戦争する意思がなかったというのは、
後年になって編纂された徳川慶喜公伝や自身の公式見解で
「武装上洛じたいは黙認していた、戦争になると思っていなかった」
というのがおそらく正しい。

その後で慶喜がわしはあずかり知らんと言った時に、幕府陸軍の人間が反論して
「いや、お指図があったはずだ」と上表を見せたところ慶喜は大して怒らなかったという目撃談がある