大政奉還後だと、薩摩側で上下のパイプ役で外交担当小松帯刀が
持病の悪化で薩摩に文字通り足止めになって
その下の行動隊長格だった大久保、西郷が上洛軍預かって
前将軍・殿様勢力と対峙せざるを得なくなったからな

久光も脚気の悪化で政務不能になってて、大政奉還迄の薩摩を統括して
武装威圧を承認しつつ抑え役になってたトップ2が揃って機能停止する事態になってた

いわゆる薩長連合の頃から実質トップである久光と西郷大久保、その中間の小松の間で、
政治的「倒幕」とそのための軍事動員(威圧)は認めても、
その先に就いては当面は京都と言う現場判断で敢えて詰めないと言う形で齟齬を回避してた

だけど、薩摩の上二人が肉体的にダウンした事で、最前線である京都が嫌でも全面指揮権を掌握して
終わってみたら徳川宗家を初め土佐山内、越前松平、尾張徳川等々の殿様身分で政治的に対抗していた勢力を
戦争一発で実質的に西郷、大久保らが抑え込む既成事実が出来上がってしまって
見事に身分的な世代交代が発生してしまった