【謎の歴史観】『おんな城主 直虎』のココがまちがってる!!【歴史法廷】part1 [無断転載禁止]©2ch.net
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2017年NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の史実検証についてのみ語り合うスレです。
ドラマの出来不出来、俳優へのエールまたは罵声または演技論、視聴率の高低の話は該当スレへ。
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http://www.nhk.or.jp/naotora/index.html
※前スレ
【謎の歴史観】『真田丸』のココがまちがってる!!【歴史法廷】part7
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1479651267/
「あらゆる歴史は、それが当代の証拠によって支持されない限りロマンスである。」
サミュエル・ジョンソン 「著作集」 大体女城主の井伊直虎は存在しない。日本では無い架空の国の物語だよ 同じ絵を2枚見せられて「違いはどこ?」と聞かれたら燃えるが
全く違う絵を見せられて同じように聞かれても「うーん、全部」で終了だしな 今、キラキラネームがブームみたいだけど
15世紀の武将の幼名調べたら、信長の吉法師を始め、小法師だの熊法師だの松法師だのぞろぞろ出てくる
〜法師って幼名つけるのが一大ブームだったのかもしれない
次郎法師も出家したからじゃなく、男の子が欲しかったから単純に男の子の名前つけました、としとけば良かったのに
直親出奔時の直盛の年齢は19才前後らしいし、いろいろ矛盾がある
直親を思って出家しましたなんて乙女のストーリーは龍潭寺の和尚さんの創作だろうけどね 大河の面白いさって
事実8割に脚色2割的なもんで
その2割部分の勝負だと思ってたよ。
まさか精霊の守り人が大河になるとは >>106
事実w
残っている大名の記録も、事実とイコールじゃない、都合の良いように書かれてるよ >>98
それはそうだが原資料を引いて解説できる人も居ないでしょ。
>>105
>直親を思って出家しましたなんて乙女のストーリーは龍潭寺の和尚さんの創作だろうけどね
あえてwikipeidaソースで書くけど
「井伊直親と許嫁であったという点は、直親が信州に逃れた天文13年(1544年)時点で、直親は10歳、
直盛は19歳であり、この時その娘(直虎)は生まれていたとしても、出家しようという判断力のある年齢
ではないため、史実ではなく創作されたものと考えられている」
創作だろうと書かれてるな。「樅ノ木は’残った」だって通常悪人と考えられている原田甲斐を忠臣として
主人公に取り上げた山本周五郎の小説を大河にして誰も文句言わないんだから直虎の純愛が創作でも
何の問題もない。史実と言い張れば問題だが。 昔と比べて視聴者の知識レベルが上がっているから、今時大河がフィクションドラマなんて見る気が萎えるんだろう
爺婆は馬鹿だから、フィクションでも史実だと勘違いして満足するんだろうけど
今の若いもんは、多少なりとも史実に沿ってないとテンションが上がんないじゃない? 連投すまん
NHKは市民から受信料を巻き上げて儲けているもんだから、企業努力なんてしないし、視聴者の意識変化に気付いていない
だから、NHKは馬鹿で頑固 真田丸は大河として相応しいが直虎については全五話ぐらいの連続ドラマにしたら良かったと思う >>62
今朝の読売で解説されていたけどさらっと読んだだけではよくわからなかった
次郎法師は女性で間違いない
関氏がバラバラだった井伊谷の統治の為に連れてきた若者(直虎)は短期間だけいたのかもしれない
というころで>>65のように別人説というのは分かりました >>105
次郎法師の他に男子がいなかった説も一次史料からは否定されてるからな
井伊次郎法師は政権基盤が弱く、一族の井伊主水や家老衆の強い後見補佐を受けていたこと史料から窺われる
普通に考えれば子供だった可能性は高いかもね
大石氏の著作によると、井伊家は嫡流が衰退すると傍系が嫡流になることを繰り返していたらしい
井伊家は武田氏に仕えた傍系もいたらしいし、直政は代々名乗る次郎を名乗ってないとかいろいろ怪しいところもある
穿った見方すれば、傍系出身の直政を井伊谷の直系と繋げる話を龍潭寺住職に協力して貰って創り上げた可能性もあるね
そういえば、「井伊家伝記」のデタラメさを論考で発表してた彦根城博物館の野田氏によれば、次郎法師は結婚していたが、結婚相手は直親ではないらしい >>111
もう歴史秘話ヒストリアでやったから十分だよ >>114
そもそも資料が無いからヒストリアやその時に使われても意味のある内容にならないだろ ヒストリアの45分ですらも時間持て余してたからな
子どもたちの場面がやたら長かったし。
直虎の政治というから今川との外交でも見せてくれるかと思えば
ごく一般的な領主の生活ぶりだったもんな 色々言ってる奴は自分が小和田先生より物知りだと言ってるのか? まともに考察しようという流れは良いなー
自分は放送前の本スレで彦根城博物館の学芸員(野田氏)の説明もふくめ
「「井伊家伝記」はまだまだ検証の余地要なもの」
と、書き込んだだけでものすごい勢いで叩かれたわ
果ては「コイツは井伊達夫だろ」とかまで書かれたよ >>117
大河ドラマや時代モノの監修や考証をする研究者の立ち位置や現場との関わり、
立場からする発言があるってことを何もわかってないんだな >>117
小和田先生はプロデューサーでもディレクターでもない
先生の思い通りになることなんかごく一部だろ
だからいろんな矛盾点が出るんだよ >>31
>笛の入れ物は児童用リコーダー入れみたいな感じがしてなあ
そこ気になった
どんな作りなのかもっと見たかったな
巾着でいいんじゃないかと思ったけど >>51
確かにそう言われてみれば…
でも所詮女の子だし狙うなら亀のほうだよね?
描かれてないだけかもだけどあの時点で家督を相続できる男子は亀しかいないんだよね? >>103
それな
主人公が異国の剣を持ち出したのがその象徴 >昨年放送された「真田丸」の第1回の視聴率は、関東で19.9%、関西で20.1%。「直虎」はこの数字を上回ることができなかったが、これはNHK総合での視聴率。
>NHK総合よりも2時間早く放送されるBSプレミアム(関東)での視聴率は、「真田丸」初回の3.3%に対し、「直虎」初回が4.3%と「直虎」に軍配が上がる形になった。
頑張って作文したなー(棒 >>127
第1話のクオリティの差は明らかだけどな。 >>117
小和田先生はよっぽどでない限りは「ドラマですから」と
大目に見て上げるところがあるので。
まあ、主張してもスタッフにスルーされることもあるんですが。
だから叩かれやすいんでちょっと気の毒。 細かい所の考証が小和田先生の意思を反映していないのは仕方ないが、直虎=女説に素人がケチをつけるのはどうかと思うぞ >>87
品がないんだよね
もっとも杏なんかもっとない
なぜもっと相応しい女優
それも垢のついていない者を選ばなかったのか
選定にとても疑問を感じる
なぜ芝なのかと 信長協奏曲の柴咲コウは上品さに欠け、うつけうつけキャンキャン煩かったが
まああれはコメディだし、今度の大河は違うと期待してる
あの髪型似合ってたね、長谷川京子に似てると思った 男の直虎だという関口某の息子ってそもそも何者なのよと まあそこで「次郎」使わなくなったってことは断絶したんだろうな
なんらかの繋がりがあったなら幼名復活してる >>136
柴咲コウの今まで出た時代劇ってほとんど全部がゲテモノだらけだぞ
ドロロに男女逆転大奥に信長協奏曲に今度のおんな城主直虎・・・
あっ、ゲテモノだからこそ柴咲なのか! おんな城主直虎はゲテモノにはならないと思うよ
個人の感想だけど >>142
おっと 松平元康の室 築山殿の間違い ご指摘ありがと >>134
名作かどうかは別として「秀吉」は視聴率は良かった。 >>141
この一次史料から氏経と直虎の親子関係および性別が特定できるの? 一次史料からは、直虎も次郎法師も性別不明
小和田さんとともに考証を担う大石泰史さんも、「次郎法師が女性であるのか否かは結論が出なかった」と本に書いている 結局女だってのは龍潭寺の「井伊家伝記」だけ
だからケチがついちゃう まあ、ドラマはドラマとして楽しめばいいんじゃない
史実を勉強したい人は浜松博物館で講座があるよ
1月22日(日)『今川氏から見た井伊氏』 大石泰史氏 大石プランニング主宰
2月12日(日)『井伊直虎をめぐる人々』 夏目琢史氏 一橋大学助教
3月5日(日)『井伊氏系譜の史実と虚講』 野田浩子氏 彦根城博物館学芸員 >>149
水戸黄門並みの史実度合ということですね このあと午後8時からBSプレミアムで、
午後9時からBS日テレで、
どちらも直虎の検証番組やるよー >>148
江戸幕府編纂の寛政重修諸家譜にも、女って書いてありますが 直虎は男かも知れんが次郎法師は女だよ
次郎法師が男なら井伊家を継げば良いだけ 井伊家伝記 享保15年(1730年)成立 著者は遠江国井伊谷龍潭寺の住職である祖山
乾冊は全35話、坤冊は全29話からなる。乾冊には、井伊家の元祖と伝える共保の出生伝承、
戦国時代の井伊直平とその子孫の活躍、井伊直政の幼少期までが叙述される。
坤冊には、直政が徳川家康に仕えて以降の直政の活躍と、著者である祖山が隣村の寺と争って
「井伊共保出生の井」の権益を勝ち取り、彦根藩主に働きかけて寄進を受けるようになったことが記される。
祖山は、正徳元年(1711年)隣村の神宮寺村にある正楽寺との間で「井伊共保出生の井」の
権益をめぐって対立し、幕府寺社奉行へ訴訟を起こしているが、その際、祖山は彦根藩と与板藩の両井伊家を頼って
勝訴を勝ち取った。その際、戦国時代の井伊氏の歴史やそこに龍潭寺が深くかかわってきたことを述べて、
信頼を得た。この時、龍潭寺の由緒を記して井伊家や寺社奉行へ提出しているが、
その内容、後に『井伊家伝記』としてまとめられた
守安公書記(12冊)
享保20年(1735年)「守安公書記」(全12冊)
「雑秘説写記」寛永17年(1640年)に新野親矩(井伊直盛の妻及び関口氏経の兄弟)の孫で井伊家家老を
務めた木俣守安が新野左馬助親矩の娘たち姉妹7人、井伊家重臣の妻となり長生した。
栄光―新野娘、守安実母、昌繁―三浦元貞妻、浄土寺守源、清芳―奥山因幡守親朝娘
直政の祖母そうてい、奥山因幡守親朝娘、より聞き書きした記録集
寛政重修諸家譜
寛政年間(1789年 - 1801年)に江戸幕府が編修した大名や旗本の家譜集
文化九年(1812年)10月に完成 昨日は直虎デーか。
英雄たちの選択、歴史捜査…と、BS番組の録画試聴中。 >>153
次郎法師は井伊家の当主だよ
当主の期間は僅か4年だが、井伊次郎、次郎法師は当時の一次史料から井伊家当主であったことは明らか
古文書に記録があっても系図に見られない人物がいることは珍しいことじゃない
井伊谷の徳政に大反対していた井伊主水佑も井伊の系図には認められない
次郎法師が男性なら花押がないことから元服前の子供だったんだろう
実際に次郎法師の幼名を持つ戦国大名も他にいた
直政の幼名が実は次郎法師じゃなかったのかって言ってた人もいたなあ そもそも直虎っていう名前は何に書いてあったの
なぜ一生お一人様だったの。ヨーロッパにもいたような両性具有の人の可能性はないの 一次史料なら
永禄8年9月15日付 次郎法師置文 龍潭寺南渓和尚宛て(浜松市・龍潭寺所蔵)
井伊谷徳政に関する文書
永禄11年8月3日付 匂坂直興書状(蜂前神社文書)の本文中、「井次」「次郎殿」とある
同年8月4日付 関口氏経書状(蜂前神社文書)の宛名が「井次」
同年9月14日付 今川氏真判物(瀬戸文書)の本文中に「次郎法師」
そして
同年11月9日付 次郎直虎・関口氏経連署状(蜂前神社文書) 花押のある直虎署名の唯一の書状 >>158
【直虎】と記された史料は蜂前神社所蔵の【井伊直虎関口氏経連書状】
しか確認されていない。
直虎=二郎法師説は、今まで発見されている二次史料 三次史料からの推定
今回 新史料が発表されたからこれから史料批判から始まって記述の妥当性の検証が始まる 本当は女だったんだけどそれじゃなめられるから男装して公式には男と言ってたんだよ、たぶん。 >>152
井伊家伝記を引いただけじゃん(ため息
擁護バカにはこのレベルのしかいないのかよ 秋葉原通り魔事件で逮捕された加藤智大氏は、明らかに冤罪
http://youtu.be/gj0X2qLNbUg 栄えある井伊家の歴史に女がいるなんて恥にしかならないから
後世、男ということにしたのに違いない。
男だったらなぜわざわざ「女なのかも」と史書に書く必要があるのか? >>141
関口親永の妻(築山殿の母)が井伊直平の娘なんていう珍説を
いかにも定説であるかのごとく騙るなよ その経緯をみるかぎり寺の箔付けのために女城主としてでっち上げ臭いがするね 井伊家の当主をうちの寺で面倒みたんですぜって言えば恩を着せられるでしょ
寄進が足りないんじゃないですかって >>169
寺領の権益を廻って、旗本が檀家に成ってる寺と訴訟になって彦根、与板の井伊にアピールして
「こんなに関係が長くて深いんですよ だから権益はこっちに下さいね」って宣伝用に作った物語だからね
>>141 にある築山殿との関係もそのため。如何に徳川宗家と近く所縁があるかで訴訟の行方が決まる 山岡荘八の「徳川家康」では築山殿は義元の実の姪
桶狭間(1560)の後、清洲同盟1562で築山殿の父が自害
人質交換で子供二人とともに岡崎城入りだったと記憶してる
wikiにある「築山殿を嫌う家康の生母・於大の方が岡崎城に入ることを許さず、
岡崎城の外れにある菅生川のほとりの惣持尼寺で、幽閉同然の生活を強いられた」
1570、ようやく岡崎城に移った」というのは何を根拠にしているんだろう?
於大の方は再縁の夫・久松俊勝1587死亡まで夫の城で共に暮らしてたんじゃないのか?
家康を産んで間もなく実家に帰された於大の方に許す許さないの権限あったの?
でも山岡の家康では第一子が亀姫だけど(築山殿は亀姫が氏真の子ではと怯える)、
wikiだと信康が先に生まれてるね
フィクションとして多少の改変があったのか、50年以上前の作品だからその後新資料が出てきたのか 諸田玲子さんの小説「月を吐く」も読んでますが、於大の方を不自然に悪く書いていると思いました >>171
それならわざわざ女にしなくても別に男でいんじゃね?
いくら宣伝だからって、幕府老中を務める井伊家相手に
うかつなことを書くと打ち首じゃ済まないよ?
まして士農工商の身分制が厳しい封建社会で
「女が城主で男が部下だった」なんて黒歴史、
普通、公にしないと思うが? 問題を要約すると
「直虎が男であるとしたらなぜ女である説が存在するのか?」という点にある
逆ならいくらでも合理的な理由が考えられるんだが。
まあ真実は藪の中だけど。 寺で井伊家の女子を預かっていたのが事実で、その娘と直政を強引に結びつけたという線なら別に不合理ではないと思う
女の下に男子といっても主家の娘なら男尊女卑の思想とは別次元じゃない >>173
山岡荘八なんか司馬遼太郎以上のファンタジーじゃねえかw 関口の息子が男直虎でもいいけどコイツはコイツで一次史料が碌にないんだろ? >>176
そこで断絶したんでどこかのガキを連れてきたんだろ wikiを読むと井伊家は南北朝の頃からの名家に見えるけど資料がないというのが胡散臭いね
恒興から前がよく分からない池田家と大差なさそう サマセット・モームが「知識に小説というジャムをつけて食べるのは美味い話だが、
残念ながら知識というものは地道な努力の結果として得られるものだ」と書いてます
小説を読んで歴史を知った気になってはいけませんね…当たり前か そして「知識」というと受験勉強の反動でやみくもに条件反射で嫌う馬鹿がいっぱいいるんだよな >>181
江戸時代の大名家なんて元をただせば尾張美濃三河の出自も知れない連中ばかりだぞ
平安鎌倉までさかのぼれる名門は戦国時代の下克上で大概滅亡した >>175
当時は単なる一記述で龍譚寺なり井伊家の関係者も300年後に重大事になると思われなかった程度の話だったのかもしれんな >>173
何といったら良いか・・・
娯楽性と物語性を重視して(それは悪いことでは無い)
作家独自の視点を入れることも重視されてた小説を引き合いに出して、
それで何? って感じだ
要は昔の大作家の先生も創作や「シジツと違うこと」書いてるじゃん >>174
お大の方は神君家康公の母としてたいてい良母像に設定される
ただ諸田さんは築山殿目線で悲劇の女性路線で小説を書いたので
姑であるお大の方をああいう風に描いただけだな
創作によって人物像をかえることなんて普通だ >>182
>サマセット・モームが「知識に小説というジャムをつけて食べるのは美味い話だが、
>残念ながら知識というものは地道な努力の結果として得られるものだ」と書いてます
全面的に同意だが今の大河ドラマはパンなしにジャムだけ食え
コーヒーのないクリープだけ食えと指図されているようなものだ。
制作スタッフに知識がないからジャムに走ろうとする。
それもジャムの知識すらないからパンだけ食わせてほしいような状態 >>189
お前さんが好きなパンじゃなかったってだけだろ
嫌なら他のパン屋さんに行くか自分で焼くしかない >>185
単なる一記述じゃないと思う
直親、直政を井伊嫡流にするには非常に都合のいい話だからこそ、その後彦根藩の正史とされたんだろ
本当に次郎法師が直政にとって重要な人物なら、直政周囲の同時代史料に登場していいはずなのにそれが全くない 突然出現した直虎
覆面レスラーのようなもので誰が直虎を演じたかだ 信長も女説あるし、最近のゲーム史観では秀吉や幸村も女になってるな。 >>191
根本的に問う
いったい誰がみたいという番組をつくってるんだ? >>196
NHKに聞いてみるしか答えは得られないな >>194
転校生の女子高生が俺があいつであいつが俺でタイムスリップしたんだよ 磯田道史氏によるとNHKは最終的な候補を甲斐姫、ぎん千代、おつやの方、直虎の4人に絞った
その中から直虎を選んだとのこと 最悪の選択だなw
ァ千代のが100倍マシだろ
同じくらい地味だけどそこは道雪やら宗茂を准メインに据えることでなんとかなる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています