>>183
後醍醐天皇は護良親王から征夷大将軍を取り上げた後は
廉子腹の自身の皇子、成良親王に征夷大将軍を与えていたこともあり
親王が将軍になるべきだという考えは一致している
成良親王が鎌倉府将軍、尊良親王が上将軍、懐良将軍が鎮西将軍など
後醍醐天皇は自らの皇子に兵を率いさせている

鎌倉幕府滅亡時には護良親王の令旨に応じた楠木などの新興武士も
護良親王追放時には後醍醐天皇に従っており混乱はない