>>540つづき

 彼女同様、と言うと語弊がありますが、自分も足が悪いので、24段の階段しかない駅は利用できません。
駅をどうしても使いたければ、それこそ嫌になるほど長い「交渉」を経なければなりません。
交渉が続くあいだ、自分は世の中に受けいれられていないという現実に直面させられ、多くの人々がまるで不寛容だということ(つまり、すっげーちっちぇえってこと)を目のあたりにしなければなりません。

 自分はおそらく、それに耐えることはできないでしょう。
まずは来宮駅を利用せずに目的地に到達する手段はないか、それから探したでしょう。

〇知らないし、会ったこともないのに、意見は言う
 こんなことは日常茶飯事で、めずらしいことでもありません。
「自分には行けない場所がある」
それは受けいれるしかないと思っています。おまえのそういうヘタレな態度が世の中をますます不寛容に排他的にするのだといわれればグウの音も出ませんが、社会正義をタテとして戦ったところで得られるのは長い長い「交渉」と絶望です。ちょっと割に合わないなあと感じています。

 しかし、次の記述には、おおいに同感したいところがありました。

 「駅員の労働荷重」を問題視するようなネットの書き込みも少なくなかったが、では、どれだけの人間が、これまで鉄道会社社員の労働問題に関心を払ってきたというのか。

 これ、かなり多くの場面で実感します。アンタは駅員となんの関係もないじゃないか。駅員とともに苦労したわけでもなければ、待遇だってまるで知らない(知ろうとさえしない! )。
会ったことはもちろんない。
なんの利害関係もないくせに、意見だけは偉そうに言う。
自分のしていることがおかしいって、どうして思わないんだ? (以下略