【BSプレミアム】英雄たちの選択【木20歴史】 [無断転載禁止]©2ch.net
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http://www4.nhk.or.jp/heroes/
NHK BSプレミアム
毎週木曜日 20:00〜20:59
若干放送しない週あり
司会:磯田道史(歴史学者)、渡邊佐和子(NHKアナウンサー)
ナレーター:松重豊
レギュラーコメンテーター:中野信子(心理学者)
このほか、毎回ゲストコメンテーターを数人招いている。
※特別篇『昭和の選択』 >>135
登場するケーススタディの殆どが主役が英雄と呼ばれる強硬路線で
勝ち抜いた人物だから、行動心理学者の立場から忖度すれば
主戦論が多くなるのは当然じゃん。つまり誰がやっても同じ。
他のパネラーは自分主体で選択を考えれば良い立場だから、バラけるけど おれは中野は全く気にならない。
むしろ男性陣が変わり映えないし面白みも少ないからキャラ立ってる人出てこないかなと思ってる。 おれは学習院の学長が好きだが
歴史の専門家は時代が限られるからねえ 中野さんは途中じゃなくて、選択の理由を説明する時に、
心理学的なうんちくを絡めて選んだ方が、心理学者の個性が出ていいかも。外交交渉官の人がやってるみたいに。
既にやってたら、ごめんなさい 後、中野さんじゃなくて、きれいな植木さんを呼んでください。 >>141
べつに賛否や好悪はあって当然なんだが、キミは目を三角に
噛み付いてるだけだから、皆から嘲笑されてるんだってば
気づこうな、大人なら。 中野を悪く言わないでね。
中野はキャラが立ってるよ >>139
脳科学者ね
心理学者は植木
そういう解説、いままであったよ
覚えてるのを挙げると義教のときとか 行動しない選択を選んだ英雄の回で
なかなか独特だったな 鍋島藩見終わった
面白かった
結構影響力強かったんだね
肥前は影に隠れてあんま力ないのかと思ってた 上野戦争で肥前の武器がかなりの威力発揮していたのも知らなかった
でも、新政府内では肥前の影響力あんまあるイメージが無い
肥前って大隈重信くらいしか分からないんだよなあ 肥前のアームストロング砲が無ければ、上野も会津ももっともっと苦戦したんだよ
岩倉外遊団の留守政府は、半分以上肥前だよ 磯田道史が加来耕三にタメ口で合いの手入れてたのが気になった
12歳も年下なのに 加藤清正が徳川家康より長生きしても
豊臣家の家臣にはろくな者がいないから
家を維持できないよ 清正って、二条城で秀頼の身替わりに毒盛られて亡くなったんでしょ。 勝てない相手に挑んで豊臣家の勢力を減退させた石田こそ馬鹿なんだが 磯田さんきれいにまとめるのがうまいな
刑法が熊本由来というのも初めて知ったし ifにキレがなかったな
豊富が勝てば商業国家で日本人の遺伝子がうんたらかんたらと信子はテンプレを言ってたし
九州を清正が熊本城を中心に九州の独立国家を構想していたってのは面白かった ひこにゃんがいなかったら、くまモンはいなかったろう 磯田のifに、加来が「荒唐無稽」と言ったとき、「ああ、言っちゃったよ」的雰囲気になったのが面白かった。
それ否定したら、番組の企画終わっちゃうやんww 清正と言えば、虎退治以外では、秀吉譲りの築城の名手、というイメージしかなかったので、
能吏という観点は面白かった。貿易に熱心だった、というのも意外。こういうのは豊臣系の大名の特徴というか家風なんだろうか。
徳川系では、干拓や産業発展に力を入れる人はいても、貿易という観点はなさそう。大久保長安もちょっと違うし。 >>161
井上毅が肥後出身かな
江藤新平が法曹界の大立者だったので、肥前肥後辺りの俊英をごっそり連れてきた、というのがあるのかもしれない 清正は、猛将タイプだと思ってたのに
知将だったから、同タイプの三成と反発しあったという解説は斬新で良かったな 熊本城はブラタモリでも面白かった。街中を含め堅牢な要塞なのに、逃げ道まで用意していて、タモリにやりすぎ城と言われてたな >>167
清正は実は柔男だったってのはブラタモリでも紹介してたね。 清正といえば土木工事だよな
今回のお題とは関係ないけど、知将という感じだ 猛将扱いの武将の隠れた名将っぷりを紹介してほしいな 子規回に中野信子は出なかったけど、磯田が新規開拓性(だっけ)のある私なら、確実に新しい方向を選ぶ、と言ったのが面白かった。
磯田が中野を気に入ってる理由がわかった気がする。 斎藤環はおそらく意味論の洗礼を受けていて、ロゴスと存在論みたいなことを語っていたのに、スルーされていたのは悲しい。 子規は、フォークで言えば岡林信康みたいなカリスマだったんかな?
日本人の日記好きは、平安から続く伝統なんで、正直、子規の影響がそれほど大きいとは思えないけど、
確実に国語教育には影響を残した気がする。
夏休みの絵日記を書かされたのは、子規のせいだと思う。 子規が英雄とは思えないのでスルーした
来週は無しか 子規なら、どちらを選ぶかじゃなくて
自分なら、どちらを選ぶかを語ると決めていたので、わかりやすかった。
たまに、英雄ならどちらを選ぶかを語りだす奴もいるからな 清正が長生きしてたらよりも朝鮮出兵や三成の挙兵のが問題 歴史を勉強した人たちは
軍部の膨張で失敗した太平洋戦争の勉強をするから
中国が進出しようとしている現状を見ずに、左翼的になっていくのかなと思いました 今週は濱口だったのか
録画早くみたいな
あそこで政争に犬養や鳩山が統帥権干犯問題持ち出して
現役武官制度復活からのシビリアンコントロール崩壊に繋がっていく流れは結構面白い 浜口の回やっと見終わった
ロンドン海軍軍縮会議で政党政治の最盛期を迎えるみたいな感じだったけど
どちらかというとロンドン海軍軍縮が政党政治の末期になった気がする
同じようなことだとは思うけど 面白かった
文民統制が崩壊していく中での外交というのはもうちょっと見てみたいな
トラウトマン工作、日米諒解案からの南部仏印進駐
このあたりも見てみたい 軍縮を選んだのに、日本は破滅への道を歩んでしまった。
五・一五事件からは、どんな選択を選んでも
日本が破滅に向かうのは避けられなかった気がして仕方が無い >>184
変わらなかったでしょうね。
一夕会とかの軍閥が、軍閥の論理・利益で内政にも外交にも口出し。
一度文民統制が崩壊したら、血が流れない限り文民統制を取り戻すのは難しいでしょうね
中堅エリートが派閥の利益・自身の出世のために強硬論を叫ぶ。
強硬論に押さえ込みにかかればクーデターやテロをちらつかせて脅す。
軍閥も中堅エリートが暴発しないように強硬論を後押しせざるを得なくなる
軍部OBも膨れ上がり世論を煽り歯止めが効かない。
悪循環 >>1
三浦瑠麗みたいな日本会議シンパを出演させるのやめてよ!!! 2004年のスマトラ島沖地震のあと濱口梧陵の功績が見直され、翌年「その時歴史が動いた」でも取り上げられたというが、
結局6年後には大勢の犠牲者を出すことになってしまったわけか・・・ 行政にも問題があるのだろうが、
逃げる者にも緊張感が無さすぎたからな
磯田母みたいにとにかく高いところへ逃げる、
の意識さえ持っていれば、東日本でも犠牲者ははるかに少なかったろう 秀忠はすごい、みたいな話になってたけど、
本多とか土井とか家臣もすごかったわけででょ
家光は大バカなのに、家臣のおかげで明君みたいになってるわけだし 最近は義元とか綱吉みたいに実はすごかったブームだけどそろそろ金吾様も実はすごかった話が出てきそうだ 関ヶ原で、徳川側になったことを英雄的な行動にすると、どんな話になるか見てみたい 秀秋は豊臣政権下で特別待遇といってもいい扱いなのに、何故徳川の誘いに乗ったのだろう 悪人っぽい人は番組に取り上げられないの?
タイトルが「英雄」だし >>201
上のほうのレスでも書かれているけど、
足利義教が番組に取り上げられているよ。
この人は比叡山を弾圧したりして当時の人々に恐れられていたりしているね。 慶喜が将軍後見職時代なのか、将軍時代なのか、立場を明確にして話してほしかった
大坂城表記があったのに、大阪湾表記が何度かあり、スタッフの程度が知れた 秀秋が英雄か否かという以前に離反の原因が光秀の謀反以上に分かり難いから、番組作りにくそう 会津・庄内は売国奴
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/images/2016/09/21/M16092112178/efc636fa3839ddca1fa39fdeffab7c06.jpg
戊辰戦争さなかの1868年(明治元年)、新政府軍(官軍)と戦っていた会津・庄内両藩が、プロイセン(ドイツ)から
資金を借りる担保として「蝦夷地(えぞち)の領地を99年間貸与すると申し出た」と記した駐日公使発本国向けの外交書簡を、
五百旗頭(いおきべ)薫東大教授らの研究チームがベルリンで発見した。内容通りなら、ドイツの蝦夷地租借構想が水面下で
具体化していたことになる。東大史料編纂(へんさん)所の箱石大(はこいしひろし)准教授は「戊辰戦争が長引いていれば
実現していた可能性がある」とみる。
これまでは、日大のアンドレアス・バウマン教授が1995年にドイツ連邦軍事文書館で見つけた文書から、1868年
7月に両藩から蝦夷地の土地売却の打診を受けたものの、10月に本国のビスマルク宰相が却下し、交渉は立ち消えになったと
みられていた。
その後、ボン大学の研究者と箱石准教授が同文書館で、宰相が3週間後に一転、交渉を認可していた文書を見つけ、本国側では
ゴーサインが出ていたことが明らかになっていた。
今回見つかった外交書簡を書いたのは、横浜にいた駐日プロイセン公使マックス・フォン・ブラント。貸与期間を具体的に盛り
込むなど、両藩との間で交渉妥結の下地が整っていたことがうかがえる。
とはいえ、ブラントが横浜から本国の宰相に新発見書簡を発信した日付は68年11月12日で、すでに会津藩の降伏から
6日、庄内藩主が降伏を申し出てから5日経過しており、現実には交渉そのものが意味をなさなくなっていた。 書簡の保管先はベルリンの連邦文書館。五百旗頭教授らが2013年に着手したドイツの史料発掘プロジェクトの中で、国立
歴史民俗博物館(千葉県)の福岡万里子准教授が読み解いた。
それによると「シュネル(当時東北にいたプロイセン人の仲介役)が、借り入れに対して蝦夷地の領地を99年間、担保として
与えるとする会津・庄内領主の(シュネルに対する)全権委任状を持ってきた。100平方ドイツマイル(5625平方キロ)の
土地を得るのに30万メキシコドルで十分だ」などと書かれているという。
幕末期の会津藩の領地は現在のオホーツク、根室管内の一部、庄内藩は留萌、上川管内の一部など。書簡には「会津・庄内藩の
蝦夷地の領地に良港はないが、ひとたび足がかりをつかめば他の地の購入が容易になるだろう」ともつづられており、海軍拠点
確保に向けた意図が読み取れる。
当時のプロイセンは2年前の1866年に対オーストリア戦争に勝利して北ドイツ連邦の盟主となっており、ドイツ帝国の
形成に向かう軍備拡張期だった。(報道センター編集委員 小坂洋右)
09/21 17:15 更新
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0317478.html これまでは 土地売却の打診を受けたものの、10月に本国のビスマルク宰相が却下し、交渉は立ち消えになったと
みられていた。
その後 宰相が3週間後に一転、交渉を認可していた文書を見つけ、本国側では
ゴーサインが出ていたことが明らかになっていた。 再放送の出演者をどうたら言うのか
宮崎哲弥こそ最悪だ 「おっかないから」という、くだらなすぎる理由で
1.降伏を選択した植木理恵を、二度と呼ばないでください 歴史にもしもはないけど、織田信長が本能寺の変で倒れなかった日本はみてみたい >>217
しないでしょう
明と対立するの分かってるから 慶勝の回良かったな、あの兄弟を主人公とした小説ありますか? 四兄弟の生家を継いだのに無視される義勇
茂徳は一橋家を継いだときに茂栄と改名しているのに、そのままだったな 3万石の支藩から尾張や会津に養子に出るって、この頃宗家や御三家、御三卿はそこまで跡継ぎが不足していたのか NHK様!!!
磯田先生のトーク時間を増やしてください!! 中野信子さんがnarcissistのことをナルシストと発音しちゃった件
発音記号は「na:sisist」 >>226
なんもおかしくないでしょ
日本語読みでナルシストで通じるよ
Appleを英語でなんていう?って聞かれて、「アップル」って答えても日本では正解にすると思うよ まだ録画見てないから、状況知らないのに言うのもおかしいか。
その辺も楽しみに見てみます 本能寺の変が本当にあったことを秀吉がどうやって確認できたのか
そこいらへんも詳しくやってほしかった >>219
追いついた。
真山仁出てたんだね。動いている真山はじめて見たから嬉しかった。
幕末のドラマって、尾張とか全く出てこないよね
あんま知らなかったけど、面白かった。 秀吉の奴、今日の再放送を録画しようと思ってたら
忘れたorz >>231
繰り返し流れる全力ダッシュの大返し映像が笑えるよ
あのペースだったら一kmもたないだろうって感じの疾走 慶勝の回、最後の四兄弟そろった写真なんかよかった
なぜかちょっとウルってきた >>232
そんなに笑えるのかw今日の放送のは再放送だし秀吉も再放送やらないかな >>232
その後の明智との戦闘を考えたら、あり得ないペースだよな
荷駄隊と戦闘隊は動きが別なのだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています