ペストは予想外の心的葛藤を引き起こし、多くの病人は絶望のどん底に落とされた。
残酷さと人間としての思いやりの無さが幾度もひとびとを失望させたのである。

 ある病人が自分の家に置き去りにされ、床に伏していた。あえて病人に近づこうとする親類などひとりもいなかった。
 病人と親しいひとは泣いていたが、(病人から離れた)家の隅にとどまった。
 来てくれる医者などひとりもいなかった。司祭ですらおののき、教会の秘蹟をおそるおそる授けたほどだった。
 ああ、病人の泣き声が響きわたってきた。
 わたしの友人の声だ。「哀れんでください。慈悲をかけてください。主イエス・キリストの手がわたしに触れたのですから。」
 別のひとが叫んでいる。「父上よ、なぜあなたは見捨ててしまうのですか。あなたがわたしをこの世に送り出したことを想い出してください!」
 また別のひとが叫ぶ。「母上よ、あなたはいまどこにいるのですか。あなたはいまどうしてわたしにこんなに冷たくなったのですか。
 昨日まであんなに優しかったのに。あなたはわたしを九カ月お腹のなかではぐくみ、あなたの母乳で育てて下さったのではないですか。」