ドラマ的視点から観た「八重の桜」
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ドラマ的視点て 当たり前だけどw
本スレは毎年歴史スレとして常態化してる
歴史から見てもドラマは何も見えてこない。
当たり前だが、歴史とドラマは別物、別分野
ドラマが目的としているところは歴史的立場や解釈ではもちろんない
歴史は借り物の素材にすぎない
ドラマを歴史で語れるのはせいぜい時代背景、ストーリーの元になってる素材
その素材を用いて作劇され、役者によって演じられ映像に定着されたドラマは
独自の情動が形成されてる、ある種芸術的創造のたまもの。
歴史知識で補完して、披露して悦に入ることとは無縁のもの。
(大河ファンがバカにされるのはそこだ(誰がバカにしてるのかは知らんが)
やれ合戦だ、史実だ、政治だ、スイーツだ、主役がいい人だ、伏線だ
とかで、ドラマをドラマとして見れない)
役者の(この場合、断然綾瀬八重)織りなす美しい情感の綾や
一途な熱い魂を、無粋な場違いな歴史語りで汚してはならない タノモ一家の総自ポアは完全に逃げていたな
最後は加藤雅也のお涙ちょうだいとかw
戦争の悲惨さを描くなら 宮崎が女児を刺し殺し血しぶきを浴びて修羅へチェンジ
勇気を失った二女あたりが悲鳴を上げて逃亡するも 長女が追いすがり馬乗りでめった刺し
その辺りから悲鳴と絶叫のgdgdで 宮崎が次々とポアしまくる
顔面を地に染めて居直ったタノモのババァだけが唯一自ポアに成功
あとは 全部宮崎のポア 最後に残った宮崎は板垣に遭遇 自殺突撃で板垣雅也に斬られエンド
実態はまずこんな所だろうな それを描けよ マジで ___
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./ミ /  ̄ ̄\ ヽ ホジホジ
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|ミ| (。) (。) |ミ | 掘りがいがあるわ♪
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./ミ /  ̄ ̄\ ヽ ホジホジ
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|ミ| (。) (。) |ミ | 掘りがいがあるわ♪
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 ̄|〈_ノ イ ミ| ̄ この常に反ドラマ作用の働いてるドラマにあっては
八重が接近戦で、間近に凄惨な戦の現実を実感しようとする時
そうはさせじと
どこからともなく乱入する黒河内先生
そのドラマ要素を揉み消しにかかる
恭順を主張する頼母と
三郎を胸に戦闘モードで士気の上がる八重
今や立ち位置の違う二人が出会えば
そこにドラマが生じないわけがない
しかし見事に何も描かれない
(二人の今の心情はパスされる)
八重の桜、最大のドラマは尚之助との別れなのかも(デマカセ)
先の予告を見る限り・・
それは南方仁との永遠の別れを彷彿させる
今までそこにいたのに・・
別れは突然にやってくる
きっと、尚之助も時空の彼方の
あの南の島へと去ってしまうのであろう このドラマの構成だと
何だかんだドラマチックでない前半ではあるが
今までずっと関わって描いてきた会津のその喪失感ていうのが
それが終わって次のステップへ進んだ瞬間不意に出てくるんじゃないだろうか
そして、新しいストーリー展開との適応に馴染む段階で
懐かしいものに思われてくるかもしれない
錯覚でも何でも、終わったものは良く思えるというw 何となく八重が印象深い存在になってきてるのかなと思うのは
相変わらずドラマがないのは言わずもがなだが
あの戦闘服スタイルを含めて、アニメのヒロインぽい存在として
板についてきた
何を考えてるのかも分からないほど
見事に内面は描かれないが
ただ、自分のやるべきことを淡々とこなしていく
ある種生きるべく義務付けられたモノは動き続けねばならない的な
非情さを感じさせ
その八重の無意識的な一途さは、自分の与えられた役回りを
黙々と演じ続ける綾瀬と重なる 八重と頼母のシーンで
頼母が何を言うのか興味津々だったが
死んだ人間が腹切らしてくれないは、トンチンカンだな
いいシーンになるべきなのに
頼母に何を喋らすかは難しいところだろうけど
ここはやっぱり八重に語らすべきだろう
三郎の死から覚馬への想いや、今戦場に立って戦ってるその胸に
はち切れんほどに溜まってる心の内を
トツトツと語るべきだ
籠城初日のあんな長セリフはいらなかったし
この6ヶ月分のw想いを吐き出すべきだ
頼母はそれを鏡に多くを語らず、生きるも地獄死ぬも地獄の
苦しい胸の内が見えてくればいいシーンになったと思うが いらない回だな
いらない回想に
構成も知らない
普通ああいう終わり方はしない
脚本もひどいが
この加藤演出の回は
ことさらヒドイ
見せ場なんかありゃしない
梶原に喋り過ぎだと言わせるぐらいなら
何であんな無駄なセリフばかり言わせるかねw
脚本家のセンスがない
史実だけは律儀に入れたいがために
肝心のドラマは犠牲にするってのが
このスタッフのやり方だな
自慢の娘ってのは
あのおとっつぁまなら
秘かに噛みしめるのが情感あっていいのに
普通に口に出して言われても
殿さまに物申すのは、まー、あっていいとしても
もうちょっと、表現を考えないと
単に図々しいだけのなんの感銘もない
来週もあるな
頼母の去り際も
イマイチ物足りないな
とりあえずの退場なんだし
わざわざ八重を行かせたんなら
もうちょっと見せ場を作らないと
あれが限界なんだろうが 八重はお城ではあんまり喋んない方がいいな
イメージ悪くしてるw
大したセリフないんなら
黙々とやってた方がまだいい
JINのような良く出来たドラマはともかく
ストーリーと主役だけでも面白く見せられる「半沢直樹」のようなドラマがあるのに
(必ずしもいいドラマとは思わんが)
この八重の桜は可哀相なぐらい
出来の悪い子で
出来の悪い子ほど可愛い .. -―--、._
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ノ:::::: ヽ、._ _ /::::::人 ここ二回八重がかっこよくなってきてやれやれだけど。
佐川の寝坊って史実はともかく、ドラマ的には必要だったの?
盛り上がってるところでズコッてきた。 大河は大きな枠は絶対はずさないが細部は史実にかならず忠実というわけで
ないのは昔からだから、八重のガンさばきを昔の西部劇のライフルマンやマ
カロニウェスタンみたいに派手にしても良かったのでは。スペンサー銃の連
射で官軍がバタバタ打ち倒されるみたいな。 28話の最悪は
あの魔の第1話のオゾマシイ子役シーンとのコラボ
それも、ご丁寧にカットを交互にかぶせる
当然、容保は「それがどうした」と言わんばかりのリアクション 脚本家の人は昔の時代劇やアメリカの戦争映画でも見た方がいいと思う。
時代考証の人も殺陣師も前と同じ無能な人だから、
脚本家が頑張らないと、ドラマにならないよ。 いつもだが
なんか予告と違うなー
もう弾がねえ
とか、おとっつぁま言ってなかったっけ
以前の予告で
どのように死ぬかじゃなくて
撃たれた。死んだ。
じゃあタイムスクープにも負けるだろ
あったはずのシーンを(多分良さげな)省いて
大蔵家族のどうでもいいよなシーンはやる
尚之助の別れも淡白やなー
これで八重と尚ちゃん別れだったら
シーンとしてはあの出来じゃあダメだろう
会津は悪くない、ばっかりじゃんみたいなレスばっかりで
別にドラマだからどうでもいいじゃん
と思ってたが
今日の1番良いシーンではあったが
八重のセリフ
そこに山を持ってくると、なるほどなとは思った
ただもっと父の死と尚之助との別れは
ちゃんとやってくれと言いたい
大蔵一家のシーンが
八重父シーンより比重が大きい理由が
分からない 今回は一番良かった
ドラマ性もあったし、
やっと八重が打った相手がバタバタ倒れるシーンが観れた
1月からこれを待ってた 八重の「日本中に〜」ってとこだけ
違和感があるな
今の日本に、て聞こえる
時々そういう気になるセリフがある
予告は来週の予告なのか?w
とても信じられん
変わり身が早すぎるだろうw
今までなんだったんだ
もっと苦悩の時期が続くべきだ
ただ、これの予告はほとんど信用できない
タイトル変更しすぎや予告ウソ
迷走のあらわれだな そう言えば、山川兄弟のシーンも史実だとか何だとか
本スレにあった気がするが
どうしても史実エピは入れたい病で(じゃないと間が持たない、創作は出来ないから)
史実重視、ドラマ軽視は徹底してるな 朝ドラにも昼ドラにも
ならなそうな気がするな
これはドラマの背景に歴史(史実)があるんじゃなくて
歴史の背景にドラマらしきものありだからな
本スレ見るに、このドラマは史実が多いとするならば
史実エピをメインに不器用な作法で組み込み
(当然八重は歴史メインつまりこのドラマメインにはそう入り込んでこない)
創作部分は更に輪をかけて不器用な作りで隙間に入れ込む
八重、尚之助の場面は最後の別れなのかも
判然としない
別れってのはきっちり描かないと
訴える効果がない
当初、尚之助の逸話は戦闘中行方不明だったと思うが
それに即して
ドラマでも曖昧な別れの印象、表現にしたんだろうな
まことに史実に忠実なこって 八重が降伏後、何故藩士たちの間に紛れ込んでいたのか
八重は死ぬ覚悟であったってことなんだろうが
八重は戦闘中も強すぎて、常に安全で
辞世の句って言われても
そんなタイプじゃないだろう、あれは盗作か
あんな詩は書けたためしがない
(記念にというか、悔し紛れに落書きしてるように見えなくもない)
男たちに紛れ込んでたのも
何となく今までの延長で、女たちといるより
こっちの方が居心地がいい
ぐらいの印象しかないな 明治編はどう扱われるんだろう
維新後もしつこく薩長土肥=悪役でやり通すのか
それとも国家の為に怨讐を超克する近代性を描くのか
「オール日本」演出なら後者だが、今さら感も激しいよな
かといって「恨み」が主題じゃ後味悪いし・・・
どうすんだよコレ 見直してみたけど
感情はいろいろと描こうとしてるし、描いてはいるんだよな
今回はそういうシーンが結構あった
まさに質より量って感じなんだろうか
それぞれのシーンは少しはグッと来るけど
これぞっていうのがないんだよな
殿の前でのセリフといい、八重も頑張ってはいるなというのは
伝わってくるが
何なんだこれはという訳も分からず感動するようなのはないな
良いドラマにはあるはずの、役者や脚本、カメラ、音楽など
全てがあるべくして合致するような瞬間が JINでは
医者が患者を助けない道理がありますか
みたいなセリフとか、いいセリフが随所にあって
それは迫力もあれば心に響くものが多かったが
そういうどこでも通用する普遍的な感情が描ければ
しかも上手く描ければいいんだが
戦争に負けて悔しいってのは
あーそうだろうなぐらいしか思えない
もっと爆発する表現なり
逆に静かな切なさみたいなもんが出てくれば
綾瀬はそういうのが上手いと思うんだが 尚之助との別れのシーンの
尚之助の呆然とした表情がえらく気に入ってしまったんだがw
このドラマの中で全てひっくるめて一番の表情じゃないかな
それを踏まえた上で言えるのは
結局のところ
カメラ、映像演出に尽きるのかもしれん
当初からの批判通り(ま、オレだけど)
このドラマでは、画が何も物語れてない
尚之助の表情を一瞬捉えたところは良かったけど
もっとアングルやら固定でのカメラワークやら繋ぎやら
趣向を凝らせればいいと思うんだが
殿の前での八重のシーンもそうだな
普通に人が映ってるだけだもんな このドラマ、いつもカメラの角度と位置が同じだな
素人がデジカメでスナップ撮る時の方がよほど位置や角度を工夫するわw 昨日やってたタイムスクープハンターで会津戦争やってたの見た
たぶんこっちは製作費はものすごく少なくて役者も映像も地味なんだけど
スタッフの実力違うとここまできっちりドラマを作れるんだと感動した
ぜんぜん湿っぽいエピソードが無いんだけど
えっていうタイミングであっさり戦死する人や要点を押さえた武器技術の説明で
かえって戦争の悲惨さが強烈に感じられた
さりげなく何度も主人公にあんたの仕事じゃないってツッコミ入るんで
なんとなくNHKの裏事情が見えておかしかった 明治編になって何か変わったかというと
何も変わらない
容保が出ないだけでも変わったと言えば言えるが
史実エピやら細かい逸話やらをなぞるだけの脚本とは
すでに言いつくされてる通り
すべてそれに沿って表面をなぞってるだけだから
何故そういう言動になるのかまで言い及ばない
逸話が曖昧だとドラマもその通りに曖昧にやる
内面まで見えてこない
ウソでもいいからそこまで描くのがドラマだし
仮にそこまでやらなくても魅力的なエピや表現にはしなきゃならない
八重と尚之助の関係は
元々それほど深いものとは思われなかったが
それなりのドラマ時間を費やして、籠城戦を経て
なんとか形としての絆は出来つつあったはずだが
ここへ来ての相変わらずのドラマセンスの無さで
二人の関係が(に限らないが)なし崩しのグダグダになっていくのは
つくづく30話も無駄に長々と作ってるなーと
尚之助が1人斗南へ行く理由
八重、山本家と離れる理由がイマイチ納得できないんだが
それとも当時にあってはさほど不自然なことではなかったのか
ただ、これはドラマだから
そこらへんは分かるようにとは言わないまでも
ドラマチックに仕上げるのが
ドラマの掟 >>439
八重という題材で「大河ドラマ」を作るとこういうスタイルになるというだけ
この題材なら、「朝ドラ」なんだよ
それを「大河ドラマ」らしく見せるには、八重パートと共に「世情」を描かなくてはならない
八重のパートを削ってでも、世情部分に尺を充てる
そう言う意味ではベターな配分になっているドラマだ
表面をなぞっているだけというが、戦国時代じゃないんだ
ほんの百数十年前の物語に嘘を入れて話しが変に捻じ曲げられるよりはよっぽど良い
>>439
八重という題材に本気で取り組んでドラマ化すれば
ヒロインはある意味、新しい行き方を追求し、会津を捨てたという
描き方をしないと辻褄が合わなくなる部分があると思う。
今回は会津全体に肩入れする描き方だからそこが上手くいかなかった
というのもあるんじゃないかな。
一案として、八重は戦のさなかに故郷を蹂躙されることを悲しみつつ
自分の実力を思う存分ためせることにある種のカタルシスを覚える――
みたいな描写にして、それに気が付いた川崎が「あなたは新しい時代の女性だ
古いしがらみを捨てなさい、会津と心中してはならない」と背中を押すような
場面があれば二人の別離も劇的に描けて、説得力も増したろう。
後の八重のコメント「戦は面白かった」の真意にもつながってきそうだ。
心のどこかで田舎の武家の女として生きることに息苦しさを覚え
解放を待っていたという「故郷への心理的裏切り」とも言える部分がないと
八重らしさは浮かび上がって来ないという気がする。
でも大河ではあくまで八重は故郷や夫に対して一途な性格と描かれているので
斗南にすぐ合流しようとしないことでブレたようになっているのだろう。 時代が変わって京都編になったといっても
時は連綿と流れてるわけで・・
なのにこれではスパッと切り替わってる
9年もの歳月の間、覚馬と八重は別れて
三郎、おとっつぁまは戦死、覚馬は失明
八重は鉄砲を持って戦場で何人もの敵を殺した
これらの事は二人にどう影響を及ぼしたのか
二人が再会することは、これまでの事を総括する意味でも
創作の根源とでも言えるドラマの宝庫だと思うが
ほぼ見事に省かれている
細かい人間の機微だとかは置いといて
ササッと次に行きましょう
というわけで
年表ドラマと言われるだけあって
アッパレw オダギリがこのドラマの中で
一番上手く見えたのは錯覚だろうかw
学問やって
何の答えを見つけるんだ
何に勝つんだ
言葉をつくろっても何も響いて来ないぞ
覚馬が
学問が一番の武器になるということを
八重ほど分かってるものはいない
と言ってたが
そんな言葉はどっから出てくるんだ
鉄砲命のことなら分からんではないが
学問より
八重二号、三号を大量に作れば
戦争に勝てたのに
と思っても不思議じゃない
元々学問が大事だと思ってたら
どっちかと言うと戦時中は頼母の立場にあったかもしれないな
この無謀な戦争はと
戦で何かを感じたとしても
戦後に八重の中での何がしかの総括も何もない
襄はいつの間にか立派な紳士になってたな
この人物がどういう人間かというのは
視聴者には既に織り込み済みと思ってるんだろうな
襄は元より
八重も覚馬も上手くというかちゃんと描けないんなら
やんなきゃよかったのにな
容保はこのドラマ並みの人物には上がってるが
普通のドラマレベルでは一面的人物でしかない
内的要素に欠けている
この年表ドラマに沿う所の公の外ヅラしか持ってない 江にはドラマ的時間が流れていたが
これは脈絡なく何かが羅列されてるだけだ
いや二年前まではそんなことはドラマにあっては
自然なことと思ってたが
今や唖然とさせられてる >>443
>八重ほど分かってるものはいないと言ってたがそんな言葉はどっから出てくるんだ
隠れて鉄砲の絵を書きうつしたり、鉄砲の本を隠し持って読んでたりして、独学で勉強して知識を得ていたじゃないか
鉄砲を撃つにも学問が必要だということだろ
大砲を撃つには撃ちだす角度を計算しなければならない これも学問だろ
>戦後に八重の中での何がしかの総括も何もない
そもそも八重は大河ドラマになるような人物ではないから、目的が無いのでそのようなものは無い
復興大河ということで主役にしただけ >>445
鉄砲の勉強と
広く世の中を知るための学問は違う
そういう意味での学問は八重の中にはない
当然「会津は悪くねー」一点張りのキャラにあっては
サラサラないw
ドラマの主人公なんだから
壮絶な戦争を経ての内面の吐露はあってしかるべき 八重は鉄砲を学んだ
それが一番の武器になる
つまりそれで十分てこった ツギハギだらけで展開が唐突なのを批判すると
理解できないのは行間が読めない、説明台詞ばかりのドラマしか見れないバカ、みたいにけなす人がいるのがいるな
批判の内容を理解できてないのか、わかってて逸らしてるのか… 本スレで小説やドラマの行間を読む、想像するなんてことが
出たので
小説は(文章は)想像しろと言われなくたって
想像や思索だけで成り立ってるからな
ドラマは誰もが容易に察せられる部分はともかく
知覚される部分のみが表現の対象そのものだから
逆に勝手な想像は許されない(キビシー!)
目に見える部分が全てで重要だから
そこを感じ取ることに全力を尽くさなきゃ
ま、このドラマの場合訴えてくるものが
無さ過ぎるけどw
想像する余地があるとすれば
作者の意図とかだろうな
それにしたって二義的なもんだろう
作者が捉えた画面以外に気を散らす暇なんかないな もうちょっと書くと
オレ的にはストーリーはそうというかほとんど重要視しない
画面から出てくるものを感じ取ることが最大の目的だから
想像するというのは、ほぼストーリー的な補完のことだろうから
その必要は出てこない
よっぽど難解な作品であれば
感じ取ることに難を生じれば、フルで感覚を動かすか
意味を求めようとするだろうが
あとは放棄するか
最終的には好きか嫌いかの感覚に委ねる 別に今更だが
このドラマを云々するのは
あまり生産的なことではない
八重と尚之助の別れのシーンを見て
ここのセリフは悪くないと思う
只このドラマ全体に決定的に欠けてる演出力
その無能力さがモロに出てる
全体の構図や二人の位置、動作、何の工夫もドラマ性もない
セリフの言い方も
多分初めて「八重」と呼び捨てにしたと思うが
その瞬間の画面に何の求心力もない
以前にもやった涙を拭いてやるというのが気にいってるんだろうが
何の効果もない
尚之助がいいセリフを言ってる時なぞ
せめてカメラがゆっくり回るとか何か気の利いたことでも
やればいいのに
ここはちょっとした見せ場だったのに
これほど非ドラマチックな無神経さには
呆れ果てる 二人が別れたあと共に泣くが
ここはどういう背景で、照明で、体の向きで、カメラポジションでカット割りで
どう泣くか
見せ場だろう
そこから襄のシーンにどう繋ぐか >>452
同感
第一話から全部観てますでど
ド素人の自分が観ても
「カメラワーク、もっと工夫した方がいんじゃないの?」と毎回思う あ、ゴメン
せっかく書いてくれたのに
アンチスレで失礼しましたw
ま、カメラは致命的だな 二人の別れのシーンのあとに
襄が続くのは悪くはないと思う
時代の変化の中で翻弄される恋人たち
その激動の祖国を遠く憂う襄
ただこのシーンも演出不足 ドラマ内ではうらを娶る時に出てきた台詞である「3日東を向いてろと〜」や
若かりし頃の尚之助が出てくる新島と覚馬の初遭遇シーンを出しておいて
覚馬自身にはうらにも尚之助にも一切言及させないのは覚馬を悪く見せたい意図でもあるのだろうか
覚馬がめちゃくちゃ薄情な奴にしか見えないんだけど OPの衣装替えと同時に
何となく作風を変えてきたのかと思ったのは
冒頭絵ヅラを決めてきたように感じたからだが
多分気のせいだろうw
高揚感のあるエピを並べてきて
やっと普通のドラマっぽくなった
オダジョーの加入もひと役かってるだろう
並みのドラマっぽくはあるが
これがもう1段上に行けるかどうかは定かじゃない >>457
東を向いていろ〜から
槇村の苦手な女の件は
このドラマで初めてユーモアを感じたわ
そこから八重の足のショットへの繋ぎはいい
オダジョーは所作がいいんだな
当たりがいい
靴磨きにしてもサマになってる しかし、襄が完璧なジェントルマンであればあるほど
武士からどうやってそうなったかを見たい気もするし
江戸から明治への急激な変動もマメに描いて欲しかったが
八重の心の変遷ですら描いてないんだから
しょうがない 井戸での他愛ないエピから
戦う女の八重の過去を吐露するところは
もっと深い演出(映像的にも)が欲しいな
それに手を差し出されても出さない方がいいかも 時尾の現れ方、なんのサプライズも無いのが
このドラマのドラマの薄さを象徴しているがw
襄の登場は明治編になっての、ドラマに快活なムードを
与えている
以前ほどツマラナクはない
今回のメインは尚之助の死と
死んでいった者たちへのレクイエム
つまり会津戦の総決算
あの戦は何だったのか
このドラマのこれまで辿ってきた道へ深い眼差しを
振り向けるべき回
覚馬の尚之助に対する言葉や
襄と八重の若干トンチンカンな演出ではあるが
回想を伴ったシーンは
そこそこの感動で、これぐらいがこのドラマの限界だろうなと思える
やはり演出不足の深みに欠ける 大河ドラマで「伝道物語」
長崎のキリスト教遺産を次の世界遺産候補に押してる文化庁には
好都合な展開なんだろうか 前の婚礼もそうだったけど
現れた瞬間、小出しにして
結局上手く撮ってやれないんだよな
花嫁姿ぐらいキレイに撮ってやれ
つくづく喰えないカメラだなー
八重が女紅場の教室から追い出されて
夢路よりが歌いだされた瞬間
ちょっとグッと来たぞ
何故か、このドラマのレベルに油断してたせいだ
多分w
八重の「会津のものは〜」
の捨てゼリフが良かった
珍しく、きっぷが上がった
つか、こういうの初めてじゃないか
もっとカッコいいシーン撮ればいいのに
今日のように
たまには「この会津もんが〜」とか
なじってやんないと
八重の会津魂が湧き上がってこないw
忘れてしまう
婚礼での
覚馬の斜に構えたポーズ、ショットが
決まってるw 早くジョーとのラブラブな夫婦生活が見たい
尚之助のせいで不遇な扱いだったんだから このドラマの根源的な欠陥だけど
史実にどう辻褄合わせるかを
ストーリー作りの根幹にしてるから
継ぎはぎ的ストーリーでチグハグ感が拭えない
物語が自ら起きてるという有機性に欠ける 結局のところ
綾瀬八重の魅力を引き出せずに終わりそうだな
ドラマを通じて終始傍観者的でしかない
今は英学校の舎監であり
ドラマの舎監だな
見回っているだけだ 惰性で書いてるがw
やっぱ歴史イベント前面だと
山本むつみ一本になるんだなw
今日は音楽の回でもあったな
テーマが出たのは頼母が京都を去る時以来だな
よっぽど思い入れのある回だったんだろう
主要キャストが久々に活躍、いなくなる回でもあったし
山本むつみはさすがに歴史イベントに力入れてる
というか
それしかやる気起きないんだろうなw
山川、西郷、テーマ曲は
ある種会津戦の総括も意味したかったんだろう
音楽は便利だw
ただ、あそこでテーマ曲流すんなら
対峙している二人の正面からのショットを大きく捉えないと
迫力がない
肩越しなんて全く意味がない >>463
伝導物語にもなってないよ
キリスト教のことなんて表面なぞってるだけだし、
大体襄自身が心からクリスチャンかどうかが疑わしい、利用していただけの人だから 来年の大河ドラマは軍師黒田官兵衛。
備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
http://mirai660.net/castle/ 八重も母の佐久も長生きし過ぎだわ
これじゃあ、見る気がしないわ 視聴率があまりにも悪いんで、ついに脚本家を変えてきたわね
去年も同じことをしてればよかったのに >>470
利用しただけ?どこでそう思うんだか。
アメリカで洗礼受けて、生涯キリスト教に身を捧げる決心して
宣教師にまでなってるのに。 >>475
新島襄は仏教の寺に埋葬されてるんじゃなかったけ
同志社出身の人が言ってた >>476
それも出鱈目。
というか、そんなこと言ってるのは同志社出身ですらないだろう。 上野だとか綾瀬とか
それなりの演技の力を買われて抜擢されたわけだろうが
とりわけ感情面における巧さ
そういうのは感情の表出を主体とするような作品において
上手く発揮されてると思う
ただこの大河ってのは歴史イベントが中心だし
感情面においては老若男女に分かるようなベタな表現が良しとされるから
押しなべて大味にならざるを得ない
とりわけ今年の脚本家は、その感情面が不得手みたいだから
ここ最近のやや個性的な役者にとっては
如何ともしがたいところだろうな どこかいいシーンがあれば良しとしてるから
流れの中でどうだとかは特に関知しない
リツの薩摩弁がなんか良かった
その薩摩女と対峙することで八重がぶれる
ぶれるのは全然構わない
被害者としての会津人から、鉄砲で人を殺めたという加害者の視点が出てくる
このぶれ方が何の動揺もなく出てきて
また何の痕跡も残さず元に治まるという
いつもの波風のないこのドラマ
ぶれるんならもっと激しく揺れなきゃ
最終回?が銃を空に撃つシーンだとか
これは絵にはなりそうだが
果たして実際はどうか >銃を空に撃つシーン
あとは最終回のこのショットだけを
僅かに期待することにしよう 視聴率は二桁いけば御の字
だいたい、初回があまりにも高すぎたんだよ やっぱり八重には会津がいいな
京都編での覇気の無さ
京都の八重は借り物だな
鉄砲と角場と八重
これがこのドラマの要だろ
明治編を書こうと思えば
よっぽどの力量の作家じゃないと無理だろう
こういう形でしか八重が浮き彫りにならないというのは
ドラマとして不幸だな /ミミ i \
./ミ /  ̄ ̄\ ヽ ホジホジ
|ミ / ⌒ ⌒ Vミ|
|ミ| (。) (。) |ミ | 掘りがいがあるわ♪
|ミ| |ミ |
|ミゝ (●●) くミ |
lミ\m||0 / ミ |
 ̄|〈_ノ イ ミ| ̄ 京都編がツマラナイのは
ストーリーもだが、出てくるキャラたち
主に学生たちになってしまうが
そこらへんに魅力がないからだろう
役者も貧相だしw 来週は
谷村美月が主役か
我慢してた甲斐があったなw
さあどうなるか
縁側で汗を拭きつつ座ってる風情は、このドラマの風景ではないな 山本家に嵐が吹き始めていた
という草笛光子のナレは
まるで「蝉しぐれ」だなw いつもながら、歴史(あったことを)をドラマに脚色するの
見事に下手すぎるなー
(歴史じゃなくても、よくある設定としても)
この不倫、別離劇をどう盛り上げるか
基本中の基本だろ
時栄の胸にあったのが
うらのことだけだったというのが
単純すぎる
それでやるとしても、20年の胸の内を
吐露するからには多弁なり技法を要しろよ
ホントにドラマが下手 この1年で
JINの魅力ある咲=綾瀬の面影は
脆くも崩れ去った >>490
本スレ、MVPスレなど見ても時栄と演じた谷村美月の評価は高い。
ドラマが下手ということはない。 結局、綾瀬の力量不足ってことだな
あのハセキョーでさえ綾瀬よりはしっくりくる演技してたし 捨松主役の回が数字低かったということから見ても
視聴率って当てにならないよ、全く。
捨松演じた水原希子はトップモデルで、日本で一番人気の女優でしょ。
スタイルの良さも含めて、100年に一度の女優って言われてる女優が
メインであの数字は捏造としか思えない。
逆に、谷村美月なんて地味でスタイルも良くないし、モデルでもない。
誰も注目しない人で数字上がるのもおかしい。 水原が日本で一番人気の女優なんて初耳だわw
今日本で一番人気の女優って一応綾瀬なんじゃないの? >>492
谷村が下手とは言ってない
ここでは可もなく不可もなく
脚本が限りなく下手
谷村と西島、共演ということで言えば
名作「カナリア」だな
http://www.youtube.com/watch?v=K8C_okdj2FU >>493
え?綾瀬もなかなか貫禄出てきたと思ったけどな 綾瀬は天然のほほんキャラも戦闘中のキツイ目線もできるけど、
キリスト教の友愛精神と攻撃的な口調というのが合わない >>494
私は谷村美月も水原希子も知らなかったが、谷村の演技は表情も使い分け、上手いと思った。
視聴率上がって当然。 水原ってトップモデルかも知れないが
女優としてはまだまだだろう。 時栄に倣って鼻水までは要求しないが
捨松も久栄もきっちり涙流せるようになってから出てこいや
うらと別れた時の子役みねのが数倍上手かったぞ >>499
晩年はアレだからそれでいいんじゃない? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています