葵徳川三代 第40話「親ごころ」
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元和9年(1623)12月、江戸城で将軍徳川家光(尾上辰之助)と鷹司孝子姫(中江有里)の
婚儀が執り行われた。翌年の暮れ、家光は家康も秀忠(西田敏行)も成しえなかった計画
を、お福(樹木希林)にもらす。関東への天子行幸という途方もない考えであった。 久しぶりに見てる
登場人物が多くて多くてわけわからん 「どれだけ戦えば!どれだけ!」とかそういう中二チックなセリフは皆無だなw >>192
その日は方角が悪くて・・・
を延々やられる >>197
真田丸みたいに清々しくド畜生な大河はもう無理なのか >>197
平和といえば平和だけど下手すると朝廷から反乱の火の手が起きかねんなw やっぱり中江有里はアソコが臭いあそばすから家光はお寝にならなかったのかな 上野のお山ってなんか暗いんだよね
戦の跡地だからかな いつもは7時からボクらの時代なんだけど今日はこぶ平一家だから(´・ω・`) >>204
黒田官兵衛も風林火山もそうだったからこれからも出てくるよ >>210
次男のお嫁さんがどんな苦労をしてるか見たい >>183
ありがとう
寛永寺の前の公園で蚤の市みたいなのやってて数年前にすごく小さい龍の置物買ったの思い出した 政宗のほかに立花宗茂や真田信之も家光の覚えめでたかったみたいたな
立花宗茂なんかはとくに気に入られて晩年は領地の統治は息子に任せて家光の側に仕えるようになってたみたい
どこにいくにも供を命じて足が弱ったとみえれば手づから杖を与え寒ければ頭巾を与えて将軍の前でも脱がなくていいと特権を与えた 連れ去られた朝鮮人は帰国したがらなかったんだよな
朝鮮で奴隷のままより日本で豊かな暮らしを続けたがったとさ >>207
中江さん、作家としてBS1の三島&川端の番組にも登場。 島原の乱のときも立花宗茂はよく意見聞かれた
戦国のことよく知ってて江戸に詰めてて人柄も信頼できるとなると立花宗茂しかいないんだけど >>25
『いだてん』まーちゃんの、スーツ姿の平泳ぎ…。 >>209
とくに、上野の森美術館のあたりは…。動物園や東博のほうは、かなりひとが多いから、
そんな感じはしないけれども。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています