伊東祐親・八重姫
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源氏と平家の狭間で揺れた
悲劇の父と娘について語ろう でも祐親の親父の気持ちもわかる
京で清盛のあんな様子みてしまってはね。
祐親はこの後自害するのかな(取り上げるかはわからんが)
頼朝への申し訳なさもあったんだろうね。
義朝をだまし討ちした長田に比べりゃずっとマシだな。 北条・三浦とも親族なので助命されるが自害するのが史実?
頼朝が勝者で自分が捕虜になったときどういう会話するのかみたいな
頼朝も伊東も相手を見たまま言葉は交わさず落涙するというのもいいが 赤子殺しは音声のみだっただけに、余計悲劇感増した
赤子役の赤ん坊が可愛い子だったから、余計に… ちりとての鞍馬会長じゃないのかw
頼朝挙兵時に敵味方になる大庭兄弟は出てこないかしら… 和田アキ男が急に現れてビビる峰。
和田アキ男を恐れるあまり孫を手にかける峰。
どっちもいい表情してたな。 ドシュ!!
『いやぁ〜!!千鶴丸〜!!』全てが音声のみってのが悲痛だった。
八重姫ちゃんどうなってしまうんだろう・・・
「義経」の大姫みたいに鬱病になってしまいそう 八重姫はその後に江間小四郎という男に嫁ぐ
でもその江間小四郎は北条義時とは別人
政子・義時の母は伊東氏、つまり八重姫の姉
江間は伊東の親族で、その後に外孫の義時が継いだのかな?
千鶴丸はウィキによると3歳だった、数え年としても新生児ではない 赤子殺しというと絞殺のイメージがあるが、あの時代だと刺殺のほうが
リアルなんだろうか。 >>14
自分の手を血で汚さない、死体を見たくないのなら
生き埋めか川に投げ込むのがいいのでは?
滝に投げ込んだという文献がある 紀行では、川に沈めたと言われていますみたいに言ってたよね
あれはどこ出典なんだろう 理由はどうあれ他人の赤子なんか殺したらろくな死に方しないか、何か災いがあっても否定出来ないな 峰竜太の放送コードスレスレの凄まじい自害シーンが見られるんだろうな。 >>8
大庭兄弟出すなら保元でちょっとでいいから出してほしかったな。 峰のあの表情が何とも言えなくてすげえいいわ。
絶望しているような、冷徹な決意をしているような、娘と孫を
慈しむような、憐れむような、凄く色んなものを含んだ顔。
紀行でゆかりの寺社の像が見られて良かった。
地元伝承の地が色々あるね。
>>12
政子は伊東腹じゃないと思うけど、八重姫創建とされる最誓寺は、
八重姫が嫁いだ江間小四郎を「2代執権」つまり義時にしちゃってるんだよな。
それじゃ叔母甥婚じゃ・・まあ、ない事じゃないけど。
>>22
伊東邸に祐清やもしかして祐之がいないだろうかと目をこらしたが、
やっぱり八重姫一人っ子状態だったなw ちなみに八重姫と千鶴の物語は、曽我物語以外に源平闘諍録にも
記述がある。こっちは千葉氏編纂の平家物語本で、
挙兵後の頼朝が貞節を守っていた八重姫を呼んで、御家人から
好きなの選ばせて八重姫が相馬師常を指名したという話になってる。
八重姫の話は伝承の域を出ないけど、史実としての伊東氏が
「比企尼の娘の嫁ぎ先」である以上、似たような事があったんだろうと思う。
流人の身でそれなりの家の娘と縁を結ぼうとするなら、やっぱ縁者の
手引きがないと無理だろうから。 配流の身の都人と土地の娘がちぎって・・・、なんておハナシは
古今東西何処にでもころがっているありきたりな創作ではある。
先祖に貴種を求める集落のお決まり伝説の一つでもあるし、
塚が一つあれば「これは無残にも殺された嬰児の供養塚で・・・」
云々の創作話がいつの間にか出来上がるのも、良くある話。
たとえ伝承、伝説であってもその創成の背景には何か歴史事件の背景が
あるものだと云ってしまえばその通りではあるのだけど、
こと「流された〇〇と土地の娘が恋に落ちて」類の逸話については
若い男女の恋愛に絡む逸話でもあり、類想話が山のようにあるので
歴史事件の背景が推測しにくい場合も多い。 いっそのこと八重姫と義時の子供が泰時にしてしまえ
泰時母が不詳なのも、頼朝が泰時をかわいがるのも説明がつく いっそ殺さず赤マフラー化させたらおもろい>頼朝と八重姫の子w 連投メンゴ。
八重姫役の福田紗紀、出番少ないながら印象的だったな。
今後も大河に出てきて欲しい 福田は顔の輪郭がごついし、
いかり肩で和装が似合わないので時代劇には不向きだよ。
映画「火天の城」のときも小袖が致命的に似合わなかった・・・ >>29
存在感はある。表情の作り方や、変化のさせ方は悪くないと思った。
>>30
今度舞台で愛姫やるよw。
以前、何かの画像で剣士姿を見たことがある。
にらみ方とかは格好いいので、姫よりもそっちの方が似合うと思う。 身分の高い姫様(たとえば大奥のえらい人)は難しいかもしれんがw
地方豪族の娘とか庶民の娘役ならいいと思うね>福田紗紀 >>27
伊豆には義時の長男が死んだ池だかなんだかの伝承があるんだよね
泰時の上になる
あのあたりに八重姫が身を投げた池とやらもある
義時と再婚したのってありえる話だと思う 吾妻鏡に書かれた年代では、頼朝が祐親に追われて
北条に転がり込んだ頃、つまり八重姫と引き裂かれたとされる頃に
義時が13歳。八重姫が若ければ、その後義時と再婚でも無理はないね。
叔母と結婚も、宗盛とか時房もそうだし、当時としては珍しくない事。
泰時の母親が八重姫とか、ドラマとしては面白いよね。 >>26
まあ、その手の貴種伝承なら義経が断トツにあって、
義平朝長範頼とか、大抵あるわな。
八重姫伝説の場合、大元には吾妻鏡の記録にある
祐親の自害があったのかなと思ってる。
頼朝は自分を殺そうとした敵対者も多く許してるし、
祐親は三浦や北条の舅、次男祐清は頼朝の恩人でその嫁は比企尼の娘という、
幕府でかなり優遇される立場だったはず。当時の緩い主従関係で
平家への忠誠心という感覚はないだろうし、自分が引退して
祐清に任せれば、一族も所領も安泰だったのに、何故自害を選んだのか・・。
という謎から生まれた物語かなとか。 頼朝が義時を特別にひいきしたのが知られてたから、八重姫が江間小四郎に再婚した
という伝承ができたのかもよ 頼朝八重姫の話は安元年間はずだが
7年くらい前に描いてるな ソウカ4ネ
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もう誰も憶えてなさそうだな去年の八重さん
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