【第三十六回】太平記 part.36『湊川の決戦』
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
北畠親房が高師直のことを「こーのもろのお」って発音するのがなんか好き 源義家は陸奥守なのに、わざわざ出羽国に出張していって、清原氏を滅ぼした
ということなのか? 鎮守将軍は、陸奥国と出羽国の両国に駐屯する兵士を指揮し、平時におけるただ一人の将軍として両国の北方にいた蝦夷と対峙し両国の防衛を統括した。管轄地域を同じくする陸奥守や陸奥按察使が鎮守将軍を兼ね、政軍両権を併せることもしばしばあった。
鎮守府将軍 - Wikiwand
http://www.wikiwand.com/ja/%E9%8E%AE%E5%AE%88%E5%BA%9C%E5%B0%86%E8%BB%8D >>572
それだと出羽守の存在意義がアレだね・・・。 陸奥における鎮守府将軍=出羽における秋田城介
かと思っていたよ・・・。 秋田城介と明記した初見史料例は,《陸奥話記》記載の平重成。前九年の役以後,城務は鎮守府将軍の兼務とされ,秋田城介補任は行われず,北奥羽の奥地の中世的郡郷制や蝦夷地の編成は,鎮守府,平泉を通じて推進された。 ショーケン他界につき一話から観てるよ
こんな鎌倉アァァァっ!
真田広之イケメンすぎるw
そりやモテるわwwww >>576
秋田城介って、出羽介が兼ねるんじゃなかった? 伊勢神宮で天皇陛下がやってるのは退位(譲位?)の儀式か?三種の神器の2つ持ち出して娘さんの内親王が斎宮みたいなことやっててビビったわ。
退位され新院になられたら即座に皇室典範の規制から解放されフリーになられる。令和元年になった瞬間に院宣が下される可能性もある。おのおの、抜かりなく。
新院と新帝の権威のバランスがどうなるかも目が離せない。 現代では天皇の宣旨だって出されることはないのに、院宣なんてあり得ないよ。 今の所上皇(と上皇后)の規定は典範に無いけど、皇位継承が出来ず(重祚の否定)皇族会議議員に選出されない皇族扱いらしいので
天皇が皇族全ての長となる現行典範では、上皇は法的に天皇を凌駕しないと類推出来る。
また勅命は戦後現行法制下では基本発令されないので、明治法制の時点で不存在となった上皇による院宣は尚更法制化されてないから法的根拠・何等かの法的権限も有しない。
が、今上の人気は当代東宮より上なんで上皇になっても余り表にお出になると
ちょいと人気の面で新帝は霞み勝ちになるかもしれない。 そうか、治天の君は大日本帝国憲法で消え去っていたか。
せやねんな、院宣に強制力や法的根拠はない。しかし前の天皇が出される公的私的なコメントを忖度する奴は必ず出てくる、もしかしたら政党が忖度するかもしれない。前の天皇には精神的な権威があるからね。
院宣を実行するのも自由、無視するのも自由やねん。もちろん院宣を出すのも自由。上皇には現憲法の規定がないからね。 まず表にでないし私的なコメントすら出さないと思うよ そうか、いずれ平成上皇と呼ばれるようになるのか
胸が熱くなるな 確かに上皇という名称を使うって案出てたけど、あれ決定? >>592
上皇で決定。太上天皇の略の上皇でなく、上皇という新名称。
そのせいか当今皇后も皇太后でなく上皇后。別に皇太后でいいと思うけど上皇后。 院宣は院が出す宣旨なわけで、近代以降の法制では宣旨自体があり得ないのに院宣はないよw おお、知らなんだ、決定したのか
なんか上皇って単語から来る固定概念変えなきゃいかんと言うか、
いや、歴史のお勉強する時と切り離して考えなきゃならんとか、
色々面倒だね 院政をやるなら院庁の整備から始めないと。優秀な蔵人も必要だ、烏丸や葉室の子孫は生きているだろうか。まあ院宣を出せば即座に馳せ参じるだろうが。
そして院政と密接不可分なのが荘園。みんな大好き八条院領や長講堂領を復活させるのが手っ取り早いね。 >>595
上皇は現在の赤坂東宮御所に移從の予定なので、東宮御所の改造が終了したら仙洞御所の名称に変更。 重祚で思い出したが、後醍醐は重祚じゃなくずっと天皇だったという認識なんだよな。
笠置や隠岐に御幸(旅行)してただけで退位してないという。
しかしまてよ、しょっぱなの乱に敗れた時三種の神器を渡したはずだが、あれはいったい? 上皇だの院政だの3種の神器なんか
太平記とは全く関係ない
ここはドラマ太平記を語るスレ
歴史板でやれよ 建武政権が崩壊しなければ、ゆくゆくは後醍醐も院政に移行したのかなぁ いやー後醍醐は終身親政でしょうよ。子や孫はあっさりと院政やってるけどね。 >>608
そらないわ。
本人北朝方から「後醍醐院」と院呼ばわりされて怒った位だから、生涯現役にこだわりあったもの。 >>601
上皇(治天)にとっての院庁は、天皇にとっての記録所に相当するものだから、今や
記録所もなかったのに院庁を置くのは無理だろう。 近代に終身天皇制が始まって後醍醐は草葉の陰でほくそ笑んでいるだろうな。ほらー朕のやっていたことを400年後にやっているではないかー、とな 退位と譲位はどっちが正しいの?
メディアは退位が多いようだけど天ちゃん自信は譲位を使ってる。 >>613
退位か譲位かはともかく、『生前退位』は不味い表現の模様。 >>614
「譲位」だと、天皇の退位と次の天皇の即位に先の天皇自身の意思が介在する表現となるので、現行憲法ではまずい。
天皇の位は、あくまでも主権の存する国民の意思によるものだから、天皇自身が譲るなんていう概念は端から存在しない建前。
今の天皇は、即位時に憲法を守り、象徴天皇として役目を果たすと宣ったが、自ら「譲位」を何度も用いており、実は憲法や国民を蔑ろにしたんじゃないかと思う。
しかも、行事や儀式の時に泣きそうになるし、結局は憲法よりも自らの「天皇道」しか見えず、耄碌してきたんだろう。
はっきり言えば、天皇が不例でも、国事行為臨時代行がいるので、誰も何も困らないので、今回の退位自体、彼の仁の焦り、我が儘を感じる。 >>613
単なる言葉遊びの類いで、退位でも譲位でもどちらでも良いと思ってる
>>615
代行を立てるよりはスパッと次代に譲りたい、ってそんなに我儘かね?
ていうか天皇だって天皇である前に1人の人間なんだし、隠居して穏やかに余生を送って当然の年齢だろうに >>612
後醍醐の時代からだと、明治維新まで500年以上あるよ。
>>615
ネトウヨ乙 陛下のお言葉を噛みしめなさい。
「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます。
また,天皇が未成年であったり,重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。
しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,
生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,
これまでにも見られたように,社会が停滞し,
国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。
更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,
重い殯もがりの行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,
その後喪儀そうぎに関連する行事が,1年間続きます。
その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,
行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に
置かれざるを得ません。
こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,
胸に去来することもあります。」
http://www.kunaicho....ge/okotoba/detail/12 生前退位がいいよね。令和の発表は盛り上がったし。
記憶が曖昧だが、昭和から平成は何かばたばたしてた印象。昭和天皇崩御と今上の即位が同時で平成を祝うよりも昭和天皇の葬儀の連続で重い雰囲気だった。 >>615
つーても摂政に対して大正天皇以来皇室はある種のトラウマになってるから、中途半端に摂政や国事代行する位なら
譲位した方が世代交代になるからマシ、と思われた今上の思いも納得出来ない事も無い。
それに現代は天皇に政治権力が無いので、治天の君として権力を振るう上皇にも戦前の各種政治大権を有した天皇でもないから
譲位して上皇になっても障りが少ないってのもあるな。
太平記の北朝は短期間ですぐ譲位しちゃうし、南朝に拉致されるし、院宣も神器も欠いて皇太后叡旨で践祚とか結構無茶苦茶なんだよな。 >>623
摂政は実際には置けない。
(置いたら、天皇が人事不省でもう治る見込みなしと宣告するようなもので、見方によれば残酷。設置要件が非常に厳しい。)
しかし、国事行為臨時代行は何度も実績があり(天皇が海外へ視察に出たときなど、皇太子がやる)、今の天皇自身、臨時代行のまま即位にいたった。
今の天皇、ちと自分に酔いすぎの感なきにしもあらず。
しかも、物申す人が周囲にいないようだ。
あと、改元も、我が儘いわずにこの元旦か来年の元旦にすべきだった。 >>619
理屈が全く通ってない。
自分の思い込みに過ぎぬ。 >>624
あー、踰年改元はアリだとは思ったな。無理に本年中に改元せず、半年位前に新帝の御璽を頂いて政令で来年元日改元にすれば済むだろうと。
元号法は即位に伴い改元、であって細かい改元日程まで定めてないから、その辺自由が利くし。
でも改元のタイミングは今上の叡慮でなく、完全に行政府が考え都合によって判断した事だから
そこまで今上のせいにしちゃいかんだろ。 天ちゃんのおことばで時限立法ができたくらいだから、これからはこれが先例になっていくだろうな。
秋篠宮さんも高齢で即位は嫌だと言うてるし。
>>623
女院も院だから譲国の儀は可能というのが二条良基の論理だな。 >>626
昨年の新聞記事を読むと、政府は国民が元号を使いやすいよう、今年の元旦の改元を考えていたが、宮内庁側(ぼかしているが今上天皇)はそれに反対していた。
理由としては、
・即位30年を在位のままで迎えたい
・元旦は行事が立て込んでいる
ということ。
後者はリスケジュール可能だし、国事行為としては大した時間、手間を要しない。
前者を何としてもという気持ちが強かったのだろう。
また、皇室行事の改元奉告も前もっていくらでもできるので、単なるテクニカルな問題でしかない。
結局、政府・官邸側が折れ、中途半端な5/1からの改元となる。
今上天皇は後醍醐並とは言わないが、後水尾天皇に近い気質を持つお人だろう。
我が道に固執して、視野が狭くなってしまう。 禁中並公家諸法度よりも何倍も厳しいのな近現代の憲法は 後醍醐天皇には何人の皇子が居たのやら この点もすげえ
むしろ廉子がすげえのか >>633
禁中諸法度とか近現代の憲法など出されましても、このスレの主題である太平記の鎌倉末〜室町初の
ほぼフリーダムワールドに取りましては比較しようもありませぬでな。
鎌倉の圧力が衰えたら、アソコまでやりたい放題のグダグダになって行くんだもん。 >>631
>今上天皇は後醍醐並とは言わないが、後水尾天皇に近い気質を持つお人だろう。
我が道に固執して、視野が狭くなってしまう。
スレ違の上
大バカ無知痔老人
発見 >>637
美しいと思っていた御方が、じつはそうではなかったという実例だよ。
NHKのスクープとお気持ち表明で、今上の底意が見えたわ。 古い木切れでも神だったのかもしれない
このドラマの最後に尊氏が辿り着く境地が秀逸 >>634
廉子所生の皇子って、恒良・成良・義良の3人だけでは? 尊氏の「そう思わねば…そう思わねば…」という悲痛な叫びが、まさに夢多き青春の終わりを告げる最高の演出だった。 >>938
お前、周囲のひとから嫌われてるだろ
周囲にひとがいれば、の話だがな >>638
オジィちゃんは
妄想書き込みしないで
お薬飲んで病気直して
ハヨ寝てね 儂の犬は檻のなかにいるから可愛いのじゃ・・・。
噛みつく者は檻のなかがよいぞ、檻のなかが! >>651
これって高時のセリフ?
「だから足利を外に出すな!!」と言う金沢のセリフに繋がるわけか >>653
円喜が道誉に背後を突かせるって
最後に脅しまでかけたけど
なにしろ道誉だからなw >>654
そもそも道誉を信じるなと
それすら見えてないから負けるんだよ
実際寝返るし
家族はどうなったのか分からんがうまく逃したんだろう
結局貞顕の危惧が一番正したかったという ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています