西田敏行の西郷頼母を語ろう!
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タイトル通りです。
厳しいんだけど、暖かく、優しいそんな彼について語り合いましょう!
因みに、覚馬さんより年下らしいです。考えてみると、お母さんが出ていたり、
妹や弟がまだ若かったり、子どもがまだ幼かったりと若者だとわかるヒントは、
今までのアレで描かれていた気がします。 カタモリがこの人の進言聞き入れて
さっさと京撤退していたら会津はあんな目に逢わなくてすんだのに...
嫁さんとか可哀想過ぎる 西田敏行が異様に肥満してるんだけど、役作りなのですか? >>2
嫁や兄妹が可哀想なのはその通りだけど、会津松平家の家訓からして、京都守護職を断る事は出来ないだろう。
むしろ、今回の脚本家がどうやって頼母を卑怯者にせずに終わらせるかに興味がある。
地元枠で出ている西田さんに汚れ役させる訳にはいかないだろうから。 西田敏行の会津弁も気合入ってて聞き取りにくい気がするなあ
リアリティは脇に置いて、西島みたいな会津弁の方が視聴者的に分りやすいんじゃなかろうか >>6
西田のは会津弁じゃなくてナチュラルな郡山弁だよ
郡山の年配者は皆あんなしゃべり方 >>7
なんでだろう?とずっと考えていたら、一つの結論に辿り着いた。
それは、容保公との関係性を考えた結果である。
松平容保公は、若々しい殿として描かれる事が多い。若いゆえの未熟さをたしなめる
役割を持つ頼母としては、同年代よりももっと人生経験豊富な人の方が良いと言う
事で毎回、年配の方をキャスティングするのだろう。
例えば、源義経=美少年みたいな。 西郷の隆盛と頼母両方やった役者ってほかに誰がいるんだろ >>11
里見浩太朗。(白虎隊(1986)、田原坂(1987))
分かってて書いてるのでは? 幕末に限定すれば山県有朋 萱野権兵衛 西郷隆盛 西郷頼母 >>7
吉田松陰と同い年ななことは会津・長州双方のトップシークレットですか?w 白虎隊のとき、会津若松の長屋で77歳で人生を閉じるとかあったが実際は数えで74だな。
甥の飯沼貞吉も昭和32年(1957)に遺骨をかつての隊士の墓のある所に移されて
91年ぶりに再会(実際は89)とか、脚本家計算結構いい加減だな。 . _,. -‐====‐- 、
. ,.イ彡ニ三三ミミミヾ\
/7>ァァゞ''"´´````゙ヾミミ、
. ,'///f ',ミ
jj/,イイ }j
fく彡´ ,,.-―=j ,.‐==‐!{ じつは、まだ22歳でござる。
l {ミ{ -=ェテ' !-ェテ' {{
', ゞ! ` ̄ ,. '、 ̄´ } 老けぬものは老けぬのです。
ゝ,゙ ,ノ゙ー-‐' ヽ イ!
,', ', ゙ァ―…ーヘ' ,′
__/:Λ ヽ、 〃
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:::/::::::::::::∨ /⌒ヽ У:::::::::::ヽ::::::::: >>4
福島県民は西田敏行より佐藤B作出てれば満足すると思うよ
結構本気でw 西田敏行はちょっとですぎよ少し自重して欲しい
彼だけの責任じゃなくてキャスティングを考える方がより悪いんだけど
邦画見ても民放のSPドラマでもNHKでも必ずいるんじゃないかと思うくらい出てる 覚馬をたしなめるんだけどもっともな話なら上に通してくれる
いい上司だ 頼母さん素晴らしかったよ
直言が肺腑に突き刺さるようだった しかし、容保が泣いて頭下げてたけど、最後まで罵倒してなw
少しは空気読んで自重しろよと正直思った
まあこの後の言動と一致させるには仕方ないんだろうけど
前半の裏主人公みたいなもんだし 粘ったよな
普通なら殿が「わしに力を貸してくれ」と頭を下げた時点で渋々従うものなのに
「得心がいきませぬ」だったのでおっ?と思った
あくまでお家大事のための諫言なのは、その後の悔し涙で伝わってくるから悪印象は残らないけど
この後もきつい展開が続くと思うと西田さんも大変だ 自分としては白河での戦いがどう描写されるかが気になる。普通に捉えたら典型的な無能な御家老様になっちまう・・。仙台の細谷さんなんか出された日にゃ、相対的に余計に能無しに・・。 かくまより年下でしかも22歳だと〜!?
無理ありすぎクソワロタ 西郷隆盛とほぼ同年代なんだな
四半世紀たって、同じ役者が演じてるわけか 「なりませぬ。それではまるで薪を背負うて、火をすくうが如きもの。殿は会津藩を潰すおつもりか」
「黙れ頼母。その方、余を養子と侮るか」
・・・・・
「殿、今一度、今一度、御かんがん?を」
「下がれ、目通りならん。下がれ、下がれ。」
「いいや下がれません。お考えを変えて頂くまでは下がれません。なにとぞ、なにとぞ」
「その方の顔など見とうも無い。呼び出しがあるまで会津に帰っていよ。」
藩主と筆頭家老の意見の対立と両者の亀裂がこの大河にはないな。 もしかして、昨夜の放送回で置いてきぼりされていたのって、彼ですか?
悔しそうに床を叩いていた気がするのですが。 >>30
そうです。しかし彼はまだ諦めきれないので今後もしぶとく諌言します。 お家の為を思うならあっさり官軍に負けておめおめ城に戻ってくるなと >>32 まぁまぁ・・会津が降っても、五稜郭まで戦うんだから彼の心意気に勘弁してやってよ。 日テレ版の「白虎隊」では全ての責任を押し付けられて
切腹する萱野長修役でしたね。 覚馬や容保は早死にして頼母は長生きするからこの配役
かと思ったら覚馬容保は当時としては別に早死にでもないし
頼母も10年ほど長く生きるだけかw 日清戦争が起こる前年まで存命だった容保。覚馬が亡くなったのはそのまた前年末。
八重と飯沼貞吉は昭和初期まで存命。 会津は容保のワンマン体制だったのが不幸だった。
中央政局で目立ちたいのは宮中でチヤホヤされてる容保だけで、国許の家臣が領民の困窮を語っても謹慎。
まだ若く思慮の浅い容保の暴走を止められる人物が藩内に居なかった。
最終的には慶喜からも見限られて登城禁止の扱い。
宗家と運命を共にするはずが、気づけば宗家にハシゴを外された形で国許に帰る。
この後に及んで薩長との実力差をよく理解できておらず、抗戦を決意。
結果はフルボッコ開城。賢明な判断で城下を守った江戸城とは大違い。
もちろん戦争責任は家臣にあるとして菅野権兵衛に腹を切らせる。 大河で西田敏行が演じた中では一番小物なんじゃない?
奥さんと娘たちとその他が見事に自刃したってひとでしょ。一般的には いやいや、武蔵第一回での役の方が遥かに……小さいかと。 西田くんにもう少し演技力があれば覚馬より年下に見られるのに 西郷どんが会津で復活か。
ちなみに会津の西郷家は秀忠の母ちゃんの実家の子孫でもある。
秀忠が会津で復活したようでもあり、二重三重に縁が重なった配役だなw 西郷頼母って、あれでしょ、姿三四郎を養子にもらい受けたっていう、で、なんとかっていうすげ〜のが使えて、それを三四郎に教えただのなんだの 昨夜はびっくりした
せめて災いの元を取り払っておきたかったって
突き詰めれば容保のことじゃん 何だか体型が。。。
肥満体をだれも注意しないの?
全身写った神社の階段シーン、醜悪さが際だっていた。
健康的な感じじゃなく、病的肥満。 西郷隆盛も西田さんでお願いしたい
モニカじゃだめだ 前回はまんま西田本人のようだったなあw
あれで20代の役とかマジねーわw 自分から「桜守りの爺にでもなっか」というセリフを言っているしw 今回の「八重の桜」で西郷頼母=西田敏行はミスキャスト。
松平容保=鹿賀丈史とあわせてならGood!!でしたw 史実でも西郷たのも の体型は、小さな達磨だった。
http://www.daitouryu.com/japanese/column/top/tanomotoshirou/col_tanomotoshirou14.html
西郷頼母【さいごう・たのも】 ... ひげだるまと渾名され,非常に小柄な人物ながら,合気術の達人でもあった。
頼母は溝口派一刀流剣術を学び、会津木本派軍法を継承した武人であり、「三尺達磨」や「豆彦」の異名をとる程背が低くかった。
頼母のこの背が低かった事が幸いして、大東流の術者としては最適であったとされている。
小柄であると言う事は、葛(かずら)の登り(自分の体重を支える訓練)や岩登り(指の力を強化する訓練)には最適であり、
同時に、敵の下に巧(たく)みに潜り込み、業(わざ)を発するには好都合の体格であったと謂(い)われる。
この躰付きは四郎にも受け継がれていた。
こうした躰(からだ)付きや頼母と四郎の骨格を考えた場合、法的には養父・養子の関係であるが、
別腹の子供がいたとしたら、四郎も、もしや実子ではないかと言う推測が成り立つ。
そして西郷四郎を想う時、彼の五十七年の生涯を振り返れば、その人生には「光と影」が存在し、
前半の講道館柔道時代を「光」すれば、大陸問題に関わって養父西郷頼母の密命を受けて大陸を飛び回る後半の人生を「影」と呼ぶ事ができるであろう。 1584 西田敏行、西田敏行に小牧長久手の戦いで敗れる。
1598 西田敏行死去。遺児は後に西田敏行に滅ぼされる
1600 西田敏行、真田昌幸に進軍を阻まれ西田敏行の叱責を受ける
同年 西田敏行、上記にも関らす石田三成を関ヶ原に破る
1603 西田敏行、幕府を開き初代将軍になる
1605 西田敏行、西田敏行に将軍職を譲り、後に駿府城に移る。
1614 西田敏行が西田敏行を「関ヶ原には遅すぎ、大坂には早すぎる!たわけうつけ間抜けーッ!」と怒鳴り付ける。
1716 西田敏行、八代将軍になる
1745 西田敏行、徳川家重に将軍職を譲り、江戸城西の丸に移る。
1868 薩摩藩の西田敏行らと長州藩の西田敏行らが協力して幕府を倒す
1877 西南の役で、長州閥西田敏行総指揮の官軍に西田敏行軍は鎮圧され、城山で自刃。 1561年川中島で戦死と
1600年頃海老蔵の目の前で斬られたのも追加で 家老解任されても、でかい屋敷に住んで、金持ちだったのだね〜
でも、西田西郷にあわせて、なぜか妻も年増。
社宅みたいで、上級武士は近所付き合いが大変だなー 頼母「そこ 虫付いてる」
八重「大丈夫です」
あそこは やっぱり 西田敏行のアドリブなの?
あの時だけ八重が 標準語になってるから 火天の城 の城造りの頭領役の西田はまた良い味出してんな〜! そういえばフィクサーのなくなった田中清玄の祖父だったかが田中土佐なんだよね
田中清玄が生きていた時代だったら気を使わなあかんのかったんかな >>61
信長ではないのですが、信長の父親役や舅役は演じています。
>>57
大河じゃないから、息子の側室になり、五代将軍を生むはなしですね。 家康-秀忠-正之からたどったら西郷と容保、どっちが会津の殿様にふさわしい血筋なんだろ? 西郷の年齢からして、篤姫のときのエイタのように年下の上司・家老の面白みで来るかと思ったら西田で来たのか?
という感じ 信長役も厳しいが謙信役も無理っぽいな
しかし一度見てみたくもあるw >>66
マジすか!ぶったまげたー
ちなみに清玄の息子が東のほうの私学の雄の看板学部で政治学の教授をやっている
こちらはアメリカ行動科学べったりの普通の人で反骨精神はないw
山川家は帝大、田中家はwやっぱ会津は優秀だべ >>57
高橋是清とアモー忠って追加できないのか? 八重さんは、上級武士の西郷家の猶子となって、嫁入りしたんか!? 仲人の秋月家から、かたちだけ嫁入りしたんだろ
西郷家の猶子となれるなら山川家の大蔵と結婚できるんじゃね 土佐って通称なんだな。
しかしいまの時代、本名の田中玄清だと田中清玄と混同しやすいわな 今の頼母で30後半ぐらいか
あんな30代やっぱいねえなあw 西田はほんといい役者とは思うが、
このドラマでは綾野容保よりもちょい上ぐらいの年齢の俳優に頼母をやってもらいたかった 萱野権兵衛…西田敏行
西郷頼母…里見浩太朗
山川大蔵…堤大二郎
梶原平馬…有川博
神保内蔵助…丹波義隆 若いうちは
濱田岳がやればよかったと思うんだが、どーよ?
俺の中では濱田は若手版の西田と言っていい 松平容保…風間杜夫…林権助
神保修理…国広富之…横山主税 西田:デブ、不細工、品がない。裸を出したがる。嫌いだ。 頼母は一人だけ先を見通したみたいな気分でいるようだが
「お前が読んでいる程度の事は誰だって判っている」んだよね
反対するんだったら対案を出せってんだよ
土津公御家訓を破らず、かつ会津守護職を断る為の理論武装とか
会津守護職を引き受けても1年くらいで他藩に引き継がせる工作とか
薩長と外交的に渡り合って京都の争乱を回避する算段とか
なのにこいつってば「京都守護職を引き受けるのは反対」なだけ
反対だけなら民主党にでもできるわ >>88 大政奉還した時点で神保に献策してたじゃん。でも「確かにその通りで筋も通ってるけど、その正論が都では通じない」って言われてさ。
いつの時代でも、机上の話しではなく実際に相手のある事だから難しい。1足す1が2にならないのが現実の世の中だし。
しかも蟄居・謹慎の身では現実問題、現代じゃない封建社会では何も出来んし。
後世の「答え」を知ってる立場から頼母を必要以上に非難するのはフェアじゃないでしょう。 会津なのに西郷いうのがすでにありえないだろ。
斎藤とか東郷とかに名前変えろよ。無能が バランスとるためやろけど34歳の奥方が宮崎美子って無理あるわw
でお母様が58歳。西田さんより年下やw >>91
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
それにしても覚馬や官兵衛に接する姿は全くもって
若い部下や息子に説教する中年上司や頑固親父にしか見えんw >>90
>会津なのに西郷というのがすでにありえないだろ
その理由は?
マジで言ってるのだったら、単に調査不足
家康の側室に三河の武士の西郷氏の娘「西郷局」という女性が居るが
頼母の「西郷」は、その三河西郷家に由来するもの。 >>92
西郷頼母1830年生まれ
山本覚馬1828年生まれ
頼母の方が年下という衝撃の事実。当時38と40って感じか
覚馬=西島秀俊は年齢通りのキャスティングなのにな。官兵衛の中村獅童も >>94
>頼母のほうが年下という衝撃の事実。
放送開始前から書きこまれてることだよね。 >>95
おひげの晩年まで描きたいから年寄りをキャスティングしたのかねえ >>88
京都守護職のような重職をお断りするために、
最初から藩主の養子にする会津藩主を幼君にしておけば良かったのでは?
藩の実権を頼母が握って、幕府に対しても
会津藩主幼少のため重大な役目はお断りしますで通せたのでは。 この激動の時代に5歳くらいの幼君は無理では・・・・ 福島に西郷村(にしごう)っつうのがあっぞい
たのもとも西郷隆盛とも関係ないみたいだけど 三河西郷も薩摩西郷も先祖は肥前西郷氏ということになっており、元は菊池一族
頼母も隆盛も500年遡れば親族で家紋も阿蘇の神紋である鷹羽 藩主と同年輩の役者が良かったね
若いほうが、お城が落ちた後の長い人生が予見できるから >>100 >>101
頼母の先祖がまだ保科姓を名乗っていた当時
当主が西郷家から嫁を貰った。
西郷家は2代将軍秀忠を産んだ西郷局(宝台院)を出した当時の名流。
またいつまでも藩侯と祖を同じする保科姓を名乗っていては・・・と、
嫁の実家でもある「西郷姓」を名乗ることになった。 京都で容保に帰るよう諫言した際は
「損な役回りだからと放り出すのは卑怯だろう」なんて言い返されたけど
白河を落とした後の評議では頼母に言葉も掛けない。
互いの目を見るとまさにどうにもならないとこまで来た。
もはや言い合う必要もない。二人見れば負ける感が出てます〜
西田頼母は明治に出るのかな? 明治に頼母は東照宮で容保と再会
容保は宮司、頼母は禰宜 西田敏行といえば「愛しき日々」の萱野権兵衛だ。
西郷頼母は似合わない。 壮絶な切腹を思い出す。
会津ではしたわれてるようだね>萱野様 しかし何を狙っての萱野=柳沢慎吾のキャスティングなのだろうかw 日本の武士をお笑いものに替えるのがNHKの目的さ。 萱野の切腹で、大晦日の夜11時前の血ドロドロって不快に感じた人多かったのでは?
もうすぐ除夜の鐘が鳴るのにあんなシーン見せるなって。
あれは史実どおり普通に介錯で良かったのではないのか。
「見てやるぞーー、薩長の連中がどんな国を造るのか、
どんな世の中造るのかじっくりとーー見てやるぞー」 西郷頼母って 一家で自ポアしてるのに なんで自分は助かってるの?
西田の演技は凄く味があって良いんだけど そこら辺りの心理は芝居にして欲しいわ
ジョーとのホームドラマは ハセキョーとの渡鬼ライクにしかならないし
できれば 会津戦争でもう少し引っ張って欲しいんだよなぁ 日テレ白虎隊だと、ご宸翰を容保を託されて生き延びざるを得なくなったってことになってたな
こっちではどうなることやら >>116
一家は城に入ろうとしたけど、女、子供は入れないと言われて家に戻った。
で、官軍が攻めてくるから、おそらく犯されたりするから、それならばと
自刃して果てた。
頼母は別行動してて無事だった。ただそれだけ。 >>118
おかしいだろ、それ。山本家とかたくさんの女子供が入城してるのに >>119
もういっぱいで入れなかったらしい。白虎隊(違う組ね)も入ってきていた頃だし。
ちなみに老人の部隊は、役に立たないから、槍持たせて、敵に突っ込ませてたらしい。
そんな状況下だから、無理もないっすよ。 >>120
いや、老人の部隊(玄武隊)は他に誰もいない状況で土佐藩の進撃を止めるために玉砕したんですが。
それで土佐藩部隊の進撃が止まって、藩境から主力部隊が戻ってくる時間が稼げた。 >>119
誰を擁護とかいうのでは無く書くけど。
城内の兵糧は限られている。
藩士の家族をみな入れると疲弊が早まるのは明らか。
それをわきまえて城に入らなかった女子供の家族も居る。
(どういう形でこの緊急時に臨むかの、その家庭単体の思慮はそれぞれなので
入城した、しない、で何かを判断することは出来ない)
入城を知らせる鐘が打たれて城下は大混乱した。
直前で門を閉められた者も居たし、
人並に押されて前進ままならず、辿りつけなかった者も居た。
等々、入城しなかった、出来なかった理由は様々だ。
で、頼母の藩内での存在はビミョウなものであったので
その家族は城に入りにくかったのでは?と憶測する人もいる。 「獅子の時代」では銑さんのカーチャンとバーチャンがそれを理由に残って自害してたな 会津武家屋敷博物館には、一族の蝋人形がいるんだね。 南無ぅ( ̄人 ̄) 昔修学旅行で武家屋敷の一家自刃の様子再現みた。。。涙止まらなかったわ 子供がうるさくて聞き取れなかったので、録画しておいたのをさっき見た。
息子にお城で会った時点ですべてを察した時の表情が気の毒だった。
涙が止まらなかったよ。 >>123
あったあった…
後で誰か主要人物が亡骸を見つけていなかったか
会津戦争を大河でガチでやるのはあれ以来か 一族自決は美談にしちゃいかんよな
せめて幼い子だけでも逃がせなかったのか >>131
ありえないかもしれないけど、もし、幼子だけ逃がしたとして、途中で敵軍に捕まって、
レイプされる可能性だって否定はできない。
一応、女だし、当時の人にだって、ロリコン趣味な人はいただろうし。 全く無能だな。嫁を離縁して 嫁の実家に子供たちを疎開させるなり 何らかの手段を図るべき。会津を滅ぼした無能家老は最後まで無力だったな。 >>134
嫁の実家も会津藩士の家(やはり上士)なので
>嫁の実家に子供たちを疎開させるなり
・・・してもねぇ
生き残ったことで有名な白虎隊士中二番隊の飯沼貞吉の父・時衛の妹が
頼母の妻です。
擁護でもアンチでもどっちでもいいけど、少しは系譜を調べような 上級武士だからといって、大石内蔵助みたいに
他藩に嫁の実家があるわけではないんだね。 重臣たち西郷頼母(会津藩国家老)- 里見浩太朗
神保内蔵助(同家老/神保修理の父)- 丹波哲郎
萱野権兵衛(同軍事奉行)- 西田敏行
田中土佐(同国家老・次席)- 佐藤慶
山川大蔵(同家老/のちの浩)- 堤大二郎
佐川官兵衛(同藩士/別選隊隊長/会津戦争時・家老に昇格/のち警視庁一等大警部)- 本田博太郎
梶原平馬(同家老)- 有川博
内藤介右衛門(同家老)- 三上直也
一ノ瀬要人(同家老)- 横沢祐一
松平家松平容保(会津藩主) - 風間杜夫
照姫(容保の義姉)- 多岐川裕美 紀行コーナーで紹介された西郷邸の「自刃の間」の屏風が
上下さかさまだったので、気になって調べてみた。
あれって自害の際の作法なんですね。 頑張ろう有権者!選挙に勝つぞ!!!
【庶民や中小のミカタしても金にならぬ!!】
【会費無料! ◆J−NSC 自民党ネットサポーターズクラブ◆ 現在会員数2万人弱!】
【メディアに出てる富裕層や有名人・公務員・10代・学生を中心にJ−NSC会員増加中】
【自民党を応援して日本を取り戻そう!!!!】
【喋るな左翼在日!自民党の勢いを止めるな!】
【ありがとう自民党!!!】
ありがとう安倍総理!!!
邪魔な物はすべて排除して美しい日本へ!!!
比例で出馬=当選確実=確実にワタミ社長を政治家に!!!! >>139
八重(あちらでは山本八重子)が亡きすーちゃん田中好子だった >>139
土佐と内蔵助、一緒に自刃した2人は既に現実の世界でも故人。 この人いい人そうなのに容保や家来に疎まれてたのか
今回はいくらなんでも不憫だったなあ 会津の民が根絶やしに〜とか言ってて笑ったわ
民はとっくに新政府側についてるってのw
八重ではスルーするつもりみたいだが そりゃもう籠城戦になって外からお城に逃げこむこともできないし
会津の武士は城下の民を守ってくれないからね
ほぼ制圧されたら後はなるべく自分と家族を新政府軍に殺されないように
穏便にしてもらえるように逆らわないでいるしかないんだよ
東北の人間が西のよそ者を心底喜んで迎え入れているわけがない >>148
>東北の人間が西のよそ者を心底喜んで迎え入れているわけがない
保科家をdisってるんですね。わかります。
地元民にとっちゃ、よそ者VSよそ者だもんね。 その場合、どこまで遡ればよそ者じゃなくなるんだ?w
蘆名くらいまで遡ればOK? >>147
日向ユキの一行がどこにも長居できず
厄介者扱い受けた描写が一応ある。
新政府軍に武家だとわかれば、撃たれる。
農民としては、自分の郷で発砲されて流れ玉に当たって死にたくない。 よそ者の容保にいじめられてて可哀想
頼母は正しいじゃん 戊辰戦争で、下の家老が4人自刃、妻子一族21人自決とかあっても、
自分ひとりだけは最終的に生き残ってるんだな。 息子も生き残ったらしい
頼母はせめてその子が成人するまで自分が面倒みるつもりで生き残った
だがその子も病で死ぬ
そこで一人になる
容保のせいだ >>153
追い出されて函館まで戦いにいったんだから、筋は通ってると思うけど。 >>154
誰のせいでもない。
吉十郎を殺したのが、容保公な訳ないですし。
追放したのは、なんらかの意味があったからこそだと思われるけど。 明治維新の段階で38歳
西田敏行では無理があるだろう。
38歳ですよ。 じゃあ容保のせいじゃん
アイツ何で責任とんないんだよ
頼母は責任とって命と引き換えに会津守ろうとしてんのに 明治維新の段階で38歳
西田敏行では無理があるだろう。
38歳ですよ。 >>158
所詮口だけw
本当に命と引き換えに会津を守る気があるならつべこべ言ってないでとっとと腹を切れっつの 65歳以上だったら、去年の伊東四朗は動作にキレがあったな。
西田は、普段着ならいいけど、正装したり武装になると65歳相応の動きになってしまう。 西田さん使ったのは、やっぱ、郷土の人を使ってほしいってのがあったからじゃないかね〜
特別枠みたいなもんだと思ってる。 頼母は特段若いイメージないし
功名が辻で20代の徳川家康をやった時よりは違和感ないよ。 白河の時は「大砲の弾が届きません!」「あんだって?」って感じで、ちょっぴりコントのようだったw
深刻な場面ばかりだと疲れちゃうから、西田さんが頼母役やることでバランス取れてる気がする。 会津戦争
頼母38歳
松平容保32歳
西田さんは特別枠ですな。65歳ありえない。 起用は
晩年の八重と頼母のシーンでもあるんでないの? えばり散らして逃げやがって
民のために切腹して抗議しろよ
最後まで空気読めないクズやな 死ぬ死ぬ詐欺して逃げやがって
史実はもっと頭おかしくて卑怯だから救いようがねえな こいつ 今回お蔵入りのセリフを紹介
八重「恐れながら策がごぜえやす。お殿様、腹切ってくなんしょ。そうすれば皆助かりやす」
笑えるだろ 天才あらわれてるだろ 実現したら篤姫の視聴率マジで超えるよね
馬鹿ばっかり大河が史上最強の大河になれそうだろ 来週恭順降伏でしょ。
頼母の言を入れてもっと早く恭順することできなかったのか。
ここまできたら、最後まで戦うように進言する人もいそうだ。
頼母の言が退けられたことから、八重がそれをやるのかな。 個人的に許せないのが梶原
白河で会津のために一番戦った頼母に暗殺とかないだろw
こいつがその後に恥ずかしさのあまりに雲隠れしたのはよくわかる
梶原とか容保なんて戦いに出ても1分ぐらいで逃げ帰る史上最低の弱さw
まじありえんわw
山川でさえ土佐藩相手に負け続きだったしなw
佐川の寝坊は論外だろw 恭順派の頼母を追放しておいて、降伏。
頼母はどう思うかな。
八重は頼母のこともあって、最後まで抗戦を唱えるような気がする。 全然関係ないけど西田敏行って格的に松方弘樹より上なんだね
今日の放送のキャストテロップのトメだったからちょっと驚いた >>176
ただトメは必ずしも役者の格だけで決まる物でもないけどね
功名が辻の時みたいに、佐久間良子・西田敏行・津川雅彦を抑えて舘ひろしがトメなんて例もあるし 頼母って晩年に会津に戻るんでしょ?
例の桜の木を見ながら、過去の感慨に耽るんでしょう。 怒って頼母のことを追放したのに、
殿様が「頼母生きろよ」なんて言うのは不自然だった。 會津藩って、西郷頼母を追放したうえで、刺客をおくって殺害しようとするのにね。 >>180
感じ方は人それぞれなんで、なんとも言えませんが、私は不自然に思えませんでした。
殿は、頼母の事を口うるさいけど、間違った事は言っていないから、大事な家臣の一人だった。
恐らく、西郷一族の集団自決の話は殿のお耳に達していただろう。
そういうこともあって、亡くなった妻子の分も生きるように言ったのではないかと
私は考えます。 >>175
そのお陰で頼母は腹を切らずに済んだ。
のうのうと明治の世まで生きながらえた。 >>180
追放したのは、修理の二の舞になりかねないからでしょ。
恭順を繰り返す頼母に、官兵衛たちが怒り狂っていて、放っておけば容保にも抑えられない
事態(=切腹)になりそうだったから。 台詞足らないか前後説明足らないのか
家老格も高いし保科の系統絶さずと言う意味でも追放は理にかなう 戊辰戦争後に徳川の聖地である日光東照宮で頼母と容保宮司が再会。おそらく感無量だっただろうな。 うーんでも、家老という立場としては、これから降伏するという時には
詰め腹切らせるために、いてもらわないと困る存在でもあるんだけどな。制度的に。 >>184
なるほどね。そういう描写だったと考えればスッキリする。
あの時点では徹底抗戦&冬将軍の到来待ちだったから、
>>187のような事態までは想定してなかったのかな。
っていうか、会津藩の戦略って全般的に行き当たりばったりだよね。
兵糧にしろ小田山にしろ十六橋にしろ。
国境で進軍を食い止めるから籠城する気が無かったっていったって、最悪の事態は想定しとけよって思う。 そういうのに詳しい人材がいなかったんじゃないかね?
どうも風土的に蘭学を下に見ていたらしいし、西洋式の色んなものが入りづらかったんじゃないかな。
比較対象として薩摩は島津斉彬の頃に兵器を最新式に一掃してるんだよね。
土地柄、西洋諸国の情報が入りやすかったってのもあるんだろうけど。
覚馬が薩摩を見習えつったのは、こういう部分もあったのかもね。 『終戦のエンペラー』を観たら、「頼母かよ」とツッコミたくなるような役だった。
家族を失い一人残されるのを大河と映画で立て続けに観るのは辛いね。
釣りバカでもレンタルするか。 薩摩が兵装を西欧式に変えた中には、下級・中級指揮官の育成もあったんだろうね。
会津戦争の流れを見ると、会津側には戦意はあったし戦略的にはそう悪くはなかったが、
実戦段階での前線指揮官の無能ぶりが悲しいほどあきらか。
頼母も、前線での実戦指揮ぶりは悲惨なまでに無能。
これは個人の資質というより、教育がなっていなかったせいなんだろうな。
ただ兵隊を訓練して戦意を高めればそれで勝てると、江戸時代の平和ボケの
なかで信じていたんだろうな。 >>192
薩長とも実戦指揮官は中下級武士上がりに切り替わっていた。
長州の大村益次郎なんて百姓だからなw
実戦本位になると実力主義にならざるを得ないんだよ。
ともに欧米と一度リアルにやりあってるしな。
会津は最後まで身分制の軍隊だったからきついわ。 身分制度の弊害は、よくいわれるね。
でも、身分制度自身が必ず悪いとは言い切れない。
というのも、当時欧米の列強の中で、身分制度と関わらず実力のみで士官に、また司令官職にまで
上がれる精度を持っている陸軍は、フランスとアメリカのみの言ってもいい。
特に、ナポレオン戦争において世界最強の「フランス大陸軍」を撃破してのけたイギリス陸軍は、将軍
職はウェリントン公を筆頭に貴族の子弟だし、中・下級士官は金で階位を買う制度だった。財産の
ないものが昇進することは、非常に稀だった。
問題は、部下を統率し作戦行動を行う士官・下士官を育成するシステムがあるかないかでしょうな。
むろん、実戦にまさるものはないのだけれど。
会津藩は、京都で実戦をくぐったはずなのに、まともな作戦行動ができなかったのは、また別な問題が
あるのかもしれない。 >>192
頼母は仙台藩という大藩を含む連合軍の将だから家柄で選んで問題なし。
問題は実質的な戦略指揮を執る横山に全く実戦経験が無かった事。
横山は凄まじく優秀な人だったから、会津藩も信じて託したんだろうが、
初戦の相手が実戦経験豊富な伊地知だったのが不運だとしか言いようが無い。 >>194
ナポレオン時代のイングランドの貴族は実戦やりまくりの連中だからな。
日本なら戦国時代の高級武士と同じと思うべきで、実戦経験のない江戸末期の高級武士とちょっと違うと思うな。
ウェリントンはそういう連中の中で実績に裏打ちされてた男だから。
しかし、会津は京都で実戦経験あるのが戊辰戦争では大差になってしまったのが解せないよね。
禁門の変から数年の軍事革命に致命的に乗り遅れてしまったのかな。
あのあたりで薩長ともかなり劇的に軍の質を変化させたからな。 >>198
戊辰戦争では会津は既存の武器だけで戦ってたんじゃないかな?
雨が降ると会津は鉄砲が撃てないって揶揄されてたみたいだし。
薩摩の兵(長州は詳しくないのでわからんが)は皆銃が扱えたけど
会津は一部の人間のみでそ?
メインウエポンが刀とか槍じゃあ、銃には勝てんよ。 頼母の悲劇は、一族殆ど全員が自刃したこと。そのまま新政府軍に降れば 殺されることはなかったのに判断を誤った。逆の立場なら 皆殺しにするから その恐怖感があったのか?この人長屋で一人寂しく亡くなるが これも無能藩主 容保のせい。 >>200
生き残った女性達の一部が新政府軍にレイプされたのを知らないのか?
武家の子女がそんな辱めを受けるのは、恥ずべき事だろう。 >>200
>そのまま新政府軍に降れば 殺されることはなかったのに
新政府軍というと格好は良いけど、兵はごろつきばかり。しかも、自分たちは正義の軍隊だと驕り高ぶっていた。
地元の記録だから多少の誇張はあるが、白河にしても会津にしても、早く恭順した須賀川、三春あたりにしても、
略奪、暴行、陵辱は横行していたという。
武家の、しかも家老職の家族ともなれば、城に入ることを拒否された(これも史実)以上、辱めを受けずにすむため
には自決しかなかっただろう。
会津では、西郷の家だけではなく、一家が自決した上士の家は他にもあったよ。 武家なんて、納税してくれないんだから、
進駐するほうからみたら、恭順してもらってもイラネなんだよな。 >>201
戦争ってそんなもんだからな。
第二次大戦で味方のはずのアメリカ兵にフランス人女性がレイプされたのは有名だし。
ましてや敗軍の高級武士の妻女は無事では済まない。
死ぬ以外にないよね。
NHKのヒストリアは涙とまらなかったよ。
まだ2歳とかの娘を刺し殺した奥方の気持ちとか考えるとたまらん。
残された頼母は言うまでもない・・ >>204
確かに。
そして、そうなったのは誰のせいでもない。
容保公のせいでもましてや、頼母のせいでも。 第2次長州征伐石州口では長州軍は解放軍として民衆の側にたって行動し、支持を集めた。
代官が逃げ出した天領である石見銀山の住人は長州藩の進駐を求めた。 大村益次郎だな。
彰義隊の戦いもそうだが、大村は民衆に無駄に被害を与えない戦い方する男だったな。
彼が会津攻めを直接担当してたらかなり違った様相になってたろうな。
大村の立場上あり得ない話ではあるが。 >>200
それは、WW2末期に祖国を守れると信じて特攻に行った兵士、崖から子供を抱いて海に身を投げた沖縄の女性らに対し、
「戦後の明るい未来が来るのに、なんでそんな馬鹿なことをしたんだ、彼らは」
と罵倒した「進歩的文化人」と同じ発想だね。
武家の家の女たちが、残虐な(と信じられていた)新政府軍に対し、操を守り、夫たちにあとの心配をさせず、家名を傷つけまいとして自決した事を
>殺されることはなかったのに判断を誤った
などというのは、無知のみならず無責任で無神経な暴言ではないか。
現にその時点で、降伏した白河や二本松の住民が、武家の子女も含めて、どれだけ暴行・略奪・陵辱を受けたかについて、会津にも話は伝わってきていたのだよ? >>200
それは、WW2末期に祖国を守れると信じて特攻に行った兵士、崖から子供を抱いて海に身を投げた沖縄の女性らに対し、
「戦後の明るい未来が来るのに、なんでそんな馬鹿なことをしたんだ、彼らは」
と罵倒した「進歩的文化人」と同じ発想だね。
武家の家の女たちが、残虐な(と信じられていた)新政府軍に対し、操を守り、夫たちにあとの心配をさせず、家名を傷つけまいとして自決した事を
>殺されることはなかったのに判断を誤った
などというのは、無知のみならず無責任で無神経な暴言ではないか。
現にその時点で、降伏した白河や二本松の住民が、武家の子女も含めて、どれだけ暴行・略奪・陵辱を受けたかについて、会津にも話は伝わってきていたのだよ? >>211
ほうほう。白河に住み着いてる武家がいたとは知らなんだ。
もともと天領で幕府崩壊後は新政府が管理してたんだが。
白河の町民は仙台の鴉組に放火されてひどい目にあってる。 >>213
普通、天領ってのは徳川家直轄のおさむらいさんである代官が支配する場所で、おさむらいさんってのはふつう武家なんだが。 >>214
代官ってのは他所から赴任してくる人で任期が終われば帰るんだけどね。
白河は幕府崩壊で役人がみんな引き上げてしまった。
白河に置かれていたのが何かよく知らないが。代官でいいの?奉行?城代? 西郷頼母は、家老職で石高1700石貰っていたなら 金はあったはずだから辺境の空き家を一軒位 あらかじめ買っておき隠れ家にしておけば 家族が死なずに済んだ。ゴルゴ13は、各地に隠れ家を持つ。頼母が戦略家でなかったのは確かだ。 SQ版では頼母だけが本物に似てる
大河とは別と割り切った方がいいかも… >>216
いちおう、西郷頼母もまともな武士だし、武士というものは、一朝事ある時は主人の馬前で討ち死に
する覚悟を持っているのが誇りであり、彼らの存在価値。
先の読めない未来に恐れおののいて家族のために逃げ場を設けておくなど、愚の骨頂。
貴殿のおっしゃりようは、卑怯未練を「戦略」と称して、遙かな未来から、ニュートン卿のいう「巨人の
肩に乗って」生半可な知識を振りかざし、過去を自分のせまい価値観で嘲笑しているにすぎん。 自分は、城に籠もり討死しても、幼い子供や嫁が生き残れる算段を講じることは卑怯ではない。新政府軍に逆らうのは、天皇に刃向かう賊軍。主君には従うが 家族位救ってやろうとの思案があってもよい。あまりに惨い結末で、避ける道がなかったのか後生からの検証だ。 >>220
>先の読めない未来に恐れおののいて家族のために逃げ場を設けておくなど、愚の骨頂。
戦国以前の武士なら当たり前のことなんだがな
朱子学に毒された平和ボケ武士の価値観だな ま、後知恵ではなんとでも言えるし、いくらでも賢者ぶりを見せることができるよね。
なにしろ、そのあと何が起きたか、(他人が苦難の末に経験し苦労して書物にまとめたものを楽して読んで)知っているのだから。
あの時頼母はこうすべきだった、馬鹿だなぁ、という議論は不毛だぜ、おい。 西田主演で家斉やってくれたら面白い。もちろんジェームズ三木で そら面白そうだw
少なくとも吉宗よりは家斉が向いてるわw
家慶は梅雀でw 徳川家斉…西田敏行
一橋治済…津川雅彦
田安斉匡…寺泉哲章
徳川家慶…中村梅雀
田沼意次…江守徹
水野忠成…小林捻侍
松平康任…すまけい >>232
ワロタw
柄本明をどう使おうかw
松平定信は誰がいいかな?w
あれから結構大物俳優が亡くなってしまったのが惜しいね。
細川さんとか生きてたら松平定信がよかったと思うんだが。 会津御留め流柔術・ご式内の正統伝承者としての西郷頼母。
その義理の息子(養子)である西郷四郎は講道館柔道のヒーローになってしまった。
柔術他派を悉く打ち倒した伝説の技「山嵐」は、会津御留め流柔術・ご式内の技なのに、、、 卒業前に地元大河に出演できて良かったね ネイティブだから
さぞかし台詞も楽だろうと思いきや、地元友人との会話は普通に出来るが
台詞だとどうしてもふにゃふにゃな感じになり納得できないと関連本で言ってたが
佐藤さんや秋吉さんはどうなんだろうな また、「なんでもかんでも藩主のせい」厨が現れたな。w このドラマの頼母は当時の武士としては最悪の描かれ方
繰り返し恭順、開城、降伏を口にし説得するというか迫るから
勝が西郷に問うた「主君の首を打って差し出せるか?」に
「出せる」と答えるに等しく藩主親子に求めてるんだ 維新以降ぱたっと姿消しやがって
新政府を見届けてやるといったのは詐欺じゃねーか
山本むつみめ 抗戦派や恭順派とも上手くやれなくて城から出された頼母さん
結果的にそれが彼を生かす事になった皮肉
会津関係のドラマは当分ないだろうけど
保科の筋にプライドありまくりの役で
もっと若手俳優で見たい >>5
山鹿素行を配流して会津、米沢と赤穂、平戸などとの対立が発生し
赤穂事件の元凶を作った人物である >>241
大門美知子の方が大事だから、これで降板させてくれということかな。 1180 西田敏行、父と共に源頼朝の挙兵に加わり、山木館を襲撃
1561 西田敏行、武田信玄に啄木鳥戦法を献策するも謙信に見抜かれ討ち死に
1584 西田敏行、西田敏行に小牧長久手の戦いで敗れる
1598 西田敏行死去。遺児は後に西田敏行に滅ぼされる
1600 西田敏行、真田昌幸に進軍を阻まれ西田敏行の叱責を受ける
同年 西田敏行、石田三成を関ヶ原に破る
1603 西田敏行、幕府を開き初代将軍になる
1605 西田敏行、西田敏行に将軍職を譲り、後に駿府城に移る
1614 西田敏行が西田敏行を「関ヶ原には遅すぎ、大坂には早すぎる!たわけうつけ間抜けーッ!」と怒鳴り付ける
1716 西田敏行、八代将軍になる
1745 西田敏行、徳川家重に将軍職を譲り、江戸城西の丸に移る
1860 西田敏行、会津藩の家老となる
1867 西田敏行、西田敏行に命じられて江戸薩摩藩邸を本拠として江戸市内を混乱させ、薩摩藩邸焼討事件を起こさせる
1868 薩摩藩の西田敏行らと長州藩の西田敏行らが協力して幕府を倒す
1869 西田敏行、五稜郭の戦いで新政府軍に敗れる
1877 西南の役で、長州閥西田敏行総指揮の官軍に西田敏行軍は鎮圧され、城山で自刃
1883 西田敏行、共立学校の初代校長となる
1904 西田敏行、日銀副総裁として日露戦争の戦費を調達する 頼母さん、千恵おばちゃんが大阪に転生して、大暴れしてまっせ! 1614 西田敏行が西田敏行を「関ヶ原には遅すぎ、大坂には早すぎる!たわけうつけ間抜けーッ!」と怒鳴り付ける
ふいたwwww >>245
1945 西田敏行 フィリピンで日本軍として戦闘参加、アメリカ側についた兄と戦うも捕虜にされ終戦を迎える >>245
www
勝地とかも、八重に出てる時ジョン万次郎に見えて混乱した 生まれ育ちが郡山市の俺からすると、西田頼母の訛りは郡山訛り。
会津訛りではないなぁ…会津の言葉は、もっとキツいし独特な表現があるよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています