おんな太閤記
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スレが何故ないの?
夏目雅子のお市と、池上季実子の淀殿が美しかった。 >>124
確かに猿には見えない。
だけど完全に秀吉だった。 秀吉役やってるんだから秀吉だわな
でも秀吉=猿のイメージなのに
信長が猿と呼んでるイメージしかないのに
西田敏行は猿には見えない
どう見ても猿じゃない もともと、秀吉役は武田鉄也が予定されていたけど、
スケジュールの関係で西田敏行に決定されたそうですね。
武田の方が猿のイメージには近いわな。
彼は「徳川家康」で秀吉役になり、いい味を出しました。
でも、「おんな太閤記」の秀吉は西田で成功だったと思う。
好みがあるから人それぞれだけどね。
大河で秀吉役をやった主な俳優は
緒形拳、火野正平、西田敏行、武田鉄矢、勝新太郎、藤岡琢也、
仲村トオル、竹中直人、香川照之、柄本明、笹野高史、岸谷五朗
どうだろう?猿のイメージを重視してキャスティングした人は
どれくらいだろうか。
だからちゃんとそれを話に取り入れているよ。
墨俣一夜城から美濃攻めの経緯で、藤吉郎たちが裏山を伝って
敵の背後から急襲する場面がある。
そこを昔の文献を引いて「秀吉は猿(ましら)のように木から木へ
飛び移っていった」というナレーションを流しながら、画面では
小太りの西田藤吉郎が飛び移れなくて転げ落ちそうになっては
みんなに助けられるというシーンを移して笑わせている。
こういうのが粋なんだけどなあ。 良く言われる「橋田だから敬遠」してた一人だが、今日の放送をちょっと視聴してみた。
1話分しか見てないが、感想としては「あー、言われてた通りだ」って思った。良くも悪くも。
これを嫌う人の気持ちも良く分かるし、確かに前年までの大河に比べたら
物足りなさも感じる。
けど、見やすいし確かに平成に入ってからの女性主人公大河とは
確かに出来が全然違うな、と思った。
(橋田スガコだったり、佐久間良子や西田敏行といったブランドに引っ張られて
そう感じてしまう面もあるのかもしれないけど)
キャスト的にもあまり好みではないんだが、とりあえず録画してみようかな、と思った。
佐久間さんのねねは惹きつけるものがあるね。 でも後半の黒い秀吉はなかなか迫力あったと思うんだが
ねねが何でも解決!みたいな感じにしなかったのは最近の大河と違ってていい >>134
アンチっていうか…
どのスレにもいるじゃないか、役の描かれ方とか俳優の演技じゃなくて、容姿やなんかを貶して批評
してるつもりの幼稚なのが ちょうどいいところで終わりやがった糞が!!
月曜日までお預けか・・・う〜む・・・・ おもしろいなぁ
特に、ねね目線や活やくってわけでもないね
でも最後のねねを見ると何かやってくれそうな気がする >>125
再来週から時代劇専門チャンネルで再放送されるから環境があれば見てみるといい 天下人ならデブにもなるだろ
若い頃とはまた意味合いが違う 橋田だしなぁ・・・と思って敬遠してたけど、なかなか面白いな
佐久間さんが上品で綺麗で、(もう見てないけど)今年の某大河の主役とは大違いだ
いや、比べること自体失礼かw
気になるのは、時々ねねが藤吉郎の母親に見えることw
あと、OPの能面怖いだろw ハイライトは墨俣の戦いが終わった「一夜城主」
西田藤吉郎も佐久間ねねも最高に輝いた回だと思う。ぜひそこまで見て。 >>143
後々出てくる、佐久間さんのもろ肌脱ぎ(肩しか見えんけど)を期待していてくれ
あれは、エロい おしんの2年前なんだな。
おしんの雛形の匂いも感じるよ。 橋田壽賀子の最高傑作は「おしん」
次いで「おんな太閤記」「おんなは度胸」「渡る世間は鬼ばかり 第一シリーズ」
だと思うんだ。
そしてこれらの作品はそれぞれ朝ドラ、大河、民放ドラマの歴史の中でも
かなり上位にランクされる名作だと思う
名作の定義は難しいけど、大河ドラマの大衆化はなしたかもね。
家康、独眼竜、信玄、太平記、春日局もそうかな?、の高視聴率はその辺の層が多いのかも。
往年の大河ファンからは、中身が薄くなった、時代劇の良さが無くなった、みたいな言われかたはされるけどw
初めて見るんだけど、橋田口調が鼻につく以外は面白いな
でも、これがスイーツ大河の原点なんだろうと思うと複雑だ 違う、違う
女性主人公物・ホームドラマ路線=スイーツじゃないからね
スイーツ大河の原点は、キャスティングに限れば「信長」、キャスティング以外の脚本・構成・演出
面から言うと「秀吉」
で、それらを完全に組み合わせた「利家とまつ」(の好視聴率)が、以降のスイーツ大河を決定付けた
ホームドラマ路線の、女性主人公物の、という意味なら「おんな太閤記」は、「新・平家物語」や「
草燃える」なんかにもあった、そういう要素を前面に押し出した決定版だけれども >>150
そうそう、区分けするならそうだよね〜
まぁ・・・信長は本編全くスイーツとはかけ離れていたけどw
今で言う、所謂スイーツの元祖は利家とまつでしょう
そこから大河の崩壊が始まった・・・
逆に148あたりが名作だと思う作品が知りたい スイーツでもお菓子としては出来が良かった利家まつ
子供はおいしいと喜んで食べた圧姫
変な臭いと味がするシエ 只今ご指名に預かった>>148ですw
おんな太閤記が全編観たスタートなんで…
放送順が???ですが、『風と雲と虹と』とか『黄金の日々』はなんとなくの記憶が。
結局好きな作品なんですがw
おんな太閤記
家康
独眼竜
太平記
あたりがさっと出てくる作品
近藤勇をなんとかすればと残念な『新撰組!』
『峠の群像』も風変わりな忠臣蔵で好き
『獅子の時代』はもう一度じっくりと観たい
あとは『徳川慶喜』です
スミマセン、ベタベタに大衆作品で えっ!?
震災後も女性が大して苦労せずに夢を実現させるやつ出すの!?仕事とか恋愛とか!?(超笑
…いや、むしろ天才的だ!頑張って下さい! ドラマ中でよく流れてる曲って信長の野望で聴いたことがあるような…天下創生だったかな? このドラマに関しては、きちんと人の死や戦のむごさを描いた上で「戦はイヤじゃ」と言っているから実がこもっている。
戦争体験をした橋田さんならでは。
単なるきれいごとで言ってる最近の風潮と違う。 >>150
いくらなんでも信長をスイーツ呼ばわりは無理矢理すぎ。
確かに当時、トレンディー大河と言われていたけど
今改めて観ると、若手もキャラ作りや演技に
大河従来の重厚さを失わないように努めているのがよくわかる。
秀吉ねね夫妻パートは、まあ息抜きタイムということでW >>159
まあ>>150は
>キャスティングに限れば
といってる訳で…
信長は内容に関しては結構ヘビーなんだけど、少なくとも
>確かに当時、トレンディー大河と言われていた
↑これが当時のNHKの体質が変化し始めてるのを物語ってるとはいえると思うな
大河ドラマって流行りを追う傾向のある民放ドラマとは対極に在ったはず(だからホームドラマ路線を
選ぶにあたっても当時‘辛口ホームドラマ’と言われてた橋田に脚本を書かせた)なのに、そういう民
放ドラマ臭のするキャスティングをするっていうのがね
それでもまあ、信長のキャスティングそのものは、おんな太閤記でホームドラマ路線をやってみたのと
同様に、チャレンジだったんだと思うけどね 信長は本能寺手前で尻窄み感が。
平幹二郎を無理に絡ませ過ぎたのでは。
キャスティングは一年も観れば慣れるよねw
仲村トオルは最後まで違和感だらけだったけど。 えっ!?
震災後も、女性が大して苦労せずに夢を実現させるやつ出すの!?仕事とか恋愛とか!?(超笑
…いや、どんな状況でも我を通せるなんて、むしろ天才的だ!頑張って下さい!(^^)/ 相変わらず妹のややがうるさくて困る(笑)。
そして義弟の小一郎がねねにプラトニックラブしてるように見える。 ヘリで現代の風景をとりながら
一生懸命現代的な物を撮り込まないよう努力しつつ
しかしどこか開き直ったようなヘリ動画が多いな >>164
>小一郎がねねにプラトニック
「秀吉」でも、高嶋小一郎と沢口おねはそんな感じだったな >>164
最近チャンネル銀河でやってるんで録画してるんだが本当にあの妹ウザいなw
噂には聞いてたけどあれだけ人の悪口がポンポン出てくる輩とまでは思わなかった
あと個人的に藤岡弘、の信長と中村雅俊の秀長はかなり良いと思う
当時は賛否両論だったけど西田の秀吉も口の上手さと人懐っこさが良く描かれてて好きだ 寧々の作る芋煮がメチャクチャ旨そうなんだけど(゚д゚) お市が美しすぎる・・・
夏目雅子ってこのとき24歳だって?
そうは思えないくらいの気品と演技力
今生きてたら物凄い大女優になってただろうなぁとシミジミ・・・ >>170
神様があの美貌を愛しんで、それが翳る前に永遠の存在にしてしまったのだろう >>171
だからといって池上季実子に早く死んでればってのは言いすぎだと思う。 秀吉(信長からねねへの手紙を読む)「あのハゲネズミ…ハゲネズミとはワシのことか?」
実際にも残っているこの手紙だが、これは高橋信長だったら違和感あるよね。藤岡信長だったから良かったのだと思う。 官兵衛が救出された後、信長の前で「松寿丸に会いたい」と言った時の藤岡信長の顔が妙に可愛かったw 天下人になって、死ぬ直前に、庭でねねに抱きつき
「おかか、あったかいのう。」
と甘えるシーンが忘れられない。 本能寺の変後から亡くなるまでの秀吉の表情はホントに怖かったからね〜。
あれが役者の技量なんでしょうね。 橋田作品らしい、小姑のいやらしさが端々に見えるね。
妹のややとかとも姉さんとか。
橋田作品はこういう所好きじゃないんだが、おんな太閤記は骨格が骨太なんで見られるレベル。
いくさのむごさもきちんと描けてる。
言葉が軽くない。 >>176
わかるわかる。
あの悲しいほどに晴れた天気に、
黄色の菊と打掛の紫の対比が映えてて、
すごく目に焼き付いてる。
秀吉の義妹「やや」や実姉「とも」の性格づけは
橋田氏の完全創作なんだろうね。
女のイヤな部分が強調されて、見ていてウザイと思うことも
あるけれど、やっぱり上手いとも思う。ああいうところは
脚本家の腕の見せ所でもあるし、個性が出るところでもある。
「やや」も浅野長政が出世するにつれ、秀吉や「ねね」への
言葉使いが変わるんだったけか。
「とも」も夫や息子の秀次、秀勝、秀保がそれぞれ順調に出世して
鼻高々になるが、秀勝、秀保は若くして死に、
秀次事件で夫は改易、息子は切腹の上、晒し首。
家族を出世に導いた弟・秀吉が、晩年は家族を崩壊させる原因になった時、
「とも」はどんな反応を見せるか、など、先々の展開が楽しみになる。
伏線も立派に張られているということか。 夫が身分不相応に大出世したために崩壊する家族を描いたんだろうな
それを妻から観たおんな太閤記
シエはおんな葵三代を目指すべきだったんだが・・・・ 三姉妹目当ても兼ねて、レンタルで「おんな太閤記」見てる
ねね視点の物語だし出番は圧倒的に少ないだろうけど
「シエ」見るより何万倍もマシだろうと思って
小督(お江)の子役…
ねねが「美しい姫さま方」って言ってるからブサイク設定ではない筈なのに
何でああなった 赤木春恵が「渡鬼」とは対照的な、地に足の着いた理解ある姑としての大政所なかを好演していたな。
俄に立身出世していった秀吉に夫を引っぱり出されて始めは反発しつつも次第に贅沢暮らしに慣らされていき、
そして悲劇的な展開を迎える妹きい=あさひ=駿河御前。
妹きいの夫・嘉助(副田甚兵衛)が侍の端くれになった事に対する羨望から自分の夫も・・・と欲をかき、
半ば押し掛け的に夫・弥助を売り込み、息子たちも侍にしてもらい、大名の奥方暮らしを謳歌するが
最終的にはもっとも悲惨な一家離散を味わう姉とも=瑞秀院。
最終話でねねが味わう喪失感と、彼女の周辺の生き残りの親類たちの語らいは
激動の戦前戦後を駆け抜けて来た橋田壽賀子ならではの筆の冴えだろう。
東てる美はここで一旦、裸関係の仕事から離れることになる。
その時の感想
「食事制限しなくていいんだ」 >>187-188
確かに、成人後は大河史上でもピカ一の浅井三姉妹だよな! 夏目雅子さんの美しさについては、最近になってようやく自らに対しての枷を外した伊集院静のエッセイを読んでください 松下嘉兵衛(今福将雄)を登場させて昔の恩に報いたり、
勝家(近藤洋介)や光秀(石浜朗)を単なる脇の悪役ではなく人間的な家庭人としての一面を見せたり、
登場はしなかったが佐々成政の始末について(ナレではなくセリフで)言及していたりと、
当時大河ドラマを執筆するにあたって、「飯食いドラマ書き」の印象が大きく、「歴史オンチ」を自認していた橋田が
かなり丹念に戦国武将の事を調べて彼女なりに勉強した事がうかがえる。
ま、それで割を食ったのが石田三成(宅麻伸)だったわけだがw
俺は序盤の足軽組頭の生活や城主夫人になりたてのねねの戸惑いぶりなんかが特に面白かったなあ。
メイクや白髪の入れ方含め、女優陣の歳の取り方も見事だった。
実際は髪は染めていただろうし厚化粧で顔も真っ白だったんだろうけど、
昨今の大河のように現代人の歳の取り方に準拠したメイク術とは違うリアルさがあった。
(現代人は五十、六十代でも若く見える人が増えたため、大河のメイクも若めにしてるけど、昔の四十代はもう老人だからね)
ピン子なんかは逆に家康に輿入れする後半はけっこう奇麗になっていったが、
元がアレだからwそれなりに奇麗な装束をうまく着こなしてメイクも奇麗にしていても
どことなく下賤の出身という匂いがしてそこがまた哀れな雰囲気を醸し出していて効果的だった。
秀吉の影の功労者が秀長ということを世に知らしめた大作ですね。
実際秀長没後の豊臣家の凋落はすざまじいものがある。 >>194
橋田さんは春日局を見れば分かるように、結構明智光秀贔屓だよね。
信長の残忍さについてはおんな太閤記でも批判的。
茶々については正妻の立場重視だからどうしても悪役にしたくなるのだろう。
それでも池上希美子の茶々はきれいだった。
築山殿といい三条の方といい、こういうプライドの高い役がみごとだね。 城主の妻になる現実がすぐに分からなくて面食らうねねは面白かったが、昔はああ言うことを言う女が慎ましいとか言われたんだったなとふと思った。 きちんとした見分相応の格好をしないと亭主に恥をかかせることを、このねねはまだ判らないのだな。 たまたま信長も秀吉も最後の勝者になったから秀吉の長浜時代がクローズアップ
されているだけで,秀吉の長浜時代に当時の秀吉程度の知行をもらったりあるいは
独自に支配している田舎大名はほかにも沢山いると思うよ。
まだこの時代城持ち大名といってもとくにとくに制度として存在したわけじゃないからね。 まあ、佐久間良子ほどの女王の貫禄十分な人に台所の召使い仕事に口を出されたら、召使いたちも緊張するわな(笑)。
それにしてもいちととら余計なことを(笑)。
秀吉に憧れて押しかけ侍になったのに、お方様の方が大好きなのだな。
ねねがああして秀吉子飼いの武将を育てていったんだな。
のちにさすけといちととらが気が合わぬのを、とても案じていたねねが思い出される。 >>199
そういった知行取りや田舎領主は、例えるなら
大卒入社から順当に昇格して地方の営業所長になった、或いは
父親の代からの中小企業を継いで社長になった、という感じじゃないだろか。
藤吉郎の場合は
中卒で比較的大手の会社の清掃員に臨時採用されて、一生懸命働くうちに社長に見込まれて
いろんな課で実績を積んでいき、先輩社員を追い越して一足飛びに支社長クラスになったような。
で、のちには取締役にまでなると。
長浜時代のねねの描写は実は「戦国大名」の武家社会一般では
そういった格式というものがまだそんなになくておおらかだった
ということを伝える意味でよかったと思うよ。
本当かどうか知らないけど関白になっても諸大名の前で派手に夫婦喧嘩したり
大坂城内では秀吉の母親と仲よく大根作りしていたりなんてこともあったそうだからね。
むしろねねという女性はすごく気が強くて,わたしの夫だから世界最高の男に決まっている。
シャネルなんて知らないけど「秀吉」ブランドこそ世界最高のものと
彼が足軽組頭当時から思っていたんじゃないかなー。
下級武士の家に養女に行き、子供の頃から家事全般や畑仕事が当たり前の育ち方をしてきたから
体を動かして働くのが苦にならないというか、楽しくてしょうがないという描き方だったからね。
だから足軽大将の暮らしまでは性に合っていたんだろうし、貧しくとも楽しそうだった。
それがいきなり大名のご内室様になってしまった戸惑いはあったと思う。
それがいつの間にかそういう生活に慣れていき、最終回でおまつ:芳春院と久しぶりに
語らう場面で「最近はする事もないし人手もないので畑仕事をやっています」と
恥ずかしそうに言う様子が、高貴な身分の未亡人が慣れない畑仕事の真似事をする事を
本当に恥ずかしがっているようでもあり、嬉しそうでもあり、それが逆に切なかったな。 光台院に最大限の敬意を払うフランキー堺の徳川家康が良かった。
「お化粧料」という言葉も初めて知った。 >>204
ねねは関ヶ原での勲功大だからね。
ただまあ参勤交代もお手伝い普請も軍役もなく家来もたいしていない1万石って
領主個人からしてみたら10万や20万石大名くらいの生活程度だったのだろう。
ねね1人限りとはいえ破格の待遇だな。 フランキー家康は、大河家康で個人的に一番好きだった
策士の面と礼節と情とを持ち合わせて使い分ける器が備わり
最後にこの男が天下取ったも判ると納得させてくれた 側室の分際で秀吉の母親を悪し様に言うとか
ちょっと有り得ないな
ドラマだからと言えばそれまでだがw >>207
あれは行き過ぎだよね。
側室にあの様なことを言わせるのは秀吉が甲斐性なしと言うことになる。
ご生母だろうが何だろうが、正妻の養子にしなければ単なる庶子だ。 久しぶりに観たくなって、終盤の2巻をツタヤの百円レンタルで借りて観たんだが、
「秀吉死す」の回で徳川家康が徳川家康と徳川家康に秀頼の行く末を頼んでいたw ?
徳川秀忠が徳川家康と徳川家康に・・・じゃないのか? そういえばそうだったか。
池上季美子が土田御前をやったり西田敏行が徳川家光をやれば
同じ俳優が直系三代の役をやることになる。
最終回のとも(瑞龍院)とねね(高台院)の語らい、
あれがこの作品一年間を通じて橋田壽賀子がいちばん言いたかった事なんじゃないだろうかと思ったな。
実に含蓄のあるいいセリフと、ふたりの名優の芝居だった。
ベストシーンを選べといわれたら
1:藤吉郎がねねに身の上話をする畑のシーン
2:秀吉の臨終シーン
3:最終回のともとねねの語らい〜ラストの流れ
4:廃城になった墨俣城でのねねと藤吉郎の会話
5:北の庄城での於市と勝家の束の間の安息の語らい
だな 秀吉はいつも城に帰ってきたシーンばかりで
実際に活躍してるシーンがほとんどないな
何かホームドラマみたいだ >>207
ちゃんとした武家の女なら側室の分際ってのを考えるだろうが
千種は京の町人の娘で、羽振りがよくても秀吉は農民出の侍だからな
しかもその秀吉の母ちゃんは尾張中村の農民丸出しだし
京女の千種が侮るのはキャラとして当然
下級武士の娘として育ったねねが一番しゃんとしてみえる
というのが秀吉ファミリーの面白さだな >>215
戦国版ホームドラマだから・・・あえてそうしたのだろう。 >>217
っていうか、この話はねね視点だからな
ねねに戦場に乗り込んでいってほしいのか? 橋田壽賀子はシナリオには一切戦(いくさ)ねシーンは書かなかったそうだ
あくまで銃後の妻の話で、戦はナレーションと、戦死することなく戻ってきた秀吉らの台詞(秀吉だ
から主に手柄話)で語られるという
それはまあ一種の冒険だったんだけど、PやDが「いくらなんでもそれは…」と思って、合戦シーンを
撮ってナレーションのバックに入れたそうな 臨終近い頃の利家が家康にしか見えんかった
「家康殿が、家康殿が」ってアンタが家康だろうがwと ねねは唐入り戦争の相手を「みんおう」って呼んでたな
豊臣政権の国際認識や外交センスをよく表現していると思った ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています