【2021年大河ドラマ】青天を衝け PART57
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>>1
【放送】2021年2月14日〜
【主演】吉沢亮
【脚本】大森美香
【制作統括】菓子 浩 福岡利武
【音楽】佐藤直紀
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>>980を踏んだ人が次スレを立てて下さい
立てられない場合は声掛けを
※前スレ
【2021年大河ドラマ】青天を衝け PART56
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1624700521/ >>97
ガイドによると大阪城逃亡はやらず栄一への手紙
で知らせる
ナレ逃亡ならぬ手紙逃亡
栄一が手紙で咎めて帰国後会いに行くが話さない
視聴者に委ねる形かその後明らかにするのか >>99
いうても、当時は尊王勢力は一橋、会津以外にもいたしあの肩入れはなんなんだと
思うけどね。 >>103
尊王と天皇を利用しようというのは違うのではないの? >>17
大村益次郎同様にやれていれば対抗できたって事かな?
最新式の兵器+西洋兵学を取り入れて徹底的に合理化・近代化etc. >>76
行った事業の量と質とスピードが半端ではない
渋沢がいなかったら日本の近代化は2、30年遅れてたんじゃないか
東洋紡一つとってもそれが関西が工業地帯として発達するきっかけとなった
並ぶとしたら岩崎弥太郎ぐらいかなあ。それも岩崎四代を含めてだけど >>28
第三共和制になっても
ベトナムとか進出さらに進めてるから シブゴジ見た
パリ編ゴイスー
これは楽しみだわ
昭武役の人も可愛らしくてまた顔面偏差値が上がる >>104
まあ、そこらへんを見抜いていた可能性もあるけど、今となっては客観的に彼らが
真の勤王家だったのかただ利用しようとしてただけなのかって判別しようがないけどね。 >>93
逆だよ
一橋と会津を推してる連中が孝明天皇の一番のお気に入りだったと宣伝してるだけ
実際には青天で描かれたとおり御所を守る役目を争って勝ったのが一橋・会津・桑名だったってだけで
天皇としてはずっと京都にいて守ってくれそうな人なら誰でもいい >>96
風林火山の板垣とかとしまつの勝家的なポジションだね >>108
昭武って獅子の時代だと中学生くらいの歌舞伎役者が演じてたよね 渋沢の実家の動揺は大げさだな
将軍のそばに使えるだけで本当の戦場に出るわけじゃないのに
喜ぶところだろ 関東の武士団は後北条までまともな統一勢力が出なかったくらいだし
天皇の血筋、源平の血は数少ない秩序形成の道具として重宝されたんだろうなぁ
帝そのものが尊敬されていたかというとたぶんない
特に足利絡み >>116
その辺手紙じゃわからんでしょうよ
今みたいにメディアでリアルタイムの戦況知れるわけでなし なんか徳川を軽く差別してない
公権力は徳川であって長州でも薩摩でもない
なんかそのへんが基地がいじみてる >>108
シブ5時見た
昭武役の人女の子みたいに可愛らしい顔だね 現代の感覚だとよくわからんけど
皇位簒奪を考えた武士がほとんどいなかったのは
単純に文化的な憧れもあったんだろうな
天皇は長いこと日本文化の頂点としての役割もあったし
皇位簒奪は立派な寺社を破壊する行為と同類だったんじゃないかと
ガチ簒奪があり得たとしたらやっぱ戦国のキリスト教系勢力しかなかったんじゃないかなぁ >>108
私も見た
パリ編豪華
ワクワクする
いつ見られるんだろ 天皇なんか木か金で作って置いておけば良いなんて言われた時代もありました >>121
どうなんだろうね、対立すると島流しにするのは来年見れるし。 >>124土岐頼遠が
上皇の輿に矢打ち込んでた時代だからな 「王様」に国を仕切る権利がなんであるの?ってのはヨーロッパでもあれこれ議論されてるデリケートな話題だし、ガチの武力チャンピオンってだけなら次の武力もってるのにその座を奪われてもしゃあないってのはあって、権威と権力分けるってのはそれなりに合理的だよね
新しいローマ教皇になってキリスト世界仕切るぜ!みたいなやんちゃな人が現れないんもそういうことだろう >>91
小栗斬殺直前に、
土方らによって宇都宮城を奪われたりしてるから、
タイミングとしては新政府軍が慌てまくってた時期。 彰義隊や奥羽越列藩同盟も宮様を立ててたぐらいだから
勝てば官軍で帝を擁立する事自体は現実的にあり得たでしょう
だけど、立場的にそれやったら収拾つかなくなるって事を
一番よく理解していてもおかしくないのも又慶喜な訳で
それやった南北朝は収拾のつかない動乱の時代になった訳で
水戸光圀とかドラマの摂海防禦絶叫野郎とかは大楠公信奉者だから
そんなこんなの水戸学とかが素地にある以上、新帝擁立をオプションに入れると言う事は
そのまま南北朝に雪崩れ込む事を考えなければならない
天狗党なんかは正に天皇・将軍・大名の三元政治が失敗した最悪例だし
将軍後見職として幕府に関わり一会桑で京都政局を制していた経験から言っても
今このタイミングで勅命の絶対性を
武士が武力で否定してしまっては将来に渡って日本に禍根を残す
少なくとも、帝との信頼関係で政治を繋いでいた経験から言っても、
最後の歯止めが何処にあるか分からない
そんなカオスな世界で武家の棟梁とかとても出来ない、慶喜自身はそう思えるだけの経験をしてる >>121
文化というより天皇は神に等しい存在だったんだろ
仏教やキリスト教と比較するのは違う
戦国には比叡山の焼き討ちもあったし
むしろ武家にとって天皇は都合の良い存在
本当に神とは思ってなくとも天皇によって武家の頭領としてお墨付きをもらい全国に発信する事が出来る 最近喜作が何かと栄一に突っかかってくるのが腹立つわ >>129
日本の場合神道と天皇が結びついてるのも大きいよね
ローマ法王が国王も兼ねているようなもんなんだろうね
権力を握っているというだけではなく神格化されている >>116
渋沢家は百姓の家であって侍としての教育を受けて来た家じゃないだろ >>2,4,7,8
慶喜さんはよく暗殺もされず長生きできましたね
護ってくれる人たちがいたのでしょうか
それにそんなに嫌われてなかったような >>111
そうだった。父親はともかく、妹にそんなこと言われるわけないね。
>>125
「主上御謀叛」っていう倒錯した言葉が有るらしいねw >>132
麒麟だと独特の関係性で描いてたけど、
織田信長もむしろ合理的だからこそ尊王だったのが本当だからな
武力財力で相当優位に立っても、
むしろその実力を使って朝廷と言う権威を得た方が手っ取り早い
陰謀論みたいに朝廷を否定してしまっても面倒なだけだと >>140
勝海舟の忠告に従って、30年も静岡でほとぼりを冷ましてたのは大きかっただろうね。
それにドラマでの描き方みたいに慶喜将軍就任反対してた幕臣が多かったのなら、
もともと期待が低いというか、後ろめたい気持ちも有ったとか? >>129
ヘンリー8世の離婚問題からイギリス国教会立ち上げて
宗教と世俗権力のトップに立ったイギリスがトップになる
実際はカトリック修道院の領地接収目的だけど >>100
その言葉は嫌いだ。運が良いから成功しただけの人間を尊敬する気にはならない。
渋沢という人は新政府の意向に従い、税金で官製企業を起こしては民間に払い下げる
というイメージなのですが、間違っていますか?
>>140
将軍の時は至極迷惑な人だし、明治以降は相手にする価値がない人。 >>140
身近な家臣には好かれていたんじゃないかな
ドジっ子猪飼さんみたいな人を怒らなかったから
本当はいい人なんじゃないかと思う
ただ水戸の人だからという事で元々幕府側の幕臣には
先入観だけで嫌われていたのかもしれない 慶喜が暗殺されずにすんだのは気をつけていたのもあるけど
皇室の血筋だからというのもあるのかも >>144
それはウチはローカルでやっていくわって分派独立しただけで、イングランド王がこれからキリスト世界仕切るわって話じゃぜんぜんないでしょw >>140
>>145で相手にする価値がない、って言ってるけど、
実際、ここで「主殺し」をやってしまうのは決定的に「意味がない」んだよね
この場合の「主殺し」で「意味がある」とすれば、
主君の首を持って寝返るか次に都合のいい主君を擁立するか
それ無しに私憤だけで仮にも主君となった者を殺してしまえば
徳川家の家臣としても、慶喜を恭順させている朝廷から見ても逆意と言う事になって、
武士として社会的に完全に死ぬ
もっと言うと、そうやって新・徳川を擁立させない為に、「さきさま」(前将軍)と言う象徴として
謹慎を解かれた後は出家すらせず個人、わたくし、として生き続けたとも言える >>132
都合のいい存在同意だ、天皇朝廷も権力の趨勢に敏感だし風見鶏八方美人で
隙があれば権威を押し付けてくる、良いように使われないように武士も警戒してたと思う
>>143
栄一は不満みたいだが30年は正解だったかもね >>147
慶喜が二心様とか色々言われたのは二律背反とまでは言わないまでも
本来異質なものを内包していたからだと思う
慶喜は水戸の出で水戸学で天皇>>>>将軍だけど幕府の主流派は公家や朝廷は学問や
神事だけやっておればいいという考えでしょ
違勅に関する考えも違うし
幕府からしたら京の犬めでしょう
でも完全に京の犬ではなく徳川の一員であり徳川幕府を支えたいとも
思っている
どちらかに振り切れれば運命は違っていたのかもしれない あと江戸幕府、徳川の人間という封建社会や武士を代表する人でありながら
武士っぽくないというか極めて近代的な合理主義者だったのだと思う
ラスト将軍としては西南戦争で戦って負けた西郷隆盛のように武士の最後の抵抗をすべし
それが武士の棟梁というものだろうという考えは非常に日本的でよくわかる
けどそれをやったら日本全国で内戦状態になって日本は欧米の植民地ってのも
慶喜はわかっていたのだろうし
そういうやってもしょうがないことはやらないという考えの持ち主だったのでは
長州征討の諦めの速さからしてもね そもそも慶喜みたいな偉い人は護衛もいるし、殺す方もチャンスがないだろうw
井伊直弼が不運過ぎただけで 隠居後の慶喜が輸入した自転車で移動してたとき
お供の家来は走っていたという話がひどすぎて好き この大河の土方すごい土方っぽいなぁ。無論実物あったことないけどドンピシャ感がある
かっこよさだ。 >>153
内戦、植民地云々は考えてなかったと毎度叫んでる人がいるので、その辺は永久に交わりませんねw
でも、その人、妾を連れて逃げたのも非難してるけど、むしろ置き去りにするほうがマズいと思う。 >>153
長州征討不思議なんだよね、あれだけ孝明天皇から絶対討てと言われてたのに
尊王の慶喜がアッサリ諦めた所、容保は反対してたしな 慶喜ってそういう人なんだじゃない。幕軍の連戦連勝だったら、イケイケで行ってたと思うよ
芳しくないと知ったらすぐやめる。故に二心殿w >>155
まあ、騎馬武者の従者なんかも徒歩だし、それと同じ感じかな。
だから移動速度は制約されるんだよね。 >>152
公議第一、朝廷は政治に口出すな派も外国の文化も取り入れないと派と外国の文化なんて一切合切取り入れる必要ない派に分かれる。 慶喜が現代に生まれたら世の中の流れを先々まで正確に読めるけどネット評論家で終わるタイプなのでは >>154
城内の方がワンチャンあるんじゃね?
江戸時代通じても幕閣首脳が何人か殺られている。 >>141
いやでも政子ならいいかねん(´・ω・`)
勝がすこぶる北条義時の事を評価してるんだよな。 >>163
大坂に置き去りにされた連中で、江戸城なり寛永寺なりに入った人っているんだろうか? >>106
栄一いなかったら日本は植民地になってたかもしれないと言われるからな
栄一と比較するなら弥太郎だけでなく岩崎四代に同意 慶喜公伝は一級の幕末資料であれまで叩くのは歴史が嫌いな人だろう
膨大な伝記や自伝というけど栄一本人は聞かれて語っただけで本人は出版する気もなくという感じだな
岩波の雨夜譚も昭和59年だからな需要が合って供給されたといったとこ論語と算盤は伝記というよりビジネス書
栄一の伝記書いてるのは弟子や孫だったり商業作家だったり栄一の膨大な資料は孫の敬三が残して近代史の資料になってる
敬三は民俗学やってて日銀総裁の時には田中啓文の古銭コレクションを預かってそれは貨幣博物館にある 深谷の血洗島に渋沢利雄酒店という店があるが、渋沢栄一の親戚筋の人かなあ >>159
それは二心じゃなくて当たり前では?
ただ第二次世界大戦の時東条が慶喜なら
ミッドウェー海戦負けた時点で降伏していたと思う
硫黄島はないし東京大空襲もないし原爆投下もない
でもそうしたら腰抜け批判されただろう
どっちがいいかって話だわな >>162
行動力もあるし恫喝もできるからなあ
東京オリンピックは中止かもしれん >>171
たしかに
今回の宮内庁長官のニュースから管総理は陛下のお言葉を再三に渡って無視したらしいからの長官発言とか
もし現代に慶喜がいたら天皇から「私はこう思うが慶喜やってくれるか?」
と勅許を御下命されたら尊皇教育受けてる慶喜のこと
きっと総理を震え上がらせて陛下のご意思を伝えると思う 天皇は国の象徴で天皇が政治に口出すのはダメだと日本国憲法で決められてる
菅も長官が言ったんだろうとスルーするしかない天皇が憲法違反したことになる >>173
そう天皇自体は動けない
からの慶喜なんだよ
あくまで慶喜自身の行動ということにしてある意味天皇の密命
そういう帝命の人間が現代ではいなくなったのかなあ
あと>菅も長官が言ったんだろうとスルーするしかない
この言い方だと今回だけの話だと思ってるようだけど
陛下は今までにも総理との二人だけの話の時に何度もその旨おっしゃってるらしいでも常にスルーされてたから恐らく今回確信犯で長官に代弁させたんでは
?
でもそのことは絶体に言えない
それこそ今回の大河ドラマの孝明帝が長州に対してかなりの嫌悪感持ってたのと同じように今上帝も・・・以下ryk 世襲の天皇が、民主的基盤の上にいる内閣総理大臣よりも護憲で且つ国民の生命健康を考えているという皮肉 >>167
大阪城逃亡も自分に都合の悪そうな事を語ってるしな。恭順は言わなかったんだな頭イイ
神保の建言を聴きたれば、むしろその説を利用して江戸に帰り、
堅固に恭順謹慎せんと決心せしかど、そは心に秘めて人には語らず。
試みに諸有司・諸隊長などを大広間に召し集めて、
「この上はいかにすべき」と尋ねたるに、いずれも血気に逸れる輩のみなれば、
みな異口同音に、「少しも早く御出馬遊ばさるべし」というのみなれば、
よきほどにあしらいおき、板倉・永井を別室に招きて、恭順の真意は漏らさず、
ただ東帰の事のみを告げたるに、
両人は「ともかくもいったん御東帰の方しかるべからん」といえるにより、
いよいよそれと決心し、ふたたび大広間に出でて形勢を観るに、
依然として予が出馬を迫ることしきりなりしかば、
予は「さらば、これより打ち立つべし。皆々その用意すべし」と命じたるに、
一同踊躍して持場持場に退きたり。予はその隙に伊賀(板倉)・肥後(松平容保)
・越中(同定敬)らわずかに四、五人を随えて、潜かに大坂城の後門より抜け出でたり。
城門にては、衛兵の咎むることもやといたく気遣いたれど、
お小姓なりと詐りたるに欺かれて、別に恠しみもせざりしは誠に僥倖なりき。
(第十四)
この談話がなされたのは明治四十四年(一九一一)である。 大坂城に撤退した徳川慶喜は、家臣たちに「最後の一騎になっても退くことは許さない」と檄を飛ばして将軍の威厳を示しました。しかし、胸の内はひどく動揺していたのです。敵より3倍近くも兵力があれば、勝てると思うのは当然ですよね。それなのに、結果は敗戦。慶喜は冷静さを失ってしまいました。そして新政府軍が大坂城に向かっているという報せを聞くと、「このまま大坂城にいれば新政府軍に包囲される」と焦りをつのらせ、驚くべき行動に出るのです。
それは、仲間を置き去りにした敵前逃亡。徳川慶喜は会津藩主の松平容保などごくわずかの重臣だけを連れて幕府の軍艦・開陽丸に乗り込み、江戸城へ戻ってしまったのです。
リーダーが敵を目の前にしながら、仲間を置いて逃げてしまうなんて、信じられませんよね。 単純に朝敵として討伐されるのは嫌だったから大阪城から逃げたんだろうな 慶喜の手としては軍政改革を上手にやれば天皇殲滅薩長殲滅 徳川による独裁国家を作るという手もあったかと。
勝ったほうが正義ですから。 戦国時代から大将が「俺逃げるからお前ら命かけて追撃を阻止しろよw」なんて当たり前に命令するし、家臣や末端の兵士もそれが卑怯だと考える価値観は持ち合わせてないぞ。まぁ、逃げたと聞いたときに腰抜かしたりひっくり返ったかもしれんけどw
関ケ原の時の島津の殿様も信長配下の時の稲葉一鉄も捨てがまり戦術を使って逃げ帰ったんだから、むしろそれを知ってる薩摩の人間はどう思ったのかw >>176
恭順のことはおくびにも出さず、疑われないよう血気盛んな幕臣に対しては徹底交戦を煽って安心させ、周りに人が居なくなった隙を見て脱出
冷静すぎるw >>180
撤退と敵前逃亡は違う
なんか混同してる人多いけど >>182
ドラマで草なぎクンが
そこら辺を混同したセリフ言ってたらおもしろいねw 勝麟太郎を使者に長州相手に和睦交渉もしていたんだよ
話がまとまり掛けた時に総大将が自分だけトンズラ
幕臣たちも怒るし、全く意味がわからない行動
将軍の器ではない人 >>171
たしかに慶喜が今の世の中にいたら何か変わってたかもね
東京オリンピック中止か逆に自粛終了か何らか動いてはくれそう
今こんなってことは100年後の大河ドラマに平成令和の人物は主人公もしくは準主人公になれないってことだわな >>182
そう、敵前逃亡じゃないんだよ。第二次長州征伐、鳥羽・伏見の戦いの敗北で撤退を決断しただけのこと。慶喜やその側近には兵数の差では補えない勝てない理由が見えちゃった。薩長からしたら数的劣勢であることで幕府側が油断して大阪で決戦してくれたら旬滅可能で万々歳だった。 元々、幕臣でも慶喜好きな人間誰もいないし
敗戦処理なんか出来るわけない
まとめられないから逃亡しただけ >>187
そうなんだよ幕臣の多くが慶喜を嫌っている。ということは慶喜も知っている。だから信用しない。慶喜にとってはもはや誰が味方かわからない。交戦中で圧倒的不利の状況での和睦交渉が和平や休戦に繋がるなんて考えるのはお花畑。時間を稼いで力のある方が交渉に有利な既成事実をどんどん積み上げていく。当時の交渉は薩長にイニシアティブがあった。それを真面目にやってた勝を慶喜は白目で見ていたかもしれないよw >>186
わかってないなあ
撤退はリーダーが退却を宣言して皆で退く
敵前逃亡は仲間に言わず自分だけ逃げる やっぱりどんなに反発されても前日に降参撤退すること部下たちに言ったらかっこよかった
慶喜さん自分が殺されることが怖かった?
敵前逃亡しても殺されたかもだが >>189
だから捨てがまりを例に出してんだろうw
撤退は許されず死ぬまでその場にとどまり敵兵を殺す役割であり戦術だよ。島津義弘はそれを命じたんだよ。 >>190
それをやったら自分は暗殺されて戦争は続行されると思ったんでしょうね
元々慶喜は挑発にのるなと言っていたのに
戦争はじめられたわけだから
薩摩邸焼き討ちにしなければよかったわけだしなあ >>190
あとで慶喜が京都に出兵すると言い張る家臣に勝手にしろと言ったのを後悔してたように最初に止めとくのがベスト
そこでなめられてちゃ戦いが始まってから撤退するのは無理
島津久光なら最初に出兵は不要と何度も説明して、それでも家臣がごねて勝手に出兵しようとしたら他の家臣に斬らせる 撤退でも敵前逃亡でもなくて、慶喜的には単なる本陣の移設の感覚だったのではないかw
そもそも、総大将が最前線にいること自体に問題があるわけだが、関ケ原の前例で多くの人間が総大将は最前線で指揮を取るのが当たり前という勘違い。合理的に見て別に戦上手なわけでもないし幕臣からは嫌われてるから士気上がらないだろうし、松平兄弟は不気味だし、俺殺されたり捕まったらそこで終わりだし…そうだ、本陣を江戸に移そう!でも、今更この状況で説明しても誰も納得しないだろうなぁw榎本危険だから開陽丸取り上げたいし、ピコーン!今が好機か!
結果幕府軍総崩れ 長崎から海外の情報手に入ってなかったのかな?
アメリカ軍の日本は特定の外国以外との貿易入国を許さないというのにキレて軍事力でむりやり通商を迫ったから驚いた? そもそも戦国時代に船も大砲も鉄砲も外人も入ってきてたのに
なんで幕末に始めてみたいな扱いをするんだろ 今考えると薩摩を政府から追い出したのが判断違い
薩摩が敵に回って潮目が変わった
徳川幕府を滅ぼしたのは慶喜 ●本編ナレ/守本奈実アナウンサー「北九州で善戦していた幕府軍が小
倉城を失って逃げ出す事態となり、幕府の敗北は決定的になりました」
解説が史実と違います。幕軍は小倉城を失う前から浮き足立っています。
幕命で無理くり長州征討に参加させられていた肥州熊本藩の某指揮官が、
当時最新の西洋式軍備を誇った幕府陸軍を率いて小倉口に陣を敷いてい
た幕軍総督・老中小笠原の高圧的な態度に憤慨して全藩兵を率いて撤兵。
そこに将軍徳川家茂死去の報が入った事で小笠原は心底狼狽し、幕府軍
側の最高指揮官の立場でありながら形振り構わず一目散に戦場から逃亡。
それを知った他の九州諸軍は元々、長州藩に対して敵対心など一切なく
逆に同情的であったのに幕命で長州征討に嫌々参加させられていたから、
幕軍総督・小笠原のそれら一連の見苦しい態度と戦意に乏しい幕府陸軍
の醜態を見て呆れ果て、守備陣地を捨てて次々に戦場を離脱する始末。
この事態で小倉藩は孤立無援の身となって絶望状態に陥り、藩首脳の判
断で圧倒的な強さを見せる長州諸隊に攻め滅ぼされる前に、再起を図る
ために自ら城に火を放って全藩兵が田川地区に撤退したというのが真相。 あぁ、そもそも慶喜は朝廷を守るために京にい続けたわけで、鳥羽伏見で朝敵になったのだから「じゃあ、畿内に陣を張る意味無くね?」と朝敵になりたくなかったからじゃなくて、性格の悪い慶喜の朝敵になったからとっとと江戸に帰った説w ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています