太平記(29)「大塔宮逮捕」
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護良親王(堤大二郎)は尊氏の台頭を恐れ、戦を仕掛けようと画策する。この動きを察知した尊氏(真田広之)は「都を戦火から守りたい」と各地の武家に声をかけ、六波羅に軍勢を集め始めた。これに呼応したのは楠木正成(武田鉄矢)をはじめとするそうそうたる武家であった。新田義貞(根津甚八)の足利への反論も正成の巧みな説得で抑えられ、尊氏の優勢は揺るぎないものとなった。護良親王は帝に初雪の宴に招かれ…
【出演】真田広之,根津甚八,陣内孝則,堤大二郎,石原良純,赤井英和,瀬川哲也,でんでん,大林丈史,ドン貫太郎,藤真利子,柄本明,小松方正,山内明,武田鉄矢,原田美枝子,片岡仁左衛門
【原作】吉川英治,【脚本】池端俊策
【音楽】三枝成彰 でも足利って凄いよな
こんな敵だらけの綱渡りの状態から
数代かかったとはいえ最後は国を平定したんだからな >>495
漢字をよく見たら縦につづるか横につづるかの違いしかないやん >>504
コロンボ役のピーターフォークは
上げ底鞜で撮影してた、って刑事ドラマ回でネタにしてたな >>508
モックン慶喜は美化してたな
西周に作らせた
政権構想
いずれ必要になる時が来るって話してた >>508
慶喜自身はけっこう悠々自適だったんじゃね?知らんけど >>500
精子で足切りされてから競争始まるかんじだよね この皇子じゃないけれど皇子が閉じ込められて亡くなった鎌倉の岩屋がおどろおどろしくて怖かった >>470
比喩的なもんかもね
頼朝の血統は絶えてるはず >>489
もっとこう愛之助みたいに「麿を殺すの?
ネェ殺すのヤメて!」て無様なのが見たかった(^.^; >>523
鎌倉武将がよく訪れるキャバクラ(´・ω・`) >>529
イヤンが正成なんだろうな
公家共に足引っ張られるハンデとか >>513
結果ナンバーツーが生きてたほうがその後の混乱も起きなかったような >>528
カメラにハマるあたり今時の意識高い系芸能人み DVDあるから録画はいいかと思ってたけど
紀行付だから録らざるを得ない >>508
悲劇かな?
とっとと大政奉還して幕府崩壊の後処理は元幕臣の勝海舟とかにおっかぶせて
自分は悠々隠居生活楽しんでたイメージ >>535
いつの愛之助だよw
麒麟がくるの愛之助も、真田丸の愛之助もそこまで無様じゃなかっただろ 三重って長島の遊園地ぐらいしか行ったことない
また行ってみたい ノブヤボで美濃倒すとついでに北畠も滅ぼすよね(´・ω・`) >>519
敵だらけのようでいて、部下に新田クラスの親戚がわんさかいるという大名よ 手柄にめもくれず六波羅という行政機関押さえたのが尊氏のすごいとこだな。 >>551
好物のきな粉をうっかり顕微鏡で覗いてしまう悲劇がある >>548
尾張徳川の
慶勝のカメラ好きも有名
北海道の木彫りの熊
旧家臣たちに作らせたアイデア殿さま >>565
伊賀のほうから京都へ進むと、どうしてもぶつかるからね >>568
ダニがうようよいたのかwwそれは悲劇ww >>544
ナンバーツーがいたほうが政権交代はスムーズにいく
不要論は権力手放しくない輩の言い訳 >>532
あれも実際には当時あそこにあった東光寺の一室が正解とかで
護良逃走伝説もあんだけど史実は殺されて首が投げ捨てられていたらしく
護良の墓所になってるところにあった理智光寺が弔ったという(寺は移転して今はない) >>528
>>551
当人はそもそも将軍になりたいという訳でもなく。親父や周囲の意向に巻き込まれた。 今の総理がNo.2から総理になったとも思えないけどなw >>575
これは覚えておいたほうがいいことなんだけど
きな粉とか小麦粉とかを密封せずに常温で保存すると確実にダニが湧く
とうぜん慶喜のころは密閉容器も冷蔵庫もなく桐の箱ぐらいできな粉を保存してた >>579
日本はここに来るまでナンバー2が実質ナンバー1なパタン多いからな
藤原に北条と >>558
戦国で家と血筋は絶えるが、明治期に家名は復活してる >>583
小麦粉の袋のまま保存してても余裕で湧くと聞くね >>582
パンケーキが虎視眈々と総理の座を狙ってきたのはこれから明るみになるぞ 尊氏こそ、地位や権力に無欲だったから周りの意見に振り回された感があるわな
そうでないとさっさと南朝なんか滅ぼしてそう >>583
あだ名がケーキなのに粉の管理が下手だったのね >>582
官房長官は政府の(ほぼ)No.2。幹事長は自民党でのNo.2 >>584
そいつらは日本史でも有数の権力闘争やってきたやつらじゃん 日本の場合No. 1の天皇がお飾りであることが前提でNo.2歳強体制になる
だが、そのNo.2も年月を経つとお飾りになり、そして動乱が起きる
No.2の体制を維持したいものが大抵負けるな
慶喜が生き残ったのは例外みたいなもの >>566
この1334時点では新田クラスの親戚というのも不明だ(分家はまだそんなに強くはないはず)
足利一門の多くは南北朝以後に台頭した
畠山はそこそこではあったかも 徳川慶喜はもともと十六代目までの繋ぎ。
家茂はあくまで養子のほうを後継指名していたからね。
だからさっさと辞めて贅沢な隠居暮らししていた。同じ静岡にいた旧幕臣は苦労していたから、かなり恨まれた。 >>593
この太平記初期の
No.1 天皇 No.2将軍 No.3執権 までお飾りで
ずっと下の長崎円喜が実権握ってたっておもろかったな 名乗っていた限りでは東北の北畠の末裔がいる(浪岡北畠氏)
どうにも顕家か弟の顕信の子孫かハッキリしないが戦国時代に津軽藩に滅ぼされた
しかし末裔を名乗る方々が東北各地にいる >>596
権力握ってるのが陪臣どころか陪々臣だと天皇からすると
わけわからん奴に六波羅から狙われてるってことになるな >>593
>>596
キリンの斎藤機長が織田家の実験を握ってる(by判官)のはちっとも面白くないけどねえ
他国から嫁いできた人が夫の家を支配できるとは
さすLGBT・女系天皇断固支持の犬HKか >>602
エカテリーナ2世
嫁入り先を乗っ取るなんて
おそろしい >>600
ところが北条の御内人はそこそこの官位をもらって朝廷に仕えている人でもあったのだ
平頼綱は平左衛門が愛称だったように左衛門尉の官位をもらってた
左衛門尉がどのぐらい偉いかというと和田義盛や比企能員の位なので御家人としては非常に高いことになる
鎌倉時代の新田義貞は無官と言われるし無位無官の御家人が多かった
本来どの御家人よりも地位が低くあるべき御内人のほうが偉くなってたという「ねじれ現象」 >>567
北條を追い払っても、帝が戻るまでの統治の仕事は必要だし、美酒に酔いしれる
余裕はなし。 >>569
所沢、東村山、小平、国分寺、府中の一帯は、幕府滅亡前後の古戦場や、
それに絡んだ史跡多し。 >>603
他家の人が養子や嫁に入った先の家を乗っ取るのは容易ではない
むしろ養子は立場が弱かったりしたことも多い
エカテリーナの権力の源泉は皇太子の母たるにあった
神功皇后も夫の没後何十年も権力を握ったというが出身氏族の故かも知れない(まあ実在すりゃね)
昔の女の権力者は息子を権力の源泉にしてたことが多いようだね
でも実際そんなに外戚が権力を握れたとも思えない
藤原道長なんかちょっと極端に語られてきたように思う >>580
そして、明治時代の廃仏毀釈の流れで鎌倉宮(大塔宮)ができた。 >>581
徳川将軍家は、幕末の段階で紀州の血筋が途絶えたので、家定→家茂のときも
後継候補だった水戸の慶喜が据えられたという事情。
足利十五代の義昭も、平時であれば仏門で一生を終えた人物。 >>599
英国でいうところの、君臨すれども統治せず。 史実としては後醍醐のように権力を行使してた天皇が多いので(いや、この言い方自体が変なのかも知れない)
よく言われる「権威と権力の分離」「外戚政治」は背後にプロパガンダを包含してると見るほうがいいんだろうね >>610
血統的にはそうだが、10歳で相続した水戸より格上の御三卿一橋家の当主としての後継候補 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています