勝頼がこの先生きのこるには [無断転載禁止]©2ch.net
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国が長く持ったなら呉ではないか?英雄を多く討ったという
意味でも。関羽劉備張飛。まあ勝つという意味なら曹操かな? ・
三国時代は曹丕死後はほぼ司馬氏の天下
外患誘致で内部を抑え、曹氏は傀儡、呉も蜀も生かされていただけ 北条の家臣になるくらいなら織田の家臣になればよかったのに ヒストリア見たけど勝頼様なんともかわいそうなお方だな
妻と子を愛する殿って大河が大好きな逸材なんだからいつか主演で見たいものだ >>189
甲州征伐は武田滅亡だけじゃなく
勝頼の娘の松姫と信忠の悲恋とか本能寺の変まで色々引っ張れるネタがあってドラマ向きのネタ
勝頼役の平岳大と信忠役の人は評判良いし草刈、大泉、堺の主人公三人抜きでスピンオフとかやってほしい 嫡男義信を死なせ、自らは50歳で死んだ信玄。
もう少し長生きして信長をやっつけていたら・・・
自らも嫡男信康を死なせた家康は武田家の末路を目の当たりにし、
頼りない子や孫のフォローのために何が何でも長生きする気になったのかも。 ちなみに家康と秀忠が関ヶ原や大坂で常に別行動だったのは
信長と信忠が二人一度に討ち取られたことへの反省から。
幸村が本当に家康を討ち取っていたとしても大勢は変わらなかった。 >>191
信忠と松姫の話に興味があったから調べてみたけどいい話だねえ。
スピンオフもいいかもね。
しかし勝頼、信忠、小山田と演技いい人がわりと早く抜けるね真田丸・・。 >>195
リアルでごめんね
「いい話」はあくまでも「話」であって
その通り「後世の創作」 秀吉だったら仁科盛信の命を助けたかもな。本人が受けるかはわからないが 信忠からの降伏の書状内容が無礼なものであったとしても
「信玄五男の武勇を見せむ」と戦った仁科盛信が助命何ぞ受けないよ
盛信は勝頼とも親しくともに神社に連盟で奉納をしてるような仲 >>197
信盛は降伏を受け入れていたら助かったと思われ
穴山と信廉は長篠の前科持ちもあるから助命されても遅かれ早かれ粛清コースだろう
日野本陣に伝わる記録準拠なら織田は松姫を迎えようとしていることからも
この二人は松姫が信忠の正室におさまれば利用価値はグッと下がるしな。
>>199
結果は攻めることになったが信忠は降伏助命しようと1ヶ月近く頑張っているから
別に秀吉じゃなくても助けたろ、受け入れさえしてくれればね。
信濃の連中は逸見、加々美、三枝といった同族も皆助命されている。 勝頼スピンオフは良いんだかなあ〜やっぱそれなら巻き戻して
長篠をやって欲しい。映画で良いから。 >>202
長篠からではなく、野田城から始めて、奥平離反と人質処刑から長篠攻め、設楽原決戦、田峯逃亡からかな 第一話「総括設楽ヶ原」
第二話「信玄の遺言」
第三話「豪腕35歳」
第四話「天下分け目」
第五話「合戦設楽ヶ原」 お父さん怖いよう
誰か来るよう
大勢でお父さんを殺しに来るよう >>201
>織田は松姫を迎えようとしていることから
それはどんな文献なんですか?
日野本陣とはどの地域の日野?
でも「迎えようとしていた」体制があったなら
松姫はなぜ険しい甲武相の山道をたどり
八王子城下の庵室に実をひそめていたのだろうか
勝者の織田家の迎えをどこかで堂々とまてば良いのに
なぜソレをしなかったんだろうね 自己解決した
単なるごくごく普通に流通し周知されてる「松姫伝説」の紹介じゃねーか
松姫と信忠の悲恋物語は「物語として素晴らしいwwww」けどw
「「おんな風林火山も大映らしい傑作だったね」でも
何も根拠もないんだよね−、って認識がやっと一般的になってきたご時世に
今さらあの超有名な「おハナシ」を聞いて信じ込むお人がいるとは 松姫は家康の妾か養女を秀忠の側室に送り込んで武田家復興は
夢見なかったのかな?会津宰相とかもちあげられてるが
保科正之だってそんな感じなんだし(笑) >>212
何か勘違いしているのでは
まず武田瓦解前に秋山氏の娘を養女にして家康側室にあげたのは穴山梅雪
その側室・お都摩(下山殿)が産んだ子が信吉で武田を名乗るが若死にした
現世を捨てて禅林の庵主として仏弟子になった松姫が
係累の女を奥向きにおくってまで武田の復興を計画するわけが無いだろうに
>>213
>保科正之を養育したのは
「正室三条氏腹の信玄の次女・見性院。
穴山梅雪未亡人」だろ
梅雪亡きあと家康から捨扶持をもらって江戸に屋敷を拝領していた
そして二代将軍秀忠の子を宿して城から下った浄光院の産の面倒をみた 大坂夏の陣でのラストシーンに平さんの幻影が現れ
信繁を導く、なんてのはどうです? >>207->>208
横から失礼するが、それで?
201氏はその文書準拠ならと理を入れてから書いているのだから
ただの言いがかりにしか読めないが。
それと日野本陣文書にある記録では北條氏照の命の下で北條配下の者達と
国境の上野原で待っていた他とかなり具体的な事が書かれている。
迎えようとしていたのも甲州征伐の第一次仕置終了後の話だからあなたが
とんちんかんな解釈をしているだけだな。 >>218
横から失礼しますが
その日野本陣文書の言文とか訳文でも良いのですが
何かで読めますか?
八王子の地理も上野原の場所もわかります
かなり具体的な事って指示伝聞の経過も書かれているんでしょうか
スミマセン、自分も調べますがご存知のことがあったらご教示下さい そーいやさ信勝だけでも吾妻に落とすとか考えなかったん
だろうかね?家臣の半分もつければ行けたろう。忠臣の
小宮山備前なら裏切るまいし 「最終話 決戦」
「無理だ・・・勝てるわけがない・・・」
大坂平野を埋め尽くす徳川方の大軍。どうみても突き崩すのは不可能だ。
配下の牢人たちも皆顔を青ざめ、ふるえがとまらない者もいる。これまでか・・・
「どうした源次郎!憶したか?」ふりむくとそこには、父・昌幸の姿が!
「父上!なぜここに?」 答えず視線をそらす昌幸。その視線の先には・・・
「御屋形様!」 そこにいたのは武田勝頼公だった。あれから何年たったのだろう?
あの最後の夜、やさしかった御屋形様。あの夜のままの姿で微笑みを浮かべている。
「行くぞ!」「はい!」 駆け出す三騎。つられて配下の牢人たちも勢いよく駆け出した。
その勢いに押され崩れたつ敵勢。不可能に思われた活路がついに開けたのだ。
信繁の目が家康本陣をとらえた時、既に二人の姿はなかった。だが信繁にもはや迷いはなかった。
「狙うは家康の首ひとつ。者ども続け−!!」「おおーっ!!」
「見ていてくだされ。すぐにそちらへ参ります。だが家康の首、必ずや冥土の手土産に致しましょうぞ。」
信繁の視界は白一色だった。その目には家康本陣の金扇だけが映っていた。 信勝は強く抗戦を主張してたわけなんだが
新府の時点で「城を枕に討ち死にして武門の意地を」だったんだよ
自分の母が織田家家中出身ということ負い目にも感じていて
かえって織田と戦おうという覚悟をもっていたというのに・・・ >>231
信勝の母ちゃんが生きていたら、織田との繋がりも切れず何とかなったはずだよね。
つくづく家族運がない人だよね。勝頼。 >>233
231ですが
信勝の母が「信長の姉妹が産んだ娘」といっても
信長妹はその実母、生没年、遠山家(苗木)に嫁いだ年も不明のような女性だし
たかが姪の産んだ程度のことで武田勝頼の嫡子を生かすとは思えないね
勝頼室・遠山夫人が武田に嫁いできたころは
未だ信長が武田に進物をせっせと送っていたような時期でもあり
時代の変遷によっての両家の力は大逆転してる
武田に温情をかけたって信長的には得なことなど無い それまで及び死後も温情を与えているのに何を言っているのやら。
遠山夫人は幼い時に信長が養女として引き取り実子同然にとても可愛がっていたと
されていて、これは遠山家菩提寺や遠山家由縁の寺の記録にあったり、信長が悪く言われる
東濃地域の伝承などでも確認できると遠山資料館の人が言ってたなあ。
軍鑑記述に拠れば実子でもあれほど悲嘆にくれることはないだろうと彼女の死を
信長は嘆き悲しんだとあるし義理とはいえ初孫にもなる。
信長公記でも牛はなぜか信勝の容姿にまで筆を割いていれば史料価値は低いが
関八州でも勝頼親子を死なせたことに責を感じた滝川が出家を願い出て信長は
認めたとある。
滝川への恩賞で働きの割りに茶器が無かったのは信勝を死なせてしまったことが
関係しているのでは?という見方も無くはない。
要するに何が言いたいのかと言うと遠山夫人や信勝は信長にとって縁薄いような
存在で無かった可能性が非常に高いんじゃなかろうか?と。 信勝母でどうにかなるんなら、勝長でどうにかなったんじゃないか? 「菩提寺や所縁の寺の記録」と言うが
寺伝というのはおおむね要検証の必要性が高い >>238
どうにかしようと信房を返還したのでは?という見方もある。
ただ、人質を返すことは完全敵対とも捉えられかねない危険な賭けでもあって
信長はそう捉えた可能性が高いよ。 実際問題信房の返還だけじゃ難しいだろうなあ
・上杉とは手切れ
・松姫を信忠に輿入れさせる
生まれた子供を信勝の次期当主にすることを約束
・信房ないし信長か信忠指名の人間を後見にして信勝に家督を完全譲渡
勝頼は出家の上織田監視下で蟄居
・穴山や信豊といった長篠でさっさと引き揚げた連中や反織田分子の粛清
・木曽が織田国人になるないし両属を認め場合によっては木曽領譲渡
・仁科クラスの人質を差し出す
最低限この位はやらんと…。 そだね
できるのなら400年前にいろいろ勘案したろうし
そもそも勝頼が織田に対して「どうしたかったのか」も不明なんだから
もし〜〜のうえにもしもをのっけて妄想しても意味は無い
だいたい信長は勝長(信房)がかえされたことくらいで
武田を残してやろうとか責めるに手心を加えてやろうなんてこと
考えもしていなかっただろうし 勝長はまあ生きてても1582年3月は変わらないだろうね。信長が
情で躊躇うタイプではない。跡部や長坂辺りの思い付きでは?
滝川も指令受けてれば信勝位は助けれたろ。6000対40とも
云われてるんだし。 >>244
織田は信玄に裏切られた後も松姫の輿入れなんか待ってたのか?
人質や妾として差し出すならありかもしれんが
徳姫なんて実家に帰された後も婚家の徳川家から扶持を受けていたが
織田家が松姫を御寮人として扱ったことなどないしな 出たよ、松姫の話になると必ずやってきて文脈読めずなのか
頓珍漢なことを言い出すお馴染みさん。
信忠軸でみると松姫を正妻に据えておいたほうがなにかと使えるのは確かな。
本願寺、北條、上杉、清華家クラスの公家とは自然と親戚、松通して快川から
虎哉ルートで伊達や最上等背後にあたる連中の調略に有効。 >>248
何か知らんけど
信忠と松姫のロマンス成就が好きな人が2ちゃんに居るんだよね そういや三谷の「清須会議」では三法師の生母が松姫だったな >>252
武田の血がどうたら言い始めたとこで、三谷も終わったなって思った _,,...,_
/_~,,..::: ~"'ヽ
(,,"ヾ ii /^',)
:i i"
| (,,゚Д゚) < 先生、四郎をたっぷりとお叱りください
|(ノ |)
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ヽ _ノ
U"U >>250
「出たよ」「文脈読めず」「頓珍漢なこと言いだすお馴染みさん」とか
唐突であるのに言いなれた雰囲気で書き込みする人のほうが変だわ
言い様も偉そうに無礼だし 松姫って単品で映画とかないんだね。落飾するのが
早すぎたからかな? >>186
勝長返して織田との和睦を模索しても突っぱねられてるんだからな…。
領国全部差し出しますくらい言わないと信長はOKしないだろうな。
でもそうなりゃ信長がOKしても国人達が勝頼に対して牙向くだろうし。 >>261
ことしはいつ?やっぱり4/24?
ことしは混みそうだなぁ >>264
国人みんな裏切ったんだからそうした方が良さそうな まあだから勝頼は金もないのに武威を示して延命を図ったのかもな
そりゃあんな長篠で軒並み討たれちゃマイナス1000からだから。 真田昌幸の進言通り岩櫃城へ行って持ちこたえていたら、、 真田昌幸の進言通り岩櫃城へ行って持ちこたえていたら、、 ☆ 私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。総務省の、
『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
2017年10月22日(日)の国政選挙は、ぜひ投票に行きましょう。
平和は勝ち取るものです。お願い致します。☆☆ タイガドラマモオモシロイケドオススメノジョウホウ
グーグル検索⇒『立木のボボトイテテレ』
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