやないやろwww この後の渋沢栄一は「帝都物語」で演じるのは勝新太郎 >>429
あれ?
林遣都スカーレット出てたっけw >>417
あれだけ妾やら隠し子やらいたのに
それは無理筋 >>430 【鈴木商店】日本一の総合商社に | 双日歴史館 https://www.sojitz.com/history/jp/era/post-21.php
【鈴木商店】日本一の総合商社に
鈴木商店の絶頂期を象徴する「天下三分の宣言書」
第一次世界大戦が勃発すると、金子直吉は戦争の長期化による物資の不足と物価の高騰を予測、一大投機に打って出る。 "BUY ANY STEEL, ANY QUANTITY, AT ANY PRICE"(鉄と名のつくものは何でも金に糸目をつけず、いくらでも買いまくれ)との大号令を発信。
その後、物価は金子の予想どおり急騰し、鈴木商店は巨額の富を得る。
ロンドン支店長の高畑誠一は連合国に大量の船舶、食料、鉄材などを供給し、スエズ運河を渡る船の1割は鈴木の船だといわれた。
高畑は「大英帝国といえども一介の客にすぎない」と強気のビジネスを展開し、英・チャーチル海軍大臣(後の首相)からは「カイゼルを商人にしたような男だ」と恐れられた。
こうして大正6(1917)年に、鈴木商店の売上高はGNPの1割に相当する15億円を記録、日本一の総合商社となった。
金子直吉はロンドン店の高畑に、「三井三菱を圧倒するか、しからざるも彼らと並んで天下を三分するか、これ鈴木商店全員の理想とするところなり」との書簡を送った。
これは「天下三分の宣言書」と呼ばれ、鈴木商店絶頂期を象徴するものとして知られている。
高畑誠一の故郷である愛媛県内子町には、「貿易会先覚者」としての功績を称えた高畑の石碑、胸像などが建てられている。 >>286
千代の長男篤二とお妾さんの女の子はちゃんと同じくらいの子役だったような(´・ω・`) >>395
新渡戸も大河やってもらえればよかったのに >>115 千代が生きてるうちから妾持ちだったが…
まあ、拍車はかかったかもな お家存続の為って感じが凄いな栄一は
女好きというより >>308
ウッズは復帰してたが今年自動車事故で大怪我
選手生命の危機 >>144
うちのはステロイドの副作用で顔がパンパンに膨らんだ状態で逝った
食欲がないのは同じ。遺言すらできないのが現実だな 何とも何とも悲しい別れだね 俺なら立ち直れないだろう
出来るだけ若い嫁を貰おう >>348
学天則も渋沢栄一が作ったんだっけか・・・??www
おぼえてねええええw >>438
栄一が生きてるうちからハッキリした子供だけで会を作ったらから大丈夫 >>446 日本一の総合商社へ〜天下三分の宣誓書 - 鈴木商店記念館 http://www.suzukishoten-museum.com/footstep/history/cat2/cat3/日本一の総合商社へ〜天下三分の宣誓書 三井三菱を圧倒するか、しからざるも彼らと並んで天下を三分するか・・・
第一次世界大戦による大戦景気を見越し、一斉買い出動を敢行した鈴木商店は、莫大な利益をあげた。
大正5(1916)年には、後藤新平と金子直吉を結びつけ、後藤勝造が経営するみかどホテルを買収し、鈴木商店本店とした。当時、コロニアル風の瀟洒なる建物は鈴木商店躍進の象徴となった。
大正6(1917)年の売上高は15億4,000万円に達し、三井物産の10億9,500万円を大きく凌いで文字通り日本一の大商社に躍り出た。
さらに大正7(1918)年の絶頂期の売上は16億円を超え、国内外の陣容においても三井に引けをとらない質・量ともに「総合商社の源流」と呼ぶに相応しい態勢が整った。
これに先立つ大正4(1915)年秋、金子直吉はロンドン支店長の高畑誠一、小林、小川実三郎の3人の駐在員宛に長文・墨痕あざやかな書状を送り、「・・・この戦乱(第一次世界大戦)を利用し大儲けをなし、三井三菱を圧倒するか、しからざるも彼らと並んで天下を三分するか、これ鈴木商店全員の理想とするところなり。・・・」と大号令を発した。
この金子の檄文には、金子の経営戦略が溢れるばかりの気迫と自信に満ちた文章の中に記され、後に鈴木商店関係者の間で「天下三分の宣誓書」と呼ばれるようになった。
中国の明代に書かれた後漢末・三国時代を舞台とする時代小説「三国志演義」の中で、諸葛孔明が劉備玄徳に進言した「天下三分の計」を思い浮かべながら、
金子が自分の後継者にと心に秘めている勝負師・高畑に並々ならぬ決意を披歴したもの。当時、金子49歳、高畑28歳であった。
この手紙は、永く高畑が家宝として手元に置いていたが、現在は鈴木商店系の太陽鉱工が保管するところとなり、神戸市立博物館に鈴木商店ゆかりの品とともに寄託されている。 >>436
北里は千円札
こちらも性豪で非常に有名 >>411
アシカかイルカかオットセイか海の動物のあだ名がついてた気がする >>286
よしが千代の子が男の子で良かったってドラマでもやってたじゃん 何が皮肉ってこのお千代亡くなった翌年にコレラ菌の発見、確立されたことか(伊で1850年頃細菌の報告はされてた) >>463
それは西村真琴
西村晃のお父さんかお爺さん 千代が産んだ子て、結構年齢差ある?
嫁にいった人とまだまだ子供ぽい人とで >>368
わかっているだけで、の数(´・ω・`) >>399
ドルオタってとかく評価が高すぎるんよな
アイドルにしてはマシってのと本職に混ぜても良いは別物なのに >>457
隠し子合わせて50人
何人かはエイトセンシズまでいけるじゃろ
小宇宙を合本させて弥太郎を倒す!!!!1111 >>433
明治のチンギスハンと呼ぼうぜ( ・`ω´・) >>479
かなりある
結婚した歌子が、お千代亡くなった後に弟を育ててる >>480
アミューズの男優は共演者を食う法則が確立してしまう 渋沢栄一の子供達って聖闘士星矢のモデルなんでしょ(´・ω・`) >>467 日商(現・双日)の歴史F - 鈴木商店記念館 http://www.suzukishoten-museum.com/footstep/history/cat/cat3/post-132.php日商(現・双日)の歴史F
戦後も生きる鈴木商店人脈
昭和25(1950)年に、商社マンの海外出張が解禁されると、高畑誠一は真っ先にインドのタタを訪問し、銑鉄の輸入を再開させる。
昭和26(1951)年には、高畑自ら交渉し、民間貿易再開後初の輸出船舶の仲介、昭和27(1932)年に戦後初のニューカレドニアからのニッケル鉱石の輸入、昭和31(1956)年に日本初の鉄道輸出等を成功させた。
戦後、旧鈴木商店系の企業が結束し、高畑の人脈が活かされたのが、FAPIG(第一原子力産業グループ)の結成である。
昭和30(1955)年の鈴和会(旧鈴木・主力企業の親睦会)において高畑は神戸製鋼所の浅田長平社長に原子力に取り組むための旧鈴木を中心としたグループを結成できないかと意見を求め、非財閥系の重電機メーカーである富士電機の協力が必要ということになった。
高畑の神戸高商時代の同期には永井幸太郎、出光佐三(出光興産店主)、和田恒輔(富士電機・富士通社長)がいて、「1年間夕食をスキ焼きとする(=スキ焼を食べ続ける)」と約束するほどの仲であったため、高畑は和田恒輔と相談し話が進んだ。
そして富士電機は古河系ということもあり、同グループの富士通信機、古河電工、古河鉱業、旭電化、日本軽金属、横浜ゴム、神戸工業が参加。そして松方幸次郎が生み出した川崎系である川崎重工業、川崎製鉄、川崎航空機も本グループに合流する。
更に旧鈴木、川崎、古河系の主力銀行は第一銀行であったため、同銀行も加わり合計16社で第一原子力産業グループ(FAPIG)が昭和31(1956)年に結成され、そして現在に至っている。
昭和34(1959)年、日本原子力発電株式会社はFAPIGと東海発電所建設に関して単独交渉権を獲得し、日本で初めて建設する原子力発電所はFAPIGが推す発電所が採用された。
高畑は、戦後の日商の飛躍のために新たな人材を求め、母校の神戸高商(当時、神戸経済大学)を首席で卒業した海部八郎をスカウト。金子直吉の再来を期待したともいわれている。
海部は、昭和23年に日商20周年記念行事にて開催された公募論文で「世界貿易の趨勢と機械貿易の将来」と題する論文で第一位を受章。以後、高畑は直接に海部八郎を教育し、自分が育ったロンドンに赴任させ主に船舶を学ばせる。 >>468
少子化対策を狙った人選だな
なお津田梅子 >>368
マジでそんなにいたの?
その子達、全員にお手当出してちゃんと育ったの? >>498
あれも子供100人いて聖闘士になったんだっけ
アニメだとそこカットされたって聞いた >>276
娯楽がないんだからこの時代辛さを乗り越えるには女か酒なんだろ >>486
続報きてないんじゃないかなあ・・・ということは >>502
認知してないのも入れると200人以上とも言われてるんよ(´・ω・`) ここからの予定(歴史的出来事)
36話、明治14年の政変←イマココ
37話、内閣制度創設、帝国憲法制定
38話、日清戦争
39話、日露戦争
40話、第一次世界大戦
41話、満洲事変
というスピード展開の予定です >>428
これ吉沢くん?
なんか後ろだけならおっさんぽくて良いね >>276
結婚まで2年後、出産はその先
このレベルの資産家で独り身で切り盛りするとか周りからほっとかないし、実際そういう流れなので >>424
逝く前と死に顔のギャップがな
>>387
俺も1年後には再婚してみせるわ >>509
うた「こっそりと女でも小宇宙を合本させちゃう私だけの部隊つくっちゃいましょ!!」 妻に先立たれるってパターンは大河ではあんまりない気がするな
(家康は殺したけど)
だから見てても悲しいシーンになったなあ >>299 すぐに再婚、後妻とも9人の子ども
愛人とも多数子ども作って
昭和まで90歳以上まで生きました >>512
この辺になるとさすがにもう家康はお払い箱だな >>514
顔はイケメンだけどチビだから
全身後ろ姿は映えねえなあ キリンはエリカ様のせいで大変だったからまだしも、いだてん半年くらい削ってそのぶん青天にあげたかったわ
むしろ、いだてんやらなくて良かったわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています