慶長6年(1601)十月、徳川家康(津川雅彦)は伏見に銀座を設置し財政を掌握、さらに
朱印船制度を発して貿易を支配し着々と権力の座を固めていった。江戸に戻った家康は、
秀忠(西田敏行)に国政の中心を江戸に移す考えを伝える。年の暮れ、家康は江戸より
諸大名に初の大号令を出す。二条城の普請の達しであった。