茨城と千葉の境というと、醤油の大生産地の野田と銚子。野田は高梨家や茂木家などの会社が合同してキッコーマン、銚子の代表は濱口家のヤマサ醤油。
かつては上方からの下りもので和歌山湯浅町や摂津などから廻船で大消費地江戸へ運んできたけれども、
時代が下るにつれ野田の坂東の醤油会社が台頭してきて、野田が醤油作りの中心になりやがて湯浅町の濱口家も銚子へ本拠を移した。
しかし、そうならなかったのが酒造り。どうやっても上方からの下りものの灘五郷、丹醸酒の伊丹にはかなわなかった。
ひとつは幕末に宮水が発見された事と、村米制度などがあり、日本一の酒どころになった。
面白いのは灘西宮郷の白鹿の辰馬本家酒造の辰馬家と高梨家が親戚同士で、御影郷の菊正宗の本嘉納家とヤマサの濱口家も親戚同士。
いだてんの嘉納治五郎は本嘉納家の昔の分家筋。