【2012年大河ドラマ】平清盛 Part181
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■前スレ
【2012年大河ドラマ】平清盛 Part180
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1517382105/
●荒らしと思われるレスには各自スルー またはNGで対応
●>>950以降の有志が次スレを立てる
●スレ立て宣言と誘導は必ず行い 無理な場合はすぐに申告すること
●スレを立てられない人は 次スレが立つまでレスを控えるように
【2012年大河ドラマ】平清盛アンチスレPart28
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1356934811/ >>724
技術が進歩すれば、それに対応してドラマ制作も変化して進歩してはいくのは必然だろうけど、
それでも16ミリフィルムで撮った、あのもやっとした感覚が好きな人はどうしたらよいのでしょう? 黒澤の白黒映画のが臨場感と真実味あり!
こういう主張があってもおかしくないし、間違いではない。
ただ趨勢としては、他のあらゆる分野同様、日進月歩する技術革新を受け止めた上で、
これによって失ってしまう「良き伝統」をも見据えて、映像表現の新たな可能性を試行錯誤しながら探求していくしかない。
この点において、大河平清盛が百尺竿頭一歩を進めたことは疑いようがない。 >政子や家康が『貞観政要』を一心に読んだのも、その前に、「創業」に成功して「守文」に失敗したものがいたからであろう。
> 武家政治の創業はむしろ平清盛であろうし、全国統一の創業は信長、完成者は秀吉であろう。
忠盛を引き継いで開拓した宋→博多→畿内という貿易ルートを、清盛もまた後白河の歓心を買うための賄賂政治の手段として用いた
(この非効率を指摘して、「博多を京の近くにもってくる→大輪田泊」」の発想を清盛にサジェストしたのが元「海賊王」兎丸)。
清盛がもたらした舶来品ー書物や贅沢品などの献上品ーのうち、代表的帝王学の書である「貞観政要」を引き抜いて自分の物とした信西
のおかしさといったらない(雅仁のような「「暗主」には無用の長物)。思わずニヤリしてしもうた。
「後白河は古今東西稀にみるバカ殿」との辛辣な言葉を残した信西をさりげなく描写するユニークな場面であると共に、
保元の乱後の政治権力の所在は宰相信西にあった、という重要史実を認識させてくれるシーンでもあった。
しかし、ここに気づいて流石と誉めてくれた善男善女はまずはいなかった・・・信西を知ってる日本人すら少ないのだから仕方ない。。。 次は白い巨塔。田宮のは2、3年前に見た。唐沢版は見てない。
だいぶ忘れてしまったが、里見はギラギラした権力欲と野心剥き出しの財前と対比される、
ヒポクラテスの誓いを実践する、しかし鬱屈を抱える屈折したキャラだったような。
清盛とは異なるが、松ケン向きでないの? 和漢比類なき暗主なり!
このつれない信西の評言を、そのままセリフにするわけにはいかない。
そこで、このことを直截なコトバではなく信西の「婉曲話法」によって表現したのがあのシーン。
さりげない場面であっても、無知な制作側がーどころか、この信西発言に対する的確な理解がなければ
なし得ない創作であった。
おしんは素晴らしいが、何でもかんでもコトバで言い尽くす手法に対して反感を抱く人々がいるのは、健全な状況だろう。
既に述べたように清盛は、スガコ的饒舌も婉曲話法もボディランゲージも沈黙話法も象徴表現もすべて駆使した大河である。
常に空気を読んで礼賛・罵倒を決める商売人のリテラシー某が、内容込みで「闇鍋」と貶したこのような特性こそ、
清盛が内容上も表現手段も「多彩」な大河であったことの証となるものだ。 今日は葵の再放送2話目。
清盛は素晴らしい大河だったが、葵と比べたらやはりかすむ。
役者と脚本、カメラワークの安定感が違いすぎる。 戦国江戸大河でプライバシーなんて台詞が聞けるなんて素晴らしいよな!
まあジェームスは藤本ほど緻密な話は作れないけど、安定感があって普通に楽しめる。
ジジババだらけのキャストは俺は気にならない。 7年ぶりに書き込むが、本当に酷い糞大河だった
権力闘争や力関係、情勢などを詳しく描くのを放棄し、明けても暮れても双六に今様三昧
そういう描写自体を用いる事は否定しないし、ある程度そういうのをビジュアルで表現する事も作品にとって必要な事だとは思うが、なにせ演出が過剰でくどく、毎回毎回尺をとりすぎ
例の海賊回もそうだが、そういうしょうもない創作話やら、どうでもいい描写にばかり凝って時間を費やしてしまうから、本当に描くべき事が全く描けずに終わった
清盛の昇進していく過程は歴史小説などに代表される「文字だけの世界」でも充分に堪能できるし、時代の移り変わりを感じ取る事が出来る
本来は50回にも及ぶ放送で影像を通じて清盛を描くんだから、歴史小説よりも、その辺りが更に視聴者の心に伝わらないといけない
なのに、結果は・・・。
こんなもんは大河ではない
二度とこういう酷い作品は作るな 7年経っても100万年経ってもババアには無理
無内容な長文、それこそ読む気がしないのでwこれを最期のカキコとするように いや頑張って読んだわw しかし、改めて「平行世界」つーのは存在してるんだなーwババア
>権力闘争や力関係、情勢などを詳しく描くのを放棄し、明けても暮れても双六に今様三昧
←源平もので清盛ほど「權力闘争や力関係の推移」を明晰に描いた大河はゼロ。
>海賊回もそうだが、そういうしょうもない創作話
←海賊討伐と家人化が平氏の隆盛、そして清盛の事業にとって「重要な史実」であったことすら未だに知らない。
何百回紹介したこと。。。
>本当に描くべき事が全く描けずに終わった
←本当に大事な事、本質的な事に対してしか見向きもしない稀有な大河であった。大河デフォの
脱線恋バナなんかには関心を寄せず。
>清盛の昇進していく過程
←地味な歴史過程で視聴率的には不利となるにもかかわらず、これまた源平もので始めて真正面から分厚く取り上げた。 今思うと、音楽やワンパターンの今様で時間を食いすぎた。
無駄な外連もあって、大外しはしないものの、本当に必要だったのか疑問もある。
ま、近作稀な良い大河だったがね。
もう少し情報を表に出して、詰め込むことができたはず。 >>737
時間を食う?しつこいではなく?
そもそも少女が歌うそれは、場面に被せただけで遊びの歌によって何かが犠牲にされたわけではない。
他方、登場人物たちの歌うそれは物語上、非常に重要な意味を担った。
これらは、同じ歌でも文脈によって意味と作用が異なる。すなわち単純な繰り返し、反復ではなかった。
さらに、蝸牛の歌や鬼になれの歌も挿入されたが、これらは「孤独な要らぬ皇子」雅仁の心象風景にぴったり
と寄り沿うもので、無駄どころかたいそう効果的であった。
すなわち、今様は清盛の世界観を表現するための必須なアイテムであり、しかも、今様に尺を取られて
本来描くべきことが犠牲にされたーこのようなトレードオフの関係にはなかった。 ラビット丸はあんな大雨の中、なんで野外しかも川で飲んでたんだろ?
マジでそこがわからない
あれが晴れてたんならまあ分かるけど バラ窓のステンドグラスが高熱で爆発?そんなことあるんけ・・テロかとオモタ。
ノートルダム大聖堂といえば、ちょうど清盛と同時代に建てられた代表的なゴシック建築。
厳島神社が高潮で腐って内部崩壊・・とかなりませんように・・・ 主人公美化が大河のセオリーなのに、一般的な平家物語のイメージの暴君化清盛&聖人重盛を描いたのは異色だった
史実の清盛はかなりいい人で、むしろ重盛のほうがオラオラ系だからね お前にとっては「どうしようもない描写ばかり」だっただけの話をそんなに長々語るなよ 平気物語的世界観をよく出していた〜こう述べる貴殿とは長らく意見が合わない
(オリジナル大河清盛にとって、平家物語が最大の「原作」であったことを否定するものではない)。
しかし、仏敵・朝敵清盛を強調する平気物語から離れて(この点では既に新平家もそう)、
平安末期に現れた風雲児清盛がエネルギッシュに推し進め、あるいは中途半端に終わた〈正の〉業績を
執拗に追いかけていったことにこそ、この大河の真骨頂は存したと考える
(だからこそ頼朝への志ー武士の世作りーの継承と、義満が再開した国家間貿易が最終回のテーマとなった)。
つまり、武士の世を切り開き、貿易国家の礎を築いた躍動する清盛ーこれがキーコンセプトであったのだ。
そこにおいては、善人悪人という価値判断は重要ではなく、主人公補正により「善人」に美化することもなければ、
「悪人」に描けば「本格大河」だと賞賛する「コアな大河ヲタ」に阿って、いたずらに「悪人」とすることもなかった。
基本、清盛は情に厚い「イイ人」であったが、過酷な運命と使命を背負ったことで冷酷な政治家にもならざるを得ず、
さらに晩年には精神の暗闇に包まれる一時期も訪れた(老人特有の精神の硬直を、落胤設定を生かしきり、
「白河の血の再帰」という具合にドラマチックにデフォルメ)。
要するに大河清盛は、清盛の人間像と歩んだ生涯、後世に残した歴史的意義などを、善悪のような価値判断からは
距離を置きつつトータルに提示した大河である。 >重盛のほうがオラオラ系
たしかに、殿下乗合事件でのタカ派ぶりからはそう言えるが(通説によった場合)、重盛の生涯全体から見ると
アレは例外的な行動ではないだろうか。
「思慮深い賢人」、「板挟みとなり衰弱する生真面目人間」「政治的手腕面からは清濁併せ呑む清盛のスケールには及ばない」・・・
清盛における重盛像はこんな感じで、こちらのほうが重盛の一般的イメージに近い。
殿下事件では、通説よりも以上のような重盛のパーソナリティーを一貫させることを優先し、その上で、
人々の思惑が表に裏に複雑に交錯する人間ドラマと、視聴者の視点を介在させることにより通説との平仄を図る難技法
とを両立させていた。ハイクオリティー大河清盛を代表する回だろう。 何と奇跡的にまだ見続けている今期朝ドラ。
やっぱマスオ西行殿、かなーりフィットしてきましたよね。。
技倆的にはぎこちなさが抜けないイケメン俳優・・だけに終わらない、+−の引き出しが藤木氏にはある。
・傷ついた我が身を東北修行で修復し、自らを高めて高野山に帰還した西行が、人生初の大仕事(高野山造塔)に
挫折しかかった迷える清盛を教え導く場面。
・高き志から外れていく清盛に、重盛亡き後の唯一のストッパー、そして友として忠告に及んだ場面。
・死にゆく清盛を、「お点前が生きてこられた平清盛の一生、眩いばかりの〔美しさ〕でござりまする」
と慰撫した宗教者西行。
これらは、いずれも清盛の人生を大きく揺るがした屈指の名場面。
いかがわしさを払拭できない・・でありながらこの上なく真摯な西行に、藤木氏は完全にフィットしていた。
最後、辞世となった名高い桜の和歌に送られて、「これで良いのだ。こうして歴史は進んでいく」
とでも言いたげな表情で、ここでもニヤリと退場したスタイリッシュなシーンも、いかにも西行らしくて大好き。 清盛に飽きられた姉妹が仏御前の前で歌わされた歌にはどういう意味があるの?
仏御前泣いてたけど >>747
祇王は同じ白拍子として門前払いされた仏御前に情をかけ清盛の前で舞う機会を作った結果清盛の寵愛が仏御前に移ってしまい屋敷を追い出された
恩人である祇王がそんな仕打ちを受けた事を知った仏御前はふさぎ込んでしまう
という事情を意に介さない老害清盛は、よりによって祇王を呼び出して落ち込んでるカワイイ愛人の仏御前を舞や歌で楽しませろと命じたわけだ
というのが背景
仏も昔は凡夫なり
われらも終には仏なり
いずれも仏性具せる身をへだつるのみこそかなしけれ
祇王は仏と仏御前をかけて清盛の心変わりと酷い仕打ちを嘆いてみせた
仏御前も居たたまれなさ過ぎで泣くしかなかった >>741
タッキー義経の勝村重盛は、ダークな面もあって中々斬新だった。 まえだまえだ弟、わろてんかで大きくなったなぁと思って観てたけど
もう大学生なんだって。オープニングの子役の子可愛かったけど
成長したんだろうなぁ。 重盛@義経もあり。弟たちは、キャスティング含め良いとは思わなかったが・・
ただ、ダークな面を打ち出すなら、時子&宗盛他時子腹すなわち平家主流から孤立して
後白河=成親ラインに走り離反する重盛・・みたいな政治面からの考察を打ち出してもらいたかった。
原作から言っても、大河義経にそのような歴史的考察を期待するのは野暮なんだけど。
自分としては、二度にわたり成親助命を嘆願。鹿ヶ谷の時は、始めから殺される運命にあったことも知らずに、
律儀に密かに衣服等を送ったあげく梯子を外された重盛殿が、ダークなお人とは思えませぬ。 鹿ケ谷自体が清盛のでっち上げ説があるよね
新選組の池田屋事件と同じで、居ただけで密議も何もしてなかった説 清盛で歴史的な事実としての当時の世界観を色々知れて楽しかったけどなあというのが自分の感想
政治=祭り事である当時の貴族社会とか(今でも行われてる天皇の様々な節句などの行事がその名残だとか)そういう通例行事を行うことが政治だった社会との対立とか
平家がのし上がった過程での院との結びつきとか 清盛が院の落とし子だった説とか それまでほとんど知らなかった信西の存在とか
映像や音楽もすごく良かったし、なんで批判してる人がこんなに居るのか 本当に不思議です... >>753
一般人からすると、
・同じような名前が多すぎる
・皇室関係がややこしい
・主役のイメージが悪い
こんな感じで初めからとっつきにくかったみたいね
逆に言えば初めから最後まで見続けた人には高評価 >>752
後白河主犯説(いわゆる鹿ヶ谷の陰謀)から清盛謀略説、果ては事件そのものがなかった説まで、
学説の振幅が大きな鹿ヶ谷事件。
「新しい清盛像」を求めるからといって、この種の歴史的事件について、評価の定まらない新説に飛びつく必要は
さらさらない(清盛の人物像や事績については、考証高橋の「新見解」を実に細やかに摂取して反映させていた)。
通説的な「鹿ヶ谷の陰謀」〜後白河方の陰謀は実際あった〜に依拠した作劇で正解だろう。
とはいえ、後白河の陰謀と併せてその対極に位置する「清盛謀略説」をもミックスして、清盛vs後白河の謀略合戦
として描いたことに、本作の鹿ヶ谷事件のオリジナリティがあった。この力技についても何度も言及した。 >>754
加えて最近の視聴者はゲームやアニメの影響で
戦国や幕末しか興味がないからな
馴染みの人物が活躍してればそれで満足なんだろう
これから何が起こるかもわからない話では
無知だらけの輩にはそりゃ退屈だろう とにかく音楽が長すぎる。
展開が遅い。
最近の大河の軛は断ち切れなかったか。 >>757
最近の若者だけど近々見るわ
なぜ大衆受けしなかったのか
そんなことも分析できないおっさんの代わりに俺がまたレスしてやるから待っとけや >>754
貴族や皇室が力を持っていた時代の話だから当然武士に対してエグい処置をしたりするし、虐げられた武士の逆襲を描いてるわけだから
皇室を悪く描くのは仕方ないと思うんだけど、ネットを中心に右の人が叩きまくってたな
そういう行為は気持ち悪いと思ったよ
皇室アンチではないけどだからといって過去の皇室が絶対正義とか悪く描くことすら許さないとか本当気持ち悪いわ 皇室については、聖人君子や貴人面だけではなく、弱さも欠点も抱える生々しい人間として描いていた。
ネトウヨどもは「王家がー」神聖な皇室を悪く描いたー」「皇室を侮辱する反日大河ー」と発狂しまくったが、
人間臭い彼らに共感し皇室への親しみを増した視聴者も多かったに違いない。
なお、「王家の犬」とは当時の貴族vs武士の力関係のメタファーであり、この関係性を逆転させることが清盛終生の課題となる。
それがすなわち「武士の世」。ただし、その方法論は「王家簒奪、平氏系新王朝の樹立」という「古い皮袋に新しい酒を注ぐ」
ものにとどまった。過渡期政権の限界と言えるが、それだけにかつての番犬が「王朝の主」へと成り上がった様は、
もしかして現代の皇室崇拝者にとっても屈辱的な事態なのかもしれない。
しかし、それは歴史的事実に他ならず、皇室侮辱とかいう評価とは何の関係もない。
以下コピペ
専制君主白河の暴君ぶりは、かなりの程度史実だ(殺生禁断令)。そして、清盛は終盤、ものの見事に白河化してしまった
(ここはわしの世じゃー)。さらに、その性的乱脈が保元の乱へ向かう最初の種まきとなったことは否定できない。
しかし、その絶大なパワーがもつ正の側面=創造性をも清盛は受け継いだ(「横へ横への国造り」=白河のアンチテーゼ)
ことも見逃せない。すなわち、白河は清盛にとってただ否定的評価にとどまる巨人な父ではなかった。
また、息子を虫けらとしか考えない冷酷な父でも実はなかった(石清水八幡での剣舞では、それとなく清盛に期待する表情を浮かべ、
傑作「白河院の伝言」回では、「お前はまだ知らない頂点からの眺めを」と挑発し、「あなた様を超えてみせまする」と対峙する清盛を
奮い立てた→ここで臨死体験から生還→治承クーデターで国の頂へ→乙前「いかがでござりますかそこからの眺めは」へとリンク)。
皇室でもっとも悪く描いたと思われる白河ですら、このように単純な悪人ではなかった。
崇徳に上から目線?どこのシーンだ。親身に「いつまでも出自にウジウジこだわりなさんな。私は面白う生きますよ。
あなたもそうしなさい」とアドバイス。ついに反旗を翻す機会がやってきた崇徳から懇願されても、「そういう争いのため平氏を
使うのはお断り」ときっぱり拒絶しつつも、崇徳の熱意にほだされて鳥羽との和解周旋に奔走。しかし保元の乱直前では、「もはや遅すぎた」と
最後の面会にやってきた崇徳に剣をつきつけて追い返した。これらのシーンのことか?
どれも「反皇室」ではないから。最後のは、崇徳は政府転覆を謀る「大逆罪」の下手人として 、既に後白河天皇(信西)から「賊徒」
へと落とされた元新院である。それにしても、ただ可哀想で儚い崇徳にとどまらない権力意志旺盛な崇徳は素晴らしかった。
これがあったからこそ、伝統的な国芳のイメージに学んでリアルに再現した怨霊描写が、非常な説得力をもったのである。
資料・学説を徹底的に咀嚼し個々の具体的な場面に投影させた、後白河の驚異的な造型については、既に長々と紹介した。
中でも、あれだけハチャメチャ天子ぶりを描いたのにもかかわらず、ゴッシー畢生、梁塵秘抄編纂という現代に残る業績について、
清盛の大輪田泊と対比させる形で(有形vs無形、効用vs無効用〜自虐気味のゴッシー)的確な紹介とドラマ化がなされたことは画期的。
他に優柔不断な鳥羽。彼とおどろおどろしい宮廷愛憎劇を繰り広げた平安のファム・ファタールたまこと九尾の狐なりこ。
隠然たる権力をもち以仁の乱の黒幕的存在であった大金持ちにしてスーパーセレブ八条院(初めてスポットが当てられた)。
さらに、薄命な近衛帝、聡明な二条帝、気品溢れる高倉帝に上西門院。
誰をとっても皇室の方々は人間臭く、良いところも悪いところも共感を込めて描かれた。
問題ありの性格・行状をすべてどこぞの役所みたいに隠蔽・改竄の上美化、ひたすら尊崇の対象にせよと言いたいのならば、
それは天皇や皇族はドラマで描くなと主張するに等しい。
幸い平清盛は、ウヨたちからのとんでもバッシングに怯まず、保守的な天皇主義者たちの独善と独断にも妥協することはなかった。
しかも、方々に対する愛着とリスペクトに満ちていたのである。 >>758
いきなり始まる義経における鹿ヶ谷なんかをお楽しみください。
そういえば、常に背景描写はほとんどなく、モブ並みの宿敵が突如現れる、史上最高傑作独眼竜とかもありました。
たしかに展開が早い・、。 二条帝のキャスティング
絶妙だったね あんなに化けるわけだけど
あのキャスティングから無理がなく化かせそうだった
高倉帝のキラキラ感も良かった
徳子との関係も
皇室をこれだけ丁寧に奥深く描いた大河も初めてだったんじゃないかな? 二条帝の中の人、引退しちゃったんだっけ?そんな記事見たような。
もしそうなら激しくもったいない。
彼しかできないような役柄への需要はこれからもきっとある。
羅刹の中の人も引退?もったいない。
その昔、珍しく結構見た「すずらん」のヒロインの柊瑠美さんも頑張って欲しいです
(当時、大女優になるのではと期待したほど)。 DVDの再販があった時はブルーレイもされると思って待ってたけど、なかなか再販されないねえ... >>769
人取橋、擦上原を見てみなよ。蘆名とか。
突然始まり、何となくナレにて強制終了。奥州切取り模様とは程遠い。朝鮮も同じ。
もっとも、制作側が「これは戦国ホームドラマです」と制作意図を述べているのだから、
こういうやり方が悪いと言いたいのではない。
「きちんと丁寧に歴史を描いたダイナミックな歴史劇」と賞賛され、「昨今の駄作大河」を
否定する拠り所となっているところから、憚りながらネガから言及させてもらっている。 >>772
蘆名の手が裏からいろいろ入っているのが、伊達家中のセリフからでも分かるだろうに。
輝宗もその過程で横死している。
更にアバンで補足するの手法は「平清盛」も同じ。 違う。蘆名を対抗図式の当事者として登場させてないだろう。
セリフから何となくわかるとかそういうことを言っているのではない。
「昔の大河は敵も同様、分厚く魅力的に描いてたー」のではなかったのか?
それすなわち群像劇。そして大河平清盛は真の群像劇であった。 付け加えると、清盛のアバンはあくまで本編の補助線に留まり、本編で語らなかったことを付加
するものではなかった。
ナレも同じで、ナレによって敵が押し寄せてくることも、戦さが終わることもなかった。 この手のお仕事ドラマ見る気がしない・・のだけど、鳥羽朕見たさに録画予約してしもうた集団左遷。
帰って見る。義経に維盛も出てるんだ。維盛の彼も半世紀後は「大御所」になってそうだ。 >>774
蘆名はライバルではなく、伊達が政宗を中心にまとまり、空前の所領を有するに至るまでに出てくる奥州の勢力に過ぎない(他と同じく縁続き)。
秀吉麾下の上郡山仲為が伊達家に奏者としてやって来て、秀吉が50万を下らない兵力を有すると知らされ、愕然とする伊達家中や分家大名。
政宗は秀吉のライバルたり得ずに結局屈服するが、秀吉家臣団の蒲生氏郷や浅野長政、石田三成らはライバルとしてじっくり描かれている。 んな馬鹿な。政宗は、まずもって天下平定以前に奥州覇者を目指した男だ。
とまれ、貴殿貴女が独眼竜をもって「戦国ホームドラマ」ではなく、「ダイナミックな奥州戦国絵巻」を描き切った大河
と主張するのならば、どちらであったかは、実際ドラマを見た善男善女に判断を委ねるしかない。
>いまさらだけど、維盛、資盛の母は経子じゃなかったのか。そもそも維盛と資盛も異母兄弟で、
>資盛のほうが嫡男扱いされていたとは。 平清盛 だとまるでふたりとも経子の息子のようだったので勘違いしていた。
そこで思い出したのが盛子。
彼女は、時子の娘ではなく庶子腹でありながら、摂関家との結びつき上、清盛にとって相当重要な駒であった(摂関家領横領事件)。
ここで注目すべきは、盛子と時子とで母子間の親愛を窺わせる描写は一切なかったこと。
有り体に言うと、その辺のややこしさを(実はーとぶっちゃける必要もないので)上手く誤魔化していた。
維盛、資盛についても同じで、経子との実子関係はないことは、母子の描写を一切排除したことでここでも明らかであった。
知識があるゆえ貴女は勘違いしたのであり、普通の視聴者に向けて「見過ごす」よう仕向けた若干ズルい処理方式を
とったということだ。こうした判断は、厳密な血縁関係がこの局面においては作劇上重要性をもたないことに鑑みれば、
十分首肯できる。
少なくとも、無知で無能な以下ryーーではなっくって、知っているからこそできる能ある巧妙な処理だったのである。 AAAリーダー逮捕で頼盛西島の今後が心配
兎丸加藤のワイドショーのネタにされるとは >>771
NHKエンタープライズの商品全般に言えるけど
廉価版再販=DVDのみ、って方針みたいなんだよね
平清盛みたいに初回生産ではBDが発売された商品でも後日分はDVDだけだし
そもそも初回でDVDオンリーだった龍馬伝以前の作品はBD版が発売すらされてない 義経神木と、鳥羽上皇が坂本龍馬のドラマに?!
三上博史はラスボス。神木は福山の子分 鳥羽上皇「海賊退治に行ってもらう。頑張らなくていいんです!」
実際、義経は頑張りすぎたから頼朝に潰されたね… 兄清盛との葛藤、そして悪左府に押し倒される戦慄のシーンによって刮目された大東家盛氏。
その後も夫婦善哉では筋を通す船場の旦那、直近の浮世の絵画では若きナベケンを「時局」に誘う
重要な役を見事に演じた。
他のビッグネーム脚本家とは比べようもないが、「藤本組」の一人といってよい。
今回、いだてんに起用されるとのこと。花燃ゆでの担当はほとんど忘れてしまったが、
大河俳優としての存在感を再度示して欲しい。 二題
・森山孝蔵は予想通り凄みを増してきた。早く「みをつくし2」で小野寺(小松原)やってー。
・100分で名著。5月は能楽師安田登さん(内田樹サークルの人)の「平家物語」。
身体論や組織論からのアプローチがなされ、独自の視点で読み解く。ドラマの理解にも役立ちそうだ。 >>788
鳥羽朕見たさに録画した
けどまだ見てないすんません 「平清盛無くして武士の世はなかった」(by頼朝)から初回冒頭へと回帰、直ちに二巡目に入り以下無限ループ。
これが清盛沼にハマったヲタが辿る「通常ルート」。3、4巡目する頃にようやく全体構造と
タテヨコの意味連関が見えてくる。
たしかに、こんな作業を日曜8時のお茶の間に要求するのは邪道で、清盛を「模範的大河」などと
主張する気はさらさらない。
もし、これから清盛にチャレンジしたいという奇特なお方がいるのならば、是非、記憶が薄れない状態を保つべく、
791に習い短期集中方式により一気見してもらいたい。 遊びをせむとや生まれけむ、って「いだてん」がまさにそれか
国民はそういうタイプの人が嫌いだから清盛ともども視聴率悪いのかね 痛快にチームプレーするゴッシーが想像つかんw
脱ぐのはok 7年前には自分の生きているうちに「上皇」なるものが
本当に誕生するなんて思ってもみなかったなぁ
なんだかワクワクする 清盛が正式に大宰大弐となった翌日、後白河帝は美福門院と守仁親王を内裏に呼んだ。
「にわかなるお召し、何事でござりましょうか」
美福門院が怪訝そうに聞くと、後白河帝はひょいと玉座から降りて守仁親王を見た。
「その座が欲しいのならくれてやる」
後白河帝はいとも簡単に譲位を告げ、さっさと廊下に出てしまった。
信頼と成親は仰天して、慌てて後白河帝を追いかけた。
「なにゆえでござりますか!さようにあっさりと」
信頼が追いすがるようにして聞いた。
「朕はもっと面白き遊びがしたいのだ。玉座におったのではあやつと遊べぬゆえな」
「あやつ?」信頼が聞き返した。
「遊びをせんとや生まれけん♪」
後白河帝は、楽しげに今様を口遊みながら立ち去った。
超マジメに考え抜かれた今上陛下。古には、こういうノリでご退位遊ばされれたゴッシーさんという
超変わったご先祖様もいらっしゃいました。これからは公務から離れ、大いに「遊び」に励んでくださいませ。
ちなみに、ぜんぜん金のかからない超シンプルな退位の儀でありました・・・ >>797
まだ一連の退位の儀式は済んでないぞ。
勝手に状況終了すな。 ゴッシー→二条の「くれてやる」というお言葉だけの「儀式」を言ってるのに。。。
おお怖w(なお、このシーンは、美福門院からの圧力で譲位を余儀なくされた史実をアレンジしたもの)。
まあ陛下のご希望通りシンプルでお願いしやす。 あー、長文子の文章、上の方は読まないのでな。
くだくだしくてね。すまんのう。
夕方、今上が本音を暴露するのが楽しみだ。 次回予告に入るときの効果音、最初はベベーンみたいな三味線っぽい音だったのに、後半になったら
キーラーリーンッみたいな変な音になったよね なにそれ。俺はその手のことに不感症。
よく議論されるOPの位置どり合戦もどうでも良い。
そこから序列を判別されるため?演じてる役者にとっては重大事なのかもしれないが、
そんなことに拘るケツの穴の小さな役者であってもらいたくないし、まして外野の俺らが
一喜一憂するような話とは思えんのです。 譲位して上皇となるのは、何よりも自らの皇統を早期に確実なものにするためだ。
時代も制度も状況も違うけれど、ゴッシーと今上は、動機がそこにあったのではない点で一致する。
ゴッシーは多分に「他律的」譲位であったが、本作がアレンジしたように、「帝から離れた自由な立場で
最大のライバル清盛に立ち向かって行く」モチベーションが彼にあったとしても、何ら不思議ではない
(このwin-wint的「協調」とzero-sum 的な「闘争」の人生に身を投じることが、すなわちゴッシーにとっての「遊び」)。 京都ぶらり歴史探訪 「桜満開!春の絶景20選 後編」
2019年4月30日(火) 19時00分〜20時54分 の放送内容
檀れいが訪ねるのは、桜の絶景に込められた、女性たちの物語。
平安時代に生きた絶世の美女、小野小町ゆかりの寺で出合ったこの時期ならではの風景と、
晩年の驚きの姿。そして歌人・西行出家の秘密と、ゆかりの桜に秘められた切ない恋の物語
とは?そこには、かつて檀が演じたことのある、ある美女が深く関わっていた。 檀れいはたまこの肖像画を見て、
「数奇な運命をたどった、時代の波・権力の波に飲み込まれた女性」
との発言 >そういや #平清盛 で二条帝の元服の儀式を検証の上で出来る限り再現して撮ったという映像
>ほんとお蔵入りさせるのもったいないと思うんだけどどこ行ったんですかね
これは初耳。
しかし、アンチの攻撃材料でなく、他ならぬ熱心なヲタが嘆いた「若かりし通憲&頼長の蜜月映像カット」同様、
二条の元服シーンは、当該回で何かしらを切り詰める必要が生じた場合に、真っ先にカット対象とされても仕方ない。
執政意思を露わに実父後白河の排除に乗り出し、清盛の協力も取りつけて起動に乗るかに見えた「二条親政」期。
ほとんどの日本人が知らない、しかしそれが続いていたら「日本一の大天狗」後白河も埋もれてしまったであろう
この賢帝を、少ない尺ながら注目しきちんと描いた点も是非注目して欲しい。元服シーンよりも父ゴッシーとの確執の方が
遥かに重要なのだ。実際彼の早逝は、平安末期の政治状況をより複雑なものとしてしまった。
おまけに、このお互い愛情ゼロの異常な父子関係ー上皇様には政を採らせてはならぬ!が、責任感溢れる二条の遺言ーを見たら、
「昨今の大河は現代的価値観を持ち込んでー」なる昔が良かったーたちが持ち出すいつもの定型文は、
ただの戯言に過ぎぬことがすんなり理解できるだろう。 ああ、今外なので見れず、録画もしてない。
美女が演ずる大河美女役で、檀れいさん演ずるたまこさんほど魅せられた女性はほぼない。 「上皇さま」「上皇夫妻」がニュースで連呼される世の中
まだフワフワした感じで不思議w 歴史上空前の「上皇」、「上皇后」。
彼らをコントロールする法令はほぼない。
現代の治天にして憲政史上初のもののけが現れた! >やはり今こそ最も天皇家の天皇、上皇、法皇を主要登場人物として見せてくれた大河ドラマ
> #平清盛 再放送に相応しいタイミング!ではないかと!! #nhk_rerun (朝からどさくさに紛れて)
常変わらぬおばさまたちの情熱に敬服いたします。
すっかり諦めてしまった俺としては、生誕900年であろうと、上皇さまが誕生する格好の好機であろうと、
隠れたブームに沸いてようと、再放送が実現しない最大の理由ーすなわちNHK殿が深く苛まされ続けるトラウマ
〜王家がー、最低視聴率がー〜に思いを馳せてしまうのでした。
再び澎湃するであろうウヨからの盛大なバッシングを引き受ける度量は、残念ながら御用メディアと化した
今のNHKにはありそうもない。 >>810
たしかに、ないな。
しかし現代は、5代続いた近代天皇制の制度を見直し手直しするには、ちょうどよい頃合いだよ。
平均寿命だって大きく伸びたし、科学技術も社会風習も、日本を取り巻く国際環境も激変した。
つまり、岩倉具視・伊藤博文とGHQが制度設計したさい排除した可能性を、もう一度謙虚に再考するということ。
しかし本当にそうなれば、清盛みたいな天皇制の奥底を見つめようとしたドラマの評価もつられて持ち上がる。
ありがたいことだ。 平安初期の二所朝廷〜二重権力はもとより、唯一の象徴からすれば二重権威も許されない。
これを担保する実定法は未整備で、いろいろ考えているようだが当面は上皇の抑制に依存するしかない。
間違ってもしゃしゃり出てくるお方ではないが、政治的動きを欲した場合に「もののけ」化しない保証はない
こともたしか。 兄は朝ドラ、弟は大河で芸人修行
源兄弟なにやってんのw >八幡和郎氏「皇位継承が男系男子であるのは権威と権力を分ける日本独特のシステム…
>だから平清盛も足利義満も徳川家康も皆、天皇になる野望を遂げることはできなかった」
>〜ネットの反応「これは男系男子でないとダメな説明の中で一番納得がいく」
なんだこれ?八幡の世迷い言がまたぞろネトウヨ界隈で評判となっている。 話題の埼玉disり(という触れ込みの埼玉プッシュ?)映画>「翔んで埼玉」
二階堂徳子が主人公で、その名を「壇ノ浦百美」という。原作では「白鵬堂百美」だったのを改変したようだ。
この改変の背景に気づいた人はよほどの清盛ヲタだけだろうから、大向こう受けを狙ったというより、
もしかして清盛ファンの脚本家か監督がお遊びしたのだろう。 >>812
視聴率よりも右のバッシングが大きいだろうな
ただでさえ今の日本は左の肩身が狭くなってきてるし
でも日本のインテリって基本みんな左よりが多いんだけどね
宮崎駿とか高畑勲とかもバリバリの左だし
左に傾きすぎるとたしかに国賊になりかねないんだけど、逆に右に突っ走りすぎても戦争まっしぐらでろくなことがないよ
ぶっちゃけ戦争になっても構わないとか自分もしくは自分の子供や孫に徴兵制度なんて味合わせたくないしな なんで左巻きってこうも極端な思い込みばかりなんだろう 滅多に人前に現れないカーネーションの人は、日教組の講演に現れたりする。
京大吉田寮を取材したのが最新作であることからも、どっち方面の人かは明白。
ゲゲゲと八重の人も相当なもん。
おまけに、逃げ恥やアンナチュラルの売れっ子の人のツイッター見たら、
人気者がこんな踏み込んだ発言しちゃって大丈夫?と心配になってくるほど。
歴代の大御所を見れば、市川、スガコ、ジェームス、小山内・・・
脚本家の世界もまた、おたくの嫌いな「左巻き」がメジャーなんよ。
その点、藤本女史は政治色を出さないほうなのに、右から袋叩きにあったのは気の毒だった
(王家という用語を採用するのを決めたのは彼女ではない)。 ま、昔の藤村由加みたく、複数人のペンネームの人だし。
ちょうど中立的になってんだろうさ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています