【マターリ】青天を衝け(38)「栄一の嫡男」【sage】
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栄一(吉沢亮)や旧幕臣たちは、徳川家康の江戸入城三百年の節目を祝う東京開市三百年祭を開催。昭武(板垣李光人)らと再会、旧交を温める。栄一の気がかりは、汚名をかぶったまま静岡でひっそりと暮らす慶喜(草g剛)のことだった。一方、渋沢家では、息子・篤二(泉澤祐希)が、跡継ぎの重圧から逃れるかのように、過ちを犯してしまう。栄一は、篤二を退学させ、血洗島での謹慎を命じる。そして明治27年夏、日清戦争が起こる
【出演】吉沢亮,高良健吾,大島優子,泉澤祐希,藤野涼子,小野莉奈,山崎育三郎,福士誠治,中村靖日,遠山俊也,波岡一喜,板垣李光人,細田善彦,池内万作,木村佳乃,川栄李奈,草g剛,北大路欣也ほか
【作】大森美香
【音楽】佐藤直紀 明治に入ってだいぶ経つんだし、家康は今月くらいで引っ込めよ この場で坂本龍馬なんてのも居たなって話になったんだっけ?(´・ω・`) テレビの祝砲と同時にディズニーが花火上げたの聞こえてびっくりした。
画面から飛び出たかと 永井さん老けたなー
みんな老けてないのにこの人だけ 永井さん老けたなー
みんな老けてないのにこの人だけ なんで憲法発布に合わせて徳川祭り?
ぜんぜん関係ないやん 俺は川栄の演技好きなんだが
なぜか毛嫌いする人多いよね。デキ婚したから? >>87
憲法発布に合わせてじゃなくて家康が江戸に入って300年記念 その産業を立ち上げる部分はカットなのか…(´・ω・`) でも本当にそれはええことなんか?
すべてが?
あまりにいろんなことをやり過ぎて胡散臭くないか? 久々にみたけど、この近くに墓がある人がすでに4人も登場したな 若さがなくなったから追い出されるんか…(´・ω・`) 残り少ないってのに、なんかもう動きがねえな(´・ω・`) >>132
後妻もらう時にも「おくにさんじゃなくて?」みたいなこと言ってたから悪くは思ってないんじゃない >>127
かわいい七つの子がいるのかな(´・ω・`) >>105
新政府から捨扶持をもらい享楽にふける日々だった。
ある時、おつきのものが皮肉交じりにさぞや無念でしょうと聞くと、いや、今の暮らしは楽しい、江戸が
恋しいと思ったことは一度もないと答え・・・・ いろんな事業に手を出してどれにも誠実に最後まで関わってなかったんじゃないか?
とか思ってしまう
いやちょっと俺がひねくれ過ぎかも知れないけどさ 江戸時代の側室と明治の妾は全然違う。
本家からは汚いもの扱い >>162
個人的には期待してるが一般には馴染み少ない時代だからどうだろうな >>159
そもそも日本に存在しなかった物を作るだけで偉業だよ キャストに北大路欣也がいたぞ!
どこで出てくるか楽しみwkwk >>152
動物園の虎は自然に戻りたくないらしいね このオープニングの意味が
話しが進んでようやくわかってきた >>159
手広くやったらとても隅々まで見れないでしょ
右腕達に任せていたんじゃ無いの? >>165
じゃあFXやパチンコやソシャゲガチャ開発した人も偉業か?
ほんとに? >>162
鎌倉は見るけど家康は見ない予定(´・ω・`) >>185
ほんとに?の意味がわからん
お前はその後だけ見てただ批判したいだけだろ しかし、鹿鳴館の話やらなかったね。
渋沢の帝国ホテル起業とオープニングのダンスシーンに関わってくるんで掘り下げてくると思ったが。 200円なんて30分前の俺の全財産じゃん
ちなみに今は70円(´・ω・`) この頃は財布にはお金しかいれてなかった?
免許証ってまだなかった? 東照宮と言えば卒業式の呼びかけであったな
歴史の重みを感じた日光東照宮!!
みたいな? >>185
偉業だな。
それで大儲けした人が居るいから。
もちろん損した人もいるけど、それが渋沢が作った会社も同じ。
造船会社を作って船大工が消え、銀行のせいで両替商が廃業したりとか >>164
麒麟がくるは字幕出さないと
セリフが何言ってるのかさっぱりわからなかったけど
鎌倉時代もそうなりそうだなあ 10年くらい前に見た草燃えるは超面白かったから
鎌倉殿にはがっかりしそうな悪寒 >>201
批判したいだけなら渋沢はカスとか言うよ
あまりに雑にいろんな事業に手を出した紹介されて終わったからなんだそりゃって思っただけだよ
ドラマの問題かもしれんな
まあ大河なんて結局脚色だらけの嘘八百だってのは大前提なんだろうけどな 波岡さんは川村恵十郎の子孫から「先祖をよく演じてくださってありがとう」と手紙をもらったそうです。 目の届かないところに連れて行ったらもっと困るだろうに
全寮制なのか? >>285
確かにな
俺も死んでからでも実況してるし(´・ω・`) >>247
良い服を着てるから金持ちの子供だと思われたんだよな。
ホントはこのあと親戚のウチに行くから外出用の服着てただけなのに ガン告知されたらガーン!って言わないと(´・ω・`) >>307
麻酔を使って乳がんの手術をした華岡青洲は江戸時代だった気がする アメリカのビーチで
乳がん検査してやるから
触らせろーと騒いでた
酔っぱらいジジイがいたなあ >>228
ふむ。言いたいことはわかった。
俺としてはソシャゲガチャやらパチンコはやはり決して偉くはないと思うが、変化をもたらしたことは確かかもな。
いろんな側面はあるよな。 父親はこんなイケメンでも女関係はきっちりしてるのに
息子は女遊びしまくってたんだな 実は渋沢家には成人したら1年以内に嫁探しに行かなければならないという掟があるのだよ 王子に連れ戻されたのか
ここにきてまで父親としての役割放棄か >>369
とことん女好きなんだろ。火野正平みたいに。 >>395
あれ見てどうなるかと思ったがその後自重してくれと良かった 一方、この頃の岩崎家
弥太郎の長男 久弥 →ペンシルバニア大学へ留学
小弥太の継子 忠雄→ケンブリッジ大学へ留学
小弥太(嫁は後藤象二郎の長女)
「後藤さんがずっと私たちに『子供は留学させろ。というか、お前ら留学しろ。世界を見ろ』と口を酸っぱくして言ってました」
「久弥君は後藤さんが世話したアメリカの田舎の大学に無理やりアメリカに留学させられましたし。」
「後藤さんはやっぱり岩崎の、三菱の恩人ですね」 >>403
91まで生きてたらいそうだよね(´・ω・`) >>411
渋沢は金と権力で抱いてそうだけど
坂本龍馬は写真見る限りあの仏頂面で身分も怪しいのにかなりモテたらしいな 篤二のウィキペディアを見るとあと3話で収まる気がしない(´・ω・`) >>426
嫁からしたら亭主元気で留守がいいだけどな >>411
渋沢栄一の孫か曾孫の方が本人よりカッコ良すぎると言っていたね >>410
ほんと
あれ見て見るのやめようかと思ったわw 俺の父親はバツ2で俺の母親も散々泣かされてた
俺は父親みたいになりたくないと思ってたけど
結婚しても浮気癖は治らず嫁に逃げられたわ
女癖は遺伝なのか父親をモデリングなのか、、、 商家に生まれて商売の才覚が無ければみんな芸術家を目指してたぞ。商家は入り婿が継ぐ。 >>280
500円の電子メモパッド買ったよ〜 けっこう使えるわぁ 次郎さんだ
仮面ライダーが仮面ライダーを襲っているw 大隈さんちには足のホルマリン漬けが置いてあったらしいな。 この時言ったんだろ。渋澤死すとも自由は死なず、と。 >>452
書いたのを消しちゃうのがきになるなあ。
PCでも昔の.TXT全部のこしてる >>438
やっぱり家庭環境って大事なんだな
親を見ないと駄目だな 渋沢が慶喜にご執心だったのは知ってるけど、ドラマに組み込む意味あるか?
つまらん >>731
背が高ければそれだけでモテるし、さらに金が有れば... (髪も大事... 当時水道でこんなトラブルあったのか
水道事業外資に売ろうとする奴は天誅喰らえば良いのに 日清戦争キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! そして東京に戻ってきた慶喜は酔っぱらって裸になって「全裸になって何が悪い!」と 菅ちゃんのことみたいだね
コロナ対応で終わったけど、やりたいこともたくさんあったろう 今の時代で例えると沖縄サミットやったのも20年も昔だぞって話すような感じか 黄海海戦の途中で終わってしまった江川の日露戦争物語 そろそろ栄一も老けメイクしたほうが良いと思うの(´・ω・`) 御前様も栄一も黒々とした髪で全然老けないね(´・ω・`) >>519
そんなに経っているのか
大分世の中も変わってるだろうな それが外交より軍部が強い統帥権に繋がるんだけどね(´・ω・`) >>540
2000沖縄サミット
2002日韓ワールドカップ
2005愛・地球博
何もかも懐かしい >>553
ミノキ兄弟の御前様でいいのにね(´・ω・`) 慶喜の絵みると繊細で大人しい人だったのが見てとれる そうか、昭和が30年以上前だし
その頃の話してるようなものか >>574
ドラマとかの描き方が大きく影響してるよね 慶喜は司馬遼太郎に嫌われ
家茂は司馬遼太郎に気に入られた
この差は大きい >>540
丁度、911テロとその報復戦争で世界が大騒ぎしてた頃や >>547
アヘン戦争て1842年かな
その後の第二次アヘン戦争(アロー戦争)が1858年 それ以上に賠償取ったからな。
それで八幡製鉄起業。 >>483
半分は遺伝
半分は環境
遺伝は治らない
環境で培ったものはまだ変えられる >>595
遼太郎が龍馬を悪く書いてたらどうなったんだろう >>595
その作家にアンチが割といるのはそのせいか >>513
>>431 だった
でも数字押してQuick Replyに書き込んでるのに 何で誤爆するんだろ〜 >>605
老けメイクはしなくてもいいけど老け演技はしてほしい その2億どこから借りたんですかね
本当にいいようにされたよな(´・ω・`) >>626
一人称を「わし」にして語尾に「ぢゃ」をつけよう 慶喜は老け演技してないのに白髪になっただけで老けたように見える >>626
福山雅治は老け演技なんて無理だからって敢えて歳取らない設定でやってたな >>614
史実だけを元にすればいくらでも悪く書けるもんね(´・ω・`) 日清戦争で世界に認知され始めた日本だが 西洋とは宗教も異なる日本とはどんな国で倫理道徳観はどうなのか?という疑問に
答えるために描かれたのがBUSHIDO(新渡戸稲造) のちに和訳された >>633
おもしろいからNHKに青天を衝け2を考えてもらいたい >>628
日本てアフリカの土人だらけの中に先進国があったようなもんだろ なんだかもう少しで終わりそうな雰囲気だな(´・ω・`) 来週のあらすじ貼っておきますね。
12月12日(日) 20:00〜20:45
青天を衝(つ)け(39)「栄一と戦争」
栄一(吉沢亮)は、アメリカでコーマベルト大統領(門脇麦)と会談。日本の軍事面のみが注目され、経済への評価が低いことを痛感する。やがて、日露戦争が勃発。財界代表として戦争への協力を求められた栄一は、演説で公債購入を呼びかけるが、直後に倒れる。栄一の見舞いに訪れた駒(門脇麦・一人二役)は“生きてくれたら、自分のことは何でも話す”と涙ながらに語る。栄一たちは、駒の功績を後世に残すため、伝記の編纂(へんさん)を始める。
【出演】吉沢亮,高良健吾,大島優子,田辺誠一,泉澤祐希,小野莉奈,山崎育三郎,福士誠治,遠山俊也,半海一晃,長村航希,田村健太郎,ヒロウエノ,内野謙太,池田朱那,藤松祥子,門脇麦,北大路欣也ほか 中入ったことないけど
すごいな
年1とか開放しないのか 慶喜が否定される即ち、長一郎や平九郎の死も否定されてしまうから拘ったんだろうな栄一は 通常なら今週か来週最終回で、その後総集編
みたいな流れだよね 孫の渋沢敬三が岩崎弥太郎の孫と結婚するまで放送してほしい(´・ω・`) さて、テレ朝行く前にちょっと休憩するか(´・ω・`) >>676
駒どこまで登りつめるんだよ(´・ω・`) >>652
龍馬は実年齢越えるとこまで生きてないから老け演技不要だったろ >>711
まじで!?
清々しいほどの政略結婚じゃん >>731
せっかくのロングパスをトラップミスすんな >>730
家達じゃないんだから・・・(´・ω・`) 由利公正 ゆり きみまさ(1829〜1909) - 国立国会図書館 https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/215.html
由利公正 ゆり きみまさ (1829〜1909)
職業・身分 政治家、官僚 出身地(現在) 福井県
生没年月日 文政12年11月11日〜明治42年4月28日
(1829年12月6日〜1909年4月28日)
号・別称等 公正(こうせい) 三岡八郎(みつおか はちろう)
解説 福井藩士。横井小楠の影響を受け、財政を学ぶ。福井藩の財政改革に手腕を発揮。幕府の政事総裁職となった藩主松平慶永に重用される。
藩内の政争から、一時蟄居の身となるが、明治維新を契機に参与として登用される。新政府の財政・金融政策を担当し、太政官札を発行。
また福岡孝弟とともに五箇条の誓文の原案作成にもたずさわった。明治4年(1871)東京都知事。翌年岩倉遣外使節団に加わり欧米を視察。帰国後、元老院議官をつとめる。23年貴族院議員に勅選。 由利公正広場について | 福井県ホームページ https://www.pref.fukui.lg.jp/doc/sokou/kennto/yuri_kimimasa_hiroba.html由利公正とは
由利公正(「子爵由利公正伝」より) 由利公正は、幕末・明治期の政治家です。
文政12年(1829)、現在の福井市毛矢1丁目に福井藩士三岡義知の長男として生まれました。初め石五郎、後に八郎、公正と改名しました。また、明治3年(1870)以後は、先祖の旧姓の由利を名乗りました。
横井小楠(よこいしょうなん)に師事し、藩の財政建て直しを含む、藩政の改革に貢献しました。
明治新政府の成立後は太政官札(新政府の発行した最初の紙幣)を発行するなど、財政基盤の整備や、
「五箇条の御誓文」の原案となった「議事之体大意」を作成しました。
その後、東京府知事となり、銀座通りの整備等を行いました。
また、民撰議院設立建白書にも名を連ね、明治42年(1909)に、81歳で亡くなりました。 松平容保 | 近代日本人の肖像 - 国立国会図書館 https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/334.html?cat=59
松平容保 まつだいら かたもり (1836〜1893)
職業・身分 公家・旧大名 出身地(現在) 東京都
生没年月日 天保6年12月29日〜明治26年12月5日
(1836年2月15日〜1893年12月5日)
解説 高須藩主松平家に生まれ、会津藩主松平容敬の養子となる。
嘉永5年(1852)襲封。文久2年(1862)京都守護職に任じられ上洛。同年八月十八日の政変で萩藩の勢力を京都から駆逐、京都の治安と公武合体に力を尽くし、孝明の信頼を得た。
元治元年(1864)禁門の変で長州勢を攻撃。征長強硬論を持論とする。慶応3年(1867)王政復古で京都守護職を免ぜられ、4年(1868)鳥羽・伏見の戦で敗れる。
会津で謹慎したが、新政府軍に攻められ降伏。
明治13年(1880)日光東照宮宮司となった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています