>>310
曲直瀬道三は若い頃に足利学校で学んだ以外は基本的にずっと京都だからな
戦国大名とも交流があるが大名が上洛した時に診察したり
国許にある時は薬の調合を書き送ったりしているのみ
東庵は織田信秀と大親友で死に立ち会っているからそこまで自由な創作はできなかったとか
まあ一介の浪人の十兵衛が都に尾張に飛び回って
将軍や大名に拝謁して2人きりで会話できるくらいだから何やってもいいんだろうが