【第三十五回】太平記 part.35『大逆転』
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保守派vs革新派とも言われるけど結局のところ日の目を見ない連中が上に反旗を翻す
頼朝担いだ伊豆の連中だってそう
そういう意味では直冬って庶流の旗頭っぽいけど尊氏に反目して直義方
どっちの側も心を鬼にして親子兄弟を仕留めとくべきだったよ 実弟の直義はともかく直冬は若気の至りで
文字通り自分のまいた種の報いだからな… 後醍醐以降は八条院領の所在と伝領があやふやになってくるな。新興武士に乗っ取られたかな まあ荘園とか土地にこだわらないで生きてる漂泊民の連中に目をつけた網野善彦がもてはやされたわけよ。
そろそろ古臭い唯物史観があきられてきたポストモダンの80年代から90年代にかけては。
でもそんな連中が後醍醐と直結してるとかトンデモの妄想タレ流されてはなw >>652
一応北朝は八条院領については木寺宮家(後二条の子孫)の相続を認めていたのでは? >>652
八条院領でも複数あるから、
一概に言えないのでは?
応仁の乱の後に衰退した処もあるよ。 >>639 >>647 >>652 >>653 >>655 >>656
荘園キモヲタ用語は禁止なのに何度も叫ぶ邪魔者嫌われ者
ここはドラマ太平記のスレ
鎌倉で古代遺物になった下らない話は完全禁止
荘園はドラマとは全く関係ない事くらい学習しろ >>650
直義は長年実子がなかったので兄の庶子であった直冬を養子にしてたんだよ
史実では40過ぎてから10代の頃から連れ添う同年代の正室に
唯一の男子が誕生したが早世している
大河「太平記」では尊氏がかたくなに父ではないと否定する隠し子の直冬が
勝手に尊氏の子だと名乗り出て同情した直義が養子にした話になっているが 直冬兄の若竹丸(ドラマ未登場)が生きてたらどうなってたんかね 毎日毎日水掛け論ばかりやって端から見てるとかなり滑稽だぞ。
どちらかがスルーすれば終わるのに毎日やってるってことはお互いが自演してるのな。 南朝が容易に投降しなかったのと同じだよ
このスレは歴史を再現しているんだ 案外当時の人間も幼稚というか空気読めなかったりしたんだろうな
なんか親近感が湧いてきた 北朝は帝の錦を振りかざす後醍醐一派みたいな荘園遺物の排除派で、
南朝が嫌われ者の逆賊扱いを受けた足利一派みたいな荘園重要の推進派だな。
どちらに大儀があるかは外から観察していれば一目瞭然。 >>663
後醍醐帝が空気の読める人なら南北朝の内乱はそもそも起こってないよw >>664
南北逆なんだがw
大義は三種の神器がある方 >>661
そういう事
去年は現行大河スレで延々とこの流れで荒らされていたw 治天の君の承認なし+三種の神器なしの即位ほど不幸なことはないよな >>668
正平の一統までは、本物の神器は北朝側にあったと推定される。 源平騒乱では三種の神器なくして後鳥羽帝が即位したけどな。
安徳帝…三種の神器はあるが治天に見限られる
後鳥羽帝…治天の承認はあるが三種の神器なし
さて、どちらに大義があるか? 渡した三種の神器は偽物じゃ
あーははははは
偽物を作っちゃまずいだろ 神器に本物という概念はなく、勝った方にある櫃が自動的に本物の容器扱いされる。 八尺瓊勾玉
以外偽物だからな
八尺瓊勾玉でさえ怪しい
何せ誰も見ることができない。 だが近頃思うのじゃ
小さな醜い木切れでも、あれは岩神さまやも知れぬ
美しゅうはないが、あれも神やも知れぬとな >>670
尊氏が剣となり、良基が璽となる。何ぞ不可ならん! >>672
後光厳も治天(広義門院)の承認はあったよw >>684
どっちが正統かなんて議論しても無意味だし興味ない。 >>680
そういえば二条良基の二条家って初代である二条良実が父親の九条道家と関係悪くて
あまり父親から荘園などをもらえず他の摂家よりも経済基盤が弱かったらしい
だから二条良基は長期間摂関を独占することで殿下渡領を保持したかったとか 尊氏が将軍に即位するのと同時に直義は副将軍に即位したのですか? 見直したいが石と藤夜叉パートがめんどくさくてなかなか踏ん切れない >>687
さすがに王家領荘園群の所有は経済力を示すだけで皇統の正当性には無関係。南朝は八条院領、北朝は長講堂領を持っているし。
皇統の正当性は治天と神器だと思うけど、もう一つ、この時代では平安京に住んでいることがかなり重要なファクターじゃないかな。花の都平安京か、吉野の山奥かじゃ世論も決まるだろうし。
南朝も正平の一統のどさくさに紛れて京を占領しようと企んだしな。
まあでも>>686でいいんじゃないの。どっちも正統ってことで。
皇室の見解では南朝が正統、だがしかし血統は北朝が今まで続いてるのが現実だし。 >>691
南北朝分裂後の南朝は、八条院領をまともに維持することはできてないだろ? 建武五年(1338)足利直義が征夷副将軍に
という記述を見つけたけど証拠史料があるかはわからん、太平記を含めた創作かもしれん
尊氏直義兄弟が「両将軍」と称されたってのはかなり信憑性がありそうに見えるけど 坂上田村麻呂も征東(夷)副将軍になってるから存在しない役職ではないけど >>692
てか幕府設立後に、
北朝が八条院領も一括統治したのでは。
八条院領が機能不全になったのは幕府と鎌倉公方との関係悪化が大きい。 >>696
八条院領は本来の大覚寺統嫡流である木寺宮家が持っていたのでは? 後醍醐以降は大覚寺統の嫡流は後醍醐の直系子孫でいいんでないの?
つか木寺宮家が八条院領を伝領したって資料ある? >>697
幕府設立から正平一統を経て明徳の和約と、
やはり幕府が領地を委ねたと鎌倉公方との対立も
ですね。
木寺宮家所持はなし崩してか政争の関係も
大きいかと思います。
それと八条院領でも幾つかあるよね、
領地によってそれぞれ歴史が異なるかと。 >>699
明徳の和約の際に北朝&幕府側が南朝側に八条院領ではなく国衙領を提示しているのは
木寺宮家が八条院領を持っていたからという話を聞いたことがある。 へー南北朝末期は八条院領は室町幕府が預かってたってこと?南朝の収入源って何だったの? 南朝にまともな収入源なんて、そもそもないのでは?
南朝方の勢力が押さえている地域にある一部の所領とかからは、ある程度の収入が
入っていたのかもしれないが。 >>682
皇位を巡ってバチバチにやり合っとるがな。
白河-鳥羽-後白河は閑院流ライン。この後から高倉安徳と平家腹が皇位につく。
以仁王の挙兵は閑院流に焚き付けられたと推測している。彼は両親共に閑院流で閑院流の権化みたいな奴だからな。八条院の楢子でバックボーンも完璧よ。 源義国〜義康・義重親子が主役の大河だったらそこら辺の話もクローズアップできるかな
まぁ絶対実現しないだろうけど(´・ω・`) 一応再確認のために、
以仁王の令旨は東国の「八条院」領を中心に「八条院」蔵人の源行家によって伝えられた。
「後白河院」((財)古代学協会編 吉川弘文館)によると、八条院が「平家追討の舞台であった」事について、
(1)以仁王の「平家追悼令旨」を旗印に挙兵した源頼朝に早い段階で参向した千葉氏や下河辺氏のいずれもが八条院領荘園を本領としていたこと、
(2)佐竹征伐に進軍した源頼朝が常陸国府で源行家兄弟と面会したのも単なる親族の邂逅ではなかったこと、
(3)この時期に源行家がわざわざ八条院蔵人に任じているのは、以仁王の令旨の伝達対象が諸国の源氏だけでなく八条院領荘園の在地武士であったこと、
と、真に興味深い指摘をしており、安徳天皇の正当性に八条院が同意するはずがないことを考えれば頷ける事である。 八条院蔵人って名前のタレントがいてクッソワロタわ。何者だよコイツはw 荘園の話ししてる人たちは一人で何役もやってるとしか思えない
内容つまらんし >>706
足利宗家物語りは面白い
特に義兼の生涯は頼朝との葛藤やら
運慶との関係やら即身成仏やら
謎めいた遺言やらで面白い
大河は無理でもスペシャルドラマで
やって欲しい >>712
長文だが三河が出てこないから只の面倒くさい歴史蘊蓄くんだと思う 蘊蓄は歴史の醍醐味として許してもいいが
単なるコピペやん >>479
そんな単純ではない
それはこのドラマでも描かれていたが、高師直の考えだろう
足利直義は公武の調和こそが幕府の前提と考えており、荘園領主と地頭の権益を
幕府が両方とも保証し、保護することが大事だと考えていた
だから師直と直義の対立は激化した面がある
師直も直義も権力闘争の末に討たれて、相打ちみたくなってしまったが、
結局その後の室町幕府は直義路線を採用することとなった
ただ荘園領主の公家たちは足利将軍を主君のように近侍
する者が増えていくこととなった(昵近公家衆) 公武合体は非常に困難なんだよな
結局明治天皇が東下して完成した 武士と公家は荘園一つめぐって土地争いしているんだから、
本質的には水と油で、お互いに反目していた
佐々木判官や高師直の態度をみてもわかる
江戸時代後期に尊王論が武士の間でも台頭したのは
武士と公家の土地争いが戦国時代に決着したことと、
天下泰平になって天皇が日本国始まって以来君臨してきたという古典的権威を
見つめなおす余裕が出てきたためだろう >>719
>武士と公家は荘園一つめぐって土地争いしているんだから、
小学生の歴史教科書なみに単純過ぎる
たとえば武士の北畠って知っている?
太平記、観た事はある?
読んだ事、ある? 中世史講義って新刊が出てたわ。院政と荘園がばっちり載ってたwww >>719
尊王論を台頭させた一番の要因は、元を辿れば朱子学の大義名分論じゃないか? >>719
寄進地系荘園の成立期の事情からすれば
在地領主(=武士)と上級領主(=公家・寺社)の関係は
必ずしも対立するものではないのだが・・・ >>726
もう少しマトモな反論してくれよw
毎度毎度ガキのグチを書くなら
ファンタジー系のドラマすれ逝った方が良いw >>727
太平記の時代の話で、どこから水戸が出てくるんだ? テレビ水戸黄門の初期のシリーズで、光圀が楠木正成の墓を建て直す話はあったな。 >>730
暴れん坊将軍でも有ったな
長門裕之が墓守みたいな感じの役で
吉宗が謝ってた 南北朝正閏論で光圀が南朝シンパだったのは重要な要素だろ高校日本史レベル
荘園よりはマシなネタだが、ドラマの話しようぜ 登子が幕府直参の娘に転生しとるが相変わらずお美しき >>733
南北朝正閏論争のほうが要らないネタだろw
というか不毛なウヨサヨ論争にも繋がりかねない危険なネタ 荘園 →ドラマの時代背景を理解するのに重要な中世の社会制度
水戸黄門・暴れん坊将軍 →完全にスレ違いな近世の創作話
どうしても近世(江戸時代)の話に絡めたい御仁がいるのかな?
太平記が好きな中世史ヲタは基本的に近世とか興味ないのだがw 太平記自体が南北朝どっちが正義かって話だろうに訳ワカメ まぁ神皇正統記と水戸は関係あるからな
ちなみに北畠家親子とも
荘園保護に命をかけた。
息子は同時に武士の恩賞については
後醍醐を批判していた。 荘園は古代の遺物であり本質的には中世社会とは関係ない
黄門や暴れん坊は武士の時代の話という点で太平記と同様であり関連性が高い
さらにいえば荘園の話はキモいだけで誰も興味ない
だが江戸時代の話は格好よくて誰もがワクワクする話
よって荘園制の話は厳禁にすべき
そして江戸時代の話はガンガンやるべき! 荘園は中世封建制に基づく制度
公領は古代奴隷制に基づく制度 >>738
南北朝正閏論争は、ほとんど近代以降になって特定の政治思想・イデオロギーを背景に
勝手に独り歩きしていったものだよ。
実際の歴史として南北朝時代がどんな時代だったか、というような視点は全くないし、
下手をすれば右翼・左翼が沸いてくるだけの不毛な論争。
実際、大河ドラマ「太平記」ファンも、一般的な日本中世史ファンも、南北朝のどっちが
正統かみたいなバカバカしい視点で太平記の時代を見ているわけじゃないし、ここで
そんな話で盛り上がられても迷惑なだけだよ・・・。 >>738
それこそ太平記の核の部分でもある。
南北朝の正当性の如何についての記述は
古典太平記も難太平記や梅松論のもあるし、
ドラマにも箇所箇所ある。
北畠親房の神皇正統記なんてその典型。
論争は当事者だった南北朝の天皇家・公家・武家から庶民にいたるまであったし、
室町から江戸も当然あった分けで。
>>745
団塊おジィちゃん
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