【1991年 大河ドラマ】太平記part.53
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>>748
子もいて元服もしていたが死んだ
尊氏の最初の庶子もそうだけど複雑すぎるから色々と端折らざるを得ない 高義が生きてたら、尊氏は京で藤夜叉と幸せに暮らせたかもね >>748
アタックチャンスから見たら妹じゃないかな
金沢貞顕と足利貞氏は義兄弟 尊氏が庶子のままだと高義の配下の武将か上杉繋がりで三河あたりに分家でも興してるか程度になるかも
どちらにしてもカリスマ性は発揮できないし、中途半端に発揮したら、直冬バージョンになってたかもな >>643
韓流あまり観たことないけど
そこまで大袈裟でもないような
ドラマによく出ているパクソジュンなんかは日本人的な抑えた演技だし
半沢でかぶく役者が受けたからじゃないの? >>741
上着の裾掴まれてるから逃げようとした脱ぐしかない 後醍醐天皇について
自分とは似ても似つかない
天皇だけど武闘派じゃん
かなり昔の人だし結構好き勝手に演じてる
初共演の人が多くて楽しみ
by 片岡孝夫
お疲れ様でした。 >>748
足利高義で貞氏のあとに家督もついでいる。ドラマでは又太郎が義貞に追っかけ回されていたあたり。
ただ、幕府成立後に尊氏がしれっと存在を無視したので、一時期は実在そのものが疑問視されていた。
>>712
もう30過ぎだしピンク女子はやめたのかもしれんw
でも、この後で娘がひとり生まれるんだよな。 >>752
黄金の日々だと秀吉&家康か。
アタックチャンスと霊感ヤマカン第六感が共演してたりすごいキャストだワイ >>747
そこはドラマで触れて欲しかった感じはするな。
尊氏が次男であることは人格形成の意味でも、北条氏への決起という意味でも重要だったと思うけどな。 最近、俺の神経を逆撫でするレスをするやつが増えて困っている
誰の書き込みかはIPを検出して既に確認済。
いい加減この神聖なスレ荒らしするような真似はやめて欲しい 高義を知りたいのはここのマニアくらいだから省いてOK。あと師直師泰のどっちが兄か弟かもどうでもいい。高家の惣領は師直なんだから兄だろうが弟だろうが師直から師泰に命令がいくだけ ここに警告する!
最近、俺に対して誹謗中傷する声が多く上がっている。須藤凛々花の芸能界引退ネタを面白がる程度ならまだ我慢もしよう。
しかし本当は須藤凛々花を強姦したかったんだろ?という様な卑猥なレスが幾つも付けられ、疲労困憊している
これ以上侮辱するような書き込みをする人間がいたら、訴訟も辞さない覚悟でいる
俺は須藤凛々花に純粋に惚れた、惚れ込んだ。結婚して芸能界を引退した時は男泣きしたものだ。
こんな純粋なラブロマンスを踏みにじらないで欲しい 直義が目指す幕府って、建武の公家連中と変わらず同じ間違い犯す事になるのに何故気付かない? >>762
高氏の累代の根本所領は、高氏の祖たる高階惟長所縁の三川乃国菅生郷
その所領は、師重→師泰→師世(師泰の息)→師秀(師泰養子)→明阿(師泰の娘)と相伝された
何で師泰が庶子なのか、説明してくれるか?
高階惟長→滝口惟忠→大平惟行(三川乃国滝山寺)
高階惟長→惟重→高重氏→師行→師秋(家時置文保管者)→師有(関東執事)
高階惟長→惟重→高重氏→師行→師秋(家時置文保管者)→三郎(三川乃国滝山寺)
高階惟長→惟重→高重氏→師行→師冬(関東執事、三河守、室は高師泰の娘、高師直猶子)
高階惟長→惟重→高重氏→師行→女(高師直室)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師泰(初代幕府執事)→師世(幕府執事)→いち(三川乃国総持寺住持)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師泰(初代幕府執事)→師秀
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師泰(初代幕府執事)→明阿(高師冬妻、三川乃国総持寺開基)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師泰(初代幕府執事)→師武(国司師武)?
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師夏
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師詮
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師冬(関東執事、三河守、室は高師泰の娘、高師直猶子)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師兼(初代三河守護、高師直猶子)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→女(渋川直頼(姉妹に足利義詮室)室)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師永(秋里師永)?
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→貞円(三川乃国滝山寺)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→女(稲荷女房、三川乃国額田郡比志賀郷)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師春→師兼(初代三河守護、師直猶子) 足利一門の人間関係など、当事者たる三河人しか分からんのに、部外者が何で想像で語るかな
分からん事があれば、当事者たる三河人に聞け
◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆 >>744
尊氏が直冬ではなく義詮を後継者にしたのと理由は同じだろ
嫡庶の決定には出生順よりも生母の身分のほうが重要性が高い >>766
おいおい直義が目指しているのは得宗専制化する前のありし日の鎌倉幕府だろ
先例・慣習の徹底無視で世の中を滅茶苦茶にして公家からも武家からも見捨てられた建武政権とは全然違うしw 録画を見終わった。
道誉にもああいう狼藉のエピソードがあるのか・・・・残念だな。
らしくない。ああいうことをやるにしても計算尽くでやるイメージ。
鎌倉で円喜に頭を下げたのは、内心舌を出してるような感じだったが
今回の命乞いはひたすらカッコわりいだけだし あと黒登子ええわー。
尼と対立するとこ、ドラマとはいえあの場にいたら冷や汗でずぶ濡れになりそうな
緊張感があった でももうあんま対立しないよね
そら姑に対して実家のない嫁では対抗できないもんな >>774
当然じゃないよ。日本史やれば出てくる有名なエピソード。恥ずかしいよ。 猿を引連れて宴会をやりながら流罪になっていったのは有名な逸話
あとは斯波にあてつけて宴会ひらいたのと楠木正儀との逸話が有名かな 有名かどうかは知らんが「頼む」のところは本放送当時、
見ていた家族と爆笑したのを覚えている。 >>779
フジの社長もああやって頼まれて陣内の息子コネ入社させてたら面白い で、番組最後に触れた「幕府を揺るがす大事件」て、何ですのん? >>783
尊氏のかあちゃん死去
というのは置いといて、仮名手本忠臣蔵を読もう >>785
羨ましいよ。歴史の知識が無いと新鮮な気持ちで大河ドラマも見れるしね。
麒麟がくるも、最後どうなるか知らないんだろ? >>785
やめとけやめとけ
こういう奴の方が多数
放映直後のレスを見ても7-8割が「持論」ぽい
俺らは放映の時だけレスにいるが、こいつらは何年もいるんだから
奴らの方が主だ 道誉のエピソードを知ってたとて何の社会貢献にもならないなw >>787
ドラマをドラマとして楽しむこともできない哀れ者
歴史小説にもいちいち目くじら立ててそうな感じだな
佐々木がそれほど重要か 全てを知っているような完璧な人間が存在しないのもこのドラマの良いところ
誰もが経験した事が無い動乱の時代を迷ったり裏切ったりしながら懸命に生きてる
判官殿も人並みに動揺したり間違えたりするのが良い 佐々木道誉と織田信長の知名度を同列にしてるのワラタw >>795
俺は大河板の良心だからな
けど、もうゴダゴダするなら勝手にしろよカス共が! で、道誉の逸話でコロナウィルスが死滅するのかい?何か社会に貢献してるのかい?地球を救えるのかい?どうなんだい博識君? 佐々木道誉の逸話はコロナ対策に役立つってんだよ
んなことも分かんねーのかよテメーは
大坂にも緊急事態宣言の要請が出たけどどーなんだよこの先
佐々木道誉の逸話で吹き飛ばすしかねーだろーがカスが! フィギュアの坂本花織が成人式に湊川神社(摂社楠本神社)に参拝していた
楠木の郎党の子孫とかだろうか? 末尾紀行の東寺境内で修学旅行か何かのJK2人が軽やかに歩いてるの見て自分も同じ世代なんで切なくなってきた...
もうあのころには戻れないんだよなー
時の流れは残酷だわ 自分は普通に日本史を(学校で)学んだけれど、佐々木道誉なんてサの字も知らなかったぞ
それが世間一般の感覚
何も問題なし ちなみに太平記の登場人物で名前を知っていたのは、尊氏、正成、義貞、後醍醐天皇
北条氏も義時とか時宗は聞いたことあったが、執権が何代続いたかも知らず、得宗家なんて言葉も知らなかった
時代背景もぼんやりとしか知らなかったから、今回の再放送は新鮮に楽しんでいる バサラ大名佐々木判官を知らねーでこの大河見たのかよww 佐々木道誉がメインで出てくるドラマなのに、佐々木道誉の逸話を知らないとかあり得ねーし
あと逸話に詳しい識者を博識ではなく薄博と馬鹿にするのもあり得ねーし
クソすぎてお話になんねーなカス共が、
佐々木道誉の逸話がコロナ対策になるって書いてんだろうがカス集団! いくら知識が豊富でも、披露して周りが盛り上がるどころかドン引きしてたら世話ないな。
うちの日本史の先生がやたら逸話に詳しかったけど「これはシナプスの無駄遣い」って自虐で言ってた。 道誉のドキュン行動を意外に思った人がいるってのは
それまでの描き方に無理があったということになる リアルタイムのときは佐々木導誉のことは知らずに見始めてたわ
当時はネットもほとんどなく、わざわざ歴史本なんかで佐々木導誉を調べようとも思わなかったからな
まあ、四職である京極家のことは近江をメインにした守護大名くらいの認識やった >>792
このドラマにおいてなら重要なメインキャラだろう
無論、ドラマを楽しむのに史実の道誉の逸話を知っている必要は全くない >>809
子供の頃に読んだマンガ日本の歴史だと佐々木判官の出番って1コマだけだったし、名前も知らずにこのドラマを見る人がいても不思議じゃないと思う ここで訊くことじゃないかもですが、太平記の後のアンコール枠はなにか知ってる方いますか?
いたら教えてください 判官と言えば義経、歌舞伎と言えば仮名手本忠臣蔵、
仁左衛門(孝夫)と言えば大星由良之助、早野勘平、寺岡平右衛門(異論は認める)
通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)
大 序 鶴ヶ岡社頭兜改めの場
三段目 足利館門前進物の場
同 松の間刃傷の場
高師直、塩冶判官、足利直義、顔世御前、桃井若狭之助
四段目 扇ヶ谷塩冶判官切腹の場
同 表門城明渡しの場
塩冶判官、石堂右馬之丞、顔世御前、大星力弥、赤垣源蔵、富森助右衛門、佐藤与茂七、矢間重太郎、斧九太夫、木村岡右衛門、大鷲文吾、原郷右衛門、薬師寺次郎左衛門、大星由良之助
浄瑠璃 道行旅路の花聟
早野勘平、鷺坂伴内、腰元お軽
五段目 山崎街道鉄砲渡しの場
同 二つ玉の場
六段目 与市兵衛内勘平腹切の場
早野勘平、女房お軽、母おかや、千崎弥五郎、不破数右衛門、判人源六、斧定九郎、一文字屋お才
七段目 祇園一力茶屋の場
大星由良之助、遊女お軽、赤垣源蔵、富森助右衛門、矢間重太郎、中居おつる、斧九太夫、大星力弥、寺岡平右衛門
十一段目 高家表門討入りの場
同 奥庭泉水の場
同 炭部屋本懐の場
両国橋引揚の場
大星由良之助、小林平八郎、竹森喜多八、赤垣源蔵、佐藤与茂七、矢間重太郎、富森助右衛門、大星力弥、原郷右衛門、服部逸郎 >>804
中学?
高校の日本史では触れるんじゃないかな?
マンガ日本の歴史みたいなのには載ってた気がする。 片岡孝夫の後醍醐天皇は流石だったけれど、歌舞伎役者のドラマ演技は基本的に好きではないな
歌舞伎役者って基本型通りで大袈裟な演技しか出来ないから、予想を上回る好演ってないよね
それに何故歌舞伎だけヨイショするのか
狂言役者だって時代劇で演じてもいいじゃないかと思う 登子と清子の対立によって上杉一族が直義側になるということかな
その辺りを考えての事ならよくでrきたドラマだな >>821
歌舞伎役者は女性問題以外の不祥事は起こさなさそうだから使いやすいのかと思ってた。
風林火山の信玄はひどかったな。麒麟のミカドも。 天皇は伝統芸能枠のイメージだな
他に所作がちゃんと出来る人が少ないのもあるだろうけど >>783
土岐頼遠の件?
>>820
高校レベルでも佐々木道誉は正直スルーされてしまうことが多いと思う あの一連のエピソード、土岐頼遠は突っ走ったけど道誉は一線を越えない政治感覚が有ったって比喩で使われるよね
土下座して助命を頼むのは予想外だったがw >>804
世界史取ってたから
フランス革命のタレーラン的な人って印象 判官殿が尼子経久の先祖とはね。
6年後に陶晴賢役で登場。
「経久?84だぞ、何ができる」と一蹴した。 >>783
観応の擾乱のことじゃない?
直義派と師直派で分裂したし。 俺の偽物がこのスレで暴れてる 自己顕示欲のつよいレスはニセモノだから気を付けてね >>829
そういや佐々木判官殿の墓がある寺の最寄は尼子駅ですわ >>828
判官殿は何だかんだ言って尊氏一筋だし、タレーラン的な無節操さは感じないかなあ? >>833
建武政権の頃だと
新興武士派の護良vs守旧派の尊氏
という形だったのが皮肉だな 執事職を解任された師直は、師泰とともに挙兵して京都の直義邸を襲撃する。
さらに直義が逃げ込んだ尊氏邸をも包囲し、尊氏に対して直義らの身柄引き渡しを要求する抗争に発展した。
尊氏の周旋によって和議を結んだものの、直義を出家させて引退へと追い込み、
幕府内における直義ら対立勢力を一掃した。
一説にこの騒動は、直義(およびその養子直冬)よりも息子義詮に政権を引き継がせたい尊氏と
師直の示し合わせによるものともいわれる
全ての黒幕は登子 高師夏
母は関白・二条兼基の娘で、これは師直が二条家から盗み出して
師夏を産ませたものと伝わっている
師夏は容貌が美しく、心も善良で温厚だったため、尊氏の寵愛を受けた(ウホッ) >>783
土岐頼遠が上皇に弓を射たとか言う事件と思われ
佐々木道誉の放火と言い
酔っ払いが起こした様な事件が続くんだよな >>820
僕の家にある小学館の漫画日本の歴史には
佐々木道誉は一コマ程度しか登場してないけどな
それで小学館の漫画日本の歴史には
佐々木道誉が足利尊氏と仲が良かった様な描写はまるで見当たらないんだがな
佐々木道誉が足利尊氏て本当に仲良かったのかね誰か教えておくれ >>708
ちなみに戦国最強と昔から評判の武田信玄と上杉謙信だけど
実際に戦の勝率は8割か9割ぐらいだったらしい
織田信長を完全に上回っている
それなのに何故天下を取れなかったかと言うと
本拠地が京都から遠かったのと
自分が天下人になろうと言うわけではなく
室町幕府の幹部か有力大名で良いと言う気持ちがあったと思われ
実際に上杉謙信など関東管領で満足してた様子だし
関東管領の仕事が有るのか
京都方面へ攻め込まず関東へばかり遠征してたな
天下人になる気なら京都方面へ侵攻しなきゃおかしいぜ
上杉謙信は自分が天下人になる気はなかったんだろうな 道誉の御先祖筋にあたる佐々木氏は源為義、義朝、頼朝に勝ってる時も負けてる時も伊豆に幽閉されても挙兵前後もずーの配下として使えている
尊氏と道誉が公私共に仲が良かったあかどうかはわからんが、家風的に佐々木氏は源氏の頭領には付き従うようになってる
子孫もなんだかんだで足利将軍家に最後の義昭が没するまで使えてるし、大名から華族としてして生き残る血統もあり、北海道を開拓して京極町という地名まで残している >>838
それでナレーションでわざわざ土岐頼遠の名前が出てきたのか。 >>831
これ何ですか?
801須藤凜々花が好き2021/01/11(月) 18:00:51.48
佐々木道誉の逸話はコロナ対策に役立つってんだよ
んなことも分かんねーのかよテメーは
大坂にも緊急事態宣言の要請が出たけどどーなんだよこの先
佐々木道誉の逸話で吹き飛ばすしかねーだろーがカスが!
まあさておき、私は佐々木道誉を学生時代に習ったことがないので知りません
少なくとも小中の教科書には載ってなかったですね
高校時代は一年が世界史、二年三年地理を選択したので高校の教科書に載っている内容か
よく分かりませんが未知識で見たほうが案外楽しめるようにも思えますね 上皇を侮辱した土岐頼遠は死罪なんだよな
政権の正当性を考えると政治的にやむを得ない判断かね
ギリギリのところで転落しない判官殿のバランス感覚はさすが
土岐も青野ケ原で顕家を転進させた大功労者なのに馬鹿なことをやったもんだ さすがに今までの武士は上皇や天皇にここまではやらなかっただろう
世の中に1つだけの物が2つあれば価値が下がるの仕方ない
しかも1つは自分達が作ったならなおのこと
天皇の権威が最も低下した時代かもしれないな 光厳は歴代屈指の苦労人である。しかも大半が後醍醐原因ももらい事故だ。
北条に強引に即位させられ、六波羅探題壊滅の目の前で見せられ、後醍醐に即位をなかったものとされ、
今度は足利に担がれ、でも尊氏は後醍醐の虜のままで、帰り道に散々にディスられて、
今後も犬と言われて矢を射かけられ、親房に拉致られ、神器を取り上げられ、諸国巡礼に出たら武士に川に落とされ・・・
明治になったら歴代天皇位からも外され、現在は代数に数えてもらえず・・・ >>848
だから晩年は俗世間の虚しさ、人生のはかなさを悟って、世俗を断ち禅宗に深く帰依していた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています