歴史探偵 北条100年王国の秘密
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[総合] 2023年09月27日 午後10:00 ~ 午後10:45 (45分)
あの家康が政治の手本にしたという戦国大名の北条氏。新参者としてやって来た関東で五代百年にわたる繁栄を誇り、唯一無二の王国を作りあげた。その驚きの力の秘密とは。 氏直が長生きできてれば普通に大名に復帰できてたんだよなあ >>4
風林火山で河越夜戦はやった
山本勘助が現場にいて鉄砲で撃たれちゃうけどw 究極の戦国ニート国家北条家
>>12
いろいろと疎かったから仕方ない関東引きこもりで 四公六民は善政だよな。増税しか頭にない岸田は見習え >>13
遂に小田原市民の念願かなうのか
もうNHK陳情行脚30年やってるんだってな >>19
そういう運や健康も含めて
家康はイケテる 北条五代をやって、この時期の関東のぐだぐだ度合いをちゃんとやって欲しい >>4
やるとしても川越夜戦とかどうすんのやろ
あれ内政チートで文書残る北条で夜戦に関する感状がないって話があるが 小田原競輪と外郎と蒲鉾しか知らない町(´・ω・`) (天正18年)7月12日付北政所宛豊臣秀吉書状
「はや小たわらとり、うちまさ・同六つのかミ両人のくひさしのほせ候」
既に小田原を取り、北条氏政・氏照両人の首は(晒すために)京都へ送りました >>12
難攻不落の小田原城を過信しすぎたんだろう
謙信にも信玄にも落とせなかったんだから秀吉も撃退できるだろうと
秀吉の動員力が桁違いすぎて想定を超えてた 摂関家の藤原氏と平泉の藤原氏みたいなものだ、名前の権威を借りた >>27
石川数正の徳川出奔もそれに近いような理由とも言われてるしね
徳川陣営分かって無さ過ぎると 箱根に早雲の湯があるから名前知ってるぐらいだわな、早雲が何やった人かは知らない さっさと秀吉に服従しとけば徳川の江戸幕府も無かった >>44
氏ねが物騒に見えてしまう2ちゃん世代 (´・ω・`) >>53
ういろうは名古屋の感じ
物は違うんだっけ同じだっけ 信長の野望で一番強い武将が
信長でも秀吉でも信玄でも謙信でもなく早雲
北条から金貰ってるだろ エンもユカリも無いこの土地で
やっと大名になったんです~!(泣) 歴史詳しくないから昔、高橋みなみが
小田原城は北条氏の城と言ってるのを見てスゲーと思った 10年くらい前に行ったけどなんか小さかった気がする >>73
北条氏康は江戸に小田原以上の家臣団がいたことをちゃんと残してるぞ 後北条が征夷大将軍になったら小田原が首都になっていたのか
つか征夷大将軍になれるんかな 小田原は箱根に行くための乗換駅 街散策したことない >>80
だから1回は大敗しとけっていう話を誰か言ってたような
朝倉だったか他の誰かだったか 本当の専門は北条氏じゃなくて縄文時代の組長もとい館長キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! ジャンプでやってる
逃げ上手のなんとか
も、北条氏だっけ 令和の最新技術で当時に忠実な形にリニューアルしてほしい >>91
早雲だけ盛り上がって氏綱以降は内政ドラマ+合戦やったふりドラマになるぞ よそ者が関東納めるためにわざわざ関東に由緒がある北条に変えたんだろ? >>34
5月の北条五代祭りに必ずその横断幕は見る 家康はすでに施設が整って都会だった小田原や鎌倉じゃなくて江戸を本拠地にしたんだろ >>97
英雄たちの選択で言われてたけど家康が関東移封で根拠地を小田原に選ぶ選択肢もあったという話してた さっさと秀吉に臣従しとけば五大老だったかもしれないのに >>108
作者が前にやってた
殺せんせー、のアニメ
今度テレビでやるな >>101
中先代の血縁者が嫁いで北条になりました >>119
とすれば将軍にはなれないのか
執権が最高位ってことかな goproみたいなので撮ってるけど、その映像使ってないから意味ないじゃん >>129
地味に連載作品が続々とアニメ化されてる人だな >>69
お姉ちゃんのコネで今川に伊豆の隣の城を貰う→伊豆がゴタゴタしてる時に乗り込んで居座る >>120
秀吉に反抗の意志はありませんってポーズで小田原使わなかったとか >>104
信玄も大敗してるしな。神流川の戦いで滝川一益に大勝したのも運が悪かった。あれで織田勢を甘く見てしまった >>120
たぶんこれからやると思うけどこの頃の鎌倉は今の京都みたいな文化都市
北条の支城は鎌倉じゃなくて大船にあったし江戸のほうがちゃんと支城があった >>120
小田原ぶっちゃけ攻略され済やし
万一戦うとき少しでも西から来る軍遠ざかるとすれば小田原外したくならん? あんまし堀が広すぎると舟浮かべて攻められる危険もある >>105
日本ではめずらしいって習ったよ(´・ω・`) >>143
何年か花の御所まで出ちゃった人も多いな >>132
裏切り者の足利尊氏を殺すってのが目標なので尊氏が人外設定になってる漫画 今考えると戦国武将ってただの蛮族だよな
チンギスハンとかヴァイキングと変わらん >>124
信玄も謙信も兵站に困って退却したから同じ手で追い返せると思ったんだろうな
包囲軍が一大歓楽街までつくってぜんぜん困らない状態が想像できなかった ロンブーにお願いして池の水ぜんぶ抜いてもらえば簡単やろ 名胡桃城の乗っ取りが事の発端ですぐ猪俣邦憲を差し出して謝れば助かったかもな
その後も氏政が上洛する予定だったのに中止したり、その後の交渉をどうするか決めかねてる内に秀吉がキレた 小田原城は城本体より城塞都市としての規模こそでないの? これ東海道線が堀になっているのブラタモリでもやったな >>111
小田原市は大河なったら毎回出席してる、早雲は水戸黄門の助さんやったオーレンジャーの人、氏政は高嶋政伸を推している ちなみに上杉が小田原城囲んでたせいで今川が北条の援護にまわざる得ない状況になって
そのせいで直ぐ義元の仇討ちできなくて今川家の権威が落ちた >>155
でも対抗するには話し合いではどうにもならんから 水戸城の大堀切も水郡線が走っているが
単線なので持て余してる >>123
安国寺の小坊主とよく遊んでたな(´・ω・`) (´・ω・`)完全体で参戦したかったジオングと小田原城 >>156
とはいえ秀吉もかなり兵站、資金繰りはは危なかったゆだよね 城がどんなに立派でも政治判断を間違えると滅ぼされるからこんなのどうでもいいわ >>155
日本だけじゃなく世界を植民地にする目的で動いてた宣教師が
「日本人は野蛮で凶悪でこれを攻め滅ぼすのは本国の全兵力を持ってしても難しい」って手紙残すぐらい 関東ローム層キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! >>155
そもそも将軍家自体も全国を納め切れてるわけじゃないしな
せいぜい畿内近所くらいで威光が何とか発揮されるくらいで >>156
小田原から西はすべて秀吉の支配下だからいつまでも居座れるしなw この知識も無ければ何の魅力も無いオッサンがなぜ出てるのか
ってかスタジオ要らないだろ
こういう無駄なギャラを無くせばもっと受信料下げられるのにわざと無脱使いしてやがる 今のは伊豆急行じゃないの?
小田原まで来ているのか そういえば
春風亭昇太が好きな山中城も
北条氏の城だったな >>188
オランダに独立戦争仕掛けられてたし
フランスのユグノー戦争介入してるからなスペイン
スペインのテルシオ欧州最強って言われてるけど
総兵力でも10万いかないだろうし あんなのじゃなくてロマンスカーが通過するのを待って撮れよ。 >>207
この総構えの規模こそ小田原城の力というか >>181
ジオングは足生やしてもそれで有線サイコミュが増えたらシャアに扱い切れたかどうか (´・ω・`) 北条が大人しく秀吉に降ってたら今の首都東京はなかったかもしれんな >>156
一応小田原攻めの時の豊臣軍の兵糧欠乏に関する記述もあるよ
言うほど余裕綽々ではなかったようだ
(天正18年)1590年3月9日付猪俣邦憲宛北条氏政書状
「豊臣軍は三島辺りに二,三日在陣して芋を掘って食料にするようだ」
ただこれ以降は豊臣軍の兵糧不足に関する記述は見られなくなるから秀次率いる先陣のみに限った話という可能性もあるね 江戸城も徳川が今の中央区にまで城下町を広げて総構えにしてるよな 尾根のところがテラス状になっとる段々畑(´・ω・`) なぜ秀吉にやられたか、をこの北条視点から分析してほしい >>248
江戸期前までの関東の平野部はかなり沼地湿地 現場監督ってか建築会社のプロジェクトリーダーって規模 >>232
MSN-02はあれが完成形で脚もサイコミュ兵器だったのはMSN-03だった説 その場合土塁の品質が下がってしまうけどね・・・
.〆 ⌒ヽ
(ヽ´ω`) >>252
そもそも相模湾面してるし。
見れば見るほど江戸城に作りがそっくりだわ。
江戸城も昔は銀座側は海。 築城までできる歴ゲーがあったらものすごく参考になる 当たり前のことを多くの他の大名はなんでできなかったのか >>258
ほぼ日本統一してる相手と先端開いた時点でアウト
どれだけ城塞都市でも交易路遮断されたらどうしようもないし >>246
ターン制シミュレーションゲームの最終局面かよ (´・ω・`) >>266
そもそも安国寺の時は一休じゃなかったんだよね >>263
一応、荒川以西は水田地帯になってた
荒川以東は頑張って開発中 >>246
こんなやつらに取り囲まれたら俺ならすぐ謝るわ この人島田紳助が小学生時代に成績よくてそのまま大学進学して学者になったような顔してるな 信長の野望で氏康から始めたら関東一円平定した辺りで死んでもうた 関東の人に馴染み深いからって伊勢から北条に名前変えた この河合教授は通説ほど小田原征伐は北条は追い詰められてなく、秀吉側が厭戦ムード高まって、危機感持った秀吉は長久手の戦いでの徳川に対するような和議を北条に持ちかけで騙し捕虜、切腹させて開城させた説主張 場所と作柄によってはニ公八民相当の租税になってた北条さんほ神よ 黒田基樹の北条の本読んだ気がするけどセンゴクがなんだかんだわかりやすかった(´・ω・`) 戦さは弓槍鉄砲やろ
刀なんて最弱の武器・・・
.〆 ⌒ヽ
(ヽ´ω`) 渡邊佐和子・・・夫は財務省キャリア官僚
父は北里大学医学部外科学教授の渡邊昌彦(医学博士)
ハワイ旅行に行った際、佐和子は扮装した昌彦の写真を携帯電話で撮影したのだが、
昌彦は頭頂部が禿げていることもあってその姿が一見すると任侠風になった。
佐和子が友人や職場の同僚に見せたところ「その画像を魔除けに欲しい」というリクエストが殺到したという。 >>306
シーズン中に自ら経営するサウナの外壁修繕をロープ一本でぶら下がりながらやって次の日登板(´・ω・`) これを里見が燃やしてしまって
北条が再建して認められていったんだよな >>303
ワコールだかトリンプだかの築城技術 (´・ω・`*) >>321
黒田さんは簡単な事を難しく書くからなあ 鎌倉は公方まで下総の古河に逃げて衰退してしまったからな せっかく5人出て5代やってるけど
初代の名前伊勢氏のことはやってないよね? >>325
関東の公方ってなんかどんどん田舎に行くよな >>281
岡山だっけ?
父親が務めてる京都で産まれて京都が飢饉で伝染病が流行った時にそれを避ける為に岡山に行ったんじゃないの
出生が京都で育ったのが岡山だと思ったけど >>320
昔早乙女貢の原作で早雲のドラマやったみたいね。民放だけど まさかこんな犬がおしっこしてそうなところに遺物があるとは >>338
一応小田原に次ぐ一大商業地だぞ
当時の古河一帯は >>320
・原作を書いてる人がいない
・文献が少ない
・前半生が謎
とかかな
とは言え来年の大河は更に謎な紫式部だったか >>340
テレ朝で「若き日の北条早雲」ってやったね
北大路欣也で >>320
最近の大河作る連中は複雑な情勢とか理解させる作りとかをしたがらない。
むしろ作る川も理解したがらない >>320
やっぱ早雲の出自が最近までただの浪人上がりと思われてたし >>337
本家の政所執事伊勢貞宗は
三田佳子の大河花の乱にでてきたわ
細川勝元が野村萬斎 >>343
井伊直虎もほぼ無いのにやってしまった
それも肝心の名前がどうやら・・・という >>235
すると天下一大名は250万石の北条氏直
家康は駿遠参甲信のまま
5大老は徳川前田北条毛利上杉
秀吉死後天下はどうなっていただろう 小田原市はずっと北条五代の大河ドラマ化を嘆願してるな >>340
北大路欣也か
あの人あまり好きじゃないんだな 黒田基樹キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! 享徳の乱までは関東の中心が鎌倉だったって
知らない人も多いよなあ
1333年で終わったと思われてる 北条早雲って北条早雲って名乗ったことないって言うけど
じゃあ誰がその名前言い始めたの? >>353
出自が分からない方が創作には都合良いと思うんだけどな >>353
政所執事伊勢家の伊勢備前守家の伊勢新九郎さんと最近わかりました 鎌倉>古河>鴻巣、千葉、安房
古河と鴻巣はどっちが田舎か微妙かな 黒田はちょっと前に徳川関連の資料を見つけただかなんかで名前が出てた
なんだっけなwww 昔、北条早雲の小説を読んだ記憶があるんだけど作者が思い出せない >>348
大河ドラマは最近は最新の学説を取り入れるために原作を使わなくなってるとプロデューサーが発言。
それで出来たのがファンタジー大河かよ!、とネットで批判されてるw 氏綱をTVでこんだけ詳しく取り上げたって初めてじゃね?
早雲と氏康に挟まれた谷間の武将だからなあ。 上総って武田氏だな。武田を助けて木材を確保できた。 >>387
沖縄舞台の大河は
丸ごと創作だった気がする 社は藁ぶき屋根
寺は瓦屋根
いつのまにかお寺になってる鶴岡八幡宮 >>393
箱根の坂あったなあまだ早雲が素浪人だった >>387
もういっそのこと合戦シーンで目からビームを放つとか火炎を吐いて敵をなぎ倒すとかやってくれw 真里谷武田氏の跡目争いか
古河公方の次男が房総にいたんだよね 千葉は鎌倉時代から平成まで
千葉氏系の政治家がいたからなあ >>394
この頃は千葉さんと原さんと小弓公方やないか >>403
こんなに残ってジロジロ見られるとは思ってなかったんだろうな(´・ω・`) >>272
MSN-02は完成しても偉い人には分かってもらえなかったのか (´・ω・`) >>375
江戸時代に北条五代記を書いた三浦浄心とかwikiでは >>406
鎮西八郎為朝さんならそれくらいでもいいかも 近衛って藤原氏筆頭なのに氏の長者は九条家なんだよね。そこが分からん。 >>413
戦国時代の関東は教科書でもあんまり書いてないから大河でがっつりやってほしい 昔は北条早雲といえば成り上がりの代表だったのになw てか伊勢さんなら公家の知人も多いはずだよね
幕府の政所執事の一族 >>397
そうなのか
それまではちゃんと伊勢なんちゃら呼びされてたのかな? 日本史取ってないからだけどなんで古河に公方がいたんだ? そりゃ妹が今川の正室になるくらいだから浪人のわけない 千葉氏もお家騒動起こして板橋の赤塚とか足立区のほうに一門がいたよな >>412
下総は千葉氏だけど上総は武田氏だよね。 早雲は中年以降世に出るからドラマでやるなら渡辺謙とかかな >>318
関東各地の北条の支城は忍城を除いて既に落ちてたから連携取れなくなってるのは使者の往来が止まったことで北条も分かってた
だから追い詰められてなかったとは思えないなあ
半日で落城した山中城主の松田康長の書状にも豊臣の侵攻を食い止めるのは難しいと言ってるし開戦前から北条軍が割と悲観的だったことが分かる >>433
むしろ口利きして氏親さん家督継がせてたのが伊勢家 >>422
細川管領家で似たようないたな、
空飛ぶとか >>432
日中戦争講和の話をぶち切った近衛以上に愚かな総理大臣はいなかった >>439
なんで浪人から成り上がった説なんてあったんだろうな
実姉とか名門今川家の正室なのに >>440
エリートとはいえ官僚から戦国大名として一国を成すってのは立派に成り上がりでもあると思う 新九郎の漫画を読んでると、ここまで出世するような人には思えないほど
苦労した暮らしをしてる >>439
元々名門の武士だっただけで成り上がりなのは確かだろう >>447
一応、足利将軍とかとツテがあったから、十分エリートだろう >>462
ヒトラーのコスプレしてる写真あるよね(´・ω・`) それなら北条じゃなくて関東管領上杉氏の名前を乗っ取れば良かったのにな でも北条氏が再建した八幡宮も北条氏滅亡後は徳川家が手を加えんからまた廃れちゃって
大分下って文化文政の頃にやっと再々建された >>445
京都から遠いので足利一族から派遣されてる分家がある
他の地域にもいくつか >>464
伊勢新九郎盛時が早雲の伊勢新九郎が同一人物と確定されてなかった >>435
「わくわくっ!」
八重さんより怖い女官が憑いてきそう 近衛との繋がりがあって執権北条氏と同じ左京大夫の官職を得て執権北条氏を次ぐものと幕府が認めた
それで後北条を認めない両上杉も何も言えなくなった >>484
その前に管領を懐柔して乗っ取れそうじゃん >>465
島津氏とか鎌倉時代に地方下向して大名化した連中皆そうでは >>469
家柄はいまだ謎なのかね伊勢氏ってのはどんな家柄だったのかな >>442
伊勢新九郎入道とか伊勢早雲とか伊勢宗瑞とか 成り上がりではあるかも知れない
今川(足利一族)姻戚とはいえ「大名と言えるのか?」みたいな一族で
京都の伊勢さんは武勲でのし上がったでもなかろうし 小弓(生実)城主の原氏を追い出して古河公方足利高基の弟義明を入れたのが真里谷武田氏。
追い出された原昌胤が落ち延びたのが甲斐武田。その息子が原虎胤。 >>479
伊勢地方は全く関係ない
本家筋が伊勢守だったから伊勢殿だったかな?
基本京都に住んでて所領が備後の国だったような >>499
姉が今川さんに嫁ぐぐらいだし、そこそこの家格だったんだろうなと >>493
北条が何も言われなくなったのは古河公方保護してからやで
氏康の晩年よ 小田原城って
前田慶次が落としたんでしょ(´・ω・`) >>463
ありがとう
上行こうとしたらもう皇室がらみしかない感じか 近衛家が後ろ盾だとなんで奈良の職人が
関東に派遣されるのかって、
興福寺が藤原氏の氏寺だっていう説明がないと
わからないよね。 何故か早雲と将門のイメージが勝手に重なってるワイ…(´・ω・`) >>499
今でいう大臣の地位を代々務める名門だよ >>505
幕府奉公衆だから一応足利義尚と出兵したんやないか 強引な解釈にも程がある
これだけでも受信料を払わない理由になるなw 斎藤義龍もほんとは一色って名乗ってたけど織田は認めなくて斎藤って言い続けたらしいね >>512
2回の国府台合戦の合間に古河から青戸のほうに公方の座所移してたよな あと氏綱のときに江戸城を攻略したのも大きな功績。江戸を基地にして関東各地に侵攻してる。 この辺、家康は北条を参考にした、
はブラタモリで扱ったね
まだ男を知らないリンダの頃 徳川家康と北条氏規の関係性もやってほしいけど
この内容では無理 >>511
上洛してきた今川の警備や接待を任されるような人だったんだろうな >>501 >>510
武家も何百年の歴史あれば分家の分家とかで色んなとこいくもんな 関東は水浸しの湿地が大きく占めてていたので大変だったでしょうな 徳川がやったとされる利根川水系の治水は北条の頃からやってたって言われてるよな この番組はホント薄いよなぁ
その時歴史が動いた復活しないんかな >>556
今川時代の人質仲間で仲良かったけど
大河含めて時代劇で見たことない氏規 北条滅亡のときに家康に大量の水路図(工事中の縄張り含む)を送りつけてた氏政好き 房総は難しい
安房 いつの間にか里見が抬頭←古河公方の分家をずっと保護
上総 東で武田氏(甲斐から来た)が権勢をふるう
下総の東 千葉一族が多い
下総の北 古河公方、結城氏など
上総、安房は謎が多いんだそうです >>564
あの人は自分が好きすぎてうざい時があるからなw >>583
城好きの千田先生は
海外の城番組にも出てくる
w 米至上主義の時代に洪水は命とりだから治水工事は大事 >>558
一字加えて北関東大戦となると巨大化したぐんまちゃんが出てきそう 豊田姓でとよだをとよたって読むとキレるのなぁぜなぁぜ? 柳生草には川を流す技があると子連れ狼で見た(´・ω・`) >>447
将軍義尚の申次衆つまり近臣だからエリート 北条さんの何が凄いって
河川改修のために小田原の大広間と奥の間のリフォーム取りやめてたことよね どうして日本人は、すぐ川の流れを変えてしまうんだろうか 古河は利根川の付け替えで千葉ではなく茨城になったのかもな。元は下総国だったんだから。 >>578
工事中にほっ放り出されたら
苦労するの住人だもんねぇ >>575
でも豊臣によって北条がやばくなる時期は徳川との折衝は一任されてたから
それに関してのやりとりはあってもおかしくはないと思うけどね
氏規がいたから家康もなんとかとりなそうとしてたし >>574
小田原征伐後の秀吉書状によると氏直に関東で九千石、近江で千石の計一万石与えるつもりだと家康に言ってるな 伊勢さんはこんな方々
将軍→管領、侍所、大内、六角など有力大名
↓
政所(将軍家の財政など) ※ここの執事=責任者が伊勢氏
管領とかを経由せずに将軍直属なんで偉い、実質大名ぐらい
伊勢氏は鎌倉時代から足利に仕えていたという 松戸 柏 「すまぬ・・・すまぬ・・」
銚子 「こいつらww」 >>445
ざっくり言うと関東支配を任された幕府の出先機関鎌倉府の長官が鎌倉公方で
代を経て幕府に反抗
幕府はこれを討って関東支配を代わるように足利家の人間を送るが結局負けて鎌倉に入れず
別の場所で「公方」を名乗ることがたびたび
だから堀越公方とか古河公方とか御弓御所とかがが乱立
鎌倉公方も関東管領上杉氏に取って代わられしっちゃかめっちゃか >>546
北条を名乗り出したのは2代目なんだから信長関係ないやろ 関宿とか川越とか昔の関東要衝、今は単なる田舎、が多いな むかし東京都心から利根川と江戸川の分流地点までチャリで行ったの思い出した >>641
この頃は霞ヶ浦じゃなくて香取海だぞ
日本最大の湖よ この位置だと利根川はまだ家康の東遷事業が完成するまで江戸湾に注いでないか? 常陸は戦国最期までなかなか北条の威勢が及ばなかった
だからか徳川と比べると利根川支配も中途半端のような 地元で言えば、大井川を付け替えて旧大井川町(現焼津市)が大井川の北になったけど、旧律令国では遠江国なんだよね。 >>648
野田に敵対的買収しかけられて野田市になった
関宿選出の議員は一人しかおりません >>608
ちうごく人のほうがもっとでかい規模でやってたぞ 治水しないと関東直ぐ水没しちゃうもんね(´・ω・`) >>548
後北条氏で一番重要な時代って普段はあんまり触れられない2代目の氏綱の時だから、
ある意味めっちゃフォーカスしてる 因みに北条の頃は今の利根川は鬼怒川で今の江戸川が利根川だぞ だから東周り航路よりも西回り航路の方が栄えたのか
下関回って遠回りだと思ってたけど、やっとわかった >>657
利根川は江戸後期まで江戸湾にも注いでた川よ
武蔵の古地図では下総との境は利根川としてる でも誰かが海ルートにしたってこの前やったのはこの番組だっけ? >>575
小田原征伐の時氏規は韮山城に籠城してたけどその時家康が氏規に宛てた書状が残ってる
二人の親密さを表すもので家康は「とにかくすぐ開城して秀吉に謝れ。後のことは全て私に任せてくれ」と言ってる そもそも家康が来た頃には何も無かったという話が間違いだしね
太田道灌辺りもいろいろやってたようだし >>675
千葉が土砂せき止めないと関東平野は出来なかったらしいよ(´・ω・`) なんで今北条氏やるんだろうと思ったけど、なるほどこれからの大河ドラマの予習だったか ソーウンさんのころまだ今川と一体な感じあるよな
三河や甲斐とも戦って >>680
チーバくんは犬ではなかった(´・ω・`) 江戸東京って戦後10年目位まで陸路より海運の都市だったしな
東京オリンピックが全てを変えてしまった 5代もあると大河にするのは難しそうだな
最後は負けるし 番組の内容よりここ見てたほうが面白くて肝心な番組の内容が入ってこないw >>663
浅間山噴火、足尾鉱毒流出と改造の契機は続くからな >>693
なんと関東平野は千葉のおかげなのか(´・ω・`) >>672
3代氏康は検知実施とか奉行による内政確率とか結構重要 >>676
もっと前から黄河が本州の長さレベルで河口を移動させる 家康が作ったと言われてるものがみんな北条のものにされてる… >>705
まるまる切り取られてるとは思わなかったな >>639
鎌倉公方つまり古河公方と京都の将軍家との反目が関東の内乱に発展したよね。
いわゆる享徳の乱で応仁の乱の10年以上も前に始まった。古河公方足利成氏の執念だったね。 >>690
家康と氏規はともに今川氏の人質で友達だったらしいねほんとか知らんけど >>704
北条幻庵を語り部にしたら面白いかもしれない 野田には2つ城がある
1つは関宿城、そしてもう1つは霊波之光 >>655
そういや野田元首相の選挙区は船橋だけど、野田市と関係あんのかな >>709
千葉が隆起して日本海溝への土砂を止めたらしいよ(´・ω・`) >>691
ただまぁ道灌さんで初めて江戸市はできたとか
それまでの千代田あたりは小豪族がいたぐらいで
浅草、品川が別個の町として先に開け、栄えていた 今も野田と関宿を敵対勢力に占領されると
東京は滅亡するからな
変電所壊されたら首都圏壊滅 >>726
幻庵は面白いよね
庭園づくりとか多芸多才で >>691
徳川家康は日比谷入江を埋め立てて江戸城下を千代田区から千代田区+中央区を拡大ってところだよな
さらなる拡大は明暦の大火後 小田原城が攻められる話をしなかったと思ったら次回なのね(´・ω・`) これで北条氏終わりかよ
城と治水しかやらなかったみたいやん >>715
上杉や徳川みたいに転封させられているだろ、んで氏直死んだら子供いないから取り潰し >>731
汁かけ飯なんだよなあ・・・勝ちすぎちゃダメってのが家訓だったのに >>733
今じゃ見る影もないが浅草品川って当時は漁師町だったんだよな
ていうか山の手の外側の更に外周部は全部そんな感じらしいが 幕末まで高家として遺った喜連川氏は古河公方足利氏なんだよな。 房総半島ねーと太平洋の荒波が押し寄せちゃう
AREのおかげで関東が栄えてるようなもん >>720
必ず川を渡らないとたどり着けないって
ならずもn・・・勇者たちが立て篭もるには向いているね >>721
一説には
家が隣だったと
そんなガキ二人だから今川領内で暴れまわってたのは想像に難くない >>748
昔のトイレは屋外で寒かったから
寒暖差で血管詰まったかも >>751
正日からジョンウンであっただろ ハイ論破
ってか低レベル過ぎて絡みたくないわ
猿のウンコでも食ってろ >>763
あれも本当にねえ
足利尊氏→義詮
↓
基氏→古河公方→小弓公方→喜連川家
分家のすごい大冒険 >>765
ちょっとだけ地続きのところがあるよ
その先に川があるけど 家康の幼少期はしっかり描いたら絶対ぜったい面白いのにほんともったいない! >>763
自分たちも天下の副将軍って称してたしな
何より5000石しかないのに大名で御三家と同格の扱い ワイもいつか毘沙門天のためのお堂を建てる
あと文殊菩薩と不動明王と弥勒菩薩のためにね >>730
千葉がなかったら広大な関東平野はできなかったんか
トンキンは千葉に足を向けて寝られんな >>768
酒飲みでしょっぱいもの食ってたのも原因かなぁ
何となく血圧高そう >>763
古河城はいいところだぞー真夏でも涼しい >>773
上杉の家督相続、御館の乱も似たようなもんで >>761
外周部も江戸城とは異なる城があって練馬には太田道灌の頃まで豊島氏がいたし
葛飾は古河公方家、世田谷は吉良家がいた
葛飾と世田谷の城下は亀有上宿や上町としてかろうじて残骸があるな >>761
利根川が東京湾直通だったせいもあってか浅草、行徳が存在感あってね
で品川が港として平安?には使われてて
その間の日比谷・千代田を拠点にし→北条→徳川と受け継がれ
なるほど太田道灌が東京の創始者と言われるだけある >>639
鎌倉公方も足利の人間だよ。初代は尊氏の弟直義でその後二代将軍義詮の弟の家系が世襲するが
代を重ねるうちに関東武士の独立気風にも中てられて中央政権からの独立思考で室町幕府と対立
その後はおっしゃる通りで、室町幕府から新たに派遣された公方と鎌倉を落ち延びた元公方で争い続けた
伊勢早雲はこの終わることのない正当争いを治めるために派遣された代官ともされている >>775
40過ぎたおっさんが子供役になってキャッキャウフフするのはもういい >>763
参勤交代で無理に宿泊させてお金かせぐ
それを嫌がって止まらなかった伊達の殿様には通り過ぎたあと追っかけて嫌味を言いに行く >>775
築山と結婚したら昼まで寝床から出て来なかったとか… >>775
創作するにしても少ない資料から面白く盛れるよね
なのにあのザマ・・・ >>786
結局将軍家との主従関係もなく曖昧なままなんだったっけ >>784
23区の戦国前半史=太田道灌の観もあるよね
道灌が豊島氏を追い、武蔵千葉氏も従えるぐらいになって「江戸成立」と >>786
おまけに幕府の許可が必要なはずの武家官位を勝手に自称してもOK
参勤交代と並ぶ大名家の義務だった諸役賦課も年貢収納も全て免除、そもそも表高自体無調査でOKと特別扱いにも程がある さす江戸時代の足利(前の将軍家)嫡流とされた喜連川さんじゃ徳川も家来とは言いづらいか
吉良、畠山ぐらいならまだしもね 徳川も足利一門に頭が上がらなくて
上級保護に対するヘイトの表れが忠臣蔵 >>799
あれも何番目なんだろうねえ
竹若、直冬、義詮が兄としていたから4番目以降なんだろうけど >>795
関東の支配者鎌倉公方の正統末裔だもん。後北条支配、家康による譜代重臣の分封や関ケ原による既存大名の各地への国替えで古くからの郷士を関東から事実上一掃しても
公方の一声で関東武士の大反乱だって起こりかねない権威があったもん そっかあ直冬も入るのか
でも直義の養子になったから・・・えーいマンドクサイ >>802
竹若は太平記に出てくる尊氏の長男とされる人(1333北条に捕まり…)
直冬も庶兄というが正確な誕生年がわかるのだか
基氏は鎌倉幕府滅亡後の生まれだから >>773
北条も独裁
もちろん恐怖政治
反抗したら死あるのみ! >>769
ありません。
正恩への移行は、スムーズそのもの 喜連川さん足利義氏の娘と御所合体してなかったっけ?
つまり氏康の血統でもあるはず
実子でいつまで継げてるか知らんけど >>805
儒教国家北朝鮮で弟が兄を差し置くというのは
よほどの事態だと思うんだけど、正直異母兄弟だと思ってる >>804
氏綱公の娘は旦那の晴氏に肩入れしてたらしいぞ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています