>>916
江戸の幕閣旗本から見たら、まず大政奉還が無理やり議を尽くした形はとっても
「何時もの「水戸慶喜」の独断」で、しかも政権返上宣言されてるから、
まず慶喜自身の支持率が「一橋慶喜時代」から一貫して低いんだよ

将軍後見職時代から、徳川家の独立人事権を侵した朝廷と薩摩のゴリ押しだと思われてるし
一橋もそれを察してるから、「敬して遠ざける」事に腐心する幕閣に対して
京都で孝明帝を擁して言う事を聞かせてた部分があって、
だから小栗上野等は無知な朝廷の容喙を許して幕府の外交執行権を害する京都政権の一会桑を敵視してた

江戸城内でも藩邸焼き討ちへの慎重論はあったんだけど、
幕府陸軍を擁するタカ派から見たら将軍職を返上した慶喜にも文句があるけど、
朝敵の征伐対象だった長州と組んでそこまで追い込んだ薩摩には怨み骨髄
一線を越えたら武家の面子にかけて例え当主の宗家でも止められるかと言う事になるし
京都で大政奉還に反対する再委任派が主導していて、王政復古で文字通り追い出された会津桑名も
新選組見廻り組を含めて京洛を制していた軍勢を擁したまま江戸城のタカ派とその点の利害が一致する