実史実うるせぇな、ドラマだっつってんだろw★2 [転載禁止]©2ch.net [無断転載禁止]©2ch.net
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信之こそ主役にふさわしい
毛利勝永こそ英雄
武田軍団は最強 九度山辺りはどうするんだろうね。資料だと浸すら古美門が
真田紐あんでる14年しかないが(やっぱ、訴訟の仲裁やったり、
大坂の陣の浪人衆が小出しに来るのかと)、北大路さんの
真田幸村みたいに、家康暗殺を念頭に諸国漫遊は流石に(笑) >>117
井伊だって築山殿は井伊の血を引いているとか書いているしな
井伊家の記録にしかないから信憑性0だけど
盛るにしても家格などから考えてあまり不自然にならないようにすればいいのに
真田家の家譜を書いた人は菊亭家が清華家だってこと知らなかったのかなあ
下手すりゃ豊臣秀次の正室を出した武家に媚びる公家みたいな認識しかなくて
清華家が何かすらも知らなかったのかも
>>121
都落ちした一条家や転法輪三条家などと違って
菊亭家はずっと京都に留まっているから貧乏ではないだろ >>132
ちょっと聞きたいんだけど、家譜や家伝などが、頭からしっぽまでウソだって決めつけてるの?
それは、何らかの研究なり調査なりの結果からの結論なわけ?
例えば研究者の本とかでは、家伝の記述を慎重に検討したうえで、
「これはありえる」「これは、まあ無いだろう」
というふうに受け取るべき、とか書いてるけど
築山殿についても、寛政重修諸家譜では確かに微妙な書き方されてるけど、それを承知の上で
信憑性0って言ってるのかな
おれは、断言はできないにしても、井伊家と今川家の当時の状況からして可能性としてはあり得ないことじゃない、と思ってるけど >>133
築山殿に関しては詳しくはおんな城主直虎の過去スレを見てくれ
ttp://nhk.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1441365260/
結論から言えば、築山殿が井伊の血を引いているというのも
真田昌幸の正室が菊亭家出身というのも
大名に成り上がった後に江戸時代に盛られて作られた話だと思う
築山殿が井伊家の血を引いているというのは井伊家の記録にしか出てこない
今川家や関口家、徳川家などの記録には出てこない
菊亭家の娘が真田昌幸の正室というのも真田家の記録にはあるが菊亭家側にはない >>134
「山手殿のことが真田家の記録だけにあって、他にない」から、じゃなくて、
別の記録に「宇多氏出身」とか「遠山氏出身」とか書いてあるから、初めて「怪しい」って言えるんじゃないの
それがなかったら、せいぜい「当時の昌幸の立場だと、公家出身の嫁を迎えられるか、本当かどうか疑問」
くらいにしか言えないと思うけど
築山殿にしたって、幕府が寛政重修諸家譜を編纂したときの編集者が、井伊氏の直平の娘の注釈と、
今川義元の妹の部分を比べて「今川氏の系譜に養女って書いてないけど、同一人物だろうか」って
書いてあるくらいで、他に明確な資料が出てこない限り、否定まではできないでしょ >>135
なるべく簡潔に書いたつもりだけど分かりにくかった?
宇多氏とか遠山氏とかもちろん知ってるよ >>136
いやいや、知ってる知らない、とかじゃなくて
「家譜は全部ねつ造」とでも言いたげな論調がどうかと言いたいの
ちゃんと別の説が書いてある資料があるのならともかく、
こっちの家譜は「書いてあるのがウソ」
こっちの記録は「書いてないから本当」
とか、おかしいでしょ
そもそも研究者だって、よっぽど重要でない限り、そんなところ突き詰めて考えてないだろうし
「こういうこともあったかもしれないね」
くらい、何故言えないのよ 真田昌幸の正室に関しては正親町三条家出身説もあるけどこれも怪しい
正親町三条家は大臣家で、摂家の下の清華家の下
山手殿の父を正親町三条実彦とする説もあるけど
正親町三条家に実彦という人物はいるがその人物は江戸時代の人
正親町三条家で「実」が付く人で戦国時代の人を探してみると
正親町三条実福という人物がいるが天文5年生まれ
天文8年生まれの菊亭晴季程じゃないが
天文18年生まれと推定される山手殿の父とするには厳しい >>137
「家譜は全部ねつ造」とは一言も書いてないんだけど
当時の状況や家譜の内容を総合して考えてみると不自然だと指摘しているだけ
大体、結婚は政略的に重要なものなのだから
ちゃんとした家なら実家、婚家両方に記してあるのが普通だし
一方にしかないのなら大名に成り上がった家が後で盛ったと考えるのが自然 正親町三条家と正親町家を勘違いしていた
正親町実彦の娘だか姪だかが真田昌幸の正室説もあるが
正親町実彦(季秀)は天文17年生まれだから
天文16年生まれの真田昌幸に
娘か姪を嫁がせるというのは考えにくい
正親町実彦(季秀)は庭田重保の次男で
正親町家には養子に入ったのだが
養父・正親町公叙の妹は坊さんの妻で
実兄・庭田重具には娘がいるが後陽成天皇の妃
実兄・庭田重具は天文16年生まれ
正親町実彦(季秀)に娘はいない 正親町三条家について調べてみると面白いことが分かった
正親町三条公兄が天文16年から甲斐国に滞在しているということ
以下妄想
真田昌幸の正室は正親町三条公兄が甲斐国に滞在していた時に生ませた子ということにしておこう
55歳の時に生まれた子?系図に載ってない?でもそんなの気にしない
↓
でもそれじゃ甲斐国生まれ甲斐国育ちで箔は付かないじゃん
やっぱり公家の娘なら京生まれ京育ちでないと
↓
正親町三条公兄じゃなくて正親町実彦(季秀)ということにしておこう
正親町実彦(季秀)は天文17年生まれ?でもそんなの気にしない
↓
もっと盛って菊亭家出身ということにしておこう
菊亭晴季は天文8年生まれ?でもそんなの気にしない
※真田昌幸は天文16年生まれ、山手殿は天文18年生まれ(?) 「正親町三条宰相」の謎が解けない
正親町三条家は大臣家なので宰相(参議)で終わることは滅多にない
正親町三条公兄は最終的には内大臣までなっていて
甲斐国滞在よりも前には権大納言になっている
公兄の子・実福は最終的に権中納言
正親町家は羽林家だが宰相(参議)で終わることはあまりない
正親町実彦(季秀)は最終的に権大納言
正親町実彦(季秀)の養父・公叙も権大納言
正親町実彦(季秀)の実父・庭田重保も権大納言
「正親町三条宰相」って誰なんだろう? ID:BCaxjn9w
まだ薬を飲まないの?精神障碍者 本能寺の変の時期はかかとはカサカサにならない時期ですか? 信玄の正室は三条夫人だったわな、箔付け的に信玄が
それを利用した(信濃の山猿が公家の関係者を夫人にしたとすれば
周囲から一目おかれるわな)、昌幸や幸隆に信幸も巧妙に
利用させて貰ったのかも 山手殿が菊亭晴季の娘であるする説はほぼ否定されている。
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1539 菊亭晴季生まれる(真田家譜では、山手殿父とされる人)
1547 昌幸が生まれる
1564 山手殿が昌幸に嫁ぐ
1566 山手殿が信幸を産む
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信幸を1566年に産んでるんだから、山手殿は1550年頃には
生まれてないといけないけど、菊亭晴季はそのとき11歳。年齢に無理がある。
そして、武田信玄の正妻・三条夫人の実家と同格の清華家出身というのは、
当時動員兵力45人の足軽大将武藤喜兵衛になる前の兄の家来でしかなかった
真田昌幸に嫁いだものとしてはいくらなんでも無理がある。 真田は家系図にも小細工を忘れない
家譜はほとんど嘘であるといってよい 真田信繁と毛利勝永
どちらが武将として優秀だったのかな? 昌幸は奥近習で気に入られ武田譜代に取り立てられ武田奉行人とかの要職にもついていたんだっけ 真田幸村夫人も怪しい。正室の竹が大谷吉継の娘ってのも嘘。 昨夜のヒストリア、武田勝頼って妻子がいたんだ
あの長男は北条夫人の子供?それとも前妻の子供?
14才の北条夫人に15才の長男?ええっ?ってなった >>157
勝頼と共に死んだ長男・武田信勝は先室の遠山夫人(織田信長養女)の子
ただ勝頼は他にも子供が4,5人いて生き残ったのもいる
北条夫人は勝頼と共に自害した時に19歳(満18歳)
北条夫人との間に子供はいない >>158
IDが変わったかもしれませんが
ありがとうございました >>162
957 :日曜8時の名無しさん:2016/02/06(土) 22:24:17.37 ID:Jjs5aMvJツイで流れてきたわ
> #真田丸 第4話の再放送で月をカットした理由、NHKふれあいセンターに聞いてしまった。
> 「当初の演出意図では、安土城と松・小山田の愛情が
> 時代の闇にかき消されていく象徴ということで月を写し込んだが、
> 本能寺の変の旧暦の月として誤解を与える可能性があるということで
> 再放送では修正をした」
ってことらしい >>163
後で慌ててこじつけようとしているのがアリアリな、知能指数の低い幼稚な言い訳だな
「過ちては改むるに憚ること勿れ」アッサリ非を認めて謝った方が良いと思うが >>163
凄いね、NHKに質問した人がいるんだ
あの演出では本能寺の変の夜は月が出ていたと
捉えられても仕方ないね >>164
同意
間違えたので編集し直して再放送しました
で良かったのに >>163
> 本能寺の変の旧暦の月として誤解を与える可能性があるということで
誤解を与える可能性があると言い張るってことは、間違っては居ないと言い張るのか。
月を影像に流し、ウド−さんに「その夜、、、信長が死んだ」ってナレさせておいて『それは誤解』というのは、完全に騙していると思うが。 >>163
意図は、まあ分かった
表現方法をもう少しひねればよかったね 穴山梅雪は何故徳川勢と一緒に逃げなかったの?
梅雪の最期はどうだったんだろうね >>169
なんか、このドサクサで家康に殺されるかもって疑ってた、とかなんかの本で読んだ
信長公記には、もちろん一揆勢にあって殺されたとしか書いてない
家康と別れた、とすら書いてない >>170
実際この後の家康の行動見たら殺されるかもって疑いは確かに持ってたとしてもおかしくないな 一益さんが本能寺の変を知るのが
遅かったのはどうしてなの? 服部半蔵の
「伊賀は我がふるさと」
っておかしくないのか? 所詮、裏切り者の末路は哀れ・・・
ってことだろ・・・
どうせ死ぬなら信繁みたいに武将として
称えられて最後を迎えるべきって言いたいと思う。 >>169
ドラマ的に?
史実的に?
いろんな本を読んで自分で想像してみるしかないね >>175
信玄の姉を母とし
正室腹の信玄・次女見性院を妻とし
甲州南部を領し家内に重きをなした
そんな穴山家が武田の名を残そうと行動したのを悪しざまだけには語れない
自分は仁科盛信贔屓だが梅雪を悪くは思わないね
秋山氏娘を養女にして家康の側室にあげて
そして生まれた子は一応は武田をなのったのだし(若死にしたが)
その後も千代田城外で浄光院が産んだ子を
後家の見性院は信松尼とともに守って居たりの行動はしている
「ただの裏切り者」だなどどいう見方は薄れていたはずなのだが
こうドラマで脚色されると再びただの裏切り者一色評価に戻ってしまった 本能寺の変の次の日に真田に明智からの書状が
国衆程度の真田に届くのはおかしいって言う人が多いんだけど
ドラマなんだからいいじゃんね
薬売りは信濃みたいな山奥には来ないとか、なんで言い切れるのさ この間の真田丸で、織田信忠が死んだの二条城って言ってたけど、合ってたのかな
信忠が死んだのは二条新御所で二条城とは別、ってどこかで読んだか聞くかした覚えがあるんだけどなぁ
あ、でも当然「新」が付かない御所があって、そっちも二条城って言うんだっけか
ってことは「新二条城」って意味では合ってるのかな
徳川慶喜が大政奉還した二条城とは、また別なんだよね、たしか
土地勘がないから全然わからん >>181
自分もそこが気になった
詳しくないけど、なんか変だな?って
NHKに聞いてみた方がいいかもしれないね ふつうに「二条新造御所」二条御所」等と呼称される場所であって、
現存の二条城とは関係ないし、城郭形態でも無いし
(発掘含めて京都の古地誌を調べてる研究者さんのブログに詳しい)
でももうメンド臭いから「もういいやー、二条城で」な気分になる
本スレでこの件を書き込んでみたけど見事にスルーされたよw
信忠がニワカに注目されてもちあげてるレスも多かったけど
城介とか従三位権中将とかの呼称にも反応ないんだもの、笑うわ
今年も本スレには歴史に詳しい人がほんとに住んでないよ >>183
早いお返事ありがとう
信長が帝の一宮様のために建てた御所だよね?
隣が近衛家のお屋敷で
だから信長は帝をないがしろにしてはいなかった証拠になる
でも面倒だから、二条城ってナレーションにしたのかな?
NHK雑過ぎるw
ここは問い合わせた方がいいかもしれないな
城介とか従三位権中将とかの呼称は自分も知らなかったよ
あなたは歴史に詳しい人なんだね
教えてくれて本当にありがとう 「三谷はさすが歴史ヲタ」とか「諱呼びを避けててすごい」とか
三谷贔屓は賞賛してるけど、実際はそんなでも無い
物語の題材や逸話創作のネタの選択を独自にしてはいるようだけど
それは単に「種々の逸話を創作にとりいれる選択」上の事でしかないんだよね
安倍龍さんの「信長燃ゆ」の小説だとまあ信長主役ってこともあり
近衛家や親王家との関係もちゃんと描いていたのだけど
テレ東の正月時代劇を眺めるとスルー省略も多々あった
そんなこんなでドラマ化って要省略・簡略が多いのは理解できるけど
「三谷は歴ヲタ」「本格大河」「歴史に忠実」と言い募ってるのは笑える ていうかさ、「安房守」は真田昌幸の自称なので、朝廷とか、敵方に呼ばれるときに使われたりしない。
なのに、織田方や家康にも「真田安房守!」って呼ばれてるのが変なんだよ。
昌幸は1580年から名乗りはじめてて、織田方は1573年以降には朝廷を掌握してるから
昌幸の嘘なんてよくわかってるのによ。
三谷って、知識が浅いから「安房守って呼ぶって知ってんだぜ−」とかいう感じて
使ってるんだろうけど、無知だから、結局間違ってるんだよな。 >>185
信長燃ゆはチラ見だったけど、信長と親王の母親とのラブストだったね
小説だともっと詳しいんだ >>188
ヒガシのドラマはもうあれは独自脚色みたいなものかと
安部さんの小説のほうが珍しく高遠城攻めから始めてて
近衛家や朝廷との関わりも掘り下げていて興味深い作品
ロマンスのほうも、新機軸として成功してると思うけどね ジェームスさんが最後に大河ドラマの脚本を手掛けた『葵 徳川三代』から15年、『真田丸』は、かつての大河とは隔世の感があるという。
「昔の言葉遣いとか立ち居振る舞い、礼儀作法を(脚本家の)三谷幸喜さんは、あまり気にしていないように感じます。ぼくなんかの時は、時代考証の先生がついて、廊下の歩き方から目配りの仕方や刀の差し方まで脚本も演出も事細かく直されました。
『とんでもございません』というせりふはあり得なくて、『とんでもないことでございます』が正しいとか、随分と叩き込まれてね。
それは大河ドラマを見ている視聴者がそういう古い『時代劇らしさ』を求めていた部分も大きかったと思うんですが、今はそういうお年寄りも少なくなったんでしょう。それに詰まるところ、何が事実かなんて、実際に見た人は誰一人いないわけですから(笑い)」
『真田丸』では確かに、武将同士が道や廊下を歩きながらしゃべったり、家来が主君に質問をするなど、ジェームスさんが言う「かつてはあり得なかった場面」がポンポンと出てくる。そういう意味で『真田丸』は、斬新な大河ドラマといえそうだ 真田幸村の赤い甲冑やろくもんの旗印が展示されている上田駅
信州上田と別所温泉を結ぶ上田電鉄の風景
https://www.youtube.com/watch?v=k13_yXNItb0
…………………… >>197
本能寺の変のあと、2年以上行方不明になっていたのは史実
その間、記憶喪失だったのかは定かでない 「上田軍記 現代語訳版」読んだ
本っ当にタイトルどおり、第一次と二次の上田合戦のことしか書いて無くてびっくり
しかも思った以上に軍記物、でも真田三代記の1/3以下の分量
読みやすかったけど「信長公記」にくらべると、ドラマの参考書としての汎用性がないなぁ
「幸村」じゃなくて、ちゃんと「信繁」になってたのはちょっと意外だった 視聴率が下がるにつれて、史実と違う攻撃がエスカレートしてくるんだよ。 >>197
越後に下って、「泣き虫・兼続」の筆おろしをしてた。 >>204
?そうなの?
今は琵琶湖の側で行方不明なのに
何故そうなる? 史実史実うるさい
ドラマなんだから文句言わずに
おとなしく観ていなさい >>206
天地人で長澤まさみがやってた「真田幸村の姉」
の話だろ >>207
面白けりゃそんな細けえこといわん
単純に三流脚本家のパロディコスプレドラマがくだらないんだよ
その理由がいろいろ考証がおかしい点に集約できる 火坂の原作小説での初音は直江の童貞を奪っちゃったけど
大河ドラマでの初音はさすがにそういう場面は無かったよね 史実史実と言う訳ではないけど
英国ドラマダウントンアビーを見ててこれからはもう日本は一流の作品が作れないだろうなと思ったわ
特に大河においては作法などは二の次とされ、現代化されてきているし
やはり時代考証の力が海外、特に英国ドラマ見てても凄いと思わざるを得ない
制作側の怠慢や妥協と視聴者の楽観的大雑把な感じがドラマ界を潰しているんだろうと思うと残念 >>177
言わんとすることはわかるけど、穴山の場合長篠の全科もあるし夫婦揃って
勝頼を四郎呼ばわりとかも絡んでの評価上で見ている人もいるから武田の家名を
どうので言うのは贔屓倒しのようにも思えるかな。
>>183
ニワカという奴もニワカじゃないがそれじゃあなたはどれくらい信忠を知ってるのだ?
そんな些細なことを引き合い出して悦に入ってるあなたもニワカにしか見えないぞ。 安房守が自称と言ってる奴がウザい
じゃ、諱呼びしたら満足かよ
ドラマなんだよ、こんちくしょうめ 安房守が自称だって
1日に何度も書くなよ
しつこい ■史実にはないと思われるシーンは?
過去の高視聴率大河ドラマにも、史実に沿っているか歌わしいシーンが存在する。いくつかあげてみよう。
(1)独眼竜政宗 1987年
小田原攻めに遅参した正宗を勝新太郎演じる秀吉が一喝するシーン。秀吉が正宗の首を杖で一叩きした後、あえて正宗に刀を渡し立ち小便をする。
政宗が遅参したのは事実だが、杖や立ち小便は史実にはない可能性が高い。しかし、この場面は勝の存在感が凄まじく、大河ドラマ史に残る名場面と言われる。
(2)徳川家康 1983年
三方ヶ原の戦いで敗北した徳川家康が命からがら浜松城に逃げ帰り、恐怖のあまり場上で脱糞し家臣に馬鹿にされるシーン。「くさやくさや」とバカにされた家康が、「これは腰につけた焼き味噌じゃい!」と一喝する。
脱糞については事実であるとする説と、創作であるとの説があり詳しいことはわかってない。家康が「腰につけた焼き味噌」と言いわけし怒ったことも事実であるかは疑わしい。
(3)江〜姫たちの戦国 2011年
「9歳の江が伊賀越えをする」「清洲会議の現場でなぜか江が盗み聞きしている」「江が遠く離れた場所を頻繁に行ったり来たりする」など、かなり史実とかけ離れていた。
視聴者から抗議が殺到したが、NHKは「これはあくまでもフィクションで、ファンタジーである」と説明。物議をかもした。
この他にも大河ドラマには史実に沿っていない創作の部分が多く、『独眼竜政宗』のようにそれが名シーンとして語りつがれることもある。
しかし、『江』のようにあまりにもかけ離れすぎていると、批判の対象になり視聴率が伸び悩む。現在のところ視聴率好調の『真田丸』だけに、創作を適度にとどめておけば視聴率も安定するだろうか。 史実と言うより地理だけど
碓井峠だけじゃなくて
北条領からなら内山峠、十国峠もある 幸村はリアルに左衛門尉だったわな。九度山いりしてる最中は
知らないが。私称にしては半端な官位だし しかし15歳で妻子持ちで 城(支店)をまかされて昔の15歳って
すげえな 何故きりは、いがまんじゅうを源次郎に食べさせようとしたのか?
信濃ならおやきでしょ? >>221
上野国の菓子だから真田郷のものとして問題ないよ ☆ 日本の核武装は早急に必須です。☆
総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、日本人の悲願である
改憲の成就が決まります。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。お願い致します。 それから私はドラマのキャラクターに対して、「〜はこんな人(史実通り)じゃありません!」と
怒っているのではなくて、「こんな〜には魅力がない。」と言っているのです。
どんなに史実からかけ離れていようと、魅力的でありさえすれば作家の勝ちなんですよ。
フィクションなんですから(うちの斉藤さんとか良い例だと思います。堂々の人気NO.2!)。
私が言っているのは、何故史実にある通りのエピソードを描けば十分魅力的な人たちを、
いちいちその逸話を書き換えてまでつまらなくするのかがわからない、という事です。
同じ作家として「なんのメリットがあってこのアレンジに?」と不思議でならなかったので、
そう書いたまでの事。 >>225
これはその通り
それこそドラマなんだし魅力的な人物になっているのならそれは大成功といえる
"きり"が魅力的だと感じる人が視聴者の中でどんだけいるのかと
他の人物でも全部そうでエピソードをひねくり回してるだけじゃ人物像も糞もない
まさに「『なんのメリットがあってこのアレンジに?』と不思議でならない」んだよ きりみたいなのは昔からドラマによく出てくるし
N○Kみたいな有名企業ほど上昇志向高いのに使えない自称サバサバ女が多い
本スレでも色んな人がいるのに女は皆きりが好きなはずと
根拠ない押し付けをしてる人いるけどこの手の女の典型的言動
女が描けない男ほどそれに騙されてこういうヒロイン出せば受けると勘違いする ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています