【ちむどんどん】賢秀の大負けシーンに「昭和47年をなめている!」と批判の声!
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「賢秀がいた馬券売り場は窓枠や柱に木材がむき出しになった古くさい建物。レースを映すテレビもなく、おそらく昭和47年の馬券売り場を再現しているのでしょう。しかし50年前とはいえ当時はすでに高度成長期も終わっており、こんなボロい建物だったはずがないのです。中央競馬のウインズ横浜は昭和41年に現在の場所に移転していましたし、地方競馬の川崎競馬場は昭和25年にはすでに建物が完成しており、こんな木造の馬券売り場など存在しません。そもそも馬券売り場にしては狭すぎますし、昭和47年を戦前と同様の大昔に捉えているのではないかと、制作陣の姿勢に呆れてしまいますね」(昭和40年代を知るライター)

この馬券売り場は、昭和27年に建てられた横山市中区の国営競馬横浜馬券発売所を参考にしていた可能性もありそうだ。だが同発売所は昭和41年、ウインズ横浜のオープンと共に閉鎖されていた。

その一方で、暢子が住むことになった部屋もいかにも古臭いが、当時は戦後間もないころに建てられた家屋がまだ珍しくなく、木製の窓枠も普通だった。どうやらその感覚で馬券売り場のセットも建ててしまったのかもしれない。