【真田丸】徳川家の人々&三河武士【敵役】 [無断転載禁止]©2ch.net
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徳川家康・・・内野聖陽
徳川秀忠・・・星野源
本多正信・・・近藤正臣
本多忠勝・・・藤岡弘、
石川数正・・・伊藤正之
阿茶局・・・・斉藤由貴
服部半蔵・・・浜屋健司
鳥居元忠・・・大堀こういち
大久保忠世・・・中野剛
平岩信吉・・・東武志 嫁も息子も1人しか出てこない寂しい家康一家をしっかり見守ろう。 敵役と言うより真田一門の尻拭い&ツッコミ役なんだよなぁ…。 >>5
斎木と新蔵がでたから、北条の3人には勝ってる。 公式ホームページによる各家登場人数(領民は含まず)
織田・・・5人
北条・・・3人
上杉・・・4人
徳川・・・9人
豊臣・・・12人
真田・・・18人
武田・・・8人
あんなに瞬殺された武田と同じくらいしか出てないなら少ない。 半蔵は伊賀越え要員だったのだろうかw
佐助みたいなキャラじゃないんだろうが伊賀者の束ねとして働いていてもおかしくないのに
あの暗殺失敗は徳川に人なしみたいで悲しいぞ 露と落ち 露と消えにし 我が身かな なにわのことも 夢のまた夢(秀吉の辞世の句)
人はただ 身の程を知れ 草の葉の 露も重きは 落つるものかな(家康の辞世の句)
まるで秀吉にあてつけたかのような辞世の句をよむ家康であった。 半蔵は仕方ないだろ。便利過ぎるし(笑)真田の身内同然の
佐助でも、忍者としては流言が最後だし。まあ、三谷さんから
したら、どこでもドアみたいな捉え方なのかも 内野さんは増やしたよな?
体のケアだけは十分にしていただいて。 内野の家康はとてもいい感じなんだけど、不必要にコント調にされてるのがな
三谷以外の脚本で見たかったかもしれない 真田丸見るまでは別に徳川家好きでもなんでもなかったんだけど、今じゃすっかり殿と三河武士達が大好きw 忠勝が年寄りすぎるんだけど 内野さんより年下持ってこれなかったのか 室賀に「会えてよかった」という時の笑み、
信尹に「どちらかを選べ」と会いに来た時の一連の言い方、
家康の底知れない怖さと狸ぶりが見えて良かった。
内野、良い演技してると思う。 >>22
30代であるだけ、迫力のある俳優がいるかな? 甲冑から想定された体型
忠勝 チビ
康政 ガリ
直政 マッチョ 16神将くらいは出て欲しいよな。
康政直政も出ていないとはなんとも。 これからラスボスとしてさらに家康が頭角を現してくるのだから、
家来の大物はもう少し出して欲しいね。 家康がやたらと北条家に肩入れしてるのが意外
来週も「頼む・・・っ」とか言っちゃってるし >>29
秀忠軍に榊原康政がいるから、出てくるんじゃないかな?
あと、本多正純は出るみたいですよ。 >>30
真田丸には出てこないけど、家康は氏規と仲良しだから…… 今週のNHK教育・先人たちの底力
「家康・関ヶ原への道」
今週のBSプレミアム・英雄たちの選択
「家康スペシャル第1回・小牧・長久手の戦い」
今週は家康ウィークだよ 血眼になった幸村に追い回される大久保彦左衛門はでて
ほしいんだなも(笑) 忠勝は今後も真田家に好き放題出入りし続けるのだろうか? >>30
家康は次女の督姫を北条氏直に嫁がせていたからな
忠勝があんなに稲べったりなら家康も娘べったりでおかしくない 家康のコント臭が抜けていく穴はLIFE秀忠が補うのかね 家康は娘はだいたい溺愛してるよね
成人した娘が3人しかいなかったからかも
息子は好き嫌いにより差が激しく 家康が武田の忍者に寝室で殺されそうになって、井伊に助けてもらうエピソードは何故、活用されないんだろう。 家康が主人公でもないと4天王はなかなか出てこないねw 特に忠次と康政 「北条は、終いだな」と言ってるときの内野の表情が素晴らしい
もっと家康をピックアップして! 現代の三河の方言は
『じゃん、だら、りん』
なんだけど時代劇で使われたの見たこと無いんだよね。
秀吉の尾張弁とかは結構定番なのに…
今テレビで唯一わかりやすい三河弁しゃべってるのはオアシズの光浦くらいだな。 >>42
あと、家康が治めた土地の影響なのか、静岡〜神奈川辺りまでは三河弁に近かったりするんだよね。
全国的には『〜じゃん』って神奈川の方言のイメージなんだろうけど、もろ三河弁だし… >>42
そう言えば、昔、尾張弁の家康ってドラマは見た記憶あるが、三河弁のは見た事無いな
東京山の手言葉の元は昔の三河弁といわれるから、今の三河弁より、標準語の方が三河武士の言葉に近いからとか? >東京山の手言葉の元は昔の三河弁といわれる
そんなこといわれてない >>44
標準語の「です」「ます」は
吉原などで使われた郭言葉「ざんす」「ざます」が
江戸時代に武家上流家庭婦人に広まったのが語源とされているし
三河弁=標準語ではない 正臣って、北条に沼田を渡さないとえらいことになるのわかってて、真田の味方したよね?
正臣は秀吉に北条攻めをさせることで、北条を潰し、秀吉も弱らせたいんだ
頑張っている若者の味方をしたくなったというのは嘘だと思う >>47
腹に一物の正臣正信のことならその通り。誰もが分かってること。
んで小便した手で信繁の肩を叩く家康はやっぱり敵ですなぁW >>45
山の手ことばは、江戸の武家で使われていた言葉だろ
江戸弁は関東の下々の言葉だろうが 江戸の武家で使われてたというと三河弁になるだろ
山の手言葉は関西弁とか薩摩弁とか長州弁が混じってる明治言葉らしい >>50
戦国時代までの上流階級の共通語といえば京の公家言葉
家康が天下執ったからって急に共通語を全面総入れ替えで
他の武家たちに三河弁を強要できないだろう
秀吉だって寧と夫婦喧嘩するときには尾張弁だったらしいが
周囲の者は何を喋っているのか一向に分からず
普段大名と接するときには共通語(公家言葉が基本)を喋っていた 違うな
室町期の洛中の支配層は三河武士だよな
京の武家社会は三河弁だ >>53
確かに、足利尊氏が挙兵したのも三河で、細川、吉良、一色、今川などなど当時の三河武士が重要な位置を占めたな。 大崎氏、最上氏の祖、足利家兼(斯波家兼)
http://www.inn-suzuki.com/info.html
>中新田城
>斯波家兼が奥州探題に任ぜられ、三河の国からこの地方に赴任
足利家兼(斯波家兼)
父:斯波宗氏
母:長井時秀(大江広元の曾孫、室は安達義景の娘(安達泰盛の姉妹)の娘)
空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京之地也」
「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠とした
永源寺
中世、三河国碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。
「序」に三河国碧海荘は斯波義将の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。
応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。 『真田丸』で話題のあのシーンを再現! 徳川家子孫が434年ぶりに「伊賀越え」に挑戦してみた
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48986
なにやってるんだ子孫w 最近は凄い悪役キャラだけど、
家康はあれだけコケにされ続けた真田昌幸を
よくもまあ殺さなかったものだと思う。 >>50
NHK歴史秘話ヒストリア「日本人なのに通じナイ!?明治標準語ことはじめ」
明治時代の初め、日本は大混乱。
方言やお国言葉が入り乱れ、日本人同士で言葉が通じない
非常事態が起きていた。
新しい日本語を定め、日本を救った一人の男の奮闘物語。
江戸生まれ江戸育ちの生粋の江戸っ子・上田万年
上田万年『標準語とは教育ある東京人の話す言葉、山の手言葉である』 >>59
すごく簡単に言えば昌幸を殺してしまうと武田遺臣達や遺臣達と
つながる人間絡みでえらく面倒なことになりかねない恐れがあるからな 三河と北陸と北関東は生活保護世帯が少ない。
相模で生まれ三河で育った今川了俊は九州島で無双したものな。
三河で生まれ三河で育った細川頼之は四国島で無双したものな。
上野で生まれ上野で育った山名時氏は北近畿山陰で無双したものな。
三河で生まれ三河で育った中条長秀は京師で無双したものな。
中世史の川添昭二さんは今川了俊は鎌倉生まれで子供時代に東海地方へ移住したと書いてたな
中世史の佐藤進一さんは高兄弟は三河出身の三河武士と書いてたな
中世史の峰岸純夫さんは足利尊氏は鎌倉大倉生まれの鎌倉武士と書いてたな
中世史の海津一朗さんは楠木氏は武蔵北部出身の武蔵武士と書いてたな
三河は武篇の国なる故、五千あらば上方の二万にかけあひ申べく候。
(『甲陽軍鑑』) 大坂の陣も井伊直孝、水野勝成、松平忠直、本多忠朝は最低でも出してほしかった。
本多正信正純親子しか出てこないのはなぁ…。
せめて真田勢と相対した松平忠直、勝永に粉砕されて討ち死にした本多忠朝は出してほしかったよ。 タイガドラマモオモシロイケドオススメノジョウホウ
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