大河ドラマで学んだ知識
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北条軍の城門の門番兵はわずか数十メートル先の相手に
矢も弾も当てられないノーコンばかりだった 新選組の井上源三郎は天然理心流免許皆伝の達人で
向かって来る弾丸を刀で受け真っ二つにすることも朝飯前であること 蜂須賀小六は日本でいち早くシューティングスターを使用した前衛的な人物であること 関ヶ原合戦後に捕縛された石田三成に陣羽織を掛ける武士の情けを見せたのは山内一豊であること 戦国時代にも安土桃山時代にも徳川時代前半にも、日本には
男色や衆道というものが一切存在せず、
大大名といえども匹夫のごとく一夫一婦制だったこと 今は古びていても、昔は新しかった、ことも解らない馬鹿が
大河ドラマをつくっている。 若かりし頃の伊藤博文がものごっつ軽薄な若造だったこと。
尾藤俊輔は最高でした。 戦国時代には蠍座のことを北斗七星と言っていた。
そして浜松が駿河の国だった。 平安時代には、水溜まりが残る雨上がりのような状態で砂埃が舞っていた。 >>1
ノーコンではなく官兵衛はATフィールドを使ってたんだよ。
幕末はそれが進化して、高杉さんの三味線に仕込まれるようになった。 いつの時代も戦後昭和と変わらぬサラリーマン生活を
人々が送っていたという事実が、
大河で判明した。
滑稽千万! 女性は現代よりもずっと早く成長し、老けるのが遅かった これまで戦国時代は小氷河期という通説が一般的であったが、
どうやら16世紀中頃から17世紀初頭にかけて、
三河・尾張地方に激しい温暖化現象が起きていたこと 大坂城落城直前、大坂に雪が降ったこと。
天地人で知った。 時々、ある登場人物がとつぜん途中で別人になることもあると知った(子役→大人じゃなくて) >>30
「徳川家康」の竹下景子だろ(吉良御前→お愛) 伊達政宗は幼少時に右目を失っていて左目しか見えなかったこと。
鋸引きの刑は平安時代にあったこと。
このころは今の高校生くらいの年齢で子供を作っても誰からも文句言われたなかった。 >>34
スレの趣旨がいまいち呑み込めていないのではないかと 「七人の侍」の村の防御は、間違いだった・・・・・・・・・らしい。
再放送もDVD化もされてないので再確認不可。 前田利家は天下人になった関白秀吉を蹴っ飛ばした。
前田慶次は太閤秀吉を投げ飛ばした。
前田利家が賤ヶ岳で秀吉側に付いたのは裏切りでは無く勝家自ら
秀吉に付き共に天下を治めろと言われたから。
前田利家は一向門戸を庇う美しい心の持ち主。
前田利家は清洲会議の後に現れ汚い策略を企てた秀吉を信長の鎧を着て追い回した。 >>30
新田義貞がショーケンから根津甚八とか
井伊直政が豊原功補から平泉成とかか ストロンガーが信長からもらった鯉を食べちゃったこと。
アカレンジャーが天ぷらを食べさせてニセ家康計画を密かに実行。 愛姫は秀吉家康の時代になっても江戸京都におらず、仙台で政宗と暮らしていたこと。 子供の頃、太平記を見たせいで、ショーケンと根津甚八が、同一人物だと思ってた。 大河で百姓女たちが野菜を洗ったりしながら集まってるシーンでは
大概エロ話で盛り上がって最後に大笑いする 以前は、関東地方での栽培が始まったのは江戸時代中期以後とされていた「さつまいも」が戦国時代の主食だった 秀吉と家康が老け顔だった。
二人より信長の方が、妙に若く見える人だったと言うこと。 >>46www
しかもそれを血のような鮮やかな赤に染める染料まであった 福島正則が女に投げ飛ばされ空中遊泳するくら弱いってこと 主人公の影で密かに歴史を動かし
まるで未来を予言するかのようなセリフをいう人々の姿があった 気軽に日本中行ったり来たりできるほど、交通網が発達していた。
もしくは、当時の人は瞬間移動のスキルを持っていた。 ・江は9歳で家康と伊賀越えをし、馬に乗って逃げた。信長の亡霊が乗馬を助けた
・江は9歳で既に大人の女性ほど成熟していた。
・江は本能寺の変の前の本能寺にも、清洲会議にも姿を見せた。 >>17
秀次の最後の言葉も
千代殿・・・すまぬ・・・
秀次は千代が育てた
秀勝は朝鮮の農民を庇って家臣に斬られその傷が元で死んだ
利家は天下こそ取れなかったが秀吉と家康は利家に男っぷりでは完敗したと思っていた 日野富子が酒呑童子の娘だったこと
秀吉と石川五右衛門が幼馴染だったこと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています