八重の桜にガトリング家老を出せ
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ガトリング家老wwwwww
峠を超えたらあとは死ぬだけwwwww >>71
ガトリング家老は100年後生きてる人間にジャッジ求めたんだよ
死んだほうが世の中のためになるおまえとは別人種別民族だからw ガトリング砲は防衛用としてはそれなりに使えると評価されていますが、
射程の短さ、取り回しの悪さから非常に評価の低い兵器でした。
とはいえ、ハマると効果を発揮するのも確かで、甲鉄艦を新撰組が乗っ取ろうとした戦闘では
甲板上に据え付けられたガトリング砲が新撰組・旧幕府兵をなぎ倒して艦を守っています。 ガトリングばかりが注視されてるけど、
ブローカー商売の泡銭で大儲けした利益で最新式銃完備したっていう先進性はすごいよね
仙台藩に生まれてれば歴史変わったのにな 幕末の人物で、フィクションでもいいからもっともっと取り上げて欲しい人
bQがガトリング家老
(bPは中島三郎助) 何かカッコ良くないんだが
実物の方がイケメンじゃなかったか やっぱり阿部ちゃんが良かったがチョイ役っぽいからなぁ。 >>77
桂小五郎か榎本武揚主役の大河ができたら中島三郎助は取り上げられるかなあ
>>80
アホの坂田に似てるよね 軍の近代化が必要と、状況理解力と先見の明はある人で、持ってる才能は疑い無いの人なのだが、
なんで、わざわざ列藩同盟側で戦ってしまったんだろうかね。いまいち、行動に理解ができない人でもある。
宗家が恭順し会津桑名を見捨てた後は、いくら親藩といえど、あえて戦う理由はないし、
それをガトリング家老自身が理解していたからこそ武装中立という発想になったのだし。
どうしても、最後の行動が理解できないんだよな。
そもそも藩の全ての財政を注ぎ込んで軍を近代化させたのは、
この時代に長岡藩を戦禍から守るためには軍事力が必要だと見抜いたからなのに。
長岡藩、そして藩主を守るためにはどうすればいいかくらい簡単に理解できたはずなのに。
あれだけ先が読めて、最新銃器に詳しく、肥後藩の存在も知っていたら、
列藩同盟に勝ち目が無いのは簡単に読めただろうに。 世羅を斬った仙台藩士と同じで新政府側の使者(岩村精一郎)の横暴が許せなかったからだろう。
戦国の武士はお家が大事だが、江戸時代には武士道が発達して武士の一分は守らねばならんと思う人も居た。 そうだろうか?岩村精一郎の横暴は事実だが、それを理由に参戦というのも
それは後世の人が勝手に美化したあくまでも後付けの理由だろ。
大半の藩が体面もなく藩を守るためだけに新政府の無法を我慢し恭順しているのに。
たかだか、1使者の態度だかで、藩を焦土とし、藩主を朝敵にさせてしまう程、
愚かな選択をする程の馬鹿なら、あの時代にあれだけの軍の近代化なんかできないよ。 直接攻撃目標にされた会津、庄内なら武士の一分もあるだろうが、
あえて、自分の判断で藩主を朝敵にしていおいて、武士の一分もあるかよ。 ガトリング家老は好きだから、資料を見るたびに、いつもそう思ってしまう。
長岡は戦争回避ができた立場だっただけに。武士の一分とは遠く離れた選択にしか思えない。 >>84
実際岩村に中立案を蹴られてるんだろ?
新政府に与しても、列藩同盟に与しても
どのみち戦になるのなら、せめて信義に従って
って感じじゃないのかね? 日本人が脚本を書かないと、朝鮮ドラマみたいな大河ドラマになる。 まあ「中立」ってことは官軍にはつかないってことでもあるから誤解されても仕方ないな >>87
どのみち戦になるなら、まずは藩の安泰選ぶんじゃないか?
まちがっても、あえて藩を滅ぼす道は選ばないだろう。
そもそも、長岡藩にとって、会津側につくことに何の信義もない。
会津藩の恭順を仲介しようとした仙台、米沢とは立場は全く異なる。
。
信義って 武装中立を認めていただければ会津を恭順されてみせましょう。
という話だったと思ったけど。 そういえば仙台と米沢はなんで命がけで会津を救おうとしたんだろうね不思議 中立とはいえ、会津に好意的なのが見え見えだったからねぇ。
しかも強力な軍事力を持ってるし。
味方にしなけりゃ背中から撃たれるのが怖くて進軍できねえよ。 岩村が何いったかなんておそらくどの資料も信用出来ないだろうし
「せめて黒田か山県でてこいよ」って話だよなやっぱり
普通に岩村が戦争して手柄を挙げたくて、開戦せざるを得ないような状況を作ったんだろう
と、そんなに詳しくない俺が想像してみる >>92
特に仙台はよくわからん。
仙台藩の本音はどう見ても
「戦は嫌じゃ、だから会津攻めも辞めたい、
幸い会津には恭順の意思があるから、それで何とか手を打たせて欲しい」だったのに。
いくら世良が非礼で高飛車で使者としてはどうしようもないカスでも、なんで筆頭家老公認で世良なんかを斬首したんだか。 >>96
民主党の福岡出身の松本復興大臣が仙台で傲慢不遜な態度で知事に臨んだ時に
地元メディアが憤ったのは世良と同質のものを感じたのだろうな。 >97
それは理解できるけど、
戦の準備もしていない、会津との戦すら避けたい仙台藩がいきなり、
最新武器ひっさげて幕府軍を打ち破り、その後さらに西日本各藩から
軍備品や軍資金を巻き上げた薩長と戦をしようと思う心理の変化がいまいち理解できない。
実際仙台藩兵はぼろ負けして足を引っ張っただけだし。
但木土佐は本気で勝てると思っていたのかねえ。 怒りや悔しさみたいな感情を
軽く見ない方がいいってことじゃね?
遠く離れたところから結論ありきで判断するのと
当時の渦中にあって、色々な感情の積み重ねの中で判断するのとじゃ
変わって来るんだよきっと。 東北は都の動静があんま伝わってなくて
サッ長の近代化した軍事力の意味を理解しきれてなかったとか
ガトリング家老みたいな人もいたかもしれんけど
あとは伊達の末裔としては島津毛利に頭下げたくなかったのか
てか当時東北地方にそこまで連帯感があったとは思わなかった ガトリングガンで新政府軍をビビらせることには成功したが、
肝心の物を取りまわせるのが河合本人だけだった
結果、ガトリング無双中に狙撃され、その傷が元で死去 >>100
でも、南部や津軽のような、軍制改革に遅れていた北東北の諸藩でも
蝦夷守備の関係で新式銃や大砲の存在は熟知されていたんだよなあ。
仙台藩がそこまで薩長の軍事力を過小評価したとも思えないけどな。
それ以前に鳥羽伏見の戦いは知っているだろうに。
その軍隊が相手なんだけどな。 >>102
そうなんだよね、ガトリング家老って能力は疑いないけど
行動が理解できないんだよね。総大将自らガトリング無双する必要ないのに。
自分が死んだら長岡藩は終わりなのに、前線に出すぎなんだよね。
長岡城が最初に落城したときもそうだけど。 まあ、だからこそ人気があるんだけど。でも軽率だよな。
会津藩に騙されたり、小千谷会談で開戦を決意しても軍をしばらく遊ばせていたり。
長岡城奪還の作戦は素晴らしいから、優秀なのは事務のみで戦争は無能という訳でもなさそうだし。
不思議な人だ。それだけに魅力があるが。 長岡城奪還は戦術的には成功だろうけど戦略的には維持できない拠点を奪還することにどれほど意味があったの
まあ八重の桜じゃ絶対長岡城奪還とかやんないだろうけど
ガトリング無双→獅童ヒャッハー→場面転換、八重の困り顔とカクマがうがああああ→死屍累々
みたな感じ
てか季節的には当時って何月くらいだったん?もしかしたらロシアよろしく
列藩同盟は冬になれば勝つる!とか思ってたんだろうか 奥羽越列藩同盟って皇族押し立ててたんだね知らなかった
北上してきた新政府軍は一万もいなかったみたいだから数で押せば勝てると思ったのか
実際最大の激戦の鳥羽伏見でも新政府一万もいないし幕府方も二万程度だし
東北全軍かき集めたら数で圧倒できた気もするが >>106
まあ、それを言ったら戦略的に意味の無い白河城に、西軍、列藩同盟軍ともに拘ったのもあれだよね。
長岡も、白河も「城」自体には地域防衛の拠点として全く戦略的には大きな意味はないけど、
両軍にとって士気に関わる大きな存在だったたのかもしれない。 >>107
まあ、榎本が早く動いて海路防ぎ、白河が1年持てばそうなった可能性は多少はある。
でも秋田が裏切って2方面に戦線ができた時点で終了だけど。 >>99
そうだね、人間て合理的に判断し行動するものではないから。
本能寺の変の明智光秀と同じようなものかなあ。 明智光秀には動機は不明だが、充分に勝算があったけどな。 国家の指導者がそれでは困るねんで…(´・ω・`)
まあ当時の藩士に藩とはいえ国家の指導者という認識があったかはわからんが
ワイの領地にワイの良民や!ワイのもんをどうしようとワイの勝手や!とか思ってたり? そりゃまあ、当時の階級社会では勝手だろうけど、
いくらなんでも主君を朝敵に貶めるなよ。 当時の東北人に尊皇思想なんてあったんかね
もともと中央には煮え湯呑まされてる土地柄やん こういう言葉を残して腹切って諌める人がいたんだから
尊皇思想はそれなりにあったんじゃないの? >>108
白河は重要な交通の結節点だよ。
現に白河を落とされたことで同盟諸藩は攻撃側から守備側に守らざるを得なくなり、
棚倉・二本松は攻め落とされ、三春は帰順した。 軍師としても一流で経済人としても一流
民治官としても一流で国政任せても一流
汚職とも無縁で質実剛健
けど守るべき国土焦土化したこの人ってなんなんだろね なまじ近代化した軍事力があって西洋事情に通じていたせいか武装中立なんて戦略を取ろうとしたのがそもそもの間違い
そのまま恭順してれば新政府の要職も狙えた人材だったのに
まあどこまで本気で武装中立するきだったんだろうね
列藩同盟が全滅したら結局包囲殲滅されると予見できない訳じゃあるまいし
地形的にもスイスとは違って山岳に守られているわけでもなく >>119
応対したのが岩村でなく山縣なら戦は起きなかったでしょ、河井を即刻拘束しただろ。 山縣は「ガトリングKが来たと聞いて拘束しようとしたが帰った後だった」と書き残している。
いいわけだと思うけどね。 >>120
拘束されたら残った藩士が奮い立ったんじゃね? ていうか、中立武装が認められたとして、次の手として、どのような戦略を描いていたのだろうか。
それが非常に気になる。結局は新政府に恭順する以外に道は無いと思うんだが。
まさか奥羽列藩同盟が勝てば同盟に擦り寄り、西軍が勝てば西軍に擦り寄る蝙蝠のような戦略だったら失望ものなんだが。 実際弱小国だと富国強兵にも限界あるしね
モンゴルやスイスみたいに大国の緩衝国家として存続できる状況でもないし
てかガトリングkってw >>122
仮に河井の放った刺客に山縣が殺されていたら歴史は変わったかな、山縣は大正まで権力者として生きていたわけだし。 カワイが捕獲されて明治維新後に新政府の構成員として活用されてたら、どんな国益プラスされてたんだろう
商売と戦争上手いから相当な期待できたと思うんだが 時代の流れに対して、文字通り命を賭けて抗わなきゃいけない人もいるんだろう。
抵抗の度合いは、相手の正義への疑念、自らの正義の主張でもあるだろうし。
意に反して巻き込まれる人はたまらんだろうから
ベストな選択は二重橋前での切腹かねえ。
でも、相手への具体的な損害がないと、効果も少ないか…。
(一方で、激しい内乱になってもまずい時代背景でもあったしなあ)
切腹といえば、作家の三島さんも陽明学の徒だっけか? ガトリングは拠点防衛にしか役に立たないのか・・・
今日映像無しかよ。 >>123
ほりのぶゆきワロタw
確かにガトリング家老や大筒先生とか出てきそう ありのままに俺が見たことを話すぜ…
先週わざわざ図面まで見せて前ふりしたガトリングはおろか
家老も獅童も一切出ず…草笛みつの「その日長岡も落城した」の一言で片付けられた…頭がどうにかなりそうだった…
出る出る詐偽なんてもんじゃねえ…NHKの本質の片鱗を味わったぜ… 次回白虎隊だから時系列的にももう長岡なんてやらんよな…
あ、でも次回回想みたいな形で一瞬写ったりするのか?ないか
獄中のカクマやるくらいなら… >>136
>NHKの本質の片鱗を味わったぜ…
俺は天地人で学習したからなw 御館の乱なのに全く上杉憲政が出なかったとかw まだ生きてるから死ぬとこやるかもよ
「棺桶を作れ」って 結局ガトリング家老って会津城下までは行けなかったんじゃなかったっけ(´・ω・`)
どっちにしろガトリング無双は俺らの夢想で終わったなhahaha 今思うと>>1の先見性は見事であったな
若干希望的に過ぎたが…(´・ω・`) あれじゃ獅童にのせられただけの人のいい田舎のおっさんじゃないの orz 坂本龍馬と同じ扱いをするなよ
ほんとこいつのせいで みんな貧乏にさせられたのに
補償いまだなし こいつを坂本龍馬と同じ扱いをするやつに反吐がでる
氏ねよ 月とすっぽんだろ 人気があるみたいなので先週出してみますた
みたいな感じか?
映像で30秒でもいいから今週も出して欲しかったな 坂本龍馬は長州に武器を横流しして会津民虐殺に加担した
死の商人です。 >>143
>補償いまだなし
メンヘルスレに移動された方がよろしいでしょう ガトリングKにキムタクを希望していたが
出てきたのは単なるオッサンだった。
特別ゲストのキムタクで1話分使っても十分な話なのに・・・ ガトリンガー瞬殺か。
ま笑いはふり幅って岡村さんも言ってたからな。 なるほど二本松少年隊壊滅で重くなったお茶の間の空気を和らげるための策であったか…
おそるべしNHK なんだったんだろうな。ただの最新兵器マニアで終わったな。 一般視聴者にはそれすら伝わらなかったんじゃね
物語作品としてこの伏線の投げっぷりはヒドイ 花神の高橋英樹は派手にぶっ放してくれたのにねえ
でもあんなので新政府軍大量射殺するシーンやったら
茶の間ドン引きで会津視点としてはまずかったのだろう このスレのおかげで童門冬二や司馬遼太郎のガトリング家老小節を読んで面白かった。
>>1 ありがとなし ガトリング家老は才能の使い方を誤まったね。
長岡のような小藩を牛耳っておのれを表現しただけ。
まさに軍備という魔物に取り付かれて終わっただけのようだ。
ガトリング家老という名がネットで浸透してきた理由もよくわかる。
ガトリング家老以外の何者でもないからな。
長岡はなにもしないほうがよかったかもよ。
そうなると小藩だから列藩同盟に入れといわれればそうするしかないし、
また官軍に攻められればすぐに降伏するしかない。
けど、木戸の戦後処理を見てもわかるようにそうなったとしても長岡の減封なんぞわずかなもんだろう。
たいしたことではないし、どのみちすぐに廃藩置県だ。 >長岡はなにもしないほうがよかったかもよ。
その通りだけど、結果論だよな。
できる人だったけど、最後の最後で判断を誤ったとしかいいようがない。 どのみちすぐに廃藩置県だと言うのはまさに結果論だな。そんな事は島津久光に言ってやれ。 河井は、分別があったので、少年藩士は前線に送らなかった。
薩摩は、大量に仲間が死なないと、世の中がわからない馬鹿だった。
1番馬鹿なのは薩摩藩ですよ。
策士策に溺れる
薩摩藩士って、戊辰戦争で藩士の5人に1人は死傷したし
その後の西南戦争も入れると
薩摩藩士って、3人に1人は死んでる事になる・・・・・・
西南戦争のときなんかは、地元民が従軍拒否すると、木刀で殴られたと書かれている。
西南戦争のせいで、大不景気がやってきます。
深刻な不況 . 西南戦争後の紙幣増発によるインフレは、
明治13年下半期に絶頂に達し、政府は、この年より不換紙幣の整理、
経費の節減、増税政策を実施に移した。
明治14年に大蔵卿に就任した松方正義は、これらの施策を継承して徹底した
http://www.geocities.jp/michio_nozawa/11mado/mado3.html 資料によれば、西南戦争での官軍の死者数が6400人、西郷軍は6800人 >>160
岩村みたいのを相手にしなきゃならなかった不幸もあるし。 河井の長岡藩が戦った事により、旧長岡藩出身の山本五十六は、
戦争回避の努力を行なっても避けれなかった場合は、武士として軍人として、
命がけで行動する事の重要さを学んでいる。
真珠湾攻撃の奇襲も、河井の幕末の奇襲作戦に影響を受けている。
河井は、山本五十六に影響を与えて、真珠湾攻撃にも影響を与えている。
今の日本が、白人の植民地にならなかったのも河井の影響が少しは入っている 青年家老の山本帯刀は、継之助の人物や考え方を良く理解して、継之助の藩政改革の良き理解者となっています。
さらに後年、この山本家の養子となって家を継いだのが、
太平洋戦争開戦時の連合艦隊司令長官の山本五十六海軍大将です。
山本五十六も、継之助を尊敬していて、
ロンドンの軍縮会議の予備交渉へ赴く際に
「河井継之助先生が小千谷談判に行く時の精神をもって今回の交渉に臨む」
と言った話は有名です。
http://homepage3.nifty.com/k-haruaki/kawai2.htm >河井継之助先生が小千谷談判に行く時の精神をもって今回の交渉に臨む
それは実に困るな。 ●真珠湾攻撃のモデルケースを実演したのが河井だったというのが現実なんだよな。
山本五十六は、河井先生が出来たんだから、自分も長距離奇襲が出来ると思ったのだ。
http://tagamishihei.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-9df2.html
真珠湾攻撃は山本五十六が長岡に生まれなかったら、考えられなかった作戦であったと言われる。
モデルは河井継之助が行った八丁沖渡河作戦である。 海軍が奇襲に拘って滅んでいった原因がここにあるのか。それも実に困るな。 新潟の震災のとき、復興大河企画があったなら、ガトリング家老主役もあったか。
米百俵の方が可能性あったか。 >>170
両方主役でよくない?てか新潟の震災復興の大河はあったでしょ、「天地人」だw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています