武士の出世について

平岡円四郎の実父(岡本忠次郎)に触れた記録

<続徳川実紀>
矢部余に謂て曰く「足下は川路三左衛門に親しきよし、川路または岡本忠次郎(岡本忠次郎正成、
のち近江守)などいえるものは元来勘定所より出身せり。勘定所は人々才力を以て出身する場合ゆえ、
川路、岡本何れもその跡立派なり、某(それがし)は元来三百俵の御番士よりカクまでに立身したるは
才力にあらず、みな賄賂を以て致したることにて、大方のあざけりもあらんと思うなり」と語れる風情
サスガに取飾なく、かつは英雄の気象ありけるゆえ、彪(藤田東湖)答えけるは、「イカにも老兄と
川路らとは出処同じからざるゆえ、出身の相違もあるべく、賄賂を以て出身するは元より誉むべきことに
あらざれども、ここに一つの説あり、全く自家の腴を欲し富貴逸楽を希わんとて賄賂を行うもあり、
また恬憺(てんたん)無為にせば終身聞こゆる無きのみならず、上のために心力を尽くすこともなし得ず、
サラバ少く道を枉ても当路へ出、国家のために力を尽くし名をも後世にあげまほしきにて、自ら進んで
求むる人もあるべし、この二人は跡同じうして志異なりというべし」と申しければ、矢部も欣然として
喜びけり。・・」

http://onjweb.com/combakumaz/TP/TP12/TP1212/a12_1221.htm
 
(つづく)