【2022年大河ドラマ】鎌倉殿の13人 part141
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【放送予定】2022年1月9日~
【脚本】三谷幸喜
【主演】小栗旬
【音楽】エバン・コール
【語り】長澤まさみ
【3DCG地図】シブサワ・コウ
【ロゴ】佐藤亜沙美
【制作統括】清水拓哉、尾崎裕和
【演出】吉田照幸
【プロデューサー】大越大士、吉岡和彦、川口俊介
【公式HP】http://www.nhk.or.jp/kamakura13/
※本スレはガイド本、ノベライズ等によるネタバレ禁止です。ネタバレはネタバレスレでお願いします。(史実、伝承、他作品に関するものは可)後付とか屁理屈言わずに必ず守れ!
【2022年大河】『鎌倉殿の13人』ネタバレスレ
http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1645598605/
※時代劇板のワッチョイ有スレはこちら。
【2022年大河ドラマ】鎌倉殿の13人 part3
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/kin/1658903428/
前スレ
【2022年大河ドラマ】鎌倉殿の13人 part140
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1660484714/
関連スレ
【2022年大河ドラマ】鎌倉殿の13人 他作品の話題禁止スレ
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1654336109/ >>805
単なる考察を「今回の大河の設定」などと既に決まってることみたいに書いたら、批判されるのは当然だろ
害悪はあんたの方だ この前の回の比奈と泰時の場面で普通に太郎と呼び捨てにしてたので爺さんの思い込みは論破だな >>795
政子の使い方てのがあって
北条は都合の良い時に政子を出してくる
いらないときは出さない
だから政子が出てきたり出てこなかったりマチマチになる
畠山合戦は御家人の不満が非常に高かった
義時は戻るや時政をなじって父子喧嘩やらかす始末
だからそういうときは御家人を宥めるために政子を表に出すのさ >>816
鎌倉幕府で初代御後見は義時になってるの
時政は牧氏事件でやらかしたからかと言われてるが
実はポンコツだったから!てのは新しい解釈で良きw
千幡が若いから時政が将軍家御後見をお願いする、てドラマで言ってたね
執権て言葉使うんだろうか >>854頼家の失政の責任を誰かが取る必要があった >>849
伊賀の方って二階堂行政の孫何だね
二階堂行政の息子行光は重忠と同い年
重忠の死んだ日に伊賀の方は政村を産んでるのね
そう考えると同年代か少し下かもね >>795
逆だ、政子が足利にすがったと言っているだろう
そして三河は、足利に譲るしかなかったと言ってんだろう
北条が乗り越えられなかったのは、頼朝が構築した三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)
男系、女系共に源頼朝に近い足利氏が使命感をもって、武家の世界を源頼朝の三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)に戻したんだよ
その三河システムの存在は政子ちゃんは周知の事だ
頼朝やその息子孫がいなくなって、政子が頼りにしたのは三河で繋がる人々だったのは明白だろう、政子の葬儀奉行は三河守護の足利義氏だった
金剛三昧院(本尊、愛染明王は北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作成)
・建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建する
・承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰する
・貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立する
・嘉禎4年(1238年)、足利義氏は政子の十三回忌にあたり、当院に大仏殿を建立し、丈六の大日如来像を奉安して、政子と実朝公の遺骨を納める
・源実朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源実朝
・葛山景倫(願性)
藤原実範(三河守)→女(藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性)
・安達景盛
小田野兼広(三河国八名郡小野田)→安達盛長(三河国小野田荘地頭、三河守護)→安達景盛(三河国小野田荘地頭、1221年まで三河守護だったか?)
・足利義氏
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女(養女)→足利義兼→足利義氏(三河守護) >>793
どこで義時が比奈に溺れた場面があったんだよ
おまえの脳内欲望だけだろうが
この不能者が 源実朝の家庭教師。
それと兼ねて鎌倉の様子を後鳥羽院に逐一報告するんだったかな。 >>861
実朝と共に公暁(善哉)に殺される
義時と間違えられたようだが >>864
実朝って後白河法皇に育てられるの?
後白河法皇が生き返って来るってコト? >>854
比企に権力簒奪の気がなくとも頼家の乳父であり、娘がその妻で頼家から後継指名された長男を産んで将軍外戚って立場では
頼家をサポートせざるを得ないから
頼朝亡き後の脆弱な頼家政権の中では、どうあっても権力争いの場からは逃げられない
比企がその勢力の割にあっさり弱小北条に滅ぼされたのは、権力簒奪を企むどころか、むしろその覚悟も準備も無かったんだろう。 比企消えて転換期になったから久しぶりに来たんだけどまだエロや女優云々語るヤツいるんかよ
ガチでキモい気持ち悪い
みんなよく平然とスルーできるな 実朝と後鳥羽を股に掛ける感じだろうね
悪役的に描かれそうだから暗殺は視聴者目線では結構爽快感有りそうだね >>817
時房のポジになってたんじゃね義時
ただ兄と歳が近いから両執権にはならずに評定衆てとこだな あくまでドラマの設定上だけど、源仲章は実朝の乳兄弟の仇になるから一波乱あるかな。
執行人として割り切るかもしれんけど。 >>871
まぁ後鳥羽院と実朝の橋渡し的なポジションだな
この時代、特に西日本で朝廷と幕府どちらにも所属している
武士は多かった。
三河まではそういう御家人が多く承久の乱でも結構三河の御家人が朝廷側についた。
承久の乱終了後、幕府が下野の有力御家人の足利義氏に三河を与えたのは三河から朝廷勢力を駆逐して東西の分岐点である三河を幕府の管轄下に置きたいという狙いがあったからだろう >>869
京に近いというか発想が京都人に似てる印象はあるな比企
つまり娘を将軍に近づけて男子を産ませる
そすれば将軍の権威を背景に権力者になって他の御家人たちは黙って従うという
実際は鎌倉殿は御家人が担ぎ上げたから神輿ポジで
鎌倉殿ガーて言っても集団で逆らわれたら終わる
だから御家人の操縦が必要になるがそれを怠った >>876
史実でも頼全を殺しているけど阿波局とは何もなかったし
今回のドラマでも何も起こらないのでは? 義時は坂東叩き上げだから娘を将軍に近づける気もない
泰時も同じで外戚政策取らなかった
北条は政子のお陰で大きくなったが政子以外の部分も大きかったんだろな 史実は実子じゃないからどうなんだろうね。
今回は「首を大きい順に並べて」の実衣だから…。 >>876
今回オープニングの表記も優遇されてるし結構目立つんじゃないかな >>879
比企の家もりくの実家も元々京に居た連中だからな
生まれ育ちが坂東の連中とは肝心な時に温度差があるんだろう
北条や義時はそこをうまく生かしてのし上がった
政子も生まれ育ちは坂東だからいざって時の判断は坂東の人間の感覚にかなった判断を外さなかったんだろう >>880
頼全は実衣が産んだ子ではないからな
りくで言うところの政子や義時みたいな感じだからね
政子や義時が死んでもりくなら悲しむどころかほくそ笑むだろうが
実衣は喜びはしないだろうが別に自分の産んだ子ではないから時が経てば仕方ないと割り切るのでは
あの時は全成が死んで間も無くで全成が遺した子って感覚だっだろうけど時が経てば忘れるだろ 裏切りと殺し合いばかりで救いがない時代でドラマだな
感情移入もできないから歴史の勉強として見てる それより時元は伊豆だか駿河に送られて命助かったけど
その話は触れなかったな
子役の時元は出てきたけど だからその爺さんだか婆さんの書き込みが嫌なら此処から出て行きなさいよ
大河の話をしないで関係ない文句ばかり書き込む方がこのスレとしては荒らしだよ
阿野時元も実朝暗殺後に義時らに殺されるからその時には出てくるだろうね
挙兵をどういう解釈にするのか
実衣が煽って時元を結果死なせてしまうが義時政子を逆恨みするとか有りそうだな 今の主人公(義時)に感情移入する視聴者は少ないだろうな
むしろ道やせつの方が同情されてる 坂東武者の多くを味方につけた政子&義時の人望の勝利てことか 丹後局は入内させて男子誕生に一族の命運をかけるその覚悟があるのか!
て政子と大姫に凄んでいたが
義時が聞いたらアフォらし、て思ったかもな
政子もそう思ったかもw 新選組と真田ってヒーロー取り上げてたのに
なぜこんな主人公選んだんだか 三谷脚本設定では頼全は全成と実衣の嫡男。
爺の愛読書にも載ってるんだけど、この前論破されたから無かったことにしてる。 この時代はシェイクスピアだからね
シェイクスピアで主人公に感情移入して読んだりしないようなもの >>732
三谷がリスペクトしてる
先行大河の草燃えるでは
ヒロミゴーが殺害されるのは浴室じゃないんで
今回も浴室殺害説はそのまま採用されないんじゃね >>899
リチャード3世に感情移入して見る奴は
たしかにいないだろうなw >>882
自分達が将軍の外戚にならない事で他の御家人が将軍の外戚になるのを防いだ。
そうする事で将軍の外戚同士の争いを防ぎ、幕府が不安定にならないようにした。 >>901
俺はリチャード3世に感情移入するからいつも無念w >>903
だから実朝の妻に足利をて言い出したのは多分政子じゃないかと
思うんだが義時はねーちゃん勘弁してくれよ…だったんじゃとw
つい最近外戚争いでオレは嫁の実家討ってズタボロになったんだぜ、てな >>903
得宗家の外戚を安達に限定したのもそこで固定して争いを阻止するため
おかげで血が濃くなり得宗家は短命になるが >>900
愚管抄だと北条氏による暗殺で吾妻鑑ではただ死んだ知らせが来ただけで死因についての記載がない
このドラマは妻鏡を基本としてるので脚本家の自由な発想になるだろ
愚管抄は浴室の暗殺状況について記しているけど北条の世に暗殺者が愚管抄の作者慈円に暗殺状況を詳細に語る訳がないので愚管抄の記載は信用できない
状況から北条暗殺が一番可能性が高いけど病死とか自殺もありうるとおもう >>906
義兼の娘が実朝の正室になる話が流れたのはなんでだろうね?
父親の時政が嫌がった?
それとも実朝? >>910
多分政子以外が嫌がった
時政りくは自分たちに縁のある娘を嫁にしたかった
義時は武家を外戚にするのを嫌がった
実朝は空気読んだ 伊賀氏の変は尼御台がいらんことして、泰時が事を収めるの大変だったんだろな
ほんとにクーデターなら関係者殺されてるし >>912
義村んとこに伊賀の人間がうろちょろしてたんだから要らんことじゃないだろ
泰時には母親の一族の後ろ盾がないんだからきっちり白黒つけとかな危なくて仕方ない
自分の寿命も感じてたろうから最後のひと仕事したんだよ
白黒つけられるのは政子しかいないからな 義兼に嫁いだ時子は伝説通りではないにしても
可哀想な最期だったのかも
それで遺児に政子が肩入れして面倒を見ようとしたんじゃね >>901
ヘンリー5世のほうが人気あるよね
ほぼ演説のおかげだけど 泰時は争いの連鎖止めたかったんだろ
それで伊賀を許して政村も不問に付した
政村も優秀な男だから理解して恭順した でも伊賀の方を許さなかった
普通は政村も伊豆に蟄居だよ
陰謀なんてなかったんや 義時の息子たちの子孫で一番長く続いたのは重時の子孫? >>919
それだけ三浦義村を政子は警戒してたんだろ >>920
泰時 得宗家
朝時 名越家
重時 極楽寺流
政村 政村流
実泰 金澤家
どこも最後まで続いてる
名越だけ執権出してないけど >>284
予告を見るに、次回善児に
予想外の何かがありそうな感じがする 源氏の生き残りに貞暁は無視されてたな
この後出てくることはあるのだろうか? >>878
偏差値50以下
落第点だな
三河が後鳥羽院に付いたのは当たり前だろ
当時、三河国の分国主は後鳥羽院のかーちゃん
足利氏が三河守護職、地頭職を獲得出来たのは、三河の藤姓熱田大宮司家の親戚だったから
朝廷の影響を排除とか、足利氏が七条院のハトコに室を出しておいてそれはないだろが
そのハトコの息子は後鳥羽院宸翰御手印御置文を託された信成であり、正室は吉田経房(三河国知行国主)の娘だ
藤原経忠→信輔→信隆→信清→信子(源実朝正室)
藤原経忠→信輔→信隆→七条院(三河国分国主)→後鳥羽天皇→昇子内親王(母は九条兼実(三河国知行国主)の娘)、順徳天皇准母)
藤原経忠→信輔→信隆→七条院(三河国分国主)→後鳥羽天皇→土御門天皇(母は源在子(母親の養父は藤原範季)
藤原経忠→信輔→信隆→七条院(三河国主)→後鳥羽天皇→順徳天皇(母は藤原範季娘)
藤原経忠→信輔→信隆→親輔(三河守)
藤原経忠→信輔→信隆→信行→忠輔(三河守)
藤原経忠→信輔→親信→水無瀬親兼(室は足利義兼の娘)
藤原経忠→忠能→一条長成→源義経(養子) >>921
ほんとに陰謀があったら三浦だって政村処分に反対しないよ
無実だから三浦が許さないんだろ
一条も伊賀一族もみんな追放されたのに政村だけ無事
確か一条を将軍にして政村執権という陰謀のはず
処分ないのおかしいわ
みんな泰時が後継におさまるために邪魔者処分したって
わかってたんだろな
政村に手を出したら他の北条家が怒る
亡き父にも申し訳ないから一人だけ無罪放免てとこ >>878
言っている事デタラメ
承久の乱以後、三河国な権力構造は何ら変わる事無く
実は院にも近かった足利氏は、三河守護として京方の下司となり、院とより関係を深めた
こうしか見えてこないな
こうみると、足利義氏は重要人物だったのがよく分かる
三河国の分野国主、知行国主、三河守について
1184年06月:源範頼(三河守)
1191年07年:九条兼実(知行国主)
1193年08年:吉田資経(三河守)、吉田経房(初代関東申次)の孫、室に藤原範季の娘
1199年02年:吉田経房(知行国主)、初代関東申次、母の兄弟に藤原俊成(三河守)
1200年02年:藤原親輔(三河守)、七条院弟、姉妹に九条兼実室
1200年03月:七条院(分国主)
1207年01月:忠輔(三河守)、七条院甥
1212年12月:実茂(姓不詳)(三河守)、三河の藤姓熱田大宮司家か?
1225年01月:藤原為綱(三河守)
1227年11月:七条院(分国主)
1228年12月:藤原経季(三河守)
1229年10月:藤原範房(三河守)、藤原範季の孫、叔母は吉田資経(三河守)室、姉妹に四条隆親室、忠成王(母親は三河の藤姓熱田大宮司、藤原清季の娘)妃
1234年01年:四条隆親(知行国主)、室に足利能子(足利義氏(三河守護)の娘)
1235年01年:藤原隆朝(三河守)、藤原隆季(四条家の祖)の曾孫、息が四条房名(三河守)に養子入り
1238年10年:卜部兼直(三河守)、兄弟の孫に吉田兼好
1240年12月:葉室資頼(知行国主)、藤原顕頼(三河守、正室は藤原季範従兄弟)の5世孫
1240年12月:四条隆親(知行国主)、室に足利能子(足利義氏(三河守護)の娘)
1240年12月:四条房名(三河守)、四条隆親(三河国知行国主)の息
1241年03月:清原教隆(三河守)、九条頼嗣の侍講
1242年03年:藤原定親(三河守)
1244年08年:世良田頼氏(三河守)、室は足利義氏(三河守護)の娘)
1248年01年:四条房名(三河守)、四条隆親(三河国知行国主)の息 そもそも泰時が義村娘と離縁してなかったらすんなり
義時の後継になれたのよ
せっかく周りが配慮してお膳立てしたのを離縁しておいて後ろ盾が弱いから
弟に無実の罪きせて継母死なせるなんてアカンは
お陰で泰時政権下は天変地異が多くて大変やったわ >>915
生粋の坂東武者で下野の有力御家人である足利義氏に東国の経済要地であり同時に軍事要地である三河を植民地として与えるのだから相当ズブズブ関係だったみたいだな >>928
あれってもしかして義時が泰時から三浦の後ろ盾を奪い
伊賀の方の息子の政村につける為だった可能性はないかな? 義村もどうだろね
いとこに起請文を書いてまで裏切るような奴だし
三浦犬は友をも食らうって誰が言ったけね結構他の御家人達に嫌われてたんじゃないの >>931
実際、同じ相模の波多野氏とはかなり仲が悪いよね 漆風呂に入れられて顔面が腫れあがった仮面は恐ろしかったわ >>930
それ、当の政村は気を見るに敏な男だから「冗談じゃない!やめてくれ!!」って蹴ってそうな気がする。 >>929
逆
足利氏は三河→下野→三河
承久の乱では、京方について所領を没収された三河の藤姓熱田大宮司家
その所領は、親戚たる足利氏に安堵された
つまり足利氏は、三河→下野(足利荘)→三河(額田郡、設楽郡)
■源頼朝と従兄弟2人の関東支配の裏歴史
1181年:源頼朝は藤姓足利氏を滅ぼし、三河の母方従兄弟の源義兼に足利荘を安堵する(源姓足利氏の始まり)
1181年:源頼朝の意向で、足利義兼は北条時子(政子の妹)と結婚する
1182年:源頼朝の従兄弟の寛伝が、頼朝の推挙により日光山満願寺19世座主になる
■日光山
源頼朝が母方の従兄弟(寛伝)を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた
源頼朝
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→女(由良御前)→源頼朝
足利義兼(初代源姓足利氏)
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→女(実父は季範長男の範忠)→足利義兼
寛伝(寛典・観纒とも、額田僧都、式部僧都と称された、日光山満願寺19世座主)
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝
寛伝年表
・1142年、生まれる
・叔父の三河法橋裕範(源頼朝の母の弟)、粟田口法眼長暹(源頼朝の母の弟)を頼って滝山寺(三河県岡崎市)で仏門に入る
・仁和寺で修行
・1182年、源頼朝の推挙により日光山満願寺19世座主になる
・宗徒と面会する際、御簾を半分にしか上げず紛紜、2ヶ月で三河国(三河県岡崎市)に戻る
・菩提寺の滝山寺(三河県岡崎市)僧侶になり、66郷を領し精舎一区を創建する
・鑁阿寺奥院の法界寺に、宋版の一切経を納める(後に一切経は、足利義氏により鑁阿寺に)
・高野山御影堂に大鐘を施入する
・1201年、頼朝公の3回忌、滝山寺内に惣持禅院を創建し、本尊として頼朝公の御歯と御髪を納めた聖観音菩薩を安置する
・惣持禅院に供僧10人を常置し10町の土地を寄進する
・1205年、死去する >>922
重時の家系は足利将軍家に入っているから
重時の家系が最後まで残ったという解釈なのでは? >>878
関東申次は三河国知行国主がなる伝統は、初代の吉田経房からなんだが
承久の乱以後、それが変わった事実はない
お前の言う朝廷の影響力排除とは何の事なんだ
関東申次
吉田経房(三河国知行国主)
坊門信清(源実朝正室の父)
西園寺公経(母は一条全子(坊門姫の娘)、将軍九条頼経外祖父)
近衛家実
九条道家(祖父は九条兼実(三河国知行国主)、将軍九条頼経実父)
近衛兼経(道家の娘婿、道家の補佐役)
一条実経(道家の子、九条頼経の弟、道家の補佐役)
西園寺実氏(公経の子)
西園寺実兼(三河国知行国主、実氏の孫、先に病死した父・公相に代わる)
西園寺公衡(実兼の子)
西園寺実兼(三河国知行国主、公衡病死に伴い、復職)
西園寺実衡(三河国知行国主、実兼の孫、公衡の子) >>920
朝時の名越流だな。最近だと高倉健の先祖 >>929
まぁ、自分の妹の忘れ形見というだけで政子があそこまで優遇するとは思えないから他にも理由があるんだろうけどね
案外北条と足利は頼朝挙兵以前から交流があったのかもね
北条は京の都との交易で財を蓄えていた一族で足利氏の本貫地である足利荘は絹の産地で足利絹は都でも人気の商品だった。
当然、北条氏も交易商品として取り扱っていたはずだから足利と北条で人の行き来きはあったと思うんだ。
つまりは足利と北条は昔からの取引相手で同盟相手でもあった。
もしかしたら足利荘にいた足利義兼と源頼朝を繋げたのは時政だったのかもしれない。
彼は自分の娘達を使って義兼と頼朝の関係を強化したのではないだろうか?
証拠はないけど可能性としては高いと自分では思っている。 >>936
なるほど
得宗家の血は今の天皇陛下に流れてるから判断は難しいなw 平幹二朗の時政の話題出てたけど
実現したら実朝暗殺まで生かしそうだな
公暁や時元を煽るのが時政に描かれそう
時政の陰謀と義時も読んで時政に軍勢を差し向け命からがら逃げ落ちる
時政に軍勢を差し向けた義時を泰時が青臭く非難する >>942
もっと歴史を勉強しろ
時政は和田合戦の2年後、実朝暗殺事件の4年前に亡くなっている。 だからそんなの創作でって話に決まってるだろ
実朝暗殺の時に史実で死んでるのは誰でも知ってるだろ
それを一々ドヤ顔する意味が分からん
そもそも今の時点で比企尼が生きてるのもおかしいだろ
物語の話をしてるんだろうに 家康
「 鎌倉幕府は直轄、親族大切にしなかったから家臣に乗っ取られた。旗本・親族大切にしないと」
↓
江戸幕末
旗本「 お金ないです、戦争したくないです」
尾張「 紀州の血入ってる将軍憎し」
紀州「 お金貸して」
水戸「 宗家より朝廷!」
越前「 本当は兄の家なのに....」 >>944
比企尼は生没年不明だけど時政は1215年死去と記録が残っている 信虎は生きてはいたが氏真の手勢に攻められたり晴信の病床で対面とか完全に創作だしな
信虎、晴信、義信をそのまま同じような人物像で
時政、義時、泰時に流用出来そうだな
>>946
だからそれが創作で実朝暗殺まで生きる設定にしそうだったて話だろ
最初の書き込み見てもそういう趣旨だって分かるだろうに
伊豆追放以降は半オリキャラだよ田向なら >>947
公式に死んでいる人間を生きている設定にしてしまったらそれは最早大河ドラマではない。
時代劇でもなくファンタジードラマだ
長く生きていてそんな事も理解出来ないのか?
引きこもっているだけあって無駄に馬齢を重ねまくっているな >>945
ワロタw
幕末微かに役に立った幕府役人は途中で株買って旗本になったやつの子孫が多かったよなw
やはり戦しないで世襲したら機能しなくなるよな >>939
平安期、義兼は足利荘を獲得していない
幼少期、母方祖父たる範忠の庇護を受け、源氏雌伏期は三河で暮らしていた可能性大
三河の熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))
■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(三河県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪) ←乗っ取られる(笑)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、足利義兼を生む >>948
時輔とか過去にあるだろ
曖昧なら今年の土肥とか
八重は流石に除外するが レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。