遠憲の上杉景勝★当家の家風★兼続の村上新悟 [無断転載禁止]©2ch.net
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
数日前米沢を見てきたが、寒くてなにもなくて悲惨だった。この盆地に桑、漆、アオソを植え、版籍を維持したのである 堺の15歳演技が話題になったが、
上杉景勝も1582年時点では26歳なんだよなw
大河ドラマにおいてはこういうことは日常茶飯事だけど慣れてるけどね NHK大河とフジテレビのドラマ両方を撮影するときの移動距離も大変だな
遠憲 エンケンさんの景勝、佇まいがハマってるんだけど、ここ一年以上ドラマを掛け持ちまくってるから少し心配。
兼続役はいい声やね。
ムラカミシンゴって聞いて少し心配になってたけど、同じ名前の別人でよかった。 兼続がぴったりなだけに気の毒だが景勝はキツい(笑)
もっさり髭が生えてるだろ 「上杉の義」が完全にただの建前だったのがちょっと面白かった 天地人の妻夫木の兼続が明るい爽やか路線だったのに対して
今回の兼続は暗めの印象を受けたのう どうしても妻夫木と比べてしまう 北村と比べてしまう どうせなら、「真田太平記」の景勝と比べてみよ。
この伊藤孝雄さんの上杉景勝は義を重んずる漢(おとこ)ぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=ZCzLg2DQgcI >>12
伊藤孝雄さんて、昔 白戸家のお母さんと濡れ場を演じた人でしょ?
こんなカッコいい景勝やってたんだ。
タンバリン昌幸に負けてない風格。現昌幸の草刈さん、若いなぁ〜〜 >>14
そうでしょ?しかし、本番後は丹波さんに「なかなかやるな、伊藤!」と
褒められ、「いやぁ、勘弁してください(照)」なんて会話があったかもね。
>>9
まあ無理もないね。魚津の城を織田(柴田勝家)勢に落とされ、助けようにも
己が絶体絶命の頃。信長が死んで、上杉は息を吹き返したんだから。 >>7
いい声の直江というと関ヶ原の細川俊之を思い出すな
「尊書つぶさに拝見、多幸。多幸」とやってくれんかな 信濃じゃ昌幸に利用されまくる上杉史の始まりの回。
川中島4万石だけだからな。まあだから佐渡まで前田慶次と
攻めていったんだが(笑) >>19
一応書いといてやるけど、景勝は信長死んだ頃には信濃ほとんど失っていたのに、
会津移封前には川中島4郡で「18万石」領有している
これは謙信時代よりはるかに多くの領土を得ている
現に海津城なんて謙信領有したことないし
実は持ちつ持たれつで真田を上杉も利用してたんだよ 勢力図を見る限り、上杉は越中方面でも魚津や富山を奪還していたみたいだな
青息吐息とはいえ、それくらいの余力はあったのか 越中は佐々成政にすぐ取り返されちゃったみたいだね
この時期の上杉は信濃は海津城近辺を維持できれば大成功って感じじゃないかな
まずは新発田を何とかするのが最優先課題みたいな気がする 景勝は、小細工が嫌いだと、はっきり描かれているな。
人に騙されても、それが、運だとわりきる度量がある。
謀略は、主君自ら練るものではないという心境になっている。 今日も兼続がイケメンボイスですた
現状キャストクレジットじゃ、氏直との並列だけど
そのうち単独になるかねえ 結構兼続のイメージどおり
妻夫木は最終的に大阪の陣で千姫を救いだした天地人主役で架空の人物は好演してたけど
直江兼続ではない 前田慶次はなんであんなに兼続になついたんだろうね。
冷血な政治家と武辺者ではないか。上杉のブランドに憧憬が
あったのか? 緊張感かな?
四十代で仲代さんとこの舞台出身なんだね…。
平さん息子と共に大河で主役やってもらいたいねぇ。 これほどの役者が埋もれてるとは・・・春日の前川さんは風林火山で
山県昌景(飫富昌景だったけど)やってた人だから覚えてたけど
この人は始めてしったわ >>31
次回上杉っぽいから、信繁と仲良くなるかな?
景勝は愛してしまったのかも知れぬw 三谷はいい人だけど駄目なヤツを描くのがホント上手いw 景勝のダメさは男から見ると分かるんだよねぇ。
実際些細なことでも中々踏み出せないんだ。
この話は後の秀吉篇で生かされるのでご一考を。 この人恐ろしく声が良いなあ・・・声優としてもやってけるやん
あとドラマの方でもそのうち主役級張るんじゃまいか、逸材すぐるw >>37
民放でこないだまでやってたぞ
ttp://www.ktv.jp/otosan/index.html >>40
兼続の方ね。
エンケンさん最近引っ張りだこだよなぁ…。 ああそっちか
4年連続大河出演だよね
来年も出るかな >>41
同じクールに4つのドラマを掛け持ちしてた事があったな
しかも全部違う毛色の役 上杉景勝様強運伝説
1.織田に滅ぼされる寸前に本能寺発生
2.徳川に滅ぼされる寸前に石田三成挙兵
謙信公のパないご加護 >>46
エンケンさんと村上さんも謙信公から御加護受けてるよな…。 早く上杉主従の美声と抑揚された芝居に触れたいわ
はよ来い日曜 民王のときから気になってたけどエンケン痩せすぎで心配になる 今の話だとまだ1585年だったけ
景勝はまだ30歳の青二才なんだがエンケンさんが渋いからこまた
兼続も信繁ほどじゃないがまだ若造のはずだがこちらも無駄に
イケメンボイスだからこれまたコマタw 高橋一生「遠藤(憲一)さんはマスコットにしたいぐらいかわいい」 景勝&兼続コンビいいわ〜
村上さんって「無名塾」の俳優だとは(笑)
これまた何かのご縁では 大坂に行く前に3話くらい上杉人質回やって欲しかったわ
源次郎・景勝・兼続ならずっと見てられるw 春日山城で景勝が座る背後に描かれている龍の墨絵とエンケンさんがそっくりで怖さ倍増 昼間のBSTBSで
平成8年の、34歳エンケンさんが
28歳緒形直人と41歳内藤剛志さんと大立ち回りやって
ドサクサで緒形の元カノ28歳有森也実を刺しちゃうというすごい2サス見てしまった
初めのほうの身代金要求電話の声で速攻犯人エンケンさんと判ってしまったw 景勝と兼続のイケボ上杉組に気を取られてたけど
信尹もイケボだということに最近気が付いた(遅いw) >>59
無名塾vs劇団四季
(景勝は無名塾をすぐにやめたけどw)
叔父上も兼続も栃木出身なんだね〜
二人のツーショットが可愛い なんとなく苦手だったエンケンさんを源次郎同様慕わしく思う日が来るとはw
ところで叔父上のツイはあったのだがインスタが見けられなかった
アカがないと見られない設定とかですか? 他スレでの書き込み。
今度も関ヶ原の前哨戦で、こういうやり取りが生まれるのだろうか。
だったら嬉しいけどな。
733 :日曜8時の名無しさん:2016/03/21(月) 20:22:21.11 ID:+8pJ5OA0
来週からしばらく上杉主従との回が続くみたいだね
室賀暗殺で思わずダークサイドに墜ちかけていたから、ホワイトな面を満喫して中和させたいところだw
ちなみに上杉主従では、1981年のTBS年始番組『関ヶ原(司馬遼太郎)』が好きなんだけど、
あとで関ヶ原の戦いに至る、直江状のシーンが大好きなんだ
それが以下のシーン(同じようにハマっている人が記載したみたいw)
84 :名乗る程の者ではござらん2011/01/17(月) 16:21:38 ID:x4vx80+7
「尊書つぶさに拝見、多幸、多幸。
太閤御死の昨今、諸候の人心おおいに変わると言えども、
我が上杉景勝、同様思し召す事おおいに迷惑」
(添水[ししおどし]の音)カッコーン!
「また先ほど来、前田利長殿へのお仕打ちには、御威光の程まことに感服つかまつる。
当家に対しても、異心無くば上洛せよとは乳呑み児への挨拶」
カッコーン!!
「景勝が不料簡か、家康殿に表裏あるかは、知る人ぞ知る・・・」
(ここで石坂浩二のナレ。“文中は痛烈な皮肉に満ち、暗に上杉は家康の野望を見抜いている、とした上で…”)
「・・・追って申し述べる。噂によれば家康殿は会津討伐に下向とか?
万端、その節に承ろう!」
カッコーン!!! (ここで直江演じる細川俊之が、“フッ…”って感じのななめ横顔を見せるんだよ)
この後で家康(森繁久弥)が怒り心頭で直江状を畳にたたきつけて、
「わしは今年60になる!(正確には数え歳で59)
この歳になるまで、このような無礼な書状、見たこともないわ!!!」
…って言うんだよ
最高の名場面だったなぁ
真田丸ではどんなシーンになるんだろ >>63
「人質」の回での沼田城を上杉に渡せ云々の時みたいに手紙をしたためる村上兼続を見たいわぁ(n'∀')η
村上兼続が好きすぎて7月発売の真田丸DVDを買うことにした スピンオフで御館の乱をやって欲しいって声があるけど
景勝も兼続も年齢的に無理がある
それに新たに景虎をはじめ上杉勢を新たに登場させなきゃいけなくなる
よってほぼ実現不可能なので天地人で我慢するしかないな 天地人の御館はまさかの親父の功績で度肝抜かれたわ
そこは兼続の大河なんだし兼続の功績で誰も文句言わんかったろうにw 今更だけど景勝と秀次って姉の子っていう共通点があるから
秀吉の秀次に対する評価の低さが景勝に対するあたりのきつさに反映されてる気がするな。
そうなると今後の秀次の悲惨さもまた怖いものになりそう 景勝って謙信に父親を殺されてるっぽい疑惑があるんで
謙信を慕っていたと見せかけて実は恨んでいた可能性もあるんだよな
謙信死後の動きが鮮やか過ぎるし、嫡男に 景 の字使わんし 上杉主従は通り過ぎただけではないか
癒しの上杉家が... >>69
息子の「定」の字は謙信以前の正当な上杉家の通字で
景勝や景虎の景は長尾家の通字なんで「上杉」としては景使ってる方がおかしい
そして景勝は自らの法名を宗心としている(かつて上杉謙信が謙信と名乗る前に名乗った法名と全く同じ) 関東の狂犬、長尾の血筋は色濃く継いでるようにしか・・ >>66
景勝初登場時26歳兼続21歳
初上洛時景勝30歳兼続25歳
もう既に無理がある
大坂の陣にあわせた配役なのはわかってるが役者もまだ20代と思っての演技はしてないよな 景勝はきちいが兼続は全然イケるんではと思う自分ガイル >>74
エンケンのあの外見で20代はもう無理だよなぁw
それ考えると兼続もバランス的に20代を演じる必要はないと思う
>>75
兼続はまだ20代でいけるよね >>74
あの景勝、まだ30歳なのに19歳の信繁を息子のように見ているからな
早く自分の子供作れよな 天地人の景勝やってた人と
今の兼続の人のコンビだったら良かったかもしれん エンケン景勝のキャラは好きだが秀吉の肖像画に似てると言われて納得してしまう
若い頃らしい景勝の肖像画は凛々しい眉と目元がかっこいいなと思う
向かい鳳凰の具足再現してくれんかな 景勝様はええかっこしいではなく本当にかっこいいところ見せて
兼続が改めて忠誠を誓うイベントがあると期待してる
秀吉に兼続スカウトされても「兼続はうちの家臣だからあげません!」みたいなのとか >>67
親父さんって、まさか高嶋@兼継父?
だとしたら、氏政に転生するだけのことはあるのかw お館様このままだと情けないオッさんだし戦場では超強いって感じにしてほしい 考証の人が景勝の書状をツイートしてるんだけどなにこの人可愛い 兼続は忙しいんだよ。
そりゃあなたがやる気出して兼続に丸投げするから。 ちなみに他の家臣からは「御屋形様が働きすぎで心配だから直江から少しは仕事休んでくださいって言ってくれ」と
書状が送られてる模様 海老名教授の意外な人気ぶり。
紙を食べたシーンがあったけど本当に食べたの? >>85
御屋形様働き者やんwていうか兼続以外の家臣にも愛されてるな
エンケン景勝は戦シーンで見栄えしそうだからそこに期待!! 頭から触覚を生やし背中に羽根を付けるエンケン景勝
永遠のライバルは岡田官兵衛 >>83
考証の人は加増の件って解釈してるけど狩野宛の書状は
景勝が狩野の重臣としての立場を考えて加増させてくれって言ってるけど、狩野がずっと断ってて
「お前には直江と同じよう内政も外交もたくさん重要な仕事を任せてるんだ、
他国からもそのように見られるであろうしせめて直江と同じくらいの給料貰ってくれんか」って意味
直江を通して言うのはどうかと思うって言うのは本来なら取り次ぎの直江を通して出された奏上文への返答だから
正式には直江を通して返答しなきゃいけないけど狩野に直江と同じくらい受け取ってくれという返答を
直江に言わせるのは直江に対して嫌味みたいになりかねないからだろうね
経営会議で上がった報告書への見解を私用メールで返したみたいなもん >>90
HPの予告動画には兼続が出てたからたぶん出るかもね スーツ姿の景勝が1日の放送を見てたようだ
源次郎が心配なのねw まあ兼続は寿命は全うしたからな。息子は病死、長女も病死で
家庭運は厳しかったようだけど。デカイから体力には
自身があったのかも。 10話ぐらいまでは頭はよくても家老としてまだ若い兼続を主君の景勝がなだめる感じだったのに
12話以降は兼続が景勝の保護者みたいになってしまってる
どうしてこうなった >>12
伊藤孝雄はこの2年前に織田信秀やってて
「のう、こわっぱ」とか「こわっぱ」を連発して
「わしの名は竹千代じゃ。よう覚えておけ」と返された。 >>96
当時子供がいなかった景勝が源次郎を息子みたいに思ってしまったからじゃないの >>98
エンケンがやってるからお父さんみたいに見えるけど景勝まだ30だろ、しかも菊姫と結婚してまだ数年
子供がいたとしてもあんなデカイ子供はいないだろ 次回は兼続が上田を訪れるようだが、景勝はもうしばらく出ないんじゃないか?
めちゃ景勝ファンなので見たいのはやまやまだが、信繁視点だともう必要性がないというか・・・
北条攻めは利家のもとで真田の父ちゃんと一緒に進軍だからもしかしたら顔見せするのかも知れんが、
もはやあの苦い茶を飲んで「わしのようになるな」と言った以上、さらに何か信繁に関わってくる必要があるのかどうか
それに関ヶ原に向けて、上杉は別に豊臣への恩顧のために立ち上がった訳でもないし、
家康の上杉征伐からの反転時、その追撃をするか否かで景勝・兼続の意見が割れたというのも完全なるフィクション
天地人で懲りたそのシーンの焼き直しを見たくないのもあり、
(三谷氏なので天地人と一緒にしては申し訳ないが、その場面やるなら広く知れ渡ったそのフィクション通りにやりそう)
それでヘタレヘタレ連呼されて、視聴者に今以上にダメな子扱いされるなら、
次の出番は大阪の陣でいいとか思ってしまう、、、暗、、、 >>99
源次郎と景勝の年齢差は10才てことはみんな知ってるだろうよ
ただ、景勝が「おぬしのような子が欲しかった」言ってるからねえ
>>100
エンケンさんがインタビューでしばらく登場しない期間があると話してるね それでもちょくちょく上洛してるから、信繁と絡ませようと思えばできそうだけどなぁ>景勝様
小田原前にも上洛してるし しょうがないわ
この景勝は酷いもん
直江がいなければダメな子
愚痴と弱音ばかりペラペラ
腐ったトマトみたいにグズグズな奴 ここから景勝はしたたかな統治者に成長するんだよ、たぶん >>103
つか本当は伏見に住んで時々領国に戻るくらいの方が正式
でも景勝は越後平定→佐渡平定→小田原征伐→奥州仕置き→名護屋城普請→朝鮮渡海→国替えと出陣が続きまくったせいで
どうしても伏見屋敷にいることが少なかった ドラマだからしょうがないけど実在した景勝への冒涜だわ
三谷が歴史好きなんて大嘘だわ 渡辺謙の上杉謙信が見たい
天と地は謙さんが演じる予定だった 僕/私の理想の景勝像じゃないから景勝に対する冒涜だ!
僕/私の歴史観に合致しないから史実無視のドラマだ! 景勝はあんなもんだったと思うよ
勝頼と違って戦国を生き延びたけど運がよかっただけだし
とくに武功エピもない
まあ無口だったという史料を無視しているのはあれだけど 上杉家の武装研究してる人は景勝が前線に出て戦ってたって逸話全然残ってないのに
残された馬上刀や甲冑は前線に出ていたらしい跡が残ってるから
上杉家にとって当主が自ら騎馬で前線に乗り込んで太刀打ちするのは特に取り上げて誇ることでもなかったんだろう
っていう結論になっていた
近衛前久は謙信宛に「謙信には珍しくないそうだけど自ら太刀打ちしたそうですね」って書状書いてるし
それで死んだら話に残っただろうけどね 司馬遼太郎の豊臣家の人々では、秀吉が五大老の刀の持ち主を当てる場面で
この長刀は馬上で戦う景勝のものだなと推察している ヘタレヘタレいうけど、自分の面子より越後の民や上杉家のことを選択した景勝様かっこいいじゃん
兼続が信繁斬り捨てようと周りの兵に命じたときも、手を上げただけで兵たちがスッと引いたし
あと景勝様が領民たちの前で笠を取ったときはみんな平服してたやん
兼続なんかジジイと子供たちに開けてもらえなかったぞ 5/9(月)20:00〜2200(BS11)
上杉謙信・直江兼続「義」と「愛」英雄たちの実像 >>111
謙信が死んで実城に移って謙信が遺した側近たちと政権を執りはじめた1〜2ヶ月後、
景虎の後継宣言があって、家中がまっぷたつの内乱状態に。
御館の乱は単なる家督争いではなく、越後中に土着した少領主たちの利害関係が複雑に絡み合ったもの。
そこへ伊達葦名北条武田が侵攻してきて、内乱は景虎の死後まで散々に長引いて、
さらに織田勢が圧倒的な兵力で押し寄せ、能登加賀越中の国衆は次々に織田に帰参。
新発田にも蜂起されて信濃方面からは滝川が侵攻してくる。
本能寺は確かにラッキーだったとしかいいようがないが、本能寺が起こるまで、
新発田&織田軍相手に2年ほど越中中部から魚津・松倉間で奮戦を続け、
本能寺後も信濃や上野、会津方面で北条や徳川、葦名軍を蹴散らしている。
景勝は20代後半でこんな状態を乗り越えた人だからね。
ちなみに兼続は、御館の乱あたりではまだ樋口姓で、執政にもなっていない、
単なる一人の上田衆だよ。
景勝の寵愛でもって直江家の婿になり、頭角を表し始めたのが、まさに真田丸の登場の頃だな。
真田丸の景勝は、口ばっかりのキャラ立てされているが、秀吉への臣従のくだりとか、
矜持をへし折られる苦痛や諦観が伝わってきて、実際あんな心情だったのかなと思わされたよ。
エンケンの佇まいもいいな。
しばらく出ないみたいだけど、丸は毎週楽しみだわ。 去年の木時「かぶき者慶次」では、景勝はしばしば台詞に名前が上るものの、一度も登場シーンがなかったたぞ
それでも、慶次に米沢に骨を埋める覚悟をさせるほど人徳のある人物だというのはよく伝わった
兼続ではこうはいかないだろう 直江はあくまでも有能な補佐役だからね
No. 1の大将が人を惹きつけて使う器のある人じゃないと成立しない
景勝って御館の乱の時に指示出してる書状とか見ても結構頭が切れると思う 人物像的には秀吉に近いのかな>景勝
頭が切れて戦も強い
違うのは側室持たないぐらいで
そうなると直江が三成ポジで狩野秀治が大谷吉継か >>121
景勝は秀吉ほどの残酷さはないし
秀吉みたいな人心掌握に長けてるタイプとは全然違う
無口無表情で怖がられてるけど信頼されて認められてるイメージ >>121
景勝は秀吉ほどの残酷さはないし
秀吉みたいな人心掌握に長けてるタイプとは全然違う
無口無表情で怖がられてるけど信頼されて認められてるイメージ 最終的に家康の上杉征伐で全国の大名達が集まり
20万の大軍勢に四方面から攻められる事態になっても他国者の藤田一人しか脱落者が出ず
上杉家は誰一人として藤田に呼応して寝替えらなかったとかいう異常事態な 劉備の人柄と曹操の切れ者っぽさと孫権の堅実さを合わせたもんか
これでなんで直江より目立たないのか不思議 養子入りしてボロッボロな状態の米沢藩を継いでしまった九代目藩主の鷹山が
兼続の政策を再評価し、その政策を参考にして藩政を立て直し、
鷹山の側近たちが兼続を顕彰する歌会を開いてたりする。
でもってその鷹山を、ケネディやクリントンが、最も尊敬する日本の政治家としてあげた。
この辺が現代での兼続の評価、メームバリューのベースになってるんじゃ?
ビジネス書とかによく出てくるよね。
実際に内政の手腕もの凄いしな。
直江専制と呼ばれるほど長期間にわたって絶大な権力を握らせて、
縦横無尽に活躍させたのは景勝だから、兼続が高く評価されるのは泉下の景勝も喜んでるだろう。
でも本当に、よく景勝は不安にならなかったな(そういう形跡がまったくない)。
不思議でならない。オーベルシュタインなら絶対許さない。 >>129
兼続も景勝の叱責受けてるけどそれが全然あと引いてないあたりそういうときの態度がよっぽどしおらしかったのかもしれない
景勝に書状出すときはちゃんと取り次ぎ通して出すくらい自分の立場をよくわきまえてるし >>132
兼続って皮肉屋だし性格悪いけど、家臣としての分は弁えてて
死ぬまでブレなかった所は評価できると思う
それを信頼して少々の過ちは根に持たず権力与え続けた景勝も器が大きい
互いの相性も良かったんだろうな >>132
>兼続も景勝の叱責受けてるけど
戦争で失敗したとかそんなん?
でも直江が戦上手じゃないのはちゃんと見抜いて
権限与えないようにしなくちゃいけないんじゃね?景勝が 兼続が景勝をコントロールしてるように見えるけど
実際は景勝が兼続をコントロールしてる
戦芝居前の二人のやり取りとかまさにそれ >>134
うんにゃ
なんか死罪になった奴を兼続が減刑のために景勝に取り成したみたいだけど逆に景勝から叱責食らってる >>135
つーか真田丸の直江は景勝の意志に絶対服従って感じだよな
本当に景勝の意志に反することはしないし言わない
>>136
ワロタ
閻魔に手紙書いた直江さんがわざわざ取り成してやるってのは
自分の派閥とか縁のある奴だったのかもな 兼続が「戦で死んだ親戚を返してくれ」という百姓を
「ではあの世に行って取り戻してまいれ」といって殺害し
閻魔大王への書状を書いたマジキチエピソードは出てくるかな >>138
まあ外道で冷酷だとは思うが
戦国時代にそんなクレーマーみたいな事言ってる奴
バッサリ斬って黙らせるべきではある 江戸時代になったら大名に直訴=内容いかんに関わらず訴えたやつは磔だから時代に先駆けたのかもしれん
まあ訴えを聞いて精査した上で加害者の落ち度認めて賠償金の支払いも申し出たのに
訴人が受けいれなかったからこれ完全に訴人に落ち度あるんだが 非を認めて賠償金払うと言ったのに受け入れずに無茶な要求してくる下人を殺した、までなら
この時代ならそれなりに筋は通した話って程度だと思う
その後に閻魔大王に手紙書いた皮肉がブラック過ぎてインパクト強くなってるんだな >>138
こういうエピソードって後世の創作じゃないの? 後世の創作でも、まったく根拠がなくいい加減なものと、史実を背景に何らかの意味があるものが、
閻魔大王への手紙の件は、どうも後者みたいだね。
この逸話は「北越太平記」「武辺咄聞書」「常山紀談」「煙霞綺譚」と多数の軍記や逸話集に出て来て、
それぞれ兼続が斬らせた者が二名だったり三名だったり、名前が違ったり、事件発生の日付が違ったりする。
最も古い「武辺咄聞書」では、この事件は、越後から会津へ国替えのとき、と記していて、
兼続がこの訴えた者たちを斬ったあとは、「国中一言も申す者なかりし也」と結ばれているとか。
つまり、会津転封にあたって抵抗した勢力を兼続が処断して、
その後は国中の騒動がおさまった、という史実を投影しているのではないかと研究者などに論じられている。
転封にあたっては豊臣家から厳しい指示があって、兼続は十七条に及ぶ条書を家臣に出している。
その中には、荷物の輸送のための人足を徴発する際に、
「もし百姓がわがままを言って従わなければ成敗するように」という文言もある。
為政者として苛烈な処断をせざるを得ず、上杉家のために泥をかぶった兼続の一面を表す逸話ではないかな。
村上さんが役作りにあたってこの逸話を参考にしたというインタビューがあったと思うけど、
なるほどね、だからああいう兼続になるわけだと納得したよ。 火のないところに煙は立たないって言うしね
直江状も写ししかなくてそれぞれがバラバラだけど、あの兼続なら書いてもおかしくないなと思わせる性格だったんだろう そうかな
忠臣蔵の吉良みたいなケースもあるし
歴史は勝者のつくるものだし
ドラマや文学は面白いところをつなぎ合わせればいいけどさ
たまにこういう逸話レベルを史実だと思い込んでいる人いるよね 先発の軍記もので有名になった話が後発の軍記に収録されるとかよくある話
国替えの時、故郷に残りたい武士階級は刀を捨てて帰農するしかなかったから
息子は会津に行ったけど残った老父は自決とかもあるからな
これは景勝や兼続の方針ではなく秀吉に命じられたことだから仕方ないんだけど 兼続のセリフの中だけじゃなく動いてる御屋形様が見たい
きっと源次郎のこと心配してるはずw 兼たん愛されてるな
単独スレは大盛況だよ
御屋形様は関ヶ原前後にリーダーシップを発揮して輝いてほしい 俺は上杉主従は景勝の方が好きだけど景勝のクライマックスは大坂の陣になるみたいだから気楽に見てるよ
天地人は鴫野今福の戦いろくに描かなかったから真田丸には期待してる 上杉不足の禁断症状が出たので「人質」と「大坂」を見なおしたw
「妙手」も残しておけば良かった... 景勝の衣装が上品でカッコイイけど、渋すぎるせいで若く見えないんだよね
実直な性格をあの衣装で表しているんだろうと思うが 本物の景勝の趣味も割りと渋めでシック、黒とか紺がお好きっぽい
ただし先代様が華やかできらびやかで繊細なのがお好みだったのでおさがりのものはえらい派手 150人が同時に成敗されるとしたら、すごく凄惨な光景だな
栗田 国時は大河に出てくるかな?
栗田 国時(くりた くにとき、生年不詳 - 慶長5年(1600年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。上杉氏の家臣。栗田寛久の弟。
栗田氏は元々信濃国北部の国人で、上田原の戦いのときは村上義清に従って武田信玄と戦っている。しかし武田氏の勢力が北信濃に及ぶと国時は越後国へ逃れて上杉謙信・景勝に仕えた。景勝の会津移封に伴い、信夫郡大森城主となり8,300石を与えられた。
しかし、慶長5年(1600年)に徳川家康が上杉景勝討伐へ出陣した際、国時は景勝を見限る藤田信吉と共謀し家康と内通するが露見、共に出奔した。大森城の南東・信夫郡伏拝(現在の福島市伏拝)の国境で一行150人余と共に追っ手によって殺害された。
だが藤田ら250人余は脱出に成功し上杉景勝謀反を家康に訴えた。 栗田国時は実際には上杉征伐後も普通に上杉家に仕えてて直江に庄内情勢の報告してるから
出るとしたら藤田の方だろう
藤田の出奔と家康への讒言は直江状にも出てくるし
景勝の「この滅亡を不満に思うものは上杉家から去れ」という書状とも状況があう 御館の乱で当初不利に→討ち死にの覚悟は出来てるから戦うぞ
織田が攻めてきて滅亡寸前に→死んでも名誉だから喜んで戦うぞ
家康が上杉征伐→滅亡覚悟で戦うぞ
景勝ブレないw
しかも苦難に遭いつつギリギリの所で生き延びる悪運もブレないのであった 真田丸の上杉は秀吉に義とか感じてなさそうだから、
家康への降伏とかはむしろ上杉家第一の兼続が主張するのかもな しかし運もあるが景勝と勝頼の違いよ
御舘の乱で景虎北条方についていればひょっとすると生き延びていたかも知れないのに >>157
すいません
庄内情勢を直江に報告していたのは、志駄 義秀(しだ よしひで、永禄3年(1560年) - 寛永9年8月16日(1632年9月29日))
ではないでしょうか?
与板衆筆頭として直江兼続の配下に置かれる。文禄4年(1595年)、兼続の下で庄内経営に関与し、庄内金山の奉行や大宝寺城代などに就いている。慶長3年(1598年)、上杉家の会津転封時に従い、
東禅寺城(現酒田市)将となり5100石を知行した。
同年、兼続の朝日軍道開削に尽力している。
慶長5年(1600年)、慶長出羽合戦においては東禅寺城で最上義光を牽制。攻め寄せる池田盛周らを破り最上領まで侵入するも西軍敗退の報を受け撤退する。
しかし翌慶長6年(1601年)、先年の合戦で戦場に取り残されたまま最上氏に降っていた尾浦城主の下吉忠に先導された最上義康軍に再び攻められ、
防戦するも敵わず開城して米沢に撤退した。
戦後は高野山に蟄居を命じられている。
慶長8年(1603年)、上杉家に帰参し、荒砥城代となって1000石を知行。慶長12年(1607年)、江戸幕府の指示によって一時再蟄居するも、慶長16年(1611年)には再帰参を果たし侍大将となった。
慶長19年(1614年)にかけての大坂の陣に出陣している。元和8年(1622年)諸司代・奉行郡代を歴任し、間もなく政務奉行(国家老)に就任する。同年には改易された最上家の仕置きに奉行している。
元和9年(1623年)、景勝死後は跡を継いだ上杉定勝に引き続き仕え、翌元和10年(1624年)、定勝の婚儀を取り仕切った。
寛永9年(1632年)、死去。家督は次男の義繁が継いだ。また、子の秀富は上泉秀綱の婿養子となって剣豪上泉家を継ぎ、上泉主水秀富を名乗った 志駄は与板衆(元々直江家の家臣)で栗田は信濃衆(信濃の国人衆のうち越後に逃げて上杉家の家臣化した連中)な。
直江兼続は与板衆の主君であると同時に上杉家の執政であり上杉軍の副将なので与板衆筆頭の志駄はそもそも直江の腹心。
で、景勝(上杉軍本軍総大将)と直江(上杉軍別動隊総大将)にはあっちこっちの上杉方の城から情勢報告が飛んで来てる訳で
志駄しか直江に報告あげてないとでも思ってるのか? >>162
すいません 栗田の息子が上杉家の家臣ではないので・・・・
栗田って成敗された説はデマなんでしょうか? 少なくとも上杉征伐前に出奔した藤田と同時期に殺されたとしたら
9月あたりに栗田刑部から話を聞くとかいってるのと辻褄あわん
栗田家が上杉から出奔して内通者として殺害され子供がかろうじて生き残ったのが事実とするなら
関ヶ原の西軍敗戦聞いてから状況の悪さを考え出奔しようとして討たれたのが
以前に出奔した藤田の事件と混同して記録されたと考えた方が辻褄あう 上杉春日城の部屋って何パターン出てきたかな?
墨絵の龍の広間、景勝の居間、兼続の執務室くらい?
龍の広間って畳敷きの時と板の間の時とあるよね。戦中は畳外すのかな。 >>167
景勝が手を合わせてた仏間とか
龍の墨絵の前に座る遠藤景勝が怖いよ
あの城の部屋は全て薄暗い >>167
畳敷きの龍の広間は大広間だったけど、板敷きの龍の広間は狭かったから客のランクに合わせて使い分けてると推測。
政治家じゃないけど第1応接室〜第5応接室くらいまであるんじゃないかw
真田の裏切り発覚後信繁が上杉に行った時に通されたのはたぶん最低ランクの部屋だと思う。 ぼんやりと冬は畳敷きの部屋で夏は板敷きって部屋を模様替えしてるのかと思った >>168
上杉家は薄暗いけど、静謐な雰囲気を醸し出してるよね。すごく好き。
そう言えば源次郎と三十郎が待たされた部屋もあったな。 春日山城は標高200M未満の山が長尾三代で完全に城塞されたからね
夏は割合涼しく、冬は雪深くいい土地柄だったから、謙信公も
お酒が進んだろうね。本丸(跡)から見える日本海がまた綺麗。 景勝が作った上杉軍は、行軍してる時でも足音しか聞こえないような静謐な軍だったらしいからね。
実は謙信の時代の上杉軍でもここまでではなかった。
景勝のキャラクターの反映なんだろうね。 >>173
信繁が戦芝居のお願いに行った時、取り囲んだ兵が
景勝の手の一振りで一斉にひいた場面もすごくかっこ良かったね。
お屋形様の威光が徹底されてる感じ。 >>173
数々の逸話を聞くたびによっぽど怖かったんだなぁと思う
大坂の陣の時に景勝が来たら上杉の兵士達が慌てて敵の方へ逃げて行っただの
定員オーバーした舟見て景勝が鞭を一振りしたらみんな我先にと水の中に飛び込んだだの
この怖がられっぷりは一体景勝何してたんだとw >>175
エンケンが部下の前で一言も喋らなかったら確かに怖い >>176
そういや最初の方にエンケン景勝が出てきた時は怖そうだったな >>175
人質回で直江が景勝の悪口を言った役人を「斬り捨てますか?」って言ったとき、本気で脅えてたね。
たぶん直江以外の家臣にとってあれは言葉通りの意味なんだろうけど、直江とお屋形様の間では定番のジョーク
みたいなものなんじゃないか?って意見がtwitterに載っててなるほどと思った。現代の男子高校生が仲間内で
ふざけて「お前殺すぞ」みたいな言い方するときあるよね? ちょうどあんな感じで。人見知りで鬱屈しがちな
お屋形様のガス抜きとして直江とああいうやり取りを日常的にしてるんじゃないかって。 龍の広間で景勝と対面したら絶対ビビるw
そんな怖いエンケン景勝も源次郎には弱い エンケン景勝の座る龍の大広間のセットが風林火山のGACKT謙信の大広間セットと同じなのが
同じ春日山城ですって連作っぽくて面白い
天地人には龍の大広間あったんだろうか 御屋形様と源次郎はこの先会えそうで会えないみたいな状態が続くのかなあ
何度か上洛してくるし忍城攻めにも来るんだけど
源次郎は秀吉三成茶々の側にいるし上杉は堤作ってて城攻め参加しないし 御屋形様は源次郎を返して!という秀吉宛ての書状を直江に書かせているところかも >>175
景勝は敵対した相手に容赦なかったからな。
主筋の上杉憲政を幼い甥もろとも粛清しているし、
裏切った家臣も容赦なく粛清している。
謙信相手に2度も裏切った本庄繁長が景勝に対してだけは1度も裏切ってないw >>183
真田丸の景勝は、真田に関して甘々だから全然そんな雰囲気ないなw
直江も殿のいう事にはしぶしぶながら従うし >>183
でも北条高広は何故か帰参して厩橋城将続けてるっていう
基本的には景勝は忠実な家臣は幕府に背いてでも守ろうとするけど
たとえ上杉のためであったとしても命令に背いたことしたら処罰
そこに情状酌量は挟まないって傾向に見える
罪を犯した家臣を処断したけどその葬式に自分でやって来て
「罪に対する罰と、それまでの長年の貢献に対する感謝は別」って言って懇ろに弔った話は景勝らしいと思う >>184
春日磔も景勝は痛ましく思いながらも反対はしてない
理想を求めながらも現実に「上杉家のために必要なこと」はちゃんと判断できてる殿様
真田に無理難題吹っ掛けてどこまで本気か試す案出したのも景勝だし 次に上杉が出るのはいつだろう
御屋形様ロスが思ったより深刻 実は御屋形様ってお人好しなふりして直江のことを家老として鍛えてるんじゃないかなあ
直江が現段階でどこまで出来るか、冷静な判断ができるかを試して、間違いだと思ったら修正させてあげているのかも 丸のオープニング映像を見て、景勝地米子大瀑布の上に城があると勘違いしている人が続出というニュース
「景勝地」を「かげかつ」と読んでしまった私は御屋形様好きを拗らせているのかも知れないw >>175
そのエピソード聞くと史実の景勝は実際に怖かったんだろうなと思うけど、真田丸の景勝は
「動物のお医者さん」のチョビとか「少年アシベ」のスガオ君を連想してしまう。
本当は人なつっこかったり人見知りでおとなしい性格なのに顔が強面というだけで変に
誤解されてしまうみたいな。 繁長は何人目かの子が兼続の猶子になってた気がするな。
大宝寺領のっとりとか色々、景勝側(上田衆)には恩があるから
((謙信の)栃尾勢と揚北衆が折り合いが悪かっただけかも) >>1
暗黒街のボスたちも震え上がるという殺し屋鉄心とはお前のことか?! 謙信の三条長尾家は越後守護上杉被官の守護代家(母の虎御前は古志長尾出身)で
景勝の上田長尾家は関東管領山内上杉被官の魚沼郡代官(母の綾姫は上条上杉の血を引いてる)
本庄氏は越後守護上杉にも反抗してるから出自が問題ではなさそうな気もする
景勝期も揚北衆の筆頭扱いは色部の方だったような気もするが...
単に繁長と景勝の波長があっただけじゃないかね 血染めの感状
今日はじめて知った
血染めの感状(ちぞめのかんじょう)は、上杉謙信が永禄4年(1561年)の第四次川中島の戦いにおいて、軍功のあった配下武将に与えた感状の通称。
感状そのものが血に染まっていたという意味ではなく、一族や郎党など多くの近親者を失いながらも忠孝を尽くし、彼らの流した血によってもたらされた感状であるということからこう呼ばれた。
この感状が与えられたのは、色部勝長、安田長秀[1]、中条藤資、垂水源二郎(荒川長実)、本多右近允、松本忠繁、岡田但馬の7人で、うち、色部、安田、中条、垂水は揚北衆であり、彼らに宛てられた4通が現存している。 御館の乱で、芦名や伊達の兵が来たと書かれていたけど、どれくらい活躍したんでしょうね? ttp://stat.profile.ameba.jp/profile_images/20120221/08/6e/ab/j/o034102411329780792587.jpg >>199
なんぞこれ
画像検索では兼続しかヒットしない村上さんだが
某SNSでは大空港2013や踊る大捜査線の画像も拝めてありがたい 葦名も伊達も揚北衆に追い出されたからね
でも景勝はこいつらよりも北条軍の方が圧倒的に脅威として見てたね
よく考えたら天正壬午の乱の頃の上杉は新発田佐々伊達葦名北条徳川と地獄の敵対関係だったのを
あっちこっち直江が調略掛けながら新発田は色部が本庄が新発田兼最上対応しつつ
景勝は北信濃と越中と新潟をひたすら駆け回って戦線押し広げてたんだから
どう見てもめっちゃ健闘してるのでなんでそんな自己評価低そうなのか 戦場で駆け回るエンケン景勝様が見たいが無理っぽいな >>202
> 葦名も伊達も揚北衆に追い出されたからね
> でも景勝はこいつらよりも北条軍の方が圧倒的に脅威として見てたね
>
> よく考えたら天正壬午の乱の頃の上杉は新発田佐々伊達葦名北条徳川と地獄の敵対関係だったのを
> あっちこっち直江が調略掛けながら新発田は色部が本庄が新発田兼最上対応しつつ
> 景勝は北信濃と越中と新潟をひたすら駆け回って戦線押し広げてたんだから
> どう見てもめっちゃ健闘してるのでなんでそんな自己評価低そうなのか
御館の乱で景勝が生き残ったのは異常。
もっと評価されるべき。
謙信とタイプ違うが同レベルの猛将であるのは間違いない。
謙信のように天才的ではないが実に粘り強い戦いをする常勝将軍。 芦名は景勝方と認識された揚北の城を襲って撃退されてるね
雷城だった気がする。政宗が会津黒川城を攻略した時も
越後に踏み込んで撃退されてたりする 兼続さんは愛の兜被ってるシーンあったがドンパチはしなかったからなあ
景勝といい役者は良いの揃えてるんだから殺陣シーンとかやらんのかな 葦名は雷城や北蒲原の安田城を攻めて来たね。新発田兄弟が頑張った。
それにしても謙信の存在でかろうじて保たれていた均衡が一挙に崩壊して、
家臣団は大分裂、周辺大名が続々と介入して越後全域で大争乱だもんなー。
一時は春日山城も完全に包囲されて。
景勝はそこから自力で包囲網を打開して、勝頼との和睦仲介が成ったのはすでに状況を好転させてから。
凄い。
乱を通して謙信の行政機構や経済力を掌握して、巧みな外交で周辺大名と新たな関係を築いて、
新発田との遺恨が残ったとはいえ、反景勝の家臣団をほぼ一掃。
当時はのちの兼続のような全権を任せられる執政もいない状況で、
謙信が遺してくれた重臣たちを軍事、外交それぞれの局面に配して乗り切ってるんだから。
まあドラマ面白いしあの御屋形様も好きなんだが、可愛いすぎてなw 可愛い景勝様も戦になったら上杉の血が騒いで戦闘スイッチ入りそうなんだよね うん、エンケンの景勝でそういう場面が一度は見たいね
小田原、関ヶ原はどうなるかちょっと微妙だけど、大坂の陣には期待してる 米沢藩の侍組は揚北衆と北信濃衆ばかりなんだよな。
謙信の時代の本流だった中越、上越の連中がかなり御館の乱で消え去ったことがわかる。 景勝役がエンケンと聞いて、誰が可愛い景勝と想像しただろうか エンケンさんならノリノリでももいろゴタイローをやってくれそう >>210
ざーっと謙信時代の家臣団名簿とその跡継ぎ達の景勝時代における足跡考えたけど
意外と御館の乱が直接の原因で消えた奴そんなに多くない
でかいのが越中戦線の貧窮で河田と鰺坂が脱落、重臣達が越中に救援に入ってはどんどん魚津城に追い詰められたあたり
それと伏見普請の時に重臣がけっこう景勝の怒りをかって追放されてる(何か不明だが不満を訴えたらしい)
あとは一門衆がこぞって景勝と対立してしまったあたりか
謙信旗本の直江、山吉は継子がいなくなったルート、斎藤は会津移封に付いていかず一旦武士やめちゃったので脱落
そんな中で安定の千坂景親(謙信親衛隊長からの景勝江戸家老) 直江、山吉は本流中の本流だからなあ。
直江はともかく、山吉に養子持って来なかったのはなんでだろう? 若年とはいえ山吉家の少年当主が景勝に忠勤してたからなあ
新発田、五十公野を三条から下げたのもおそらくこの山吉氏を御館の乱での功績から
本来の三条城代に戻すつもりだったからだと思うが
ただ、三条城は水害で堀氏の時代にもう壊れ始めてたくらいだしな...
ただまあ当主死亡時に継子が15歳に満たないと領地召し上げ(15歳に達した後再度召し抱えてその後の働きにより加増)の家法は
ガチ運用(景勝自身も適応された)だから当主がどんどん若年死した山吉は運が悪かったとしか
直江家なんかは河田長親が死んで古志衆の統率者がいなくなった最悪のタイミングで直江当主の急死が起きたから
景勝が家法適応回避に慌てて兼続を婿にいれた緊急回避だからな >>215
慶次「うそつけー、自分も思ってるだろ?ん?」
お船「そういうくちをきくと士官させませんよ?」
いや、慶次ってむしろ御屋形様にあこがれすぎて
何か戯言云う奴がいたらたたっ切る方かw 直江というとほとんどの人が兼続のほうを想像しちゃうけど、お船の父親と前夫もいるんだよな。
「武田信玄」で柴田恭兵演ずる謙信に仕えていたのはお船の父親に当たるのかな?
「風林火山」で西岡徳馬がやってたのはどっちだったっけ? 会津にいくときに帰農した連中も多かったですし。兼続が
越後を奪還するためにゲリラ用においていった(まあ下の方の
家臣の話だが)とも。 >>212 幻の名曲「愛、デカデカと」をこの2人で是非 ストーリーブックによると、明日天皇の聚楽第行幸の場面があるね。
行幸には大名もたくさん拝謁したと思うけど、上杉出ないかな。 どうだろうね。
上杉主従が上洛するのは天正十六年五月で、四月の聚楽第行幸時にはまだ春日山にいるからなー。
それにしても、場合によっては大坂の陣までモブ化してしまうのでは?と危惧していたが、
さすがに小田原攻めとか出るみたいだね。
よかったよかった。 史実的には聚楽第行幸には上杉主従は参加してないから無理だろう
瓜売にも大茶会にも吉野の花見にも参加してなかったパーティーに縁の薄い上杉 >>222,223
そうなんですか、お詳しいですね。
上杉って大大名なのに、なんで呼んでもらえないんだろう。
大阪の、あの誰も信じられないようなメンバー見てると、ホント上杉主従が恋しい。 せっかく2回目の上洛しに来るのに丸々飛ばされちゃうんだなー
三谷は上杉に恨みでもあるのか まあ信繁に関わりない場面だからしょうがないねえ。
北野大茶会の時は新発田攻めのクライマックスで五十公野城を攻略中。
瓜売りの時は(秀吉は肥前名護屋)伏見城普請に4千人の動員を命じられて工事とその手直し中。
総指揮の兼続が過労とストレスでぶっ倒れる。御屋形様が心配しまくる。
醍醐の花見の時は会津転封が命じられた直後で移動中。家中てんやわんやで花見どころじゃねー状態。
なんかもう働きまくりでお労しいな、上杉主従w 芦名と伊達の回答ありがとうございます。
太平洋戦争の時代まで広げてみると、南雲とかの先祖も関係してきますね
南雲氏って、どこの出身なんでしょうね?
真珠湾攻撃の 指揮官の南雲も上杉旧家臣ですね
山形県米沢市信夫町出身。旧米沢藩御扶持方[1](中士階級)南雲周蔵、志んの次男として生まれる
上杉の旧家臣で、教科書にも出てくる有名な一族は甘粕ですね。
甘粕正彦 直江の弟の大国実頼は、徳川が嫌いだったのは何ででしょうね?
天地人の中では親豊臣という感じで描かれていましたが・・・・・・・・・
極度の徳川嫌いに描かれていましたね >>218
お船の父→直江実綱(景綱)
お船の最初の夫→直江信綱
直江実綱が謙信の父の代から謙信の死ぬ前年まで仕えて信頼されてたからこその直江の家名であって
実綱以前の直江家はそれほど名家ではない
という訳で謙信時代にいる直江は99%直江実綱
三郎景虎も謙信に書状出すときは実綱に取り次ぎお願いしなきゃいけなかったし
景勝も謙信から「実綱の事よく聞くんだよ」とか送られてるし
室がいなかった謙信は実綱の妻に奥向きを任せてたし景勝の「直江」への扱いは明らかに謙信に倣っている >>227
見たいな、ぶっ倒れる直江。
ギリギリまで弱音も吐かず、相変わらず無表情で精力的に働いてたのに、突然ぶっ倒れて周りが仰天する図。 実綱もあれだよね。もしかしたらお船にリアルに跡を継がせようと
したのかも。江戸260年が挟まって実によくわからないのだけど
晩年になって慌てて信綱を旦那にした気がしないでもない >>231
ああ見えて以外に病弱でたびたび寝込んでたらしい
子供たちも早死してるしな 病弱っつーか単に過労なんでは
直江家継いで万事取次になってからもうずっとくそ忙しいじゃん
上杉家は他の家なら家老達が分担してやる仕事も一門に任せるような仕事も全部景勝と兼続に集まってくるから
調べれば調べるほど同時進行であれもやってるこれもやってるって湧いて出てくる 伏見城惣構堀普請のときも春日山城の修築指揮と同時進行だもんなあ
ちょっと前にやっと半年に及ぶ朝鮮滞陣から帰国したばっかりだっつーのに 景勝は何でも自分でやらなきゃ気が済まない人で
そんな御屋形様を放っておけなくて頑張る直江なのか >>237
子供の頃からのハードモードな状況を耐えぬいて70近くまで生きてるしな
よほどストレス耐性が強かったとしか思えない >>238
喜平次幼少につき代わりに上田衆率いて戦ってた子供の頃からの筆頭家老に
若干24歳で「お前達、戦で全然前に出てこないと聞いたんだが。お前達には期待していたのに本当にがっかりした。
皆が子供のようだと笑っているぞ」とか書いてる景勝な
戦さ場で銃の音が鳴りまくってる中でも平気で寝れる人だったというから戦陣暮らしに慣れすぎではないか 米沢減封を言い渡されるとき、罰を与えられる側なのにやたらと堂々としてて
家康の方が気を使って衝立をして民衆から見られないようにした
って逸話が本当なんじゃないかと思えるような人格 大坂がブラック過ぎて辛い源次郎が上杉の人質時代は楽しかったな〜と思い出す
新しいエピを捻じ込んで欲しいw 源次郎もお屋形様呼びしてすっかり上杉家中の人みたいになってたしね。
ほのぼの上杉人質時代は良かった。
そう言えば、お屋形様呼びは、上杉と武田だけ?北条はどうだったか。
徳川は殿呼びだよね。 >>243
「屋形」っていうのは朝廷からの免許制で守護大名および強力な守護代にだけ与えられる称号
武田や上杉(守護代ではあるが事実上国主格だった長尾家)は織田信長の台頭以前からの武家の名門だから屋形号を許可されている
屋形号を持つ大名相手に殿って呼び掛けるのはちょっと失礼
徳川家は上記の条件に入らないので御屋形さまの尊称は使わない
室町式の呼び方だから江戸時代くらいになると「殿様の古い言い方」みたいな扱いになるが
上杉家のような安土桃山以前からの名門家は「うちは古くからの名家だぞ」って感じであえて「御屋形さま」の称号を使っていたという
つまり御屋形さま呼びはうちは名家なんですってアピール
北条家もお屋形さま使っていいと思うがその根拠になる朝廷からの屋形号許可貰ってたかどうかは勉強不足につき知らないなあ >>244
すごい!お屋形呼称がそんな格のあるものとは!
甲信越地方のお国言葉と思ってた私はアホだ。
勉強になりました。ありがとうございます。
でもそれを知ると、秀吉ごときに頭を下げねばならぬお屋形様の苦渋が一層分かって、ますますおいたわしい。 出羽の豪族大宝寺義氏は弱体化していた家中をまとめ、のちの庄内地方を
支配して戦国大名化し、天下人信長から屋形号を許された。しかし戦続きで
人心が離れ、悪屋形と呼ばれた。 兼続の初登場時、景勝に向かって「殿!」って1〜2回呼んでたような? 次回からは「お屋形様」になったけど。
「調略」回で昌幸が北条氏直に「お屋形様」、氏政には「ご隠居様」と呼びかけてた。そのとき初めて氏直が北条家の現当主なのか!って
びっくりした。氏直はまだ20歳を過ぎたばかりで信繁や信幸とそれほど歳も違わないし、氏政だって40代半ばくらいだよね。隠居するには早すぎないか? >>244
北条は御本城様じゃなかったっけ
今川氏は御屋形様OKだったけど
>>249
人生50年はあれだけど
早めに家督継がせて隠居身分で後見して育てるのは割と行われてたような
そして実権握ってて相模守やってたから
首をとられることになるんだよな
氏政… >兼続の初登場時、景勝に向かって「殿!」って1〜2回呼んでたような?
堺雅人さんと時代考証の人との雑誌の対談で上記の件は間違いだったと話してたよ >>250
信長のところも家督は信秀に譲ってたし、早くから後継者をはっきりさせないと
内紛必至だしなあ
その例は言うまでもなく… >>250
北条家は屋形号を与える事が出来る古川公方や関東八屋形と揉めてるからなぁ
とはいえ最終的には古川公方が北条家の傀儡と化した時期あるからそのあたりで許可貰ったと言われたら反論不可能である
御本城様は当時よくある「貴人を名指ししないために住んでる場所で呼ぶ」形式の尊称だね
幕府からの許可制称号である屋形号とはちょっと種類が違って上杉家における「御実城様」と同類 >>252
信長公も信忠を後継者決めてても
殆ど当時死亡の本能寺とか殆ど有り得ないこともあるしね
>>253
そうそう「御実城様」と同じ「御本城様」
北条は当主が右京大夫で隠居して相模守としていたようだから
何にしても氏政は御隠居様兼相模守で秀吉の攻撃は防げないんだわな
ドラマでは御屋形様呼びが後北条氏では微妙な辺りも踏まえて
「御隠居様」呼びに統一したのかな
景勝公も実城に入って当主宣言されて
御舘の乱は本当に大変な事だったよな
よく生き延びたもんだ アニメの「タッチ」で主人公兄弟の苗字が上杉だったんだけど、今まで「上杉」姓の人に
会ったことないから違和感があったな。「前田」あたりはたくさんいそうだけど。 >>255
おこうさんの中の人の旦那さんの名前は上杉祥三さんですなw >>256
そういえばそうだったね。
大坂上洛のとき、景勝・兼続の正装姿はきれいだったね。景勝が黒で兼続がグレーで
おそろいのコーディネートっぽい感じで。同じ直垂・烏帽子姿でも昌幸は息子の結婚式で
久しぶりに着慣れないスーツを着た田舎のオッサンみたいな雰囲気を醸し出してたけど
兼続はびしっと着こなしててさすがだった。むしろ景勝よりも着慣れてる感出してたw 烏帽子の紐は2年前に官兵衛が使ってたのと同じだった
御屋形様の直垂は官兵衛か長政が着たのと同じかな?
白〜紫のグラデーションカラーの紐がさりげなく主従お揃いだったね
2年前の宇喜多直家の衣装が今年の秀忠の衣装と同じだとか、ちょくちょく使い回しが出てくる >>258
昔の衣装をよく覚えてるね。凄い!
景勝の陣羽織がエンケンさんに似合ってるんだよね
模様入りの黒い生地で背中に上杉の家紋が入っていて襟に龍の刺繍入っている
客間の墨絵といい景勝は龍が好きだったのかな >>259
先代が越後の龍ですからw
御屋形様の羽織は黒地に龍刺繍の襟がシックで本当に素敵
決して華美ではないけど上質かつ上品な衣装をお召しですよね
叩き上げの成金低教養支配者ではこうはできますまぁい 今頃は、仲直りした領民たちの献上したアサリにでも舌鼓を打って
天下泰平を満喫しているのかな >>262
兼続「き、利いた風な口を聞くな(ふるえ声)」 いやいや、働いてるからw
今度の日曜日が名胡桃城の件なんだろ。
それなら、景勝・兼続主従は佐渡平定が終わって、お祝いの連歌会を開いていたら、
伊達政宗が会津に侵攻しやがって、そのせいで砦をつくったり城を修復したりして、
一度はご出陣までして、さっきやっとこさ城に戻ったところだから。 お祝いごとで連歌会とな
現代社会だと何に相当するのかな >>265
カラオケじゃね?きっと、
銀山来た!佐渡銀山来た!これで猿に勝つる!
と、主従で大喜び どうでもいいけど佐渡は金山じゃ? 銀山は石見のほうで。
当時佐渡まで行くの大変だったろうな。現在でも新潟からジェットフォイルで40分
くらいかかるし、天候が少しでも悪いと欠航になるし。 >>266
連歌会がカラオケだとすると、(島津が朝鮮でやってた)蹴鞠はサッカーかフットサル、
鷹狩りはゴルフ、囲碁・将棋はゲーム?
「天地人」では上杉家の宴の席で幸若舞を舞って拍手喝采される影虎の後で「それでは景勝殿
にも何か披露して頂こうか」と家臣に振られて、「お断りいたします」と一言で拒否してその場を
凍らせる場面があったw >>267
金はまだないっす。江戸に幕府が出来てからみつかったっす
景勝殿が佐渡の黄金を手にしていたら、徳川如き、、、(妄想中) 連歌ってリレー小説みたいなもんだろ
しかも限られた音数で、気の利いた言葉も入れながらで
カラオケどころじゃないめちゃくちゃ頭使う遊びだろ
大名になるって大変だよな
戦やりつつ、政治もやって、ラップや大喜利みたいなことも求められる
出来ないと教養がないとか田舎者とか言われるし、選ばれし者なんだろうな 「豊臣家の人々」では、秀吉は細川幽斎に和歌の添削という名の代筆をしてもらっていた
「大納言」を「大なんご」と書く秀吉が教養や血筋で諸大名を圧倒するのは天地が返っても無理だから、
権力と金で威圧するしかなかったのだな
鼻の下を伸ばしてブックハントに勤しむ兼続の顔@朝鮮が見てみたいw
よく三成にチクられなかったな
同類のよしみで見逃してもらったかw 連歌会って情報収集の一環でもあると聞いた
人気連歌師はあちこちの大名の城に呼ばれる情報通だから
連歌会を催すついでに連歌師から他所の大名の内情など諸々の情報をを仕入れていたとか >>271
景勝様だと興味ないことだとキッパリ断りそうだからなー
刀眺めてるのが至福の時なんだろうね 直江は連歌会出まくってるよな
好きだったのもあるんだろうけど、例の直江状の宛先も連歌会繋がりの坊さんだし 頑に漢文でしか参加しないこだわりがおもしろい
漢詩なし和歌だけの会には顔を出さなかったらしい >>271
どっちかというと、前の歌の熱気を引き継いで盛り上げを冷まさず、
それでいて流れを断ち切って突出してはいけず、全員で「うた」を楽しむ、という意味でのカラオケ、だよ
蹴鞠がサッカー(フットサルの方が余興向き?)、鷹狩がゴルフっていうのは上手いと思った。だいたいそれらと同じ意味 >>276
連歌会で漢文でしか参加しないって、カラオケに行っても洋楽しか歌わない、演歌とかJポップ
しか入ってない店は絶対拒否、みたいなタイプかw 漢文と和文交互に読んでいく形式の連歌会もあったみたいだから
そういうのを選んで出てたんだろ
漢詩得意だし >>278
なんか厨二病くさいなw
高二病の方が近いか >>278 >>281 兼続ひとりだけが漢文で通してたわけじゃないけどね
カラオケにしろリレー小説にしろ、英語で参加してたようなかんじなんだろうか
織女惜別や逢恋なんて作品もあるから厨二病よりは高二病に近いのかw
あと作品中、酒がほとんどでてこないんだとさ ほうほう
中国の著名な酒飲みオッサン達の漢詩にはあまり心を動かされなかったのかな
艶やかな恋愛歌を詠むなどして、そこらの武辺者と一緒にしてもらっては困りまする!と拘りがあったのか
ますます高二のかほりがするな 上洛時、勧修寺晴豊に茶会に招かれた上杉一行は、茶会後の宴席で
大酒をくらって酔いつぶれてしまい、
以後、景勝がなんど茶会に招いても、晴豊さんは体調不良を理由に
来てくれなくなってしまったw
そして、その顛末を晴豊さん日記に書かれてしまったw >>285
うん、良いエピソードだw体育会系だね上杉w さてはサロンで酒のネタはバツが悪くて披露できなかったんだなw >>289
「酒と言えば、そういや勧修寺さんとこの茶会で…」
「なになに、越後の殿様がまたやらかしましたかw」 無口な御屋形様が酔っぱらうとどうなるか気になるw
同席するのは恐ろしいので隣の部屋から覗いてみたい >>285
「酔いつぶれた」ってどんな状態だったんだろう。寝ちゃったとかならいいけど、
リバースしちゃったとか大暴れしたとかじゃないことを願う。
人質回で昌幸が「景勝はわしと違って義に篤い男だから源ニ郎も学ぶことも多かろう」って
言ってたけど、さんざん騙したり裏切ったわりに一応尊敬はしてるのね。てっきり「バカ正直で
利用しやすいボンボンw」だとなめてるのかと思ってた。現に北条氏直のことはさんざんバカに
してたし。案外昌幸にとって上杉(及び景勝)は自分に甘い親みたいな感覚なのかも。 潰れたのはお屋形様一人だけだったのか、兼続もか、または他の随行まで全部まとめて
「うわぁ...」状態だったのか
それが問題だw 上杉家の面々が大酒飲んで大騒ぎして帰った後体調不良を理由に勧修寺さんが断ってたら
菊姫様からお詫びの品とおぼしき魚50匹が贈られてるのがいとおかし
景勝様の嫁は信玄公の娘御ってちらっとでも触れてくれないかな 当時の酒ってアルコール度数かなり低かったはず
それで潰れるって弱いのね
普段、無骨な上杉軍が酔いつぶれる姿を想像すると面白いな >>293
景勝「わはは!我こそは、天下の大管領、上杉景勝である!
皆の者、望みを言え、何でも叶えてくれよう!」
晴豊「さ、宰相殿、どどどうか落ち着いてくりゃれ」
景勝「これはこれは晴豊どの。ようござった!望みは関白か?太政大臣がよろしいか?」
晴豊「ひいい、山城殿、山城殿、お助け下され」
兼続「お任せくだされ」
晴豊「ほっ‥」
兼続「聚楽第攻略の支度、整い申しました。まずは憎き昌幸、次いで猿めを討ちまする」
晴豊「ぎゃあああ」
景勝「大儀。ものども続け!関白殿と一騎打ちにて雌雄を決する!」
越後の皆さん「うおおおお!!」 >>296
勧修寺さんが気の毒すぎるw
しかし、御屋形様が狩野秀治宛ての書状で「そこもとの家は狭いから(一緒に飲んでも)つまらん」と
おっしゃっていたのが意味わからなかったのだが、そーか、走り回れないからか >>297
解釈としては
(秀治も一緒に)昨日は大酒飲んだけどあなたの家は狭いから(今頃は)つまらない思いをしてるでしょう
って意味にも取れるから単に周りにいっぱい人が付いてくるのが当たり前の生活を送ってきた景勝としては
下働きなんかのいない小さな庵の秀治邸は寂しい家って認識なだけかもしれない >>296 すごく...一緒に飲みたくないです...www
でも知り合いの知り合いぐらいの距離にそんな集団がいたら最高、何かと理由をつけて訪問するわw 真田丸の景勝様は、すでに金沢まできて三成に接待受けてるのに
ふらふらと外に出て、今ならまだ帰れるとか言い出す困った酔払いだったけどな 兼続はひとりクイクイ飲んでたね、彼なりにつらくて酒に逃げようとしてたのか
三成ときりで介抱したのかw >>292
景勝が御館の乱で絶望的な状況を見事に生き延びた事を昌幸はリアルタイムにみているはずだからな。
武人なら景勝を軽んじることはないだろうね。
ボンボンの氏政、氏直とは違うわ。 勝頼や景勝に比べるとイージーモードな出発だからボンボンな印象が拭えないのかな>氏政
でも北条の政治システムは全国随一の近代的なものだったし、版図も拡げてるのに
景勝と同じく先代が偉大すぎて割くってるイメージだよ
北条も好きだから滅亡の回は寂しくなるだろうな 氏政はちゃんとした嫡男だからな。
継承権自体があやふやだった勝頼、景勝とは随分違う。
ただ、北条の統治システムは大したものだった。
小田原合戦の時、八王子城では、住民が率先して集まって来て兵力になろうとした。
それを氏照夫人が、主人は民を巻き込むなと厳命したので頼むから帰ってくれと涙ながらに訴えたらしい。 結局鉢形城で城兵助命したのを秀吉に脅しつけられて
八王子城は殲滅戦になったからいない方がよかったな
おかげでそのあとの支城戦は忍城以外ろくに抵抗せず陥落だっけか
前田方が正面から攻めあぐねてて北条方が必死に防戦してたのを
上杉方が最も攻めにくいはずだった山頂の北側から奇襲かけて突入した結果城内総崩れになったというから
真田は何をしてたのかな >>282 愛宕権現だか愛染明王だか知らんが
神仏かかげて戦にいどむあたりは高二より厨二かも
謙信にならって作ったキャラ付けだったのかもしれないけど 神仏を表す兜の前立ては謙信以来、上杉家では基本中の基本つーか圧倒的に多いらしい。
そしてあの「愛」の兜は、兼続が自身で製作させたものではないと考えられている。
愛宕権現(もしくは愛染明王)を表す「愛」の字と銀の瑞雲からなる仕様は、
上杉家当主の着用品にふさわしい格式をもつ兜であり、
かつ、その仕様から、兜の製作年代は、兼続が執政として活躍しだす天正10年よりも前、
永禄の後年か元亀の頃と見込まれている。
また、謙信と景勝の他の兜にみられる仕様が混在して見られていることから、
謙信(もしくは景勝の父親の政景)が製作し、それを景勝が引き継ぎ、
さらに景勝から兼続に下賜されたものと考えられている。
・・・と本(「上杉謙信・景勝と家中の武装」宮帯出版刊行)に出ていた。 >>312
あの兜を景勝もかぶってたてこと?
なんか見たいような見たくないようなw 降三世明王の降とか不動明王の不だったら、平成の世でここまで話題にはならなかったかな かぶってたかどうかは不明
ただ、上杉兜はちょっと独特の造りがあって、当主と重臣クラスにだけ見られる仕様があるから
功ある家臣に下賜する用で作ってても不思議ではないと思う
謙信〜景勝の兜ってわりとたくさんあるからな
ちなみに景勝のものとして有名な卍付き兜も謙信がまだ十代の景勝のために作ってあげた物 上杉博物館の図録を見てると、
謙信って本当にいろんな物を景勝のために作ってあげたり贈ったりしてたんだなぁと微笑ましくなるな 特大漢字ドリルとかな
よく戦場であんなでかいドリル作ったなと思うわ 謙信は景虎を後継者に想定してたみたいだけど、景勝も溺愛してたみたいだね。
他の養子に関してはドラマには名前すら出てこないけど。
ちなみに地元では「越乃景虎」「謙信」は日本酒として有名。景勝のほうは一応あるけど
ほとんど知られてない。ちなみに今検索したら兼続もあったけどこの2つはたぶん
大河(「天地人」)後に便乗して作られたっぽい。 >>320
あきらかに>>285は酒で失敗してるエピソードだからなw
正則とか酒あっても美味しそうじゃなさそうだしな >>322
多分知らないんだろう
影虎(北条)を後継者とかいってしまう訳だから いまどき謙信が景虎を後継者に想定してたって言う人もまだいるんだね
少なくとも景虎ひとりに後継させるつもりだったとか言う研究者ってもう誰も居ないんじゃないの?
郷土史家とか三流小説家崩れならともかく でも天地人での描かれ方といい、歴史読本とかPHPとかのレベルだとしかたないのか・・・
なんか残念だ 実甥の景勝が冷遇されててイケメン三郎が寵愛されてた方がドラマ作りやすいってのは分かるがね
ただ俺が三郎景虎後継説はありえねーって思った一番でかい要因は
謙信が最期を迎える時まで願った討伐対象が北条氏政だったと知った時だな
北条絶対倒すマンと化してた謙信がなんで北条の子に上杉の家督やるんじゃ
最悪でも氏政倒して三郎に北条家の家督継承させる程度だろって思った >>320
書き込み読み返してみたら嫌味な言い方してしまっててスマンかった
天地人の前、ネットで景勝のすごいネガキャン張られてて、
そのときよく槍玉にあがるのが、後継問題だったので、つい
不愉快な思いをさせたら申し訳ない
真田丸の景勝はあんなに優しい性格で、どうみても謙信に溺愛されて育ってるよなw >>327
真田丸の景勝は、真っ直ぐで影の部分が見えないよな
謙信に大事に育てられたのはわかるけど、実の父親は怪死してるし
あの頃の上杉って謙信死ぬ→御舘の乱→(家臣半分いなくなる)→魚津落城→新発田の乱と
もっと擦れてもいいレベルの状態なのにいい人すぎる 丸の景勝は御館の乱を乗り越えたからこそあんなええかっこしいな性格になったのかもしれない
やったことは景虎殺して家臣粛清だし、そんな自分も上杉も嫌になってせめてこれからは義に生きようと決めたんじゃないかなあ >>329
ええかっこしいは義ではないw
鉄火偽証の話を見てええかっこしいをやめたって話は
米沢移封なのに本当に家臣全員連れてったって逸話みたいな
優しくて有言実行な景勝の原点みたいな話だったな >>328
前田慶次と景勝の逸話とか見ると、
そういう人生イベントへのありきたりの対処だけで形成される性格ではないんじゃないかな
きっと御屋形様はそれらの苦難に当家の家風で臨んだのだろうw 謙信公の甥っ子愛と直江の御屋形様愛、つまり景勝溺愛が当家の家風だ 幕府「各大名は領内のキリシタンを探しだして処刑せよ」
景勝「当領内ではキリシタンは一人も御座無く候」
↑幕府の出した禁令の立て札は置いておくが処罰どころか取り締まりすらしない そもそもキリシタンって九州とか畿内とか関西が圧倒的に多くて、関東以北特に東北まで
いたイメージってないんだけど実際はどうだったの? キリシタン大名もだいたいその辺だよね。 >>334
蒲生氏郷が会津に広めようとしたらしい。 偉大な謙信に対するコンプレックスが半端ないのが遠藤景勝
だから、名君じゃなく真田丸みたいな八方美人の景勝は嫌いじゃない
秀吉の圧迫面接と利休の苦い茶を飲んで完全に屈しちゃうところがまた人間臭くていい 5話で弱った織田を討つのを断った時は、上杉の義を建前にして強かに立ち回るタイプかと思ってた
いい人に見えて結構腹黒いかもとか
実態はすぐ安請け合いしちゃうええかっこしいだったとはw
小田原攻めで再登場した時の御屋形様がどうなってるか楽しみであり不安でもある ええかっこしいだから「なりませぬ!なりませぬ!」が付いてるわけで
世の中上手く出来てるよなw しかし鉄壁のなりませぬ!で守り抜いてきた御屋形様も源次郎によって攻め落とされたのだった >>338 兼続が「ど〜〜か、お察しくだされ」て言ったのその時だっけ ただ意外に兼続の「なりませぬ!」を聞くか聞かないかは冷静に判断してるよな 1話で顔見せ登場の時、だれか景勝に謁見してなかった?
あれ誰だろう 景勝の性格は景勝自身の性質を謙信は決して否定せず改めさせようとも思わず溺愛して育てたんだろうなと感じる
成長過程で価値観の根元から否定されて育ったらもっと捻くれてるだろう
それでもちゃんと判断力があるから養父ほど上手くやれてない自分を認識できるから自己評価は低い、という感じがする
氏直は父親に対してコンプレックスと引け目と甘えが入り交じってるからあんまり父親に肯定されてきてない感じ 真田丸では出てこないけどドラマ内で御館の乱と景虎について景勝と兼続が言及する場面があったらいいな。
義理とはいえ一応兄弟だったんだし、それなりに交流もあったんだろうから。
小男でブサイクと称される景勝が関東一の美少年と言われた景虎をどう思っていたのかも知りたい。 小男でブサイク、関東一の美少年も史実かどうかわからないだろ
少なくとも景勝は小男ではなかったようだ
実際に景勝が着用した鎧を調べた歴史家は景勝は平均より小さいとは思えないとしてる 御館の乱といえば、真田丸の時代考証の黒田氏、平山氏、丸島氏ともに景勝後継者説を支持してるんだな 景勝初登場時のナレも「謙信の後継者として〜」と言ってたな >>346
謙信がアレな人だったから敗れた景虎を美少年設定にしたんじゃないかな >>346
単に直江の背が高かったから小男に見えただけだったのでは
丸だと御屋形様の方が背が高いけどw >>350
確かにそうかもな
景虎美少年説は江戸時代の軍記物からで景勝ブサイク説は近年の小説からでいいのかな 大阪冬の陣では、景勝と、哀川翔が戦う場面があると思う >>346
小男ってのは上杉家の家伝にすら書かれてるからまあ大きくは無かったんじゃ?
小男だが顔立ちは立派、眼光が鋭く、言葉は少ないが戦場であげる声は物凄く響いたという
ただ為景、謙信、政景、仙洞院といった近親者達の肖像画からいくと景勝もどちらかというと細面だと思うんだが >>353
為景の肖像画残ってるのか?
両親の肖像画は研究者も同時代資料として価値が高いとしてたから
眼光鋭かったんなら母親似の細面かな
今福・鴫野の戦いには安田、水原たちも登場すると期待していいんだろうか 1話で出てきたたくさんの家臣たちどこへ行ったし
しかもこの時兼続いないし 謙信の母親の名前は虎御前だったっけ? あまりのインパクトに覚えてる。
景勝・景虎って二つ並べると響きも字面もいいし本当の兄弟っぽくて、もし謙信の急死さえなければ
御館の乱もなく二人で仲良く上杉家を守っていけたのかなと想像してしまう。
> ああ、為景の肖像はどっかで見た記憶はあるんだが綺麗だったから史料価値ない後世作だったかも
上田長尾の夫婦像は穏やかそうな政景と気の強そうな仙洞院だったが
母親似だったら謙信としてもますます甥っ子を我が子のように思ったかもしれん
幼児期から可愛がっていたようだし >>356
北近江に虎御前山というのがあるよ
元は長尾山といったらしい
謙信とは何の縁もないが、この名前の偶然はすごいなと思った 政景なんか甲冑きて船から突き落とされて殺されたと
云われるくらいだから、あんまり謙信側近には信用されて
なかったろうね、その息子の景勝なんかはその残党からすれば
やんぬるかなって感じでは? 政景を謙信が殺したなんて軍記物の話だろうが
謙信の側近といえば、謙信の晩年の側近たちはそのまま初期景勝政権中枢に移行してる
反景勝陣営に入ったのは謙信の初期の側近たちが多い
特に古志長尾は自分たちが謙信を擁立したと自負してただろうから、面白くはなかったろうだろうね
謙信が事実上古志長尾を解体させるような仕置をしたのは、その辺も予想していたのかもな 景勝様が再登場するのは多分再来週かな
氏直君みたいに性格変わってたりするんだろうか
でも個人的にはうるうるチワワ目はそのままでいてほしい 思うに氏直君は甲冑着ちゃうとDQNモードに入るタイプじゃまいだろうか・・・
バイクに乗ると性格が変わる人のように(推測) 若い氏直くんは、自分より年上の家臣団になめられないように
頑張って偉大なご隠居様の物真似をしてるんだぞ、健気だろ
ご隠居様の前では借りてきた猫みたいになるけどな そういえば景勝は甲冑姿で出てたっけ?
次に登場するとしたらそういう場面だよね >>364
第8回の戦芝居の時が甲冑姿
兜は被ってなかったけど 第1話では春日山城に家臣がたくさんいたのに(その時は直江はいない)
その後はみーんないなくなって直江だけになっちゃったのは
大勢の家臣が魚津城で討死したからじゃね?とツイで言われてた
http://i.imgur.com/gB7RgHS.jpg 氏直くんはバカ親父の犠牲になった悲劇のプリンスというのが今まで自分が描いてたイメージだった
丸のキレる若者、氏直くんは斬新だったわ
丸の氏政、氏直のキャラは三谷の創作だが、考証の丸島氏によれば考証側のイメージともピッタリだったらしい >>365
録画消してるからネットで探してみる!
兜かぶったのも見てみたいね 三成とサシで酒飲んだらわかり合えそう
景勝様的には印象良くないかもだが >>366
魚津城で側近、重臣がたくさん亡くなったのは事実だけど
あの時の会議は魚津城をどうするか会議だったと思うんだが
結局助け出すために景勝は魚津城の目の前まで行ったけど
景勝本軍と魚津城将足してもまだ数倍いる織田軍の包囲を切り崩す術がなく攻めあぐねてるうちに
春日山城が信濃方面から攻め込まれそうになって魚津城を見捨てて(助けられないから降伏しなさいという書状は送ったが)
景勝は春日山城に戻らざるをえなかった
しかし魚津城将が全滅した前日に本能寺の変が起きていた
たった一日対陣を延ばせていれば彼らを助け出せていた
というわけであの時点で春日山城にいることが出来た家臣たちは死んでないと思うんだがなあ 信濃、真田関係で出るはずって確信してた須田さえ存在が抹消されてるからなあ 今は直江に斬り捨てられそうになった代官しかいないのかw >>373
確かに一人しかいないのに出来ない約束ばっかされたら愚痴も言いたくなる罠 景勝様は人嫌いでそばに誰かがいると落ち着かないから基本一人、という設定なんだと思ってた。
自分がそういうタイプだから。逆に一人だと寂しくて誰でもいいから傍にいてほしいってタイプの人も
いて、(真田丸だと)徳川家康とか豊臣秀吉とかがそれっぽく見える。 御屋形様の「任せとけ↑ぇ!」の言い方かわいくて好き
でももう聞けなくなっちゃうんだろうな >>377 直江が春日山城内でドタドタ足音たてて歩くのは
「これからお側に参りますよ、心の準備はよろしいですか」という合図だったのか ドタドタしてたっけ?
せわしなく動くから忙しそうだとは思ったが
北条征伐は御館の乱がなければ新当主になった景勝の一番最初の仕事だったはずだから
結局ここまで延び延びになってたかと思うと感慨深い
...というか乱が無くても就任いきなり大遠征だったのかと思うとハードモードすぎ 近年の大河に出てきた景勝は全員揃ってタイプが違うから見比べると面白い
利まつの里見浩太朗は大物オーラ出しまくり、
天地人の北村一輝は病弱な優柔不断キャラ、
エンケンカッコつけのかわいい奴 さっき図書館から「密謀」を借りてきたんだけど、兼続が御館の乱と景虎について内心を
吐露してる場面があるんだけど、すごい上から目線なのに笑った。白皙偉丈夫で明朗な
貴公子である景虎より、土臭くて小男で風采のあがらない無口な景勝のほうが
この越後にはふさわしいとか。ただ冒頭で兼続自身も「言語明晰で美貌の若者」という
描写があるので、正直同じイケメンで利発な景虎が気に食わなかっただけなんじゃ…と
勘ぐってしまった。 利休屋敷の包囲はやるんだろうか
苦い茶飲まされたお返しも兼ねて景勝自ら包囲してほしい 上の方にも出てるけど、景虎美少年説は江戸時代後期の軍記物「関八州古戦録」での創作が元になってる。
まったく信憑性がない話。
でもやっぱりドラマや小説としては面白いせいか、いまだに大概の小説でイケメン設定だね。
対比的に不細工にされる景勝様w
お気の毒なw
でも大河では里見さんとか北村さんとか、割と端正なお顔立ちの役者さんがやってくれてるね。
エンケンも怖いけどかわいいし。 北条征伐で御屋形様が出るの楽しみにしてる
甲冑&兜が見たいぜ >>356
景虎もチワワみたいな目してそう
氏政の弟なのは置いておいて >>386
twitterに載ってたけどエンケンも若い頃はかなりの美青年だった。やや目つきが鋭すぎるけどw
史実の景勝は当時の平均身長よりやや高かったから小男とは言えないって意見もあるけど、兼続や
信幸みたいに当時ですら(数としては少ないとはいえ)180〜190cmの武将がいたってことは160cm代や
170cm代もそれなりにいたってことで、その反面秀吉みたいに140cm代の人がいた上での平均身長だとすると
やっぱり相対的に見ればあまり大きいとは言えなかったような気がする。 >>383
「不識庵謙信の影」の与六もなかなか上から目線だぞw
野生の猿と戯れるのが癒しタイムだった気弱な喜平次を
御館の乱を率いるリーダーにすべく尻をを叩く役回りだからな
主のために尽くす姿勢は揺らがないのが与六らしいところ >>389
戦国時代は現代に次いで平均身長が高かったらしいよ 個人的には景勝主役の大河見てみたいなあ
わりと大河にしやすそうな人物だと思うんだけど >>391
おあむ物語を読むと、兄様がよく狩猟をしているので、かなりお肉を食べていたみたいだね。 >>393
もがみん兼続とは因縁あるけど景勝は山形攻め出てないから出さなくてもよくね?
大阪の陣から帰ったのち最上家改易の始末に来て遠く故郷越後を眺めて
米沢に戻って息子の元服見届け、俺の葬式は絶対に質素に行えと厳命して息を引き取る史実ルートで 景勝主役を出汁に、本庄繁長とか水原親憲とか新発田重家とか、とにかく渋くて怖い揚北衆が見たい!
三谷幸喜みたいな、主役サイドだけじゃなくてマイナーなオッサンまで味のある書き方してくれる脚本家で。 本庄繁長がまともに出てきた大河って今までないよね。
物凄くもったいないわ。
天地人とかあり得んくらいのクソドラマだよな。 十五里ヶ原の戦いで、首実験中に突然襲われたのを兜で防いで返り討ちにして、
相手の獲物の正宗を分捕ったシーンとかみたいよなw >>398
かっこよすぎてゾクゾクするw
景勝は個人的に繁長のこと大好きだったんじゃないかと思ってる
死後は八幡神に由来する「武人八幡」の称号を与えてるしな
関ヶ原の翌年、存亡の危機に際して、徳川との和議のために景勝が送り出したのも繁長だった してるよ。
一息入れてた謙信を突然義信が奇襲してピンチに陥ったときに繁長が駆けつけて義信勢を追い散らした。 鬼小島弥太郎は御館の乱までには隠居してましたっけ?
途中ですっかり消える印象ですが、景綱より若いイメージだし このドラマの当時だと、本庄繁長、齊藤朝信、甘糟近江守、島津忠直あたりが川中島の生き残りだね。
つうか、結構なメンツが生き残ってるよなw 直江と2人だけの上杉じゃなく若い景勝をベテラン勢が支えるって感じも見てみたかったかも
丸の景勝様だと世代違いそうに見えないがw >>402
鬼小島弥太郎はエピソードがいっぱいあるけど、実在したかどうか不明だよ
「御太刀之次第」(第四次川中島の5年前)「軍役帳」(謙信死去3年前)「名字尽」(謙信死去前年)、
いずれの家臣団名簿にも名前がない
伝承では第四次川中島の時に深手を負って、長野県飯山地方の鬼が峰というところで
謙信の無事を祈りながら割腹したという話があるらしい
直江景綱は、脳内では昔から何故か白髪まじりの総髪で今より十歳ぐらい若い近藤正臣がイメージだったが、
本多正信に上書きされてしまったw
風林火山のときの西岡徳馬もけっこう良かったな
謙信の死の前年に亡くなってしまったが、景勝はまだ顕景の頃から親しくしていただろうね >>401
どうもありがとう
繁長って信玄とも謙信とも戦ってるのね。まさに百戦錬磨だな
革籠原で徳川四天王との対決を見たかった気もするな 繁長は北方方面の抑えだから革籠原決戦が実現していたとしても参戦しないのでは? 丸の景勝様はまかり間違えれば偽善者キャラと叩かれそうなのに許されてる不思議 来週は出演者の一覧にエンケンさんの名前があった!小田原征伐の回らしい。 来週から武田信玄再放送に長尾景虎、直江実綱登場!上杉ファン勢 出会え~ >>411
来週かー楽しみー
カッコイイ景勝様を見られると思うとワクワクw フル甲冑姿で「毘沙門天の名に懸けて成敗してくれる!」ってやってくれないかな 御館の乱
信長来寇
関ケ原
滅亡必至の情勢に3回も出会いながら生き延びた景勝はリアルに凄いわ。 キャラがぶれてないか不安
苦い茶を飲んだ以上、秀吉の命に従うのにグダグダ言って欲しくないし、
これからこそ従来の寡黙沈毅なイメージに近い人になってほしい
でもまぁ、思うようにはならんのだろうな 謙信の氏政大嫌い具合もよく知ってて関東衆から散々上杉さん助けて言われながらも
越後統一に苦労して助けを出せずに来た状況なんだから
猿の命令での討伐なのは気にくわないけど今まで散々関東の大名苦しめてきたの北条だから(民ではない)
氏政討伐されて当然だよねくらいに思っておいてほしい
死に方は生きざまを写す鏡ですよ BSおわた。
板部岡江雪斎といい今回の大河は脇を固める布陣に
スポットが当たってて良い
景勝と兼続コンビの再登場まだかのう >>418
来週でるよ!公式の予告に画像アップされてるよ。 またおいしくない酒を飲まされるのかおいたわしやお屋形様(´・ω・`) 兼続と幸村しか重臣が居ない景勝公お寂しかろう(笑) 信繁との再会シーンあるのかな?
局面の展開早そうだし、そんな余裕はなさげな予感
しかし利家はまだ出んのか?
北陸軍の総指揮誰がとる設定になるんだ
松井田や鉢形城はまるっとスルーかよ
そして八王子城・・・まさか上杉だけに惨劇の汚れ役なすり付ける流れじゃねーだろーな 鉢形や八王子は戦シーン無しで忍城じゃね
フォトギャラリー見る限り
信繁は秀吉本陣詰めみたいだし >>424
ああ、そうなんだ
本スレの書き込みざっと見ただけだから知らんかった
公式見てくるわ 直江は三十路突入したせいか以前と違って貫禄がついてきた感あるけど御屋形様変わらねえw フォトギャラリー見てきた
なんや家康の隣に景勝が座って三成のプレゼン受けとるやんw
北条攻めの前にいったん聚楽第に立ち寄るルートなのね
やっぱりドラマは楽しくていいな
北陸軍の進軍行程はスルーで
忍城はあとから三成が乗りこんでくる設定になるんだな
昌幸父子との酒盛りシーン、また微妙な表情してるな >>426
御屋形様もあれで三十代半ばだからな
変わったらヤバいw >>427
鉢形で助命したら秀吉に怒られて八王子で撫で切りになったのでめげてるのかもしれない
もしくは父親と兄の方か...源次郎の方が会いたかったなぁ... お世辞にも義とは呼べない戦にげんなりしておられるのかお屋形様
源次郎もすっかり秀吉と三成に取り込まれちゃってるし >>428
初登場時から変わってないんですがそれは >>430
つ 御館の乱
つ 佐渡攻め
つ 庄内切り取り 昨夜すごく面白かった
関ヶ原前の上杉家の動向も、挟撃説でいくにせよ、上杉独自の理由があっての路線でいくにせよ
ああいう濃いドラマを見せてくれたらどんなにいいか
史実と考えられる後者だったら、今までそんなドラマなかっただけに画期的なことだ 初登場25歳→北条征伐時35歳
まあ変わらなくても許容範囲...か?
関ヶ原(45歳)まで変わらないのもあり得るかもしれない
大阪の陣(59歳〜60歳)ではさすがに白髪混じりになるだろうが 初登場は25歳の若造だったのかぁエンケンさんの素敵な貫禄たるやww
まあ全体的に年齢が高めだから違和感無しということにしないと、直江に切り捨てられる 直江だって初登場は22くらいだろ?w
中の人がトークで最後は55歳くらいまで演じるから演じ方を考えないといけない、
というようなことを言ってたし 丸の御屋形様は本当は充分大名としての能力も資質ものあるのに自分でそれに気づいてない感じがする
なんであんな自己評価低いんだろうなあ
もっと自信を持ってくれていいのに あれはあれで良いんでは?兼続が権力奮うスペースをつくり
なんだかんだ幸村との水魚の交わりを維持するためにも 景勝は決して愚鈍じゃなくちゃんと情勢を見る目を持っていて
やらなければいけないこと、やるべきことが分かっているからこそ
やりたい方向と実現できることのギャップに苦しんでるんだよなあ
先代が豪腕過ぎてそこが理想としてのし掛かってきている
上杉は義に生きなければならない軛がなければもっと自分から動くだろうけど、軛があるから慕わしい殿だ
でも、景勝の心理を理解すると兼続が何を助けてるかも分かるんじゃないかね 奪うじゃなく、奮うか
丸はどちらかというと景勝のセコム
天地人の過熱具ならわかるけど >>444
ジジイ老眼鏡買う金もないのかよw
景勝こんなトマトの腐ったようなグズグズ言い訳弱音吐きまくり軟弱ヘタレにされちゃってかわいそw
天地人は華やかでよかったな〜 天地人よりクソなキャラなのに
クソを美味い美味いと涙目で食ってる天地人アンチもかわいそ〜 >>444
セコムって喜んで言ってる奴の気が知れないねw
兼続いなけりゃ防御もできないヘタレカスと笑われてるんですけど? >>443
せめて昌幸パッパの半分ぐらい適当な性格だったらいろいろ苦しまずに済んだのにね、景勝様
でもだからこそ慕わしいんだよね 景勝があまりにも無能でヘタレだからこんなのがトップじゃ上杉滅ぶよね
優秀な兼続がおもりしててくれるから上杉は滅びずにすんだんだよね
セコムってそういう意味だよ
うれしい?
まーその兼続も真田にいいようにあしらわれて真田上げの踏み台でしかないけどw
真田丸のせいで景勝は無能でヘタレなグズのイメージが定着するね
うれしい? 景勝様は1度、ばばさまにカウンセリングをしてもらったほうが、いいと思う。
「思い道理にいかぬのが、この世の常」なのだから。 >>450
えっ?
口だけのその場しのぎの姑息なええかっこしいの愚痴ばっかりの出来損ないが
? 天地人は子役時代は聡明で心優しい殿だったが周りは全部アホだったなお大人時代は
名胡桃城事件から小田原征伐の間で上洛して説明会受けて帰国して軍収集して出陣ってどんだけ地獄の呼び出しだよ
越後雪に埋まってるんじゃ >>453
家康「雪で埋まってても動けるじゃないか上洛して説明しろや」 雪の進軍氷を踏んで
どれが河やら道さえしれず
馬は斃れる捨ててもおけず
ここは何処ぞ皆敵の国
ままよ大胆一服やれば
頼み少なや煙草が二本
どうせ生かして還さぬ積もり
どうせ生きては還らぬ積もり >>454
真田と一緒に北条征伐で源次郎と再会できるかと思ったのに
来たのは嘘吐き昌幸と信幸だったでござる(´・ω・`) >>453
陸路は雪で埋まってるから海路だな
冬の日本海は大荒れだし地獄だな >>457
源次郎は馬廻衆にいなきゃいけないので仕方ない
でも親子3人揃わせても良かったのに >>457
公式写真の最初の、大名集めて三成プレゼンの場面、ひな壇の端の方に源次郎いるよね。
だから再会するんじゃない? >>460
いるね
生き別れた親子が逢えそうで逢えないのをハラハラしながら見守る気分だw >>457
意外と信幸お兄ちゃんのことは気に入りそうだし
昌幸パッパともタイプは正反対だけど「世の中思い通りにいかない」同士で気が合いそう
さて問題は直江だ 今までの二人上杉と違って人が多いが御屋形様の人見知りが心配 >>458
この時は人質として上洛する菊姫と一緒だからダイジョーブ
奥さんは慶長伏見地震の時、梁を支えて女中を救出したというトンデモ逸話の持ち主
おかげで上杉屋敷は一人の死者も出さなかったという >>401
謙信に奇襲する程の器量持ちを
廃嫡して死に追いやる信玄公ハンパねっす >>464
船が傾きそうになっても力づくで立て直す菊姫を想像してワロタ 菊姫は甲斐の国のお姫様だから船には慣れてないのでは...
直江津まで雪を掻き分け辿り着いたら大荒れの日本海航海とか酷いな >>463
上洛時の無口無表情な景勝様再びか
信幸「あの…どうかされましたか?」
兼続「御屋形様はああいうお方でござる」 御屋形様の撮影状況を知るためにエンケンさんのtwitterをたまにチェックするも
その度に顔のアップに驚かされる自分がいるw 慶長出羽合戦のときってなんで景勝自ら出陣しなかったんだろ
直江の戦下手ぶりは景勝もわかってただろうし、直江に留守番させて景勝自ら戦えばよかったのに
そうすりゃ長谷堂城落とせただろうに 直江が山形に出陣したときはまだ家康が戻ってくるかもとか結城秀康が残ってるとか
政宗の動きに警戒したりとかで上杉軍の殆どは会津に残ってたよ
直江が山形に連れていったのは浪人衆だから
あくまで景勝は家康と戦うつもりで最上攻めは本命じゃなかった >>472
関ヶ原付近の上杉は何がやりたかったのかよくわからないなあ
家康に喧嘩売った割には最上攻めたり >>473
戦乱の長期化を見越しての、自家の勢力拡大じゃね?
九州の黒田や瀬戸内での毛利みたく
最上を潰して半ば飛び地の庄内を完全掌握、堀家から越後を奪還すれば、大上杉東北北陸帝国の誕生だ 最上攻めは最上、伊達に圧力かけるためのものじゃないの
まさか天下の態勢が、あんなにあっけなく決まってしまうとは思わなかったんでしょう
景勝、直江は会津移封で上方の情報に疎かったせいで、完全に読み間違いした 関が原がたった1日で決着するなんて当事者も予想外だったんだから
上杉が予想できなくても仕方がない
完全に計算狂った感じではあるけど 関ヶ原は上杉から喧嘩を売ったんじゃないよ
全然戦争する気ないのに徳川から喧嘩を吹っ掛けられて、徹底抗戦の準備をしてたら西軍が決起した
上杉主従は最初から最後まで何が起きてるのかわかってなかっただろうね 個人的に直江状より御屋形様が家康に送ったとされる書状メインでやってほしいなあ
内容は似たようなものらしいけど、家康が書状から景勝様の掲げる上杉の義を感じ取って
それに応える形で上杉征伐に踏み切るみたいな 庄内が上杉本領と飛び地状態になってること忘れてる奴がおるな。
割拠状態になったら最上潰して飛び地状況を解消するのは必須だろ。
それ故の最上攻めだよ。
そしてそれ以外とは出来るだけ戦線を拡大しない。
だから伊達に奪われた白石の奪回もしない。
それがわかってるから伊達も最上に援軍送ったりしない。
留守政景の3000人は、最上潰した上杉が万一にも伊達領に入って来ないよう牽制するためのものでしかないしね。
そして、上杉本軍は会津に集積しておいて南方の徳川に備えると。
関ケ原の結末の予測が誰にも不可能だった以上理に適った対応でしょ。 >>470
(注)音が出ます → (注)顔が出ます 景勝様が南下して江戸城を陥落させれば、天下は、、、 直江は御屋形様に天下を取らせたかったのに景勝が断固拒否っていう創作物が多いイマゲ 上杉枯渇で喉がカラッカラでござる
御屋形様の甲冑姿が楽しみで朝から浮かれておりまする 越後勢は戦意十分、上方勢の増援などなくても小田原城を落とせる勢いでござる! >>486
直江殿(兼続義父)が愛兜を被ってた!
板垣&甘利退場が哀しい…晴信のバカちんめ あの愛の兜は謙信か長尾政景が作らせた後景勝が継承して兼続に与えた品らしいけど、あの兜を謙信や景勝がつけてた可能性があるってのは面白いね
本人達はなんとも思ってなかっただろうけど 怒った景勝の怒声が意外にでかく響いたのよかったわ
さすが景勝だ 上杉・真田陣が攻めあぐねてたのは、大義がないからやる気湧かねー!なのかよ
それにしてもドヤ顔三成の水攻め作戦を聞いてる4人の顔w >>495
BGMもコメディ場面に使われる奴だったしなw 義の無い戦に呼ばれ、会うのが気まずい源次郎に聚楽第の廊下で愛を叫ばれ
文句を言う三成を一喝し、アホらしい忍城攻略プランを聞かされる御屋形様
出番は少ないながら濃かったね 今まであまりどうとも思わなかったのだが、前回見てエンケンの存在感に胸打たれた
御屋形様!と叫ぶ源次郎を無視して立ち去ろうとする姿を見て、何だかすごく景勝だと思った 御屋形様に20回の熱い三成見せたら絶対気に入ると思う 源次郎が思いの丈を言う直前の家康と昌幸が話してる場面、後ろでスタンバイしてる
エンケンさんがうっすら映りこんでるのはダメじゃないの? 景勝は信繁に顔を会わせずに出ていきたかったのに上座側だから昌幸の方がどうしても先に出ちゃうし
そのまま昌幸が信繁や家康と一緒に入り口でたむろってるから信繁の近くを通らないと出ていけない状況に困ってたんだろ
最上座にいた家康が出てきたのに次席にいた景勝が出てこないから中で出られないのか?と普通に思った 家康が立ち去ってモブがぞろぞろ出てきてからもかなり時間置いて出てきたからね
なかなか信繁が立ち去らないんで覚悟を決めて出てきたのかw
御屋形様可愛すぎる >>504
御屋形様は源ニ郎に相当恨まれていると思ってるんだろうね。実際は源ニ郎本人も昌幸も
御屋形様が想像するほどは気に留めてない、というか実際の父親にこれまでされてきたことを
考えれば(源ニ郎にとっては)たいしたことでもないw 12回でも「無理難題をふっかけてみるか」と
出した条件が「源ニ郎を人質に」だし。謙信から溺愛された景勝には実の親と離されて敵地に
やられるというのは今で言えばシリアに一人で送り出すくらいの感覚なんだろうけど、昌幸にとっては
アメリカ留学させるくらいにしか思ってなさそうだし。 よく考えたら、秀吉側の上座にいた源次郎が昌幸のところまで行くとなると
既に途中で景勝を追い越してるなw(でもそこは突っ込まないw)
>>505
景勝がずーーーっと気にしてた感は表情に出てたね >>506
まあ、そこは景勝がさっさと出ようと思っていたら誰かに話しかけられたりして真田父子に先を越されたと脳内補完
そのあとはずっと、出るに出られずウジウジ
そして信繁に話しかけられて目も合わせられない→愛を叫ばれて目がウルウル
なんなんだよw あのあと絶対すぐに兼続に嬉しそうに報告してるだろうな
京へ向かう道中はずっと「どこぞで出くわしたら…」「合わす顔がない…」とグジグジしてただろうな
いろいろ想像できるww兼続のウンザリ顔も含め >>506
馬廻り衆の出入りする(秀吉が使う)出入り口は上段横にありそうな気もするが
秀吉が退室→付き従って馬廻り衆がいったん出る→大名方解散だろうから
信繁は一旦下座側に回って昌幸に話しかけた形で段を飛び越えてきたわけではないのでは >>510
あー、何かもう御屋形様かわいすぎるなw
兼続がうんざりしながら、源次郎グッジョブとか無表情に思ってそうだw >>512
ええ子やで源次郎は。お館様も源次郎の性格知っててワザと真田親子の側を通り抜けたんじゃないかとw >>511
確かにそうだね
なんか二人とも可愛いから録画もう一回見直すかな >>513
なるほど
わしはもう源次郎に嫌われたろうし合わせる顔がないわとコソコソ立ち去ろうとする反面、
内心では、もしかしたら源次郎なら追いかけて来てくれるのでは…と密かな期待もあったと
甘酸っぱいw
兼続乙ww このヘタレはいつになったら覚醒するの?
生ゴミみたい >>515
そうそうw内向的な人の典型的パターン。かわいいけど源次郎みたいな明るく行動的な人が側にいないとキャラが活きない。 >515 あと単純に一瞬でいいからできるだけ近くで顔を見たかったのではw
やつれたりしてないかなあとか逆にイキイキしてたら源次郎にとってはよくても儂的にはさみしいようなとか 景勝、兼続2人の義父が登場する再放送 武田信玄も忘れないで~ エンケン景勝は片足重心で立つんだよね
猫背でさえなかったら長身なのでもっとカッコイイんだけど 役作り上わざとしてるのだろうけど、
なんでいつもうなだれてるんだろうね? >>521
豊臣傘下になる前はもっとシャキっとしてたよ泣 景勝のイメージ
ヘタレで優柔不断
しみついちゃったね >>522
生涯で一番苦い茶を飲まされたからね...
源次郎をお供で連れて行ってたから尚更なんだろうなあ ヘタレで優柔不断なのがイメージぴったりって言われてるよ
兼続に守ってもらわないと立ってもいられない甘ちゃん 不愉快なイメージだよなあ、何もかも直江のお膳立てで成功したように描かれて >>523
天下の越後物産社長から、吸収合併により昼行灯の豊国物産新潟支社長へ
子会社は辛いよなぁ。明後日の小田原商戦で再びの見せ場カモン 天地人でも大分ヘタレに描かれてたのに、ええかっこしいまで追加されてしまったよな
いい人キャラなのは逸話見てもなんとなくわかるけどね でもお屋形様は懐深くて領民からも真田からも(利用されてる感はあるが)慕われてる、器の大きなキャラじゃないか。
領民も真田も立場的には弱いほうだから、強きを挫き弱きを助けるという上杉の家風を守ってるといえるんでないの。兼続もそんなお屋形様を守ろうと懸命なのだよ、多分。
慕われやすい人って大抵守りが弱いから兼続も大変よ。 普段は無口だけど戦場での号令なんかは天地に響き渡るほどで
まさに大将の器だったって言われる通りやん。
家臣や年上の者達の話を良く聞き、物静かだったともいうな。 無口っていわれるのは上の立場の景勝が先に話したら
臣下達が意見を出せなくなってしまうから、というのもあるのでは
必要な時にのみ話す
戦場といういざというときに配下を率いる際の大音声とか格好良い >>529
そう思うよ
無口で怖いキャラに大天使が加わっただけだ 大将の器というのはなんとなく分かる
部下に任せるところは任せて、でも手綱を締めるところは締める
あの叔父に可愛がられただけあるよ >>533
御館の乱の時も、自分を子どもの頃から面倒みてくれた老臣の栗林や深沢へ
計画遅延の怠慢や失策について厳しい叱責の手紙を送ってるけど、
ちゃんと励ましてフォローするのも忘れず、その後も解任せずに仕事を任せてるな。
叱責の手紙と同日に、援軍の調達を頑張った家臣たちには感謝と激励の手紙を送ったりして、
まだ20代前半なのに、あの混乱の中で、しっかりした御屋形だったと思う。
魚津の諸将に宛てた手紙を見ても、生来優しい性格の人だったのかなと思う。
可愛がりまくる叔父の教育もあったのかも知れないが。
御館の乱は、最近の研究では、家督争いというより、
反主流派に担ぎ上げられた勢力との権力抗争といった方が適切なようだから、
北条氏政の弟(異腹のようだが)を討ったことは、ふっかけられた戦いを堂々と戦っただけで、
微塵も負い目とは考えてなかったと思う。
でも深い悲しみはあったかも知れない。と丸の景勝を見ると思う。 >>534
御館の乱で実の妹やら甥も亡くしてるしね。 戦国時代だから良くある話とはいえ辛くない訳がない。 >>534
三郎景虎切腹はともかく景虎に嫁いだ姉姫の死は痛かっただろう
憲政と道満丸は公式発表では死んだが実はこっそり逃がして生き延びた説があるらしいな 華渓院って姉説と妹説があるけどどっちなんだろうな
昔戦国板の景勝スレで議論されてた気がするが 上杉の血を引いてる説があったり景勝には割と謎が多いよな 母方から上条上杉家の血を引いているとか、これも昔の戦国板景勝スレで見た気がする。
息子の名前を「定勝」にした理由はそれかと思った。
ところで、今後、内野家康とサシで話す場面などあるだろうか。
明日は氏政のもとに家康、昌幸と一緒に出向くらしいが、面白けりゃいいのだが、どういう展開なんだw 次回は無口な御屋形様はどうするのだろうとか
氏政に景虎のこと何か言われるのだろうかとか心配が尽きないw >>539
景勝という名は謙信がつけてるけど、勝の字はどこから取ったのかね
近親者にいない >>540
あの三成を一喝した御屋形様なら大丈夫さ
「もう分かった!」はかっこよかった もう史実はどうでもいいからビシィッとした御屋形様とズタボロの兼続を見たい
長谷堂で切腹しようとする兼続を殴って怒鳴って思いとどまらせるみたいな >>539
一緒に行っても気まずいだけだよなw
家康は何を考えてるのか本当に謎だ
対氏政に
真田→沼田問題の当事者
景勝公→影虎切腹の立役者…
どう考えても怒りの導火線に火を点けようとしているとしか >>537
今は景勝の姉説の方が有力と思う
何故なら景勝の姉妹で一番最初に結婚してるのに姉を差し置いて妹を先に結婚させ
しかも景勝の同母妹とすると12、13歳で出産になってしまうので不自然だと
景虎は景勝より2つほど年上だから姉との結婚でも年齢的に釣り合わない訳ではないし
まあ兄、姉、景勝、妹ではなく兄、姉、姉、景勝の順って説もあるんだが >>544
でも、氏政は三郎景虎に対しては家族愛というほどのものを感じていたかどうか?
越相同盟では、当初は自分の息子の国増丸を上杉家の養子にすることで話がまとまっていたのに、
年端もいかない子が可哀想だと言い出して、三郎にお鉢が回ってきた
しかも父の氏康が死去したとたん、とっとと同盟ブチ切って、甲相同盟に切り替えてるしな >>546
確かに家族愛は謎だなー
そもそも七男らしいけども
影虎は養子説もあるそうだから
それでも、一応氏照さんとか応援に出してるけど間に合わなかったらしい
唯、氏康の遺言で上杉との同盟から武田にまた切り替えてるらしいので
何にしても同盟から出馬要請しても
当時中々謙信が出て来なかった記録があるようなので
何にしても上杉に良い印象はないだろうな
まして昌幸父ちゃんって最悪の人選だろうw 間に合わなかったというより、上野から三國峠を越えて越後に入るとその玄関口にあるのが上田長尾家の本拠地上田庄なんで
当然上田衆に頑強に抵抗された結果、雪が降り出すまで北条軍は上田庄を突破できなかった 雪解けまでに決着をつけたい景勝方が必死だったからな
しかも上田衆は子飼いだから粘っただろう 先週、気まずそうにしてたのはワロタ
今週も出番あったな 本スレで
主君が軽いとおもりが大変って小バカにされてたよ
直江におもりしてもらってるんだってさ >>550
今週は上杉主従と伊達主従にやられたわw 氏政の説得に向かう前に直江から「変な約束をしてはなりませぬ!」と
口酸っぱくして言われてたんだろうなw 世間の声
@景勝さまは常に迷っておられる
兼続セコムがないと、ほんと駄目ですね 本スレで〜世間の声〜と他人の威を借りないと自分の発言に自信がないのかw 良き戦相手であったとお互い言い合ったところにグッっときたわ
「何も約束しておらぬ」はちょっと可愛かったしw 太閤殿下は話のわかるお人とか、ああやって無理矢理言い聞かせて自分を納得させてきたのか
氏政に豊臣のために戦うのが本意なのか、と聞かれて何も返答できなかったな
あの三者三様のシーンはよかったわ
確かに、いちばん景勝が迷いの中にいるように見えた ヘタレで直江がいないと何もできないイメージが定着
おめでとう! >>558
それが上杉征伐に繋がるかもしれないね
でもあれだと寧ろ家康につきそうだけど >>558
昌幸のように開き直りもできず家康のように飲み下すこともできず
本音では氏政を羨みながらも自分を折ってるのがありありと分かるからなぁ
秀吉のためじゃない、って言い切るには真面目すぎるんじゃないか 昌幸は機会あらば秀吉に歯向かおうとする姿勢身内には隠していないし、それに疑問も抱いていない
家康も昌幸ほど露骨ではないけどそういう気持ちはあるけど
景勝は氏政の問いかけにかなり動揺してたしね
あそこで空気を察して昌幸に振る家康はさすがだと思った >>560
この感じだと上杉征伐時の上杉は豊臣を見限って徳川も豊臣家の代表者と見なして
独立勢力化しようとしたルートになりそうにみえる それと、画面からはわかりにくいけど
あの4人の中では景勝がいちばん若いから
葛藤の消化がしにくいのかもな 家康も昌幸もずっと武田家や信長みたいな上位者がいたけど(織田と徳川は同盟といっても完全に上下関係あった)
上杉、北条は誰かの命令で戦わされたことないから景勝は余計に氏政に共感するんじゃないか
秀吉としては「あの上杉が」臣従したことは他の大名家にアピールできる大転換期で景勝を特別扱いしたそうだけれども >>545
そう主張するのは自称研究者だけで、片桐氏等の上杉氏研究家は姉か妹かわからないとしてるよ
姉にすると当時の女性の婚姻年齢を過ぎるって言ってる研究者もいる
姉妹で一番最初に結婚もしてないだろ
上条政繁に嫁いだ姉の方がおそらく先だろう
上条には娘がいて、菊姫が嫁いだかわりに、勝頼の兄に嫁いでいる >>563
>>565
真田丸では、初上洛時のドタキャンに次ぐドタキャンとか、史実での厚遇ぶりとは違った扱い受けてるからなあ
まあ、史実でも徳川臣従後は東国取次役を持ってかれたり忸怩たる思いもしてるんだろうが…
しかし、次に出て来るのは秀吉死去前後か?
唐御陣あたりから出て来て、景勝の心境が描写されていくと嬉しいんだが、真田と関係ないから無理かな >>567
利休に苦い茶を飲まされたから、景勝様に利休屋敷包囲させるかと思ったらそんなことな無さそうだしなあ >>566
それだともっと年齢あわないじゃん
仙洞院だって行き遅れ年齢で嫁いでんだから17歳くらいの姫ならまだ結婚適齢期だよ >>569
公式サイト覗いてみたけど影も形もありませんでし、た >>570
知らねえよ
専門書にそう書いてる人がいるってことで
仙洞院は行き遅れじゃない
実際は晴景時代、為景生前に嫁いでる う〜ん、ドラマとはいえ上杉と北条の因縁考えれば
景勝が氏政の命乞いのために動くなんて嘘くさくて、イマイチ話に乗れない回だったわ
謙信も義昭から三国和解を要請されても、勝頼とは和睦してもいいが、氏政とは上杉が滅亡したとしても絶対に結ばないって、氏政を憎んでいたのにな
御館の因縁はもちろんだが、北条大討伐の大号令をかけながら無念の御頓死をされた謙信公の立場はどうなるw
せめて北条は我が上杉にとって憎き敵でござったぐらい言わせろよ、三谷 三谷が書きたいのは
直江に守られている情けない景勝だから…
最後までおどおどしてるんだろうな
大坂の陣でのエンケンの演技が目に浮かぶ 景勝と氏政の因縁描くとドラマ一本出来上がりそうなぐらいこんがらがってるから真田大河だしなぁとながした
東国大名揃い踏みのシーンで唐突に「長尾殿」とか言い出されても歴オタは嬉しいけど
大半の視聴者は???になるだろう
謙信公の時代から戦ってきた男がいざ無関係な秀吉に殺されて滅亡するとなって
色々と複雑な気持ちになったのかもしれない なんで三谷だとここまで必死に擁護するんだろ
他の脚本家だったら叩きまくるくせに >>574
直江も直江でなんかおかしかったよ今回
ネットでセコムネタが受けてるから無理矢理ねじ込んだ感ある >>573
一緒に行くメンツも妙だったし
直江もなんか段々ウザくなってきた 脚本は2〜3ヶ月前に上がってるはずだから
世間の反応をダイレクトには反映できないよ
黙れ小童だって話題になった時は既に全部撮り終わってたというし 宇都宮の餅つきに上杉主従がいなかったのは奥羽に行ってる設定なの?
まぁあの場に馴染む景勝様ではないけどw 苦い茶を飲んだからには
寡黙で毅然としたお屋形様になって再登場すると思っていた
いつまで頼りないままなの >>580
蘆名と伊達の問題は上杉が結構関わってたんだけど
ドラマでは全く描かれなかったけど、伊達は上杉を窓口に豊臣政権と接触してた
大宝寺領問題で最上とドンパチやったのはこの後だったっけ?
景勝様は他ドラマの収録でスケが空いてなかったのかもw
このスレでは不評だったけど、氏政と対面してお互いを認める台詞を入れたのは、会津討伐への布石だと思う
史実でもなんか似てるんだよ
ともに上洛する意志がなかったわけでなく上洛準備を進めていたと言われてるし
名胡桃城事件が契機になったと同じく、旧領の越後での上杉遺臣の不穏な動きを掘に訴えられたのが討伐のきっかけだしな
直江状が届く前に家康は軍を動かす命令出してるしw
昌幸がエゲツない策士に描かれてから、名胡桃城事件でっち上げ説でもするのかと思ったら違った
会津討伐はどんな感じで描かれるんだろう 宇都宮仕置の時はもう奥羽で一揆鎮圧してる頃だろ
こき使われて大変だな 何も約束しておらんぞ
直江に見透かされてうろたえる御屋形様かわいい 三大名のオチ要員ワロタw凄い約束しようとしたろアンタww
小田原征伐での雄姿を見たかったけど、これはこれで義人ぶりが出てたからまあおk >>582
越後で一揆を扇動したのは会津討伐が決定した後のことで堀が訴えたのは神指城築城の件と交通網整備、武器集めの件だったはず 会津征伐はとことん景勝と直江が馬鹿なのが悪いみたいな書かれ方されそうな気がする
やっぱり直江が勘違いと思い込みと御屋形様モンペぶりを発揮して暴走するのかな >>585
景勝「八王子城の件は視聴者には内密に頼む」 >>586
堀さん普通に越後民衆に嫌われてたからな
ほんと家康は北条領に入ってよくやったよ >>588
どうもいくつか調べた限り仮に伝説を込みにしても、八王子城は降伏勧告の使者を切り捨てた上で
全力で抵抗し、最後は城主一家が領民と無理心中を図ったという結末
景勝殿は呆然かつ目が点になっていただけのようにしか見えない・・・ちゃんと生き延びた民は保護したようだし >>590
八王子城主の氏照は小田原籠城だよ
妻の大石氏は落城時に自殺した伝説があるが
史実では生き延びて文禄年間に亡くなってる
城主が留守だから余計に家来たちも降伏できなかったのかも
家臣の妻女は八王子城に入るよう命令が出てたから、犠牲になった人はいたと思うけどね >>591
つか領民に八王子城に入れ期限までに入らなかったら処罰って命令出してるらしいのに
まあ藤田信吉が八王子城側はまだ安全だと思ってた最奥の曲輪に急襲掛けてるから
奥にいた奥方達が恐慌状態で自殺はリアルにあっただろうな
生き残った女性たちは解放されたそうだが しかし当時は今のような交通機関もなく、道路整備もされてないのによく遠くまで遠征できるよな。
上洛と一言で言っても近畿付近の大名ならともかく、九州の島津とか東北の大名なんかにとってはアマゾンとか
南極に行くのと同じくらいの感覚だったんじゃないか。昌幸のところに直江が上洛の説得に来てたけど
上杉と真田の領地が近いとは行っても1日以上はゆうにかかったみたいだし。 >>593
て言うか、あんな雪に埋もれてるようなところで暖房もなくよく暮らしてたなと思うよ 日本海側名物の豪雪に埋もれると、
他国から絶対に侵攻不可の鉄壁の守りとなる一方、
他国への侵攻も不可能となる、かな? 謙信も雪が降り始めるとささーっと関東から引いてたよな >>597
なんかそういうの聞くと、雪国って面倒くさいだろうけどロマンがあるなぁ。 >>597
謙信は最初は夏に戦って秋に帰ってたけど雪が降り始めるとせっかく攻略した諸城が
自分が越後から出られないうちに北条家や武田家に取り返されると気付いてからは
基本雪が降りだす前に越山してきて関東で冬を越し(戦って)春になると越後に帰るパターンになる
そして出稼ぎ説とか言われる
普通に雪で交通途絶するからだと思うがね 現代ですら三国峠なんてやばいもんなw
雪国育ちの上杉家の方々はいいとしても、堀さんとか蒲生さんとか越後や会津に行けなんて左遷だよな…
雪のない地域育ちがあんなところでちゃんと暮らしていけるか不安しかないもん >>599
関東で冬を越してる間に甥っ子の漢字ドリルをせっせと作ってたわけか
オカン風味満載だw 戦国時代は今より寒かったというから越後なんか雪で家が半分埋もれてかまくら状態だったのでは
無論館は下男達がひたすら雪かきしてるだろう
春日山城は海風で比較的雪が少ないかもしれないが魚沼の上田庄はすごいことなってただろうな
真冬に信濃まで上洛促しにきたり真冬に北条攻めのための陣立て説明会に上洛させられたりしてるけど...
毛皮と簑笠で重装備して帰っても地獄だろうな あの山の山頂が3回白くなったら、
こちらにも雪が降りますぞ。 >>602
直江「冬の間は雪に閉ざされてるから上洛なんて無理」
家康「陣立て説明会の時は真冬だったのに来てただろうが」
直江状ェ… 発想を変えるんだ
陣立て説明会の時は御屋形さまは秋頃から伏見の屋敷に来ていて
春になってから越後に戻って軍を起こしたと
名胡桃城事件直後すぐに直江津から船で行けば雪が降りだすギリギリ前に越後から脱出できる
佐渡征伐から帰って来た直後に政宗の会津侵攻に対して秀吉の要請で会津に軍出した直後で
春日山城に全然帰れてなくて国内の通常政務全くやってる暇がないけど直江が何とかしてくれるさ 北条征伐の最中から奥州仕置きの準備が始まりずんだパーリィの時にはもう奥州仕置き中
奥州仕置き終わったらすぐ名護屋行きで朝鮮から帰ってきたら伏見城普請だから
秀吉は上杉を過労死させる気かな?
伏見城普請の最中に直江倒れて御屋形さま一人で普請監督に入ってる 冬の間は雪に閉ざされているから無理ってのは会津での普請や道路整備みたいな内政だぞ
上杉としては移封以来これらの作業が全然進んでないから冬になるギリギリまで作業してから上洛しようと考えていた >>607
ずんだパーティーには参加してなかったから今は越後に帰ってるのでは?
もしあの場にいたら直江のゴミを見る目は想像できるけど、御屋形様はどんな顔してたんだろうなw >>607
直江の死因は過労死だと勝手に想像してたけど、御屋形様も過労死かもな
おいたわしや >>607
秀吉は史実だと上杉を重視して相当気をつかってたってtwitterで見たけど、真田丸で大谷が
源ニ郎に言ってたセリフ(「殿下は気に入った者は始終傍に置きたがるお方。これから大変になるぞ」)に
あるとおり、信頼できると見込んだ人間はとことん使いまくるタイプなんだろうな。現在のの企業や
組織でも有能で真面目だと見込まれた人間ほど仕事が集中するじゃん? 豊臣政権下における上杉も
ちょうどそんな感じだったんだろうな。まあ、上杉に限ったことじゃないだろうけど。 苦い茶会の後、秀吉はひどく不安そうに景勝が従ってくれるか尋ねてたな
やはり景勝を味方にできるかどうかは、大きかったんだろうな >>613
その割には2回も謁見ドタキャンするし
丸だと色々軽んじられてんじゃないの、上杉
とりあえず頭下げてくれたらあとはどうでもいいや的な 軽んじられたというより、由緒ある大大名相手だからこそ
最初にガツンと頭を押さえつけないと舐められちゃうから
秀吉も必死だったと思う 上杉が従ったと聞けば他の大名もしたがうところ多いと見込んでたからだろ
一応、真田も上杉の説得で従ったことになってるしw 実際に景勝の取りなしで昌幸の臣従遅れが大目に見られてるからな
秀吉がそういう朱印状出してる 昌幸が信幸・出浦と話してる時に、上杉殿とかあのお方とか敬う言い方したのが意外だった 上杉殿、伊達殿だけど、徳川、秀吉は呼び捨てだったなw
次に会うときは伊達も呼び捨てだろうけど
つか、真田家なんだかんだ言って上杉家を頼ってるよなw 昌幸「儂は上杉殿にかける!」
景勝「わかった」
兼続「御屋形様ぁ!?」
だったらどうしよう 上杉と真田は固い絆で結ばれてるんだろ昌幸曰く
昌幸でも上杉にはそれなりに恩を感じてるんだろう
真田を捨て石にしようとしなかったし >>622
景勝は景勝で申し訳ないとまで思ってるしな 利休屋敷を3千の兵で囲んでいたのに、上杉の名前はカットされたな。 御屋形様の名前くらい出してもいいんじゃないかと直江もご立腹だ 上杉家が秀吉に駆り出されまくったの戦力として十分に頼りになる(下手な奴では出し抜けない)のはもちろん
こいつなら情や芸やしがらみに流されず必ず与えた任務をきっちり遂行するって生真面目さへの評価だから
真田丸の景勝は情に流される人だから出せんかったのだろう フジの三億円事件ドラマに、26日に出ていたんだな 景勝の中の人 6月29日に、美味しい役を披露するんだな。
桐谷美玲&遠藤憲一が急接近!? 『ホンマでっか!?TV』で"モテ仕草"実演
http://news.mynavi.jp/news/2016/06/16/188/ 今週の上杉主従
奥州仕置きから越後に戻って天正19年正月頃上洛
閏正月勧修寺晴豊さんお招きの茶会で酒飲んで大騒ぎ事件
二月千利休切腹の際利休の弟子達が利休を奪回することを防ぐため上杉家に利休邸を三千で警備するよう命令
五月か六月くらいに帰国
七月大崎葛西一揆及び九戸の乱鎮圧のため出陣命じられ出羽庄内を経由して葛西に向かう
八月豊臣鶴松死去(景勝は大谷とともに出羽地方の検地中なんだがなんで大谷が淀城にいるのかな?)
九月秀次を総大将とした豊臣軍九戸の乱鎮圧(景勝も普請で手伝いに参加してたっぽい) >>629
詳しくありがとう
三億円事件ドラマの景勝公はエゲツなかった(いや、景勝じゃないけどw) >閏正月勧修寺晴豊さんお招きの茶会で酒飲んで大騒ぎ事件
今週のコントシーンはこれにすればよかったのに
豊臣も真田も関係ない話だから無理かw >>629
勧修寺さんとこでやらかしたのはこのタイミングかw
一揆平定だの仕置であっちこっち出張させられてストレス溜まってたんかな >>631
酒乱キャラは加藤福島コンビで十分だからw
上杉家この一件で春豊さんを酒に誘ってもいっさい断られるようになっちゃったんだぞ
ドラマ以上に寡黙な景勝様がどんだけ騒いだんだかw >>632
>一揆平定だの仕置であっちこっち出張させられてストレス溜まってたんかな
きっとこれまでの積りに積もった鬱屈が暴発して...w >>633
あげくは菊姫様が鮒50匹も調達して勧修寺さんに贈ったりする始末
旦那のフォローも大変だw >>629
へうげものだと利休と会津三奉行の岩井備中守とのやりとりがあったが
今回は上杉自体まるごとスルー
あと酒飲んで大騒ぎって上杉一行は勧修寺邸で何やらかしたの? 大坂編で上杉主従の出番少ない理由がわかった
上杉は豊臣政権下では勝ち組だからだわ
三谷は勝ち組より負け組派だから、秀吉の下でウハウハな上杉なんて書きたくないんだろうな
その代わり関ヶ原前後には期待したいけど無理かもしれない 兼続の中の人が坂の上の雲に出てるとウィキにあったが
海軍大臣役の石坂浩二に怒られる財部って人であってる? >>636
おまえあちこちのスレでへうげもの宣伝してるよなw ウハウハというには出陣と普請が多くて苦しかっただろうが
(おかげで豊臣政権の重大事件に居合わせてない率も高い)
やはり名門家でありながらさっと秀吉の手を取った生真面目な大名を秀吉は気に入っていたように思う
利休邸を囲む警備に上杉家を示したのも「一番買収されそうにないから」だったともいうし
でも上杉主従が秀吉に気に入られてるように描いたら真田の立場がないのかもね 実際に上杉がやったことはスルーなのに氏政説得とかには登場させるんだよね
別に創作に関しては文句はないがw
だからこれからの出番に関しても読み難いわ 仮装大会の景勝様は想像したくないので次回は出てなくてもいいや
考えて何かネタ的なことをやると残念な結果になるタイプだと思う おそらく上杉家は秀吉の名代として渡海してるから仮装大会には出てないはず
貴重な古漢書集めまくり数百冊の書写しまくる直江(趣味全開)と
家中で連歌会開きまくってる御屋形さまでも想像するとよろしかろう 真田丸の景勝様もだけど一般的に言われてる喋らない笑わない暗い男が
仮装大会に来たら一気に場が白けるだろうなw >>643
時代考証の人が「景勝が無口というのは根拠がない、後世に作られた逸話」みたいなことtwitterに書いてた。
実際にどんな性格だったのかは不明だけど、無口だったという証拠もないって意味だろうけど。
連歌会みたいな催しをしょっちゅうしてるのを見ると社交家っぽい。 一種の情報交換の場でもあるからね
江戸城でのお能の会だったかな
息子の定勝がずる休みしたのをパパは叱りとばした書状が残ってる >>646
その後に能の会に出て上手く対処できた息子を褒めてるんだよな
親バ…誰か来たようだ 景勝は寡黙だったのは謙信以来の上杉軍団のイメージを守る為
とも云われてるがなあ。そのままだと丸で分裂前の
ローマ皇帝みたいだし >>645
どっかで「重口(あまり喋らない)」って評されてる史料があるらしいとは聞いた
ただ、景勝に殉死した(下級の)家臣が毎日城の庭掃除してるところよく景勝に声を掛けて貰ってたとかいうし
家臣も滅多に声を聞かないってのは完全に誇張
あと景勝が出てくる連歌会って基本上杉家中じゃないかね
直江はあっちこっちの連歌会に顔出してるみたいだけど
直江はほんと文才溢れてるけど御屋形さまの詠んだという歌はなんというか生真面目だったんだろうな感に溢れてて
知識はあるけど色気ないというか面白くないというか 朝鮮出兵て「この戦に大義を見出だすことができん」としょんぼりする景勝様が… 御屋形様の情熱は文事より刀剣収集に注がれているからな
でもある春の日、秀吉に「お国訛りの言葉を使って歌を詠んでみてほしい」と言われて景勝が即興で詠んだという歌
鶯よ 初音つんだぜ 聞くべいぞ その如月の十六夜の頃
出典は知らんが(そして出来もともかくw)和歌の一つや二つは朝飯前の素養じゃないと大名は勤まらんってことかね
直江の詩才は新井白石、あと坂口安吾も絶賛してるな
連歌会は社交の場、情報交換の場だが、純粋に楽しんでたと思う
オフ会にいそいそと出かける漢詩オタクを想像してしまう 今年の米沢市田んぼアートは「上杉景勝公と真田幸村」
御屋形様と源次郎という組み合わせに胸熱なんだけど
平成18年から今年まででやっと景勝公が登場って随分と蔑ろじゃないか >>653
坂口安吾は絶賛してたか?
突き抜けて秀でた才能があるわけではないが出来栄えはまずまず、
戦の才能も同様、程度にしか褒めてなかったと思うが@直江山城守
手元に本がないからうろ覚えですまぬ >>655
米沢「悪いな景勝、米沢の偉人枠は謙信公、兼続公、鷹山公の三人で一杯なんだ」
米沢「あと初代藩主は謙信公で景勝じゃないぞ」 謙信を崇拝したのは景勝の意思だろうからまあいいけど
兼続は主君より前に出てる状況喜んでない気がする
廟所も本来は景勝の墓所を中心にしてたんだけど(謙信は米沢城内にあったから)明治になって謙信を廟所に移したから
謙信中心に両脇に歴代藩主になったんだよな 景勝より先に年下の直江が死んでるのがせつないなあ。 >>642-643
エンケンが特技として顎に箒を乗せてバランスとってるのを
テレビでもツイッターの写真(ロケ現場)でも見たことある
掃除の時間にふざけてたらしいw ところでツイッターの真田丸総選挙は兼続が三成とデッドヒート、お屋形様は家康と神セブンに入るか入らないかのところで競っておりますよ。
ツイ垢持ってる人は推しメンに清き1票投じましょうぞ! >>664
偏った結果になるだけだからどうでもいいわ
あんなもんで本当の人気が測れるわけないだろう 本当の人気、なんて測る方法はないよw
ダイヤモンドとコカコーラのどちらが人気か測れるかい >>664
お優しい御屋形様は源次郎の人気を心配して、直江に「何とかならぬか?」と
無茶なお願いをしてると思うw >>667
「今上杉に、そんな余裕はございませぬ…」(2人とも僅差で格闘中) ??「さ な だ ど の、どーーーか、お察しくだされ」 話題に出てたから見に行ったけど上杉主従両方とも下がってた
景勝が利休にくそ苦い茶を飲まされたの上杉軍の利休邸包囲の前フリかと思ったけどそんなことはなかったね
今後五大老は家康景勝秀家の三人でやるのか 会津に領地がえになった後も,佐渡は上杉支配のままだったので、代官が何をしていたか気になるな。
『両津市誌 上巻』
編 集:両津市誌編さん委員会
発 行:両津市役所
発行日:昭和57年9月1日
上杉氏の佐渡支配
長尾氏(上杉)と佐渡 地頭制度の廃止 上杉の統治 良雅の寺社調査 代官制
大川の代官文書 金山の公営 上杉氏の会津移封 慶長検地 寺社領の変質 遠すぎていけなかった
演題 : 「上杉景勝の佐渡支配」
講師 : 花ヶ前 盛明 氏(上越郷土研究会 会長)
平成27年11月29日(日)14時00分〜16時00分(開場13時30分)
http://www.pref.niigata.lg.jp/HTML_Article/170/1002/tirasi.pdf 上杉軍団の経済力という 話もあったようだ
http://www.pref.niigata.lg.jp/HTML_Article/862/585/siryou,0.pdf
http://www.pref.niigata.lg.jp/bunkagyosei/1356835130351.html
9ページの 解説資料が公開されていた
佐渡金銀山世界遺産講座(上越)配付資料( 717 キロバイト)
平成27年11月29日(日)、上越レインボーセンター(上越市中央)にて、平成27年度佐渡金銀山世界遺産講座(上越)を開催しました。当日は、予定していた定員を上回る、約160名の方々が聴講されました。
今回の講座は、上越郷土研究会会長の花ヶ前盛明氏から「上杉景勝の佐渡支配」と題し、上杉氏による佐渡攻めの背景や、佐渡での様子などについて、時折ユーモアを交えながら、分かりやすく御紹介いただきました。
参加者からは、「上杉氏と佐渡のつながりが良く分かった。」、「佐渡の金銀が戦国時代の名将の戦力、統治力を支えていたことに驚きました。」など、多くの感想が寄せられました。 >>673
いくら佐渡が本土の大戦乱レベルに慣れてなかったうえに景勝直々の指揮での攻略だったとはいえ
全部の城が一日で落ちるわ船で逃げ出した城主家族が嵐でUターンさせられて上杉軍に捕縛されるわ
天が景勝に味方してたとしか思えないレベル >>675
景勝の強さは最強の運だったりするからなw
なんど滅びそうになってもぎりぎりのところで助かる悪運の強さw
天に味方されてるんだろう 城主家族の船が嵐のために景勝方に捕まるとか
尋常じゃない運の良さだなw
実父や叔父があの世で全力サポートしてそうだ >>677
叔父上の全力サポート@あの世から、は
しゃれにならない強力さがありそうだなw
何かなにもかもにすごく納得した 運が良いとは思わんな
不幸中の幸いみたいなもんで全体的に見れば運が悪い だからこそ悪運が強いとの評価になるのでは?
先祖供養ちゃんとしてたんだろうな。
ちゃんとしてる家の人は穏やかな人が多いような気がする。
実際に先祖が守ってくれるというよりは先祖供養することで
ご先祖さんが守ってくださる、という思い込みのプラシーボだろうけど。
ここ一発で気持ち強く持てるのは、運を切り開く上でプラスに作用だろう。 悪運が強いってのは罰を受けて当然の人間なのに罰を受けない、運が強いなあって意味だろ
景勝は罰を受けるべき人間じゃないのに罰を受けまくってるのだから悪運が強いとは思えん 戦国武将なんだから殺生戒は散々犯してるだろ
どう言っても景勝が最終的に天命に生かされた人生だったというのは意見変わらないけどな
最晩年に死を目の前にして選んだ自身の法名がかつて謙信の使っていた法名だったのも感慨深い
養父に思い入れ深すぎて実父の影が薄いけど 本能寺の変が起きるのがもう少しおそかったら上杉は滅亡した、というのはほぼ全研究者が認めていること
武田や北条に比べたらめちゃラッキ〜だったと思うな
唯一の後継、定勝が無事成長して次代を継いだのもめちゃラッキ〜なこと
恵まれてるなあと思う >>683
twitterで「幸か不幸か景勝は晩年まで子供がいなくて、他の大名家との間に婚姻関係がなかったから
いざこざに巻きこまれないですんだ側面もある」との書き込みを読んではっとした。確かに娘か息子がいたら
確実に豊臣とか徳川とかその他の有力大名と結ばれてただろうな。 まあ罰というと宗教的でアレだが、景勝の失策で滅亡するはずだったのが運によって救われたのなら悪運が強いと言っても良いと思うが、上杉が滅亡しそうになったのは景勝の失策が原因じゃない
御館の乱が起きなければ織田相手に領土を失うことがあったかどうかすら怪しい >>686
上杉征伐も家康が上杉氏排除のために戦争をふっかけてきただけ >>684
そういえば息子が生まれたのは徳川幕府成立翌年か
物凄いタイミングだな
しかもたった1人の子が無事成人で、元服が済むのを見届けて死ぬとか 毛利家文書には関ヶ原直前に徳川と縁組しようとしたらしいとあるらしいが
誰と誰が縁組する予定だったんだろう 関ヶ原の直前なら上条(畠山)のところの甥じゃないのかね
他に縁組できそうな血縁がいない
畠山義春のwiki見たら、また変な編集されててうんざりしたw >>684
もしかして菊姫を離縁しなかったのは景勝自身が変な婚姻関係を結ばれないためだったのかな
美談だと思ってたけど20〜30代で独身大名ならおかしくはないよな
まぁ家康なんかは40代で朝日姫押し付けられたから歳や正室がいるかどうかは関係ないんだろうけど 景勝も昌幸同様乱世が来ると思ったのかもよ。直江に
珍しく逆らって、最上をぶちのめして伊達を牽制したかった
みたいだし。越後も失敗はしたが一揆たきつけて。 毛利本家に秀吉から養子送りつけられそうになった事件を考えれば後継者がいない方が危険だと思うが
>>692
家臣の直江に逆らうとは一体
そもそも一気焚付けをしたのは直江だ >>691
菊姫と離縁しないために政略結婚になる他大名家との婚姻外交受けなかったのかもしれない
既に実家の後ろ楯を無くしてる菊姫は毛利や徳川から嫁が来たら正室の座を明け渡すために出家せざるを得なくなる
子供もいないし
それで婚姻外交にならない四辻家の庶長女(血統はいいけど後ろ楯になる勢力はない)を側室に選んだんでは
なんか菊姫の立場に関しては妹を頼むといって死んだ勝頼に筋を通したかった感じがする
菊姫の菩提寺って確か勝頼に所縁のある寺を選んでたはず >>690
姉が嫁いだのは政繁の方で義春はその養子だよな
義春は謙信が能登攻略した際に連れ帰った畠山の子でいいのかな
義春が政繁の存在を抹消して大嘘の経歴を作り上げたおかげで、めちゃくちゃな家伝になってるからw
菊姫は勝頼の首を貰い受け、葬儀埋葬した南化玄興の寺で葬儀されてる
南化玄興が病中だったから葬儀は弟子が行ったが、追慕像の賛は南化玄興が書いた 桂岩院といえば、四辻家譜や上杉家年譜は隠してるけど、かの有名な猪熊事件の猪熊教利は実の兄らしいな
祖父の四辻季遠は信玄の取次で有名だから、数年前の大河にも出てた
風林火山だったか、謙信に対抗して信濃支配の正当性を主張するために、信玄の信濃守就任を画策してたのが四辻季遠だった
この孫娘が景勝の子を産むんだよなあと当時思った記憶がある >>696
四辻家美男美女揃いなイメージあるわ
お与津御寮人とか兄も妹も(妹が追放されたら今度は姪も)美貌で大問題になりすぎ
菊姫も母は甲州一の美女で兄も妹も美男美女なんだよなあ
実は景勝は女性の美貌に対してハードルが高すぎた説 菊姫は「おんな風林火山」では伊藤かずえ、「天地人」では比嘉愛未、確かにどちらも美人。
ちなみに「おんな風林火山」のwiki見たら、一応昌幸も登場していた。 肖像画見る限り母親の仙洞院も整った顔してるしな
だから女性の容貌に対するハードルが高いのかw 流石に45年生きていて菊姫以外はみんなブスでしたってのはないだろう >>687
御屋形様が義を曲げて、家康退却の後に南下していれば、天下を取れたかもしれん
実に惜しいが、そこを曲げないのが上杉の大義なのかもしれん >>705
家康退却のときに兼続が南下を主張して景勝がそれを却下したとよく言われるが、
それは戦記物の話で、当時2人は別の場所にいたと前にこのスレか別のスレで見た気がする
義のために追撃しないとか、真田丸の御屋形様も天地人の景勝みたいなこと言い出すのだろうか
そもそも上杉家にそんなに出番もないかもしれんが 出番ないのかなあ。第二次上田合戦の背景として、上杉の動きは重要な一手だと思うけど
描写がなく、シブサワ・マップの上で景勝アイコンがボンヤリしているだけだったら、あんまりでござる 昨日のエンケンさんところのスタッフのツイを見ると、
この先も結構出番ありそうだけどね >>709
スタッフが撮影では萌えポイント満載とつぶやいてるww
遠藤景勝萌えはもう事務所公認ということか どうせ直江の尻に敷かれてるだけでしょ
腐女子が大喜びするだけでしょ
三谷のすぐ悪のりするところが嫌い 腐女子が勝手に盛り上がってる責任を何故脚本家が取らねばならぬ?
そんな理不尽が通用するなら、鳥山明や車田正美は切腹ですがな >>707
昔の戦国板の景勝スレかな
そういう議論があったような
あのスレは10年位前だったか、なかなか濃い内容だった 昌幸と清正の中の人が甲冑姿upしてたのが上田合戦と関ヶ原なんだろうか ちゅーか三成の方でも上杉が徳川と戦闘になれば数ヵ月は続く戦いになると考えていたっぽく
三成が景勝を味方に率いれようと工作する書状書いてるのが8月とかいう...
たぶん三成はもう開戦してると思ってた
でももうその頃には家康は景勝とは戦わずにもう岐阜城に迫ってきてたと
ホーム戦で景勝と戦う(ほぼ確実に泥沼化)より三成叩く方が楽だと家康は考えたのかもしれない
戦闘になれば景勝は強いことを家康は知ってる 白河での上杉軍vs徳川軍
上杉が勝ってた可能性は結構あるんではと自分は思ってる。 >>717
自分もそんな気がする。
豊臣恩顧の部隊って関ヶ原でも芳しくなかったし、
徳川軍とのガチ勝負なら五分以上に戦えると思う 史実に照らし合わせればそこにいてもおかしくない景勝や直江がスルーされてるのは
上杉征伐がっつりやる前降りだと思いたい >>719
瓜売の時は上杉は名護屋にいない
会津征伐はやりそう 真田丸総選挙、お屋形様神セブン7位!兼続は惜しくも三成殿に敗れ2位と相成りました! >>720
直江状だけ視聴者サービスとやらでガッツリ読まれても、イケボイケボの連呼だけで終わりそうじゃね?
やっぱりどーしてそうなったのか、景勝や兼続の意思がハッキリ示されるドラマであって欲しいよな
特にいつもスルーされがちで兼続に引っ張られた印象しかない(もちろん史実じゃねーぞ)景勝 >>723
まだ三谷に期待してるの?
どのキャラも細切れ状態なのに上杉だけきちんと連続性を持たせて書いてもらえるわけがないって >>723
なんかここ数回見てるとそんなオチになりかねないから怖いなぁ
適当に読ませてあとは知らん勝手に妄想しろみたいな
もう大坂の陣まで出番なしでいいやとすら思える 三谷はとにかく三成の最後をかっこ良く書きたいらしいから
上杉家に変なとばっちりが来ないことだけを祈っている 秀次の死のあと五大老制と上杉の会津移封はやるんじゃないかなあ
会津移封無いと関ヶ原への流れがわからなくなりそうだけど
正直他のどのキャラより秀次事件が鬱だ 五大老はさらっと流すんでないか?
前田利家を映さないようにしっかり描くのは難しそう
会津に移ることになって目を潤ませる景勝が目に浮かぶw 三谷のことだから直江状を書かせたのは主人公様になりそう
主人公様が景勝に頼んで書かせたことになりそう
景勝は言いなり
直江も文句言いつつも
いつも景勝の言いなりだし 最近の創作では怖そうに見えて優しい、直江の言いなりになってる景勝をよく見るけど、怖そうに見えて怖いどころでは済まない、直江を顎で使う景勝が見たい 五大老も会津移封もやるでしょう
家康を牽制するための会津移封は信繁の献策で、景勝を説得するのも信繁
前田は北条攻めの大将なのに出さなかったから、おそらくナレ登場しナレ死予定
関ヶ原の総大将毛利は流石に出るだろうけど、真田と関わらないモブ扱いだろう 上杉鷹山は、10歳年上の熟女側室を大事にしていた
治憲が米沢藩に初入部した翌年の明和7年(1770年)6月に側室となり、「お琴の方」と称す。治憲は他に側室を置かなかった。明和8年(1771年)に「お豊の方」と改名する。
文政7年(1820年)に治憲の70歳、お豊の方の80歳の寿の宴が餐霞館で開かれるが、その翌年の12月に81歳で死去した。墓所は林泉寺。 幕末の安中藩で行われた侍の「29kmマラソン」を小説化
【書評】『幕末まらそん侍』土橋章宏/角川春樹事務所/1404円
時は幕末の安政2年(1855)、安中(群馬県安中市)3万石の藩主・板倉勝明は、50才以下の藩士98名に対し、
安中城より碓氷峠の熊野神社までの七里余(約29km)を走ることを命じた。ここから物語は始まる。
http://www.news-postseven.com/archives/20140917_276269.html >>703 >>704
賢婦人として家中で慕われていたという記述は残るが
容貌についての何らかの記述はないはず
ただ幸福だったのか幸薄かったのか今一つ不明な生涯でもあり
そういう人生の夫人や姫はすべからく「美貌であった」ことにしておくもの
また姫役なんて多くが「美人役者」が演じるものだと思う
油川夫人のことを「甲州一の美人」と記すものはあるので
娘である菊・松姉妹も美形であろうという憶測も、まあ良いんじゃないですか >>733
謙信が結婚せず、景勝も正室と側室を一人だけで生涯通したせいで
江戸時代の米沢藩主は代々江戸に住む正室と国許に住む側室の一人だけで
他に側室を持ったら恥ずかしいみたいな慣習が出来てたからな... お国御前も女中に手をつけてとかじゃないみたいだからなあ
身分のしっかりした女性があらかじめ側室として選ばれたっぽい
お豊の方は上杉一族の姫だし、斉定や斉憲のお国御前は旗本のお姫様から選ばれてる >>735
菊姫に限らず、上杉家の女性たちの文書や所縁のものは残っておらず不明らしい
上杉博物館の学芸会が女性の文書は上杉家に残っていない、売り払われたと思われるって話してたからなあ
菊姫の享年47才も間違ってる可能性ある
林泉寺のホームページに定勝正室、市姫が42才で死亡と堂々と書かれてる(実際は30才)
菩提寺なのにしっかりしてや!と思って御年譜確認したら、そもそも定勝公御年譜に間違って享年42才って書かれてたw
市姫と菊姫の墓は様式が似てるから同じ時期に建立されたっぽいから、菊姫の享年と混乱してるんじゃなかろうか
42才が菊姫の享年ではなかろうか そもそも長尾政景も仙桃院ひとりだし
この一族は子孫繁栄の本能が薄いのかね
それで現在まで存続してるから凄いんだが >>740
景勝の兄とされる義景(長尾時宗?)は仙洞院の子ではない政景の子(もしくは養子)っていう説もあるよな 兼続達家臣団も主がらそんなだと側室とか持ちにくかったかも?
村上さん10月からのドクターXでたらお屋形様と共演になって面白いな、とフト思った(笑)でも紙は食べなくていい。 引退しないで欲しいな
http://www.oricon.co.jp/news/2074559/full/
7月5日 に爆弾発言があった
Hey!Say!JUMPの中島裕翔(22)と俳優の遠藤憲一(55)が5日、東京・後楽園ホールで行われたフジテレビ系連続ドラマ
『HOPE〜期待ゼロの新入社員〜』(17日スタート、毎週日曜 後9:00)壮行会イベントに出席した。
作品に並々ならぬ自信を見せた遠藤は「観てつまんないって人が圧倒的だったら、俳優を引退する!」と宣言して、
会場を驚かせた。 >>743
めっちゃ子沢山な本庄繁長とかいう重臣
兼続はそもそも直江家の跡取り娘に婿入りしたマスオさんだからそりゃ側室持ちにくかろう
直江に必要なのはお船さんの子であって兼続の子じゃないし >>745
あまり気にしない家臣もいたんだね(笑)
そういう律儀なところとか、お家は途絶えちゃったけど直江家の功績は後々語り継がれて今に至っているのだから婿としての役目は果たしてると言えるかな。 兼続って江戸時代に入ってからは三成ごときに加担して、御家を傾かせた大不忠者として扱われてたらしいじゃん?
そんな兼続を再評価したのが官兵衛の子孫である鷹山 江戸時代っていうより兼続死後のことだけどね
死後もお船さんは定勝の事実上の母みたいに扱われてたしな
ところで高野山の上杉家墓地、正確にはお船さんの墓の隣に秀頼と淀殿の供養塔があるらしいんだけど
建立したのは家康とも言われてるけど、なんで上杉家墓地にあるんだろう >>745
おせんさんと最初の夫の信綱どの間の子が高野山に入ったと言われてるけど、
この人は結構長生きだったから、出家してなければ直江家は存続したかもしれない >>749
清融はお船の子かは不明
後年まで付き合いがあるから私的に関係があったようではあるけど
記録上では兼続の子になってるけど兼続の子だと年令がおかしいからお船の前夫との子か?と推定されてるだけで
なんらかの事情で御館の乱で親を亡くした少年を保護して養子にした可能性も指摘されてる
信綱とお船の結婚も景綱が死んだ頃説あるからなあ 色部光長
出羽金山城主であったとき、用事で城を訪れた直江兼続をもてなそうと用人に御馳走を出させたところ、兼続はお吸い物に雁が入っているのを見て
「雁を入れるのは贅沢だ」と光長に言ってお吸い物には口をつけなかった。
その後用人は兼続によって追放された。(『直江兼続101の謎』より) >>751
うわぁ…直江最低すぎるわ
絶対側には近寄りたくないタイプ
よく景勝こんなやつを執政にしてたね >>753
元々人格に問題があったんだろ
知れば知るほど嫌いになる武将だよ直江は
こいつ一人のせいで上杉の評判落としてる >>754
5歳で上杉家に連れてこられて「わしはこんなところ来とうなかった」って主人に面と向かって言う子供だったからなw
加藤清志郎だったから可愛かったけど、ものすごく嫌な子供だよなw >>752
他のひねくれものだと、前田利家は、算盤オタクで、陣中でも、算盤をしていた。
【陣中そろばん】(1592年)
前田利家(加賀百万国の大名)が陣中で使ったといわれているそろばん
http://www.shuzan.jp/gakushu/history/05.html 出どころのいい加減な逸話で性格を決めつけるなよ
閻魔大王も政宗との因縁も創作
上杉家中での人望も兼続主催の連歌会などに多くの家臣がきていることを考えれば悪くはない
あれだけの権力を握ってしまうと根も葉もない噂が出てくるのも当然だがある種可哀想な奴だよ >>750
この清融に限らず、上杉家は年齢がおかしい系の奴がゴロゴロしてるな
本拠地が移動しすぎて記録が残ってないからか 直江に関する逸話や性格は多種書かれるものの景勝への忠誠心は一貫してるね
それだけ景勝は尊敬できる立派な人物だったんだと思う 色部光長は父の長実が早くに亡くなっててその時遺言で年若くして家督を継ぐ光長を心配して
兼続に子供達をお願いして亡くなってる
その後兼続が光長やその兄弟の義父になって面倒見てるんだよな
養父に雁の吸い物(高級品)出したらもてなす相手が違うと怒られた話なんだから性格悪いとかいう話じゃなくね 色部が金山城主の時代って、会津移封の時だろ
移封のゴタゴタと上洛問題で家中が騒然となってる時に、のんびり高級食で振舞おうとするのもどうかと思うしな 光長にとって兼続は主君でも他国の客でも病人でもなく身内で色部家の事情をよく知ってる
会津転封の時期なら光長はまだ十代前半の少年当主
転封直後で家禄は急に増えることになったけど領内整備で上杉家家臣一同奔走してる時期に
状況見に来た兼続にフォワグラ用意してゆったり贅沢なフレンチフルコースのおもてなしとかしたら
そりゃ気が利きますなぁどころか教育どうなっとるんじゃと怒られますわだよな
光長がまだ十代前半の少年だから用意した家臣が処罰されたんだろ 愛染明王の兜もらってる訳だから
あれ憤怒像で怒って雷落すのが役目の明王さんなので
家中の役目として、怒り役を引き受けてるってのはあるかも
明確にいわれなくとも意識してる面はあるのでは
明王→怒り役
仏様→慈悲でそれこそ仏と書くと
仏教に詳しい方から怒られそうだがw
あれ?
適当に書いてるが愛染明王の兜で良かったよね?
直江がもらったの 直江は今までageageされすぎてたんだからsageられるのは良い傾向
過大評価ではなく適正な評価に繋がって欲しい
あと直江ageのせいでsageられてきた武将たちはもっと評価されて欲しい
景勝とか最上とか 最上については政宗に言ってくれ
直江と最上が表立ってからむのは長谷堂くらいだろ 直江以外の家臣団と景勝の関係性について詳しく知りたいな
君主としてはかなり厳しく上田衆出身を重用する景勝が関ヶ原前後の厳しい時期に家臣団を保てた理由とか ぶっちゃけ兼続と実頼の樋口兄弟が異常に重用されてるくらいで
上田衆より北信濃衆の方が知行高上位に食い込んでる人数多い気がするんだが
そんなに上田衆偏重でもないよな会津三奉行も出身母体はばらけてるし 揚北衆が重用されてるのも景勝政権の特徴だよね
本庄とか色部とか Twitterにあった倒れた兼続への景勝が書いた手紙が面白い
この主従、他となんか違う気がする 小泉純一郎 「小池百合子は度胸ある!」
「勝負勘もある」 首相の器だ
それにひきかえ・・・女の腐ったような男がいる
http://itainews.link/2016/07/post-4544.html 越後から船で名護屋に来て船で朝鮮に渡って熊川城作ったあと
帰って来てすぐ伏見城堀普請、と同時進行で春日山城修復の監督(つーか手配か)やってるからそりゃ倒れるわっつー
ただ景勝が兼続の不在を「不便」というのがまた面白い
兼続がいたら兼続にぶん投げればいい仕事が兼続がいないと家臣達にそれぞれ差配しなきゃいけなくなるから
仕事が増えてとても面倒だったんだろうな
(そして負担に文句を言う重臣を片っ端から追放する) 兼続にゆっくり養生して。と気遣いながら良くなったら乗り物に乗ってでもいいから見に来て。と本音を漏らす景勝 室町ごろの古語の不便って、しばしば「不憫」の意味で使うよね >>772
こういうのを見ると直江状を書いた当時の上杉家って
現代で例えれば、大企業の部長が有能さを買われて海外支社や現地工場の立ち上げから
工場建設、職員の採用、さらには運営・管理まで丸投げされて身体も心も崩壊寸前。家に
帰る暇すらなく家族はほったらかし状態。なのに国内にいる重役連中が「あいつはもしかしたら
現地法人をのっとって独立する気かもしれない。最近家を新築したり、外車を買ってるのがあやしい。」
とかいちゃもんつけられて背任容疑をかけられた状態? お館様が女の腐ったような男!? いや、チワワなウルウル目のおっさん乙女だぞ!
と思いきや、別の人の話やん。。。 景勝の短冊
この先もずっと越後でささやかながらも幸せに暮らしていけますように 結構、粛清追放してるがその後の支配をテキパキと文句言わずに行う兼続の忠誠心は一体どこから来るのか
真田丸公式でまた朗読あったな。
七夕にちなんで >>777
3代目パーク・マンサー(軟式globeのあいつ)の声になるけどいい?w 大田道灌と直江兼続は、似ている気がするんだけど、最期が違うのは主君の器なのかな? 伏見城船入普請で普請負担の多さに不満を訴えた重臣が大量に
景勝の勘気により追放処分→その後他家への高禄での士官もなく浪人になり行方知れずになってるあたり
兼続が間にいて景勝の耳に入る情報を取捨選択してる方が潤滑油になっていたのではないか >>783
勘気、お叱りで重臣が大量に改易されたのは慶長二年
兼続が倒れて景勝の側にいられなかったのは文禄三年じゃなかった? 勘気を受けて牢人になった連中を一時的に直江が預かることがあったから直江も了解しているでしょう
それにしても景勝の中央集権化への執念はすごい 伏見普請は指月のと、それが慶長伏見地震で倒壊した後、木幡山に再建されたのと二つあるんだよね
特に後者は超スピードで再建された上に、上杉が担当した舟入場は難工事で水が抜けて再度やり直したんじゃなかったっけ
ただこの時改易された9人のうち、柿崎、斎藤、山本寺、加地は関ヶ原のさいの越後一揆の首謀者になっている 御館の乱で手痛い目に遭った反面、それを利用して一気に中央集権化を進めた感じだね
御館の乱がなくても中央集権化は進めてただろうけど >>787
御館の乱があったから中央集権化が出来たんだと思うよ
謙信時代の上杉家ってかなりめんどくさそう この普請と同じ頃、越後では検知が行われてたんだよな 御館の乱や新発田の乱があったから中央集権化が進んだってのはあると思うけど、景勝は元から中央集権的な思考が強いように見えるし何も起きなくても漸進的に中央集権化を進めて行ったんじゃないかな 謙信の頃は、家臣意識がうすかったんだろうな
征服された他国以上に越後の国人に 中央集権化は謙信晩年の志向でそれを受け継いだ若い新当主景勝が更に中央集権推し進めた結果
それに反発する豪族が一人の養子を担ぎ上げて起こしたのが御館の乱って研究もあるよな 検地ってのはある意味中央集権的な大名の証だな。信玄や氏政は結構前からやってたはず
謙信さまともなると、必要がない限りそんな無粋なことはやりたくなかったんだろうが・・・w 謙信は重商主義というわけじゃないが当時の越後はあんまり米が取れなかったせいか
米(土地)にはあんまり執着してなかったっぽいんだよなあ
青苧と湊は抑えてるんだが
景勝の検地も豊臣政権からの要請でしぶしぶやったっぽい感じがする
しかし直江はホント河川まわり普請のプロだな 謙信の内政研究って今もあんまり進んでないのかね
色々と複雑なお家事情があったから分かってないだけで内政面でも謙信は色々とやっていたんじゃないかと思うんだが 内政研究するにも史料が散逸しまくってそうだな
越後時代の上杉は不明なことが多過ぎる >>796
あまりやってないのでは?
関東出稼ぎ説もあるくらいだし。 >>798
出稼ぎ説はほとんど否定されてるよ
内乱に明け暮れていた越後を統一して豊かさを取り戻したわけだから色々やってるんじゃないかなあ 外に向かって戦争をしていないと国がまとまらなかったのはほぼ真実だと言える。 謙信は今でいう貸金業もしてたんだっけ?
金貸して利息で儲けてた >>800
そもそも当時の関東は越後と比べると非常に貧しいから出稼ぎの対象にはならない 関東管領だから関東の泰平の為に戦う、
それだけのことに過ぎないのが上杉殿の恐ろしさw 関東管領の権威をもって、国人領主たちを従えてたんだから当たり前のこと みんなあとになって作られた話にまどわされすぎだろ。 >>806
当時の関東は湿地ばかりで穀倉地帯と言えるような地域じゃない 北条氏がほぼ直接、支配していた地域は250万石もある。 なぜか関東の中心が江戸と思われているが、昔の関東の中心はいまの埼玉県。
上杉謙信だってそんなの当然わかっていたのにおまえはそんなこもわからなのか。 上杉氏のことを知らないで謙信を語るアホどもに謙信さんも嘆いているだろうな。 ID:GhMUly72の粘着が凄い件w
いちいち2回に分ける件w 武蔵国(東京都 埼玉県)で一番に影響力の強かったのは
滝山城→八王子城(東京都八王子市)では それ言ったら越後も湿地帯じゃねえかって思うが越後は米作りで経済回してた訳じゃないからなあ
まあ米ばっか作ってると飢饉に対処できなくなったりするんだが アーカイブで一瞬、北村景勝公が出たけど
格好良かった
やはり、景勝公は格好良いな 北村景勝も遠藤景勝も共にコワモテで長身という共通点 直江に対しても「あれ」呼ばわりだけど、8話見返したら春日さんに対して「これ」呼ばわりしてたな御屋形様 >>819
生まれながら大将となる運命なので言葉使いもそれに相応しいものになる もしかして上杉は会津転封と上杉征伐まで出番なしだろうか
涙目ばっかじゃん この大河の上杉の最大の見せ場は鴫野だろうからそこがしっかりしてくれれば
今の景勝の性格で幕府軍最高の活躍は想像しづらいけど 鴫野の戦いの上杉軍はとてもかっこいいけど真田丸方面の戦いじゃないから
ちゃんと描写してもらえるかどうか
秀頼の馬廻り大野治長とぶつかり、ついでに対岸で佐竹と戦ってた後藤基次を直江隊が狙撃してるんだけど 上杉さん家はやっぱ武門の家なんだよな
関ヶ原終わっても鉄砲作るわ、大坂の陣みんなノリノリだし 丸世界の謙信はGacktの方なんだろうなあ
阿部謙信はあんまり想像できない >>826
お屋形様の部屋の龍の壁絵は風林火山の謙信の部屋の絵と同じものを使っているらしいしね(笑) Gackt謙信は確かに軍神だなw後継者の御屋形様も苦労されてるのだろう ガクト謙信にびびっていた卯松くんが成長したのがエンケン景勝か
天地人は上杉家最後の見せ場の鴫野・今福の戦いを一瞬で終わらせたと聞いた
鴫野の戦いから真田丸の戦いまで1ヶ月ちょっと開くから
大坂城内で信繁が上杉軍の勝報聞いて負傷して帰って来た又兵衛見て苦笑いくらいしてほしい >>831
やったけど隠居して静かに夫婦で過ごした後で死んだような
最後まで働いてなかったのは確か 景勝に体調悪いなら付いてこなくて良いと言われながらも江戸まで景勝に随伴したあと
江戸鱗屋敷で半年ほど消息がなくなりそのまま亡くなってるんだっけ
子供達も兼続も結核だった説あるし普通に考えたらもう江戸に向かうときには発症して咳や熱の症状出てて
鱗屋敷ではもう衰弱して動けなくなってたんだろうけど
愛と義の兼たんが血を吐いて死ぬようなのはダメだったんだろうなぁ 江戸から更に上洛して戻って3か月くらいで死んだんじゃなかったっけ
江戸までついて行ったけど上洛できなかったのかな 秀忠の上洛に供するために江戸に向かう景勝にくっついていってるんだから
動けたなら上洛にも付いていってるか動けそうもなくて鱗屋敷に留め置かれてそこで亡くなったか
話違うけど桜田上杉邸が法務省で直江邸が警察庁ってなんかそれっぽくて笑える
目の前にあるから兼続生前から上杉藩主の別邸扱いでもあったんだっけ もともと上杉家の下屋敷用に幕府から拝領して、景勝がそれを兼続に与えて直江家の屋敷になったんだよな 千徳定勝が鱗屋敷の方で育ってるからなあ
桜田屋敷の方がもらい火事食らったときは鱗屋敷が上杉本邸に一時なったんだっけ
直江屋敷なのか上杉家下屋敷に直江夫妻が住んでるんだか 家臣にぽん。と屋敷与えられるものなのか
目の前にあるからいつでも行き来できたんだろうな 直江は景勝の3、4本目の腕みたいなもんだから近くに置いといた方が便利だろう >>840
痒いところに手が届く側近、良いじゃないか! 越後時代だと目と鼻の先に直江屋敷あったがあれは謙信政権から建ってたの?
痒いって言わなくても掻いてくれる側近か >>842
直江景綱は謙信の側近中の側近で謙信擁立初期から死ぬ間際まで謙信に最も重用された
その妻は謙信の旗本衆筆頭の山吉家の娘で妻のない謙信の(本来なら奥方がやる仕事の)奥向きの仕事を取り仕切った
景綱に男子がなかったため娘の「お船」の夫として直江信綱が跡を継いだ
信綱は謙信、及び謙信死後は景勝の馬廻り頭(親衛隊隊長)を勤めた
つまり景綱の代から直江屋敷が本丸近くにあってもおかしくはないが確証はない 副社長が社長の近所、もしくは社長んちの二階に住み込みで暮らしてる
とかそんなイメージかな?
景勝にとって幼い頃からいた弟みたいな存在だったのかもしれないしな
上杉主従の屋敷が江戸城の真ん前なのは信用されてたからなのか、警戒されてたからなのか ツイッター民ですが、お屋形様のスタッフ様より、お屋形様と直江様にな7月中にお会いできるはず、8月9月はもっとお会いできるはず、と貴重な情報いただきましたよ。 7月中に会津転封か?8月9月はちょっと濃い話になってきそうだが
上杉征伐前の御屋形様はどう描かれるんだろう あまり関係ないかもしれんが考証の人が直江状や上杉征伐の扱いに迷っていたような覚えがある 未だに直江状は本当の内容はどうだったのか論争されてるからな
ただ、三人いる考証のうち少なくとも丸島さんは上杉家に関しては詳しくないみたいだから
どうするのかはほんと分からん
三成との陰謀説採用しないにしても喧嘩上等な内容だったのかただの反論状だったのでも
大分流れが変わる 考証の3人は関東戦国史が専門でもともと豊臣政権は専門外
数話前から矢部健太郎さんが考証の補佐に入ってるから問題ない
秀次事件の描き方も矢部説を概ね蹈襲してるし
景勝五大老も矢部さんは小早川の後任ではないと主張していた方だ
直江状に関しては、直江の挑発ではなく家康は軍を動かす大義名分が欲しかったという矢部説が採用されるんじゃなかろうか 小早川の後任ではないというのは、大老は五人と決まっていなくて小早川が存命でも
景勝を大老にしたという事だろうか?
家康が大義名分が欲しかったというのはどうだろうなと思う。昔のTBSドラマ「関ヶ原」は
司馬遼太郎の作品をドラマ化したものだが、直江状に怒って刀を振り回す家康の姿を見ても
家来や何かに対するパフォーマンスだなと思ったし。 矢部さんは大老の元は豊臣政権下で清華成りした大名としている
上杉が清華成りしたのは毛利、小早川の前であり、上杉が五大老の最下位で小早川の後任などというのはありえないと主張してるんだよ
五大老という言葉を初めて使ったのは、徳川御用学者の林羅山だが、後世の二次史料てはなく、当時の一次史料で大老については考察すべきというのが矢部説 少なくとも秀次の高野山蟄居、切腹は我が子可愛さに狂った秀吉の命令ではないという矢部説でいくみたいだね
大河が通説を否定して研究者の新説を採用するのは、草燃えるの実朝暗殺の黒幕は三浦以来かな
三谷もなかなかやるではないか >>851
5月に上杉博物館でやってた上杉景勝展の文禄4年付けの文書だと
署名順が隆景→輝元→利家→景勝→秀家→家康
先に署名する方がランクが下だそうなので、この段階だと景勝のランクって結構高かったみたい。
もっとも、この後いろいろ署名順は変動するけど 宇喜多秀家が二番なのか。若いんだし最下位かと思ってた。 >>854
自分もちょっと意外だった。まあ秀吉の猶子だからでしょうかね
あと、前田に着目すると、秀吉の亡くなるころに利家のランクが上がったり、
利家が死んだら、後継いだ利長は最下位になったりなかなか興味深かった 景勝は隆景の後任ではなく元々大老の一人であるって話はもっと知られてると思ってたわ 山川出版の日本史教科書にも、五大老は家康筆頭、最下位が景勝、景勝は小早川隆景の死去によって
その席に着いた、と書かれてしまって既に長いからかな
矢部先生の官位と家格の研究が進んで「清華成」「公家成」などの概念も今後浸透していきそうだし、
少なくとも歴史好きにとっては、通説が大きく変わっていくんじゃないの その教科書はまだ直ってないのか?
元々六大老(秀次死後発令された御掟状に連署した六人の大名が秀吉政権下の重鎮)で、隆景の死によって五大老になった
というのは矢部氏以前から言われてた説だと思うんだが
そもそも隆景ははっきり五人の年寄衆の形態がはっきり決まる前に死んでるし
隆景の生前にも景勝が連署に参加したパターンもあるのに何故そんな誤解が広まったんだろう
上杉や毛利が元々は徳川に並ぶほどの家格として扱われてたのに家康がいちゃもんで叩き落として権力独占して
秀頼を殺すに至ったのが一般に知られると恥ずかしかったからか? 専門家の人達が対して興味無いから直らないんでね?
上杉関連は研究進んでないっていうし 上杉関連の書籍は謙信か直江でなぜか景勝は少ないんだよね いまだに謙信と兼続の付属物扱いだからなあ>景勝
調べれば調べるほど凄い人物だと思うんだが 人気と知名度がな…謙信と兼続の人気が凄すぎて霞んでるってのもあるし 最近は景勝の汚点として扱われやすい御館の乱と会津征伐の研究が進んでいるからいい方だと思うよ
昔は景勝は家督を簒奪して内戦を引き起こしたとか好戦的な上杉が関ヶ原合戦を引き起こしたとかの主張に今ほど合理的な説明ができなかっただろうし
今後は景勝の残りの汚点である新発田の乱についても研究が進んで欲しい
昔景勝スレで新発田の三条要求云々という話を読んだが今はどうなんだろう 上杉に関係する自治体も謙信・兼続推しばっかりだからねぇ
越後や会津に住んでる今の人は景勝公をどう思ってるんだろう 米沢三十万石に落ちぶれた元凶
とはいえ景勝の膨大な発給文書を読んで
「景勝は全部家臣任せの無能どころか、頭の回転が早く情勢を読むことに長けた頭の良い人物だった」
と評価する研究者がぽつぽつ出てるのは嬉しい
三条はそもそも謙信の権力基盤である三条長尾家の土地であって三条長尾家の旗本筆頭である山吉氏が治めてたのが
山吉氏当主が年少ゆえ三条支配権を別家臣に預けていたのを、
御館の乱で神余謀反鎮圧の功労賞として山吉氏に三条を戻そうとしたっぽいから(神余を討ったのは山吉家の家臣)
ふっつーに新発田や五十公野よりも山吉の功績のが上と評価されただけに見えるけど
あと大体忘れ去られてるけど港・湊・津を上杉家直轄領にするのも謙信の方針踏襲なんだよね 会津は普段は忘れてるんじゃないの
上杉の痕跡殆どないし >>864
地元民「誰だっけ?」
の可能性も………… >>864は会津じゃなくて米沢だったw
どっちにしても影は薄い気がするがどうかな 兼続の中の人情報だとこれから御屋形様が徳川と戦う決意をするみたいだね
直江状は無しになりそうだけど、御屋形様主体で上杉征伐突入パターンは嬉しいな
しかし基本誰も悪くない的な書き方をしているからどういう経緯で上杉征伐にいくんだろう
今更内野家康を悪役にはできんだろうし、上杉側の自業自得的なかんじななるのか? >>865
商いが盛んな場所を謙信の頃から重視してたのか、経済重視なんだなあ
>>864
移封の時に青麻を持ち込んだ影響で越後、会津、米沢が江戸時代の苧麻生産の中心地になったようだ
江戸時代の会津人にとって青麻は上杉の遺産になるんじゃないかと思うが現代人は青麻なんて知らんし使わないよね >>869
家康の狸ぶりはもう片鱗を見せてると思うがな
丸の三成は悲劇の忠臣として描かれるんだろ
秀吉死後、史実通り家康は事実上の天下人として振る舞い始め、大名たちも家康に取り入ろうと必死になる
景勝がそういう如才ない生き方が出来ない人間ということはしっかり描かれてきてるからな
直江状がなしになるなんてありえないんじゃない
直江と三成共謀説は採らないということじゃないの 景勝がクーデター起こして景虎を追い落とした。ってのが浸透し過ぎて、本来は謙信のやろうとしてたことをそのまま受け継いだが反発がでかかった。って説が受け入れられないのかね
景勝が景虎を追い落としたってほうが盛り上がるし >>863
研究が進んでいるのかは知らないが
乱の原因を御館の功労がらみ、なんていうのは軍記レベル
景勝が権力中枢の構成を謙信以来の戦国領主を主体とする体制から、自らの譜代衆へ転換していく動向への反発とするのが研究者
織田信長の上杉領への攻勢も関係してる
その証拠に、重家は兄長敦生前から景勝の権力中枢に参与し、新発田相続後も乱勃発の直前まで、景勝の意向を伝える重要な役割を果たしていたことが文書から窺える 謙信没後、直ぐに城内で内戦が始まったってイメージが大きいからじゃないか
この考え方だと景勝側が先制攻撃を仕掛けて春日山城の要所を占領したことになるからどうしても景勝の正当性に疑問符がついてしまう 謙信死後直ぐに景勝が本丸占拠して三の丸に向かって鉄砲撃ちかけて景虎追い出した話の元って北条五代記だっけ? ちなみに天地人も何故か兼続の実父が、今すぐ金蔵を押さえろとか先走ってたよ
景勝の許しなんかまったく得ずに動いてた >>871
レスミスった。
真田丸の場合、なんか景勝と家康は別段仲悪くなさそうだし、
司馬の関ヶ原なんかと違って、上杉が豊臣に肩入れする義理とかある感じでもないんだけど、
お互い戦国最強レベルの軍団を持っている大名が隣にいるのは気持ち悪いから、
家康は機会をとらえて景勝の力を削ごうとするし、景勝は味方が多いうちに戦おうとするって感じなんじゃないのかなあ 御館の乱の時、全く名前出てこないのにどの本でも活躍しただろうと書かれる兼続
いっぱい頑張ったのに誰もそれに触れてくれない景勝
この差は一体… 御館で景勝が活躍してないなんて書いてる小説なんてあったか? 本丸占拠と謙信の遺言関連、武田との交渉などの大事なところはほとんど兼続の手柄になってるような
こういうのを読んだ後不識庵謙信の影を読むとたまりませんな 本丸占拠→実際にあったかどうか怪しい
謙信の遺言→上杉家譜では直江景綱の未亡人(謙信の奥向きの世話してたので一番自然)
武田との交渉→謙信時代からの重臣でまだ現役だった斎藤朝信が担当していた
初陣したてのぺーぺー与六くんが何故か全部やったことに
直江信綱が急死したとき「兼続に与板衆任せよう」と景勝が思う程度には動けたんだとは思うが
兼続が直江景綱の妹の子だったならただの血縁重視采配だった可能性も 信綱が巻き添えで殺された時に緊急避難的に婿入りできるのが他にいなかったのかもしれないしな >>883
こうしてみると兼続の手柄横取りひどすぎるな
シエも真っ青じゃないか >>884
兼続と同年代の家臣は上田衆に限ってもぱらぱらいるし、ぶっちゃけ別に若くなくても良いわけで
よりにもよって長男の兼続と次男の実頼を両方養子に出す(三男の秀兼は生まれたばかりか)采配は
兼続なら与板衆を任せて即戦力になると景勝が判断したからだと思う
個人的には景綱の妹の子だからもありとは思うが景勝は使えない家臣を傍には置かない
狩野秀治の息子をまったく重用しなかったり景勝はその辺シビア 有能なら新参者でも使うって感じがする
狩野も清野も古参から見たら、え?誰?なんで?って思ってそう
今の大河主人公、信繁もそんな感じで働かせてたんじゃないか すげー合理的で有能な君主じゃないか
これでなぜ付属物扱いなのか本当に謎 実際のところ源次郎は上杉家でどんな働きをしてたの? >>888
後世でついた寡黙なイメージと直江についた雄弁なイメージのせいじゃないか
まあ実際に直江の権限が非常に大きかったというのもあると思う、関ヶ原の時の越後一揆は直江が独断で起こして景勝には事後報告で済ませていたようだし >>890
勝頼や秀次や三成といった悪いイメージのある人物は良く書いてくれてるのに
なんで景勝はむしろイメージダウンさせるような書き方するのかね、三谷は
普通に寡黙で戦強くて人望も能力もある人物に書けや
直江なんかよりあまり名が知られてない上杉家臣や勝頼の妹である菊姫出した方がよかったのに
信尹の調略跳ね返して追放した山田右近尉どこいったよ 今の時代寡黙とかハードボイルドって受けないからなあ
昨今の創作では直江がでしゃばりすぎなことはよくあるけど、やっぱり景勝を描く上では必要な人物だしあまり貶めるのはよくないと思う
ただ、大坂冬の陣で活躍したという安田とか水原は見てみたかったなあ、天地人でも出なかったし 三谷は女の描写が下手だから菊姫やお船は出なくて良かったよ
本庄繁長が見たいが出ないだろうなあ 上杉を裏切った昌幸パッパに対して激おこモードな御屋形様かっこいい twitterで見た景勝作の和歌がまるで可憐な乙女のポエムみたいでびびったw
数々の戦で人を殺してきた戦国武将とはとても思えない繊細な感性w >>895
御館の乱の最中に兼続が春だなぁ的な詩もあるぞ 全然関係ないが毛利輝元がじいちゃん、叔父さんから折檻受けて育ったっての見て、景勝はそういうイメージないなって思った
謙信の手紙のせいだろうか…
丸の御屋形様は特にそう見える >>887
天正壬午の乱で越後に逃げ込んで新発田の乱で身分隠して参戦したはずなのに
働きが景勝の目に留まって結果上杉家中第三位にまで引き立てられた藤田信吉とかな
景勝が信吉めっちゃ評価してくれてたけど家康に寝返ったら大坂の陣で用済みとばかりに改易食らって自害とかいう
>>898
「喜平次は細やかに報告してくれてありがたい、
それに比べて他の奴等ときたら私がこんなに心配しているというのに本当に薄情ものだ!
この手紙は大和守(直江景綱)にも見せといてね」 >>895
「夕されば 露もやどりし 苅萱に 野べの 秋かぜ 心してふけ」
(夕方がすぎて 露のやどった 苅ったばかりの萱に 野原の 秋かぜよ 露を落とさないように優しくふいてくれ) >>899
でたオカン風味の手紙w
本当に謙信は甥っ子大好きだな >>900
丸の景勝なら余裕で詠みそうだし、あのナレーションもこなす優しい声で再生されてる 景勝と謙信の間で資質を問う逸話はあんまりないのかね
創作なんだろうけど、景勝が罪人を勝手に殺して謙信がそれを褒める話が武人っぽくて好き >>904
喜平次「パパは危ないからダメだって言ったけど成敗したらきっと喜んでくれるよね!勝手にやっても許してくれるよね!」
※逸話だとこの時14歳 しかも罪人2人をまとめて殺すのではなく、上意だから協力しろと言って片方にもう片方の止めを刺させておきながら自分は止めを刺したやつに切りかかるっていうね 創作とは言えどえげつない14歳
まぁ、14歳なら喜平次君は上田長尾家当主としてバリバリ戦場駆け巡ってたろうから違和感無いっちゃないが >>900
ヒエッ
なにこの繊細過ぎな和歌
公家かよ素敵
>>909
ヒエッ14歳…と思ったけど創作か どこのサイトか忘れたけど、ひとつの国に二人の王はいらない。って御館の乱終わった後に景勝が詠んだって見かけたんだがそれは史実? 雲洞庵には「当時ひらがなしか読めなかった戦国武将が多かった中で景勝公兼続公は
四書五経などにも明るく漢字も達筆で〜」みたいな説明書があるらしい。まあ身内びいきは
多少あるとしても、景勝は当時としては家柄的にも教養(文武とも)的にも戦国武将の中では
エリートだったことは間違いないんだろうな。上洛回の上杉主従のあの態度は、今で言えば
いいところのお家に育った東大出のお坊ちゃんが、家が傾いたせいで中卒・ヤンキー上がりの
社長がいる会社に入社しなけければならないがゆえのものだとすると納得できる。初対面の人間に
「景勝 会いたかったぞ!」なんて馴れ馴れしく呼び捨てにされれば腹が立つ以前に毒気を抜かれるよね。
謙信や父親はともかくとして名前を呼び捨てにされたことなんて今までなかっただろうし。 武家の礼法だと、将軍ですら諸侯を呼び捨てにしたりしなかったというからね
(二代将軍頼家はこの禁忌を侵して政子に酷く怒られている)
戦国の世だと忌み名禁忌などの礼法はだいぶ緩んでいたとも言うけど(三成が「政宗様」と記した書状を残している)、
将軍義輝から盟友と扱われていた上杉家は礼法がしっかりしていただろう 俺はあの時代のひらがな・漢字のお手紙はほぼ読めないわ。
せめて公式文書は東大寺にある明朝体な漢字にして欲しい。
でないと聚楽亭の門番みたいに戦国終わったら死ぬしかないw
謙信の漢字ドリルで勉強したら、習得できるだろうか? と思わないでもない。 ごめん 915で一つ訂正
ひらがなしか読めなかった → ひらがなしか書けなかった でも「漢字ドリル送るので参考にしてね」の手紙が既に読めないw >>916
三成さんは臣従前でも上杉宛の書状におもっくそ「景勝様」って書いてるよ
まあ増田も書いてるんだが
東国の方が諱の忌避はゆるかったそうで 諱だけど、景勝は殿様だからみんなのことは兼続。とか名前呼びだったのかね
手紙とか見るとみんな与六へとか書いてるから通称呼びかな 話ズレるかもだけど直江状の中で「景勝」が頻繁に出てくるところがぐっと萌えるんだけども あれは外部の組織に対しては社長と言えども自社の人間は呼び捨てるのと同じだろう
たしかに景勝景勝うるさいがw 景勝って何回言えば気が済むの………とは思ったなw
個人的には
上方の人間は茶器とか人たらしの道具を集めるのが趣味みたいですが、田舎者なんで武器武具集めるのが趣味でして。
風習の違いってことで理解してくれますかな。
景勝に似合わないもの集めてるわけじゃないんで!←この一文が好き
景勝に似合うもの=武器武具
うん。すげー共感する。
兼続的にも茶器より武器のが景勝らしいと思ってんのが最高(笑)
朗読でスルーされたのが残念だったが そうそう
お母ちゃんかと思うくらいの連呼w好きだわ うちの景勝はー、うちの景勝はー
って家康もそりゃキレるわw
関ヶ原では直江状より景勝様のカッコいい啖呵を期待したいところ >>920
上杉は謙信が裏書御免を頂いてるから家督継承した景勝も官名裏書せず
秀吉が少将贈るまで三成たちは「上杉様って官名何」「貰った書状には諱のサインしかない」となって
誰に問い合わせたら良いのかも分からなかったんだったりして
結城とか関東衆は山内殿って書いてるけども 謙信といい兼続といいオカン風味満載だなw
>>924
両国の丸展で「人たらし」の箇所を見た時は吹くかと思ったわw 一つ一つの弁明に景勝ってほぼ出てきててよほど頭にきてるんだな兼続。と思うのと同時に心底、景勝に心酔というか惚れ込んでるんだな。とも思った
上洛して釈明したほういいよって手紙貰って速攻で返信してる辺り並々ならぬものを感じる 「景勝〜」「〜候」の連続が
「宅の主人が〜、〜ざますの」に聞こえてくる
もうこれはホント良い嫌がらせ手法w 写本によって多少違うけど20回以上景勝って言ってるもんなw
家康超イライラだろ >>931
かねつぐのこうげき!
いえやすへのこうかはばつぐんだ!!
こうですかわかりません 高野山の謙信公廟(景勝公の慰霊塔もあり)が
ポケスポットになってるらしいw け、謙信公・・・!オラにもポケモンを授けて下され! 戦国無双とポケモンがコラボした時登場した武将には相性が一番いいポケモンってのがいて、謙信がミュウツー景勝がエルレイド直江がフーディンだった 謙信強すぎやしませんか…
モブショーカゲカツゥゥ
でも、お似合い 直江状のレプリカが過去最高の売り上げってあって買った人がぶ厚すぎてバウムクーヘンかと思った
長すぎて全文広げられないとか言っててワロタw 本当に飛ぶように売れてて売店のおばちゃんがびっくりしてたよ>直江状 来週ボケた秀吉に会津行きを言い渡されるんだろうか
出番少なさそうなんだけど 伏見城普請だから名前くらいはでてほしかったが真田を魅せるためにはやたらにださないほうがいいんだろうな 慶長伏見大地震で伏見城は倒壊、京、堺でも無数の家屋が倒壊し
多くの死者が出る中伏見上杉邸なんと死傷者無し
なお奥方様がおひとりで崩れる屋敷を支えて家人たちを逃がした模様
流石信玄公の娘だ真田には真似できない 囲碁盤を利き手ではない左手で振り回したとか怪力に定評のある甲斐夫人
どんな夫婦だったのか本当に気になる
手紙とか一つでも見つからないかな シリアスパート→三成
コントパート→上杉
みたいになりそう>関ヶ原 >>954
では真田は何パート?
本戦と上田中心で上杉はナレ移封かもしれない 公式写真の内野家康の顔がコントになってるから景勝含む諸大名も秀吉に振り回されるんだろうね
それにしても直江の安定したチベスナ顔は何をおいても上杉と御屋形様だけが心配ということか 時期的に会津移封と「拾いをどうかどうかよろしく頼みます」だろうから
景勝はいやいやながらも老いた秀吉に断れずみたいな感じだろ
醍醐の花見では上杉主従は「花に背いて帰る」はずだからな
ボケジジイに越後を捨てさせられては兼続もチベスナ化する しかし越後から会津って減収が凄まじそうなんだがどうなんだろう そうだな、どちらかというと
「兼続様がチベスナ顔をしておられる」
「きっと何か喜ばしいことがあったに違いない」
「おおそうじゃ、来週は久々に御屋形様の出番!なるほど!!」 >>960
120万石に加増だし佐渡はそのまま上杉のものだし直江も6万石もらったからウハウハでは 表面上は加増だしもしかしたら元々地盤のない秀吉にとっては加増転封は当たり前の御褒美だったかもしれないけど
元々越後で生まれ育って越後を守るために戦ってきた方にとっては苦渋だろ
会津に行きたくなくて刀を捨てて故郷に残って自害した老臣もいるし
上杉家についていくことが許されなくて自害した庄屋もいるし >>960
会津だけじゃなく米沢と庄内もなら越後より上かも
越後平野はほとんど沼地だったそうだし >>962
>>964
上杉の主要な財源って交易や商業とかの税でしょ
越後がないと主要港が酒田しか残らないし越後内の鉱山もなくなるからどう考えてもウハウハにはならないと思う >>965
越後の長尾氏、上杉氏は資料が少なくてどういう財政だったのか謎が多い。 >>966
よく分かってないのはそうだけどさ、会津米沢に越後を超えるような経済的な強みや鉱山資源があるとは思えない 石高増えても今まで培ってきたものが無くなるんだもんねえ
はあ?会津ぅ?だよ >>954
真田丸では関ヶ原よりも、今まであまり注目されなかった関ヶ原前夜の情勢が詳しく描かれそう
丸島さんまた論文集めまくってそうだ >>965
越後は当時海岸線の方が人口多くて米よりも塩や商品作物の方を作ってる人の方が多かったと言うからね
土地よりも港の方が上杉家としては惜しかったろうね
しかも国替えで会津に入ったら今までの葦名や伊達は何してたんだってくらい整備されてなくて呆然としたそうだよ
米沢なんか毎年のように川が氾濫して荒れ放題で直江が入ってからようやく治水して氾濫起きなくなって城下町が作れた いくら広くても人や物を集める港がないとなあ
移封早々城下町を作り直すために会津若松城を潰して神指に城を建てようとしてたんだから不満は大きかったと思う どう見ても焼きが回った痴呆老人にいきなり会津120万石に引っ演zして!て言わb黷トも
はb汢ス言ってんだャRイツと戸惑うbフが普通じゃなbゥろうか
b「つ前言を翻しbト突拍子もないbアと言い出すかb烽棠らないし >>973
来週のあれが会津転封だとしたら、三成か源次郎から何かしらのフォローはあるだろうか 神指城はかなり大掛かりな計画だったみたいだね
関ヶ原に西軍が勝って、19世紀まで安土桃山時代が継続していたら、
あんがい明治維新を起こす雄藩になるのは会津の上杉家だったかもしれん 蒲生家が早死にしなきゃそのままだったんだろうがなぁ 秀吉がもっと早く死んでればずっと越後にいられたんだよ 氏郷が早死しすぎたのと秀吉が死ぬのが少し遅かったのがな このほんの一瞬の時差が上杉景勝の特徴だよなぁ
謙信の急死、本能寺の変しかり 徳川も小田原攻めの褒美で江戸送りになったしなw
表向きは加増だし、まさか断われないしな 勢力削ぐには最適だよな
加増という名の強制引っ越しw >>979
こういうパターンが多いから景勝の運が強いと言われても納得できない
元から運が強かったら御館の乱や会津移封で滅亡寸前まで追い詰められることはなかったよ >>983
運はかなり味方してるとは思うけどな
滅亡寸前まで追い詰められても死なない。滅亡しなかったギリギリの粘り勝ちな意味で景勝は運を引き寄せる実力的な強さがあるとは思う
じゃなきゃ、御館の乱で速攻死んでるはず 御館の乱や本能寺前に書いた書状を見ても精神力というか士気が高い人物だな 滅亡寸前まで追い込まれながらギリギリ回避する上杉景勝
銃弾くらったけれども兜のお蔭で死ななかった最上義光
ファイッ 結果
減封されたけど家を残した上杉
加増されたけど家を取り潰された最上 景勝、義光、死後の差なのかね…
景勝は信念曲げるくらいなら死んだほうマシなプライドの高さを感じる
その反面、魚津城の12人将一人一人への手紙とか気遣いがあるのが魅力的だ まぁ本当に運が良い人は滅亡寸前までいかないからなw
悪運が強いというか不幸中の幸いというか
>>988
こういうの見るとすごくいい人だったんだろうなと思う
上司にしたい武将だわ 身内から見た景勝と外から見た景勝、かなりギャップありそう
兼続は兼続。うん。きっとそのままな気がする >>983
つまり悪運が強いという奴か…
波乱の多い人生なんて
いらんよな
しみじみ
>>992
乙です!
来世こそは平穏な人生が欲しいものよ… まあでも、上越でも米沢でも父と愛され、子孫も繁栄するなら幸せなことだ
板復帰(NG!:Gather .dat file OK:NOT moving DAT 732 -> 732:Get subject.txt OK:Check subject.txt 732 -> 732:fukki NG!)0.09, 0.15, 0.16
age Maybe not broken / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
| 8時45分になりました |
| ニュースをお伝えします |
\ /
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(⌒) ピ
/ ̄ ̄| ∧_∧ オワタ
| ||. | ━⊂(・ω・` )
\__| ======== \ このスレッドは1000を超えました
| | /※※※※ゞノ,_) 次スレ、ご期待下さい
life time: 199日 8時間 5分 35秒 2ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 2ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 2ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
http://premium.2ch.net/
http://pink-chan-store.myshopify.com/
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。