1990年6月23日、突然トキワ荘の仲間(藤子不二雄Ⓐ、藤子・F・不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、鈴木伸一、つのだじろう)を自宅に呼んで宴会を催し、終了後、三々五々去ってゆく仲間たちにいつまでも手を振り続け、「もう思い残すことは無い」と家族に話したという。翌日、藤子Ⓐは礼を伝えるため、寺田宅に電話をかけたが、寺田は電話口に出ず、妻を通じて「今後一切世俗とは関わらない」との旨を伝えた[注釈 2][3]。なお、この宴会の模様は鈴木がホームビデオで撮影しており、後年ヒストリーチャンネル制作の番組『20世紀のファイルから−証言・あの時、あの人−』(第29話:マンガがすべてだった・「トキワ荘」の頃)[8]で一部が公開されている。鈴木はこの時に撮影したビデオのコピーを寺田に進呈しており、遺族の話では彼は晩年そのビデオを繰り返し観ていたという。

その後は一人自宅の離れに住み、母屋に住む家族ともほとんど顔を合わせることはなかった。朝から酒を飲み、妻が食事を日に3度届ける生活を続けていたが、1992年9月24日に朝食が手つかずで置かれたままになっているのを妻が不審に思い、部屋の中に入ったところ、既に息絶えているのが発見された。妻は晩年の寺田について「身体が悪くなって、病院に行ってくれと頼んでも、行こうとしないんです。色々手を尽くして、あきらめました。この人は、もう死にたいんだなって…」と、ただ見守るしかなかった状況を語っている[3]。