そのような歳月の中で幾度か銑次の姿を見たという人があった。
例えば栃木県足尾銅山鉱毒事件の弾圧のさなかで、例えば北海道幌内炭鉱の暴動弾圧のさなかで激しく抵抗する銑次を見たという人がいた。
そして、噂の銑次はいつも戦い抗う銑次であった。
そう、明治40年の幌内炭鉱暴動の際は既に齢70に届かんとする噂の男が大暴れしていたのだった。