【マターリ】ブラタモリ「#126 パリ」★2
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江戸は東京メディアが過剰に持ち上げてるだけ
実際は不潔で野蛮でソウルと大差ない >>670
厳密な統計があったわけではないから
あなたの断定話を全部信じるのも危険だな。
欧米人ってもフランス人とオランダ人じゃ違うよね? >>671
ヨーロッパ史の本も読んでみたら良いよ
王室貴族はともかく
庶民の生活は江戸とは比べ物になら無い 実際に日本を訪れれば、期待した程のものではなくがっかりする。
江戸は大きな町程度の感じである。都市に散在している貧弱な木造住宅、その中にそびえ立つ王の居所も、宮殿というよりは単なる城壁のような姿で非常にみすぼらしい。
そして、それよりも深刻なのは、支配層の行動だ。民族のレベルの低さを放置し、それを根絶することにまったく関心がない。
文化の発展で最も重要なのは公衆道徳であるが、日本人には公衆道徳が少しも存在していない。路上で服を脱いで歩き、どこにでも尿や便などの排泄行為をする。一言で言うと公衆道徳が完全に欠如しているのである。
この点で日本人の考え方は、欧州人とはあまりにも差がある。日本を訪れる人々は、欧州とは一挙手一投足が、まったく違う姿を常に目にすることになるだろう。どんな都市や村にも銭湯はあるが、そこでは間違いなく男女が一緒に入浴する姿を見ることができる。 >>675
まぁそれはそうかもな
じゃなきゃ革命なんて起きないからな。ちなみに世界史で大学入ったから
基本的なことは知ってる、深追いはしてないけど。
ただ江戸時代も江戸周辺だけの話かもしれんし、
何が言いたいかと言うと、過剰な自国上げには慎重になりたいということ。
比較文化なら、日本VSヨーロッパのどっかの国
だとざっくりし過ぎてあかん。
同じ時期の、例えばフランスと比べてどうとか、そういうのなら意味あるだろうけどね。 >>673
幕末に日本人と外国人が並んで撮った写真で実際に似たような身長で並んでる
現代では巨人だらけのオランダ人だって150年前は平均身長165cmしかなかったというからな >>677
自分は江戸も中世ヨーロッパにも興味があって勉強して
ヨーロッパにも行ったけど
ヨーロッパの大都市も日本の地方都市でしかない
というのをこの目で見てきたから >>677
江戸時代=江戸と思われがちだしな
江戸の生活が日本全土共通だと思われがちなのはメディアのせいだな >>680
フランスだってパリが全部じゃないぞ
そもそもフランスは今でも農業国だし フランスよりよっぽど歴史的に栄えてたイタリアミラノだって通りは閑散としてるし
西洋コンプレックスのある奴は2週間くらいヨーロッパ旅行に行ってみれば良いよ ゼロポイントとか、
タモさんが苦手な観光地のノリノリな雰囲気だったね(´・ω・`)
>>679
中世ヨーロッパは暗黒時代だから
そこを基準にしたら、日本というか、
アジアやトルコペルシャのが遥かに先進国だったでしょう。
そういう規模での比較なら、そもそも人口が少ないヨーロッパは、
言うほど発展してないとも言えるが、
白人はヨーロッパを飛び出してアメリカを作って世界に君臨してるので、
人材や科学文明を進化させるのに優れた人種だとも言える。
未来を見据えたら、中国の都市は、東京など比較にならん近未来都市を作って来そうだから、
東京asナンバーワンもバブルで終わったような気もするね ロンドンなら2週間いったけど、
東京のがよっぽどスゴい都市だと感じたよ。
ニューヨーク行ったことないけど、
結局は古い街ってのは
ぶっ壊してあたらしいものは産み出さないわな >>685
ロンドンの郊外の住宅地が画一的過ぎて気持ち悪かった
で、Googleマップの写真で見ると延々と無機質な同じ建物が並んでてさらに気持ち悪い ●オールコック『大君の都』1863年
かれらには建築と呼びうるようなものはない。
……したがって、世界最大の都市のひとつである江戸の街路ほど、
むさくるしくみすぼらしいものはない。大名の屋敷でさえ、同じような建て方の
低い一列のバラックにすぎず、ただ屋根が高いだけだ。(下巻, p. 176)
●グスタフ・クライトナー『東洋紀行』1881年
実際に眺めてみると、期待した程のものではなかった。
東京は大きな村という感じだった。そして、
町の無数の貧弱な木造家屋の中に高々と聳え立っている帝の居城さえも、
宮殿というよりもむしろバラックといった趣であった。(1巻, p. 289) >>685
子供の頃からず〜〜〜っと同じ景色見て生きてるのって
閉塞感もキツいらしい。爺さんの代から街並みが変わらない
その上若い人には仕事がないから文字通り生きたまま腐ってく気がするとか
80年代に在英20年くらいの人から聞いた 日本 人糞の歴史
人糞を肥料として用いるのは、世界的に見ると一般的なものではない。
多くの国・民族において、人糞を人間の食料を生産する畑に投下することは忌避されてきた。
例えば明治期にアイヌ民族がなかなか農業に馴染まなかったとされるが、その最大の問題は人糞を肥料に用いることであったといわれる。
日本が世界でも珍しい「人糞を野菜にかける」という文化をやめる事ができたのは
GHQが日本でサラダを食べる時に人糞の細菌や寄生虫だらけなのに怒ったから。
それ以降日本の伝統である人間のウンコを野菜にかけるのは禁止され西洋のように化学肥料に変わり清潔な野菜が食べれるようになった。
参考 『ウンコに学べ!』(有田正光・石田多門共著、ちくま新書) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています