[再]青天を衝け(40)「栄一、海を越えて」★3
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栄一と兼子は、日米関係改善のため渡米。60都市を特別列車で巡る“民間外交”に奔走する。そして、慶喜の伝記作りが大詰めを迎える中、慶喜は栄一に、ある言葉を伝える…
※前スレ
[再]青天を衝け(40)「栄一、海を越えて」★1
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/livenhk/1640401365/
[再]青天を衝け(40)「栄一、海を越えて」★2
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/livenhk/1640407421/ 最終回のあらすじ貼っておきますね。
12月26日(日)20:00〜21:00
青天を衝(つ)け (41)「青春はつづく」
ついに最終回、15分拡大版。老齢になっても走り続ける駒(門脇麦)は再び渡米し、移民問題など悪化した日米関係の改善に尽力する。一方、駒の後を継ぐ決心をした孫の敬三(笠松将)は、経験を積むため渡英する。そんな折、関東大震災が発生。駒は、内外の実業家に寄付を呼びかけ、救援の最前線に立つ。数年後、399歳になった駒は、ラジオを通して自らの思いを伝えるため、気力を振り絞ってマイクの前に立っていた。マイクに向かって「戦のない世世を創れる人はきっと出てくる。その人は麒麟を連れてくるんだ」と意味不明な言葉を叫ぶ駒。栄一(吉沢亮)はその場で駒を斬り殺す。駒の死を知った聴衆者は歓喜に湧き、後に栄一は正二位の位階を授けられる。
出演者
【出演】門脇麦,吉沢亮,大島優子,泉澤祐希,小野莉奈,笠松将,大倉孝二,朝倉あき,長村航希,田村健太郎,内野謙太,池田朱那,藤松祥子,今泉マヤ,ヒロウエノ,八十田勇一,石丸謙二郎,近藤芳正,北大路欣也ほか キタ――(゚∀゚)――!!wwwwwwwwww
なんでこれで尺とるんだwww 権現様も江戸時代生まれがいなくなるとともに消えるのかな? >>1
乙です
いつまでも青春(意味深)(´・ω・`) 孫は後継者になってくれって言われたとき断われなかったんか? ヨシノブさんとアキタケさんよく似てんだよなw
ナリアキさんも肖像画ではあるがよく似てる(奥方いわく「かわいい」との評価) へえ
あのブサイクな孫って誰か有名人の二世なのか
だから抜擢されたのか >>78
正装した栄一が土下座で頼んだとか
そりゃ断れねぇ 出た!
味のないぶっきらぼう演奏隊w
だがそれが癖になる テーマ曲あんま好きじゃなかったけどこのアレンジ好き 明日の最終回、泣いちゃいそう
新選組!の最終回、母様の「近藤勇、よく戦いました!」と
ラストのカーテンコールでブワッと涙溢れたけど >>1
乙です
大権現さまからの送り良いねw
写真の慶喜が草なぎそっくりだったww 鼓笛隊のこの中に好きな子の笛先をひっそりと交換して演奏してる奴が居る筈だ >>23
大学川流れ大会のくだりはないのか……残念 祖父が警視庁に入ったばかりの頃に徳川邸の門番やらされたと言ってたわ 露伴キタ━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━ ッ !!! キタ━━ >>15
戦場で無理な早飯早糞続けてると脱糞リスクある 後世から見ると、
徳川慶喜がさっさと京都から逃げてくれたおかげで
明治維新でも日本の人材等の体力が残って、植民地にされなくてすんだんだよ
やはり慶喜は称えられる価値がある >>78
実質強制やん…家長のジジイに言われたら断れんやろ、昔は特に 篤二は嫁子にとっては優しい亭主と父親だったんだろう。ただメンタルが弱すぎた >>94
(´・ω・`)若いときガチショタっぽい感じだったのに
キャスティングにも力がw 徳川宗家の次期当主は嫁がベトナム人で静岡で立憲推薦で選挙出たけど落選したし
水戸徳川家の当主は数年前に亡くなって絶家したし
徳川家は衰退してるよな 栄一の孫はまだ存命だぞ
この前博士ちゃんだったかに出てた 慶喜は60代の頃に4年ほど今の巣鴨の駅すぐ近くに住んでたが鉄道が通るということで騒がしくなるのが嫌で茗荷谷に引っ越したとか >>92
廃嫡されてからは登場しないのか
でもプレッシャーからは救われたな
>>113
まぁまぁ長生きやね >>75
最後は洋装でただの北大路欣也やないかと総ツッコミになったら面白いのに シベリアでポーランド難民を救い出したエピソードはNHK的には都合悪いからカットですか?(´・ω・`) >>137
売れてるイケメン俳優だから、あまり老けメイクさせなかったのではと思ってます
渋沢翁をせっかく吉沢亮に演じさせてる意味が無くなるし… >>72
江藤新平の自分の作った法律で
自分が死刑第一号になるのも凄い それにしても今年の大河は大当たりだよね
ここまで期待されずに大当たりって、珍しいのでは 徳川慶喜伝全4巻でKindleだと一万しないのは安い いつもリアルタイムに実況できないから
最終回再放送に実況楽しみw 今年死んじゃったばあちゃんが大正10年の生まれなもんだから、
その頃の話なのか、と思うとほーんのちょーっとだけ親しみを感じるなぁ。 >>111
どういう手腕で何百もの会社を設立していったのかということが
さっぱりわからないまま終わってしまう >>142
オープニング曲の指揮してるのは曾孫だしな >>101>>135
それでも安子なら、
>>161
安子なら断れるぞ! 昔の西武社長の堤康次郎(清、清二、義明の父親)も
妾や庶子がたくさんいた(西武会社内には同じ顔した庶子が数十人いたw)
嫡男で長男の堤清は親父康次郎の生き方に逆らって廃嫡されたらしい
堤康次郎は没落困窮した旧華族達の不動産を安く買い叩き、しかも直ぐに全額支払わず数十年ローンで支払って儲けたアコギな商売人
次男の堤清二は文学者肌で後継者になりたくなくて自ら廃嫡願いを父に出したが廃嫡されなかった
最終的に清二は経営から撤退して文学者になったけどね >>174
青天見て、うちもばあちゃんが生きていれば
もっといろいろ聞いてみたかったな(´・ω・`) >>141
そもそも皇族、足利・徳川将軍家はすごく同族・分家が多い
だからどっかしら盛り立てればどーにでもなる方々
今の皇室典範がおかしいのだろう 篤ニは廃嫡といってもその子供を跡継ぎにしてるし10年後くらいに渋沢倉庫の取締役とかにしてるし見放したわけではないんだな >>166
その辺は脚本家の圧力というかw補正ですねwww >>166
イケメン俳優だからではなく、アップシーンが多い栄一だから
アップになった時の作り物感による違和感で芝居を邪魔しないためだろう
一部は逆に若杉で違和感煩いけど >>184
旧宮家には健康な男系男子が10人以上いるんだよ 勘当ではなく,跡継ぎから外しただけやからな
資産も嫁が引き継いでる >>43
朝鮮出兵も徳川だけ免除してたし
五大老の長にもしてたから
秀吉は家康を実質の後継者指名してた節はある
驚異と思ってるなら出兵させて疲弊させたあと
いいがかりつけて潰してただろうし
秀次が勝手に自殺した時点で豊臣家のお家存続はあきらめてたんだろうし 大河始まる前は吉沢亮なんて誰だと思うよ。民放のドラマやCMなんてあんまり出てないし >>188
喜作のほうは老けメイク一応もうちょっと早めにさせてたのになw >>187
渋澤の圧勝
五代が長生きしなかったせいもあるけど、所詮五代は近畿ローカル >>188
最終回の映像、思った以上に違和感バリバリ(特に髪の毛)ですけどまあ、最終回だしいいか!という気概を感じます。渋沢翁のぽっちゃり感ゼロですけど…天陽くんだからまあいいかと思います >>196
仮面ライダーメテオから始皇帝な役者が、あまり出てないですと? >>177
そう
渋沢家つうか尾高家の子孫だけどね
前から大河の曲関わってたんだよな >>187
「東(東京)の渋沢、西(大阪)の五代」と言われてた両雄だけど今の価値観で言うと東の渋沢の方が凄い気がするけど
戦後、政府が東京一極集中を推し進めるまでは大阪のほうがむしろ大企業の本社も多かったり経済規模は大きかったからなんとも言えんね >>194
朝鮮出兵はまだ江戸に移って間もないから配慮があったと思う 大河ドラマの主役ってブランド力ある割には旬を過ぎた人か誰やねんこれ的な俳優の方が多いと思うよ。次の小栗旬はとっくに旬過ぎてるし。有名なのは綾瀬はるかと福山雅治ぐらいじゃないの >>179
その方が健全なんじゃない?
歴史は結果が全てではあるけれど、
考察をしたり教訓を得ようと思えば結果論でもあるわけで。
>>183
もっと早いお生まれなのね。
俺は戦中に愛知であった大地震や農地改革の話を晩年に聞けた。
幼少の頃のことはほぼ話してくれなかったなぁ。 >>154
減らされるくらい扱いが悪いから
制作側がのびのび作れて
面白かったって点もある >>203
小林一三のほうが比較に出したいんだけど、全然規模がちがうか・・ >>189
いや極論すれば足利も徳川も清和源氏なんで「あんたらが御門になりゃいいじゃん」とさえ(広義の皇族・王族)
昔の名家なんて歴史の分だけ親戚が多いわけで
細川・吉良・今川・仁木・一色がみんな足利氏のようなもん
こたつむり(自称・細川一族)が皇居で年賀あいさつ係になっても俺は驚かない >>197
4Kで観れば喜作も栄一も老けメイク自体は変わらない
ただ吉沢がピチピチで高良が老けてたから差があるように見えるだけ
喜作の方がグレーヘアに白髭ついてるのも大きい
喜作が早々とグレーになったのは実物に合わせて >>187
次の一万円札は五代さんかもしれないね。 >>196
仮面ライダーフォーゼでメテオ役で出演してた頃から
正統派イケメンだってめちゃくちゃ騒がれてたけど >>197
事務所に言われてたのでは!?と勝手に邪推してしまう。吉沢亮に歴史ものやらせるなら、古代とか人相の分からないファンタジーものをお願いしたい。演技は熱入ってて凄く良かったのに、イケメンを見るたびに10000札の渋沢翁の肖像がチラついた一年でした >>201
福士蒼汰や清水富美加とかキャスト豪華だったな でも渋沢栄一って
この大河が始まる前まではほとんどクローズアップされてなかったよな
五代は三浦春馬とかで映画化とかもされてたが やっぱ山崎育三郎の伊藤博文の大河がみたくなるな 同じ脚本家で
軽妙な演技から重厚な演技 若い頃から最晩年まで無理なく演じ切れると思うし
伊藤の持つ多面性を演じられるのは唐沢くらいだと思ってたけど、この人もいいわ
吉沢も渋沢役で出ていいじゃないかw 大隈も同じ人で
大河で欠けている2大ピースが伊藤博文と北条氏康(北条五代)の物語だと思う
日本を描くうえで絶対欠くことができない対象
鎌倉北条なんてもう何度もやってるしなんで今更それなんだよ・・ 尾高氏は再放送してる黄金の日日のテーマ曲も指揮してるし八重のテーマ曲もやってたね
尾高氏の父はN響創立の切欠つくった人だね >>212
宇宙チンパンジーの前澤さんも将来お札に >>204
だからなおさら潰すチャンスはあったのに
それをやらなかったのはもう後継者扱いしてたんだとおもう
石田三成が人望がない説はあやしい
豊臣恩顧の清正らが家康についたのも秀吉の意図を汲んだからだろうし >>196
朝ドラ100作目で天陽くんを演じてたのよ。見ていないなら是非みて欲しい「なつぞら」。天陽くんのキャラクターも凄かったから!
メチャクチャ貧乏の家庭なのに継ぎ接ぎがお洒落だったから >>124
JAXAに大名の子孫なんにんかおるらしい
徳川さんもおったはず 文京区の慶喜の屋敷跡は今の国際仏教大学の敷地なんだな >>216
だが他諸事情で消えたり売れなかったり死んじゃったりした人多数の中
エネルギーを吸ったかのように一人
ライダー界でも抜けて売れた吉沢亮
キャナメは便利な脇役としてはすごいけど >>222
そういえば朝ドラでうちのオカンが天陽くんかっこいいってファンになってたw >>214
普通に馬鹿?
大河主演やるのにうちの俳優に老けメイクしないでくださいっていう事務所がどこにあるんだw
渋沢栄一と似てないとかイケメンとか、そういうのが気になる人がいるのな ヨシノブさんも何とも立場の微妙なお人
家光さんとか家斉さんのように正々の嫡々でもない(元々そんなに将軍になる可能性がないー桓武のように)
水戸一族としてはお兄さんが藩主を継いだし明治になっては徳川宗家は別の人が
鎌倉幕府最後の執権・赤橋守時みたいなもんかね
北条氏としてはあくまで分家で感覚的に宗家の北条高時のほうが偉い >>205
大河とかNHKの大きな仕事は名誉職みたいなとこがあるそうだしね。
拘束期間長い、制限多い・強い、なのにおじぇじぇ安い、
となれば旬真っ盛りな人は他の仕事で書き入れ時だし、
大御所ならもう看板増やさんでもいいんだろうし。
すると効率悪くてもブランドを欲しい人が受けるし、そこにオファーするんじゃない? >>217
一万札に抜擢された時は村上ショージ似のオッサンって言われてたからな >>226
アギト見てるとキャナメが売れるとは思わなかったなぁ
初期の滑舌もブレイドより酷かったし >>217
なんでだろうね?やっぱり隠し子とかの闇の成分が
倫理的に説明しづらいからか?
大久保とかの今までのお札になってた人物とも仲良くなかったからか?
って一旦は札にもなってるんだが、学校の授業でもやった記憶がない >>227
超ドチャ糞貧乏のはずなのに、いつも顔ツヤツヤしててこれ見よがしな継ぎ接ぎがお洒落でカッコよかった天陽くん、メチャクチャ愛されてましたね
亡くなった回は「突然の死」と騒ぎになりました。懐かしい >>133
日本があっさり一等国の仲間入りできたのは
政権が変わるときに消耗がなかったからだよね
室町も鎌倉も終わるときは日本はほんとに酷かったわけで
やはり徳川はさいごまで善政をしいてた >>218
推しまくりだな
とりあえず伊藤博文をシンプルにはやってほしい
確かに面白くなくては困るんだけど >>228
いきなり他人に馬鹿とかいう人とは話をしちゃだめって渋沢翁に言われてるのでNGにさせて頂きますね。ごきげんよう 一切の政治性を抜きにしても伊藤博文大河は難しいんじゃねえの?
翔ぶが如くは西郷隆盛の人生約半分でも1年やって「まだ足りないか」ぐらい
伊藤は西南戦争まででまだ一生の半分ぐらいなんで1年に収められるものか? >>218
まーた来年は鎌倉の北条氏でも
頼朝亡き後での他紙排斥の話だからねー
めっちゃえぐい殺し合いの話だけど三谷はそういうの好きらしいw >>169
たしかに面白かったな
大満足ですわ
麒麟が期待させてクソつまんなかっただけに >>202
黄金の日日もクレジットに尾高さんがでてるけど
関係者なんだろうか >>205
篤姫の宮崎あおいさんはメチャクチャ時期も良かったように思います。個人的には元禄繚乱も役者の演じる歳に合致して良かったと記憶しています >>243
明治時代の渋沢栄一って誰やねん→幕末もので佐幕側視点というオルタナティヴ大河w
よくあの西郷隆盛で、上野で銅像にしようとおもったな
スキあらば江戸を丸焼きアタックチャンスしそうな感じだったのに >>195
>>212
そもそも福沢諭吉って偉い人か?
いまだに何やったかわからん >>226
実は仮面ライダービルドが青天を衝くに出てたんだぜ >>250
(´・ω・`)今回の幕府はメテオ、ビルド、トッキュウジャーとG3によって守られてたのに・・・ >>249
今度の千円札
東大医科研
慶応医学部
血清療法開発
だぞ >>248
先々代の陛下を殴れと言ってるヒマあったらもう少し勉強しなさい >>252
野口英世の師匠格のほうがお札化遅い、っていう日本の闇 >>239
伊藤は普通にシンプルに描いても大河2年分はかかる そこが泣き所なんだろう
吉田松陰から始まって関係する人物も事象も多すぎるんで
1年でまとめようとするとスカスカ大河になってしまう 高橋一生のロン毛いいな
次の龍馬はこの人にやらせたいわ >>255
伊藤博文は幕末も明治もやれることたくさんあるから面白い素材だよね。だけどお隣の国がうるさいかも >>248
はっきりいって福沢諭吉は偉くない 過大評価だと思う
流行作家だよね 海外の最新の流行思想を翻訳して庶民に広めた人ではある
まあ浅田彰か宮台真司、荻上チキみたいな人だねw
幕末にも自分でなんら責任を伴った行動はしていない、・・口舌の徒だな
とてもお札の顔になるような人じゃないw 慶應人脈からの圧じゃないの 広瀬すずが新春テレ朝で津田梅子を演じるみたいだけど、大河でやれないものかしら >>217
五代だって朝ドラ以前はあまり知られてなかったし(映画は朝ドラ以降)
渋沢は教科書に名前乗るくらいには有名 >>257
なんなら『坂の上の雲』方式で描いてくれも良いとおもう。 >>258
慶応閥とか忖度するならそれこそ大隈重信のお札化なんだよなあ >>241
だからそこが伊藤大河化の泣き所だね
シンプルに描いても2年
端折らずに描いたら3年はかかると思う すべての史実が残っているし
しかもどれもこれも日本にとって重大な史実ばかりだからはしょるわけにもいかず 司馬遼太郎原作大河「花神」とか、映画「長州ファイブ」とか
幕末〜維新期の松下村塾生達が外国領事館爆破を決行したり英国に密航留学して学んだり、
伊藤と井上が長州と外国艦隊の戦争を止めるため帰国が描かれてるけど
維新後ははしょられてんだよな >>258
偉い偉くない基準なら文学関係はみんな大して偉くないだろ
近代思想への影響力考えたら重要人物なのは間違いない 井上侯爵と 東暁館に想う - 日立社友クラブ 茨城支部 http://shayuu-iba.la.coocan.jp/02sougyou/tougyoukan/tougyoukan.htm
私が東暁館にお世話になるのは、ごく最近のことで、平成14年に日立社友クラブ茨城支部「同好会」の活動拠点が東暁館の別館に移ってからです。
この別館は、明治時代は助川一のホテルで、久原・小平の両幹部が日鉱創業の策を練り、井上侯を招請して鴻池に融資を要請した記念の建物であります。
現在は老朽化し、使う当てのない建物との事で、早晩取り壊しの運命にありました。
現在「日立社友クラブ茨城支部同好会」で使用させていただいており、われわれ日立製作所のOBにとって久原、小平の思い出を秘めた建物であります。以下にそのルーツをたどってみます。
1、 井上の許すに久原あり、久原の信ずるに井上あり。
明治38年(1905)に久原は赤沢銅山を買収し日立鉱山を創業しましたが、井上侯を通じて鴻池に融資を要請しました。井上、久原の両家は“井上の許すに久原あり、久原の信ずるに井上あり”の親密な関係にありました。
日立鉱山を創業して3年の後、明治41年(1908)融資に先立って、手順として経営の実態を検証していただく必要があり、銀行筋を伴った井上侯を日立に招請しました。そのときの宿泊が東暁館の別館でした。
日立鉱山史によると、そのとき思わぬハプニングが起こりました。断層にぶつかり鉱脈が途絶えたのです。全山憂慮の中、懸命の探鉱の結果、事なきを得て無事に見ていただきました。
井上の信頼の情は些細な出来事でいささかも変わらなかったのです。「ここを“井上断層”と名付けて大切に保存してあります」。と、日産建設に移った梅原親氏から当時の様子を伺いました。 >>266 二回目の招請は明治43年(1910)の電錬完成、日立製作創立の要請等もあったようです。 三回目は明治44年(1911)石岡発電所完成でした。 日本の元勲と言われたほどの多忙な方がよくぞ来訪されました。
“井上の許すに久原あり、久原の信ずるに井上あり“でした。商社マンになろうとしたのを説得して小坂鉱山に送り、その手腕を認めて日立鉱山の開発に当らせた後見人として、徹底して面倒を見る井上の意志が伺えます。
井上・久原二人の関係はやがて日立製作所の創立と深い関わりを持つのであります。
2、井上侯を偲ぶため日鉱記念館を訪ねる。
入館するとすぐ久原の紹介に続いて恩人井上侯の揮毫による書が眼につきました。この書は「日立鉱山の諸士に送る訓戒の書」として明治43年(庚戌)3月2日、2度目の視察のおりに揮毫されたのもので、久原・小平以下の諸士の奮闘を促した処世訓です。
“心精体蜜 貫道達微 方照人物 徳服衆望 世外老史 明治庚戌三月二日“ 曰く“心はつまびらかに 体はこまやかに 道を貫き微に至れば まさに人物を照らし 徳は衆望を得せしめん” 難しい文章ですが 「>>266 二回目の招請は明治43年(1910)の電錬完成、日立製作創立の要請等もあったようです。 三回目は明治44年(1911)石岡発電所完成でした。 日本の元勲と言われたほどの多忙な方がよくぞ来訪されました。“井上の許すに久原あり、久原の信ずるに井上あり“でした。商社マンになろうとしたのを説得して小坂鉱山に送り、その手腕を認めて日立鉱山の開発に当らせた後見人として、徹底して面倒を見る井上の意志が伺えます。井上・久原二人の関係はやがて日立製作所の創立と深い関わりを持つのであります。
2、井上侯を偲ぶため日鉱記念館を訪ねる。
入館するとすぐ久原の紹介に続いて恩人井上侯の揮毫による書が眼につきました。この書は「日立鉱山の諸士に送る訓戒の書」として明治43年(庚戌)3月2日、2度目の視察のおりに揮毫されたのもので、久原・小平以下の諸士の奮闘を促した処世訓です。 “心精体蜜 貫道達微 方照人物 徳服衆望 世外老史 明治庚戌三月二日“ 曰く“心はつまびらかに 体はこまやかに 道を貫き微に至れば まさに人物を照らし 徳は衆望を得せしめん” 難しい文章ですが 「心身共に充実して 物事の奥義に至れば おのずから其の人となり 人々の信頼が集まる」の意であります。 有難い教えを久原・小平以下の全従業員が奉戴されました。 >>267
3、久原房之助の“苦心惨澹の処”を訪ねる
久原本部跡を訪ね、久原自筆の“苦心惨澹の処”の碑を拝見し往時を偲びました。断層にぶつかり、煙害に悩み、多くの犠牲者が出る中、怯むことなく努力を続けた記念の碑でした。
隣には「塵外堂」と言う観音堂が立ち、物故者の霊を手厚く奉祀ってありました。
心身共に充実して 物事の奥義に至れば おのずから其の人となり 人々の信頼が集まる」の意であります。 有難い教えを久原・小平以下の全従業員が奉戴されました。
3、久原房之助の“苦心惨澹の処”を訪ねる
久原本部跡を訪ね、久原自筆の“苦心惨澹の処”の碑を拝見し往時を偲びました。
断層にぶつかり、煙害に悩み、多くの犠牲者が出る中、怯むことなく努力を続けた記念の碑でした。隣には「塵外堂」と言う観音堂が立ち、物故者の霊を手厚く奉祀ってありました。 >>268 市誕生は久原房之助・小平浪平のお陰かと推察されました。 久原房之助が日立鉱山に入山したのが明治38年(1905)で、奇しくも今から百年の昔にあたります。
小平は久原の懇望を受けた時、去就について学友渋沢元冶に逢って会談したのが猿橋駅前の大黒屋の会談として有名な話です。
ここで渋沢の反対を押し切って国産電機の製造を決意し(久原の懇望を受け入れて)日立鉱山に入山しました。
この時が久原の入山から一年遅れの明治39年(1906)でした。 二人は苦心惨澹し寝食を忘れて鉱山の開発に当り、次々と新鉱区を発見し、国内屈指の銅山に立ち上げることが出来ました。
4、日立製作所の誕生に向けて
明治41年の日本は日露戦の特需景気が終わり、不景気に入ろうとしていた時。
妙味の少ない物作りに対しては気乗り薄い久原を説得し、6万円の出資を貰いました。喜んだ小平は英国から最新鋭の板金機械を購入しモーター製作にかかりました。
明治43年のことで、製作所としての創業小屋が整ったのでした。後に小平は「久原の庇護がなかったら日立製作所は出来なかったろう」と、回顧の言葉が残って居ります。 二人の関係は小坂鉱山で結ばれ、互いに助け合い許しあう友情が生まれていました >>269 5、久原房之助・小平浪平頌徳碑
神峰公園入り口の苔むした参道を行くと、文豪徳富蘇峰の揮毫による、久原房之助翁・小平浪平翁の頌徳碑があります。普段は気にかけず通過していた頌徳碑です。
この頌徳碑は、紀元2600年を迎えた昭和15年(1940)に、市政功労者を顕彰して当時の市庁舎の広場に建立されました。のち、神峰公園が出来たときに、この碑も現在地に移されました。 初代の日立市長福田重清の賛辞によると“明治38年久原房之助この地に事業を興す。
明治43年工作課長小平浪平日立製作所を興し主事となる。想うに両社事業の盛衰は直に地方の消長に関連すべく 本市今日の興隆亦自ら其の業績に負う処極めて大なり”。これは福田重清市長の賛辞であります。
二人は日立市の生みの親と仰がれています。
同時に日立市民が忘れてならないのが井上馨侯の存在であります。井上侯の庇護のもとで、久原鉱業が興隆し、続いて小平浪平の日立製作所が興きたのであります。来年が鉱山創業百年の節目を向かえる年であり、思いを新たにしたいものです。
6、東暁館は恩人井上侯を遇した記念館。
井上侯の宿泊先は3回とも東暁館でした。日本鉱業では創業から来客を接待するのに離れの別館を貴賓室に当てられました。駅に近く、行き届いた庭園あり、湘南さながらの別荘なりと愛で、海水浴館でもあったのです。 >>270 神峰・高鈴の名山を脊にして、太平洋の海原で海水浴をする「遊名山浴蒼海」は、井上候の揮毫した扁額であり、候の興感を知ることが出来ます。
“帝都の道も半日の鉄路・・・”と日立工場歌に歌われており、長旅の疲れを癒すには好適だったと思います。
続けて3回の老公の来館を喜んだ館主は、この離れ座敷のことを「世外庵」などと呼んでいたそうです。世外とは老公の雅号であり「日立鉱山の諸士に送る訓戒の書」のときは、世外老史と記しています。老公はこのとき72歳でした。
7、日立社友クラブ茨城支部活動の拠点東暁館。
井上侯が泊まられた別館は日立社友クラブ茨城支部がお借りしています。パソコンを学び、碁盤を打って楽しんでいます。
日立製作所の好意により無料で貸していただき、日立社友クラブ茨城支部活動の拠点にしております。百年ほどの昔、少壮経営者30歳台の久原、小平両首脳が膝下に座して侯の指南を受けたところで、支部同好会の活動がなされて居ます。
高橋市蔵さんがパンポン143号に「東暁館聞き覚え」として貴重な記事を載せておりますので以下に記します。
“井上侯の一行には銀行筋、警護人の外にずっと粋に砕けたと言うか新橋の女将連が美技多数を引具して従しておった。
これらの婦人連は、長唄や清元の地で舞、端唄で踊るなどして、旅情にいやが上にも興を添え、客は恍惚として見惚れ、舞が終わると無言でただ拍手を送ると言った座敷の情景は、実に豪華と言うより寧ろゆかしいものであった”。
江戸の文化を垣間見た感想であり、驚きを伝えております。 井上侯は朝は冷水浴をされるので、しのび足で風呂場の点検清掃をするのも久原自身の配慮でした。特に就寝を邪魔しないように、衣摺れにも注意したようです。 伊藤博文は後世の中国人・朝鮮人には「侵略者」にしか思えないかも知れない
でもリアルタイムでは興味深いもので清朝皇帝や李朝王家から親しく信頼されたりもしていた
こういう不思議な人徳も政治家を考えるには重要で
あと伊藤は国会だの憲法だの1つのテーマだけでドラマ作れるほど各方面に関与してる
今の大河ドラマ制作班の能力に耐え得るかどうか…
福沢諭吉も過大評価(悪の)な所があってリアルタイムの影響力は差し引いて考えないと
韓国じゃ福沢を三大悪人の1人という人もいるそうだが過大評価と結び付いていると思う
当然だが福沢の本職はあくまで教育者であってジャーナリズムではもっと大きな影響を与えた人たちがいた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています