ドラマ的視点から観た「八重の桜」
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ドラマ的視点て 当たり前だけどw
本スレは毎年歴史スレとして常態化してる
歴史から見てもドラマは何も見えてこない。
当たり前だが、歴史とドラマは別物、別分野
ドラマが目的としているところは歴史的立場や解釈ではもちろんない
歴史は借り物の素材にすぎない
ドラマを歴史で語れるのはせいぜい時代背景、ストーリーの元になってる素材
その素材を用いて作劇され、役者によって演じられ映像に定着されたドラマは
独自の情動が形成されてる、ある種芸術的創造のたまもの。
歴史知識で補完して、披露して悦に入ることとは無縁のもの。
(大河ファンがバカにされるのはそこだ(誰がバカにしてるのかは知らんが)
やれ合戦だ、史実だ、政治だ、スイーツだ、主役がいい人だ、伏線だ
とかで、ドラマをドラマとして見れない)
役者の(この場合、断然綾瀬八重)織りなす美しい情感の綾や
一途な熱い魂を、無粋な場違いな歴史語りで汚してはならない カメラが良かったとは言ったが
やっぱり細かいところで
例えば、大庭のシーンから容保が豹変するあたり
船酔いしそうに揺れてるw
もう手持ちカメラはやめるべきだな
つか、固定でやるとか最初NHKは言ってたはずだが 八重のパートが少ないとか
逆に少なくていいとかいろいろ言ってるが
7話は八重の存在感が全編渡って散りばめられていた
考えてみれば、この回は会津が悲劇へ突き進む出発点であり
兄妹にとっても1つの分岐点になる
定かではないが漠然とした不安が、八重の言葉の端々に
刻まれて、この後の後戻りの出来ない混沌とした行く末を感じさせる 大庭に、狂ってると言う容保自身も
ある種狂ってるんだろうな
家臣の中で誰も進言するものもいない
生真面目だけの裸の王様的な容保は
180度の豹変ぶりを見せるも
発するセリフは公的なものばかりで
まるで内面を持たない、何考えてるんだかのキャラ
それ故、このドラマで唯一心情を吐露できる八重の存在感が
際立ってくる 宗家を守らぬはわが子孫にあらず、従わなくてもいいとまで保科が遺言してるんだから、
養子の容保は受けざるを得なかったと思うよ 地味な物語から、滋味のある語り口になってきたな
特に八重をどう絡ませるかという、その瀬戸際的バランスの扱い方において
八重の想いだけは、この物語の四方八方に放たれてるが
それをグッと抑えることによって、或いは
大蔵が「あなたは会津そのものだ」とか
頼母がそれをくすぐるように少し引き出してやるとかで
にわかに沁み出してくる情感 容保はどうやら完全に天皇のとりこになったようで
これに抗う頼母という図式で行くんだろうな
徳川のためというより、天皇のためなんだろうか 主人公八重のストーリーがメインになっていない
糞ドラ中の糞ドラ。それが八重の正体 でもあんだけで十分、八重が主人公と認識出来るから
あれで普通に主役扱いしたら
それしか目立たないだろうなw とにかく、この八重(会津)と容保(京都)という対比で
しばらく行くのかな
やや大味になりがちな骨格のストーリーを
容保絡みと特に八重の内面が放つある種オーラwによって
如何に引き締めていくか 音楽も充実してきたな
時尾の失恋でピアノで始まる曲は断片だけだったが
しっとりした趣
ただ、シーンはイマイチ
偽勅からの、孝明にスポットを当てた曲もクラシカルで格調高い
頼母が京を去る時、テーマ曲が鳴り始めると
おー、やっと「八重の桜」が始まったかという思い
近いその内八重自身の桜も始まると思う 場面が切り替わるときにボォ〜〜ンとやるのはもうやめてほしい
最近タイミングもわかってきて身構えてしまう >>114
じゃあ戦国時代を扱った作品は全て駄作ですね
武将が皆、居るはずもないサラブレッドに乗ってますよ >>116
昔の日本人は小さかったからちょうどいいかもw 「戦国時代の馬はあんなサラブレッドじゃない厨」は大河の風物詩
戦国時代の頃の馬を調達できるわけが無いという事を理解できないお馬鹿さん ストーリーがつまらなさすぎ。
ドラマって言えない出来 そもそも日本馬は言われてるほど小さくねえんだけどな。
ただ、この大河が時代考証無視とか言い出したら去年や一昨年というか
21世紀大河の殆どはファンタジーになるぞと。 今まで準主役扱いだった覚馬が一気に喋る置物と化したなw 視点が急に山本家から藩の中心と天皇に変わって感情移入しにくいんだよな
こういう所何の為にナレーション入れてるんだかと思うというか
視点が急に変わったことで脱落者が増える予感・・・ 西島と長谷川が魅力ゼロ。
八重は鉄砲絡みの台詞言って、家で留守番。
なくても良いシーンを主人公だから仕方なく出番作ってもらってる。
無理矢理の八重登場がまた退屈で、たまになら新鮮だが、
ずーっとどうでもいいシーンばかりの八重で、八重本人はお転婆なだけで
つまんないね。 綾瀬の今のポジションなら、せめてナレーションくらいやって
存在感をしめすくらいできたのでは? 「八重の桜」第1回は会津戦争クライマックスからはじめるのではなく、
最晩年の八重が叙勲されるシーンからはじめて、自身の生い立ちと会津
のドラマをあわせて振り返る。およびナレもやってと・・・。まあ「竜馬伝」
の香川照之パターンではあるが、このドラマが綾瀬のてのひらでの上で
進行していくイメージを視聴者にあたえることができてよかったんじゃないかな? 希望的観測っていうか
実際、希望の持てそうな展開になってきたように見える
相変わらず、新撰組や長州の登場のような淡白というか
背景でしかないような表現もあるが
そういうのは無視できるぐらい、ドラマ的な情感が流れ始めてきた
容保が危うい道を突き進めば突き進むほど
八重の存在が反作用として効いてくる
当初、悲劇と綾瀬ということで期待、想像してたここのテンプレにもある
>役者の(この場合、断然綾瀬八重)織りなす美しい情感の綾や
一途な熱い魂
こういうのが見れそうな感じになってきた
JINで感じた綾瀬の癒しのパワーは、このドラマの底流に流れてて
>>126の言う、手のひらみたいなもん
ドラマ全体を包んでるが、その八重自体が悲劇の渦中に入り込んで行ったらどうなるか
自ら熱い炎を燃やさないといけないと同時に
自らを救済しなければならないという引き裂かれた力が作用してくるんじゃないかと
楽しみだ
ま、脚本次第だが なげーよ
容保公は主役に向かないんだよ
役者の問題じゃなく容保公という存在の問題なんだ
容保公はチラリと出てこそ光る存在 八重は今んとこ何もしないから
その存在自体で上手くいってるってのはあるかもしれんな
何かをさせようとするとこから難しくなってくるかもしれない
間に入るような頼母その他を上手く使えばいいのかも 家訓だの忠義だの言ってるのは容保だけで
或いは、天皇との間だけで通じてることで
家臣たちは何となくついていってるって風で
他の幕府にしても薩長にしてもはかりごとやら何やらでアッケラカンとして
容保だけが脇目も振らず猛進してるってのがいいんだろうな
ドラマ的に /::::::::::::::::::::::::::\
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 ̄しヽ 'ー=三-' /ソ ̄ ならぬことはならぬものです
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/ ヽ ー──''''''""(;;) `゙,j" | | | ! 容保を主役みたいに扱って敗者の美学のようなものを描きたいのか
もしれんが、生き恥さらして生き続けた敗者の話なんて見たくもな
いし、なんでこんなひたすら喜怒哀楽の哀しか感じないドラマにして
るのか。日曜の夜に見たいドラマじゃない。 >>135
カタルシスって知ってるか?
胃カタルちゃうで。 感じだけで言うと
容保が濃いいことをやってて
それを八重らが何となく中和して
いい感じに薄めて 或いは、容保と孝明という孤独な人間同士が
曰く言い難い絆を感じ、破滅への道を歩むところに
八重という女性が、その大らかさで違う視線を
投げかける 幕末描写が気が重くなるし
八重の結婚にも老後にも興味がない >>138
脚本家の筆力さえあればいいドラマになったろうけど
いまんとこ中二病みたいな悲壮感。 >>118
だから完全に歴史の歪曲じゃねえか
都合の悪い事には眼をつぶるわけかね? 「ハンサム・ウーマン」はまだ良いとして
八重は仏蘭西を救ったジャンヌ・ダルクのような存在でも無かったし
ましてや医療に生涯を奉げたわけでも無いのに
ナイチンゲールとか宣伝されても、白けるばかりなんだよな 去年の八重本スレで
「ナイチンゲールというなら生涯を医療や社会慈善活動にささげた瓜生岩子や
ナイチンゲール記章を受けた湯浅やえのほうが相応しい」
と、書き込んだら「そんな人物知らないしwww]と、さんざんに叩かれました >>146
知名度なら八重と大差ないのにね
「そんな人物知らないしwww」とか言ってる連中も以前は八重のことを知らなかったと思う ジャンヌダルクってのはリアル八重じゃなくて
綾瀬八重だろう
八重のやむにやまれぬ想いがたぎってきて
戦闘服姿に変わった時、そこにカリスマが現れたら
ジャンヌだろう
このドラマは、意外に歴史パートはぞんざいで
端折って、さほど重要視してないように見える
焦点としたい部分には念を入れて肩入れしてやる
歴史を紐解くというより
主役サイドに想いを込めて展開しそうだ
だからそれ以外の薩長やら幕府、新撰組とか
まるでやっつけ仕事
ま、ドラマだから描きたいものをやればいいわけだけど 山本八重は背負ってるものがかるいんだよな。
柴五郎一家のように集団自決のトラウマがないから肩入れしづらい。 さんざん鉄砲で人を殺しておいて医療活動とか、支離滅裂じゃない? 脚本は山本むつみさん
つまり山本さんがヤマモトさんを主人公に書いてると今気がついたw 7,8話といい感じできたが
逆にこの回で限界を感じたような気がしないでもない
限界は俳優であったり
綾野や西島の引き出しの少なさ
脚本の柔軟性の無さ
ややもすると、ヒストリア的に淡白、無味乾燥になりがちなドラマ
八月の政変って、つばぜり合いも無ければ緊張感に満ちた時間の経過もない
緊迫感の無さ
ただ集まって、ただ散って
天皇との前回見たのをまた見せられたかのようなエピ
だいたい、家訓だー天皇のお言葉だーって、いちいち泣かれても
段々白けてくる。
八重がお城に召されるんじゃあないかというエピ
ふと、八重の主役としての道はどうなっていくんだろうかと
思わず考えてしまう
この人は鉄砲のスペシャリストになるんじゃあないのか?
照姫の御付きなんかになったら、そんなことも出来なくなるんじゃあ・・
これをコメディで終わらせようとするが、コメディに出来るのか
実際イマイチ笑えない。
八重と尚之助の関係もどこに納まらせたいのかよく分からない
ラブかと思いきや
八重の立つべき位置を改めて確認させようとしてるのか
どっちつかずで中途半端な表現になってる
せっかく泣いた八重も、どんな感情なのか伝わりにくい
というか勿体ないシーン
この感想は1回観た印象で
若干、肯定的に修正する余地はないではないw
特に八重パート
つまり、1〜4話ほどには悪くはない 最後の八重と尚之助の夜のシーンはカメラワークも照明もいいし
キレイ
ただ考えるに、作家は八重をどういう風にしたいのか
八重自身はどうありたいのかがイマイチ分からない
尚之助はラブコールを送ってるみたいだが
お城に上がることを考えていた八重って
自分が何者なのか、何をすべきなのか
ドラマの主役であることすらも忘れていたんじゃないかと
八重も作家もw 八重が城に上がる上がらないという降ってわいたようなエピは
八重自身のキャラやあの年頃の内面や何かを浮き彫りにしたり
鉄砲にたいする想いを深めたり
主役としての存在感を際立たせるいい機会だったと思うが
単にはしゃいで、はいダメでしたという
一応最後はシンミリと締めはしたが
あれはその前の段階で葛藤なり何なりあるべきで
その意味で煮え切らないチグハグさが感じられた 今回は尚之助の言葉で八重が本来の自分のたち位置に戻った感じがした
若い女の子のミーハーじみたワイワイから覚めたというか
それと親をガッカリさせてしまったことを悔やんだり尚之助にかわりはいないと言われて涙ぐんだり
実は普通でない自分に葛藤があったんだなぁと思った 八重は史実ではダメ女としか思えない行動を取りつづけてるけど、周りに恵まれて、なんとかそれなりに
出来ることをやって、長生きした女性だと思う。彼女を助けたことで、周りの人がドラマで輝く。
上野樹里だったら耐えられないであろう触媒的な頼りない存在を、綾瀬はるかはよく頑張ってると思う、 八重が評定の場に乱入して「ならぬことはならぬのです!」と騒ぎ立てないと伝わらないのじゃ >>159
それが伝わらないんだよ
2ちゃんというとこは
言葉が伝わらない
通じない ドラマって言うからには
それも八重っていう歴史上には、ほぼ無名の人物を主人公にしたからには
創作する余地も量もかなりある作品にチャレンジしたわけだから
作家として、普通に八重の物語を絞り出さなきゃいけない
史実ばっかりなぞったり、それに毛の生えた程度のエピをこさえるぐらいじゃ
ヒストリアと称されてもしょうがない 7,8話と京に対応する形で会津の八重の心情が描かれてて
それがいい感じだったが
9話は、それも動乱なのに
それには全く触れず、八重は関係ないことをやってたな 鉄砲に情熱を傾ける八重の青春
そこに繊細な眼差しを向ける川崎尚之助
こういう普通のドラマエピが書けないなんて
逆にドラマとしておかしい
八重には青春がない
八重に限らず、その友達やら周辺やら
ドラマとしての厚みをだすための下地として重要だと思うけど
龍馬伝とかそういうのばっかしだった気がするが >>164
右筆には選ばれなかったものの、薙刀名手として照姫にインプットされた
照姫にインプットされたという事は早晩容保にも繋がる
覚馬も順調に容保に取り立てられているし
籠城戦での活躍の伏線ではないかな 龍馬伝とか駄作に比べたら高級で重厚なドラマだけど
綾瀬はるかという大女優主演で、剛力みたいなトップ女優もメインに
いて最高のキャスティングなのにおお、まだおとなしい印象の作品。
名作なのはだれもが認めてるし、キャストの豪華さを
もうちょっと生かせれば。脚本家が二大女優のオーラに負けてる。 _,. -‐====‐- 、
. ,.イ彡ニ三三ミミミヾ\
/7>ァァゞ''"´´````゙ヾミミ、
. ,'///f 郡山 ',ミ
jj/,イイ }j <つまらぬモノは、つまらぬのです!
fく彡´ ,,.-―=j ,.‐==‐!{ by 視聴率十%台の掟
l {ミ{ -=ェテ' !-ェテ' {{
', ゞ! ` ̄ ,. '、 ̄´ }
ゝ,゙ ,ノ゙ー-‐' ヽ イ!
,', ', ゙ァ―…ーヘ' ,′
__/:Λ ヽ、 〃
´::/::::::| \ ` 、 _/イ、\
::/:::::::::', `ヽ、__二=イ、::::'、:::`ヽ、
::\::/:ヽ ,.< ̄,>、 /::::\:〉:::::::::
:::/::::::::::::∨ /⌒ヽ У:::::::::::ヽ::::::::: もう殺陣なんてものはないな
まあどうでもいいけど
それにこのドラマにはストーリーしかない
それも大したストーリーじゃない
何も訴えてくるものはない
剛力にしても何にしても
コメディパートはいらんだろう
どうせ書けないんだったら
このセンスの無さ
会津視点つったって
とりわけ珍しいものじゃなし
予想できる範囲も範囲
容保は、もう貧相なだけだな
10話も見てきてこれだと
この先、この作風には期待出来るものはないかもしれんな これは再現ドラマで年表ドラマだから
新撰組がそれっぽいとか慶喜が如何にもとか
それだけの感想しか出てこない、本スレでは
それでいい、その方が却っていいという人が結構いるようで
ドラマとしてとやかく言うようなシロモノじゃない
もはや八重パートすら再現ドラマ風になってきた
史実イベントだけを綴ってくドラマだから
八重に関してはほとんど月並みな出番しか期待できないし
多分終始そういうことになるだろう
このスレのタイトルもあんまり意味がなかったな
これほどドラマ的視点を持ちにくいものになるとは思ってなかった
綾瀬も可哀相に
このグダグダな作風にはもう腹立たしさしかない 鉄砲暴発して、煤が鼻髭になってみんなで大笑いとか
ああいう姑息なコメディパートは、逆に見る気を減退させるんだよな 毎年、というか少なくとも去年でも
あのイベントのあたりから確変して面白くなってくるだろう
とか言うけれど
そう変わるものではない
だいたいドラマの作風ってのは
初回から示されてるわけで、エピソード自体でドラマが出来てるわけでもない この再現ドラマ風味にあっては
すべてのキャラは無個性に帰してしまう
あの怪優嶋田久作でさえ背景に押しやってしまう
ほとんど名前の知られてない役者の新撰組に至っては
白い装束の団体さんとなり
一個の塊となる
この中で、識別可能というか良くも悪くも目立っているのは
ウザ担当の剛力ぐらいだろう 会津視点で、どうだとかこうだとか言うが
別に客観的に見てるというわけでもなく
ただ会津が主役のほうになったというだけで、名前が入れ替わっただけ
作家の思い入れのある側の視点
既に覚馬や秋月のキャラがどういうものか我々は知ってるわけで
それが新撰組に対して「よくやった。 てーしたもんだ」
などということ言うわけもないことは誰でも予想できる
主役がそんなことを言っちゃいけない、言うはずもないという視点
要するに、会津がどのようにして会津戦にまで至ったのかが
分かるように描かれてるのかといえば、そのようでもなく
ただ、会津が主役になったらという立場に立った視点 ↑なかなかツボ
応援してるんだけどね、俺はこのドラマ。
なんで説明的に見えるのか、解せんかった 野放しの新撰組と
自ら戦への道を選んでるように見える容保
これで自滅したところで、主役として同情される余地はあるんだろうか
それとも同情してくれなくてもいいよという描き方にするのか
愚直に演じると言ってた綾野の容保
どっちかって言うと、その愚の方に突き進んだ結果としての描き方になるのかね
そうすっと身も蓋もなさそうだが
それとも、悪役長州、薩摩を相手に正義の戦いを挑んだが
敗れ去った
という主役としての分かりやすい図式にするのか
会津藩は愚直なのかというと
前回のを見ると、愚かなほうに傾いてる気がするが
そういう描き方に
馬鹿な子ほど可愛い
という描き方になるんかなw 本スレに連投した自分の書き込み はるとか
どれだけ自己主張好きなんだ 誰もが言ってることだったら書かないさ
言う人が少ないから書く それに本スレに連投しても
半ば無駄だってことは分かってるってこともある 戦がなけりゃ大河じゃない
女がメインだと朝ドラだ
この認識で大河を観る限り、ドラマは見れない
ヒストリアを見てれば十分だろう
10話まで見てきて分かるのは
何かを伝えたい訴えたいとかいうテーマみたいなのがあるドラマじゃない
ただ、史実やそれに沿ったものだけを置いていく
八重に関しても女としてのありきたりなエピ以外は
逸話として残ってそうなものだけを挟むことになりそうだから
時代にまたがった壮大な物語として期待するのはオカドチガイだろな
伝えるものも伝わるものも何もないから
ドラマを見てる実感がない もう視聴率とか忘れて映画っぽくやればいいんだよ
エピの流れとかそう考えないで
1話1話じっくり、カメラワークに凝って絵作りだけに専念すれば
それにはカメラマンと演出家を総とっかえしなきゃいけないがw
部屋で慶喜らとの対応しながら
1人鬱に耽ってる容保に20分
会津の自然と角場で銃や本に明け暮れてる八重に20分
でいいんじゃないか
絵的に
ageとかsageとか悪とか良とか
ドラマの表現の本質とは全く関係ないし
歴史を俳優が演じればドラマになるとか
問題外
ドラマチックなのは
坂本と中島の曲だけだな 結局は会津藩主の一人相撲が全ての原因
京に出て孝明天皇に会い、有頂天になり、あれよあれよというまに
孝明天皇の片腕として好き勝手に采配をふるったのがまずかった
そこで数々の傲慢な失策をして各地の諸藩だけでなく、幕府や会津の領民にまで嫌われた
戊辰戦争では、いいところなんて一つもなく、なんと会津領民と官軍の前に大敗した 西郷頼母の言う事を聞いていれば長州とぶつかる事も東北を戊辰戦争に巻き込む事もなかったのだ
実際にはその逆でこれでもかと言うほど長州だけではなく他の藩にも尊大に振るまった
だから鳥羽伏見の戦いでは幕府側はあっという間に負けた
日頃から尊大に振舞っていた会津藩主には怒りを感じている藩主が多く
他の藩までもが幕府軍の会津藩主に攻撃を加えた
ドラマは制作側の意図でどうとでもなる要素が多い 最近の流れを簡単にまとめると
帝に厚い信任を得て、京の治安維持に日々勤しんでいる会津藩守護職
そこにその平和を脅かし、幕府の転覆を謀ろうとする悪の手先、長州
公家の一部を味方につけ、帝を奪取しようと陰謀を巡らす
真木や久坂を首謀者とする長州一味に
それを阻止せんと日夜苦闘する会津藩士
長州は何者か、今のところ得体の知れない悪の軍団として描かれている
近々、この勢力に薩摩なる一味も加わってくるが
果たして薩摩は敵か味方か、正義か悪か
見ようによっちゃ、昔の鞍馬天狗的痛快時代劇だな
けして痛快ではないが
いっそ、八重も天狗の面でも着けて鉄砲ぶら下げて
参上すればいいのに
敵が「こりゃまた、ケッコー!」とか言って
憤死、萌え死ぬとかw
永井豪先生ごめんなさ〜いw アクションシーンは殺陣とカメラワーク、効果音などで
決まると思うが
池田屋はそのどれも冴えなかった
刀を寝かしたバットスイングのような空を切ってるようなのや
カットやアップによる迫力ある絵ヅラもない
効果音もカチャカチャ鈍い単調な音しかない
血糊だけだな、良かったのは >>185
>183のように感じている人が多いから、
各地で10回ほどで視聴率が半減するほど急落し続けてるんだろ 川崎を綾野剛が演じて、容保は長谷川のほうがよかったんじゃないかな。
演技力は後者が上だし、幕末京都編の主要人物としては余程存在感を
出したと思うがな。 このドラマはもやがかかってるみたいに
全体に見通しが悪い
会津藩が相手にしてるものは何なのか
慶喜は何を考えているのか
陰謀を巡らして倒幕を企んでる長州は何を考えているのか
とても相手のことまでは気が回らないこのドラマでは
見えない相手に振り回されて
それに戦いを挑んで滅ぼされる
訳の分からない戦になりそうだな
会津視点てのは
状況がよく飲み込めない会津の視点てことなのか?
飲み込めないまま進む
その会津と同じ視点に視聴者も立つ
そうすっと敵対するものがよく見えなくても分からんではない
事がすべて終わる最終地点になって
そこで改めて我が身を振り返ってみる
それまでは一丸となって闇と霧の中を進む
八重が主人公となるのはそっからか・・w 八重のキャラに関しては、造形うんぬんどころか
描き込めていないし、魅力的なものにしようとする節すら見れない
大河やドラマでは実像に迫ろうとかよりも独自のキャラ
それも分かりやすいものにする傾向があると思う
とにかく現状でこれであれば
この先も期待できるものはあまりないだろう
あのコメディパートのセンスの無さで
このドラマの質が量れるんじゃないかと思う
コメディ、シリアスを一緒くたにはしたくないが
あのお粗末な表現力が全てを物語ってるかもしれない 10話で印象的なのは
「会津の戦には付きあえぬ」と慶喜が去ったあとの
容保の動き
ピクピクとまるで虫みたいな崩れかた
そこに昔の時代劇風の曲調
傑作の予感w そうなんだよ
いや、書いてる人もいるけど
オレのブログじゃないんだからw 勝麟太郎の仕事ぜんぜん触れないな
何やってるのかさっぱりわからん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています