【2018年大河ドラマ】 西郷どん part71
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◆前スレ
【2018年大河ドラマ】 西郷どん part70
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1531044368/ >>73
文学作品ならいくらでもあるし、映画会社が映像化しとるだろ。 >>19
あったよ
西郷は竹をコテにしてパーマをかけてた
大久保は天然パーマ >>40
むしろ慶喜が目指した大統領制が一番新しかったと思うけどね
議院内閣制が日本に相応しかったかどうかは分からんが、何しろ普通選挙が実施されたのが戦後になってからだしな
日本の近代化は政治面においては失敗だったと言わざるを得ない
まあ明治の人には罪はないけどね 西郷どんが政権握ってる内は反乱は起きなかった
大久保政権になってから反乱が続発した >>84
当時の元勲たちはみんなオシャレだよ
大久保も毎朝一時間ぐらいポマードで髪をセットしていたというし、ミルクセーキにブランデーを垂らしてたものを飲んでたという
西郷にしろ大久保にしろ、私利私欲は全くなかったと言われてるけど、食べ物とかオシャレには相当こだわりがあったんだよな >>85
確かに西郷留守政府のときいろんな改革したけどね
どうしてだろ
徴兵とか地租改正とか反発おおそう
西郷政府の主な改革
学制・徴兵令・地租改正・太陽暦の採用・司法制度の整備・キリスト教弾圧の中止 >>69
>>70
前提として、西郷大久保の薩摩藩内での支持率は決して高くない
実質トップである久光・小松ラインと一定の利害一致があって庇護下にあって利用されてたから
相応に扱われてはいたけど、戊辰戦争前の段階で彼らが薩摩の大勢だったと言う事はない
斉彬の時代から、分家門閥を中心に中央政治介入自体に消極的な保守派が最大派閥で、
茂久の代になって藩内掌握と中央進出を目論だ国父三郎が保守派への対抗上、
門閥家でも顔が広い小松を通じて京都や二才に顔が利く新興勢力の精忠組を取り込んだ面もある
幕末末期の局面でも、西郷が長州との交渉で選択肢としての薩摩の出兵を口に出した事が国許に漏れて
久光に無断の越権だと保守派が西郷に刺客を送ると言う話になったり
予算負担の限界もあって京都への出兵自体の反対論がむしろ薩摩藩内の大勢。
久光、小松は、内戦は望まないが政略上威嚇出兵やむなしの方針だったけど、
肝心の久光、小松が京都どころか脚気、足痛で揃って薩摩国内でダウンした状態で
京都では出兵後を西郷、大久保に預けられる事になって、
小松の外交力を欠いて越前、土佐を巻き込んだ慶喜の朝廷政略に追いまくられて
これで何がなんでも成功しないと西郷らはまず藩内から物理的に首とられる状況だった
結論を言えば久光、小松が十全に動ける状況では西郷、大久保は手足に留まらざるを得ない
薩摩藩内でも現実的な支配層だった保守派の圧力から庇護されている立場である上に、
そんな状態で久光を本気で怒らせたら一たまりも無いのは寺田屋と沖永良部島で骨身に染みてるから
西郷も沖永良部島から明治政府出仕迄は久光に明確に服従して
戊辰の論功組と薩摩の旧門閥の関係が悪化して久光の逆鱗に触れた事で西郷は精神的に相当参ってるぐらい >>86
おしゃれをした西郷どんの肖像画や写真が残っていたらイメージが違っていたかもな 麻原彰晃こと松本智津夫も九州出身なんだな
西郷隆盛も似たようなやつだなカルト臭いし >>87
反乱起こした連中って元々反大久保だからね
大久保の改革に対する反発もあるだろうが
その前から反大久保で >>88
めちゃくちゃ微妙な力関係で藩内が成り立っているのな
あと小松が成立に尽力した大政奉還に西郷大久保は反対してたわけじゃないの?
この辺がよくわからない
藩としては土佐と共に大政奉還推してたというのは言われている 大久保、西郷は武力倒幕と慶喜抹殺にこだわったが周りに穏健な意見が増えてしまい自分らの立場も危うくなりかけたので武力による残党狩りに専念するようになった
という説を昨日聞いた >>93
一言で言ってしまえば
慶喜が大政奉還を呑むと言うのが大方の想定外
だから大政奉還を要求した時点で常識で考えたら宣戦布告みたいなモンだから
坂本龍馬辺りもこっから戦さだヒャッハーだったり
小松帯刀にしてもここから出兵して武力で迫らなければならない、
と言う見込みだったのが慶喜が本当に飲んでしまったために
幕府と言う政治機構を終わらせる「倒幕派」だった小松は
大政奉還を前提とした政治決着を検討したまま病に倒れ
幕府を討つ「討幕」の為の勅命をなんとかナニしていた西郷、大久保らは空回り
京都で政治的威嚇の為の兵力を小松から預けられても直接「討幕」する口実を失った為に
越前、土佐を使って政治参加を図る慶喜に大久保は朝廷政治でも終始劣勢が実際だったり >>93
西郷も大久保も大政奉還に反対してないよ
大政奉還も幕府を弱める政策に変わりないから
ただ四候会議の失敗で言論では幕府は言うことを聞かないと思ってたので武力倒幕の準備もしてた
小松は大政奉還に関わると同時に討幕の密勅にも関わってたし両面進めてた >>95
小松帯刀の研究においては歴史家の桐野氏が有名だがこれを読むと小松が大政奉還成立して困ったとは読めないのだが?どんなもんだろ?
桐野作人@kirinosakujin
承前)今回、大政奉還は土佐藩の建白がきっかけだけど、朝廷に勅許されるかは微妙な状況だった。それを薩摩藩の小松帯刀が将軍慶喜と密約し、勅許を獲得する。
慶喜と小松の密約はあまり指摘されない。薩摩藩が大政奉還に反対したなんてありえません。薩摩藩は大政奉還をテコに王政復古体制へ向かう。
2018-02-22 08:19:05
桐野作人@kirinosakujin
承前)小松帯刀が主導する大政奉還から王政復古の道筋は、幕権維持を図りたい会桑勢力にとって許しがたい事態。そのため、
会桑勢力は小松・西郷・大久保へのテロリズムや薩摩藩邸集積、さらに土佐・芸州の要人襲撃も画策。会桑勢力のクーデタ計画はまず知られていない。近江屋事件もその構図のうち。
2018-02-22 08:27:09 大政奉還何て幕府強権派以外は誰も困らないよ
薩長→武力を使わずに幕府を潰せる
慶喜→幕府という重荷を捨て新たに政権中枢に入れる 小松は鳥羽伏見の戦いに勝ってよかったーと喜んでるし
大政奉還を評価してた伊地知は鳥羽伏見で旧幕府軍破ってるし
大政奉還で武力倒幕自体はもうリセットされててその後の戊辰戦争は別な要因から起きてる >>99
西郷大久保としては慶喜を政権中枢から排除したかったんじゃね? これまでよく見る説ってのは薩摩藩は大政奉還が成立して武力倒幕が遠退いてしまい困ったあげく
龍馬殺しただとか江戸にテロ攻撃して無理くり鳥羽伏見に持ち込んだとかいう話になるわけだw 大政奉還辺りの論議は未だにはっきり結論が出てなくて研究が必要ぽい >>102
実際の坂本は武力倒幕も割とありだと思ってたらしいぞ >>106
それはわりと有名な話じゃないの?
龍馬が平和主義者とかファンタジーだし
そもそも武器の仲介してるしw >>98
予想外と言うのは予想外に上手く行き過ぎたと言う意味で
小松としては別に困ってはいない
小松は、政治機構としての幕府を倒す「倒幕派」だったから
徳川を討伐して幕府を終わらせる「討幕」は選択肢の一つ
普通に考えて徳川将軍家が簡単に自主的に手放すとは思わないから
「討幕」も止む無しのスタンスで出兵上京に向けて動いていた所、
その予想外の満額回答が徳川家から帰って来た状態
ここからが在京の薩摩勢力はもちろん慶喜周辺から越前、西国諸藩や近衛家と
顔が広く信の厚い外交家小松帯刀の腕の見せ所だったけど、
それが出来なくなった事で「棍棒を掲げて交渉」出来る能力が薩摩としては大幅に欠如
徳川家は慶喜派、会津派、越前派の実質三派で
慶喜が越前に外交を任せ会津の暴走を懸念していて越前は土佐と結んで、と言う状態だったから
「棍棒」だけだと慶喜と会津が結合したら到底かなわない兵力差になって勝ち目はない >>108
会津の兵力ってそこまで怖かったのかね? >>108
短くいうと小松が政治力を用いて倒幕を目指していたがそれが出来なくなって、武力を用いた倒幕へと西郷大久保が主導していったという感じ? >>104
大政奉還後の京都政局では、松平容保についた直属で京都に駐屯していた公用方が
越前らから見て狂奔に等しい体を見せながら「大政再委任」の為の朝廷、大名工作に奔走してた
建前にして実情として、大政奉還、公議の結集と言っても実務能力なんて他にないんだから
大政、中央政治は再び朝廷から徳川宗家に委任すべき、
と、これが会津の主張で、会津にして見れば、天皇、将軍の下で長州との殺し合いの怨みの前面に立たされた上に
孝明帝は崩御し幕府は無くなり長州は朝廷に復権しとなったら死活問題になる
この会津の動きに、越前、尾張を除く御三家、親藩、譜代、準譜代(津、大垣)が続々同調して
家康が近畿圏内に配置した一大勢力になっていて
会津からは京都を武力で威圧するなら薩摩も長州も討つべしと朝廷への働きかけがあったぐらいだから
木戸や西郷は会津の動きを明確に敵対と見ていたし、
だから政治決着に動いていた慶喜もぶち壊しになると松平容保を直接叱責してる
坂本龍馬の暗殺に就いてはこの流れから見るのが恐らく昨今の主流で、
実行した京都見廻り組佐々木只三郎の縁者が
会津の公用方の中でも越前松平で恐慌レベルの談判が記録されてる強硬派
大政奉還自体を頑として認めない、薩摩から越前、徳川宗家周辺迄工作して回ってる
目ざわりの者を斬り捨てた、と見るのが一番符合する でも幕府軍って鳥羽伏見は揃って薩長相手にボロ負けしたよな >>88
>久光、小松が十全に動ける状況では西郷、大久保は手足に留まらざるを得ない
ただ実際は小松は病身で久光は国許に引きこもりっぱなしだからな
京や江戸においては西郷大久保のキチガイ派が幅を利かせていたのではないかと 会津に
ミニエー銃を大量購入できる金さえあれば……
いやそれ以前に蒸気船を調達出来ていれば…
そもそも藩をあげて異国との商いに取り組んでいれば……
領民を粗末にしていなければ…
容保を首ちょんぱしていれば… >でも幕府軍って鳥羽伏見は揃って薩長相手にボロ負けしたよな
新式兵器で確実に劣る会津が京都でいちばん張り切ってるようではな
会津桑名がかなりの障害物になってしまった感があるな 住民の協力が得られなかったから会津戦争は負け確定じゃろ。 長州攻めに及び腰だった緒藩も幕府の敗北からずっと寝返る機会を伺っていたんだろうな
戦闘力で長州を上回り英国にも勝ってしまう薩摩まで相手にするなんてマジ勘弁だわ 初老のルサンチマンが無視されててワロタw
はよ自演しろw 本格的な議論になると
下級藩士ガーのルサンチマンさんはついていけないという… 長州攻めでは芸州口の先鋒に彦根とか
鳥羽伏見では会津が最前線とか
ちゃんと勝てるやつに任せられない幕府側の不備 >>112
これ読むと会津がキチガイだな
慶喜にとっても余計なお世話で迷惑だったろうな >>117
うむ。民あっての藩。
民無くして戦など無計画な暴走に過ぎないし、武家の大義すら無い。ましてや将軍家の意向も無視では私心以外のなにものでもない
身を以て思い知る結果になったな。会津家老が自ら放火した城下町の火災は会津松平家と領民の決裂を象徴する光景となったわけだ >>112
誰が竜馬暗殺を命じたかについては司馬遼太郎は「竜馬がゆく」の
あとがきで勝海舟の日記をもとに当時の幕府の目付の榎本対馬守道章
の名をあげているな。 慶喜アンチなんだが、鳥羽伏見で勝手にせいと言った意味が少しわかった >>122
だったら最初から京都守護職とか押し付けるなよって話でもある
>>121
鳥羽では主力の幕府歩兵隊が薩摩に叩きのめされてるよ >鳥羽では主力の幕府歩兵隊が薩摩に叩きのめされてるよ
幕府陸軍は幕府陸軍で
最新装備と兵力で完全に相手をなめくさってたようだしな >>126
守護職をいやいややってるように見えない >>127
まともな行軍隊形すらとってなかったらしいからなあ >>128
「京都守護職など、家来筋の仕事でござってな。」 >>126
松平春嶽いわく都における守護の役目は武士同士の話し合いで荒事を未然に鎮火させることらしく、電話対応係のようなその場しのぎの仕事が出来ればいい
もともと安政の大獄〜桜田門外の変でたかった緊張や混乱を静かに緩和するために設けた役目であったし、まさか東北の僻地から出てきた若僧が意気揚々と金で雇った壬生の犬侍達に人斬り指示して天皇に欲情するなどとは夢にも思わなかった
形勢不利になるやいなや「守護は押し付けられた」等と態度を一変させたことは言うまでもない >>126
容保は真面目すぎたな
西郷も似たようなもんだが
賢い大久保さんは最後まで生き残ったが… 小栗旬は番宣出演だけで、八重の桜の龍馬みたく背中だけしか映さないとか斬新なことやってくれないかな。 真面目か知らないが負けたくなかったんだろ
大政奉還に大反対だし >>129
集団で固まって団子になって蜂の巣
ただのでかい的でしたな >>134
既得権でタダ飯食えなくなっちゃうからね
日本や異国どころか地元のことも考えていない。志の欠片も無い佐幕の典型だったよ >>112
一会桑政権って慶喜が長州攻めやめたときに事実上崩壊してたんだな
で、次は越前土佐の勧めで大政奉還受け入れか
それでも引き続き外交官の前で日本代表として振る舞ったりしてるわけで
朝廷には実務派できないという再委任派の主張に合致した行動を
とってるようにも見える
これでは周囲がついていけないわな 容保が京都守護職を受けたのは孝明天皇に対する義理だろう
西郷頼母は絶対に引き受けてはいかん、大変なことになると釘を刺したが・・・
天皇は容保が大のお気に入りで、密書を送ったらしいが、それを見せたら官軍だってそう簡単には攻撃できなかったはずだよ
最悪の事態だけは避けられたんだが >>131
そもそも朝廷から実質的な初代京都守護職を嘱望されてた島津三郎が
京都の不穏の動きを文字通り鎮圧したはいいけど
生麦事件や姉小路やらで身動きとれなくなって、
若干時間が前後するけどその後釜に入ったのが会津松平なんだが
松平容保も近藤勇も本来は素朴な尊王攘夷思想で
松平容保自身、当初は穏当に理解を示そうとしていたのが
あからさまな挑発行為を見過ごせなくなったと言うのも実際の所だし
池田屋の後も尾張義勝や国許からの忠告もあって
長州征討や京都駐屯から引き気味になっていたのを手放さなかったのが一橋慶喜で >>112
容保は長州無理!だったけど、慶喜と長州は過去の対立を清算してノーサイドにできるのか? >>140
余裕。目的の為なら仇とも手を組める
それが維新志士
憎しみを行動原理になどしない 上から目線の役人体質で穏当に事に当たるなどは無理
幕府は不平等条約の件もずっと詳細を説明しなかった。外様雄藩と民衆にはバレていたのに >>90
うわー、出たよ。
今、話題になってる人を強引に絡めて叩く奴。
林、中園コンビが日大だからアメフトの件で絡めて叩くだけじゃ飽きたらず、まさか歴史上の人物まで貶めようとするとは。 >>131
最初、話し合いで解決しようとしてたんじゃないっけ?あれは創作? アメフトで思ったけど、西南戦争での西郷一派は、どこぞのアメフト部のようなおもむきがない?
時代はどんどん変わっているのに、古い価値観から出られずに、自己改革できず、結局は身をほろぼしてしまう 日本の内乱頻発が西南戦争で止まったの考えると西郷一派が
反政府派の総本山みたいなもんだったんだろうな
ここが勝てなかったのならもう誰が蜂起しても無理という空気 西南戦争をやらかしてしまった西郷は、空気よめない時代錯誤感がどうしようもないし、同情もわかないが、、
それと知りながらも、西郷と運命をともにしようとした、村田新八をはじめとした弟子たちは、けなげだし、あわれだね >>144
相手にするほどのヤツじゃないだろ
荒らすレベルが低すぎる
>>146
ない
>>147
不平士族との大規模な心中という説もあるね
飛ぶが如くでも西郷は「これで日本からすべての戦がなくなる」と言ったが
本当に言ったかどうかはわからないが、司馬遼太郎は心中説だな 不平士族たちを無くすために意図的に心中したなどというのは、負け惜しみくさいというだけではなくて、
そんな中途半端な気持ちで、村田新八たち忠実な弟子たちの人生をうばったとしたら、とんでもないことだよ >>145
話し合いは基本的に手の内を見せ合わないと始まらない。よって創作
もとより容保自身も言っていたが「会津は他藩とは交わらぬ」 >>150
実力的にはどうなんだろうな
西南戦争って薩摩VS薩摩から始まってるんだよな
じつは拮抗してたりするんだろうか まぁ、もしも西郷が偉人と称されるにふさわしい人物なら、なんとしても戦争は起こすべきじゃないし、
新政府に頭下げても、それでもだめなら、割腹してでも、とめるべきだったね。
心中とかいって後出しジャンケンするくらいなら、弟子たちに血気にはやるなとひとこと残して、サクっと腹きればよかったんだよ >>150
すべての国内戦が完全になくなったのは事実
アレがなかったら、その後も地方の内乱が続いただろうな。そのうち日本が弱体化して外国勢力に…、という可能性は十分にあった
別の形で多くの人材が死んでしまったかもしれない
何が正しいかなんか分からないよ >>149
> 不平士族との大規模な心中という説もあるね
来たるべき清国、ロシアとの戦いを見据えて西郷と大久保が阿吽の呼吸で
行った大規模実戦的軍事演習・・・なんて説を浅田次郎が「一刀斎夢録」
のなかで斎藤一に語らせていて面白かった。
被害は甚大だったけど西南戦争で明治の陸軍が鍛えられたのは間違いない。 >>154
君の理屈だと、太平洋戦争を起こしたのは、日本を民主化するためだったことになる >>156
いや、それは完全な結果論
ヒトラーのおかげでイスラエルが建国されたというのと同じ理屈になってしまう >>151
ありがとうございます。
話し合いじゃなくて、一人一人の話に耳を傾けて穏やかに事態をおさめようとしてた好意を浪士達が無にしたので、強硬論に転じたというのも創作ですね。 >>158
創作だね。地蔵の首を切られたとか落書きされた程度で生身の人間を斬るというのも現実的にはいささかおとなげ無い >>159
ありがとうございます。
ドラマの話が少ないのはスペシャルのせいだと思うとなんだか複雑です。 アメフトと言うとあのコーチがゲイビデオG@MESの「筋肉チルドレン」に出演していたことだね。
薩摩も男色王国で脳筋オタで体育会系だから似ているかも。
林真理子の原作では月照と西郷のゲイセックスシーンが「平清盛」みたいにあったとか。
アメフトコーチが絡んでた相手のタチ専門の20代のゲイビデオ男優は、欧米・アジア・日本の
主婦・女子大学生・OLなど腐女子たちのアイドルで熱烈ファンが多いから、この事件は有名。
あの板垣退助も土佐で少年レイプ事件を起こしてる。
幕末から明治初期の若者の価値観や性風俗は森鴎外の自伝小説が詳しい。
鴎外も男色の犠牲者。 >>160
うちの近所にある神社の神主さんが言っていたのだが
道端や人の敷地に度々ゴミを捨てていく人がいると気を悪くして犯人を特定したり証拠を押さえて警察に突きだしてやろう等と思う人もいる。けれど、そういう時の対処は「事を荒立てず黙って綺麗に元通りにしておくこと」が最善だそうだ。
なぜなら自分が正しく、相手が間違っていると証明したところで相手や相手の関係者に遺恨を残す結果になっては元通りの状態とは言えず、
そうした遺恨をどこかで恐れて過ごすことにもなる。相手も自分が正しいと思って生きてきたのならなおのことで、また、何らかの感情や処理できない心の闇を外に漏らしていることも有りうる
大事なのは目先の不安をなりふり構わず排除することではなく相手が自ら正しい心に立ち返れると信じ、心穏やかに場を穏やかな状態にしておくこと
悪霊や怨霊の類のほとんどは怒りや不安や憎しみから生じ、人から人へと渡ろうとしていく。
病は気から。己がそのような気には陥らないだろうという慢心こそ病の始まりなのだと、まあそのようなことを言っていたよ 昔からなのかな?
朝ドラや大河は、手近なところでキャスティングしてる気がします。
だからか、新鮮さに欠けます。
今回ので言えば、有馬さぁ役の増田さん以外はお馴染みの面々ですね。 >>159
足利三代木像梟首事件を契機として言路洞開の宥和政策を見直して
新選組を使っての不逞浪士取り締まりを強化したのは史実だろ スレチ議論してるIDで連鎖あぼーんしたら
見事にほとんどのレスが消えてやんのw 自分が思うに、西郷隆盛が東京には残らずに鹿児島に帰る決断をしたために、中村半次郎を始めとする軍人たちの
大量帰郷を招き、最終的には西南の役にまで至ったのだと思う。 >>148
村田新八は他の弟子らと違いフランス滞在時に辞職しているらしいから、
西郷と大久保の対立が無ければ、家族をフランスに呼び寄せて一生フランスで
暮らしていたと想像できる。 鹿児島は貧しいけれど笑いがあった
フランスの貧しさは殺伐とした暗さで学ぶべきものはなかった
という風なことを言っていたのを何かで読んだ >>102
そういう説も出て当然な状況だっただろな
龍馬暗殺の5日間ぐらい前には若年寄格だった永井尚志と直接に会って新国家の構想案特に人事に
関して新体制の構図を練っていたという事も明らかになって来てるし龍馬が公儀政体論を推し進めていたとすると
徳川家滅亡を狙っていた薩長の過激派とか大政奉還に猛烈に反対した徳川家臣にとっては邪魔だったろうからね
財政力軍事力において影響力が大だったから薩長と幕府の対立を願って武力行使を実現したかった人間にとって
脅威だったに違いない
大政奉還辺りの論議は未だにはっきり結論が出てなく更なる研究が必要という考えには賛成
最近では佐々木只三郎の実兄である会津藩士の手代木直右衛門が綴った書簡に龍馬を暗殺したのは只三郎だと
明言したものが見つかってるからその会津藩説が有力と言う説もあるけど 龍馬さえ生きていてくれたら鳥羽伏見も戊辰も西南戦争も起きなくて西郷どんも死なずに済んだ
そしてひーさまか春嶽公が総理大臣になっていただろうな 西郷大久保の陰に隠れているけど小松帯刀って相当有能だったんだな
広い視野とバランス感覚が素晴らしいわ >>170
×徳川家滅亡を狙っていた薩長の過激←
西郷大久保以外はもちろん薩長で龍馬殺そうというやついたのかね?自分が知らないだけか
小松西郷大久保は大政奉還後すぐに会津のテロ攻撃から避難してるので論外
◯大政奉還に猛烈に反対した徳川家臣にとっては邪魔 >>173
磯田はそのへん詳しいから西郷どんではちゃんとやってくんないかな 同じ倒幕派ではあるが小松と西郷&大久保の間の相違がどれ程のものでどういう話をしてたのか気になる >>64
なるほど
これが本当なら小松は幕府は潰しても慶喜、徳川の影響は残そう
大久保は徳川の完全排除ということか
>後藤象二郎は大政奉還後に薩摩土佐の連合で上京した際に松平春嶽にその案を提示したけど、
この時強硬に反対したのが薩摩の大久保、それでは看板を付け替えただけだと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています