【2018年大河ドラマ】 西郷どん part71
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◆前スレ
【2018年大河ドラマ】 西郷どん part70
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1531044368/ >>41
操練所は全国から人を集めていた
庄内藩や仙台藩出身の塾生も
あと陸奥宗光の父は徳川御三家の紀州藩で勘定奉行を勤めていたが藩主らに濡れ衣を着せられ失職。陸奥はこれをきっかけに紀州を見限り脱藩。勝海舟のもとを訪ね塾生になった。
端っからなにがなんでも幕府が正しいわけではない >>43
どのみち藩システムのままでは税金かかりすぎるからね
遅かれ早かれ武家の解体はやらざるを得なかった >>43
国内に数百の藩が分立している状況を維持したまま?
無理だよ >>42
八角の大相撲協会は親方が白と言えば黒も白になるというからな
まさに幕府と同じ封建主義
日大アメフト部で無防備な選手に殺人タックルさせる監督の指示も封建主義的に見れば「正しい!なぁんもわるぐねえ」ってことになる >>39
五代才助とかは薩摩藩のために全権委任されて汽船を購入するし
高杉晋作は藩のためにと頼まれてもないのに汽船を買っちゃう。
こういう決断の速さやエネルギーが保身に汲々とする
幕府官僚たちには足りなかったのかなと思うんだけど
これも後付の理屈と言われるとそうかもしれない。 板垣は薩摩軍と共に会津攻めに参加した際に地元民のほとんどが新政府軍に協力してくれて会津藩の圧政に長年苦しめられてきた実態を知ったからな
これをきっかけに板垣は自由民権運動を始め日本にデモや世論の力を広めた
封建主義では民意は弾圧されるだけなんよね 藩主がイニシアチブとらず、商人の本間様の政策に
乗った藩が佐幕派最強で、強大な意思の固まりの会津が脆かったのは皮肉なこと。 >>51
戦争においては意思だの精神力だのよりも
装備の質や兵士の練度の方が大事だし >>34
ここまでアホだとは思いませんでした。
アンチの中には確かに納得できる批判もあります。
でも、あなたの書き込みは荒らしも裸足で逃げ出す程の愚の骨頂。スレ違いの中でも究極にして最大のスレ違いです。
龍馬伝がそんなに好きなら、龍馬伝のスレに行けばよろしい。 >>45
武家の解体は徳川存続のままで案外スムーズにできたかもしれないと思うのは極端かな?
最新式の武器がどんどん入って来て西洋の技術や価値観を吸収せざるを得ない状況に
なっていく中どんどん武士階級の存在の意義が失われていったはずで
遅かれ早かれ階級社会の見直しがあったんじゃないか
特に公儀政体論派が頓挫していなかったら >>52
うむ。ミニエー銃はゲベール銃の10倍以上の戦闘力というからな
これを何十万丁と使いこなす新政府軍には文字通り太刀打ちできん ドラマの話をふってくれれば乗っかるつもりはあるんだけど
それすらせずに、ちょっと話が脇にそれただけですぐにスレチだって
騒ぐ人なんなの。許容範囲が狭すぎるんでないかい。 >>15
安達幸之助
安達二十三中将の祖父で大村益次郎の身代わりになって亡くなった人 100%の真実・真実をただただ描けばいいだけなのに
志位総統閣下が日本国の大統領になったあかつにきには、共産党の素晴らしさと真の西郷を描く様にNKKを改革願う >>54
普通に考えたら無理だろ
既得権益がどんだけあったんだって考えるとな
大政奉還後にも長州と殺し合った怨念の梯子外された会津を先頭に
御三家、親藩、譜代、準譜代(津、大垣)がこぞって
大政を再委任せよって朝廷に猛烈に迫った事が戊辰戦争の一因にもなってるからな
徳川三代で鉄の防壁として確立した俗にいう旗本八万騎と要所を守る中堅譜代大名が
そのまま官僚、閣僚として中央政治システムそのものになってたんだからな
長州戦で一斉隠居する体たらくとか言っても、それだけの二本差し相手に
内から解体的改革なんてやろうとしたらどういう事になるか
実際、慶喜もを実父斉昭を死ぬ程嫌った大奥には手を付けようもなかったからな >>60
無理に断行したら慶喜率いる新政府軍が江戸の幕府を攻めるという訳の分からない事態になりそうだww 新ポスターで久光の下で刀振りかざしてるのが半次郎? 前提として、戦国を基準にして言えば、
八万騎の直轄軍を抱える徳川宗家と要所を抑える中堅、中の上の親藩譜代が
外様に対して君臣一体と言う前提だったのが家康以来構築して来たシステムで、
四代家綱の時代には御三家も御政道からは敬して遠ざけ
譜代の疑似内閣の下の旗本官僚としてほぼ完成形になった
だけど、なまじ安定政権が百年単位で続いたから、金融デフォルトのリスクが大きくなり過ぎた
武士の不安定時代なら商業、金融資本もそれに合わせて流動的な前提でリスクヘッジする
だけど、安定し過ぎた結果、譜代旗本の既得権益が半ば未来永劫続く前提で莫大な金融投入が行われていたから
徳川将軍家と言えども大名旗本を容易に動かす事が出来なくなった
譜代勢力が領地共々永劫に続く前提で担保を受けて貸し込んでるのが本間家を初めとした金融資本で、
江戸後期にはどこも財政赤字で金融資本に半ば銀行支配された譜代旗本が幕府機構そのものを担っていた訳だから
明治になって、外様大名含め朝廷の強権発動で「武士の世」を終わらせた為に
武士の権益を担保に貸し込んでいた金融資本が阿鼻叫喚と化したのが朝ドラの「あさが来た」のお話 >>61
実際、小松帯刀や後藤象二郎は
大政奉還直後の新政府構想の
今で言う副首相格で慶喜を遇すると言う事を
かなりマジで発案してたからな
後藤象二郎は大政奉還後に薩摩土佐の連合で上京した際に松平春嶽にその案を提示したけど、
この時強硬に反対したのが薩摩の大久保、それでは看板を付け替えただけだと
本来であれば小松帯刀が上京して顔の広い外交家の小松が在京薩摩を含む各方面を収拾する予定だったけど、
持病の足痛の悪化で土佐から京都に上る事を断念、代理を強硬派の大久保に任せざるを得ず
(薩摩国内の主流派、むしろ出兵、京都介入自体を嫌う保守派)
軍勢を率いて上京した薩摩の京都担当(大久保)がこうである以上、後藤もこの場では折れざるを得なかった そもそも「士族の反乱」って
既得権益を剥奪されたサムライの戦いのように教えられてるが実際は違う
萩の乱も西南戦争も
勝ち組になれるはずだったのになれなかった、という
単なる討幕側の内ゲバなのである
大名は赤字だらけだったが
サムライはもっと悲惨な経済状況の者が多かった
武士階級廃止はむしろ解放だったはずである 薩摩には西郷大久保
土佐には乾という過激派の存在
長州は藩もろとも過激派ww
小松や後藤がこういうキチガイどもを最後まで抑え込むのは無理だったと考えられる >>57
ちょっと?
龍馬伝の台詞を丸写しし、西郷どんの本スレに書き込むことのどこがちょっとなの?
これが許されたら、他の幕末大河の台詞を書いてもOKになってしまって、本スレがその機能を失ってしまう。 >>66
何の話?
義経が建礼門院を犯した作品があるの? >>71
そもそも武士失業といったところで
もともと役目なんかついてねーだろニートだろってのが結構いたりしたわけで
反乱の最も大きな理由は
勝ち組に入れろ!という内ゲバに他ならない
会津藩士も思案橋事件という反乱計画発覚があったが
これも武士失業の怒りよりも
おのれ薩長!がメインである 私心があっては志とは言わんからねえ
ゆえに志士は維新志士。維新側の一握りを示す >>73
文学作品ならいくらでもあるし、映画会社が映像化しとるだろ。 >>19
あったよ
西郷は竹をコテにしてパーマをかけてた
大久保は天然パーマ >>40
むしろ慶喜が目指した大統領制が一番新しかったと思うけどね
議院内閣制が日本に相応しかったかどうかは分からんが、何しろ普通選挙が実施されたのが戦後になってからだしな
日本の近代化は政治面においては失敗だったと言わざるを得ない
まあ明治の人には罪はないけどね 西郷どんが政権握ってる内は反乱は起きなかった
大久保政権になってから反乱が続発した >>84
当時の元勲たちはみんなオシャレだよ
大久保も毎朝一時間ぐらいポマードで髪をセットしていたというし、ミルクセーキにブランデーを垂らしてたものを飲んでたという
西郷にしろ大久保にしろ、私利私欲は全くなかったと言われてるけど、食べ物とかオシャレには相当こだわりがあったんだよな >>85
確かに西郷留守政府のときいろんな改革したけどね
どうしてだろ
徴兵とか地租改正とか反発おおそう
西郷政府の主な改革
学制・徴兵令・地租改正・太陽暦の採用・司法制度の整備・キリスト教弾圧の中止 >>69
>>70
前提として、西郷大久保の薩摩藩内での支持率は決して高くない
実質トップである久光・小松ラインと一定の利害一致があって庇護下にあって利用されてたから
相応に扱われてはいたけど、戊辰戦争前の段階で彼らが薩摩の大勢だったと言う事はない
斉彬の時代から、分家門閥を中心に中央政治介入自体に消極的な保守派が最大派閥で、
茂久の代になって藩内掌握と中央進出を目論だ国父三郎が保守派への対抗上、
門閥家でも顔が広い小松を通じて京都や二才に顔が利く新興勢力の精忠組を取り込んだ面もある
幕末末期の局面でも、西郷が長州との交渉で選択肢としての薩摩の出兵を口に出した事が国許に漏れて
久光に無断の越権だと保守派が西郷に刺客を送ると言う話になったり
予算負担の限界もあって京都への出兵自体の反対論がむしろ薩摩藩内の大勢。
久光、小松は、内戦は望まないが政略上威嚇出兵やむなしの方針だったけど、
肝心の久光、小松が京都どころか脚気、足痛で揃って薩摩国内でダウンした状態で
京都では出兵後を西郷、大久保に預けられる事になって、
小松の外交力を欠いて越前、土佐を巻き込んだ慶喜の朝廷政略に追いまくられて
これで何がなんでも成功しないと西郷らはまず藩内から物理的に首とられる状況だった
結論を言えば久光、小松が十全に動ける状況では西郷、大久保は手足に留まらざるを得ない
薩摩藩内でも現実的な支配層だった保守派の圧力から庇護されている立場である上に、
そんな状態で久光を本気で怒らせたら一たまりも無いのは寺田屋と沖永良部島で骨身に染みてるから
西郷も沖永良部島から明治政府出仕迄は久光に明確に服従して
戊辰の論功組と薩摩の旧門閥の関係が悪化して久光の逆鱗に触れた事で西郷は精神的に相当参ってるぐらい >>86
おしゃれをした西郷どんの肖像画や写真が残っていたらイメージが違っていたかもな 麻原彰晃こと松本智津夫も九州出身なんだな
西郷隆盛も似たようなやつだなカルト臭いし >>87
反乱起こした連中って元々反大久保だからね
大久保の改革に対する反発もあるだろうが
その前から反大久保で >>88
めちゃくちゃ微妙な力関係で藩内が成り立っているのな
あと小松が成立に尽力した大政奉還に西郷大久保は反対してたわけじゃないの?
この辺がよくわからない
藩としては土佐と共に大政奉還推してたというのは言われている 大久保、西郷は武力倒幕と慶喜抹殺にこだわったが周りに穏健な意見が増えてしまい自分らの立場も危うくなりかけたので武力による残党狩りに専念するようになった
という説を昨日聞いた >>93
一言で言ってしまえば
慶喜が大政奉還を呑むと言うのが大方の想定外
だから大政奉還を要求した時点で常識で考えたら宣戦布告みたいなモンだから
坂本龍馬辺りもこっから戦さだヒャッハーだったり
小松帯刀にしてもここから出兵して武力で迫らなければならない、
と言う見込みだったのが慶喜が本当に飲んでしまったために
幕府と言う政治機構を終わらせる「倒幕派」だった小松は
大政奉還を前提とした政治決着を検討したまま病に倒れ
幕府を討つ「討幕」の為の勅命をなんとかナニしていた西郷、大久保らは空回り
京都で政治的威嚇の為の兵力を小松から預けられても直接「討幕」する口実を失った為に
越前、土佐を使って政治参加を図る慶喜に大久保は朝廷政治でも終始劣勢が実際だったり >>93
西郷も大久保も大政奉還に反対してないよ
大政奉還も幕府を弱める政策に変わりないから
ただ四候会議の失敗で言論では幕府は言うことを聞かないと思ってたので武力倒幕の準備もしてた
小松は大政奉還に関わると同時に討幕の密勅にも関わってたし両面進めてた >>95
小松帯刀の研究においては歴史家の桐野氏が有名だがこれを読むと小松が大政奉還成立して困ったとは読めないのだが?どんなもんだろ?
桐野作人@kirinosakujin
承前)今回、大政奉還は土佐藩の建白がきっかけだけど、朝廷に勅許されるかは微妙な状況だった。それを薩摩藩の小松帯刀が将軍慶喜と密約し、勅許を獲得する。
慶喜と小松の密約はあまり指摘されない。薩摩藩が大政奉還に反対したなんてありえません。薩摩藩は大政奉還をテコに王政復古体制へ向かう。
2018-02-22 08:19:05
桐野作人@kirinosakujin
承前)小松帯刀が主導する大政奉還から王政復古の道筋は、幕権維持を図りたい会桑勢力にとって許しがたい事態。そのため、
会桑勢力は小松・西郷・大久保へのテロリズムや薩摩藩邸集積、さらに土佐・芸州の要人襲撃も画策。会桑勢力のクーデタ計画はまず知られていない。近江屋事件もその構図のうち。
2018-02-22 08:27:09 大政奉還何て幕府強権派以外は誰も困らないよ
薩長→武力を使わずに幕府を潰せる
慶喜→幕府という重荷を捨て新たに政権中枢に入れる 小松は鳥羽伏見の戦いに勝ってよかったーと喜んでるし
大政奉還を評価してた伊地知は鳥羽伏見で旧幕府軍破ってるし
大政奉還で武力倒幕自体はもうリセットされててその後の戊辰戦争は別な要因から起きてる >>99
西郷大久保としては慶喜を政権中枢から排除したかったんじゃね? これまでよく見る説ってのは薩摩藩は大政奉還が成立して武力倒幕が遠退いてしまい困ったあげく
龍馬殺しただとか江戸にテロ攻撃して無理くり鳥羽伏見に持ち込んだとかいう話になるわけだw 大政奉還辺りの論議は未だにはっきり結論が出てなくて研究が必要ぽい >>102
実際の坂本は武力倒幕も割とありだと思ってたらしいぞ >>106
それはわりと有名な話じゃないの?
龍馬が平和主義者とかファンタジーだし
そもそも武器の仲介してるしw >>98
予想外と言うのは予想外に上手く行き過ぎたと言う意味で
小松としては別に困ってはいない
小松は、政治機構としての幕府を倒す「倒幕派」だったから
徳川を討伐して幕府を終わらせる「討幕」は選択肢の一つ
普通に考えて徳川将軍家が簡単に自主的に手放すとは思わないから
「討幕」も止む無しのスタンスで出兵上京に向けて動いていた所、
その予想外の満額回答が徳川家から帰って来た状態
ここからが在京の薩摩勢力はもちろん慶喜周辺から越前、西国諸藩や近衛家と
顔が広く信の厚い外交家小松帯刀の腕の見せ所だったけど、
それが出来なくなった事で「棍棒を掲げて交渉」出来る能力が薩摩としては大幅に欠如
徳川家は慶喜派、会津派、越前派の実質三派で
慶喜が越前に外交を任せ会津の暴走を懸念していて越前は土佐と結んで、と言う状態だったから
「棍棒」だけだと慶喜と会津が結合したら到底かなわない兵力差になって勝ち目はない >>108
会津の兵力ってそこまで怖かったのかね? >>108
短くいうと小松が政治力を用いて倒幕を目指していたがそれが出来なくなって、武力を用いた倒幕へと西郷大久保が主導していったという感じ? >>104
大政奉還後の京都政局では、松平容保についた直属で京都に駐屯していた公用方が
越前らから見て狂奔に等しい体を見せながら「大政再委任」の為の朝廷、大名工作に奔走してた
建前にして実情として、大政奉還、公議の結集と言っても実務能力なんて他にないんだから
大政、中央政治は再び朝廷から徳川宗家に委任すべき、
と、これが会津の主張で、会津にして見れば、天皇、将軍の下で長州との殺し合いの怨みの前面に立たされた上に
孝明帝は崩御し幕府は無くなり長州は朝廷に復権しとなったら死活問題になる
この会津の動きに、越前、尾張を除く御三家、親藩、譜代、準譜代(津、大垣)が続々同調して
家康が近畿圏内に配置した一大勢力になっていて
会津からは京都を武力で威圧するなら薩摩も長州も討つべしと朝廷への働きかけがあったぐらいだから
木戸や西郷は会津の動きを明確に敵対と見ていたし、
だから政治決着に動いていた慶喜もぶち壊しになると松平容保を直接叱責してる
坂本龍馬の暗殺に就いてはこの流れから見るのが恐らく昨今の主流で、
実行した京都見廻り組佐々木只三郎の縁者が
会津の公用方の中でも越前松平で恐慌レベルの談判が記録されてる強硬派
大政奉還自体を頑として認めない、薩摩から越前、徳川宗家周辺迄工作して回ってる
目ざわりの者を斬り捨てた、と見るのが一番符合する でも幕府軍って鳥羽伏見は揃って薩長相手にボロ負けしたよな >>88
>久光、小松が十全に動ける状況では西郷、大久保は手足に留まらざるを得ない
ただ実際は小松は病身で久光は国許に引きこもりっぱなしだからな
京や江戸においては西郷大久保のキチガイ派が幅を利かせていたのではないかと 会津に
ミニエー銃を大量購入できる金さえあれば……
いやそれ以前に蒸気船を調達出来ていれば…
そもそも藩をあげて異国との商いに取り組んでいれば……
領民を粗末にしていなければ…
容保を首ちょんぱしていれば… >でも幕府軍って鳥羽伏見は揃って薩長相手にボロ負けしたよな
新式兵器で確実に劣る会津が京都でいちばん張り切ってるようではな
会津桑名がかなりの障害物になってしまった感があるな 住民の協力が得られなかったから会津戦争は負け確定じゃろ。 長州攻めに及び腰だった緒藩も幕府の敗北からずっと寝返る機会を伺っていたんだろうな
戦闘力で長州を上回り英国にも勝ってしまう薩摩まで相手にするなんてマジ勘弁だわ 初老のルサンチマンが無視されててワロタw
はよ自演しろw 本格的な議論になると
下級藩士ガーのルサンチマンさんはついていけないという… 長州攻めでは芸州口の先鋒に彦根とか
鳥羽伏見では会津が最前線とか
ちゃんと勝てるやつに任せられない幕府側の不備 >>112
これ読むと会津がキチガイだな
慶喜にとっても余計なお世話で迷惑だったろうな >>117
うむ。民あっての藩。
民無くして戦など無計画な暴走に過ぎないし、武家の大義すら無い。ましてや将軍家の意向も無視では私心以外のなにものでもない
身を以て思い知る結果になったな。会津家老が自ら放火した城下町の火災は会津松平家と領民の決裂を象徴する光景となったわけだ >>112
誰が竜馬暗殺を命じたかについては司馬遼太郎は「竜馬がゆく」の
あとがきで勝海舟の日記をもとに当時の幕府の目付の榎本対馬守道章
の名をあげているな。 慶喜アンチなんだが、鳥羽伏見で勝手にせいと言った意味が少しわかった >>122
だったら最初から京都守護職とか押し付けるなよって話でもある
>>121
鳥羽では主力の幕府歩兵隊が薩摩に叩きのめされてるよ >鳥羽では主力の幕府歩兵隊が薩摩に叩きのめされてるよ
幕府陸軍は幕府陸軍で
最新装備と兵力で完全に相手をなめくさってたようだしな >>126
守護職をいやいややってるように見えない >>127
まともな行軍隊形すらとってなかったらしいからなあ >>128
「京都守護職など、家来筋の仕事でござってな。」 >>126
松平春嶽いわく都における守護の役目は武士同士の話し合いで荒事を未然に鎮火させることらしく、電話対応係のようなその場しのぎの仕事が出来ればいい
もともと安政の大獄〜桜田門外の変でたかった緊張や混乱を静かに緩和するために設けた役目であったし、まさか東北の僻地から出てきた若僧が意気揚々と金で雇った壬生の犬侍達に人斬り指示して天皇に欲情するなどとは夢にも思わなかった
形勢不利になるやいなや「守護は押し付けられた」等と態度を一変させたことは言うまでもない >>126
容保は真面目すぎたな
西郷も似たようなもんだが
賢い大久保さんは最後まで生き残ったが… 小栗旬は番宣出演だけで、八重の桜の龍馬みたく背中だけしか映さないとか斬新なことやってくれないかな。 真面目か知らないが負けたくなかったんだろ
大政奉還に大反対だし >>129
集団で固まって団子になって蜂の巣
ただのでかい的でしたな >>134
既得権でタダ飯食えなくなっちゃうからね
日本や異国どころか地元のことも考えていない。志の欠片も無い佐幕の典型だったよ >>112
一会桑政権って慶喜が長州攻めやめたときに事実上崩壊してたんだな
で、次は越前土佐の勧めで大政奉還受け入れか
それでも引き続き外交官の前で日本代表として振る舞ったりしてるわけで
朝廷には実務派できないという再委任派の主張に合致した行動を
とってるようにも見える
これでは周囲がついていけないわな 容保が京都守護職を受けたのは孝明天皇に対する義理だろう
西郷頼母は絶対に引き受けてはいかん、大変なことになると釘を刺したが・・・
天皇は容保が大のお気に入りで、密書を送ったらしいが、それを見せたら官軍だってそう簡単には攻撃できなかったはずだよ
最悪の事態だけは避けられたんだが >>131
そもそも朝廷から実質的な初代京都守護職を嘱望されてた島津三郎が
京都の不穏の動きを文字通り鎮圧したはいいけど
生麦事件や姉小路やらで身動きとれなくなって、
若干時間が前後するけどその後釜に入ったのが会津松平なんだが
松平容保も近藤勇も本来は素朴な尊王攘夷思想で
松平容保自身、当初は穏当に理解を示そうとしていたのが
あからさまな挑発行為を見過ごせなくなったと言うのも実際の所だし
池田屋の後も尾張義勝や国許からの忠告もあって
長州征討や京都駐屯から引き気味になっていたのを手放さなかったのが一橋慶喜で >>112
容保は長州無理!だったけど、慶喜と長州は過去の対立を清算してノーサイドにできるのか? >>140
余裕。目的の為なら仇とも手を組める
それが維新志士
憎しみを行動原理になどしない 上から目線の役人体質で穏当に事に当たるなどは無理
幕府は不平等条約の件もずっと詳細を説明しなかった。外様雄藩と民衆にはバレていたのに ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています