町田 明広@machi82175302

「西郷どん」37回目を拝見!ボクシングの合間に 本日は江戸無血開城がメインでした。西郷と篤姫、慶喜、そして勝海舟との会談がこれまでの伏線回収も相まって、見ごたえがありました。
なお、西郷は慶喜には生前、実際は会っていませんが、両者の対比が本編の軸となっていました。 #西郷どん


まずは欧米列強側から、この政局をみたい。
列強の態度がはっきりしない中、慶応4年1月3日、鳥羽・伏見の戦いが勃発し、戊辰戦争の幕が切って落とされた。
旧幕府軍は敗走したため、江戸での立て直しを図った慶喜は、6日夜に閣老らと密かに大坂城を抜け出し、軍艦開陽丸で江戸に撤退した。#西郷どん


戊辰戦争の勝敗は、圧倒的な軍事力を誇る列強の動向に左右され、新政府・旧幕府、両勢力ともに相手側に加担されることを大いに恐れた。
旧幕府側は、早くも1月3日には列強に対し、正当政府による逆賊の薩摩藩鎮圧のための協力と、内政不干渉を依頼したのだ。#西郷どん


一方、新政府は内部対立もあって、発足当初は列強との意思疎通が図れなかった。
そこに1月11日、岡山藩兵が外国人へ発砲した神戸事件が起こり、新政府として初の外交問題となった。#西郷どん


列強は外国人居留地を軍事占拠し、兵庫港に停泊する船舶を拿捕する対抗策に出た。
イギリス公使パークスが親しい寺島宗則ら薩摩藩士に助言を与えたことから、参与外国事務取調掛の東久世通禧が勅使として神戸に派遣された。#西郷どん