100分de名著 part 3
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>>467
詳しくありがとう!
向田邦子、大好きだわ
最近だと穂村弘も
海外だとマクドナルドの 「卵と私」 は未だに読み返す
今紹介してるような路線の本が続くと、肩の力抜いたエッセイをやって欲しくなる
名著、のくくりがあると真面目路線エッセイになるのかな
ふざけた感じのだと筒井康隆の 「狂気の沙汰も金次第」 面白かった >>470
伊集院の こういう事だったのか… こう言いたいんだ…ここはこうですよね…
とか一読で断定してるのがひたすらウザい そう感じた事は別にいいんだけど
小説はそういうモノではないってのが根本的にわかってない ナチスのガス室を前に子供たちのために小さな芝居を
という話…泣けるね >>470
ディレクター「伊集院を必ず一回は褒めるってホリプロとの契約なんで、先生お願いします!」
視聴者「クレイジー!」 アドラーやってたときに伊集院は
芸能人なのだしそりゃ褒められたいと言ってたが
人が褒められていると鬱陶しい気持ちになるのも
承認欲求の裏返しかもしれないな
その世界観から抜け出そうという提案は
きっと正しい 何十年も生放送のラジオで一線張れてるような奴が頭悪いわけないからな。 きほん伊集院は予習なしでアナウンサーは予習ありで
それぞれ番組に臨んでいるのだけど
放送見てるだけだと
その点が明確にされないのが少し問題かも
ラジオでもたまに触れているね名著の話題 伊集院光、Eテレ『100分de名著』の中でロジェ・カイヨワ『戦争論』の解説を受けてとんでもないことが思い浮かぶも言わず「そういうことと日夜戦ってる」
TBSラジオ系『伊集院光 深夜の馬鹿力』にて、伊集院光が、Eテレ『100分de名著』の中で、ロジェ・カイヨワ『戦争論』の解説を受けてとんでもないことが思い浮かぶも、言わなかったと告白していた。
「今週気づいたこと。
結構、大変だなぁっていう。
Eテレ出たり、朝のラジオ出たり、ゴールデンのクイズ番組出たりあと、こういうどうかしている時間帯に、どうかしてる人が聴いている番組にね…君のことだよ、どうかしてるっていうのは。
あ 言い返せ、言い返せ。そう、俺のことだ。
で、全部に出ます。
全部に出る伊集院光は一人じゃないですか。
だけどさ、TPOっていうものがあるじゃないですか。
『100分de名著』っていう、Eテレの番組に、随分長く出してもらってるんですよ。
それで、その名著と、古今東西、名著と呼ばれる本を、25分番組、計4回で読み解くっていう。
で、凄い有名な本から、インテリジェンスの高い高い人は知ってるけど、一般にはあまり知られていない本から、いろんな本を取り上げて。
で、その専門家の人が来ます。
NHKの女性アナウンサーさんと、その講義に来る先生はもう読んで。
あらかじめ読んで取り組むけど、自分は読んでない状態から聞き手になって、で、質問をぶつけたりして、理解していく。
1ヶ月の全4回で25分かける4回の100分で、理解していくみたいな番組。
随分長くやってるんですけど、ついさっきオンエアしてた、今月が大江健三郎(笑)で、先月のテーマだったのがロジェ・カイヨワっていう人の書いた『戦争論』っていう、凄い堅い本で。
100分間かけて、大づかみで自分が掴んだところによると、戦争っていうのは、誰のせいで何がきっかけで起こるっていう考え方ではなくて、人類が進歩していくと戦争になるっていう。 もっと言うと、本能的に戦争的なものを人類は求めてるんだと。
だから、戦争にならないような努力をしなければ戦争になるし。
で、もっと言うと、これは自分の解釈もあるけれど、次の戦争までの期間をなるべく長引かせなきゃいけないし、始まった時には小さく、短く終わらせる努力をしないといけない、みたいな。
そういう本で。
何夜目かな。
全四夜でちょっとずつ理解してくんだけど、中で、自分に結構突き刺さったのは、人間が戦争するんじゃないんです。
戦争っていうものが、人に戦争させるように仕向けるんです、っていうの。
感覚的には大勢人がいるじゃないですか。
大勢人がいる上空に、巨大な戦争っていうものがあって、で、人間に…たとえば、「飛行機開発すると便利だよ」ってすることで、人間はまんまと飛行機を開発しちゃうじゃん。
そうすると、遠くの国まで爆撃しに行けるようになったりみたいな。
なんかそういう話が「怖ぇ」って思いながら。
その時、頭の中にパッと浮かんだのは、「オナニーもそうじゃね?」っていう。
人間がオナニーをするんじゃないんですよ。
オナニーが、俺にさせているっていう。
ビデオを買った方が、いろんな勉強になる番組とかも見られるしっていうふうに、ガンガン言ってくるんですよ。
で、「うっ…はっ!」ってなった時に、もう「今じゃない」って時にさせるでしょ。
僕にとって凄い不都合な日に、僕個人にとってはとても今、そうすべきじゃない日に、もうヌかされてるっていうことになるじゃないですか。
そのことを僕は、NHKのEテレのスタジオでバンッと思ったんですけど、言わなかったですよ。
そういうことと日夜戦ってるんですよ。
そこの大変さを分かって欲しいんですよね。」
https://radsum.com/archives/3912 ああ
たまに愚痴ってる
書き起こしのやつか
そういうお笑いなんだよな
ほぼずっとね 「どうかしている」も以前からの頻出ワードだな
まだradikoでも聴けるとこだね >>473
あれも死んでいくのに…ってだが
当人たちは死ぬつもりはないんだよ どんな境遇でも食わせてもらえず痩せ細ろうが
周りがどんどんいなくなっても自分は好転するんじゃないか!?
と何の根拠もなく思うのが殺戮される側の人間
人質が殺されまくってんのにもしかしたら自分は助かると思うから何も出来ず殺されちゃう
神 奇跡を誰しも望む >>482
過労死していく社畜にも通ずるものがあるな……。 わっかんねーなー今作はぁ……
理屈じゃない世界は分からない。
逆に伊集院の「師匠は選んでるけど兄弟子は選んでない」
ってのは言われてみれば当たり前のことにハッとした。 「私はギー兄さんに、あなたはどのように苦しんでいるのですかとたずねるべきだったのに…」
ちょっとここら辺で首をかしげた
あまりに…人の心の動きが「理に落ちている」
俺とは合わない作者のような気がする 伊集院光の「勘の良さ」みたいなのは番組外でも触れられてるし素直に凄いなーと思って受け入れてるけど
ブラタモリで案内役がタモリにクイズ出して「流石です」っていうくだりと同じようなもんかなとも思う >>476
教養とか頭の回転はともかく、感性は好きだな
多少知性に欠けてる人間でも感性がある人の言は価値がある >>478
それは言わなくて正解だと思う
そういう事で踏みとどまれるのが彼なんだなあ
理解できるよ 戦争が爺が、我々一人一人にそうさせる
実際そうなんだろう 止める訳には行かないんだろう
でも本当に戦争や自慰をやめたいなら、減らしたいなら、
努力するのは俺らだよな それが分かってりゃあ良いけどね
co2温暖化、プラスチック問題しかり そういえば以前スレであった話にかつての日本は盛者必衰の物語を楽しみ今は対極的な無双やなろうが中心な話あったが
アレ楽しむ人間の地位が違うってのがあるんじゃないかな?
貧しく欲深な庶民が物語を嗜めるなんて江戸時代にあって戦後から再開したとか 無双やなろうが中心っていうのはどこの界隈なのかわからないけど
半沢直樹や下町ロケットを見るに今も昔も判官贔屓じゃないのかね 名著燃え上がる緑の樹を観た きっと面白い小説なんだろうという事は感じた
一方で今は読まなくて良い作家さんだとも感じた 本編でもあった本との出会いなんだろな
名著の功罪だな アルプスの少女は、物心つく頃からアニメのクララが立った場面ばっかり見せられて感動の押し売りされてたから食傷気味だったけど
名著というか安達祐実の名朗読で読みたくなって図書館で借りた
山が燃える場面は感動したし、夢遊病のところではホロリと来たし、
おばあさんがペーターを赦す場面では、名著の解説を思い出した
そして子供用に300円くらいのアニメ絵本ポチった
影響されやすいと言われればそれまでだけど、名著のおかげでハイジに関する印象が変わった 9月は長く感じたな
燃え上がる緑の木は今の自分には引っかからなかった 俺も100分名著観はじめて
一年半だが、はじめて視聴を途中で
切ったシリーズだったわ。
死霊やってほしいな 宗教に関しては、新興宗教どころか由緒ある神社仏閣ですら
熱心な信仰心にたいしては胡散臭いものを感じるのが現代日本人だからな。 俺は宗教がどうとかよりも、反原発とか学生運動を絡めてきたのに萎えた 俺は宗教がどうとかよりも、反原発とか学生運動を絡めてきたのに萎えた あの辺は大江さんの手厳しい示唆なんだろな
お前ら群れて騒いでるぐらいなら祈れと そして芸術家としての矜持
でも皆が皆大人しく祈りを捧げるような聖人君子ばっかりじゃあないし
まだまだ悟れない人間は何かやりたいんだよな 何かやったらセカイが変わるという夢にすがりたいのよw 最後のリジョイスになんだか笑ってしまった
小説を通して読むと感動的なんだろうけど唐突過ぎてな・・・ 難しいね
名著で後は観てのお楽しみ、も、文芸作品、現代?の作品に限っては
アリにしても好いのかもね 今回ので大江作品みたいって思う人っているのか?って思った
読んだ気になった人はいるかもだが 今回見て思ったのは夏目漱石ってテンポがあって読みやすい文章なんだなってことだな
大江健三郎は村上春樹と同じで文章にクセがある感じ
慣れたら平気なんだろうけど 量子力学的な考えがないなと思ったら、1911年なのね。 真の実在
人間にとって疑いようのない確実なものとは何ぞや?
それが「われ思う、ゆえにわれあり」なんじゃないのか? それまでは仏教なり儒教なりに附随したものだったんだろうな そもそも大政奉還までは藩主=正義であり、哲学なんて必要なかったんだよな。
その後も倒幕派vs佐幕派の二者択一だし……。
王政復古の大号令以後、その対象が天皇陛下に替わった訳だが、実際に統治するのは中央から飛ばされた縁もゆかりもない連中。
そんな中で、漸く人々は自分自身や社会に対して本気で考える余地を与えられたのだと思う。
その不安を解消する糸口であったのが哲学であり、大正デモクラシーであったのだろう。 >>510
欧州における哲学の起源は紀元前のことであり、キリスト教発祥よりも遥かに古いで 日本だって藩主どころか天皇すら正義とは言えんてんやわんやな社会だった時代だって短くないんだが、
一般的に藩主=正義の江戸時代だって天皇や公家はその価値観に合致してるわけでもない。
むしろ組織図上は上位に居ながらも家臣に頭押さえつけられてる状態こそ、
自分や社会にたいして本気で考えるくらいしかやる事なかったのでは? 日本の哲学というか、セカイの原理的な内容は、神道や仏教の神話的な教説、
もっと身近な社会の原理や価値観は同じく仏教や儒教が担っていたんじゃあないかな
名著でマルクス・アウレリウスが取り上げられていたけど、西洋では共通の価値観としての
哲学、もちろん我々大衆には行き届かなかっただろうが、宗教とも、道徳とも切り離された
哲学が存在しているのが驚異だわ
もちろん、哲学を学んだからと言って宗教や道徳を軽んじる人間ができる訳ではない
むしろ逆なんだろう 哲学は古代ギリシャ人の発明で
ギリシャ哲学を学ばなければ育ちようがない。
古代ギリシャ人が発明しなければ現代でも地球上のどこにも哲学は存在しなかったろう。 当時のギリシア人に哲学という意識はなかったろうけどな
数学とか天文学とか物理学とかが独立していって、最後に残ったのが哲学 むしろ哲学という意識しかなかったよ。
そっから色々分離していった。
天文学や数学は哲学より古い。 というか学問=哲学だった
それが専門的で細分化していくなかで科学になり数学になっていった
そして残ったのが形而上学などと揶揄される現代の哲学 数学⇔物理⇔哲学⇔宗教
数年前に亡くなったじいちゃんの
メモ。 爺ちゃん判ってんな
人の一生は短くて、諸学を極める事は難しくても、
学問への理解や共感は無くしたくないものだ
>>514-517
浅学の身だが、ギリシャ時代は学問にも多分に宗教的要素があったようだ
もちろん哲学として伝わっている物も、決して無宗教者の産物ではない
私論だが、最初の学は祭司が担ったんだろうな まず宗教があってそこから
学を追究するものが現れたんだろう
理性と信仰心の融合はむしろ基本なのかもしれん
何時から信仰から理性を追い出そうとした愚行が始まったんだろう? 古代ギリシャで初めて霊魂不滅・輪廻転生を主張した哲学者はあのピュタゴラスである
ピュタゴラス教団は宗教団体であったが、彼が重視したのは数学と音楽である
この世界は数学的な比で構成されていると考え、音楽でおなじみのドレミを発見したのも彼、もしくは彼の教団である
彼は、この輪廻転生から逃れるには数学により魂を浄化し、魂を肉体から解放する必要があると考えた 哲学なんて当意即妙で相手を言い負かす口げんかのテクニックだろ。
古代ローマ人の著作で哲学者を紹介するときは大体「こういう時にこう言った」「こう言われてこう言い返した」って羅列だぞ。 アカデメイアでは哲学を学ぶ前にまず幾何学を学ばなければならなかった >>521
古代ローマ人の衒学趣味、高踏的な姿勢を伺わせるな
自分たちが征服した国々の文化まで自分の物差しで矮小化してしまうんだろう
までも哲学者や哲学を揶揄する喜劇はすでにギリシャ時代にはあったよ
そういう捉え方は往時からあった >>525
その辺弱いところだよな 浅学にして西田先生については詳しくないが、
西洋哲学や東洋思想、宗教の影響を受けてないはずは無いんだよな
霊感レベルでも受けているはず 先人からの影響の上で正々堂々と自分の学問を構築していく、、
そういう潔さが西洋の思想家にはあるんだよな 昔の国語の教科書に載っていた川端康成の文章が思い出された
ホテルのロビーで見たガラスのコップ、言葉や経験を捨て去って見れば
いつまでも美しく見えるはず
一期一会とはそうしたものではないか
そんな内容だった
時系列の順番からいえば、川端が西田から影響を受けたという事か 今は認知の限界が科学によって明らかにされているから、
純粋さを求めるあまり、科学をフィルターとして除外したら、
認知の限界を知らずに極めたと誤解しそう。 インド哲学というか、仏教……特に禅宗からの影響が強いように感じる。
あるがままに観るってところが特にね。 本当に善の研究を理解するには西田も哲学のきっかけとなった
座禅をして大いなるものとの統一感覚を体得するしかないな。 >>525 >>526
有名な注釈書によれば
ジェームズの「純粋経験説」とヘーゲルの
「絶対者の思想」と大乗仏教的な「平等即差別・差別即平等」の
思想の影響を受けてそれらの立場から統合しようとする思想が
西田の善の研究となったらしいよ >>531
ありがとう
どうもイギリス経験論っぽい用語があったのはそのせいか
個人的にはイギリスからドイツへの流れがどうも付いてけないので、
なるほどと思う 一方で統合するより仏教の哲学的研究した方が良いとも思う
まあ今更言ってもしゃあない事だが 大勢の子供が死んで奥さんまで亡くなったら、天罰、自業自得と感じて、
哲学の方向性が変わってもおかしくなかっただろうに、そうならなかったのは、
仏教思想にそれほど深く影響されてないのかもな。 いつものように、結論は反国家主義にもっていってしまったな
アーレントを読んでもオルテガを読んでもみんな同じ結論にしてしまう
国家と個人を対立的にとらえ、個人の方を尊重せよと主張する
ケネディが就任演説で言った、
「国が諸君のために何が出来るかを問うのではなく、諸君が国のために何が出来るかを問うてほしい」
"Ask not what your country can do for you. Ask what you can do for your country."
というような国家と個人を対立させない民主主義的な国家感などこの番組には微塵もない オリンピックを当初の予定より何倍も膨れ上がった莫大な予算をかけて準備しながら
ボランティアには金を一切使いたくないってのが今の日本だからな。
アメリカはどうか知らんが日本は個人を尊重せよと主張するくらいでちょうどいい。 個人主義的にも全体主義的にも解釈できるのが面白い
著書を真剣に読む人間なんてひと握りなんだろうから、結局は掻い摘んで都合のいいように使われちゃうんだろうな 両極端に解釈可能って現代のネット的に言うならふわふわしてるというか間違ってはないが曖昧なことな気がする
かつてはお国の為に死ねで今はデカイことするけど下っぱには金かけない
日本も強者の都合ばかりだしな 量子論だって、強者が使えば核兵器になるからな。
哲学者も科学者と同様に悪用されることを想定して、倫理を考慮するべきだろうな。 次は法華経か
誰だったか、「法華経には効能書きだけで中身がない」
と評したのは
歴史上果たした役割といい、中々香ばしい >>540
日蓮宗とその兄弟宗派の創価学会が法華経を経典にしてしまったせいで
カルト臭がついちゃったからな むしろ仏教に限らず中身のある経典なんてあるのか?
中身がない屁理屈だけの能書きだから
時代と場所がどんなに変わってもこじつけられるんだろう。 >>542
『法句経(ダンマパダ)』には中身あると思うぞ。
ってか、中身がなくなったのは大乗仏教からで、上座部仏教は極めて真っ当かと 法華経の回なら、中身よりも、日本の歴史でどう見られてきたのかには興味があるな。
今回の西田氏と学会創設者の牧口氏や、田中、北などもほぼ同年代だから、感化された当時の流行なんかも知れると面白そう。 確かに中身はどうあれ日本史上果たした役割は無視できないな 島津有理子だもん アンコールだと思ったよ
アンコール放送のときNHKはテレビ欄に再もアンコールも記さないで無表示で騙すんだよな
場合によっては番組冒頭でアンコールの字幕がつくときもあるが基本は無表示
Rの法則やサイエンスゼロとかもしれっと無表示
で、アンコール放送の再放送も有るというw
ちゃんと番組欄に[再]もしくはアンコールを記してほしい 今年ノーベル賞取った学者さんが紹介してたファラデーのロウソクの科学を扱ってほしい。 法華経は単独でのファンも多い書物だし
色眼鏡を外して原典を学んでみてはどうか
という話でもあるかもね
洋の東西を問わず
知的格闘の産物に触れる事は有意義だよ
無思想という桎梏を打ち破るためにも >>549
撮っては観たが、最終チェックで没った可能性
最近の100分は何かコメント大杉な希ガス 何か無理やりコトバにしようとしている感じ
アンコールの法華経ぐらいのバランスで良いんだよな 伊集院ももっと自由で良い 創価学会のせいでイメージ悪いけど、『法華経』普通にまともやん。
まぁ、そもそも天台宗(比叡山延暦寺』の経典だから、そこから独立した諸宗派の原点でもある訳で、何も日蓮宗の専売特許ではないからな。
「悪貨は良貨を駆逐する」とは正にこのこと。 譬喩がわかりにくいわ。おもちゃが欲しい子に本物の牛を与えたって贈り物にはならないんじゃないか。 もちろん玩具にはならないだろうが、贈り物(財産)にはなるだろう 「贈り物」って語が悪かったか。
子供に贈り物(財産)の価値が分かるとは限らないから、
「本物の牛を与えたって子供が喜ぶとは限らないだろう」としておけばよかったか。 喜ぶか喜ばないかは関係ないよ。
涅槃に向かう乗り物としての比喩なんだから。
むしろ、声聞、覚独、菩薩を刹那的な悦びを表す玩具として比喩しているのは確かに上手いと感じたぞ。 >>559
そうか?
喜ばないと、本物の牛を使った(涅槃に向かう)乗り物の価値なんかわからないから、無用だと思って、ゴミ箱へ行くんじゃないか。
おもちゃ乗り物の価値しかわからない子供だからな。
また、価値が分からない乗り物を信用して乗るのか?・・・怪しげな食べ物を食す気分なんだが。
それとも、乗る事で、勇気のある、冒険心のある者かどうかを試されているんだろうか。 刹那的な悦びに身を任せてると悟りは得られないという比喩では? なんか喩から逸脱して推論している奴がいるな
仏典や説話って、喩から謎解きまでセットになってるのがほとんどで、
刑事ドラマみたいだなあって思ってたが、なるほどこういう人の為なのね
>>560
話を一般化?しようとしているわりには出来て無いし
喩として成立してないと言いたいようだが ・・・2000年余り前に答えはでているからなあ 学会員は、池田大作の解釈の法華経しか興味ないよ
まして非学会員の解釈なんか毛嫌いする 脱線した話題なのは、すまないが
宮沢賢治はなぜ法華経に入れ込んでいたのかと、時々疑問に思う 俺が知ってる火宅の例えと違うな。
俺が聞いたのは「人を助けるためとはいえ嘘を吐いていいのかどうか?」って話だったが、
原点はああなのか。 法華経は良いよ
薄っぺらで下らないカルトの話題に持っていこうとする構っては何なんだろうな? 下種なポピュリズムを歴史的偉業に擬える或る政党と同じ輩か? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています