[再]青天を衝け(6)「栄一、胸騒ぎ」★1
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栄一、喜作、千代、それぞれの思いが交錯する。そこへ、道場破り・真田が現れて…。美賀君、篤君は江戸へ。慶喜は、東湖を失って暴走する父・斉昭に引退を勧める。 慶喜の初恋の相手は……
11歳で一橋家に入り、当主となった慶喜でしたが、一橋家には一人の女性が暮らしていました。先々代の当主・慶壽(よしひさ)の正室だった、直子(つねこ)女王です。
夫の死後、落飾(らくしょく)して徳信院(とくしんいん)と称していました。系図上では、慶喜の義理の祖母にあたります。
しかし夫の慶壽は25歳の若さで疱瘡のため他界し、迎えた養子もわずか2歳で亡くなっていたため、義理の祖母とはいうものの、徳信院はまだ18歳でした。
建前では祖母と孫でも、18歳の徳信院と11歳の慶喜は、姉弟ほどの年齢の開きしかありません。慶喜にすれば、親しく接することのできる相手であったでしょう。
しかも徳信院は京都の宮家の出身でした(父親は伏見宮貞敬親王)。
慶喜は実母・吉子女王が宮家出身であることに幼少から強い誇りを抱いていたといいますから、徳信院に一層親近感を覚えたことが想像できます。
一方の徳信院にとっても、慶喜はかわいい弟のような存在であったでしょう。
慶喜は徳信院の京なまりに母親に通じるなつかしさを感じ、また優雅な立ち居振る舞いに魅了されたはずです。
そんな19歳の慶喜のもとに安政2年、21歳の美賀君は輿入れするのです。 年下の夫が自分を差し置いて、年上の女性と親密であることは、美賀君のプライドをひどく傷つけました。
美賀君は慶喜に何度か、徳信院のもとに通うことへの愚痴を伝えたようですが、慶喜はまったくとりあいません。
美賀君の想像がふくらみ、怒りが増幅されていたある日のこと。美賀君のいる前で、徳信院が楽しげに慶喜に謡を教えたことがありました。
二人の仲を見せつけられた美賀君は、たまらず「その坐(ざ)にて直ちに御声を発し、刑部(ぎょうぶ)卿様(慶喜)をおこづき(小突き)、御立腹あらせられし」と記録されています。
人前で当主である夫を正室が声を上げて小突くなど、常識的にはあり得えないことでしょうが、そんなに取り乱すほど美賀君は逆上し、また精神的に追い詰められていたのでしょう。 「将軍継嗣を一橋慶喜に」という声がささやかれ始めた頃、一橋家中で騒動が起こりました。美賀君の自殺未遂です。
一橋慶喜を次期将軍に推す薩摩(さつま)藩主・島津斉彬(しまづなりあきら)は、同志である越前藩主・松平慶永(まつだいらよしなが、春嶽〈しゅんがく〉)に、次のような内容の手紙を送っています。
「6月16日に慶喜の簾中(れんちゅう、奥方のこと)美賀子が自害なされようとしたところ、なんとか取り留めることができたということです」
慶喜の正室・美賀君が自殺を図ったことは、衝撃とともに周囲に伝えられました。松平慶永の生母である青松院(せいしょういん)は、
美賀君について「御嫉妬ふかき御気性」としたうえで、「(慶喜と徳信院の)御密通などということはあったのでしょうか……。
よもやそんなことはないとは思いますが、しかし(徳信院と美賀君の)御年もあまり違いませんから……」と、慶喜と徳信院の密通の可能性を記しています。
つまり慶喜と徳信院の関係を疑うのは、決して美賀君一人の思い込みではなかったのです。
ちなみに松平慶永は、徳信院の亡き夫・一橋慶壽の弟ですから、徳信院は兄嫁にあたりました。兄嫁と、自分が次期将軍にと推す一橋慶喜とのスキャンダラスな噂を、彼はどう受け止めていたのでしょうか。
なお松平慶永は、同じく次期将軍に一橋慶喜を推す伊予(現、愛媛県)宇和島藩主の伊達宗城(だてむねなり)にもこの一件を伝え、宗城から次のような返書を受け取っています。
「慶喜公の奥方が、先頃自刃なされようとしたことについて、あなた(慶永)は兄嫁(徳信院)と慶喜公との関係より起こったとお考えのようですね。
兄嫁のご容姿は、慶喜公の奥方とは天地ほどの差がありますから、あなたも亡き兄上様のため、何かとご心痛でありましょう」
つまり伊達宗城は、「美賀君よりも徳信院の方がはるかに美しいので、こうした間違いも起きるのでしょう」と、慶喜と徳信院の密通をなかば確信するとともに、美賀君にすれば大変失礼な内容を伝えてきたのでした。 東照大権現きた━━━━━━(´・ω・`)━━━━━━!!!!! なんで黄門様がそうなったかっててえと
おとんの頼房が光圀の上の兄貴を認知しなかったからなのね
生母の身分が低かったとか家光が小梨だったから遠慮したとか 確かに藤田東湖いなくなった後の水戸藩終わったもんな
居たら明治維新の中心地は茨城県だったかもしれない アニマル浜口が「京子、京子、京子!」って言ってるのかとw てか、ここまで200年以上
戦争なかった国ってのも凄いよな 専ブラ全般ダメだからchromeで開いたわ
どうなってんねん 女はセミヌードすら出さないのに男の裸は不自然なくらいぶっこんでくるな ちなみに、この時代には今の新潟県とかには農民出身の身分から豪農になり総石高1万石以上になった百姓大名も多数居た。 歴代大河で一番良いOPって何だ?伊達政宗?峠の群像? >>81
平成半ばには
下級武士は食うや食わず
名字帯刀してた豪農のほうがずっといい暮らし
みたいな江戸末期のドラマが定番だったのにな
令和にこんな昭和史観でドラマつくるなと しかしイケメンすぎる
渋沢ここまでイケメンではないだろう >>92 ってか渋沢栄一は百姓の身分から幕臣→明治政府の重鎮、日本資本主義の父とまで言われるほどになったからなぁ >>41
それはない竹やりバイクの集団が天下を取ることはない
若気の至り軍団が京都を暴走するっぺ 将軍ってやっぱり好みの子とやりたい放題だったのかな?(´・ω・`) >>100
トーコ生きてても
長州藩レベルの内ゲバしまくって
仁義なき幕末だったと思う >>105
エリりん急抜けの穴埋めを
ムリして入ってくれたお礼だろ この時代は一橋は、紀州派、攘夷派、開国派で意味が分からん。 ユイちゃん
足立センセイ
ストーブさん
あとはお母さんだけだな そこそこ汁気の残ってる義母と
旦那が仲良しだったら
そら面白くないわな >>104
天狗党の乱といい茨城の連中は昔からやらかすところがある
しかしこのご老公ノリノリである >>165
お前はまだグンマを知らないで
歴史的テロリスト生産地と言われてた ことあるごとに怒鳴り散らして相手の額を扇子で叩くような人だったらしい>徳川斉昭 ※真田 範之助
幕末の志士、剣客。武蔵国多摩郡左入村の名主小峰氏の子。
嘉永5年(1852年)天然理心流の松崎和多五郎に入門し、2年後に目録(免許)を受けた。
次いで北辰一刀流千葉周作に入門し、江戸の玄武館では塾頭を務めた。このころから真田氏を称するようになる。
文久3年(1863年)知人だった渋沢栄一の誘いを受け、渋沢や尾高惇忠らの計画した高崎城乗っ取りと
横浜外国人居留地襲撃計画に加わるが未発。
元治元年(1864年)武田耕雲斎や藤田小四郎など水戸藩の尊王攘夷派(天狗党)と交流があったことから、
呼応して横浜襲撃を計画したものの未然に防がれた。江戸に逃れたが、探知した庄内藩兵に永代橋で囲まれて闘死した。 気軽に同情破りなんてするもんじゃない
下手したらワイみたいに斬られる(´・ω・`) >>186
主役と満島と高良の3人すら
お年寄りには見分けられてないからな
そこらへん、キャラの見せ方が下手な大河だと思う ※尾高 長七郎
幕末の剣術家、尊皇攘夷派の志士。流派は神道無念流、心形刀流。
尊攘派の志士として文久2年(1862年)1月の坂下門外の変の謀議などに参加。
文久3年(1863年)の尾高惇忠や渋沢栄一らによる高崎城襲撃計画・横浜異人街の攘夷計画では反対の立場をとり中止させた。
この後、誤って通行人を切りつけた罪で投獄され、明治維新後に出獄してすぐに病没した。 関東日本テレビで午後のアニメはコナン\(^o^)/ いやいや
栄一レベルで本読んでて
尊王も攘夷もしらないわけないだろ
古典太平記の基本テーマは尊王だぞ 尊王攘夷や
国学の精神が
大戦引き起こしたんだけどね マジで勝ったらくれるんなら俺はどんな手でも使うぞ(´・ω・`) この頃は長州とかいろいろなところで若者が
国を変えようといろいろ談義をしていたんだな >>197
全然顔違うだろ
福士と中川大志と鈴木伸之に比べれば >>221
元が宋学だからです
建国ピッチピチの元にボコられて亡国寸前の宗のインテリが
泣きながら書いた思想が日本に入ってきて
それに光圀がかぶれた >>227
今だってネトウヨが日本を変えようとしてるでしょ
悪い方向にw 会いたくて会いたくて震える的なアレ?(´・ω・`) ぐるナイの前身の番組名はぐるぐるナインティナインだったな いくらイケメンと可愛い子の恋愛ぶっこんでも
もう若いもんはテレビ見ないぞー
固定層の年よりに逃げられるだけだぞー 田舎の豪農のムスコなら
筆おろしくらい済ませてるだろ みかこさん
キチガイすぎwwwwwwwwwwwww でも慶喜さんは
将軍になっても大奥に入らなかったのよね >>265
日本はほんとは女が強い国
卑弥呼様以来な天照大神は女神
愛子様を天皇に 壮大かつ
分かりやすいフラグですね
分かりやすすぎておもろない 竹中も草gもなに演じても一緒なのになぜこうも巧いと下手の差が出るんだろうな >>280
まず幼少時に家臣の子として育ったのでグレた
そこから水戸家跡取りとして引き取られたら
兄貴がいるのに自分が跡取りで更にグレた
そんで史記にかぶれて以下略 なんだよ
まるで死ぬみたいじゃないか(´・ω・`) なんかさっきまで全然書き込めなかったんだけど?
おまえらは大丈夫だった? >>287
1988か1989の開園だからな
ちなみに最初にホームランを打ったのはヤクルトの唐人である >>297
後楽園といえば
「後楽園遊園地でボクと握手!」ショー >>292
子役の時も牛の乳飲めって言われてたね
日本人は乳糖ダメな人多いのに >>295
内田有紀退場後もレギュラー
なお真中瞳を後妻に娶る ここからもう第一話に繋がっちゃう?
アクサダイレクトとまず話さなきゃ 日本の品種改良されていない牛の乳は美味しかったんだろうか おちんちんを見て仕える決意をしたのか(´・ω・`) もしも性格悪かったら、立ちションしてるところを狙って矢を放ちそう 砂漠ツアーとかすると
タイヤとか目標物決めてやるのは日本人だけらしいね あっちのあべちゃんは仮病だけどこっちのあべちゃんは・・・ >>315
この頃は知らんけど、昭和の牛乳は冷やしながら輸送する技術がないから不味かったらしいね このドラマは実況向きではない退屈過ぎる
ペリーが登場する時と地震の時しか面白くなかった 大河のお千代
朝ドラのお千代
どっちも返事は「へえ」 関東日本テレビで午後のアニメはコナン\(^o^)/ このど下手くそのナレーションは誰ですか(´・ω・`) 話のどこかで「おまえはあのときの立ちションのぉー」って回収されるのかな >>343
不味いだけならまだしも
新鮮じゃないと危なそう >>371
じゃんべさんで終わったかと思った
新作あったの? >>361
アンパンマン
中の人の生誕地
金曜昼前から土曜早朝になるけど
アンパンマン今需要ないのか? >>365
「余の魔羅、見忘れたか」→「あ、あのときの」になるのか >>374
木曜日のよるに放送してた
見たことないやつだったからたぶん新作 この大河はやばい
もう何もかもが好まし過ぎて、それだけに裏切られたなんて感じる時が来たら哀しいだろうな…
ヤバいわ 渋沢がエロ大王となってどろんどろんの銭ゲバのエロおやじになるとこもやるかどうか >>380
綾瀬はるかのと同じで幕末編終わったらつまらなくなるぞ >>382
あれは最初からおもんなかった
今回は最初からおもしろい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています