歴史探偵「細かすぎ毛利元就」
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戦国武将、毛利元就を徹底調査!細かすぎる手紙!細かすぎる城!細かすぎる作戦!中国10か国を治めた成功の秘けつは「細かすぎ」にあった!?元就の戦国生き残り術に迫る NHK名古屋はチコちゃんも放送しないしほんとふざけんなよ >>4
静岡北陸も味噌名古屋放送局の自己満足オナニー番組強制視聴だ
歌中部とかいう誰得番組は愛知岐阜三重だけでやっとけ 元就がこれほど拡大しても、息子たちが拡大できなかったのはダメだったな >>8
そもそも戦国末期〜江戸時代の期間に2代目で勢力拡大した大名って
ほとんどいないぞ。 ヒストリアが終わって見なくなっちゃったわ
普通に解説して欲しいだけなんだけどなー 毛利家って凄いよな
東北や九州の僻地とかではなく都そばの名門大大名に飲まれることなく領土を広げたんだもんな >>28
親子揃って畜生でめちゃくちゃ侵攻したパターンてそういやあんまないのかね 中国地方は室町末期の混迷を煮詰めたような土地だわな、
大内、山根、赤松、ヤバい連中がいっぱい >>21
鎌倉時代の承久の乱以降。
大江広元の子孫がここに移ってきた。 その割には豊臣秀吉 徳川家康の時代になると毛利って存在感無くなる
毛利って滅んだの? >>38
西日本だからいわゆる新補地頭だったのかな けっこう歴史長いね 大河ドラマ『毛利元就』ではボヤキの多いキャラだったっけか。 >>35
初代が健在のうちに2代目が勢力を固めた例はあるけど
初代がいなくなると、2代目は勢力を保てなくなる。 大内氏も中国地方だっけ?
応仁でも大勢力だしやっぱり大陸貿易の利益でかいのか 元就って毛利家の当主になる予定じゃなかったんでしょ?
毛利家の当主は毛利〇元って名前のはず >>8
元就の遺訓は「毛利は天下を望むな」だったから息子たちは現領地の守備に入った 最近はGoProでお手軽ロケが多いよね。
地方局なんか普通使わねーだろっていうような場面でもGoPro 使ってるわ。 >>21
もともとの出身地の毛利庄は神奈川県の厚木あたりなんだよね >>30
時間帯を考慮しても、ちょーっと演出がくどいね。
普通にやれって思う(´・ω・`) >>57
大内は全盛期北九州、博多まで勢力圏だった
ほぼ大陸貿易の利益独占 こうして考えると戦国以降の日本史において光栄の果たした業績ってでかいよなぁ
信長の野望がなければ全国各地の大名家の名がここまで認知されてることってなかったかもな 隆元が生きていれば毛利家の運命も違っていただろうね >>70
森とつながりがあるってのはきいたことあるな >>32
瀬戸内海の海路支配したからお金たんまり持ってたんかね
当時のパナマ運河みたいなもんだろ >>75
ペンネームのシブサワが大河の主役になるなんてなあ 人智を超えた謀略 毛利元就
中世最大の天才 織田信長 >>78
筆まめって言ってさしあげて(´;ω;`)ブワッ >>57
大陸貿易、瀬戸内海の海運力、石見銀山。
当時の日本で一番経済力のあった地域じゃないかな。 >>63
兄貴がストレス酒で早死にして家を家来に乗っ取られかけたんで
子や孫の飲酒にうるさい >>82
石見銀山じゃなかったのか
村上氏が暴れてる印象だったわ 数千年後に2ちゃんのログが発見されたら、こうして誰が何を言ってるとか解析されちゃうのかなぁ(´・ω・`) >>102
石見銀山は元々尼子の資金源。それを武力で奪った。 ああしろこうしろと伝えたところで人の考えはそう変わらんぞ >>76
信長、秀吉の頃は同じような展開だろうな
関ヶ原で西軍の大将にはならなかったかも >>102
石見銀山も大事な資金源だったよ
次男の吉川元春が管理してた >>110
有名な文書はたいていすでに活字化されてんだろうね 毛利元就は俺の田舎の母ちゃんのようだ
ちなみに俺の田舎は備後 高いところからいちいち偉そうに説教たれやがって。
いつがぶっ飛ばしてやる。
ってならんの? >>113
生粋の武人だよ
デカイ勢力に挟まれてたから戦ばっかしてた
大小合わせれば200戦以上 >>92
本家が宝治合戦で三浦氏に味方して北条氏に滅ぼされたけど、越後の分家のそのまた分家の安芸毛利氏は生き残って戦国時代に急成長 毛利元就って最愛の正室の妙玖夫人が生んだ子供達(隆元・吉川元春・小早川隆景など)に対しては溺愛して細やかな気遣いしてたけど
それ以外の側室が生んだ子供たち(穂井田元清・毛利秀包など)に対してはどうでもいいような態度をとっていた。 >>129
やっぱ、呪いとか祟りとかって無いんだろうなあ。 >>82
別に毛利だけが持ってたわけじゃないし。
村上も大内も河野もみんな瀬戸内利権持ってて、毛利なんて元々広島の山奥の国人だぞ。 >>108
アニ関実況スレが発掘されたら未来人に現代人についてとんでもない誤解を生みかねないな・・・ >>129
生涯で敗北と言えるのが2度程度。
決着が付かなかった戦も多いだろうけど、
勝率がおかしいよな。 赤色なんとかかんとかキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!! 封建領主をそう簡単に領地じゃない土地に住まわせられるかよ 元就の書状だと陶との厳島合戦の時村上水軍の援軍が来ずに焦ってる内容のものが好きだな >>132
大河ドラマじゃあ一夫一妻の仲睦まじい夫婦に描かれてたのに >>142
広島でお殿様って聞いたら
ほぼ「毛利元就」って答えられるからな
広島人の中での福島家や浅野家の影の薄いこと薄いこと・・・ >>126
いや、文体やワードのチョイスや傾向から日付やID超えて板やスレまたいで個人を特定してまとめられるだろうな >>139
船なんて一隻も持ってない、吉田の山奥に居た毛利家が
瀬戸内の海賊と共闘できるようになるには
並大抵じゃない苦労があっただろうな。 平城じゃなくて未だに山城に篭ってる大将とか
田舎者過ぎて家臣もカッペ笑って思ってたろ >>158
元就の側室は正室が死んだあとのだから
三男より下の年齢がずっと離れてる 赤色立体地図のおかげでこういう研究てすごく進んだんだろうな >>162
熊本での加藤清正への崇拝に近いものがあるね >>152
尼子恒久の「策多きものは勝ち、策少なきは負ける」って名言 >>28
信長「やっぱ俺すげー」
道三「俺も俺も」 >>142
一度敗北したら即滅亡な立場だったからな、豪族連合の代表で
名家の求心力皆無だし、立ち続けることだけで衆望維持し続けてた こういう立体地図見るとこんなに起伏激しいか?て感じちゃうよね >>171
でも最終的には孫の輝元が広島湾に面した広島城を造ったんだよな おこしやす京都負けたサンフレッチェ広島「三本では足りぬ」 >>194
やっぱり山城とかどんな防御力高くてもねーわって思ってたんだな >>193
まあ、プレゼンだからわかりやすく誇張はしてるだろ 親無しになった孫の世話までしなかったから
三代目で落ち目になった >>168
交渉力や人望が圧倒的だったんだろうな。
でなきゃ村上みたいな外様が戦力で劣ってる毛利のほうにつくなんてアリエナス。 昔オークションサイトで元就の書が思ったよりも安く落札された理由が分かった
残ってるの多いんやな ハルヲウルヒトって映画見てから佐藤二朗がエロじじいにしか見えない >>170
それは伝説なんだが、出典は元朝秘史とよばれる
モンゴルの伝説らしい。
そんな話を持ち出して説得するだけの教養があった。 内乱や下克上でかってに疲れてる相手ばっかりだろ中国地方って >>210
石垣技術の発達で山城なんていらなくなった 元就って初陣からして少数だから
少数での戦いが上手いんだろうな >>210
戦国時代が落ち着いて経済が重要になってきたら
防御力が高いだけの山城の城下町だと限界があるからな
やっぱ船を使った水運が使えないと そうそう、いちおうちょっと「信長の野望」とかさわったことあるけど
うざいのよこのへんw 博多とか関門海峡とか抑えてていかにも金ありそうだけどな >>132
なお親父の冷遇っぷりに憤慨した正室子たちは庶子の弟たちをとても大事にし
庶子たちも兄によく懐いた模様、やさしい世界 >>225
元朝秘史って項羽と劉邦のパクリ言われてるアレ >>210
山城が廃れたのは鉄砲の普及によって
山に籠って防衛するメリットが薄れて
平地で経済力を蓄えた方がいいという流れになったから。
輝元はその時代に合わせただけで、元就の時代は山城が当たり前。 >>238
隆景と元清は仲良かったしな
一番下の秀包は養子やったし >>230
その期を見るに敏だったと言える。
コロナで世間が大騒ぎしてる時に株を全力買いした奴と同じ。 >>225
そうなんだ。この年代って元寇があった頃かな >>212
スカイラインでカスタムマップ作るのに国土地理院データを使ってるんだけど
身近な場所で平地だと思ってた場所でも実は起伏があったり丘になってたりして凄い面白い 元就「隆景之御事ハ、舟ニて成共、陸成共、御小者一人ニても草津迄可有御下着候御下着候、
まつまつ只御けいこを悉夜るひるをいわす、御いそき候て可給候可給候、為此追々申入計候」 陶晴賢は美少年で、主家の大内とホモホモな関係でのしあがったのに
裏切って乗っ取った悪人や やっぱり、みんなブラタモリを思い出したかw
タモリさん高低差大好きだもんなぁw >>252
下がり切った塩漬け株を持って思考停止してる俺とは雲泥の差だな >>270
風間トオルとアッハッハッハッハはそういう関係だったのか! 槍でおもいっきりひっぱたかれると兜へこんだりすんだよな >>252
山名、赤松、大内、尼子、浦上、宇喜多、謀略家のデパートみたいな土地だしな、
もっともそのチャンピオンは言うまでもなく元就だが 厳島神社行きたいな
揚げもみじ食べたりお土産買いたい(´・ω・`) >>260
元朝秘史はチンギスハンの時代がメインだから
元寇よりも少し前の時代の話ぽい。
大陸貿易が盛んだったから大内家あたりが
所蔵していたのかもね。 勝ったほうが戦功を過大に宣伝するのは古今東西のことだな 陶晴賢っていたな
信長の野望のせいでなんかすごい裏切りの人ってイメージ 封建時代だからそりゃ馬鹿みたいに動員なんて出来るわけねーだろ >>270
主君NTRされたんでしっとだろ、ホモの 陶も名将なんだよな
元寇朝鮮出兵もそうだけど九州中国の武将は優秀だと思う >>289
昨日BSで2時間でまわる厳島やってておもしろかった オスマンでもロードス島に籠る騎士団に手を焼いてたのにほぼ同数で勝てるわけない 戦国大名の逸話って江戸時代の軍記や講談までしか遡れないのが >>270
大内が別の男娼を寵愛したから陶に裏切られたという説もあるぞ。
どこまで真実かは分からんけどな。
ちなみに前田利家は信長とそういう関係だったが
森蘭丸に取られたという話もある。 相席スタートみたいやな
渡邊さんは水戸から来てるのか >>306
来島村上は元就の援軍として来たけど最近の研究だと能島村上は来なかった可能性も指摘されてるね >>316
河越夜戦も本当にあったのか疑問が持たれている もっと胡散臭いのが赤壁の魏軍100万vs呉軍1万。
なんぼなんでも盛りすぎだ。 >>327
有田中井手であってる。
元就のデビュー戦。 でも島の反対側に見張り置かなかったのか(´・ω・`) 尾根の上に急造の見張り代くらい作るだろ、陶もバカじゃないんだし あれが「草津まで」って読んでもらえて
何で現代人の手書きが、きたねえだの
読めねえだのガタガタ言われなきゃいけねんだ >>371
群馬か滋賀か広島かは出身地で違うんだろうなw >>270
実際は晴賢が所領安堵と引き換えに元就に協力を要請したんだけどな。義隆が元就に援軍呼び掛けたけど元就動かず逆に桜尾城から大内方を追い出したし。 >>376
美術館とかで昔の行書とか見るときったねえ字だよなあ 開戦直前に元就が草津にいた時があったのが察せられるだけで
渡海地点が草津だと示す資料じゃないだろ >>376
崩し字にも細かい決まりがあると磯田先生が むしろ陶片が本拠地のくせに潮目調査してないとかどんだけよ >>381
死人に口なしとはよく言ったものだよな。 >>383
真っ黒な帆の影船が夜陰に乗じて(`・ω・´)シャキーン >>396
すでに地盤持ってる有力武将は大概そうかも 山越えも諸説あって実際に踏破調査したときは一晩でこれだけの大軍が超えるのは無理となったんだが このレベルの戦してる戦国大名に明朝鮮軍は役不足だったな
スペイン軍だと面白そうだが、やはり外交上手だから戦を避けた 本土から四国へ渡るのに軍船がなきゃダメなのはわかるけど
防衛側としては当時の軍船での上陸を阻むのって困難だったのかなぁ?
火つけられて続々と沈んでいきそうな気がするけど 地面には白骨が転がってて、上からヘビやサソリが落ちてくるとか無かったか? >>431
あれって、ハエが卵を産みつけたんじゃないんだよな。
ハエの卵って実はどこにでもあって条件が揃えばどこにでも湧くんだよな。 >>441
特に人口が多いわけでもなにかの施設があるわけでもないか。
そもそも、どこが土地所有してんだ >>441
神の島だから人間の手を入れられないから神社以外は原生林だらけ >>441
自然公園法が定める特別保護区域とユネスコ世界遺産に登録されてるからとにかく厳しい規制がかかってる 昔の人ってやたらこういう奇襲で討たれたとかやってるけど
逆にこういうの警戒するような有能な武将いなかったの? >>450
そういうこと以前に神の島なので人の手が入れれない 新暦の10月1日だと、まだそれなりの気候だと思うが、旧暦の10月1日だと今の11月上旬〜半ば頃?、結構寒いだろうなぁ・・・
特に深夜の山歩きは厳しかっただろうに・・・ >>453
成功した奇襲は歴史に残るけど
大抵の奇襲は事前に露呈するか、提案はしたが却下されたとかで
表に出てこないだけだと思う。 元就というより義隆だろ。当時の厳島神社は尼子方だったから大内方につけるために義隆が寄進させた。 >>466
奇襲される方は戦力的優位にあること多いし、奇襲されても勝ってればとりたててそこを強調して記録残さないかもね 三子教訓状にも元就は私同様隆元元春隆景も厳島神社を大切にして信仰するように言ってるしな 当時の戦国大名なんて大概そうだよ。
天下布武なんて言ってたのは織田信長だけ。 >>485
天下布武とは室町将軍への媚び媚びの言葉だぞ >>466
ほんそれ。
信長ですら桶狭間以降、戦力で負けてる相手に奇襲で戦ったことはない。戦力で上回って初めて仕掛けている。
奇襲はばくち要素が大きすぎるから。 今んとここの番組で面白いと思えたの秦回くらいしかない… >>493
やっぱり視聴率を稼げるのはこの時代になってしまうのか。 織田信長が革新的な中世の破壊者みたいなイメージってなかなか消えないんだなぁ・・・
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