八代将軍 吉宗
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>>215
リクエストしてみたら?
ひょっとするかもしれないよ
当時録画したビデオがあるけど、もう20年近く前のものだから、
テープによってはノイズがひどいものもあるから、CSで放送して欲しいな そうか残念だなぁ(´・ω・`)
羽賀研二絡みか知らないけど消すんならDVD化しろよ。 違う検索の仕方をすれば出てくるよ、ツベで。多分名前を変えたんだろ。
ヒントはローマ字。
今現在41話まで上がってるよ。 こんなこと書いていいのか分からんけれど
著作権に緩い某国の動画サイトにならあるよ
nhkさん消しにかかるなら早いところDVD化してくれ オープニングのクレジットが頼職だけいつまでたってももただの「頼職」だった。松平から徳川に変更する説明の手間を省いただけとしか思えん。 頼職は紀伊藩主についてから、すぐに亡くなったから偏諱もらってないんだよな
御三家の歴代当主で初代と幕末除いて将軍から偏諱もらってないのって頼職だけ? NHKの松平定知アナウンサーは、どこの松平の子孫なの? 家康の母である於大の方とその再婚相手の久松俊勝の三男、松平定勝の子孫だったはず 5月上旬に真田ゆかりの、
5月中旬に徳川ゆかりの祭を行う、
紀州の国はステキなところ
再来年はさらに・・・ 源六の青柳翔がササキキ、トリンドル、鬼束()と映画に出ていますので、念の為ナレッジ共有致します。 近松家の子女がまた離婚しましたのでお伝えいたします >204
影武者徳川家康を見ればわかる
尾張家と紀州・水戸は別血統なんだよ。 >>244
元々頼宜と頼房は同母兄弟で尾張とは別系統だけどね
御三家筆頭顔する尾張家に対する妬みもあったのかも
作中でも光友が御三家は将軍家・紀伊家・水戸家とこととか言い出して綱吉と光圀がキレたたじゃない
まあ初代が同母兄弟であるがゆえに水戸は紀伊の分家とみなされてた時期もあったらしいけど 訂正
光友の言は「御三家とは将軍家・尾張家・紀伊家」だわ 忠臣蔵を別の視点から描いていて、面白いです。
吉宗の姉上が上杉家に嫁いでいたからなせる技ですね。 いえしげーっ!聞きとうない!バシッ!聞きとうない!バシッ!聞きとうない!バシッ!聞きとうない!バシッ! 吉宗の夢のなかで、賢くなって暗唱してるのなんだっけ? 尾張の五郎太とかおるだろ。
近年の研究では家重が徳川歴代でも相当のレベルの名君だってことが明らかになって来てる。
そしてそのことは家重を溺愛してた吉宗も十分承知してたらしい。
それらを踏まえて家重描いたら梅雀家重にもう少し深みを出す事が可能だよな。 >>256
相当のレベルって何位くらい? その上の面子は? 親政して実績あげた将軍となると他に綱吉とか家宣、吉宗、家治とかくらいになるんじゃねえの。
郡上一揆の処理は家重の判断なしではあり得んよね。
家重が直截しなかったらうやむや必至の事案だった。
老中まで絡むような不正を同じ老中が処理するのは絶対に無理だからね。 >>259
綱吉は「生類憐れみの例」で最悪クラスだろ けどあれ元々、不良浪人が道端で犬BBQやらかして通行人の迷惑になってるの取り締まる目的で作った地方条例のはずだったんだろ 綱吉は単なる文治から法治へと転換の第一歩を行った将軍でしょ。
吉宗は基本的に綱吉路線を継承して法治体制を固めた。
両方とも荻生徂徠が関与してるよね。
赤穂浪士の裁断もその線だよね。
世間はまだ法治の観念になじみが薄いから赤穂浪士を無罪放免にしろとやかましかった。
そこで無罪放免にしなかったのが大事な点。 江戸時代稀代の怪物一橋治済(宗尹の三男)
権力欲は人一倍、謀略も得意だが政見は無い困った男 尾張を差し措いて将軍に就いた吉宗の血を最も受け継いだのが宗尹→治済であることにほかならない 黒田家と一橋家の血、濃ゆすぎるー!一蓮托生。
現在の黒田宗家は一橋家の血を維持してるんだね。
途中女系でお婿さん迎えながら。
調べたら将軍家から大藩の大名家当主になったのは黒田家だけなんだな。
乗っ取られたというかね。まあそれだけ将軍家にとって筑前は重要な地だったのだろう。
長崎支配のためには。 大藩の基準ってなんだろ。50万石くらい?
蜂須賀も将軍家養子だけど、石高は黒田の半分くらい。 「いえひげは、ちりうえにおぶっていたらいたことが、ごじゃいましぇん」 〜いえひげ語辞典〜
【あふいから、あほいを持て】
寒いから羽織を持て
【いえひげは、ちりうえにおぶっていたらいたことが、ごじゃいましぇん】
家重は父上におぶって頂いたことがございません
【たらみつ、ひょうしぅい】
忠光、小水
【ししゃみち、いえひげはめめすいか?】
久通、家重は女々しいか?
【うねたけは、がくもんにすぐれちぇいましゅが、ひょうねにうらおもてがあってすぃんようできゅましゅぇん】
宗武は、学問に勝れていますが、性根に裏表があって信用できませぬ
今日はここまで。次回はいつかわかりません。
続きをやってくださる人がいれば書いてもいいです。 >>272
ありがとうwww
でも、自分的には一番インパクトが強いのは「ろう(象)」だな >>273
「ろう」ですか・・・
家重「ろう」
吉宗「うん?なに、家重。象と申せ」
家重「・・・ろ、ろう!」
吉宗「象じゃ。象と申してみよ」
家重「ろ、・・・ろう!」
このときの少年宗武の薄笑いがむかつきました。 >>274
その前に宗武自身が「ろう」と言ったら吉宗に指摘されて
「しかし兄上が『ろう』とおっしゃいました」と言うくだりがあるけど
あれ、もしかして正しくは「象」とわかっていたのに、
兄上に恥かかせようとして、わざと「ろう」と言ったのかな? >>275
それって、吉宗の前ではなくて兄弟だけでいるときに
家重が「ろう」って言ってたので、吉宗の前で宗武が「ろう」って言ったのでは。
そのあとに>>275になって、>>274かな? >>276
うん、その流れだと思うけど
でもその兄弟会話の時に、兄上が発音間違えてるの気付きながらスルーしておいて
父上の前でわざと間違えた発音で言ったのかな?
と思ったわけです 忠光よかったよな。
家重が将軍職に就けたときに感極まった忠光にジンときたわ。 >>272です。
〜いえひげ語辞典〜【番外編】
タイトル:デョラマのきゃんじぇんばんは?
家重「ちりうえ!ちりうえ!」
吉宗「家重、如何いたした」
家重「ちりうえ、デョラマのきゃんじぇんばんは・・・な、なじぇ、でないのでひょ」
吉宗「な、なに?デョラマのきゃんじぇんばん?」
忠光「ドラマの完全版が出ないのはなぜでしょうか?と申されました」
吉宗「あ、それはだな。・・・尾張の継友のせいじゃ。あやつがの・・・。
い、いや・・・なんでもない。忘れてくれ。とにかく今は駄目なのじゃ」
家重「ちゃみは、いちゅじちゅせんひゅうのおもいで、でぇるのをまちぇのじょんでおりまふ」
忠光「民は一日千秋の想いで出るのを待つ望んでおりまする、と申されました」
吉宗「家重の気持ちはわかるが、今は駄目なのじゃ」
家重「ひょれでふぁ、ちりうえより、ちゃみにわびゅちぇくらしゃいましぇ」
吉宗「なに?もう一度申せ。・・・これ、待て。待てと申すに、家重!」 大納言家重は、安藤対馬守信友(仲谷昇)と室休巣(橋爪功)の劇団集団・円コンビが養育に当たりました 田安宗武の男子と一橋宗尹の男子はことごとく他家の養子に出せ
という無慈悲な家重 〜いえひげ語辞典PART2〜
【そちは口うるしゃい。大久保彦らえもんのようじゃ】
そちは口うるさい。大久保彦左衛門のようじゃ
【ちりうえとくらえるな!】
父上と比べるな!
【わひはひょうぐんになりとうて、この世に生まれたのれはない!】
わしは将軍になりとうて、この世に生まれたのではない!
【たとえ九代ひょうぐんになろうとも、ちりうえにはとうていかないまへぬ】
例え九代将軍になろうとも、父上には到底かないませぬ
【九代ひょうぐんには、うねたらがよろしうごらりまふ】
九代将軍には、宗尹がよろしゅうござりまする
【いえひげはようひょうのみぎり、おんぶをしていたらいたことがごらりましぇぬ】
家重は幼少のみぎり、おんぶをして頂いたことがござりませぬ
【うねたけもうねたらも、ようちりうえに、おんぶをしていたらきました】
宗武も宗尹も、よく父上に、おんぶをして頂きました
【いよたちはいいがわうい】
侍女たちは耳が悪い
【ちりうえ・・・お許しくらはりませ。いえひげは・・・ちりうえを、お恨み申しておりまいた】
父上・・・お許しくださいませ。家重は・・・父上をお恨み申しておりました >>284
>>272のPART1とダブっているのがあった。ごめん ごめん、もう書かないです。
もうネタがないのでこれが最後だと思ってました。 >>284
最後の
【お怨み申しておりまいた】
いえひげが秀忠やってた池波原作時代劇みたいwww
それがしはこのシリーズ好きでござるが >>288
真田太平記ですね。「おりまいた」って草の者が言ってた。 石坂へーちゃんと西田敏行はそれぞれ映画で金田一耕助役をやってる。
なので間部対吉宗は金田一対決でもあった。
ちなみにへーちゃんは「元禄太平記」で主役の柳沢吉保だったが、この時の間部詮房は古谷一行だったので、
これも今から思えば"金田一対決"。 >>291
中井貴一もテレビで金田一役をやってる。
なの対石坂間部、対中井宗春に勝った西やんが最強金田一に決定だな。 wiki見たら黒田長知の正室に陸が消えてる。早世したから?
島津家文書,華族大綱に書いてあるのに。 操りやすいからこそ松平乗邑は宗武を擁立したわけで、乗邑の傀儡になった可能性が高いですよ 吉宗の幼少時代(4〜5歳くらい)演じた青柳翔って劇団EXILEのやつか!?
随分大きくなったなと思ったけど、
調べたら放送当時10歳だし違うよな。 おもしろかった。
けど、最後に近松に現代の惨状(と脚本家が思っているもの)を
光貞公と吉宗に伝えるシーンは蛇足だな。
やれ金の亡者だの、つつしみを忘れただの、マンガ批判に、ディスコ批判。
あっという間に現実に引き戻された上に、
現代も問題はないではないが、江戸時代よりは圧倒的に進んでいる、
と反論したくなる。
それに、ジェームス三木ごときが、道徳退廃を語るなど、笑止千万。
つつしみがないのはお前の下半身で、お前こそ性の亡者だろう、なにを偉そうに。
(なお、脚本家としては高く評価している。)
先が気になり次々見てしまうほど引きこまれたし、
いろいろ感じ入ったセリフもあっただけに、
最後にチープなシーンで興をそがれたので、ぐちを言いたくなった。
まぁ、物語ではない、45分×48回の最後のたった3分のみを
無視すればよいだけなので、
人に勧められるくらいにおもしろいドラマだとは思ってるよ。 今の日本人は謙遜がないからね
299のような馬鹿な題目を書き込みが蔓延するんだろう 最近とおしてみたが
徳川家重はやっぱり強烈だな
でもあれじゃ痴呆老人レベルでやりすぎよの 小菅の御殿に閉じこもりきりと言っていたが、城から随分距離があるな 「毒婦」という言葉が一番似合う大河登場人物だったよな 本寿院、発狂して木に登る場面はNHKらしく抑えていたが、
本当は男欲しさのあまり、木の節に股を擦り付けていたらしい。 「いささかの疑念これあり」
「そはいかなる格式にてござ候や」
という言い回しを、会議で使いたくてしょうがない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています