町田 明広@machi82175302

東久世通禧は列強代表と会見して、王政復古を宣言する国書を渡し、神戸事件の解決を図る旨を約束、かつ外国人保護の意向を伝えた。
このため列強は対抗策を放棄し、しかもこの過程で、新政府は列強の信頼を勝ち取ることができた。#西郷どん


災い転じて福となすといったところで、新政府は大坂・兵庫という重要な貿易拠点を占拠したことも相まって、大きな転換点となった。
また、列強が神戸占領を簡単に放棄した事実から、この時点でも領土的野心は垣間見えない。
なお、新政府初期の外交の中心には小松帯刀がいた。#西郷どん


パークスの助言に従い、東久世は列強に対し、1月21日に新政府が正当政府であると主張しながらも、戊辰戦争での中立を要請した。
これを受け、列強は25日に新旧政権に対等な交戦団体権を認める局外中立を布告した。#西郷どん


そして、アメリカは勝敗の帰趨を左右するストーンウォール(甲鉄艦)の新政府・旧幕府の両陣営への譲渡を拒んだ。
列強にとっては、居留民が両陣営の勢力下に分散されている中で、その安全と財産保全のための当然の措置であった。#西郷どん


列強は内乱を回避して、貿易への打撃を最低限に防ぐことを目指していたが、この局外中立宣言によって、旧幕府は条約締結主体としての正当性を失い、新政府は国際的に正式に「新政権」と認められる以前に、旧幕府と同等の地位を得ることになった。#西郷どん


しかも、ストーンウォール(甲鉄艦)が旧幕府に渡らなかったこともあって、新政府側には計り知れない有利な立場を手に入れることになった。
このような条件下でも、ロッシュの幕府支持は変わらなかった。#西郷どん