大河ドラマ「風林火山」Part161 [無断転載禁止]©2ch.net [無断転載禁止]©2ch.net
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原作:井上靖「風林火山」(新潮社)
脚本:大森寿美男/音楽:千住明/題字:柿沼康二
制作統括:若泉久朗/演出チーフ:清水一彦
◆関連ホームページ
「風林火山」情報 http://www.nhk.or.jp/archives/meisakuza/detail/?vol=5
◆キャスト・各回演出等はこちらで
『風林火山』 本スレ用テンプレート<大河板@避難所/したらば>
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/3607/1177387261/l6
前スレ
https://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1493645249/-100 >>80
陸運の要所地より海運の要所地を持つ方が輸送量が段違いだからずっと金になるからね
それに明治までは海運の主流は日本海海路だった 勝頼がビシバシ部下を酷使以前に
武田の一門や支流や分家が幅をきかせている家中に
信州諏訪家の血筋という点で勝頼は生まれながらに負を背負ってたんだよ
幼少時の生育地も甲斐国内でなかったわけで
そして守役や側近に武田の者がいないわけだから、もういけない
この基本設定のうえに部下をビシバシ酷使なんてしてたら人身離反や
弱体化はさらに早まっていただろう >>91 >>92
穴山家はそもそも甲斐南部の領主家でもある
そのうえ信君の母南松院は信玄の姉、妻の見性院は正室三条氏腹の信玄次女
武田が崩壊していく現状のなかで自分たち一統が武田の血筋をつながなくては
という考えがわいたとしても不思議ではない
諏訪家と織田の血を継いだ信勝が甲斐武田家を継ぐより
自分たちの子の勝千代のほうが甲斐武田の血を色濃く受けているのだし
自分は厨房のころから仁科盛信贔屓なんだが穴山のとった行動を非難の気持ちはないね
岩殿城に田野天徳院に新府城跡に高遠城、身延にも
武田の史跡のほとんどは回っているけ
-、穴山や小山田を叩くのってニワカが多い雰囲気 武田好きとしてた武田三代裏切り者を擁護したくはない
だが木曾穴山は岩村と高天神の落城で織田徳川の圧力に直接さらされることになったからね そうは言っても
もしおまえらが勝頼に従った
700名余りの軍勢にいたら速攻で逃げ出すだろうな 武田家は滅びてしまったからここまで人気が高いんだろうけど、
何とか存続する方法は無かったものなのかね…? 敵と戦って滅んだんだから名誉だろ 敵に土下座して生き残っても魅力ない >>106
織田の風下に立って
信忠松姫の間に息子が生まれれば
あるいは
離反が続いて内部崩壊しそうだけど 少しぐらいなら史実を変更してもいいと思うんだ こののち勘助と晴信は天下統一を成し遂げてジ・エンドで >>111
勘助が戦場で絶命するには
それなりの意味がある
お話の大切な肝なんだよね
何でもかんでも自分の都合がよいように変えてしまうのはどうよ 諏訪の血が〜なんてのは裏切った輩の自己弁護でしかないと思うけどね
信玄の男子を差し置いて女系がでかい面する理由にならんよ 真田幸隆も、「真田」の名を継いだだけじゃなかった?
海野、滋野一族だけど。 うまく後世に残れば美談扱いされるよってことではなかろうか 結局、甲相駿三国同盟で成立した3組の夫婦のなかで、
最期まで離縁することなく夫婦揃って天寿を全うしたのは、今川氏真夫妻だけという皮肉・・・。 置かれた状況をひっくり返すだけの力量がなかっただけなんだけど
信玄のせいにしとけばいいんじゃないかな 海野家は謎が多いけど棟綱は劇中で存命っぽかったナレはあったな
とくに幸隆と昌幸にとっては信玄のみが特別っぽかったけど
どの大名の軍門にも下らないプライドみたいのがあったのはひしひしと伝わってくる 真田が北条とやりとりしてたのも利用するだけ利用してコケにするいつもの手口だったんだろ
上杉徳川にも同じことしてたし >>117
穴山がでかい面してたのは間違いないが勝頼の血筋や器量で裏切った奴なんて一人もいないからね >>109
高家にとりたてられたのは綱吉の時代にやっとなんですけど・・・
元低い身分の家臣だった柳沢吉保のあっせんで
それまでは遠島から復帰できても自立できてないような生活で ドラマではまだ勝頼は生まれていないけれど 勝頼が「諏訪」を名乗るようになったのは、おそらく諏訪氏を滅ぼしたあとに諏訪領内が大混乱におちいったのではないのかと思うんだよね
諏訪の混乱を収拾するためにはやはり諏訪氏の血筋の人が必要で、辛うじて諏訪氏の血をひく勝頼にその使命を託すことになったのではと
信玄の子供であることを隠すように名前も「信」の字はつかわず「頼」の字を使って諏訪の血を強調している 戦には諏訪太鼓を持ち歩いて諏訪も武田の一員であるかのようにふるまう
諏訪の民もすべてに納得したわけではないだろうが 信玄のこの行動に「仕方ないついていこう」という気持ちになったのかもしれない 落ちてたから次スレたてようと思うけどpartいくつにすればいいんだ 信繁とのやり取り感動した。
信虎が「甲斐には晴信がおる!!」「ワシが育てた」と言ったのもよかった。
獅子は我が子を突き落とすと言うがごとく、晴信に謀反してほしかったのかな。 小山田の立ち位置考えたら、信玄亡き後は武田を去っても致し方なしなのかな。 >>129
子供を送り込んで家を乗っとるということなら、この時代の多くの大名がやっていることだし、
元々武田の嫡子ではなく、母方が諏訪氏の勝頼に諏訪の名跡を継がせることは、
最初から決まっていたと思うよ。
それに晴信は、諏訪頼重を滅ぼした後も諏訪氏の庶流である高遠氏などと抗争を続けているし、
形だけでも勝頼を諏訪宗家の後継者に定めておくことは必要だった。 小山田の領国は今川と北条の隣
情勢次第でいつ裏切っても仕方ない それ考えたら勝頼が何故小山田についていったか悔やまれる。
真田の方がむしろ信濃人で諏訪に近いのに。 >>139
勝頼は自分が信州育ちだからこそなおさら
「自分は甲斐の国主として相応しくあらねばならない、甲斐から逃げるわけにはいかない」
とか思ってしまったんじゃないかなあ 力ではない、心じゃ(完全包囲)に草
迎えの勘助ほんと嬉しそうなゲス顔で草
猛々しい武将(武田家だけに)で草
草こんなもんや しかし信虎はこの後信玄の活躍や勝頼の成長を喜び、武田が滅ぶのを見る前に亡くなったんだったなあ。
勝頼は意外としぶとく信玄死後も粘ったんだよね。 その時点で小山田信茂は家中において地位と武名を兼ね備えた唯一の存在だし岩殿は堅牢だししゃーない 今回は追放のシーンから晴信を認めた信虎の台詞までがメインだが、序盤の信繁や家臣団との談合、晴信と大井夫人の会話、氏綱の遺言など盛りだくさんだった。
その中でも地味だが自分は風吹ジュンの演技が好きだ。現代劇でも時代劇でも慈愛に満ちた理想の母親を演じてくれる。 今日の再放送、出掛ける予定があったが、ついつい見入ってしまった。
仲代達矢みたいな、大物俳優を使ってこその、ホンモノ感が半端ない。
老残の敗北者ぶりが、シェイクスピアのリア王やシーザーのよう。
近頃の大河には、こういう骨太感がないんだよな。 史実の話なので余談ですが。
晴信に生活費付きの隠居の立場に追いやられた武田信虎は、
ドラマなんかだと以後鬱々と余生を過ごすだけみたいに描かれる
こともあるのですが、史実では追放されてから実に三十余年もの
時間を割に優雅に過ごすことになるのですね。
今川義元の紹介もあって京都の名所をめぐり、山科時継・万里小路
惟房・半井驢庵といった錚々たる文化人と親交を持ち、駿河で
暮らしているうちに仕込んだ(笑)娘を嫁がせて権大納言・菊亭春季の
義理の父親になってしまったとか。
本願寺顕如や足利義輝と親交を持ち、とうとう足利幕府で要人として
抱えられ、その序列は将軍の側近や幕府の重鎮を超えた武人の
トップ扱いだったそうです。
文化と教養と平穏に包まれ、政治の中枢で武士のトップとして扱われる…
甲斐の国で国主として君臨しながらも、腹の外ではいつでも裏切る気
満々の国人たちに囲まれ、後に振り返ってみれば成功例が多かった
外交政策なども評価してもらえなかった時代と比べて、それは決して
不幸な時代ではなかったのではないか、と思えてなりません。 武田信玄が歴史に名を残しているのも、当時信虎が京都で
名をなしていたのと顕如らと姻戚関係であったことなどから、
今日の幕閣や知識人たちに「あの信虎の息子」という目で
注目されていたからという説まであります。
もともと信虎追放は、戦国大名という絶対的君主が生まれる
時にはつきものの、
「地元の小リーダーたちが自治権を奪われるのを嫌がって、
まだ未熟な息子を担ぎ出して現領主を追い出すクーデター」
だったのは間違いないですからね。
(もちろん首謀者は晴信ではなく板垣ら。)
今のように悪名が捏造されるということもなかったのでしょう。
もちろん後に信虎は足利義輝の横死・京の混乱という激動に
巻き込まれ、足利義昭の依頼で反信長の兵を挙げる手伝いを
するなどいう物騒な事もしていたようです。
もっと前の話ですが、旅先で名主に反旗を翻す百姓たちに請われて
軍師役を務めたところ、作戦ズバズバ当たりその名主を見事追放に成功、
追われて流浪の身となったその名主は後の九鬼嘉隆だったとか、どこを
どう信用してよいのか眉唾ものの逸話などもあったりしますがww 「武田信玄」の田向正建は、信玄の人生の核を
「父親を追放し、息子に謀反を起こされ幽閉死させた」
ことに見ていたようですが、こと武田家に関しては
こういう話は信玄個人に限ったことではないのですね。
河内源氏はもともと内ゲバ体質があり、武田家も発祥の
頃からろくなものじゃない内輪の殺し合いばかりじています。
応仁の乱直前に起きた「上杉禅秀の乱」以降の武田家の
トップたちの運命たるやまあすごいものです。
◆十代当主 信満
娘婿・上杉禅宗の反乱に加担して逆賊となり、親族たちに
攻められ天目山で自刃
◆十一代当主 信重
僧から還俗させられ国主になるが親族に謀反を起こされ自刃
◆十二代当主 信守
父を殺した相手を討つも、国主に就いて五年で死去
◆十三代当主 信昌
摂政だった義父を殺して権力を掌握するも、義父の娘の
産んだ子を廃嫡しようとして逆に謀反を起こされ引退
◆十四代当主 信縄
廃嫡されそうになり父と弟を相手に反旗を翻す。国主には
なれたが、遂に父を圧伏しきれず尻に敷かれたまま終わる ◆信縄の弟 信恵
兄の死をチャンスと権力掌握を狙うが、十四歳の甥に一族
もろとも殺される
◆十五代当主 信虎
叔父を殺して権力掌握。しかし息子に追放される
◆十六代当主 晴信(信玄)
父を追放して権力掌握。しかし息子に謀反を起こされる
◆晴信の子 義信
父を殺して権力掌握…に失敗。逆に軟禁され死亡
◆十七代当主 勝頼
兄の死で実質国主の座に就くも、親戚中に見捨てられ自刃
◆穴山信君(梅雪)
信長家康に取り入り武田の後継を任されたがあっけなく死亡
まったくもって外敵よりも何よりも、まず親族同士が襲い合うという
これが世に言う「清和源氏」の伝統みたいなもののようで。
思えば父親を殺さずに追放で済ませた信玄晴信くんは、やっぱり
穏健な知識人だったのかも、と思ってしまいます。 親族同士が争うのはそれぞれを担ぎ上げる周りの連中がいて対立するから
しかも甲斐源氏の血統を引いてる家ならばなおさら
晴信が父を上手く追放できたのはやっぱり弟信繁の理解というか存在が大きいよ
諸角や小山田などが反旗する可能性もあったわけだしね なぜこの年の大河だけこんなに骨太に作ったのか今でも不思議だ。 >>147
ドラマだと無学みたいな描写だけど、晴信と同じように教養はあったのよね。 >>146
黒澤明監督の「乱」は高倉健の予定だった
しかし「居酒屋兆治」のほうが先約していたため受けることが出来ず
仲代達矢になった
「影武者」では武田信虎は名前だけは何度も出てくるのに登場せず >>152
わかる、文句なく面白いけど不思議だ
カルシウムたっぷりの骨太感
この年を最後に骨粗鬆症へまっしぐら 時宗以降はどこかおかしいのばかり続いてこの年だけ謎の確変。
翌年以降はもう大河と言えるような作品は殆ど無くなった。
ホームドラマ要素は強いが功名が辻なんかは結構出来は良かったけどね。 >>144
大井夫人はいいよなあ。
美しく歳を重ねるということも出来るのだなと。 出来は良かったかもしれんが風林火山とは対照的なつくりだからな。
大河と言うか朝ドラ的なつくり。 >>132
認知的不協和に陥ったか、自己合理化による発言じゃね
と言ってしまうと夢がないか 篤姫の是非は篤姫スレでやってくれ
というわけで>>159は撤回する >>139
ただ信濃の場合、南信(諏訪郡・伊那郡)と東信(佐久郡・小県郡)の住民の間に、
互いに同郷という意識がそもそもあったのか、疑問だけどね。
>>142
信玄死後まで生きていると言っても、長篠の戦いより前に信虎は没するわけで、
勝頼の治世はほとんど見ていないに等しいよ。 >>151
まああれだ。
この時代だと、甲斐武田氏に限らず、どこの家だって恒例行事のように定期的に、
お家騒動をやっているわけでw
足利将軍家にしても、駿河の今川氏にしても、それは同じ。
逆に後北条氏がお家騒動を起こさないのは、その地域に、
前時代からのしがらみのない新興勢力だったことが大きいだろう。
>>156
確かに「北条時宗」からおかしくなった大河だけど、「義経」「功名が辻」あたりは、
ある程度もとに戻そうとした雰囲気も感じるし、その延長で集大成となったのが「風林火山」。
しかしこの辺が視聴率的には振るわなかったから、
「篤姫」以降は完全にお花畑路線一本になってしまった感じだな。 >>152
時代劇マガジン(?)で清水・田中・東山演出鼎談で
清水せんせ「このテイストで作るのはもう最期だよね。」
という言葉が印象に残っている。 >>152
なんかすごく初っぱなから黒澤風を目指して凄かったよね。
原作は純文学とはいえメロドラマなのに。
原作好きの一部の女性からは不満の声があったが私は好きだった。
悪く言われている眉毛姫も演技は骨太で悪くなかったよ。 まあ何がすごいって殺陣や立ち回りが昔ながらの本格派で、それがよかった。
映画見てるみたい。 >>159 うちの母さんき松田翔太がでてきたところで『篤姫』にはまった かつては憎しみ合っていたはずの駿河に少人数ででかけていく信虎というひともなかなか器がデカイよね 暗殺されるとは思わなかったのか 武田信玄だと
晴信を追放して駿河に預けるつもりが
いや駿河に追放されるのはあんたのほうだよ〜
なんでじゃ〜これは謀叛じゃ〜
山本勘助も、えーと、どっちが正しいの?
みたいな感じだったと思うけど >>170
まあ愛娘が嫁いでいるし自分に何かあったら晴信が今川に攻め込むと思っているのだろうな。 >>172 かもしれん 歴史の事実として信虎は駿河に出向き そして帰り道をふさがれた もしかしたらこの陰謀を今川も知らなかったかもしれない
関所で弓を撃たれた信虎が慌てて駿府に帰ってきて「スマンしばらくここに泊めてくれ」ということになって 今川は「甲斐で謀反があった」と大騒ぎになり信虎の処方について会議が開かれたかもしれない 信繁の中の人何者か知らんが梅沢冨美男そっくり 親戚か へんな表示でんなー
まだかきこんでへんわー
消えろー
まー気にならん 戦国時代(種子島伝来前)の負傷者は
弓矢、石 75%
刀5%
という割合で、ドラマのような刀でのチャンバラは
基本ほとんど行われない >>170
今川氏輝は、小田原に少人数で出かけて、帰った直後にしんでいるな。
そのため氏輝と彦五郎の死に後北条が何か噛んでいるのではとの憶測はあるが、真相は不明。
ただ一般論として、同盟国の国主や重要人物を殺したりしたら、
その時点で同盟そのものが終わるだろう。
>>171
娘に会いに信虎のほうから駿河に出向いていった「風林火山」のほうが、通説に近いと思う。 >>177
同感。
清盛も映画風の本格派の演出入れ込みぶりで玉三郎が誉めていた。
通好みすぎて一般が付いていけなかったのかも。
私は源平のややこしい部分やドロドロの王朝絵巻が好きだったが。 >>149-150
初代の信義も頼朝に取り潰されかけてたね >>179
平成生まれの俳優が束帯衣装を着ることは将来に渡って機会少しと思う訳でして・・・。 >>177
私もなかなかおもしろいと思った
脚本やスタッフの頑張りはすごく伝わってきたけど頑張りすぎて空回りしちゃった感がある
崇徳上皇とか頼長とか禿(かむろ)とか
昔の大河ドラマならば普通だったんだろうけど昨今のライトな大河が好みの人には受け入れられないんだろうね 学生の頃平安時代の辺り不勉強でよくわからなかったが、平清盛を見るにあたっていろいろ勉強出来ておもろかったわ 見る人の心のそこにすむ月や
ちりもくもらぬ老いし身の程
世をうつし思い捨てぬる心もて
晴れし心に戻る甲斐なし
直訳するとどういう意味? >>185
なんか老いたる信虎の心にぴったりの歌だなと言うのは漠然と感じるね。 そう言えば仲代達矢、最近認知症の役をやっていたね。
予告編で見たがあれは映画なんだろうか。 >>177
画面が埃っぽくて見にくかったのは個人的にマイナス
羅生門を思わせる荒廃した京の描写自体は良かったけどね 仁義ファミリーがどんどん亡くなっていくね
松方弘樹、渡瀬恒彦、梅宮辰夫に続いて
千葉ちゃんもそろそろか… >>177
> 平清盛の評価が悪いのがよく理解できない
平清盛は、なかなか良かったよ
「平家にあらずんば人にあらず」=「安倍びいきにあらずんば人にあらず」
平清盛=安倍晋三
現在の安倍政権と非常に共通点と通じるものがある
1人の人間のせいで悪評になったね。
大河ドラマ「平清盛」神戸のイメージダウン!兵庫県知事クレーム
https://www.j-cast.com/tv/2012/01/11118505.html
「画面汚い。時代考証学ぶために観る訳じゃない」 「平清盛」、兵庫県知事の意見は正しいのか
https://www.j-cast.com/2012/01/12118688.html?p=all
「平清盛」兵庫県知事クレーム 皮肉たっぷりに受け流したNHK
https://www.j-cast.com/tv/2012/01/19119333.html >>164
スレチになるけど「北条時宗」って評判悪かったのか? スレちだとわかってるならそろそろ辞めようよ
スレ違いで居座るのは図々しすぎるだろ >>195
海音寺潮五郎とかも皇族って意味合いで王氏って言葉を使ってるし、特に違和感なかったがなあ 昔は肉食系の大河から今は草食系の大河だからな(>_<) 清盛は今も評価高いでしょう。
見ないで視聴率だけで失敗作だと思い込んでいる手合いは論外。
この板や他のスレなどに表れてくる話題を見ても、コアなマニアがいつまでも
愛しているっていう点では、近年どころかここ二十年くらいの大河でも、
・三谷大河(組!と丸)
・風林火山
・清盛
が特突出した存在だと思いますし。
ただ、大河を丁寧に批評しているあるサイトの方が総括した言葉の中で、
細部や脇役のドラマがどれだけ視聴者の心を動かしても、「主人公」の
人間と生き方を魅力的と感じさせられなかったら、作品としてはやはり
失敗、50点以上の点はあげられない、というのに納得させられました。
作者の藤本さんはもともと他の時代の主人公を描きたかったそうですし、
役者はやはり「ちりとてちん」の青木崇高を主人公に、貫地谷やらを
イメージしていたそうで、いろいろ忸怩たるものはあったのでしょうね。
しかしそこで「求道者のように」平安期の歴史を学んで反映させ、人間の
生を縦糸横糸に編んだ脚本はやはり大したものだったと思います。
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