光厳天皇

1、嫡流の皇太子なのに、南朝の更に傍流の後醍醐が我が子に譲りたいがために約束を破られ、即位を阻む目的で長く元服も妨害される
2、六波羅陥落で武士たちに東国に連れていかれる際に、野伏の矢が刺さり怪我
3、尊氏の寝返りにより、今まで自分を護衛していた北条軍400人以上の武士が目の前で集団自決、血の海の中に取り残される
4、復活した後醍醐により廃され、帝位についたことさえ無かった事にされる
5、本物の神器を偽物だったと騙され、後に本物を奪われる
6、法要の帰り道、酔った武士に「院?犬?犬なら射てやろう」と散々射かけられ車が壊れ外に放り出される
7、足利の内部紛争の巻き添えで尊氏に再度裏切られ、南朝軍に捕らえられ跡継ぎ共々山奥に幽閉される
8、南朝に幽閉される間に足利側の都合で、僧侶になる予定で帝王学を伝えていない光厳三宮を無理矢理北朝帝につけ、このため光厳院が守ってきた王朝最後の文化伝統、京極派の和歌等が衰退
9、出家し、僧一人を連れ高野山に行く橋の上で、後を歩いてた野武士達にもたもたすんなとどつかれ川に落下して怪我
10、現皇室の直系の先祖であるにもかかわらず、明治政府の思想のせいで天皇歴代数からはずされ、未だに名誉回復していない