八重の桜って言うほどダメだったか?
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まあ311後に、決まってた企画をひっくり返して急遽新島八重主役で行くと決まって
脚本書いてる途中に次々新事実が出てきて、大分書き直したはずだから
幕末史素人云々は関係ないと思う
むしろ山本むつみは今どきの脚本家としてはかなり幕末史に強いほうだと思うが
それが災いしたと思う
龍馬伝みたいに、「おーい竜馬」からいただきました、という書き方ではない >>115
もうちょっと準備期間あげたかったな
脚本全体を眺め回す時間があれば、時間配分もマシになったろうし
前半を殿様、後半を八重主役で前半だけ担当させるとかね 前回の八重の桜は歴史的に見るよりも心でみるべきものかな?
相手のそれぞれの立場における心情を深く読み取った作品だと思う
間違いなく名作だったが視聴者が、主人公が微妙と感じ、八重の淡白な行動
を受け入れられず離れていって本質を見きれなかったことが残念。
正直半沢並みに良く見れば普通に受け入れらたはず。
あと今回のジャニ軍師
あれはだめだwww
視聴率は更に悪化する模様・・・・・・・w
民法レベルww 鶴ヶ城落城までは近年稀にみるくらい良かった
あそこで終わりだったと思えば名作 山本むつみの脚本が悪いわけないやん。何でもかんでもけなすのが評論じゃない
視聴率だってただの見てる割合で鈴木先生みたいに3%でも評価されたドラマもあるし いまたまった録画をやれやれと見初めて、スゲーはまってるよ。
初めて幕末に興味が持てた。
史実を調べると文句もでてくるね。
二本松の戦いでは、子供たちを思わず守ろうと立ちはだかってのドラゴンボールみたいな銃太郎の死に方が気に入らない。
実際には、前日まで修学旅行のようにはしゃいでた二本松の少年兵たちが、翌日には最前線に送られ、いきなり隊長は瀕死。
もはやこれまでと副隊長に首をはねさせたとたん号泣する少年たち。その死体を埋めて、首だけを持ち帰ろうとするが、
官軍の猛攻に散り散りになり少年たちも次々に死んでいく。
その絶望感、少年兵の惨い現実を描いてほしかった。
前年の『平清盛』の「叔父を斬る」の回では、そういった歴史のうねりの中に巻き込まれる過酷さ、非情さが出せていたと思う。
世良修蔵の北斗の拳みたいな悪役ぶりも同様。
ドラマ表現としての誇張は許されるべきだと思うけど。
面白い作品だと思うからこそ、リアリティ成分をもう少し水増ししてほしかった。 名台詞
タームネーター I'll be back.
八重の桜 グッバイ! >>112
アリバイ的に白虎隊に銃を教えるシーンがあっただけで
白虎隊隊士のキャラを描こうとせず全員総モブ、記号状態のまま
おしくらまんじゅう→切腹を迎えてしまったのは残念だったと思う。
隊士の性格もう少しわかれば、愛着湧いたんだけどね。
白虎隊の使い方、もったいなかった。
切腹回まであんなに時間があったのに。 >>121
先生たちはいざと言う時自分が囮になって子供たちを逃がすために
わざと赤や白など目立つ色の陣羽織を着ていったんじゃなかったか
あのナウシカみたいなポーズはそれを分かりやすく演出したんだと思ってるよ
八重は役者が自発的に熱意のある意見を出したりして現場で演出が変わったシーンも多いらしい
二本松もそのあたりが話題になってたな
世良修蔵は確かに良くなかった 冷静な視線を持った脚本だった
この時代この題材を描写するのには最適だったと思う
もし八重が清盛系の激情脚本だったらえらい事になってたよ
逆に清盛が八重系の冷静な脚本ならつまらなくて観てられなかっただろう >>128
冷静とも激情って別けた、それぞれの指摘がよくわかんないな。
清盛もよくジャンプ漫画演出といわれたけども、121では意図せずジャンプ漫画的な不満を指摘してる。
それは「劇的」なものであり、作り手のスタンスとしては「激情脚本」とも言い換えられるものではないだろうか。
八重は、冷静というよりは、滅亡する幕府と煮え湯を飲まされ改易された会津側の郷土愛をピックアップしてる構成だと感じるね。
世良だけじゃなく禁門の変で立場が逆転するわかりやすい「敵」であり長州側の描き方。
とくに岩倉具視の小ずるさぶり、粘着振り、小人物ぶりは、判官びいきの「情」優先の構成ゆえの描写にしか見えない。
これを冷静といっていいのだろうか。 あと、山本覚馬が薩摩の囚われの身で書いた『管見』の建白書ね。
ドラマでは汚い獄中の中で、失明した覚馬が、何度口述筆記で書いても、いじわるな番兵が建白書を破り捨てる。
しかし覚馬は国と郷土を想う不屈の心で、何度も何度も書き上げる。
ついに番兵もその気迫に押され、建白書を牢の外に持ち出すことを認める。
ドラマとしては、いい描き方だと思うんだけど、
ただ、このくだりはwikipediaを軽く見るだけでも
「同藩首脳部はその人物の優秀さを知っており、決して粗末に扱わなかった」とか書いてある。
たしかにドラマの中でも、覚馬が囚われたばかりの頃、牢に来た西郷どんがその大人物ぶりをみせるかのように、
覚馬を粗末に扱うなというようなセリフがあった。
だけど、ぜんぜん待遇が改善されずに、上記のような身も心もボロボロになっての血を吐くような建白書作成シーンが続くので
あれれ?と内心思ってたよ。
幽閉・軟禁ではなく、監禁・投獄でないとドラマチックにならないからだろうけど。
これも激情的描写ではないだろうか。 >>130
その部分をウィキ記載の通りにしてみろ、要らない説明が増えるだろう
分かりやすくしなければならないところは切り落とさなきゃ
何でも史実の通りなぞってたら何年やっても終わらないのなんか誰でも分かるだろ
覚馬が主人公じゃないんだから
でもまあそういう重箱の隅な文句が出て来るレベルの脚本だって事だわ
引き合いに出してもうしわけないが今年の大河なんか突っ込めないから >>131
いや、ウイキペ記載くらいのことは、描く気があるならドラマ描写の通常の手続きで説明できる範囲のことだろう。
このケースはわかりやすさのための省略技法などではなく。
建白書に熱い血筋を通わせる「演出」のための「盛り」だろうね。 >>129
>とくに岩倉具視の小ずるさぶり、粘着振り、小人物ぶりは
それは一般的なイメージだろう。 岩倉は零細賭場を経営してた公家ヤクザで、
幕府を恨みながら傘張りで食いつないでた。
「玉を握る」ために孝明天皇を毒殺した奸賊なんだから、
もっとダークで陰湿な人物として描くべきだった。 最低の大河。
大河というコンテンツをオワコンにした大戦犯 俺は八重の桜は凄く好きだ
今でも録画を見直して泣いてるくらい好き
真面目に真摯に丁寧に作られている
凄く面白い傑作か?と言われれば、まあ苦笑いするが
好きか嫌いかで言えば凄く好きだ
今年のヤツ見るたびに毎週思う
昨日なんか途中で見るの止めて
「八重の桜」の録画を見始めた←嘘じゃないぞ 「俺」とか使わなくていいよ
お仲間ババアしかいないんだし ダメっていうよりつまらなかった
その前のアレに対して感じたような怒りや不快感はない。ただただつまらなかった >>137
官兵衛も面白いよ
八重が脚本書いたのが北大出身のインテリでナレーションが難解なとこあったんで、
幼稚園の紙芝居みたいなとこあるけど、「腐っても大河」だと感じる魅力がまだまだある
清盛は史実も入れつつ、クライマックスシーンを強く意識した脚本だった
時々無理矢理話盛り上げて、上皇が「わが胸を射よ」という意味不明なクライマックスシーンがあったりしたけど
しかしドラマは劇的であるべきで基本的には間違っていないいい脚本家だと思う
八重の桜は脚本家が資料を読み込んで、史実に近い描写を目指した大河マニアにウケそうなドラマだった
一応クライマックスもあるが清盛に比べれば地味だった
でもなかなか味わい深いドラマだった
初回の子役も愛らしかったしね
一部のバカのネガキャンがうざかった >>121
世良はどのフィクションでもあんなもんだし、
佐幕だけでなくて薩長からもガチクズ扱いだからあんなもんじゃないの? >>142
酔っぱらって立ちションしたときはさすがにダメだろと思ったが、
むしろすがすがしさも感じた 「八重の桜」ドラマ館は入場者数61万人で近年では3位の入り。高視聴率だった篤姫の66万人はまだしも、
龍馬伝は”4会場”での数字。それらに比して視聴率の割に八重はなかなか健闘したと言えるだろう。
来館者は目標超える“61万人” 若松の「大河ドラマ館」閉館
http://www.minyu-net.com/news/topic/140115/topic5.html
NHK大河ドラマ「八重の桜」の魅力を紹介した会津若松市の「ハンサムウーマン八重と会津博 大河ドラマ館」が14日、閉館した。
来館者数は、目標の60万人を超える61万1558人だった。来館者数を開催期間で割った1日当たりの来館者数は1662人で、
近年の大河ドラマのイベント施設と比較しても高い数字となった。
日銀高知支店が2011(平成23)年2月に発表した近年の大河ドラマのイベント施設への来場者数は、10年放送の「龍馬伝」の
イベント施設が4会場合計で92万4903人と多く、次いで08年の「篤姫」が66万7535人だった。
会津若松市「八重の桜」プロジェクト協議会は「60万人を超えたことに感謝している。経済効果も期待できる」と手応えを示した。 >>144
視聴率低いって関東や関西などで、福島県の視聴率は多分20%越えてたんじゃないの? 「・・・消えた・・・何もかも・・・それでも空は変わんねえのか」
今日も録画した「八重の桜」を見た俺w 八重の桜は最高に面白かった。
ただ後半のスタジオ撮影があまりにも多すぎたのが残念。
せっかく京都に住んでいるのに
京都という感じが一切しなかった。
スタジオ内にあんなセット作らなくても
ロケの方が金掛からないと思うんだけどな。
あとどの大河でもそうだけど
戦闘シーンをスタジオ内でやるのは
止めるべきだろな。 戦闘シーンがスタジオ撮影なのは予算の都合だからなぁ。
「風と雲と虹と」とか「独眼竜政宗」とか
昔の大河もスタジオ撮影でショボカッタよ。 数字にちなんで最近しょぼくなってくよな>撮影
田舎嫌いな製作者だとロケ行かないって話は昔からあるけど時代劇でそれはちょっとなあ
義経のときはロケ各地でタッキーがジジババから義経様〜〜と手を合わせて来たくらいだし 自分らから民と関わっていかないとな 京都編から観始めてはまって、
今は初回から20話まで観たところ、
当時の世間の評判が低かったように思うけれど、
この作品ってひょっとして素晴らしいのでは。
大河の枠に限らず、日本のドラマ全体で観ても、
かなり突出した作品に思う。
脚本がひどいとか、歴史無視とか、演技最悪とか
全然思わない。
やはりネットの意見などは当てにならないなと
あらためて思うし、自分の目で確かめないと
何も分からないと実感した。 >>151
八重が留守番しかしてないのに何も
気にならないの?
歴史年表を豪華俳優でひたすら映像化するヒストリア的楽しみでしょ 無表情で演技下手なジャニーズを持ってくるとは、
NHKにはプロはいないのか。素人の俺でも判るのに。
情けない奴らだ。 >>151
役者さんたちが誠実に自分の精一杯の力で演じている空気があるからね 八重の桜は実は超名作だったよ。
NHKやるじゃんと思ったもん。
で何で今アレなの?男臭くて観る気しない! 八重が何もしてないという批判も気にならない。
八重の桜って横もアメリカからオロシアまで広いけれど、
縦も、天皇から一般の庶民の子供たちまで描かれてる。
八重も当時のほとんどの人々と同じで、
ただ日々を普通に受け身で暮らしてたって
ことでいいと思う。
そんな人々の暮らしが丁寧に描かれているから
その後の悲劇が引き立つのだと思う。
歴史を動かしてはいないけれど、時代の当事者ではあるわけで、
鉄砲や教育で時代の先端を歩んだ女性でもある八重の人生を
非常に真面目に描いた力作だと思いますね。
山本脚本は細やかさや温かさが感じられて、
時代の非情さとの対比も上手く描けてるのでは。 大河みたいなドラマは群像劇でいいと思うので
主人公が関われない場面があるのはいいと思う
どこにでも出て来て、主人公の力で何でも解決、なんて子供番組みたいな話では嘘くさい
でも人間関係の関わりで、時代の重要人物との関わりはあるから、、主人公に選ばれたのはわかる
最初は受け身でしかなかった八重が、後半は自分も積極的に世の中に関わっていくことによって
責任ある立場になっていき、今度は責められる側にもなる
大きく歴史を動かしたとは言えないものの、責任ある立場になっていくことの意味も
ある程度は主人公は理解したかもしれない 福島の原発がどうのなんてのは論外だが、八重が何もしないとか、年表ドラマなんてのも全くドラマがわかってないと思う
八重は脚本家が勉強家で本で読んだ知識をたくさん盛り込んだドラマだったが、
大量の資料を作品に反映させる司馬遼太郎の小説みたいなもの
そういうタイプのドラマなんで、そういうタイプの面白さ→歴史のうんちくが隠れてる、があった
そんなのどうでもよい。お揃いのお守り見つめあう方がぐっとくる、
八重も鳥羽伏見で鉄砲撃つべきだ、というのなら、そういうタイプのドラマを鑑賞されればよかろうもん 登場人物の書き分けや心理の掘り下げを放棄した年表大河 年表大河、留守番大河批判は、江のようにせよと主張するものでは全くないのに、
いまだに見えない敵を拵えて勝利宣言しているようだ。
加えて、後半生を省略しすぎて八重の生涯をやりきったとはいえない、
人物についても相当毒抜きしてしまったため、等身大の八重に迫り切れたのか疑問が残る。
そういう不満は残ったけれど、真摯な姿勢で臨んだ制作者の努力の結晶が
多くの感動を視聴者に与えたことも事実だと思う。
質の高い大河だったかと聞かれれば、イエス。 >>161
篤姫は週刊文春か新潮におかしな描写が多いって書かれたんだよ
同じ作者の江もお姫様が袋からお菓子出して食べたり(史実的におかしいとは言い切れないが)、
けっこう現代を意識してた
まあ江も作者が一生懸命書いてる熱気は伝わってくるところはあった
だから当初は視聴率もよかった
八重は史実にこだわったとこが特徴で、会津藩主も初代藩主の言葉を聞くときは下座に移動するとかね
それに天皇に対する態度も清盛の真逆
清盛も面白かったけど、アバンギャルドな清盛と優等生である意味保守的な八重をごっちゃにする人がいるのは残念なことだ
しかし八重のレベルの高さに言及するとはあなたもなかなかの歴史通、大河マニアですな 本来主役が中心に話が進むものだが、その主役が大河ドラマの主役に相応しくない場合、置き去り主役でもいいと思う
例え置き去り主役でもドラマとして面白いならね
主役が大河に相応しい人物なら主役中心の話になるのは当然で、それなのに面白くないなら批難されてもしょうがない
大河ドラマはこのスタンスで良いと思うね 無理に無名の主役を引き立てる事は無い
八重・文のような一般人或いは一般人に近い末端の存在の場合は群像劇で十分
官兵衛は主役になりえる地位にいる人物
置き去り主役になるってのは、プロットの段階で失敗していると思う。
主人公選びを間違えましたというお話。 会津藩視点の幕末物、という時点で十分に面白い
ところが世の中というのは、会津藩視点の幕末物、とだけ聞いてもイメージが浮かばないパッパラパーやら子供が大半を占めていて
わざわざ女主役にしてジャンヌダルクだのハンサムなんちゃらだの言わねばならないのは
その大半に話を通して幕末会津大河をやるための方便だったんだろ?
前半の八重置き去りはむしろ清々しかったわ >>166
つうか桜田門外の変みたいな大事件は単純に見たいよ
主役がいないからとかいうわけのわからん文句のために大事件を詳しくやらない方ががっかりだわ 怪獣映画だって怪獣が出てくるのは後半なんだから
必要ならば前半の主役置き去りは大賛成
ただ、主役置き去りが何にも生かされないのが問題
桜田門外の変もそうだけど大事件が一瞬で終わって、アレ?これだけ?こんな感じ
主役置き去りの代わりに見せられたのは、撹馬の失明ネタとお殿様の涙ウルウル
毎回毎回、失明の進行具合とお殿様の涙目演技でばかりで、大事件はちょっと出てお終い いわゆるダイジェストがなあ
名前や顔が記憶に残らん
この人なにやった人なのかワカラン方式がストーリーの薄さに拍車をかけてしもた
山本むつみも綾瀬はるかも擁護婆さんもたぶん勝海舟が何の仕事してんのか知らんと思う >>169
山本むつみは知ってるだろうよ。綾瀬はるかは多分知らないだろうが 会津戦争辺りは見てたが、
それ以外は見なかったことに後悔ばかりが残る。 >>165
八重視点の幕末は「よく判らんうちにいつの間にか朝敵になっていました。」だよ。 主人公視点をもっと増やせ=主人公の役者オタ
史実通りなら主役は脇に引っ込んでいいよ=歴史ドラマオタ
意見をあわせるのは難しいですね >>173
主人公視点をもっと増やせ=ドラマとして見ている人
史実通りなら主役は脇に引っ込んでいいよ=興味ある部分だけの歴史さえ見れればいいオタ
だろ >>172
ひどすぎワロタw
投げっぱなしジャーマンwww >>172
確かに。よくわからんのにブチキレて戦争参加だったからな
もう何が何やら
会津編が退屈すぎる。主人公が蚊帳の外。それでいてそこまでして描いた会津サイドの目的意識やキャラ作りに魅力が薄かった
せっかく尚之助と暮らしてるのに何も世の中の動きを知らん関心も少なく自分たちがなぜ飯を食えていられるのかさえ疑問に思わないとか設定活かす気が無さすぎた >>176
逆だ。俺はあれで良いと言っているのだ。幕末の動乱に積極的に関わる志士とか会津藩士とかじゃなくて、
巻き込まれた一女性の視点としては「よく判らんうちに朝敵になってました。長州許すまじ!!」だろう。 更に言えば、後に女学校に入ってくる薩摩藩士の娘か何かが「会津ガー!!」とか
言っていたのもそうだろう?それまでの歴史や事情はよく理解しないまま、自分の視点だけで
文句言って八重に謝らせていただろう。 >>172
そこが官軍の策略なわけで
分かってしまったら作戦失敗
銃持って籠城戦に参加するような熱血前近代女でキャラ徹底してたら
それなりに盛り上がったんじゃないかと思う
男勝りに周囲をひっかり回しまわる割に
変なところで昭和平成の平和至上主義&命は地球より重い
な価値感が出てしまって全体的に「だから何?」
なテイストになってしまった
二本松少年隊の戦死に涙する時とか
「こんな子供を…」って怒りの台詞を吐いてたが
あれなんか当時の会津武家娘の価値観なら
幼いながら良く闘った、という賞賛の涙で盛り上げるべきだったんじゃね
戦争賛美にとられかねないから、そういうのやれなかったんだろうけど
「こんな子供を」つーなら
その子供に武器持たせて戦地にだした二本松藩は悪くないのか、という話になってしまう >>180
>戦争賛美にとられかねないから、そういうのやれなかったんだろうけど
その通りだ。それは仕方の無い事だろう。 そういう戦争賛美、旧来の価値観への固執から明治のいろいろなことに影響を受けて
八重が変わって行くから面白くなったのだろうけど
いろいろ気にして美化してしまい、悪かった面も中途半端にしてしまったので、
八重のやってることもドラマも
価値観が矛盾したような居心地の悪さがあるんだよな あれは会津主題のドラマだから、便宜上の主人公に関わる問題なんか、はっきり言えばどうでもいいこと
女主役、キャッチーな宣伝文句でバカを騙して企画を通すための方便で、
仕方なくあてがわざるを得なかった二義的存在に過ぎないんだろうよ
その便宜上の主役に拘泥せず、本義をおろそかにしなかった前半の作りはとても良かったと思う 幕末までは頑張っていた時代考証と倫理や意識も明治以降はめちゃくちゃだったしなあ
八重を中心に展開する明治編の作りがあまりにお粗末なので全体としては微妙なドラマになった 八重は便宜上の主役だった、と制作者は宣言していたのか?
そういう勝手な決めつけで正当化しても虚しいだけ。 おろそかにしなかった本義とは何か、主役が不在のドラマに本義はあるのか。
群像劇であっても軸がなければ散漫なドラマとなってしまう。それでは群像劇とも言えない。
軸はもちろん主人公が担うべきだが、主人公が唯一の中心点である円であることまでは、
とりわけ八重のような歴史の周縁的な人物が主人公である場合に求めることはできない。
しかし、中世ヨーロッパが世俗権力という楕円とキリスト教共同体という楕円が交錯する形で
成り立っていたように、群像劇の性格をもつ大河の場合も、いくつかの楕円が交錯し重なり合う
場に八重が存在するのでなければ、求心力をもったドラマとはなりえない。
留守番大河、置き去り大河批判は、このことを捉えた批判だろう。
個々の歴史描写が見応えがあったこととは別の問題であり、それでは解消されえない不満
といえる。 幕末に詳しくて時代劇を書ける脚本家なだけに明治編での路線変更で自壊キャパオーバーした印象
準備期間をしっかりとって賞とれるくらいの一本の小説に仕上げてから大河化してたら
一貫性のあるドラマになれたかもしれない
一人の脚本家にいきなりオリジナルで背負わせるにはこのテーマは重すぎる 主人公が反省や成長しないまま都合悪いことは他人のせいにして美化したのが致命的に悪かったな
わけがわからん状態で、殺し合い参加する流れも人間味なくて機械的だし戦争のずっと前の初期から庭で銃いぢりしてエヘエヘもキモイ
まるで綾瀬が未来を誰かに知らされてるような言動だったのが会津編の淡泊さの原因
>>170
絶対知らんと思う
薩長同盟の場所と時間まちがえてるし木戸の名前が桂のままだった。
そんでお気に入りの容保タンが絡んだ寺田屋まさかのスルー
絶対知らんと思う 特撮ヒーローものの『アイアンキング』も主人公は浜田光夫演ずるアイアンキング(霧島五郎)じゃなくて
石橋正次演ずる静弦太郎だったし、タイトルは気にしなくて良いんじゃね。 >>188
>わけがわからん状態で、殺し合い参加する流れも人間味なくて機械的だし
それが戦争だろう。
>>188
>薩長同盟の場所と時間まちがえてるし木戸の名前が桂のままだった。
そういうのはドラマ上の都合だろう。 >>188
寺田屋って龍馬逃走のあれか?
守護職が抱えたたくさんの仕事の一つとして、取り上げてくれたら面白かったろうね
たしかに見たかったと思うよ寺田屋
でもそのための時間を「女主人公がでてこないのが不満」なんて人を慰撫するために奪われたんだよ 西郷さん役の吉川さんが渋かったですね!顔は全然似てないのに不思議でした。
後半はあまり活躍できなかったのが残念でした。
いい機会だから詳しく調べてみたけど、坂本竜馬よりすごい人の気がしました。
知らない人も多いと思いますが、吉川さんは音楽もしてて、すごいかっこいいんですよ。
動画見たらびっくりしますよ! 竜馬という名前の歴史上の人物は存在しない
ほらな無知だったろ
歴史に興味も無ければ漢字も知らない >>190
わけがわからんなら逃げるか生き延びる方法を探すだろう
自分が強いと勘違いしても自分に付いてくる者が皆同じように強いわけもなく、少なくとも学問があるのなら感情任せで命を捨てにいくような真似はしないし他人のそれを止めようとするだろう
覚馬が「何も守れねがった」とあとから愚痴るけどべつに戦争を予期して容保に直訴したりしたわけでもなく頼母のように抗議したことも無かった。
すなわち愚痴る台詞は『何もやらなかった』としたほうが言い訳臭くならなかったかもね 同じ音楽を何回も使ってたのがグダグダになってた
戦闘に入るたびに毎回パーパ〜ッ・パッパ〜ッ♪ パーパ〜ッ・パッパ〜ッ♪
製作費かなりあるはずなのに音楽が少なくとかセットがやたら安い室内用具だったのがイマイチ
せめて京都編をもう少し早くやってくれてればなあと思う。ほとんど家から出てないおばちゃんに戦場の男達が「そっだら情げねえごどでどうすんだ!」とか言われて棒立ちなのも絵的に不自然だしなあ >>194
>わけがわからんなら逃げるか生き延びる方法を探すだろう
庶民ならそうだろうが士族はそういう訳にはいかん。
>少なくとも学問があるのなら感情任せで命を捨てにいくような真似はしないし他人のそれを止めようとするだろう
庶民ならそういう事も有るだろうが士族はそうはいかん。
>べつに戦争を予期して容保に直訴したりしたわけでもなく頼母のように抗議したことも無かった。
覚馬の身分でそれをやったら切腹だ。 ※直訴
すなわち嘆願を拒まれた時はその場で腹を切らねばならない
つまり身分は関係ないよ
己の信ずる打開策があるなら命を捧げられるか否かの覚悟の違い
頼母が仲間らから何ら味方してもらえなかったのは頼母以外は会津のために自ら命を捧げられるだけの覚悟が無かったから
守護に反対して容保の怒りを買い解雇された時にも周りは誰一人として抗議しなかった
たとえばここで「殿、頼母を謹慎するというのなら某も謹慎にしてくださいませ」「某も」「私も頼母どのにお供させてください」と、皆で直訴しまくればさすがの容保もいっぺんに家老を失うことを避け頼母の言うことを聞いたであろう >>196
>士族はそういうわけには
士族とて人間に変わりはない
死んだら終わり
生涯の夢や希望も無く親や藩主を神と崇めていたとしても戦になれば戦えぬ身内にまで被害を及ぼすは必定
ゆえに乱世と言われし戦国の世でも争いは最後の手段。
学問があればわかるはずだ。感情まかせに目的無く殺生を行うのが武士ではないことを。
学問が無いなら思うはずだ。おなごが男子をさしおいて武士を語ることの浅はかさを 主役が変に活躍しないとこがいいのに、ドラマとかわからん人が多いね
そんな何でもかんでも主役の手柄にやろうと思えばつくり話なんだからできるけど、
安っぽくなってしまうわ >>199
主役の意味分かってないのね
何でも主役の手柄にする事と主役を主役として作る事は全然違う 幼少期の話を端折る原作規制で基礎がおろそかになったな
ドラマでは目の前で動物を撃ち殺した父上から『鉄砲は殺生する道具。命を奪うのなら己もまた命を失う覚悟を持たねばならね』と言われて八重ぐぬぬで終わってしもうた
何も言い返せないまま綾瀬にバトンタッチあれでは主役どころか思考も感情も薄っぺらい
規制なしの漫画版では八重ぐぬぬ直後に猛獣が現れ、これを幼少期の八重が父上の刀で刺し殺したエピソードが補完されている
漫画版は萌え絵に定評がある竹村の作画で年齢設定に相応しく豪快かつ可愛い八重が描かれている
しかしドラマでは3三十路過ぎた顎の長いおばちゃんが10代のつもりで地味な着物で足を閉じたまま序盤から跳びはねまくるという品の無さ
そこにテーマやストーリー性は何もなく、幼少期のエピソードを割いてまで描くほどの価値も無かった
むろん、‘綾瀬八重華麗に参上’の売り文句からあれが主役らしさアピールなのだから程度の低さは拭いようもないのだが 音楽は戦の最中にポンポン♪ポポン♪みたいな明るいピアノ演奏流したのもアカンかった。曲調AKBのカチューシャ劣化コピーくさい
映像と噛み合ってないどころか学芸会みたいな背伸びした痩せ我慢ムードを毎週やられるのは辛い
誇張してるわりにどうみても主人公サイドには大したことにはなってないのがね
穏やかな曲はアベマリアのパクリ臭かった 何が悲しゅうてよそ者の青二才の見栄のために犠牲を出さなきゃならんのか
っていう部分を何ら釈明できなかったのは山本むつみ本人が歴史に興味無いからなんだろう
ドラマ内で説明されてないこと整合性のないことは擁護のしようがない
>>202
だいたい4〜5曲くらいしか使ってないよな
再放送みてたうちの親も飽きてBGMに変な歌詞つけてたもん
か〜た〜もり〜♪逃〜げ〜てる〜♪く〜ら〜いよ〜♪こ〜わ〜いよ〜♪
とかね >>203
青二才だろうが何だろうが藩主藩主だろ
今も社長は社長、会長は会長
歯向かったらどっか飛ばされるわ 信長は足利将軍を謀略の末、都から追放した
武田信玄も愚昧な当主であった信寅を領内から追放した。家臣みなが承認のことであった
そして幕末、山内容堂は土佐一国を預かる身でありながら徳川幕府と日本の危機を理解し大政奉還の建白書を龍馬と後藤に渡し彼らはそれを二条城へ届けた
たかだか一国の主に過ぎぬ者が将軍である徳川慶喜に引導を渡すのは途方もない決断であった
もし慶喜の怒りを買えば土佐は徳川に滅ぼされる危険があった。しかし、260年前に山内家を土佐一国の主にしてくれた徳川家と先祖一豊への忠義を示し全てを救うにはこの選択こそが武士のとるべき選択
そんな家臣や領民、先祖や日本を思う山内容堂の心中を察した龍馬と後藤は万が一の事態にそなえ軍艦と最新式のミニエー銃1000丁を土佐に配備した
平和を願う気持ちに真に私心が無いのであれば上や下の身分に拘ることはなくなるのである
見栄や個人のプライドに終始する青二才は藩主に非ず。否、人間に非ず。これを甘やかし放置する所業もまた武士に非ず。
徳川慶喜が大政奉還を承諾したことは大きなリスクを伴ってのこと
身内からも恨まれ命を狙われる危険を伴っていた。それでも決断し将軍家の歴史に幕を引いたのである。
これに従い刀を捨て新政府に協力したい春嶽たちの妨げをしたのが賊軍のシンボル松平容保 >>204
飛ばされるのが怖くて武士を名乗れるか
けっきょく会津武士は忠義なんか無くて権力に恐がるすがる連中の馴れ合いってことじゃん
飛ばされたらまた戻ってくればいいじゃん
飛ばされても死ぬわけじゃないじゃん
飛ばされて死ぬようなら『会津は他藩とは交わらぬ』って言葉は鬼畜の所業だな。他藩で生き延びる選択を禁じてどうしたいの容保 まあ松平容保が嫌いでも別にいいんですけどね
ドラマ内のキャラの実在モデルが嫌いなのとそのドラマがダメなのはちょっと違うんじゃないかと思う
八重の桜だと八重にとっては殿様やお姫様を普通は悪くは描かないと思うし… 悪い部分や残酷な部分を書けないのが不自然すぎる
つまりは後ろめたい現実から目を背け蓋をして知らんぷりをしている
結果、まったく成長できない。他人の気持ちもわからない。他人の言葉も理解できない。
そういう根本的な壊れかたをした作品というのは反省の類いの言葉や話が貧弱で薄っぺらく説得力に欠ける
主人公サイドの残酷な部分を描いたらダメ?描けない?
そんなことでは何の変化もドラマ性も生まれない
年増女の厚化粧然り姑息なオブラートでは題材の真の姿は隠せない。むしろ却って浮き彫りになる。 まったく成長できない。他人の気持ちもわからない。他人の言葉も理解できない。
全部お前のことじゃねーか、龍馬伝オタよw 途中までしか見てないから途中から見直したいと思う
容保公や西郷隆盛はなかなかよかったんじゃないかなぁと思う 吉川の滑舌がことのほかかすれ過ぎてた。
あれだと標準語に近いので標準語で喋ったほうが吉川らしさ出せたかもね
全体的に抑揚が無くて中川翔子あたりがカシワモチコフコフゴワスって言っても同じ感じになると思う
作り手に迷いがあると俳優も自ずと身が入らないから時代劇って難しい >>210
>途中までしか見てない
あーらら(´・ω・`)自分から吐露しちゃったね
途中で見るの辞めた時点で答え出てますやん
アレですか?「バカって言う奴がバカなんだアタシはバカじゃないやい」的な売り言葉に買い言葉モード?
やめときんしゃい。過去の自分を否定しても惨めになるだけよ >>212
あんたは八重の桜関係者になんか怨みでもあるのか?
いくら2ちゃんでもネガキャンが執拗すぎる! >>213
こいつは有名なキチガイ龍馬伝オタだよ
自分が崇拝する龍馬がこのドラマじゃチョイ役扱いだっただから恨んでる >>214
だからさ…視てないのに知ったかすんなって
w
キャストにも名前無かったぞ。ちょい役どころか明確に登場したわけでもない。
龍馬関係ないよ。恨みとか僻みとかあんたが思ってるから出る言葉じゃね? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています